2019年6月29日

アート・ブログ再開しました


In the Park, 1897, Gaston de Latenay (1859 - 1943)
- Color Lithograph -






「公園にて」ガストン・デ・ラトネイ(?)
(カラー・リトグラフ)


相変わらず方向性は定まりませんが、足の向くまま気の向くまま、
エロ・グロからヴィクトリアンまで投稿しています。 

気が向いたらお立ち寄りください。 

2019年6月28日

追記



Oさんへ」でわたしが書いたことにどこかしら「自己欺瞞」「変節」の臭いがするのは何故だろう?





わたしはなにを望んでいるのか…


先日の投稿「喪われ続ける風景」に、Junkoさんからコメントを頂いた。
コメント欄に埋もれさせておくには惜しいくらい、わたしの気持ち・気分が、これ以上ないというくらい的確に表現されている。そこで、本人の承諾を俟たずしてここに全文を引用させていただきます。(Junkoさん、申し訳ありません。これはあなたの気持ちを書かれたものですが、そっくりそのままわたしの想いでもあるので、ご容赦ください)



Ciao Takeoさん

私も東京で生まれ、東京で育ちました。
かつての、私が小学校の頃の東京が好きでした。
前にもコメントに書いたと思うのですが、少し前に友人の家を訪ねて、(京王線沿線でした) 私は降りる駅を1つ間違えたのですが、それに気付くまで30分以上かかりました。
そしてそれに気づいた時、ゾッとして妙な嫌悪感に襲われたものです。
なぜこうも飽きる事なく、駅には駅ビル(それもほぼどこも同じなアトレという奴) が付いていないといけないと皆が揃いも揃って、疑問を抱く事もなく思えるのか、不思議で仕方ありません。
そしてどこの駅ビルでも同じテナントで同じものを売る。
同じパン屋に同じスーパー

あそこに行かなきゃ買えない。というのが私は好きです。
だから、デパ地下も大っ嫌いです。
大体お手軽にどこの土地の旨いものも居ながらにして手に入る、それを私はあら、良いじゃない?などとは、とてもじゃあないけど思えないのです。
むしろ興ざめ、味もそっけもないと考えます。
お手軽ほど卑しいものはないと考えるのです。

今日本にいます。
今回羽田空港に着きましたが、羽田国際空港の周辺は、どこもかしこも荒れ果てた巨大な工事現場と化し、1700室のホテルを作っているという看板を見て、私は吐き気を催し思わず一人で毒づきました。

私がオリンピックを反対し、今も軽蔑と共に反対し続けるのは、これ以上東京を壊されたくなかった、という事もあり、そのために、散々反対活動をした挙句諦めました。
私ひとりの力は微少です、奇跡でも起こらない限り、私にもうできる事は何もないと。
しかしながら、オリンピックが終わった後1700室を抱える巨大なデイノザウルスのようなホテルを埋める宿泊客はどこにいるのでしょうか?
皆、長期的な、そして趣味の良い都市計画を持たないのです。
多分、自問自答さえしないのでしょう、ただ、今の数々の建築プロジェクトに酔いしれ、それで多忙を極め、巨額な金が動けばそれでいい、
勝手にしやがれ
勝手に壊れて、死んで行きやがれ 私の街 東京
そう思うしかないのです。

私は、幼少期を品川と目黒の下町で育ちました。
私は、あそこが大好きでした
私は、小学生の時原宿に通っていました。
当時の原宿はステキでした。
高校生の時、六本木にジーンズを買いに行っていました
当時の六本木もステキでした。
大学生の時は、夜中に青山通りにお茶を飲みに行くのが好きでした。
当時の青山もステキでした。
今では見るも無残
あの頃感じた匂いを、ワクワクした大人の「粋なお洒落さ」を感じる事はできません。
私は、今そこに行かなければいけないとき、なるたけ周りの風景を見ないようにするのです。

何年も前になりますが、こんな経験をしました。
何気なくぼんやりしていたら、私の意識がふっと飛び、私はあの時の品川にいました。
そこには、埃だらけの道と真っ黒だからマックと呼ばれていた野良犬と三軒長屋があり、家々の物干し台があり、その奥には品川湾の運河の小さな支流が流れていました。
空気の匂いもそのままで、、、

アインシュタインが過去は過去ではなく、今も存在し続けていると言ったそうですが、私はその時それを実感しました。
私が「好きだった」東京の、私が「好きだった」場所は、今も生き生き存在し続けているのだと。
私の家のあった品川の下町の釣船が出るあの場所、あの時の地味な原宿、六本木、青山、それら
はあの時のまま、私の中に生き生きと生きており、それは誰も壊すことができません。
少なくとも私はそう信じていますし、そう信じることによって、金に対する欲望で目をギラギラさせた人間がシャベルの刃を地面に突き立て、木を倒し、かつてあった街を破壊する、その痛みから目を反らせることができるかのようです。

これもいつか話しましたが、ローマも刻々と変わっています。
かつてあった帽子屋さんは、ブランドの店になり、昔ながらのおじいちゃんのやっていたバルは皆同じ様相の「ロンドン風」カフェになり、ここもまた「なんてこと無い」街になっていっています。
なぜ変わっていないかのように見えるかと言えば、コロッセオやトレビの泉やスペイン階段は未だそこにあるからです、あそこだけは壊せません。なぜなら、何よりの金づるなのですから、
しかしながら、そこもまた変わっていっているのです。
それも極めてドラスティックに。です。
私がローマに住み始めた時はコロッセオは誰でもただでふらりと入れたものです。
今は、無機質なチケットブースが並んでいます。
そこにはローマの名物でもあって野良猫が本当にたくさん、自由にたむろしていたものですが、猫も一匹もいなくなりました。
猫はどうしたのかと聞いたら、保護したと言います。保護?
パリの美術館を真似たブックショップなどもありませんでした。
私がローマに住み始めた30年前、遺跡はただの遺跡のままで何十世紀も前のその時のように、ただそこに佇み、その存在を私たちに提供してくれていたのです。
イタリアの人々もまた、遠い過去から使い続けていたコーヒーメーカーを使うのをやめ、おぞましい、お手軽なカプセルコーヒーのネスプレッソに変え、ローマの石畳は歩きづらいとアスファルトにしろと事あるごとに市に訴えます。
そして私は、この石畳、サンピエトリーノが無くなった時にローマから去ると決めています。

そんな中で、最近大好きな人に会いました。
おじいさん2人でやっている時計屋さんです。
小さなお店に入ると、2人がそれぞれ作業台に座って作業しています。
まるで昔の、診ただけでどこの具合が悪いのか、一目で言い当てた名医のように、時計の裏蓋をカチリと器用に開けて、やっと治りに来たねと言うような、やさしい目で時計を見、殆どのものを修理してしまいます。
そこに入ると、空気が違います。
彼らは、お愛想笑いをしません。
そして笑っている時も笑っていない時も、全く「人間」です。


私が自分の生に執着がないのは、多分こういう事でもあると思います。
汚い街に、そこに居たいと思わない場所に私の居場所はないのですし、
ああ、大好きだなぁ、素敵だなあと思えない人々と交わす言葉はありませんし、場を共有しようとも思えない。
それでは、私はここで何をしているの? 何がしたいの?と。


何もかもわたしの想いとぴったりで、殊に最後の5行は、わたしが外に出られない理由、つまりわたしがなぜ所謂「引きこもり」であるのかを余すところなく表現していると思います。

