2020年2月28日

「天、予を喪せり」 絶望ということ


愛弟子顔淵を若くして失った時、孔子は「天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり。」と慟哭した。しかし孔子は「喪(ほろ)び」なかった。何故か?彼にとって、弟子顔淵とはどのような存在であったのか?
ひとは、己を己たらしめている外部/何者(モノ)かを喪って、尚生き延びることが可能なのか?それは何故?

今のわたしは顔淵亡き後の孔子に似ている。「天、予を喪せり!」
「その後の世界」に生き延びることにどのような意味があるのか?

顔淵亡き後「元気になる」ということは浮薄以外の何を意味するのか?

「心の病とはなにか?必要なものは何か? Y先生へ」を書き終えた時、公開前に母に読んでもらった。
最近は書いたものを読んでもらうことが多くなった。

母は「絶望してるんだね」と誰に言うともなく言った。

母は「死を前に書くということ」の投稿の中で、希死念慮の女性に対し、
「彼女は死にたいんじゃない、絶望してるんだ」と言った医師の言葉を読んでいない。

いったい「絶望」とは「心の病」だろうか?
それを治癒するとは如何なる意味を持つのか?

底彦さんは「自分はこの苦痛を取り除いてもらいたいから精神科に通っているのであって、再度社会の歯車になることを目指している訳ではない」と。

底彦さんの苦しみは取り除かれるべき苦しみであり、いかにわたしが、人間の尊厳は苦悩の裡にあると言っても、底彦さんに、苦しみ続けてくださいとは言えないし、言うつもりもない。

わたしと底彦さんの苦しみは本質的に違う。

わたしの苦しみはわたしという実存と不可分の苦しみだ。

本質的な苦しみとはいえ、苦しみから楽になりたい。けれども、それは、「生」の方角にあるとは思えない。そして取り除かれていい痛みだとも思えない。



『傑作絶望シネマ88』という本の中でドリアン助川が『髪結いの亭主』について書いている。

『 愛というものが、確たる存在のように感じられる「時」がある。そして同じ「時」によって、それは奪い去られる。マチルドはそのことをよくわかっていた。だからこそ、人間の力ではどうすることもできない「時」の流れに楔を打ちこもうとした。それは「時」が用意した私たちの在り方から逸脱することだ。すなわち、死ぬか、狂うか、この二つをもってでしか「時」とは対峙できない。

マチルドを突然失ったアントワーヌも、残りの一つの方法で「時」から逃れようとする。彼は静かに狂い、美しい妻が消えてしまった理容室で、彼女がいるはずの偽の時間を生きていこうとする。

こうしたことは、映画の中だけにあるのではない。わたしの最寄り駅には、夕方になると現れる一人の老いた男がいる。彼はブツブツ呟きながらホームを行ったり来たりする。
「おかしいなあ。あの子は四時には帰ってくるっていったんだ。あの子は四時には...」
おそらくはもうずっと前にお子さんを亡くされた人なのだろう。この人はそのような別離を引き起こした「時」を信じようとはしなかった。お子さんがいらっしゃった「時」にしがみつき、その中で生きようとした。だから、狂うしかなかったのだ。』














2020年2月26日

治癒ということ


終末医療を除く医療行為というものの最終的な目標が治癒であり、生き延びることであるとするなら、わけても精神や心の領域を扱う精神医療に於いては、そもそも他ならぬこの「わたし」にとって、「治癒」とは何を意味し、如何なる状態を指すのかを知らずに医者にかかるということは無意味なことだと思われる。


[関連投稿] 死を前に書くということ








2020年2月25日

心の病とは何か?必要なものは何か? Y先生へ 2


現実的な問題を考えてみよう。わたしは一昨年辺りから電車で二駅の主治医のところまで足を運ぶことが困難になってきている。最近はもっぱら母に薬を取りに行ってもらっている。現実にわたしはいま、主治医のところに行けていないのだ。暑くなるとますます困難になるだろう。駅で、わたしはこちら側のホームから向かいのホームに目をやり、そこに整然と列を作り、無言でうつむいている人・人・人を見るのが苦痛だ。そして真夏、人々が日傘を差し、サングラスをしている中で、無駄に照らされているホームの明かり。電車の中での日本語と英語のチャンポンのアナウンス。(何故韓国語や中国語ではないのか?)── 正直もうわたしには電車に乗る「体力」はないだろう。であるなら、最早主治医の質は問題ではない。そこまで行くことが出来ないのだから。

わたしが「良くなるということはどういうことか?」ということに執拗に拘るのは、よくなるということが、カンカン照りの真夏の午後にホームに電気がつけられていることに、電車やバスの車内でひっきりなしに流される注意喚起のアナウンスに、そして件の病院の入り口前に5台10台と連なって客を待っているタクシーが、客が乗るまでアイドリング=排ガス垂れ流し状態で待ち続けていることに平気になることであるとしたら、それは鈍感になること、即ち「阿呆になること」と同義ではないのか?

わたしが「良くなる」こと「平気で外に出られる」ことに強い躊躇いがあるのは、「良くなること」が「醜いことに無感覚になる」ことと同じ意味に思えるからだ。

「世界が醜いこと」がわたしの「生きづらさ」の根源であり、「生きづらさの解消」が「醜さに平気になること」「醜さを受け容れること」「慣れる(馴れる)こと」であるのなら、それでもわたしは「良くなりたい」と思うだろうか?馬鹿になってまで?自分の美意識=「魂」を引き渡してまで?

ではそれなら「良くなること」=「阿呆になること」を敢然と拒否して、生きることを止められるのか?

そこに当然ハムレット的なジレンマが生起する。

こんな穢土に生き続けなければならない意気地なしの自分が情けないと思う。

もし誰かが、それは問題のすり替えであり、外界への責任転嫁だというのなら、話を聴こう。「わたし自身の」どのような問題を、外部の問題に転嫁しているというのか?

わたしの主治医も興味があるだろう。意見があるなら聞かせて欲しい。まさか「疾病利得」等と見当違いを言う者はいないだろう。今の状態のどこに「利」が、「得」があるというのか?

そして同時に、今日、この国では、少なからぬ人々が「病気にでもならなければ生きてゆけない」というパラドキシカルな状況の中で呻吟していることもまた事実なのだ。
そんな中、未だに「引きこもりは罪」「鬱は甘え」云々という無智と錯誤が巾を利かせている。
「真っ当な障害者」と「異常な健常者」との溝は深まるばかりだ。


[関連投稿] Oさんへ / 許されざる苦しみ 許されざる障害













2020年2月24日

心の病とは何か?必要なものは何か? Y先生へ 


先週の金曜日、21日の午後、主治医の紹介状を持参して、5月末に右目の手術を受ける予定の病院の「精神神経科」に行ってきた。今デイケアに通っている病院の裏手にある。歩いて5~6分で行ける。そこで保険適応のカウンセリングをやっていると聞いたからだ。ただし、どこでもそのようだが、保険適応のカウンセリングを受けるためには、その病院なりクリニックなりの医師の判断による許可が必要になる。
わたしは過去2回、わたしを診断(問診)した医師によって「(カウンセリングは)不要」とされた経験がある。
そして一昨年だったか、神田駅前にあるクリニックで、ようやくワンセッション40分の保険適応のカウンセリングが認められた。主治医は今現在の主治医のままで。
けれども同じ中央線沿線でも、郊外に住んでいるわたしが、途中乗り換えなしであっても、継続して神田まで通うことはできなかった。結局そこでのカウンセリングは1回だけで頓挫した。

今回わたしと話した若い医師は、結論として現在の主治医の元にとどまることを勧めた。その理由として、現在の主治医とは過去13年に亘る付き合いがあること、神田のクリニックと違い、仮にここでカウンセリングを受けるということになれば、主治医ごと替えなければならないことを挙げた。

今週の金曜日28日に主治医と会う予定なので、その時に話すことをまとめてみたい。



わたしは何故精神科に通っているのか?無論誰に強制されているわけでもない。自分の意思で行っている。
「自分の意思」で?ほんとうにわたしは自分の意思で精神科というところに通い続けているのだろうか?だとすればわたしにはその理由がわかっているはずだ。けれどもわたしには何故自分が過去25年にわたって途切れることなく「精神科」と呼ばれるところを転々としてきたのかの記憶がない。もし精神科に行かなければどうなるのか?自分も知らないし、今の主治医を含め、過去にそんなことを尋ねたこともない。

次回の診断では、そのことを主治医に聞いてみたい。
「わたしは何故精神科に通うのか?」
「通わなければならない、或いは通うべき理由があるとすればそれは何か?」

一般に「精神科」というのは、「心の病」を持つ人が行く場所だと考えられている。
ではわたしの心の病とはなんだ?そしてそもそも「心の病」というものは、誰がどのように判断するものなのか?

わたしは自分が心の病であることを認めたくないわけではない。仮にわたしが「発達障害」であったとして、それが精神科に通うことでどのような変化があるのか?

そして積年のテーマである、「良くなる」「改善される」とは何を意味するのか?

俗にいわれる「生きづらさ」── 「生きてゆくこと(生きていること)の困難さ」は何故、どのような理由で改善されるのか?



しかし上記のような大きなテーマはとりあえず二の次にして、現在のわたしの状況は何を必要としているのか?主治医にも読んでもらっていることを承知で、率直な感想を述べるなら、先ず、現在の主治医は親切で、何かと患者の便宜を図ってくれる。日々の生活の在り方にしても、薬にしても、決して「医師として」という立場から、指し図めいたことをいわない。日本の精神医療の世界では、「親切」で「話を聴いてくれる医師」というだけでも、上位10%に入るだろう。
得難い医師であることには間違いない。

けれども、これは専らわたしの側の問題だが、所謂わたしの「生きづらさ」は一向に改善しないし、ここ数年は目に見えて衰えてきている。そもそもわたしが明確な目的意識を持って主治医と向き合っていないせいだが、何が問題の本質であるのかが一向に見えてこない。わたしは現在の主治医との関係は膠着状態にあると感じている。

「カウンセリング」というものがどういうものか?何を目指し、どのようなことをするのか?これも知らない。けれども、わたしは惰性的に精神科に通っている現在の状況に何らかの風穴を開けたいのだ。

これまでの経験上、カンセラーとの相性がいい可能性は低いだろう。

けれども何か違ったことをやってみたい。

そのためには、先ず、現在の主治医との関係をいったん切らなければならない。つまり「自立支援対象の医療機関」から外さなければならない。そして新たな主治医とカウンセラーとの関係を作らなければならない。

その決断が「吉」と出る可能性は低い。
第一現在の主治医が「ご自分のやりたいようにやってみればいい」と言ってくれたとしても、一旦抜けたところにまた戻ることは可能なのだろうか?

そして仮にそのような紆余曲折を経て、現在の主治医のところに戻って、いったいなにが待っているのだろう?

目の前には以前と同じように、親切で話を聴いてくれる医師がいる。けれども、わたし自身はそのドクターを(言い方は悪いが)どのように利用活用したらいいのか?

ここでまた振出しに戻る。

「わたしは良くなりたいのか?」

「わたしは気楽に外に出られるようになりたいのか?」

答え:「わからない」

何故なら、元気になったわたしに、外に出られるようになったわたしに、いったい外部では何が待っているのか?外の世界にはなにがあるのか・・・

そもそも「良くなる」とはどういうことか?



[関連投稿]  再び 心を病むとはどういうことか?









マイ・フェイヴァリット・ドラマーⅡ スチュワート・コープランド


The Police, Live at the Rockpalast (Hamburg - Markthalle - January 11, 1980)



久し振りにザ・ポリスの1980年のハンブルグでのライブビデオを見た。
「ウーン。若いって、ほんとうに素晴らしいですね!」

下で投稿したThe Go-Go'sは、高校時代、彼女たちが2枚目のアルバム『ヴァケーション』を発売した時か、その直前に初来日した時、つまり今から約40年前に、渋谷公会堂でのライブを観に行った。あの時もステージ上の彼女たちのエネルギーに驚いた記憶がある。「なんでまぁこんなに元気なんだろう」

The Policeは当時来日していたのかどうかわからないが、ライブに行ったことはない。
大学生活に馴染めず、授業をさぼって大学の図書館に「通って」いた。時々誰もいない校舎の屋上で、当時のポリスのベスト盤のカセットをウォークマンで聴いていた。
「見つめていたい」(Every breath you take)などの軟弱な歌がヒットする前、「パンク」だった頃のポリス。屋上で聴いたのはポリスだけではないはずなのに、なぜか繰り返しポリスを聴いていた記憶だけが残っている。'So Lonely' 'I Can't Stand Losing You' 'Next to you'そしてもちろん'Message In A Bottle'


このビデオに書きこまれているコメントは、ほとんどがスティングではなく、スチュワート・コープランドについてだ。いかに当時の彼がずば抜けたタレントを持ったドラマーであったかを口々に語っている。

幾つかのコメントにもあるように、名ドラマーと言われる人は少なくないし、そのスタイルを継承しているドラマーも多い。けれども、SCに関しては、彼に似たドラマーを知らない、と。
ひとりが、コープランドは少しハイハットを偏愛し過ぎではないか?と書いている。
賛同者はほとんどいないが、確かにSCに関していえば、あの比類のないハイハットワーク抜きには語れない。そしてスネアドラムのリムショット。
30秒も聴けばスチュワート・コープランドだとわかる。そんなドラマーは他に知らない。だから決して真似はできない。

1965年頃のベンチャーズも、どうしてこのスピードで、こんなに一糸乱れぬドライブ感が出せるのかと思う。

改めて若さの凄みと、ロックはライブでなければという思いを新たにすると同時に、今の20~30代が、往年のベンチャーズやポリス、更に遡って、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのような演奏が可能なのかと訝る。

例えば、いきなり飛ぶが、落語で言えば、今日、昭和の名人と言われた志ん生、円生、彦六、文楽、可楽、馬生のような人たちは言うに及ばず、ひと世代下った志ん朝や談志、橘屋円蔵(元月の家円鏡)レベルの噺家など求むべくもない。ブラック・ミュージックでいえば、サム・クックは勿論、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、そしてアル・グリーンのような歌い手はもう二度と現れない。
ボブ・ディランがシナトラのカバーを歌う時代だ。

スチュワート・コープランドはわたしよりも10歳年上だ。もうあれから40年が過ぎたのだ。

懐メロだとか、古いという人間を嗤う。

ロックであれ、落語であれ、映画であれ、エンターテインメントの世界では、「それら」が尚、今の君たちが観たり聴いたりしているものを遥かに凌駕しているということを知れ。それらは「懐かしの」ではなく'TIMELESS'と呼ばれている。










SNSへの忌避感


「引きこもり」について調べていたら、偶然「note」というサイトを見つけた。
このサイトは知らなかったが、簡単に言うとブログ版SNSといった印象を受ける。
興味本位で一旦はアカウントを作ったが、使い方などサイトの内容説明を読んで、またいくつかの利用者の投稿を読んで、わたしには合わないと判断して、数時間後に退会した。

SNS特有の「相互依存性」や「迎合性」といった印象があった。

確かにこのブログにはほとんど読者はいないし、過去の投稿を読み返してみると、お世辞にも文章が上手いとは言えない。つまりいいとこナシなのだが、「ブログのSNS」に参加して、仮に「スキ」や「フォロワー」がついても、わたしにはそれがうれしいこととは思えない。SNSに付きまとう「媚び」という感覚が拭い去れない。

それにしても、スタイリッシュな文章が書けないということは情けなく哀しいことだ。













2020年2月22日

マイ・フェイヴァリット・ドラマー





ザ・ゴーゴーズ、ジーナ・ショック。わたしの好きなバンド、憧れのドラマーのひとりです。

他は、ベンチャーズのメル・テイラー、ザ・ポリスのスチュワート・コープランド。

共通するのは「パワフル」










追記


「今のわたしは、電車で二駅、そこから歩いて十分の主治医のところまで行くことが出来ません。」── これこそが「病気」ではないのか?と思う者もいるかもしれない。ではわたしをこのような状態にさせている者たち ── 街中に、ホームに、電車内にうごめくスマホゾンビたちは無罪なのか?それは明らかにおかしくはないか?不当ではないか?

わたしは前からスマホに見惚れ乍ら歩いて来る者がいると、それが男であれ女であれ、すれ違いざま足を引っかけてやりたい強い衝動に駆られる。しかしわたしはそれが悪いこととは思わない。全く。
「罪作り」という言葉をご存知だろう。(広辞苑的な意味でも「色事師」的な意味でもない。例えば競馬場で、帰りの人ごみの中で、後ろのポケットから膨らんだ財布が半分とび出していたら?それは或る意味「盗ませた」とも言えるだろう。)

一般にスマホバカというのは少し人間というものの底知ぬ恐ろしさを舐めてはいないか?
「人間」というものに高をくくってはいないか?














心の病とは何か?


「雨上がりの夜空に」「ららら」大黒摩季 「夏の日の1993」・・・「雨上がりの夜空に」しか知りませんが、とてもいい選曲だと思います。

ところでわたしはしばらくデイケアを休もうと思っています。或いはそのまま辞めるか。
というのも、右目が全く見えないストレスが耐えがたいのです。そして手術まであと丁度3か月。正直言ってそれまで自分がまともでいられる自信がありません。

今現在の気分はあらゆることに投げやりです。生きることにも。



わたしは精神科通院歴25年になります。現在の主治医とは13年の付き合いだそうです。けれどもわたしには、今現在、何故自分が精神科に通っているのかがわからなくなりました。お恥ずかしいことですが、25年間継続して精神科に通い、それと同じか、或いはそれ以上の数の精神科医と会って話してきました。けれどもわたしには、そもそも「精神科」というところが、どういう人が何を求めて行く場であるのかがわかっていません。

わたしは自分を「普通」であるとは思っていません。しかし同時に、自分が所謂「心の病」であるとも思いません。そもそも「心の病」って何なのか?

わたしは精神科通院を止めようと考えています。少なくとも、「何のために?」がはっきりするまで。わたしは特別な薬を飲んではいません。2種類の抗不安薬と睡眠薬だけです。これなら行きつけの内科でも処方してもらえるかもしれません。
無理なら市販薬でも構わないのです。

今のわたしは、電車で二駅、そこから歩いて10分の主治医のところまで行くことが出来ません。ですから昨年からは母に薬をとりに行ってもらうことが多くなっています。もうこれ以上母に負担を掛けたくありません。母は来月、またひとつ年を取ります。けれどもわたしには何もできません。

間もなく3月。啓蟄をむかえ、大地が芽吹く頃、わたしは一つ一つ扉を閉じてゆきます。

バンドの成功を・・・いや、とにかく楽しんでください。

皆様によろしく。

















2020年2月21日

無題


しばらくはデイケアを休むつもり。或いはそのまま辞めるか。

デイケアのメンバーで作ったバンドが今月中に初めての練習(音合わせ)をやりたいと言ってきたが、今の精神状態=目の状態ではどうにもならないので、抜けさせてもらう。

今日から丁度3か月後の目の手術自体、キャンセルしようかと考えている。

その前にこの身を処分できれば・・・

もうすぐ3月。啓蟄をむかえ大地が芽吹くころ、わたしは扉を一つ一つ閉ざしてゆく。







オリビア・チェイニー



                                           Olivia Chaney - House on a Hill 











2020年2月20日

混乱、惑乱、そして錯乱・・・


○ フーコーの顔がすきだ

紅葉を見た。経験の起点とは、「死」を背負う狂気、
「死」を背負う逸脱、「死」を背負う異常といった
限界概念のあなぐりだろう。

われわれを「根源的な不安」にひきわたすものーー
こそがいま読むに値する言説である。血の凝りがけふ
の青空に浮かぶ。嘘のような晴天。血。

無宿者を見た。新顔。背後に紅葉がある。流血として。
「狂気、死、性的事象、犯罪」こそが重大事であると
いふフーコーの顔。

すでに戦争である。

2019年12月12日




Hのブログの文章である。とてもうつくしい。心惹かれる文章だ。

けれどもこれは「詩」である。「韻文」である。では韻文とは何か?
書かれている内容は妥当性に欠けるが、その文体(様式)の美によって説得力を持つ文のことだと誰かが言っていた。

昨夜わたしは今日、この「美文」に言及しようとしていた。けれども今は気が変わった。


生きていることが苦痛である。

最近はこれまでに比べてあまり「自死」のことを考えなくなった。
けれどもたまにそのことを考えるときには、嘗てなく真剣に考えている。
具体的な場所まで思い浮かべている。「あの学校の屋上から飛び降りたら死ねるだろうか?しかしどうやって屋上までたどり着く?」といった風に。

片目が見えないストレスが日増しに昂じている。そして手術までまだ3か月。仮に手術がうまくいって、この目が回復するのは6月である。正直それまでまともでいられる自信がない。このストレスは直ちに「仮に目が良くなってどうするのか?」という疑問に結びつく。病の存在が、己の生の根拠を突き付けてくる。

わたしにはどうしても、ここにとどまる必然性を見出すことができない。
「何故生きる?」何故?・・・わからない。自殺企図が次第に現実味を帯びてきたということは、わたしには望ましいことのように思える。

Hの言葉に戻ってみよう。

「経験の起点とは、「死」を背負う狂気、「死」を背負う逸脱、「死」を背負う異常といった限界概念のあなぐりだろう。」

何故「狂気」を背負う生、「逸脱」した生、「異常」とされる生ではないのだろう。「「死」を背負う狂気、「死」を背負う逸脱、「死」を背負う異常」とはそもそもトートロジーではないのか?死を背負わない狂気、死を背負わない逸脱、死を背負わない異常というものがはたして表象可能だろうか?

「生」を「正」「死」を「負」とした場合、辺見は負に負を掛けている。
問題は正と負の拮抗・葛藤であり相克ではないのか?