これは「わたしが引きこもる理由3(Junkoさんの見た東京)」として記事にしようかと考えましたが、このような形で、引用させていただきました。

この文章に共感する人はおそらくほとんどいないことくらい端からわかっています。
ただこれはわたしにとってとても貴重な文章なので、「自分の日記」に、わかりやすい形で書きうつしました。Junkoさん、あらためて素晴らしい(?)そして同時に悲しい投稿をありがとうございました。


◇◇


わたしは明日、母に付き添ってもらって、今年初めて精神科(主治医)に会いに行こうと考えている。
その理由は主に「なかなか死ねない以上、生活の質というものを考える必要があるのではないか?」ー「Oさんへ」という理由からだが、同時にこれまで持っていた迷いは、まったく払拭されぬまま、わたしの心の中にわだかまっている。つまり「Oさんへ」で書いていることは、いわば、これまでのわたしの悩みの全否定であり、裏切りであり変節に他ならないのではないか、という疑念が消せない。「わたしの悩み」の「全否定」とは、とりもなおさず「わたしという存在の否定」に他ならない。何故なら「わたしの悩み」とは、わたしにも曲がりなりにも感受性というものがあり、価値観を持ち、美意識(自分にとって何が美しく何が醜いのかという規準)があることの証であるから。


嘗て底彦さんは、「この世界でどうありたいか?」と言われた。(ように記憶している)
どうありたいか?とは、(わたしの勝手な憶測だが)「どう生きていきたいか」と同じ意味のよう見える。
仮にわたしの憶測が当たっているとすれば、わたしは、底彦さんの抱えている疑問の遥か手前に立っている。
つまり上記のJunkoさんの文章がいまのわたしの気持ちそのものだと言ったように、底彦さんの言われる「どう生きたいか」以前に「そもそもわたしは生きたいのか?」というところで、いつも壁にぶつかってしまう。

それが可能であるかどうかは別にして、今現在わたしやJunkoさんが抱えている「現実世界」への嫌悪、忌避感を薬の力で抑え込んでまで・・・つまり自分本来の感性に蓋をしてまで生きたいのか?

言い換えれば、そのようにしてまで生きるに価するものが何かひとつでもあるのか?ということだ。
「誰がいる?」「何処がある?」「何がある?」つまり113篇も繰り返してきたことだが、「元気になる意味とはなんだ?」「何のために元気になるのか?」というところにどうしても行きついてしまう。

何もかも思い通りにならない状況の中で、わたしはどうしたいのか?

「いったいわたしは誰に何を求めているのか?」

「いったいわたしは誰に何を求め得るのか?

わからない・・・

ふとわたしは『カッコーの巣の上で』という何遍も観た映画を思い出す。
精神病棟で、何かにつけて反抗的な主人公(ジャック・ニコルソン)は、最後にはロボトミー手術を施されて何も感じない人間になってしまう。
彼の友である「チーフ」(酋長の意)は、友が最早以前の(本来の、本当の)彼ではないことを悲しみ、深夜、彼が寝ている時に、彼の顔に枕を押し付け彼を殺す。無論彼は激しく暴れるが、チーフは怪力の持ち主だ。やがて彼の全身から力が抜ける。

その後、チーフは生前の彼が果たせなかった「牢獄」からの脱走に成功する。
そしてふたつの魂が解放された。

この作品では、『バタフライ・キス』や『海を飛ぶ夢』『裁きは終わりぬ』のように、「殺してくれ」という明確な意思表示をされたわけではない。しかしチーフの行為はまったく正しい。わたしは所謂「自殺幇助」を「殺人」の対極にあるものだと考えている。
いわばそれは「救い」に他ならない。










2019年6月27日

Oさんへ


中央図書館の司書であるあなたが、今回のわたしの「調査依頼」の担当になりました。

先日わたしは以下のようなレファレンス依頼のメールを差し上げました。



「参考資料を探しています。

「主に中高年の」引きこもりについて。
わたしは50代の所謂「引きこもり」です。
あまり熱心に「引きこもり」に関する本を読んだことはありませんし、そもそも(この表現には抵抗がありますが)「高齢の引きこもり」に関する本が出始めたのは、ごく最近のことだと思います。

自分でも何が知りたいのか、はっきりとはわかりませんが、「引きこもり」=「外に出られない」という状態のメカニズムについて先ず知りたいと思います。

わたし個人に関していえば、外界の音・匂い・光・などの信号(刺激)への生体の拒否反応です。しかしそれは単に、物理的な「音」や「におい」への「感覚的」なレベルでの拒否反応ではなく、「外界の醜さに耐えられない」という主観的、審美的側面が主になっています。

ですからわたしの引きこもりの理由・原因は、一言でいえば、外界と、わたしという個人の「美意識」との著しい乖離によるものです。

質問1) このような、「審美的引きこもり」という例が他にもあるのでしょうか?また、何故このような現象(感覚?情動?)が生じるのでしょうか?

質問2) 「脱・引きこもり」とよく耳にしますが、「脱」とはどういう意味でしょうか?
何故そのようなことが可能なのでしょうか?
また、何故そのような気分になれるのでしょうか?

はっきりしないながらも、大体このようなことを知りたいようです。
急ぎませんが、何よりも知りたいのは、「審美的引きこもり」に関してです。そしてそれがどのようなメカニズムに起因するのか・・・

よろしくお願いします。」


本日そちらからのメールが届いているのを知り、電話をしました。
メールには調査中であると書かれていましたが、なにかわたしに(資料をお探しの上で)お聞きになりたいことがあるかと思いました。

あなたは大体調査の方向性を伝えられてから、「個人的なことですが」という言葉を添えて、こう言われました。
「実は私自身、電車に乗ると、「そういう人たち」を見るのが厭で(と、仰ったのか「その一員になるのが厭で」と仰ったのか失念しましたが)すぐに文庫本を取り出す人間なので・・・」

あなたは「スマホは持っている」と言われました。けれども、やはり電車内での「あの光景」には抵抗がある、と。


「スマホバカ憎し」の余り外に出ることができなくなり、自分の感性を潤してくれるであろう映画を借りに行くことができなくなったり、紅に染まる夕焼けを見上げることがなくなったり、外で友人とお茶を飲むことも出来なくなる。更にはそれが昂じて抑うつ状態になり、無気力と倦怠の裡に日々を送り、「スマホ」とは無縁の部屋の中でさえ、絵を観て心動かされる感受性さえも枯渇し、本を読んで新鮮な視点や深い洞察に出会う機会すら逸しているとしたら、それは正に本末転倒ではないでしょうか。

「スマホ」に順応しない。スマホが跋扈する社会に適応しない自分こそが「本来のわたし」であるという考えに囚われるあまり、却って本来のわたしが愛しているものたちからどんどん遠ざかって行ってはいないか・・・

わたしは「自分の信ずるところに殉ずる」ということを、たいていの場合は、賛美します。わたしは「スマホを嫌悪する己の感受性」を手放したくはありません。けれども、あまりにそれに拘るがゆえに、もう一つの本性でもある「美を愛する心」がなおざりにされているのではないかと思い始めたのです。
様々な絵を観ても、一葉の写真を見ても、自分は本当にこの絵が好きなのだろうか?この写真に惹かれているのか?ということが、次第にわからなくなってきていると感じるのです。

ですから例えば薬物療法によって、「スマホバカ」の「群れ」の中でも、あなたのように、(完全に無視はできないまでも)電車に乗ることができるようになれば、また、今の抑うつ状態、倦怠感、無気力が少しでも軽減されることがあるとすれば、それは寧ろ、今現在失われつつある本来のわたし自身を僅かでも取り戻すことになるのではないかと思うのです。