「われわれを「根源的な不安」にひきわたすものーーこそがいま読むに値する言説である。」

しかし今日、人間存在に関する「根源的な不安」など存在し得るだろうか?木村敏風に解釈するなら、「人間の根源的な不安は狂気の裡にこそある(現れる)もの」ではないだろうか?(今日メデューサの首を見て石にな(れ)る者はいない。そして「根源的な不安」の淵源をのぞき見ることのできるほどの者は、夙に石化している・・・)
「われわれ」を、ごく一般的な「普通の人々」の意味に取るなら、最早「われわれ」は「一切の根源的なるもの」を感知する能力を喪失してる。


「無宿者を見た。新顔。背後に紅葉がある。流血として。」

背後の紅葉はあくまでも紅葉でしかありえない。「流血」という暗喩は最早誰にも伝わらない。無宿者の背後にあるのは真新しいビル群。味も素っ気もないコンクリートの箱であって、流血とは辺見の見間違いに他ならない・・・

「「狂気、死、性的事象、犯罪」こそが重大事であるといふフーコーの顔。」

少なくともわたしにとっての最重大事とは、「いま・ここにある」現実以外にはない。
何故なら「狂気、死、性的事象、犯罪」これらはすべて、詩・文学の領域に属するものだから。「狂気、死、性的事象、犯罪」── かつてこれらは「人間存在」と一体であった。けれども今日、これらは「現実世界」の、言い換えれば、今日的人間存在の「外側」にあるものであるから。人間存在から「疎外」されたものたちだから。



わたしはいまや自分が一個の(持続的な)人格であるとは思えない。その日の天気、その時の気分で、いうこともやることもころころと変わるだろう。その中の或る一日に、「飛び降り」という行為が混じっていても、最早それは特別なことではない自然なことなのかもしれない。


最早手綱はわたしの手を離れた・・・










2020年2月19日

三者三様なれど・・・


ブログを書くにあたってライバルは必要だ、わたしの場合は、今現在二階堂奥歯、そして辺見庸(のブログ)。

それぞれの人生、そもそも「勝ち負け」とはまるで無関係な「場」でありながら「負けたくない」と思ふ。けれども「勝ちたい」という言葉は頭の中に浮かんでこない。左右非対称。

辺見庸の、「暴力は大抵「きまり」として現れる。」という言葉に深く深く共鳴する。
2019年4月15日



明日図書館の返却期限。

『小熊秀雄詩集』は迷った末延長することにした。

プロレタリアート詩人である彼の向日性には「日蔭者」であり隠花植物であるわたしは馴染めない。
 
しかし、詩の中のちょっとした言葉に惹かれる。

「野良犬のために路を譲る
私の謙虚さは誰も見ていない。
だが私は豹のために
一歩も路をゆずることを恥ぢる」


「── 政治に可愛がられる文学
 とんでもない話だ」


「精神は純粋であれと叫び
 生活は不純であれと叫ぶ」

等々・・・

島秋人さんの歌集『遺愛集』(昭和四十二年初版発行 昭和四十二年十二月三版発行 定価三百六十円)はとてもよかった。思わぬ発見。また読みたい。
(島さんは死刑囚であり、彼の歌はすべて獄中で詠まれた)


Hのブログを読む。

「負けたくない」と「勝ちたい」は同一の地平には存在しない。















2020年2月18日

辺見庸担当編集者からの返答


昨日書いたふたつの投稿。「辺見庸と内田樹、王様は裸か?」と「経済に無知な者の想い、辺見庸との訣別…」を、前回同様、「毎日新聞出版」辺見庸『純粋な幸福』担当編集者宛てにメールで2通に分けて送った。もういいと思っていた。それなのに何故担当編集者宛てにわざわざメールを送ったのか?自分でもわからない。

内容はほぼそのまま。

一通目は冒頭の辺見庸の言葉以下の内田氏に言及した個所を省いて。

貴方はいつもカッコいい。冒頭の言葉にも惹かれます。けれども、テクノロジーに汚染浸蝕された社会に唾を吐きかける本を「アマゾンで予約受付中」とは。これがあなたの「反社!」(の限界)ですか?」もそっくりこの表現のままに。

二通目は、「日記」としてのブログではなく、相手のあるメールなので、「です・ます調」に改めた。怒り、失望を表わすものであっても、伝えたいのは気持ちであって、相手に不快な思いをさせる不作法で投げやりな口調でも構わないという法はない。それに相手は友人ではないのだ。また、丁寧語を使ったからと言って、怒りや失望の想いが薄らぐわけでもない。


そして、文末に最後に「これは辺見さんへの訣別状のつもりです。お返事は無用です」と書き添えて。



昨日の夕方、辺見庸担当編集者から電話をもらった。さすがに今回のこの二通のメールに対して、「返事はご無用」などと言われるまでもなく、誰が反応するかと思っていた。

担当編集者のMさんと30分ほど話した。

「たしかにあなたの言い分はもっともなのだが、それではゼロか100かになってしまわないか?」それがMさんの言い分だった。

その後、辺見さんのブログの話、マルクス、田原総一郎、ジャズメンたちの話を織り交ぜながら、わたしは主にMさんの話を聴いていた。

一昨日の夜、メールを送った後にあれこれと考えた。

わたしは本当に辺見庸と訣別できるのだろうか?

浜矩子さんの本だって、アマゾンで売られているのではないか?

厳密に考えて、アマゾンで商品を買うことの何が問題の本質なのか?



わたしはMさんに自分の書いたことが正しいなどとはまるで思ってはいないこと。昔から、「オール・オア・ナッシング」「0か100か」という思考/志向の持ち主であること。自分と辺見庸という人の考え方があまりによく似ているが故のアンビバレンスな感情。メールに書いたようなシステムの中でしか生きられない(ように思われる)今という時代を生きることの難しさを身にしみて感じている・・・というようなことを伝えた。

Mさんは、辺見庸という物書きの本を「売る」という「プラットフォーマー」(Mさんの表現)の立場から、わたしのあまりにもまっとうな(真っ当すぎる)疑問乃至憤りに返答せずにはいられなかった、と。

そして「決して「狂人」とは思わないですね。ただ、考え方、言ってることがあまりにもど真ん中ストライク過ぎて、今の世の中じゃ「狂人」になるんでしょうね。」とも。

Mさんのいわんとしていることは、前回同様、「辺見庸をも相対化せよ」ということかなと感じた。

「これからも辺見さんとは、愛憎相半ばする気持ちの揺れを繰り返しながら付き合っていくんでしょうね。」と答えた。

「これは辺見さんとの訣別のメールです」と書いて寄こした人間に対し、わざわざまたも電話をかけてきてくれたことに驚いている。
「それがあなたの「反社」の限界ですか?」「あまりに言っていることとやっていることが違いすぎませんか?」というわたしの文章を、「なんだか全然読みが浅すぎて・・・」とも「なんじゃこりゃ!?」とも思わなかったとも。

電話で話したのは30分ほどだが、これが差し向かいで時間を気にせずにということなら、わたしにもまだまだ言いたいことはあった。反論ではない。Mさんはわたしの言い分を「真っ当」だと思ったから電話をかけてきてくれた。「これは辺見さんへの絶縁状です」という言葉、「お返事はご無用です」という文句にもかかわらず。では、わたしと辺見庸、そして担当編集者のMさんとの「ズレ」は何に依るのか?そういうことを話したいと思った。多くの黒人ジャズ・ミュージシャンたちが、大手のレコード会社から自分のレコードを商品として売っていたことについて、メジャーとインディペンデントということについても、もっと話したいと思った。

Mさんへのメールは営業を通してMさんのところに回ってくるらしい。「毎日新聞出版」への「問い合わせ」窓口は一箇所しかない。
営業の人はMさんに「なんだか難しそうな哲学的なメールが来ましたけど、困りましたねえ」と言ったそうだ。だから、Mさんは、今度からは何かあったら、直接自分のアドレスに送ってほしい、ひまを見てメールを送りますから、と。

しかし、先月だったか、デイケアでバンドを作ろうと言っていたメンバー3人に、わたしのメイン・アドレスを送ったところ、誰一人まともに届かなかったということがあった。その前にもひとり、知り合いのメールがやはりどうしても届かないということもあってちょっと不安でもある。Mさんに別のアドレスも伝えておこうかしらん。

といって、「何かあったら直接メールを」といっても、「何か」ってなんだ?

「飲みに行きませんか?」といつか誘ってみようか。

意外に本気である・・・











2020年2月17日

経済に無知な者の想い、辺見庸との訣別…


2020年2月16日付け「東京新聞」第5面(社説・意見)に掲載されている浜矩子同志社大学教授の「時代を読む」-「近頃気になる二つの言葉」で「サベイランス・キャピタリズム」=「監視資本主義」と「エコシステム」という言葉について語られている。

経済のことは(も)全く無智なので、このようにわかりやすく解説されてもまだ理解できないのだが、例えば(拘るようだが)Amazonなども、この「サベイランス・キャピタリズム」&「エコシステム」と関係があるのではないのだろうか?

以下、浜氏の文章より抜粋引用



この言葉が指しているのは、いわゆるプラットフォーム事業者たちの商売の方法のことなのである。プラットフォーム事業は、かのGAFAをはじめとする巨大IT企業たちが運営している。

プラットフォームは陳列台、或いは屋台のイメージで考えて頂ければいい。プラットフォーマーたちがネット内に設営した屋台の上に、企業や人々が自分たちの商品を載せる。買い物客は、ネット屋台上の財・サービスのラインナップの中から自分の欲しいものを選んでゆく。

ネット屋台の管理運営者であるプラットフォーマーの手元には、膨大な情報が集まってくる。それらをじっとしっかり監視する中で、彼らは商売のネタを編み出してゆく。

監視体制の成果に基づいて、お客さんたちに働きかけ、彼らを自分たちにメリットが発生する方向に誘導してゆく。

需要なきところに需要を生み出してゆく。ビッグデータをつぶさに監視・分析し、その中から収益機会を抽出して行く。こうしたビジネスのやり方が監視資本主義と呼ばれるようになっているのである。

もうひとつの気になる言葉が、エコシステムである。「生態系」の意であることはご存じの通りだ。
 (略)
生態系を辞書で引けば、「自然界のある地域に住むすべての生物群集とそれらの生活に関与する環境要因とを一体として見たもの」とある。これを経済社会に引き移せば、「人間界のある地域に住むすべての人々とその生活に関与する環境要因とを一体として見たもの」という感じだろう。

そこで、今日の人間界を見ればどうか。その中では、いまや、地域の如何を問わず、ネットとその中で屋台事業を展開するプラットフォーマーたちが、実に大きな環境要因になっている。そう言わざるを得ないだろう。つまり今日的人間界のエコシステムは、ネット内の屋台事業者たちに大きく依存している。そしてその屋台事業者たちは、監視資本主義の主人公なのである。



「かのGAFA」と言われても、聞いたこともない。けれども、(拘るようだが)辺見庸が、

けっ、「反社」上等!!!

といい

われらを毀損してくるものを、
倍返しで冒瀆せよ!


といういってみれば、現行の社会システムへの反旗のような、檄文のような、または社会との絶縁状のような本を、「Amazon.co.jpでも販売中!」というのは、あまりに言うこととやっていることがかけ離れてはいないか!

内容がいかに「反社」であろうとも、それが一旦「書籍」という「商品」に成ったとき、それは今日の世界では、上記の「エコシステム」そして「サベイランス・キャピタリズム」の手をかいくぐることはできないのではないのか?

何故、インターネットでの公開、または同人誌、或いは自費出版にしないのか?
それほどの心意気も、社会システムへの反逆心もありませんか?
それが辺見さん、あなたの限界ですか?
「けっ 反社上等!!!」とは、単なる目を引くためのキャッチコピー以上のものではないのですか?

「ひとりでも多くの人にこの想いを届けたい」これこそがプラットフォーマーたちが待ち望んでいる言葉=商機ではないのだろうか?

「ひとりでも多くの人に読んでほしい」という言葉は、容易に、否、必然的に「ひとりでも多くの人に購入してほしい」という意味にすり替えられるのですよ。
その「万物の物象化」「意識の物象化」の蔓延を誰よりも嫌い危ぶんでいたのが辺見さん、あなたではなかったのですか?













2020年2月16日

辺見庸と内田樹 王様は裸か?


「思想や文化は後退するけれども、テクノロジーは絶体に後退しない。しかし、そんな社会がどういうことなのかを書く哲学がない」と辺見庸はいう。

一方内田樹の『生きづらさについて考える』で、内田は、「歴史は繰り返す」「我々は歴史から学ばない」と今更中学生の投書のようなことをしきりに述べている。

では訊くが、こんにち、21世紀の日本で、また世界で、われわれが「学ぶべき歴史」とはいったいどこにあるのか?

本を読んでいないので断言はできないが、内田には冒頭の辺見庸のような、今が人類史上かつてない「文化なき文明」の時代だという発想がスッポリ抜け落ちているように見える。

[参考] ALL REVIEWS



ところで辺見さんにお尋ねします。これは「辺見庸公式ウェブサイト」ということになっています。

2019年7月31日の「最新詩文集完成」



けっ、「反社」上等!!!
風景の底で、幽かに明滅してやまぬ、
儚く淫らなものたちよ、
わたしの愛する「純粋な幸福」よ、
劣情と反抗を骨抜きにする
現在への、これは詩文による
終わりなき
煽情の報復戦だ!
起て!


われらを毀損してくるものを、
倍返しで冒瀆せよ!


毎日新聞出版刊
辺見庸著
A5判変型版、上製
ブックデザイン・鈴木成一デザイン室
定価2000円(税別)
ISBN978-4-620-32602-3
C0092 Y2000E
9月5日全国書店で発売!
(Amazonで予約注文受付中)

この最後の一行はなんですか?


Amazonは「テクノロジー」とは無関係なのですか?
Amazon.co.jpは「劣情と反抗を骨抜きに」し「われらを毀損するもの」の内には入らないのですか?



確かにわたしもパソコンでこのブログあのブログを書き(投稿し)、たまにはAmazonで古本を買います。そして毎日You Tubeをラジオ代わりに「聴いて」います。けれども、こころの片隅にいつも後ろめたさのようなものがこびりついています。これは明らかに堕落だという思い=惨めさもあります。

言い訳めきますが、わたしが外に出ることが出来ないのは、世の中が、外の世界が、冒頭のあなたの言葉のような状態(ITテクノロジーの坩堝)になっているという逆説もあるのです。古本を買いに行くために、レコード(CD)を買いに行くためには電車に乗っていかなければならない。しかし・・・

「もう一年以上電車に乗ったことがない。祖師ヶ谷大蔵と都心のあいだの往復も新丸子(にあるクリニック)との行き帰りも、すべてタクシーを使っているわけだ。大した貯えもないのに、この喜びの感情も寿の気持ちもいささかもない喜寿者、なにゆえに電車恐怖症に罹り、それゆえに結構な額の交通費を払わねばならぬ破目になったのか。
理由は唯一つ、スマホ人の群れを目にすると吐き気が催されてならないことだ。

ー 西部邁『保守の遺言』第二章「瀕死の世相における人間群像」1スマホ人(68ページ)平凡社新書(2019年)

貴方はいつもカッコいい。冒頭の言葉にも惹かれます。けれども、テクノロジーに汚染浸蝕された社会に唾を吐きかける本を「アマゾンで予約受付中」とは。これがあなたの「反社!」(の限界)ですか?












再び辺見庸について、他雑感…


わたしのメールに対して、『純粋な幸福』担当編集者が電話をかけてきてくれて、辺見庸の気持ちを縷々20分近く「説明」(弁解でも、言い訳でもない)してくれた。それで気が晴れたわけではないが、わたしは『純粋な幸福』を読んだ。

わたしは今だに辺見庸に対してわだかまりを持ち続けている。わたしは「不純であること」を許容できない。わたしはアル中を許容する。ヤク中を非難しない。盗みも、殺人も、状況によると思っている。ただ、金と名誉に敏い者だけはどうしても許容できない。
そしてなにより言行不一致ということに我慢がならない。



久し振りに辺見庸のブログを訪れる。

相変わらず人の心を掴む言葉が並んでいる。



●「世界各地の反戦・反基地闘争に比べれば、辺野古の闘いは穏やかすぎるくらいだ」(2015年)。目取真俊は知っている。ひとが何人か殺されでもしなければ、国家はうごかないということ。民主的な闘争などありえないこと。最期は「独り」ということ・・・。
[2月13日ー目取真俊]

120%同感だ。


● さとくん報道は(も)最悪だ。ある種のディープフェイクじゃないか。えっ、社会は重度障害者にやさしいです?! 嘘つけ。
[1月26日ージョセフ・ヘラー]

※さとくん=辺見庸の小説『月』に出てくる障害者殺戮犯=植松聖

わたしはTVを見ないしラジオも聴かないので、さとくん報道については不明。だが、「日本の社会は障害者にやさしい」は、真っ赤な偽り。


●「世界とは同意すべきではない何事かである」。もしくは、世界などない。
[1月23日ーMAX-D]


そして2019年12月29日の「読者カード」


○これもひとつの激烈な邂逅であるとおもう

マヒ激の日。目がかすむ。平衡感覚なし。共同通信記者、
毎日新聞出版編集者とランチ。編集者が『純粋な幸福』の
愛読者カード(コピー)をもってきてくれた。69歳の
パーキンソン病の女性読者。書字のふるえを詫びている。


清冽な精神、伝えようとする心の強度、孤独の深み・・・。
ごじしんの痛みのなかから拙著を読んでいる。だれも知ら
ぬ淵に沈み、あえぎながら言葉を発している。


がん闘病中の60歳の男性。「何度も読み返してみたら、少し
ずつわかりかけてきた。死ぬ前に読んでみたい、もう一度だ
け。わかるような気がする」。震える。

「サンデー毎日」の拙文(「韓国について何を知っていのか?」)
への感想も読ませてもらった。83歳の元都立高校教員、79歳の
シナリオ作家らのきわめて、きわめて真摯な投稿。

世の中棄てたものでない、などと言うまい。ただ、原稿をしたた
め、読んでいただく薄暗がりの模索と読者とのめぐりあいに、こ
のたびはなにか激烈な火花が見えた気がしている。


「読者カード」は当然メールではない。すべて読者の手書きである。
奇しくも2019年8月、同じ「毎日新聞出版」から内田樹(たつる)という人の『生きづらさについて考える』という本が出ている。わが市の図書館では、現在予約が15人。
一方、辺見庸の『純粋な幸福』は翌9月に出版。わが市の図書館では、現在在庫中。
これを見ただけでも、どちらが中身が濃いかがわかるだろう。

これらの読者カードを受け取ることが出来ただけでも、作家冥利に尽きるだろう。
うらやましい。


このたび拙ブログのコメント欄を閉じた。わたしにはコメントをもらえるだけの文章は書けない。故に不要。

このブログを「スマホを罵っているだけのブログ」と見做している人がほとんどだろう。
それは誤りではない。わたしにとって「スマホのある世界」とは、ほとんど生きることが困難なくらい息苦しい世界なのだ。そしてそれを誰かと共有できるとは思わない。
しかし誰とも共有することが出来なくても、すばらしい読者カードを手にすることがなくとも=素晴らしい読者を持てなくても(=持つ力量がなくとも、の意)自分の文章を書きたい。

もう一度、辺見庸のブログの中の言葉をくり返す。


「世界とは同意すべきではない何事かである」










2020年2月15日

追記


「フッサールの意味での現象学的エポケーの先駆者であったデカルトが、有名な懐疑の実験を開始する前に、この懐疑によって彼自身の生活世界の自明性が危機にさらされるのを予防する目的で、「世間の人」として幅広い常識を身につける努力を行ったことについては、精神病理学者のW・ブランケンブルクも注意をうながしている。生活世界の自明性が危機にさらされるということは、健全な日常性が脅かされるということであり、それはそのまま「理性の喪失」へ、「狂気」へとつながりうるものものだからである。」

この部分にわたしは哲学の、真理の探究者としてのデカルトに不純なものを感じてしまう。つまりデカルトは先ず、疑う以前に「安全圏」を確保してから探究を行った。彼は殉教者のように「己の信ずるところ」に命懸けではなかった。その時点で、既に彼は「純粋」ではない。


[関連投稿]  本を読むとはどういうことか。或は人は人を愛せるか?











率直な疑問


こんにち、21世紀の社会で、20代の若い男女が、生来の重大な疾病や障害もなく自殺するということがあるのだろうか?そもそも「スマホ」を持っている者が、自殺するほど「悩み」「苦しむ」ということが可能なのだろうか?

これは「スマホ」が彼らの脳を白痴化させるという意味ではない。
「スマホ」なしでは生きてゆけない者が、スマホがありながらも死を選ぶということがわたしにはわからないのだ。
そもそもスマートフォンは人生のあらゆる難題・困難を解決してくれるものではないのか?

「20代の若い者でも自殺するし、自殺したものの中には、スマートフォンを持っている人もいる」といわれても、俄かには信じがたい。自殺者のスマホに何らかの故障があったかどうかという調査は行われているのだろうか?

わたしの疑問は晴れない。



現象学はエポケー「判断停止」の概念を導入した。現象学的にいうと、この概念はデカルト的懐疑の方法を徹底的に推し進めることによって、自然な態度の克服に到達するために、世界の実在性に対するわれわれの確信を排除するという操作を意味している。これとは別に、人間は自然な態度の中でもある特定のエポケーを ── ただし現象学者のいうそれとはまったく異なったエポケーを ── 使用していると言えるかもしれない。これは外的世界とその諸対象に対する確信を排除するものではなく、むしろ逆に、この世界の実在に対する懐疑の方を排除するものである。(現象学的社会学者 A・シュッツ)

フッサール現象学のいうエポケーが、私たちの日常を支配している「自然な態度」の遂行を一時停止して、自己や世界の存在に関する素朴な確信を「括弧に入れる」ものであったのに対して、シュッツのいう「自然な態度のエポケー」は、逆にこれらの確信に対する一切の懐疑を停止して、これを括弧に入れる。この「自然な態度の(自然な態度に属する)エポケー」 こそ、私たちが生きている日常生活の巨大な自明性を保証して、これを「健全」に保つ「生活の知恵」にほかならないだろう。

フッサールの意味での現象学的エポケーの先駆者であったデカルトが、有名な懐疑の実験を開始する前に、この懐疑によって彼自身の生活世界の自明性が危機にさらされるのを予防する目的で、「世間の人」として幅広い常識を身につける努力を行ったことについては、精神病理学者のW・ブランケンブルクも注意をうながしている。生活世界の自明性が危機にさらされるということは、健全な日常性が脅かされるということであり、それはそのまま「理性の喪失」へ、「狂気」へとつながりうるものものだからである。

しかしこのことは、逆にいえば、精神生活の健全さが危機に瀕している精神病や神経症の患者たちにおいては、シュッツのいう「自然な態度のエポケー」が充分に機能せず、むしろデカルト/フッサール的な「懐疑」が病的に肥大して、自己や世界の存在に関する素朴な確信が「成立不能」に陥っているということである。
(下線、太字Takeo)

ー 木村敏『関係としての自己』第Ⅰ章「私的な「私」と公共的な「私」」(2005年)より









極私的エロス(変態)考


私が男性だったら、主体を失い、他者として物体化されることに無邪気に憧れることができただろう。」
二階堂奥歯

わたしは男性だが、どうしても「主体を失い、他者として物体化されることに無邪気に憧れる」ことが難しい。

差別のつもりはないのだが、そのためにはわたしは女性にならなければならない気がしてしまう。(それがなぜだかわからない)

また性別の如何を問わず、「主体を失い、他者として物体化されることに無邪気に憧れる」性向(マゾヒズム)にはどうしても馴染めない。わたしはむしろ「自分の意に反して、否応なしに、物体化」されること、状態に惹かれる。

二階堂奥歯は、自身「マゾヒスト」であり「フェミニスト」であると言っている。
性の領域に於いて、自分の特異性・独自性を知ることはわたしには難しい。

その点に於いても、「わたしはナニモノカ?」を知りたい。



以下、2016年8月にQ&Aサイトに投稿した、「エロス考」からわたしの発言(返答)部分のみ抜粋引用する。わたしの、今も変わっていない、「エロス考」の参考として。

尚、当時のやり取りを読み返してみると、その時には全く目もくれなかった回答No.3・4の言い分にも、尤もだと感じるところがある。

全体のやりとりを一読いただければ幸いです。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9369554.html?isShow=open


◇   ◇


『拷問執行人のひそかな快楽は、必ずしも相手の肉体的苦痛を眺めることだけではないのである。肉体の苦痛とともに、相手の精神がよろめき、耐えられるぎりぎりの限界を超え、ついには肉体の共犯者となって屈服してしまうという、その精神の裏切りの過程を眺めるのが愉しみなのである・・・』

これは澁澤龍彦の『エロス的人間』の一節ですが、わたしにとって、これ以上的確に、究極的エロスの様相を表現し得たものを知りません。

エロスとは、「落差」によって生じるものではないか?

気高く誇りに満ちた精神が、肉体(の快楽)に裏切られること、悦びは堰を切って決壊し、精神が肉体の共犯者に堕してしまうこと、その瞬間こそが至上のエロスではないか?