「スマホを憎むあまり」自己を喪うということを、わたしは必ずしも「愚かな行為」であるとは思いません。

しかし、わたしが最も大事にしているのが、「わたしが常にわたしであること」だとすれば、今の状態は単に「スマホを憎む」「スマホに浸蝕された社会に馴染まない」という一点に於いてのみ「わたしである」に過ぎないのではないかと感じるのです。

「スマホやタブレットが平気になる」ということは確かに汗顔赤面に価することに違いありません。

けれども、わたしはもうこれ以上、自分が失われてゆくことに堪えられないのです。
「スマホ憎し」を起点として、半円形の不毛な迂路を辿り、最終的に憎しみという感情だけが心の裡に残されている、そのことを怖れるのです・・・










2019年6月26日


どういう風の吹き回しか、気まぐれに、また「ブログ村」に登録した。
登録したカテゴリーは「引きこもり」と「ひとりごと」

メンタルヘルスのカテゴリーを覗くと、以前と同じように「オーヴァードーズ」という単語が散見される。
「リストカット」同様、昔からこれらの言葉、行為にまったく抵抗はなかったが、これまでは、所詮は「他人事」としてしか捉えてこなかった。
しかし今はアルコールとか、ドラッグとか、薬の過剰摂取が自分にも必要に思えてならない。



母も疲れている。休んでもらいたいが、今のわたしには何もできない。
疲労がたまり、ストレスが溜まった者同士が顔を合わせると、どうしても和やかな雰囲気は生まれない。
お互いに疲れ切っている。わたしはともかく、母は365日、弟の世話をしなければならない。母は斃れるまで、わたしと、弟と、自分とともにわたしたちを生んだ大嫌いな男性の世話をし続けるのだろう。自分の義務として。
そのようなことから
わたしが時々死を、仄めかすと、7割方本気で、「一緒に死んじゃおうか」と。

わたしも母も、生きていても何もいいことなんてないのだ。
わたしができることは、せめて「3マイナス1」と思っているが、それを口にするとまた母を苦しめる結果になる。

そんな状況の中で、アルコールや薬に歩み寄らない方が不思議ではないか。

しかし仮にわたしがそんなことで現実逃避しても、母の状態は1ミリも変わらない。

わたしはもうどうなってもいい。母だけは心穏やかに過ごしてもらいたい。
しかしそれはわたしの死によっては齎されることはない。
そしてわたしは「元気」にも「外に出られるようにも」ならないしなろうと思っていない。

何故わたしはまだ正気なのか・・・


"I became insane, with long intervals of horrible sanity."
— Edgar Allan Poe

「狂気とは、もうこれ以上進行することのない心痛である」





喪われ続ける風景…


今日母が珍しく用事で日本橋まで行った。
帰ってきて母は、「十年ひと昔っていうけど、東京って十年ごとに違った街になるね」
と言った。
母はもう六十年以上東京に住んでいるが、十年ほど前に郊外に越してきてからは、滅多に都心に行く機会がなくなった。
わたしも東京で生まれ東京で育って55年経つけれども、今都心に行けば、母同様、全くの「お上りさん」だ。

これは『楽天ブログ』を使っている当時から幾度となくわたしのブログに現れるテーマだが、わたしが所謂『故郷喪失者』であるということ。

つまり東京という街には蓄積された街の歴史というものがなく、ひとつの都市に流れる時間の連続性がないということ。これは何もわたしに限ったことではなく、東京に生まれ、また東京で育ったものは、みな故郷喪失者だ。

そのことは以前「わたしが引きこもる理由 〔種村季弘の見た東京〕」にも書いた。

東京という街には、わたしがここで生まれ、ここで育ったという「痕跡」「形跡」がほとんど遺されていない。それでもまだ20世紀末までは、かろうじて東京は「わたしの東京」と同一だった。

人が心を病む契機となり得る要因の一つである「自分にとってなにか大きなものが喪失された空虚さ・・・」

それが今だ。今の銀座はわたしの知っている銀座ではなく、
今の丸の内、八重洲は、わたしが歩いた場所では最早なく、
今の馬込はわたしが17年間暮らした馬込ではない。
今の東京はわたしの東京ではない・・・・

わたしをわたしたらしめていたものは、最早「外部」には存在しない。
わたしと「外部」の接点は最早存在しない・・・「あの頃の自分」と出会える場所はどこにもありはしない。

大都市というものはいずこもそういうものだ、とはわたしは思わない。
ローマやパリや、ウィーンやロンドンで、10年前に訪れた時にあったものが、あそこも、ここも、跡形もなく消え去っているとはどうしても思えないのだ。
もしも「誇れるもの」(建物・景観・歴史)があるという自負があるのなら、当然それを残そうとするのではないか?
「老朽化」とよく聞くが、それを取り壊した後に、全く同じものを全く同じ材料で新たに造るということは不可能なのだろうか・・・


何故かひどく無意味で、どうでもいいことを書いている気がしてならない・・・
「東京」はわたしの胸の裡にある。そしてわたしとともに滅びる。それでいいじゃないか・・・


ー追記ー

「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません…」
と、シモーヌ・ヴェイユは手紙に認めている。
それほどまでに、生まれ育った場所というものは良きにつけ悪しきにつけ、人間の心に大きな影響を与えうるのだ。それはある意味で第二の母胎であるから。

パリは、いまでもヴェイユの愛した当時のパリのすがたをとどめているだろうか?きっと・・・












2019年6月25日

「自ら生み出した迷宮」・・・(ふたつさんのコメントへの返信)


何も書けなくなっているわたしを見かねて、ふたつさんから親切なコメントをいただいた。

コメントの最後にふたつさんは、

「まぁ、期待しないで、もしも気が向いたなら、軽い気持ちで考えてみてください。また、もしかすると、この考え方は、ほかの方の役には立つのかもしれません。」

と書いておられる。わたしも他の人の反応が知りたいと思うので、ここに投稿することにした。
以下に頂いたコメントを引用する。
(毎度のことながら、これはふたつさんのコメント自体が、一つの記事(論説)として十分読むに価すると思うからだ。)

(尚これはわたしの「精神医療とわたしの問題」について寄せられたコメントで、先ずふたつさんのコメント、その後にわたしの意見を述べようと思う。)



「こんばんは。

この記事とは、直接関係ない話なんですが、精神的な困難を感じている人の話を読んだり聞いたりしたときに、ぼくが時々思うことがあります。

これは、あくまで、一つの見方を提示するものであって、さほどの根拠があることではありませんので、どうぞ、軽い気持ちで聞いてください。

ぼくが、時々思うことと言うのは、精神的な困難を感じている方々の多くが、とても深く物事について考えていらっしゃるということなんです。
もちろん、考えること自体が悪いことではないと思いますが、考えるという行為がどうしても「思考の迷宮」を作り出してしまう傾向はあると思います。

先日、コメント欄でTakeoさんと底彦さんの対話を拝見していて思ったのですが、徹底して考えたり書いたり読んだりすることで、そういう「思考の迷宮」が強化されてしまうということもあるのかな?と言う気がしました。

要するに、言葉とか理論と言うものは、かなり不完全なものですし、その不完全なもので知ることが出来る範囲も意外なほど限られているような気がしますから、ある時には「思考」を手放すという考え方もあっていいように思います。

ぼくは、基本的に「原初的な考え方」をけっこう重視していて、本を読んだり、学んだりすること以上に、『もしも、自分が現在のような教育を受けて育たなかったら、こんな時どういう考え方をするのだろうか?』ということをよく考えます。

つまり、例えば、Takeoさんがごく基本的な「言葉」とか「生存するための知恵」とか、その程度のことしか与えられなかった場合には、当然、今、Takeoさんの中にあるような「思考」は、存在していないような気がするわけです。

おそらく、今、Takeoの中にある「思考」とはだいぶ違うであろう、その「思考」がどんなものであるのか?と考えることは、何かのヒントになるような気もします。

もちろん、「トラウマ」のような、因果関係がはっきりしたものでもないので、それを正確に判断することは、ほぼ不可能だと思いますが、どちらかと言うと、「わかること」ではなく、「そういう視点を持つこと」が一つのヒントになるような気がするわけです。

Takeoさんは、「治りたい」とか「生きやすく成りたい」と言う気持ちが薄いかもしれませんが、それでも、まだ、ご自身の置かれている状態や何故そういう状態になったのか?と言う問いは、捨てていないような気がします。
と言うより、その問いを捨てられないからこそ、Takeoさんが、困難を抱えているのかもしれません。

当然、治癒に向かうヒントとは違うものですが、もしかすると、ご自身の状態を知るためのヒントには成るのかもしれません。

まぁ、期待しないで、もしも気が向いたなら、軽い気持ちで考えてみてください。
また、もしかすると、この考え方は、ほかの方の役には立つのかもしれません。

それでは、また。」




こんばんは、ふたつさん。

わたしは屡々二階堂奥歯の日記から引用します。彼女は、25歳で自死するまで、膨大な数の本を読んできました。一日一冊以上。それでも尚死なななければならなかったのはなぜか?彼女を自死から救うことができたであろうただ一言に出会うことができなかったからなのか?と思わずにはいられません。

芥川龍之介にしても同様です。あれだけ明晰怜悧な頭脳を持った人が、何故死を選んだのか?「漠然とした不安」に打ち克つことができなかったのか?偶々(たまたま)読み漏らした一冊があったのだろうか?という思いが拭い去れません。

一方で、二階堂奥歯にしても、芥川にしても、その死は、彼女や彼の頭脳とは別の部分によってそびき出されたものではないか、とも考えます。
しかしそのような曖昧な結論で簡単に納得できるものではない。
どうしても、彼女が、彼が、巡り合うことのなかった一行、一冊というものに思いを馳せずにいられないのです。



「考える」ことによって「思考の迷路」に嵌まり込んで却って身動きが取れなくなるというパラドクス・・・それはわかります。しかしわたしはそれを知りつつも、考えることを止めることはできません。と、いうより、人はその迷宮から脱するために「対話」するのだと思います。自分でいくら自分自身を掘り下げてもそこには限界があります。
それはあたかも、沼におぼれた自分の袖を引っ張り上げて沼から抜け出したというミュンヒハウゼン男爵を思わせます。

たったひとりで沈思黙考することに限界はあっても、「対話」によって、共同作業によって問題を掘り下げてゆくことはやはり必要なことだと思います。

わたしと底彦さんの決定的な違いは、今抱えている問題に対し、一緒になって考えてくれる存在の有無に他なりません。

わたしの悩みは、人間が最早「人間らしい」・・・すなわち「地球上の動物」の中の一種類として「原初的」な、自然とともに生きてゆくことが不可能になった時代に生まれました。

何故わたしは今このような反・自然的な環境の中で生きているのか?
決して逃げ出すことのできないそのような環境の中に、尚「在り続ける」意味とは何だと考えずにはいられません。

人間が最早生身の生体・身体を持った生き物として見做されず、またそのように扱われない時代に生きている以上、そこに存在し続ける意味、理由を考えてしまうのは寧ろ当然だと思います。
「人間が生身の生体として扱われない。そのように見做されていない。」というのは実は不正確な表現で、多くの人間が、自己を、他の地球上の(生物)動植物とは画然と異なった存在と見做していると思えてなりません。



自分は何故戦場にいるんだ?
自分は何故牢に入れられているのだ?

自ら選んだわけでもない環境に無理強いに引き込まれた者が、「何故?」と考え、「どうすべきか?」と煩悶するのは当然ではないかと思うのです。

無論大自然と文字通り溶け合う瞬間が持てれば言うことはありません。
けれどもわたしはしばしの間でも、「思考の迷宮」から抜け出してもいいという「自然」がどこにあるのかを知りません。仮にそれが以外に身近にあったとしても、どのようにしてそこにたどり着けるのかという方法を知りません。

そして、何もナイアガラ瀑布、グランドキャニオンではなくとも、自然の中に溶け込みたい、「いま・ここ」から逃げ出したいという思いはいつでも強く持っています。

けれども、「いま・ここ」に縛られている間は、自己に向けられた思考だけが、わたしがわたしでいられる唯一の形態なのだと思います。「いま・この場所」で「考えること」すなわち「なぜ?」を放棄した瞬間、わたしという存在は、風の前の霧のように雲散霧消してしまうように感じるのです。

自分の思考にしがみついていなければ自己が消えてしまうかもしれない。思考というものが唯一、母船とわたしとを繋ぐ命綱・・・わたしにとって「思考の迷宮」の外側は、カオス(混沌)です。


ー追記ー

「健康というのは、自己の身体について全く意識していない状態のことだ」とシオランは言います。おそらくふたつさんの言われているのはこのようなことではないかと思います。意識せずにいられないということは、健康な「常態」ではないということです。
社会が病んだ時、そこに生きる者は必ず病みます。(「適応」さえも「病」の一種です。)「私一個の健康」などというものは幻想に過ぎません・・・










2019年6月22日

精神医療とわたしの問題


今現在わたしが何に悩み何に苦しんでいるのかを手探りで綴ってみたいと思う。
(一部、友人のブログにコメント(質問)として投稿したことを引用させていただきます。)


● 先日も書いたが、晩年の西部邁は「スマホ人たちの群れを見ると吐き気を催すので」電車恐怖症になり、移動はすべてタクシーを使わざるを得ない破目になった。言うまでもなくわたしも電車に乗れない。それでも年に数度、一駅か二駅乗ることがある。その時の「彼ら」に対する感情は、憎悪、軽蔑、敵意、(人間という存在への)絶望などの入り混じったもので、とても心穏やかではいられない。電車やバスに乗ることを「拷問」に譬えても、今やそれは決して「誇張」とは言えない。
つまるところ、わたしの外出困難は、この拡大版に過ぎない。
いや。そもそもわたしの「厭世観」「厭離穢土」の感情自体が「電車恐怖」の拡大版に他ならないのだ。
はたしてこれは「心の病」なのだろうか?言い換えれば、これは精神科医がどうこうできる問題なのだろうか?