この場合、エロスが成立するために、時間的な流れが必要となります。言い換えれば「文脈」です。
凛とした精神が「肉の共犯者」に堕するために要する時間的経過と変化の過程こそがエロスなのではないでしょうか?

一方で、目の前にある赤裸々な、あからさまな裸体というものには「落差」が存在しないが故に、そこにエロスは発現しない。

エロスーエロティシズムとは、この人間の「変化」(または昆虫に見られるような「変態ーメタモルフォーゼ」)にそのエッセンスがあるように思うのです。


●「エロティシズム」と「ポルノグラフィ」とは、いわば「生(性)の紋切型」への反逆であり「性の編集術」です。

http://www.artnet.com/WebServices/images/ll00152lldyZCGFgp2qCfDrCWvaHBOcNat/pierre-klossowski-roberte-et-les-barres-parall%C3%A8les.jpg

わたしは画家バルテュスの兄で、画家であり作家・思想家のピエール・クロウスキーに惹かれるのです。

エロスや変態性に関していえば、それは「生(き)のまま」の性に対するある種のレトリックです。文飾です。ですからそれは必然的に「反自然的」なものです。それは「理性との対立」、生殖という「生産」への対立、それへのアンチテーゼです。
エロスは性のアナキズムであり、それは「タブー」を犯した地点から発現します。


● エロスとは、また変態とは、本能に起因する生殖に抗います。エロスは「知的エンターテインメント」です。
エロスを求めることは、アートを、文学を、哲学を求める精神と通底しています。それは「即物的」な生に対する文飾であり、遊び心です。
言い換えれば、「凝る」ことです。


● およそ世の芸術作品、音楽や文芸作品、その他の「楽しみ」或いは「慰藉」と呼ばれるものは、人間存在のそのものから取り去ることのできない「不安」や「悲しみ」「苦悩」「孤独」「恐怖」「不安」といった、「欠如」「欠乏感」から、生きるための知恵、生存の方策として生み出されたものであると考えます。エロスもまた例外ではないのだと思います。
言い換えれば全ての「欠乏」から免れている「幸福なる人種」が、どこに存在するのか?という疑問が残るのです。


● ヴォルテールの、「もし神が存在しないというなら、それを発明しなければならない」という言葉を借りれば、
「もしエロスが存在しないのなら、それを創造しなければならない」

つまり、もしキミにとって一義的な性しか存在しないのなら、キミのための性(エロス)を発明/発見しなければならない。言い換えれば、「一義的な性」は非・人称的な、みなのためのもの、或いはヒトという種の性の姿であって、わたしの、あなたの、「性」ではない。

https://i.pinimg.com/564x/54/10/c4/5410c40beed4b6284fa7ebef3dae0b3e.jpg










2020年2月14日

この生命誰のもの?(再掲)


現在、相模原の「津久井やまゆりえん」障害者殺戮について被告植松聖の公判が行われている。

過去の投稿を眺めていたら、障害を持って現代の日本社会に生きることについて書いた記事を見つけた。このことについては改めて考えなければならない問題として、当時の投稿の一部を再掲する。



この生命誰のもの? [2018年6月29日]


人はすべからく生きるに価するのか?それとも、「生きるに価する存在」と「生きるに価しない存在があるのか?」
どう考えても簡単に答えの出せる問題ではない。

わたしは自分自身を生きるに価する人間の側に入れてはいない。入れることができない。
そしてわたしのように感じ、考えている人は決して少なくないはずだ。
生きるに価する存在か否か?それは一体何を基準に、誰が裁くことができるのだろう?
わたしじしん、彼・彼女自身は、自分の意思で自らのいのちを絶つ自由を有する。
自分には生きる価値がないのだと、考え、感じ、主張する自由を持つ。



ここに『私的所有論』という立石信也氏の本の書評がある。
本を読んでいないので、書評にある断片的なことばからの判断になるが、

評者の森岡正博は
障害者を産んだらとてもしんどいことばかりだし、自分も子供も不幸になるという考え方は本当に正しいのか。まず、障害者を産んだらその本人が可哀想だと考える人は、「自分の子供は自分の持ち物である」という発想に凝り固まっているのではないかと立石さんは言う。こどもの人生が不幸かどうかは子供自身が決めることだ。

現実的に考えて、21世紀現在の日本で、在日韓国人の子供として生れて、仮にその子供と家族がいかにいたわり合い、愛し合っていたとしても、彼らは果たして「幸福」になり得るだろうか?
20世紀初頭の欧州に、ユダヤ人として生まれてきた子は、どのように幸福になり得ただろうか?

特定の時代・地域で、特定の民族・人種であること、疾病や障害などで、「健常者」と呼ばれるその他大勢と「違う」ということは、如何に強い家族の愛を以てしても突き崩すことの出来ない巨大な壁の前に立ち竦むことではないのか?

「私的所有」ではない。好むと好まざるとにかかわらず、望むと望まざるとにかかわらず、生れてきた子供は、ある時代、ある国、ある社会、そしてある文化の内部に生きる。
言い換えればわたしたちは誰もが、時代に、国に、社会に、その文化に緩やかに(或いは強く)「所有されて」いる。

「障害は(自他ともに対して)不幸しか生まない」という植松聖の言葉は、決して狂気の沙汰として、また全くの見当違いと切り捨てることはできない。

障害を持って生まれてきたことは絶対的な不幸ではない。そのような人たちが、安心して普通に生活できる環境さえあれば、彼ら、彼女らは確かに幸福になることはできるのだ。

一方で、子供の自責の念というものも考えなければならない。
いかに親に、周囲の人たちに愛されようとも、自分の存在が彼らの負担になっていると感じることは、障害を持つ者たちの共通の思いではないだろうか?
愛されれば愛されるほど自責の苦しみが増す。そんな悲しいパラドクスは、単にわたしの歪んだ物の見方のせいなのだろうか?

書評は続けて
障害者だとわかった上で出産を決意し、喜びも苦しみもある「普通の」人生を送っている親たちが現に存在する。
「五体満足な子供を持つためには何でもする」という誘惑に、ぎりぎりのところで踏ん張って抵抗し、「子供の生命の質を選ばない」という選択肢をゆっくりと納得しながら選び取ってゆく、そういう道を立石さんは探そうとする。

親は、家族は、我が子の生命の質を問わないという決心をしたとしても、そのような属性を持った個々人が帰属している社会が(作為・不作為を問わず)生命の質を選別するという現実があるのだ。
「犯罪とは病気そのものではない。症状なのだ」という言葉に従うなら、「植松聖」とは、この深く病んだ社会の「症状のひとつ」なのだ。

『私的所有論』は1997年に出版された500ページ近い大部の書である。

1997年といえば、アウシュビッツから生還し、1987年に自死したイタリアの化学者ー思想家、プリーモ・レーヴィの死後10年に因んで、ローマで「プリーモ・レーヴィ、ヨーロッパの作家」と銘打たれた集会が催された。
その集会で、レーヴィの友人であったユダヤ人の教授は、ブレヒトの言葉を引いてこう言ったという

「あのモンスターを生み出した子宮はいまだ健在である・・・」










2020年2月13日

「違い」Ⅲ


インターネット、コンピューター、端末機器とは、人間からその身体性をものの見事に剥奪してしまう装置である。だからこそ、「高速」で、「遠く」まで行ける。

「身体性の捨象」という点で、本との相違はどこにあるのか、考えてみたい。


*いかなる観点に於いても、わたしは「電子書籍」を「本」であるとは考えていない。





日向の縁側に腹ばいになった子供が、お祖父さんを教師にして、口うつしに絵本を読んでいく光景はほほ笑ましい。行燈に胴服を着せてこっそり勉強する金次郎さえ今となってはほほ笑ましい。しかし誰がその時、今から五百年前に活字を発明したドイツ人グーテンベルクに感謝の心を持つだろうか? まして誰がひとり、グーテンベルクの発明のおかげで、やくざな本が世界中いっぱいになり、人間の言葉が劣等な混乱を招いたことに気づくだろうか? ギリシャ人どもがあんなに美しい言葉を遺したというのも、彼らの時代には活版印刷術がなく、したがって彼らは、猫も杓子もいつ何時でも本の著者になるということがなく、弁論が大事な政治生活であったことにもよって人と議論したり語り合ったりすることが多く、そのうちのすぐれた言葉、美しい議論、おもしろい話だけが口から口につたえられ、そのうちの優れたものだけが貴重な紙の上に書きとめられ、それらのうち最もすぐれたものだけが写しとられ、それらのうち最もすぐれたものだけが今日まで伝わってきたためではないか?

ー中野重治(本は何で出来ているか?)『中野重治全集第二巻』1959年
長田弘 選『本についての詩集』(2002年)より








「違い」Ⅱ


ある人のブログをランダムに読んでいて、改めてわたしは、「スノッブとは、長距離列車の向かいの席にとびっきりの美女が座っていても、彼女が読んでいる本が気に入らないからといって声を掛けようとしない者のことである」というジョークに当てはまると感じた。スノッブとは「知的俗物」のことだが、わたしは「知的」ではないし、「俗物」というのがどのような人物であるのかもはっきりしない。ただ、その人に限らず、気に入ったブログを少し読み進めると、自分との「違い」ばかりが目についてくる。これを裏返せば、人がわたしのブログを読み、またコメントでやり取りし、「違い」に気付いて離れてゆくということも自然なことだと思えるのだ。

一方で、デイケアで体験した中で強く感じたのは、あるテーマについてのディスカッションで意見が真っ向から対立しても、帰り際、彼/彼女に笑顔で、「おつかれさまでした」「お先に失礼します」と言われたり、次に会ったときに「こんにちは」と、やはり笑顔であたりまえに挨拶されると、「論の相違」など二の次三の次に感じられる。

そのような体験を踏まえて考えると、どのように濃密なやり取りをしていようと、(少なくともわたしには)彼/彼女、そしてわたし自身の実質=身体性の伴わないインターネット上の交流というものがいかに希薄であるかということを改めて思う。



[関連投稿] 1  美意識と妥協・・・    反故








2020年2月12日

過去と思い出・・・


わたしは気にしなかった。彼女が私をどのように罵ろうが、誰が私をどのように罵ろうが、知ったことではない。しかしこの部屋は私がこれからも住んでいかなければならない場所なのだ。私にとって我が家(ホーム)と呼べるものは他にはない。ここにあるものはすべて私のものだ。私と何かしらの関わりを持ち、何かしらの過去を持ち、家族の代わりをつとめるものたちだ。たいしたものはない。何冊かの本、写真、ラジオ、チェスの駒、古い手紙、その程度のものだ。とくに価値はない。でもそこにはわたしの思い出のすべてがしみ込んでいる。

ー レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』『フィリップ・マーロウの教える生き方』’Philip Marlowe's Guide To Life' マーティン・アッシャー編 村上春樹訳(2018年)より



何冊かの本、懐かしい写真、古い手紙、昔よく聴いたレコード・・・そんなものがあればどこでも我が家になるのかもしれない。

「そこにはわたしの思い出のすべてがしみ込んでいる。」

人間は自分の過去と繋がっていなければ生きられない。仮に生きることが出来たとしてもそれは空疎なものだ。





この Philip Marlowe's Guide To Life (2005) という本は、しばらく前からぼくの家の本棚に置いてあったのだが、まさかこんなささやかな、そしてきわめて趣味的な本が日本で翻訳出版されることになるとは思ってもみなかった。

村上春樹「訳者あとがき」



 