● わたしは所謂「引きこもり」と呼ばれている「外出困難」についての本を読み漁ったことはないが、なにかどれを手にしても、わたしの感覚との「ズレ」を感じる。
春日武彦という著名(?)な精神科医の「引きこもり」に関するコラムをクリニックの待合室で読んだ時には驚いた。仮にこれが世の大方の精神科が持つ引きこもり観だとしたら・・・

余談になったが、わたしは、世に「審美的な理由による引きこもり」というものが存在するのかが知りたい。西部邁は、「スマホ人」(彼の造語)の「群れ」を見ることに耐えられず、電車に乗れなくなった。わたしはそれが更に昂じて外に出られなくなっている。
こういう例は他にもあるのだろうか?
「世界が醜いから」外に出られない。という症状・症例が・・・


外界での「アイドリング」「歩きたばこ」も、わたしの外出を困難にしている要素だが、それは電車やバスの中では存在しない。その代り、電車やバスに乗れば執拗な注意喚起のアナウンスをエンドレスで聞かされる。だからわたしはバスに乗れない。
どうしても行かなければならない場所なら、やはりタクシーを使う以外にないだろう。
といっても、タクシーの運転手が、信号待ちの間に、チラッとでもスマホを眺めるようなことがあれば、その場で戻してしまうかもしれない。ちょうど島尾敏夫の妻ミホが、ある種の顔の造作のパターンを見ると嘔吐したように・・・

「スマホ、タブレット恐怖症」・・・これは世界のいかなる名医でも治すことはできないだろう。それに加えて、わたしは電話の「音声ガイダンス」の声がダメだ。あの声はわたしには、ガラスを爪で引っ掻くような不快感を与える。


● 今、わたしには友達(といえるかどうか微妙だが)が一人いる。彼女はスマホしか持っていない。わたしは家の固定電話しかない。やり取りはメールのみ。友達でありながら(料金の問題)で電話ができない。そして街に公衆電話がなくなれば、またテレホンカードがなくなれば、わたしは外では陸の孤島にいることになる。

そんな不便な時代にわたしは生きている。言い換えるなら、「選択肢のない時代」に。


● これまで繰り返し論じてきたことだが、薬物、或いは極端な話、有能な催眠術師の治療によって、スマホにまったく嫌悪感を感じなくなることができたとしたら・・・

わたしはなぜここまで苦しい思いをしながらも、薬の力で、スマホや、ipadや、LEDや液晶テレビへの忌避感を取り除くことを、つまり自分の苦痛を取り除くことを望まないのか?
その苦しみを代償としてまで守り抜きたい自己、乃至美意識とはいったい何だ?
それはわたしにもはっきりとはわからない。何故敢えて苦しい生を選んでいるのか?
ただ、若いころから、「人と同じではありたくない」という思いを抱き続けて生きてきたから、としか答えることができない。100人中99人が好きというものなら、わたしはどうしても残りのひとりでありたいと思ってきた。わたしは今のわたしの感受性がまともだとか、正しいとは思っていない。ただ、これがわたしだと思っている。「何故スマホが平気になったあなたは、最早あなたではないといえるのか?」という問いは、わたしには難しすぎて答えることはできない。ただ、今の・・・すなわち「これまでのわたし」が、「新しいわたしになること」を拒んでいる。わたしはその気持ちを大事にしたい。

「それじゃあ孤立するのは当たり前だ」と思うだろうか?何故?
何故一人だけ意見が違う=孤立ということになるのだろう?
なぜ他の99人に合わせなければならないのだろう?
それが「社会」というものだ、というのが正解であるなら、甘んじて孤立を受け入れよう。

例えば、今わたしが大学生で、就職活動をしなければいけない(イコール)リクルート・ルックに全身を包まなければならないとしたら、わたしはそうしなくても受け入れてくれる会社だけを選ぶだろう。それがないというのなら飢え死にも辞さない。
現にわたしは過去一度もスーツというものを着たことがない。
それを義務付けられる場所への出席はどこであろうと辞退する。


● 一方で、外に出られないことで、わたしがすべきことをすべて母に肩代わりしてもらっている。母への申し訳なさは募る一方だ。そして行きつくところは「わたしさえいなければ」
死ねない死ねないとぐずぐずしているうちに、母の疲労は少しづつ蓄積され、またわたしの自殺念慮も次第に水位を増してゆく。

死ねない自分が情けない。わたしが死ねば母も楽になるし、何よりもわたし自身がこの苦しみから解放される!それなのになぜ死ねない?


● 先日も書いたが、「死にたい・・・」と訴えている人を救うことが何故その人の希望と正反対である「生かす」ことになるのか?いったい「人を救いたい人たち」は何故彼らに対して生きて苦しみ続けろと言うことができるか?何故「死刑」ならぬ「生の刑」を与えるのか?何故首に縄つけてでも生かそうとするのか?
それはどこか、永山則夫や麻原彰晃たちをとにかく一刻も早く絞首台へ送れというメンタリティーと闇の中で螺旋を描きながら通底してはいないか?

(理由の如何を問わず)「とにかく生かせ」「とにかく殺せ」それが日本人の心性の顕著な特徴ではないのだろうか・・・


● わたしがなによりも守りたいのは「わたし自身」と母の平穏だ。そしてそれを守るのは、決して「生き延びること」ではないはずだ。ただ、ただ、今日も死ねない明日も多分死ねないといっていて生き続けていても他人は誰も迷惑しないが、わたしの心身は運動不足と外に出られないストレスによって確実に蝕まれている。そして母の身体もわたしと父と弟の三人の世話で確実に弱っている。「死ねません!」では済まないのだ・・・

そしてこのような異常なわたしの悩みを相談できる人を、場所を、わたしは知らない・・・


P.S.

わたしの気持ちは措いて、自分の病気、病状に関する本を読む、ひたすら読む。
そして自己の内面を言葉にする。書く。書く。ひたすら書く。
そしてそれらを元に自分一人では手の届かない部分疑問について、専門家と協力して問題を浮き上がらせ、それについて検討・検証を行う。話す。話す。とことんまで「話し合う」
そんな底彦さんに敬意を表します。
またそのようなよき相談相手に恵まれたことを羨ましく思います。





「精神科医の中には、患者にすぐ診断を下したり、薬を渡しただけで治療した気になったり、症状を分析して終わりという者もいる。しかしひとりの患者と真剣に向き合うには時間が必要だ。逆に時間をかけないと、本当に治療の効果があったのか簡単にはわからない。

「石川医師が最も大切にしていること、それはカウンセリングだ。毎回、ひとり最低でも30分、患者の言葉にひたすら身を傾ける。患者が何に苦しみ、何を求めているのか、患者自身の言葉として現れる時をじっと待つ。77歳になった今も、医師として貫いてきたその姿勢は変わらない」

『永山則夫ー封印された鑑定記録ー』堀川惠子(2013年)


● 一番肝心なことを書き洩らした。上記の「わたしの問題」わたしが今何に悩み何に苦しんでいるのかを記した物を精神科医に読んでもらう。読み終わった医師は言うだろう。
「今のあなたの状態は大体わかりました。で、あなたはどうしたいの?
ここ(精神科)に何を求めて来たの?」

そう言われたらわたしはただうつむき押し黙るしかない。

それがまったくわからないからここに来た」という話が通じるわけはない。

医療とはあくまで「治す」行為である。言い換えれば、壊れた部分を修復し、「社会へ送り返すのが医療機関」であろう。

人の「死」、その選択に関して社会はまるで無関心だし、敵視さえしている。
生だけが尊ばれる。そして生を目指す病者だけが。
そのことに疑問を持つものは少なく、彼らは「通常の病人・障害者」とは一線を画した真に「病んだ人」と呼ばれる。「病める者」とは病を得た者ではなく、生を志向しなくなった者、光ではなく闇を指さす者の謂いだ。

だとすれば、やはりわたしはいつもの捨て台詞を吐く以外にない。

どのような資格で「自殺」は迷惑だなどと言えるのか!

(精神科医に読んでもらうつもりで書いたこの「精神医療とわたしの問題」、断章形式で可能な限り簡潔に「圧縮」し要点をまとめたつもりでも、400字詰め原稿用紙に換算して約18枚。そしてわたしが求めているのは、「先ず」これら一つ一つの問題を「解凍」し、それらにメスを入れてゆくことだ。つまり訴えたいこと、聴いてもらいたい悩みはまだまだあるということだ。しかし現実にそんな時間は取れないから書く。とにかく書く・・・)












2019年6月21日

切れ切れに思うことなど、ノート (その2)


● ふたつさんのコメントにあった、

「おそらく、その人にとって、最も大きい抑圧となっているものに対する「不適応」こそが、その時のその人にとっての「テロリズム精神のある場所」となるんだと思います。」

という言葉には完全に共感できる。素晴らしい表現だ。

ところで、わたしは明らかに「社会不適応者」であり「テロリスト」であるのだが、はたして精神疾患であるのかということに関しては疑問が残る。まったくお笑い種だが、わたしは精神科に25年間も通院しているにも関わらず、そもそも「精神疾患」の定義すら知らない。

わたしは人から「キチガイ」「狂っている」「狂人」と言われることに異存はない。

けれども自分が「心の病」とか「精神疾患」なのかという疑問が拭い去れない。

以前そのことを主治医にチラッと漏らしたところ、主治医は「『キチガイ』と『心の病』と、どう違うんですか?」と言った。(一言一句正確ではない)その言葉がいつも引っかかっている。


● 今日久しぶりに「いのちの電話」で話した。約1時間半。
話す前の悩みが何ひとつ解決されたわけではないのに、何故か随分気が楽になった。
このことをあらためて不思議に思った。なにひとつ状況は変化していないのに、何故気分が軽くなるのか?
或いは「問題の解決」ということは二義的なものと見做していいのかもしれない。最優先すべきなのは、心が通じ合うこと、言葉が通じていると感じられることで、それこそが問題の解決なのではないだろうか?

印象的だったのは、しばしばいわれることだが、話している内容と、話し方、声の調子、との著しいギャップということ。強いて言えばドナルドダックが遺書を読んでいるような感じ。或いは沈着冷静で知られるBBCのキャスターが分析医にもうダメだ。死んでしまいたいとぼやいているような。

わたしが鬱で引きこもりで自殺念慮があって、と言うことを知ってからあった人は、「話していて全然そんな風に感じない」と皆異口同音に言う。

このあたりに、なにか、「鍵」が隠れているような気がする。


● 電話で話したら少し気分が楽になったということを母に話したら、「そういうこともあるかもね。『話す』は『放す』だとなんかで読んだよ」と。そういえばわたしも最近同じ言葉を読んだ気がする。母はもちろんインターネットをやっていない。それにわたしも母も、どちらかといえばこの手の物言いは好きではない。母はいったい何でこの言葉を読んだのだろう。そしてわたしは?
それぞれが借りた本を交換して読むことは珍しくないが、最近同じ本を読んだ記憶もない。それとも夙に人口に膾炙した言葉なのだろうか?









2019年6月19日

自己喪失、或いは予めの非在としての自己



いまのわたしはまったくなにもわからない。

どうやらみちにまよっているようだ。

けれどもいったいどこへいきたいのか?

どこへいくつもりだったのか?

それよりも、わたしはいまどこにたっているのか?

なぜいまここにいるのか?




2019年6月18日

「自己犠牲」と「自己保身」についての断想(ふたつさんのコメントより)


このブログ、アクセス数やPV(そもそもそれがどう違うのかもわかりませんが)のいい加減さは気になりませんが、唯一、コメントがわかりにくいという点はちょっと困ります。
わたしにはわかっても、外側にいる読者には「いつ、だれが、どの記事に投稿したのか」がまるでわかりません。

まあそのような不便さはあっても、やはりわたしはこのブログを使い続けるでしょう。



F:「ぼくは、「引きこもり」も「今の時代における精神疾患」もテロリズムや革命と同じような意味を持っていると思っているほどです。」

まったく。120%共感します。
まさに稀な洞察力と言っていいでしょう。

F:つまり、そういうモノを「体を張った無言の抗議」であると考えているわけです。

そうですね。わたしを含め、当事者たちにそのような意識があるかないかは別にして、正に的を射た発言であると思います。


F:ぼくは、「テロリズム」を全面的には肯定はしませんが、そこに「自己犠牲」がかかわっている場合は、少なくとも「自己保身的な穏健さ」よりははるかにましだと思っています。

たとえば、「自由革命」も「ガンジーの非暴力主義」も一種の「テロリズム」だと思っていますし、「キング牧師の平和大行進」も、大きな上からの力に対する反逆と言う意味で、テロ行為だと思います。



現在の香港の人たちの行動は、ある点では「自分の身を守るための」行動です。
一方日本人は、今に至るも「オクニ」のために犠牲になることにさほど抵抗はないように見えます。

「ガンジー」たち、「キング牧師」たちよりも、(彼らは「権利の向上(平等)」と「差別からの自由」を(主に)求めたわけですが、)その点に於いては所謂「自己犠牲」の精神は日本人の方が、より強いように見えてきます。

ガンジーやキング牧師が訴えたのは、ひとえに「われわれを重んじよ」「我を重んじよ」ということであったはずです。

それはフランスでも香港でも同じだと思います。「我々を」「我を」の後に「生活を」「生命を」と付け加えられる場合が多いのですが。

しかし日本人はほとんどそのような発言をしない。

せいぜいが、「ささ、警察の方々の迷惑にならないように、粛々と、決して暴力など振るわないように・・・」と「デモ」らしきものを「平和的に」「穏便に」行うだけのようです。

だからこそ、その怒りが、他国民と違い、外側に放出されない分、自己自身の存在、またこの自己が存在する社会(世界)への「自己保身」&「テロル」として、心を病む人が圧倒的に多いのではないかと思うのです。


最後に、わたしが訣別を決めた辺見庸と西部邁。政治的なスタンスは対極に位置するふたりの共通点。それは二人ともが、9.11に拍手喝采を送った点です。

そしてフランスの哲学者、ジャン・ボードリヤールは当時こう言い切りました、

「実行したのは彼らだが、そのように仕向けたのは我々だ・・・」

いつもながらの端倪すべからざるコメント、ありがとうございます。

上記「平凡な奴・・・」ふたつさんへ・・・ のコメント欄より抜粋引用


P.S.

ふたつさんのご指摘のように、テロルまたは革命には「自己犠牲」と「自己保存」の双方の要素があります。つまり命懸け、負けを覚悟で、命と引き換えに己の存在・・・否、尊厳を護るということ。

そしてもうひとつ、完全なる「自己犠牲」としては、わたしが敬愛してやまない『刺客』という存在がいます。(朝日平吾、磯部浅一、古田大次郎、難波大介・・・)また抗議の焼身自殺というものもあります。

わたしが決して、「殺すな。死ぬな!」と言わないし、そんな言葉が右から左へ抜けてゆくのは、「彼ら」という崇高な存在を知っているからです。

不悉


(参考文献:現代日本思想体系31『超国家主義』橋川文三編(1975年)






アート・ブログについて


もう一つのブログ、'Child of Melancholy' ですが、当初の「エロ・グロ・ナンセンス」という限定されたコンセプトにわたしが向かなかったのか、訪問者は文字通り「このブログ」のみという状況になりました。
さすがにモチベーションの低下は否めず、現在、2010年から始めた過去のブログ'Clock Without Hands'と一体になりました。つまり、中断されていた 'Clock Without Hands' に新しいブログの全投稿が移動した形です。

今の心境で見直してみおると、やはりTumblrや、Clock....に投稿されている絵の方が、わたしには親しみがある気がします。それはおそらく、Sさん、底彦さん、ふたつさんの好みとはズレると思いますが・・・

いまのわたしの精神状態を反映して、アート・ブログも混乱状態ですが、もしよろしければ、しばらくは、

' Clock Without Hands '

或いは

Tumblr - 'a man with a past'