2020年2月11日

過去について、癒しについて


友人である底彦さんのブログに、彼自身が今現在も苦しめられている「PTSD」(心的外傷)についての投稿がある。

読書: ディビッド・マス/大野裕・村山寿美子訳『トラウマ ── 「心の後遺症」を治す』


底彦さんにとって、そしてわたしにとって、この生の苦しみの源泉は「過去」にある。

彼にとっては、苦しい過去が現在も継続していること。
わたしにとっては、懐かしい過去が既に消え去ってしまったこと。

一方は「ありつづける」ことに苦しみ、
一方は「なくなった」ことに心を痛めている。
一方は「消え去る」ことを願い、
一方は「残り続ける」ことを希んでいた。

確かに、底彦さんの「過去」は、彼の内部に起こったできごとであり、わたしの「過去」は、わたしの外部の世界の変化変貌であるという相違がある。
それでも彼は「過去の記憶」に呻き、同様にわたしは「過去の記憶」による「外出困難」ー「引きこもり」で苦悩している。

彼は過去に受けた言葉の暴力(それは文字に書き起こせる「言葉」に限定されず、非・言語的なものも含む。表情、口調、相手の(無根拠な)優越感等)を忘れることができない。

一方で、わたしが感じる「世界の醜さ」を果たして「暴力」と呼ぶことができるのか、わからない。けれどもわたしは、わたしの生まれ育った街/町が跡形もなく消え去ってしまったことに耐えられない。「わたしをわたしたらしめている(た)」外部が悉く失われてしまったことに耐えられない。

「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません……」
と、シモーヌ・ヴェイユは戦中の手紙に認めている。パリは、いまでもシモーヌの愛した当時のパリの面影を残してるだろうか? ── わたしはパリに、ロンドンに行くことが出来るかもしれない。そしてそこで往年の町並みが残されているのを目の当たりにするかもしれない。
けれどもわたしはパリでもロンドンでも異邦人であることに変わりはない。わたしの故郷は既に失われた。



わたしの親友だった女性は、幼いころに主に言葉の虐待を受けた。その傷口は、わたしと一緒だったころ、60代の彼女の心にも屡々血を滴らせていた。

彼女の肩を抱いて銀座や渋谷を歩いた。手を繋いで都内の公園を歩いた。けれども一度でも心の底から彼女を、その癒えることのない悲しみとともに抱き締めてあげたことがあったか・・・


言うまでもなくわたしと底彦さんとは同じではない。底彦さんの「治癒」には希望がある。少なくとも彼の苦しみが、PTSDによるものであるという事実も分かっている。
しかし過去が蘇ることがない以上、時間が遡行不能なものである以上、わたしの苦しみは癒えることはない。それは死者の復活を待つことに等しい。その事実を認めながら、尚、友人の快癒を心から祈ることができるのか?わたしはそれほど優しく、懐の深い人間であるのか?・・・しかし底彦さんの平癒を心の底から祈ることが出来ないことを、すべてわたしという人間の心の狭さに帰することも安易な卑下だろう。そこにはわたしの狭量以外に、インターネットでの友人、という枠組みが存在している。わたしは底彦さんの顔も知らなければ声を聞いたことも、その微笑や沈痛な面持ちすら目にしたことがない。それがわたしの共感と感情移入を限定的なものにしている・・・

またわたしは、今でも、もう何年も連絡を取っていない嘗ての親友の安否を気に掛けながら、電話をしたり、手紙を出す勇気がない。なにかを怖れている。
それはわたしが、嘗てと同様に、いまの彼女に何もしてあげることが出来ないという負い目からくるのだろう。わたしはただ、彼女の・・・わからない。彼女に対して何を祈ればいいのか?

わたしじしん誰かに「Takeoさんの健康を祈ります」と言われて、それが真実「わたしの願い」と一致するのかがわからないように。

親しいものが死を願うのなら、ためらうことなく「彼に/彼女に、安らかな死が訪れますように」と心から願うだろう。5年ほど前、最後の電話で彼女から重い病気であることを聞いた。元気な時の彼女しか知らず、今の彼女の現実を知らないわたしが、いったい何を祈ることが出来るだろう?

すべての病める心優しき人に、一秒でも長い心のやすらぎを・・・という以外に・・・









2020年2月10日

語法



「アウトサイダー」とは、自らの内側にのみ法を認める「Insider」であり、
逆に「インサイド」にいるものは、常に「自らの外部」に行動の規準を求める「Outsider」である・・・





あらゆるものがフェイクになる時


東京新聞の書評コラム(?)「大波小波」に、ニック・ドルナソという作者による「グラフィック・ノベル」(所謂アメコミ)『サブリナ』という作品が紹介されていた。
(日本では昨年10月に早川書房から藤井光訳で出版されている)

それによると、「この作品の中心にあるのは「フェイク」という概念だ。あらゆる事実がフェイク(虚偽)として相対化され、人間は行動や判断の基準を失ってゆく。その時人が必要とするのは、憎悪し、打倒すべき敵である・・・云々」

なんだかわかりにくい。あらゆる既存の価値が「フェイクとして相対化される」というのならわかりやすいのだが、あらゆる事実が・・・といわれるとわかりにくい。

いずれにしても、「客観的な拠り所」のない世界というところに強く惹かれる。「客観的な」とは、言い換えれば、「わたしの外側に」と同義だ。

「あらゆる価値が相対化され・・・」ああ、なんという蠱惑的な響きだろう。

わたしが最も嫌うのは全体主義=ファシズムだ。そこには唯ひとつの、絶対的な価値=拠り所しかない。それは例えばヒトラーであり、天皇であり、毛沢東であり、スターリンのような。

わたしはみなが(全体が)同じ価値観に則り、同じように考え、同じように行動することに生理的な嫌悪感を覚える。わたしの「スマホ嫌悪」も結局はそこに行きつく。「スマートフォンの価値」というものを誰もが認めている。(無論稀に例外はあるだろうが)そんな世界が息苦しくてたまらないのだ。

あらゆる価値が相対化されるということは、なんという風通しの良さだろう。スマホの価値も、オリンピックの価値も、憲法九条の価値も、テクノロジーの進化という価値も、すべてが相対化される。無論「殺してはいけない」「盗んではいけない」というモラルさえも。それでもわたしは全体主義・絶対性よりも、相対主義を採る。「殺すなかれ」「盗むなかれ」という価値が絶対的ではなくなるということは、「殺すべし」「盗むべし」ということを意味しない。

早速図書館に『サブリナ』を予約しようとしたら、生憎地元の図書館には所蔵がない。
都内の区市に何館か所蔵があったが、どこも、10~20人待ちだ。
ひとまず『サブリナ』は措いて、早川文庫JAから出ている牧野修の Mouse(マウス)でも読んでみようか。


ー追記ー

「スマートフォンの価値の相対化」── スマートフォンというのは、単にハードウェアに過ぎない。スマホの価値の相対化とは、即ちGoogleの価値の相対化であり、Amazon.comの相対化であり、SNSの相対化だ。成程ツイッターではあらゆる言説が飛び交い、全ての価値は相対化されているように見える。けれども、誰が何を投稿しようと、彼らは自分が「諾」といい「否」という場=「Twitterの価値」だけは疑わない。── 彼らはSNSの空虚をツイッターに呟く。

わたしはいまこうして、パソコンからブログに拙い文章を投稿している。けれども、それを「IT産業の崇拝者」として唾棄し否定する者がいたら、わたしは彼の言い分を認めるだろう。


















月曜日



汽車よりも悲しいものはあるだろうか?
決められた時刻に出発し、
発する声は一つしかなく、
走る道も一つしかない。
汽車より悲しいものはない。

それとも荷車引きの馬だろうか。
ながえの間に挟まれ
脇を見ることさえできない。
生きることはただ歩くことだ。

それでは人間は? 人間は悲しくはないのか?
もし長い間孤独に生き
時の円環はもう閉じていると信じているなら
人間も悲しい存在だ。

ー プリーモ・レーヴィ「月曜日」 『プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に』竹山博英 訳(2019年)より


もし長い間孤独に生き、時の円環はもう閉じていると信じているのなら・・・











2020年2月9日

だからわたしは引きこもるのだ…


2月7日金曜日付『東京新聞』夕刊文化面に、藤田一人という美術評論家の書いた文章が載っている。興味を引かれたので、以下に一部省略して引用する
見出しは「今様の展示に昔を思う」



古い映画のこんなワンシーンが心に残っている。平日の美術館、一人の男が旅行者らしい女性に声を掛けて怪訝な顔をされる。すると男は「昼間から美術館にいるのは失業者か変人と相場が決まっているから」と自虐的な一言。今では問題発言かもしれないが、美術館のイメージを絶妙に物語る。そこから浮かび上がるのは、往年の絵画や彫刻が淡々と並ぶ時が止まったような空間。そこにいると社会の束縛からほんの一時、解放されたような気持ちになり、ただただ時間を過ごせる。

しかし、そんな美術館のイメージは、今は昔。近年ではさまざまに工夫を凝らし、観客を楽しませる。今や美術館は有意義な時間を過ごす場所なのだ。東京でも長年屈指のコレクションを誇ってきたブリヂストン美術館が、建て替えによる4年半の休館を経てこの1月にアーティゾン美術館として再スタート。名称とともにその展示や運営の変貌ぶりには今日の美術館のあり様を印象付けられる。

象徴的なのが、入場券の日時指定予約制。事前にウェブ予約をしなければならない。その際、学生以下は無料。ただ、余裕があれば当日券も発売されるが割高で、学生割引もない。混雑を解消する目的だというが、情報化時代の合理的かつ機能的な管理方法だ。また、入り口ではセキュリティー対策の持ち物検査も。
まさに時代の趨勢といえる。

そして展示空間が2倍になり、凝った演出も目を引く。開催中の開館記念展は、同館のコレクションを、従来の時代や地域、分野別ではなく、時空を超えた美術作品の出会いや関係性を物語る。

(略)

既存のイメージを払拭し、これまでにない作品の見方を通して、新鮮な美術鑑賞を提起しようとする。このようなキュレーションは、昨今の美術館では盛んに試みられている。ただ、こうした展示が延々と続くと、ここまで饒舌に語られなければいけないのか?と、食傷気味にもなってくる。

すると、かつてのブリヂストン美術館を思い出す。初めて上京した時に、ふと訪れた平日の人けのない常設展示で、教科書に載っているモネやセザンヌの本物を見た驚き。また仕事の合間に入った折に、青木繁の『海の幸』を初めて見たこと。
時代遅れの男の愚痴かもしれないが、昨今の美術館は少々息苦しい。
(下線Takeo)



美術館を訪れなくなって久しい。3年ほど前に、一度、渋谷のBunkamuraに連れて行ってもらった。それが、約6~7年ぶりの展覧会であった。それ以降も美術館には足を運んでいないし、これからももう美術館を訪れることはないだろう。

上に書いたように、今の美術館の様子をまるで知らない。それにわたしは、美術館で、作品をスマホで撮影している人がいるような場所には行きたくないのだ。

上記の記事に書かれているように、今は美術館は、「ただただ時間を過ごせる」場所ではなく、「有意義な時間を過ごす場所」になっているようだ。それにいったい「アーティゾン美術館」とはなんだ?随分と厳めしい名前を付けたものだ。「アーティゾン」とは何語で、どういう意味があるのだろう?