をご覧ください。

多分これらの投稿が、本来のわたしに一番近いものだと感じています・・・








わたしにとっての精神医療とはなにか?(底彦さんのコメントに触れて)


切れ切れに思うことなど、ノート (その1)」で、底彦さんに、あなたにとって「精神科医」「精神医療」とはなんですか?と質問したことについて、お返事を頂いた。

これについて、コメント欄で底彦さん宛てに返信するか、或いは、別に記事を書くかで迷った。その結果、底彦さんの言葉が媒介となってわたしの思ったこと、ということで、このような形で書こうと思った。尚、この点だけは幾重にも強調しておかなければならないが、以下の記事は決して、底彦さんの意見への反論ではないということ。
わたしは「底彦さんにとっての精神医療とはどのようなものですか?」と問うた。
そして彼は、「彼にとっての」精神科、乃至精神医療とはこういうものだと答えてくれた。その考えがわたしのそれと異なることに何の不思議もない。
だからわたしは、いつものように、底彦さんの言葉に刺激されて考えたことを、「あくまでも自分のこと」として記そうと思う。

或いは底彦さんもそうかもしれないが、今のわたしは、何につけ、それこそ、「切れ切れに」しか考えることも書くこともできない。

以前底彦さんから、わたしのブログに「誤字がない」ことに驚くと言われたが、最近では、読み直しているつもりでも、どこかで漏れている。本文はまだしも、コメントでの誤字=変換ミスが目立つ。そのほころびは次第に広がってゆくのだろう・・・



S:現在の私は, 苦しみからの解放を望んでいます. そして鬱病が自分にとって何であるのか, この病の中でどう生きられるのかを知りたいと思っています.


わたしには底彦さんのいう「苦しみからの解放」ということがよくわかる。彼は明らかに苦しんでいる。そこからの「解放」を願うのは当然だ。

翻って、わたしは苦しんでいるのだろうか?苦しんでいるとしたらいったい何に?
わたしが苦しんでいないのなら、「苦しみからの解放」という言葉はそもそも当てはまらないし、何に苦しんでいるのかがわからなければ、どのような状態が「解放」といえるのかもわからない。
檻の外にいて、鉄柵の中へ入ることで安心を得ることが「救い」なのか?はたまた、「檻から出て自由になる」ことが望みなのか?それによって、苦しみの意味も、また解放の意味も全く違ってくる。


それが何かわからなければとりあえず何にでも効く薬を、ということになりそうだが、さしあたって、わたしにとってのその「万能薬」とは「死」以外には考えられない。

底彦さんは、「この病の中でどう生きられるのかを知りたいと思う」と書く。

わたしは「現代社会の中で・・・」その後に「どう生きられるのか?」と、続けることはできない。現代社会でわたしの生きる余地は全くないと思っているから。

そしてわたしはまたもや「生きるってどういうことなんだろう」という子供のような疑問に突き当たる。

先に『八本脚の蝶』から引用した二階堂奥歯のような「生を牽引する欲望」のようなものすらわたしにはない。


S:現在の精神医療では, 精神科医の果たす役割は患者に適切なメッセージを伝えることと, 薬を正しく処方することが大きいのではないかと思います.

(底彦さん、反論のように聞こえるでしょうが申し訳ありません。わたし自身そうであるように、底彦さんが現状で、自分の言いたいことを十二分に表現できているとは思っていません。揚げ足を取るつもりは全くありません。)

「患者に適切なメッセージを伝えること」これはどういうことだろう。おそらく底彦さんの言うのは、「適度な運動を心がけてください」「なるべく栄養のある食べ物を食べるように」「少しでも疲れたなと思ったら休んでください」── そういうことだろう。

そうでなければ、たとえ中井・木村両医師でさえ、わたしの生き方に対し矯正も指示もできない。ではないか?

S:患者と少し時間をかけて話し合って心理療法を行うのはカウンセラーがその役割を担っていますが, カウンセラーはそういうことの専門家ですからそれがいいのでしょう. 

わたしは今、カウンセラーと話してみたいと思っている。それは決して、わたしの言うことを理解してほしい、わたしの苦しみを、救うことはできないまでもせめて理解してほしいということではなく、わたしのいうこと、わたしの感覚、わたしの美意識が、決して「カウンセラー」と呼ばれる人たちには理解できないだろうということをこの目で確認したいというちょっと意地の悪い好奇心からだ。
「理解できるはずがない」というのは、わたしの言い分が、あまりに哲学的で難解かつ高尚過ぎて・・・ではなく、ほとんど「真っ当な理性を持った人間には通じない言葉」で、また感覚で、しゃべっているからに他ならない。


S:現時点では私は, 精神医療とは, 自己がどのように在りたいかを, 対話によって助けるものであってくれれば良いと願っています.

自分がどのようにありたいか・・・自分が、どのように、在りたいか?

わからない。「自分がどのようにありたいか」とはどういうことだろう?

ハムレットのように、それが、" TO BE ? or NOT TO BE ? " という問いなら、まだわかりやすい。おそらく底彦さんの言われているのは、この " To Be " 或いは" Being " の在り方のことであろうが・・・


・・・底彦さん、いろいろと不躾なことを書きました。深くお詫びします。

わたしは底彦さんとは異なり、その苦しみは底彦さんの十分の一にも満たないにもかかわらず、ただただ疲れ果てています。そして今のわたしの心の中には「よくなる」という発想は全くありません。それは即ち「よくなってどうなる?」という意識と直結しているからです。

「苦しみからの解放」は「死」もしくは「全き狂気」以外にありません。

追伸

もう読まれたかもしれませんが、木村敏の『精神医療から臨床哲学へ』という本があります。わたしは未読ですが、「精神医療」から「臨床哲学」へ・・・これこそまさにわたしの求めているものだと感じています。無論その「哲学」の根底には、人間は生まれながらに「敗者」であるという発想が不可欠です。「大事なのは敗北者であるということを学ぶこと」そのような哲学にしか今のわたしの目も耳も向かうことはありません。





※わたしは時々「誰々さんへ」という記事を書きますが、それは決して、その宛名に書かれた人以外の意見を制限するものではありません。コメントはすべての記事に同じように開かれています。















2019年6月15日

切れ切れに思うことなど、ノート (その1)


● 今日初めてパソコンを開いた。まだコメント欄もチェックしていない。昨日の投稿、ふたつさんには申し訳ないことをしたと思っている。


●「孤」という文字を見ただけで、「孤独」即「孤立」という反応をしてしまうほどに「絶対的孤絶状態」「完全なる孤立無援状態」に置かれている(と感じている)者と、冷静に「孤独」と「孤立」の違いを語ることのできる人間との間に、そもそも架橋が可能だろうか?