日本人の欧米拝跪はとどまらない。昨年は、ここから駅までの道に「北欧住宅」が建ち、先ごろ同じ道筋に「カーサ・〇〇」という「アパート」が出来た。わずか200メートルほどの道に北欧と南欧が同居している。(' Casa 'とはスペイン語で' ハウス' の意味だ)



藤田氏の書いていることが、全ての美術館に当てはまるわけではないだろうが、トウキョウの美術館事情が、このような流れになっているということは確かだろう、この先「持ち物検査」を実施する美術館も増えることだろう。

普通の人たちにとって、この「趨勢」が、美術館、そして「アート」への敷居を低くしているのか、或いはその逆なのか?また、「今の人たち」が美術館という場所に何を求めているのか、わたしにはわからない。けれどもわたしにとっては頻繁に美術館に通っていたことも、既に「今は昔の物語り」である・・・



[関連投稿] 「公共空間」について、鉛筆の芯と、さくらの花びらの危険性について







2020年2月8日

ワイアーの母親


引きこもり=(外出困難)について改めて考えてみる。

現在から約100年ほど前、1925年、リルケは書簡にこう記す


「家」とか「井戸」とか、毎日見慣れている塔とか、それどころか、自分の来ている着物やマントでさえ、まだ私たちの祖父母にとっては、限りなく重要な意味を持ち、限りなく親愛の情のこもったものでした。彼らには、ほとんどすべての「物」が、その中に人間的なものを見出したり、人間的なものを貯えたりする容器でした。
ところが、アメリカから、空虚で冷淡な品物が押しかけてきました。見かけだけの品物、生活の模造品というやつです・・・
アメリカ風の家とか、アメリカのリンゴとか葡萄とかは、私たちの祖先の、希望や物思いのしみこんだ家、果実、葡萄と何の共通点もありません ──
私たちによって生かされ、体験され、私たちと苦楽を共にしている「物たち」は滅びかかっており、しかももはや埋め合わせがつきません。私たちはたぶんこのような「物たち」を知っている最後の者でありましょう。これらの「物たち」の追憶を保持するだけでなく、その人間的な、家々の守り神の性格を持ったこれらの「物たち」の価値を保存してゆく責任が、私たちの肩にかかっています。
大地は、この地上の「物たち」は、私たちの内部で、目に見えないものとなる以外に、逃げ道を持っていません。私たちは私たちの本性の一部で、目に見えないものとつながっています。(少なくとも)目に見えないものにあずかっているという証書を持っています。そしてこの地上に存在している間に、目に見えないものの所有を増やすことが出来るのです。 ──
こういう私たち人間の内部においてのみ、「目に見えるもの」が、目に見えて掴めるということには、最早関係のない「目に見えないもの」に変わるという内密な、不断の変容が行われうるのです。
(下線Takeo)



リルケはしかし、目で見ることができ、手で掴むことのできる「物たち」への喪失に押し潰されることはなかった。
いったいわたしたちが「喪失した物たち」を内面に所有することに何の意味があるというのだろう?
わたしを取り巻く世界は、まさに「空虚な模造品」でしかない。そしてわたしはウロボロスの蛇のように、自分自身を飲み込んで、己の内面の世界に入ってゆくことはできないのだ。

わたしの内面に、記憶の裡に「それ」があったとして何になるのか?
「わたし」=Takeoという存在は、「五つの感覚の総和」に他ならない。


1958年、ウィスコンシン大学の心理学者ハリー・ハーロウは、今や伝説の(というより、悪名高い、と言うべきだろうか)実験を行った。彼はアカゲザルの赤ん坊を母親から引き離し、代わりに一体はワイヤー、もう一体は毛布で作られた、二体の代理母を与えた。どちらの「母親」に哺乳瓶をとりつけて、ミルクが飲めるようにしてあっても、 サルの赤ん坊は多くの時間を毛布でできたほうに抱きついて過ごし、驚いたり、気が動転した時にはそちらに飛びついた。ワイヤーでできた母親の方に行くのは哺乳瓶がついていた時だけ、それもミルクを飲んでいる間だけだった。
ハーロウは、触覚的な心地よさを奪われたサルが精神と情動の両面で、発達が大幅に遅れることを発見した。
ー『孤独の科学』ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック共著 柴田裕之 訳 河出文庫(2018年)より



わたしは子ザルと同じかといわれば、そうだと答えるだろう。自己の内面に、見ることも、触れることもできずに「ある」(といわれる)「物」では不十分なのだ。

そしてわたしは現代人が、ワイヤーの「母親」にしがみついて、平気な顔をして、「情報」という「ミルク」を吸収している奇妙な、(或いは新たな)哺乳類に見える。

もし誰かが現代社会において、未だに孤独を感じているとしたら、それはまだ彼(ら)が、孤独を解消してくれるはずの機器を上手に使いこなせていない(乃至ワイヤーの代理母に完全に馴染んでいない)からに他ならない・・・




Il Trovatore Solitario (The Lonely Troubadour)  1970 Giorgio de Chirico (1888 - 1978)
- Color lithograph on Paper  -





断章



この世界に、嘗て「過去」があったということだけが救いである。



こんにち、「若さ」とは、ただ、虚ろで醜悪なものでしかなくなった。



「過去」を持つ者と「未来」を持つ者・・・そもそも比すべくもない。







下投稿の補足


精神科医がその臨床経験に基づいて人間の内面生活に関する議論を展開しようとする場合、それが科学的に見ても哲学的に見ても十分な厳密さと普遍性を欠くきらいがあり、そこにある種の「うさんくささ」のようなものが混じり込むのは、避けがたいことであるように思われる。これはかならずしも、臨床精神科医が科学者あるいは哲学者としての必要な習練を怠っているという理由だけに還元しうることではない。臨床の場面では、患者と治療者の個人的な関係が議論の出発点となるだけでなく、その窮極の拠り所ともなるし、この関係の中でのみ見い出されうる事実が、そこで唯一「真実」としての拘束力を持つ。
この真実の「関係的」な性格が、そこに一般的な科学的あるいは哲学的な「真実」とはいささか異なった趣を持ち込んでいるとしたらどうだろう。

すでに早くから「臨床の知」を標榜している中村雄二郎は、演劇と学問の関係について次のように書いている。

《演劇或いは芝居というと、一般にはおよそ学問や知とは無関係のもの、さらには本質的に相容れないものと思われてきた。……すなわち、演劇=芝居とは、多かれ少なかれ猥雑さを含んだ一種の絵空事であり、遊びであり戯れである。……他方、知や学問は根っから真面目なものであり、われわれは感情や好みを出来るだけ排して、ひたすら禁欲的に真理を極めなければならない、と。遊びと真面目(あるいは仕事)という二分法がそこに想定されている、といってもいい》(下線部は傍点=中村)

そして中村は、古代ギリシャと西欧で発達した知や学問は、この「二分法」を基準として普遍性と精密さを備え、「近代の知」として人類全体に大きな影響力と支配力を持つようになったと考える。

もちろん精神科の臨床は「絵空事」でも「遊び」でもない。それは「真面目」な「仕事」である。しかしそれにもかかわらず、いまこれを患者と医者(より一般的には治療者)以外の局外者の立場から見るとき、それがこの二分法ではどうしても知や学問ではない方の側「多かれ少なかれ猥雑さを含んだ」営みの側に分類されるであろうことも確かなことのように思われる。だからこそ中村も「演劇的知」をただちに「臨床の知」と言い換えているのである。

 (中略)

科学も哲学も、それが普遍妥当的な「真理」の探究を窮極の目標とする以上、それは「誰にとっても」開かれた、追試可能・再現可能、そして報告可能な、要するに三人称的な知を求めるものでなくてはならない。それに反して精神科医療の場で得られる「知」は、当事者である患者と治療者のみに占有された「私的」で一人称的な性格をその本質としている。治療者が変われば患者の言うことも変わる、診断も変わるし予後も変わる、というのが精神医学ではほとんど常識になっている(だからこそそれをいくらかでも客観的・科学的にしようとする努力から、治療者の主観を最大限に排除した「質問表」によって症状を聞き出そうとする「標準化面接」や、その結果を一覧表に当てはめて量的に操作しようとする「操作診断」の方法が案出されているが、これが ── ことに患者の立場から見た場合 ── 精神医療の理想から遠く離れた物であることはいうまでもないだろう。)
[……]このような考察にあたっては、自己にしても生命にしても、それを一人称的に(つまり臨床的に)見たときと、三人称的に(科学的あるいは哲学的に)見たときの見え方の違いについて、われわれはつねに敏感でなくてはならない。

ー 木村敏『関係としての自己』第Ⅷ章「生命的差異の重さ」(2005年)より
(太字著者、下線Takeo)



精神医療に於いて、患者と治療者(支援者)との間に極めて良好な「関係」が結ばれずに、「治癒」ということは考えられないのではないだろうか。
言うまでもなく精神の疾患・障害とは「関係性の病い(障害)」に他ならないのだから。






 




2020年2月6日

「恋愛について」ー 障害者の恋愛


冷たい北風の吹き付ける寒い一日。今日のデイケアのテーマはホットな(?)「恋愛について」だった。昨年一月、正式な参加者(=デイケア・メンバー)として初参加したのも、同じく「恋愛について」であった。恋愛の経験すらないのに、このテーマになるとほほとんど独壇場になってしまう。

先ず最初にいつものように、自己紹介(名前)。それに添えられる今日のひとことは、「恋愛対象になり得る人(同性・異性を問わず)で魅力を感じるのはどんなところか?」
わたしは「良くも悪くも、他と違った独自のものを持っている人」と答えた。後から考えると、「その独自性に共通点があれば」と補足すればよかったと思っている。

このプログラムでは、毎回「こころ元気プラス」という雑誌からテーマが採られ、それに関連した記事を回し読みして、その後それぞれが感じたところを述べるという形で進められる。

細かい部分は省略するが、わたしが意見(異見)を述べたのは、資料にあったある精神科クリニックの副院長である女性の書いた「当事者の「恋愛・結婚」~おつきあいする前に知っておきたいこと~」の幾つかの発言に対してであった。

この副院長(以下Kさん)は、

「障害があろうとなかろうと人間として恋愛や結婚は自然なことで・・・云々」と冒頭で述べている。
先ず、「恋愛」と「結婚」を同列に扱っていることに強い違和感を感じるとわたしは発言した。これには既婚者の賛同者が多かった。
「恋愛」という、生物としての本能的な情動・営みと、「結婚」という「制度」「(社会の)仕組み」を同じ次元のテーマとして俎上に乗せることはできない。そもそもわたしは「結婚」を「自然なこと」とは考えていない。

一方で、Kさんは、デイケアや作業所の支援者に会ってよく聞く「恋愛などは、トラブルのもとになりやすいので、外部での付き合いは一切禁止している」ということに対して、「そんな決まりを作ることはナンセンス」と言い切っている。
これには全面的に賛成する。
Kさんは続けて、「恋愛や結婚は、当事者であれ健常者であれたいへんなんです。今まで違う環境で育った人間同士が一緒に暮らすわけですから。それにいろいろトラブルやストレスが起こることは順調なできごとなのであって、なんにもないことの方が変なのだと思っています。」と。

いずれにしても、「当事者同士の外部での接触は禁止」というこの国の偏見と差別に基づいた規制・規則の多い福祉施設が多数を占める中、「当事者同士の恋愛を禁止するなんてナンセンス」というKさんのスタンスは、「あたりまえ」が通用しないこの国の精神医療・保健・福祉に於いて、敢えてエールを送りたくなる。



さて、今回わたしがKさんの発言の中で特にこだわったのは、

「当事者であることの前に、ひとりの男と女としての自分を確立しなければならない」という箇所であった。

「精神障害者である前に、ひとりの人間として」── そのような言い方が果たして可能だろうか?
参加者の中にも、「病気があろうとなかろうと、ひとりの人間として・・・」という言葉はあたりまえに共有されているように見えた。もちろんわたしも特に異論があるわけではない。

けれども、自分自身を顧みて、「精神障害者としてのTakeoである前に先ず一人の人間、ひとりの男としてのTakeoとして・・・」といわれても、正直戸惑ってしまう。

そもそも障害者であるTakeoと、それ以前のひとりの人間としてのTakeoとは分離可能なものなのだろうか?「精神障害者以外のTakeo」というものがどこかに存在しているのだろうか?

これは即ち「自己とは何か?」という問題と直結している。


分裂病の治療に携わっている精神科医なら誰でも、分裂病者の自殺への親近性を痛感しているに違いない。分裂病者は、たとえば鬱病者が(キルケゴールの表現を借りれば)「絶望して自己自身であろうと欲しない」ために自殺を選ぶのとは対照的に、「絶望して自己自身であろうと欲する」ために自殺に走る。分裂病とは自己自身であろうとする、つまり自己を一人称的に個別化しようとする絶望的な努力の病的形態に他ならない。だから、分裂病者であることと、死を求めるということは、ほとんど同語反復と言ってよい。
ー木村敏『関係としての自己』第Ⅴ章「個別性のジレンマ」より(2005年)(太字、下線Takeo)

つまり、ここでは、「私」即ち「分裂病者」であって、「分裂病であるなし関係なしにひとりの人間として」という言説は成立しない。 

わたしはここで木村敏のいう

分裂病とは自己自身であろうとする、つまり自己を一人称的に個別化しようとする絶望的な努力の病的形態に他ならない。

という断定を重視する。

わたしは病的気質、乃至精神障害と言われるものを備えた存在でしかありえないのではないだろうか。それを超えて、「病気のあるなしに関わらずひとりの人間として」という言葉は、あくまで抽象化された観念でしかない。

木村氏の言葉を借りるなら

「精神障害者であることと、「私」であるということとは、ほとんど同語反復と言ってよい。」

わたしは「恋愛」というものに憧れる。けれども、抽象的で匿名的な「ひとりの男」としてではなく、具体的な症状を備えた一回限りの限定された存在として、恋愛は非常に困難であると感じている。

また、次回「恋愛について」のプログラムがあれば、是非、恋愛とは不可分の「性」「SEX」=「スキンシップ」「抱擁」「触れ合うこと」「温もり」等の精神に及ぼす作用などについても話題にしたい。







2020年2月2日

滅びゆく日々


母とわたしはいま一歩一歩滅びの坂を下っている。高齢である母が、この先これ以上に衰えることはあっても以前のように元気になることはない。一歩一歩死に近づいている。
そういう状況にあって、わたしが元気になるということはなにを意味するのだろう。
なにも意味しはしない。わたしの生存の、存在の根拠が失われつつある中「良くなる」とか「元気になる」ということが如何に意味のない言葉であるか。


◇   ◇


No man is an island entire of itself; every man 
is a piece of the continent, a part of the main; 
if a clod be washed away by the sea, Europe 
is the less, as well as if a promontory were, as 
well as any manner of thy friends or of thine 
own were; any man's death diminishes me, 
because I am involved in mankind. 
And therefore never send to know for whom 
the bell tolls; it tolls for thee. 

ーJohn Danne ・MEDITATION XVII ”Devotions upon Emergent Occasions”


ひとりでひとつの島全部である人はいない。誰もが大陸の一片。
全体の部分をなす。土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパはそれだけ小さくなる。岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
私も人類の一部であれば誰が死んでも我が身がそがれたも同じ。
だから弔いの鐘は誰のために鳴っているのかと、たずねにいかせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
誰(た)が為に鐘は鳴る、問うなかれ そは汝(な)がために鳴ればなり

ージョン・ダン 「瞑想録十七」より









2020年2月1日

生と死、二階堂奥歯とわたし


愛する者を喪った後(のち)も、まだ生きてゆけるということが理解できない。その「鈍感さ」ではない。その生命力の強靭さが理解できないのだ・・・

わたしの生命(いのち)の、そして生存の根拠はわたし自身の裡にはなく、「愛し・愛される」対象の裡にのみ存在している。このようなことを書くのは、今年になって母の「滅び」というものをこれまでになくなまなましく意識するようになったからだ。つまり母の目に見える衰えと新たな病気の発症。

母の滅びは直ちにわたしの滅びを意味する。「親亡き後」はわたしには当てはまらない。

置かれている状況の如何を問わず、何故ひとは「天涯孤独」で生きてゆくことが出来るのか。
無論身寄り頼りなく、それでも淡々と生きている人は少なくない。わたしは彼ら/彼女らを「不思議」だとは思わない。けれどもわたしはそれほど強くはない。

もののついでにまたぞろ二階堂奥歯の「眼差し」についての話をしよう。

(例えば彼女は2002年4月6日の日記でも、「眼差し」について記述している)



「人間性」とは感情移入される能力のことであり、感情移入「する」能力ではない。
ほとんどすべてのヒト(ホモサピエンス)が人間であるのは多くの人々に感情移入されているからである。ヒトでであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。
しかし、人間はヒトに限られるわけではない。感情移入されれば人間になるのだから、ぬいぐるみだって人間でありうるのである。

そう、ピエロちゃんは人間だった。私が人間にしたのである。「した」と言う言い方は傲慢だ。言い換えると、ピエロちゃんは私にとって人間として存在していた。
上に書いたようなことを私は小学校1年生ながら理解していて、すさまじい責任を感じていた。なぜなら、ピエロちゃんに感情移入しているのは世界でおそらく私一人だったからだ。ピエロちゃんが人間であるかどうかは私一人にかかっていた。これは大きな責任である。ピエロちゃんに対する責任に比べると、この意味での責任を例えば生まれたばかりの弟に感じることはなかった。私一人弟に感情移入しなくたって世界中のおそらくすべての人間は彼を人間として扱うだろうから。

私がピエロちゃんが人間であることを忘れてしまったら、ピエロちゃんはきたない布切れで構成されたくたびれたピエロのぬいぐるみに過ぎなくなってしまう。それは人殺しだと私は思っていた。私がピエロちゃんをどこかに置き去りにしてしまったらピエロちゃんを見た人間は誰一人ピエロちゃんを人間だと思わないだろう。忘れもののぬいぐるみだと思って捨ててしまうかもしれない。

そして実際私はピエロちゃんを忘れ、ピエロちゃんはどこかにいってしまった。
ピエロちゃんはいつのまにか捨てられた。殺された。
違う。私が、ピエロちゃんを、殺した。
(私が子供を産まずペットを飼わないと決めている理由の一つは、私がピエロちゃんを殺した人間だからである)。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002年12月5日その1



これもこのブログで過去に何度か引用した文章だ。

わたしと母との関係は、まさにこのピエロちゃんと二階堂奥歯との関係に等しい。
言い方を換えれば、母以外の他人は誰一人わたしを愛し得なかった。わたしに感情移入し得なかった。

しかし今となってはそのこともわたしの特異性として誇れることではあっても、決して卑下する必要はないと感じている。わたしが愛されなかったことも、誰もわたしを愛せなかったことも、運命なのだろう。

わたしが母のいない世界で生きることが出来ないということは、二階堂が、ピエロちゃんの例を以て申し分なく説明してくれている。
これ以上の説明は不要だろう。

わたしはこの一文をことのほか愛している。



一方遡って2002年3月13日その2ではこう書かれている。


私は一人で立っていられないほど弱いのかと問えば弱いと答えるしかない。
だからたまに自分を支える物語が欲しくなるけど、それは転落であり不誠実な態度だという気持ちがいつもつきまとう。
いつでもその根拠を支える根拠を問うことができる。だから信仰はいつも仮のものだ。現実はいつも定義されたところのものだ。
これに根拠はない。しかしこれを現実としておこう。そうやって日々を生きている私が、今更どのような自己欺瞞を行えば何かを信じることができるだろう。

それでも私はほっとしたい、何かを信じたいと思ってしまう。身を投じてしまう。
これは偽物、架空のもの。これの正当性に根拠はない。私の信仰によってこれは信仰に値するものとして聖化される。そう意識しながらそれでも行う信仰には最初から破綻がつきまとっている。
だから、破綻する前に、この(私によって)聖化されたものと、聖化されたものによって価値づけられた私を凍結したいのだ。



彼女は『八本脚の蝶』の中で頻りに「信仰」について言及している。

これについて、わたしは「愛」の根拠を問うことの無意味さを感じる。

順序がさかしまになってしまったが、この記述の前には、以下の文章がある。


自分の死を、生を、存在を価値づけてくれる何かを今更信じるなんて出来るだろうか。
初めて親しくなった異性が生涯一人きりの異性だったころなら、運命の人を信じることができたかもしれないけど、私はすでに何人もの人を愛してしまった。この人が最後の人だなんてどうして思えよう。
愛という名の無償労働という言葉を知った上で、母性ファシズムという言葉を知った上で、どうして無邪気にも傲慢にも愛を特権化できるだろう。
宗教を信じた結果のオウム事件。国家を信じた結果の、主義を信じた結果の……。
破綻した物語を超えてさらに何を新たに信じることができるだろう。

何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。
それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることが出来る。
自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。
でも、それは偽物だ。



これを説明するには、これが書かれた五日後、2002年3月18日の日記による補足が要るだろう。そこにはこのような一文がある。

私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支え合いの中で生きています。」

二階堂が愛を特別視できないのは、彼女が、「愛されざる者」でなく、自分が死ねば悲しむ者がいる。私がいたらうれしいという人がいる、という「事実」を彼女自身が知悉しているからだ。
彼女にとって、To Love and To Be Loved 「愛し、愛される」関係は日常であって、何ら特権的なものではない。愛し愛されるという関係が何ら特別な意味を持たない以上、愛する者の喪失が、自己の喪失に繋がることはない・・・

二階堂は、

   自殺しても

 悲しんで呉れる者が無い

 だから吾輩は自殺するのだ。

という夢野久作の歌集『猟奇歌』からのこの一首をどう感じるのだろう。



最後に、「愛する人(もの・生物)」を喪った人に、「彼/彼女は、あなたの心の中で生き続けている・・・」という言い方を屡々耳にするが、わたしは昔からその意味がわからなかった。世界は、外界は、感覚によって存在している。笑顔を見ることも、話すことも、触れることも出来ない存在がいったいどこに存在しているというのか・・・

それゆえ彼女の2002年12月7日の記述はまったく理解できない。



こうして、われわれの前から永遠に消え去った人物はみずからが自己の内部に取り入れた対象であり、自己によって良い対象でありながら二度と再びめぐり会えぬ失われた対象となっていく。これこそわれわれが常に掴もうとあがきながら、掴みそこねる失われた対象としての対象aの一つの現世的な姿だとはいえないだろうか。そこで逃れて失われてしまった対象とは、外部の他者のようにみえて、その実、自己の内部に生み出された極めて内的な自己像だったということができるのである。
主体の消失がその補完物としての対象aを誕生させたように、対象の喪失はそれをとおして欠けてしまった自己の姿を映し出す。この両者は合わせ鏡のようにその欠けた縁を重ねて、はじめにあったはずの主体の欠如を反復する。対象aは失われたという資格で世界のどこにでも登場し、主体はこれら消え去った対象に橋渡しされることで、彼岸に投擲された十全なる存在と逆説的にその関係を保とうとする。ここでも失われたという事実が、ひるがえって、かつてたしかにそれが存在したという確証として対象aにアリバイを与え、それを無限の遠点へと先送りしている。
(福原泰平『ラカン 鏡像段階』講談社 現代思想の冒険者たち13 1998.2)

失われたそれは、失われたというまさにことによって特権化された(それの意図に反して)。
それは、求めても得られないがゆえに、いつまでも求め続けることが可能な存在になった。たどり着くことの出来ないその名のもとに、過去形という形でしか存在できない、幻の「失われた楽園」が現在において創造される。
失われたものは特権的ななにかではない。その価値は、「失われた」というその一点にあるのだ。明らかに。
それはわかっている。



ポルトガルの作家、ジョセ・サラマーゴは次のように言っている。

「最大の苦しみは、「その瞬間」に感じられるものではない。それは、あなたが、そのことに対してもはや何事をもなしえないと悟った時に感じられる。
「時が癒してくれる」と人は言う。だが我々はその理論を裏付けるほど長くは生きないのだ」

"The worst pain … isn’t the pain you feel at the time, it’s the pain you feel later on when there’s nothing you can do about it, They say that time heals all wounds, But we never live long enough to test that theory…"

— José Saramago “The Cave”

しかしわたしが知る限り、喪失の悲しみを表わす言葉で最も適切と思われるのは『断腸』であろう。



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