●「吊るしの背広・・・」でのふたつさんの最初のコメントについて。


「ぼくの場合は、やはり、いくら『死にたい』と言っている人が居ても『じゃ、死ねば』とは言いませんし、その人の「死」を手伝おうとは思いません。」

そうか・・・わたしは映画『バタフライ・キス』について書いたように、ほんとうに愛する人(=「恋人」のことではない)が苦しんで苦しんで、死にたいから手を貸してと言われれば、断れない。「断れない」というよりも、寧ろ積極的に「愛する人を苦痛から解放してあげたい」と思う・・・そのようないわば「自殺を助ける」映画として、『裁きは終わりぬ』『海を飛ぶ夢』(あの時は『空を飛ぶ夢』と間違えて書いてしまった。訂正します)それから更には『ミリオンダラー・ベイビー』もそうだろうし、見方によってはこれもわたしの大好きな映画、アラン・パーカー監督の『ライフ・オブ・デヴィッド・ゲイル』もこの範疇に入るかもしれない。『母の眠り』は?
そして例えば森鷗外の「高瀬舟」はどうだろうか?
あの状況で、「殺さずにいられる」ものだろうか・・・


● これも同じコメントからの言葉

「また、これは、あくまで、ぼくの中での勝手な解釈ですが、「終末期医療」における「安楽死」は、「死の手伝い」ではなく、「苦痛の軽減」だと思っています。
切り詰めて行ってしまえば、「肉体的な苦痛の軽減」です。
要するに、ぼくは、「肉体的な苦痛」は「無い方がいいモノ」だと思っていて、「精神的な苦悩」は「有ってもいいモノ」のように感じているんだと思います。

もちろん、「精神的な苦悩」が「肉体的な苦痛」よりも軽いということではありません。
しかし、どうしてなのかははっきりしませんが、「肉体的な苦痛」に関しては『無くせるモノなら無くしてしまえばいいじゃないか』と思えるんですが、「精神的な苦悩」に関しては、『そんなもの無くしてしまえばいいじゃないか』とは思えません。

つまり、同じ「苦しむために生きている状態」であっても、それが「肉体的な苦痛」の場合は、切り捨てられるのに、「精神的な苦悩」だと切り捨てられないんですね。
理由はわかりません。」

簡潔な名文だ。

わたしがここに書いていることも、ふたつさんには、
「これは、あくまで、ぼくの中での勝手な解釈ですが」と受け取ってもらいたい。
わたしはただ、ふたつさんの言葉を借りて、自分の思いを述べようとしているだけで、
ふたつさんの意見への反論の意図は毛頭ない。

わたしは考え抜いた挙句、結局ふたつさんの言われている(個性・才能における)「量」と「質」の関係がつかめなかった。
上の文章でも同じことが言える。精神的な苦痛に「量的」な、或いは「質的」な「差」というものがあるのだろうか?
しかしこれは「量」の問題ではなく、あくまでも、わたしという「器」の問題ではないかと思う。つまり「孤独」ということについても、他の人、「ふつうの人」は、1トンくらいの重さには耐えられるが、わたしは2キロの孤独を背負っただけで、斃れ伏してしまう・・・というような、受け手の側の耐久力の問題ではないだろうか。

わたしは最近精神科に足を運んでいないが、それはそもそも、「精神科とは何をするところなのか?」ということがわかっていないからに他ならない。

わたしは昨日の投稿でこう書いた。

「今日夕方、ベランダ(?)に出て、夕空を眺め、夕刻の風を浴びていました。
風ってこんなに気持ちのいいものなんだと、改めて感じました。
けれどもわたしは外に出ることができません。何故なら外にはスマホバカがいて、歩きたばこバカがいて、アイドリングバカがいて、スマホバカがいて、どこからかたばこの煙が漂ってきて、エンジンをかけた車の中ではバカがスマホをいじっていて・・・」

これがわたしが「外に出られない理由」(の「一部」)だ。そしてわたしは外に出られないことで苦しんでいる。さてでは、精神科に赴いたら、上に書いたような状況が魔法のように消え去るのだろうか?そうでない以上、わたしの苦しみはなにも解決もされず、軽減もされることもない。

ふたたびふたつさんの言葉

「同じ「苦しむために生きている状態」であっても、それが「肉体的な苦痛」の場合は、切り捨てられるのに、「精神的な苦悩」だと切り捨てられないんですね。
理由はわかりません。」

わたしも全く同意見だ。つまり精神的な苦痛はその人の心の在り方、価値観や人生観、美意識と密接につながっている。
わたしの大嫌いな言葉に「他者を変えられない以上、自分が変わるしかない」という唾棄すべき言葉がある。
自分が変わるということは、それはそのままもう自分ではなくなるということを意味する。
無論変節漢が、「これが新しい自分」ということは勝手だ、しかしわたしはあくまでも「これまでの自分」に拘りたい。仮にそのために生きてゆけなくなったとしても、自分を変えてまで生きている意味をわたしは見出すことができない。

精神的な苦痛を安易に切り捨てられない理由は、それが、「その人がその人であるが故の痛みであり苦しみであり悲しみ」であるからだ。

とはいえ、この、「わたしであるが故の精神的な苦痛」は既にわたしの限界を超えようとしている。そしてもうこれ以上は生きられないほどになっていることも、また厳然たる事実なのだ。


● わたしは精神科よりも、脳の状態について知りたい。なによりも知りたいのは、わたしが子供のころから30代まで苦しめられてきた発作(?)について。あれはいったい何なのか?
見慣れた道を歩いていて、突然自分は今どこにいて、どこへ向かおうとしているのか?という感覚。初めて降りた駅なのに見たことがある気がして、現に、この奥にトイレがある、と思うと実際にある。
一般には「既視感」(デ・ジャヴ)そして「未視感」(ジャミ・ヴ)と呼ばれているが、
単にそういう感覚があるだけではなく、自分という一つのまとまった存在が粒子のように粉々になって飛散するような感覚、「非在」を存在している・・・とでもいった、表現しがたい、そしてとてつもなく恐ろしい感覚、あれはいったい何だったのか?
現にわたしはこの感覚が連続して続いた時に、とても生きていけないと思った。

わたしが医学書を覗いた限り、一番近い症状に思われたのは、「癲癇の精神発作」のようであった。(癲癇には「神経発作」というものもあり、しかしそれはわたしの「感覚」とは異なっているように思われた。)

今現在、このようなぎりぎりの精神状態にあって、「例の発作」がまた再発しないという保証はどこにもない。


● 今日家でちょっと暴れた。誰かに向かってではなかったが。
そして先日の二つの殺人事件を振り返り、自分は「わたしは決して人を殺さない」などとは口が裂けても言えないとつくづく思った。
同時に、「人を殺すな、自分も死ぬな」と軽々しく口にする人間の恐るべき無神経・無責任さに心からの軽蔑を覚え、「絶望しないで助けを求めてください」と言う人間に対するほとんど憎悪に近い感情をも・・・

それは罪のない人が殺されたことへの怒りではない。
そう言っている者たちが、どういう理由においてか、どのような根拠に於いてか、はたまたいかなる「神との契約」に依ってか、なにやら「自分は決して、決して人を殺しません」という確信のようなものを持っていることに驚愕するのだ。







2019年6月14日

「平凡な奴」・・・ふたつさんへ


ふたつさん。敢えて「私信」という形をとりました。というのも、わたしには最早このブログを読んでいるのはあなた以外いないように思われるからです。尚「私信」といっても返事を要求するものではありません。

わたしは「吊るしの背広・・・」という投稿で以下の歌詞を引用しました。


不良少女になる 素質もない私は

平凡な女の子 その他大勢なの


わたしはしかし、不良どころか、平凡な、その他大勢にすらなれませんでした。
「キチガイ」も僭称なら「平凡な奴」も思い上がりです。

わたしは昔から、自分を罵倒する癖がありました。それは言葉による、自傷行為の代償であると思っています。また過去に何度も書きましたが、わたしは自分にも何かしらよいところがあるとは思っていないのです。ですから例えば面接などで「あなたの長所は?」などと訊かれると、絶句するしかないのです。まあ強いて言えば、その「正直さ」が長所、といえなくもないのかもしれませんが・・・

謙遜を装いながら自慢する人の気持ちを理解することはできませんが、かといってそういう人たちを軽蔑もしません。人間て、自分を少しでもよく見せたいものなのだと思います。逆にわたしの方がいびつなのです。



ところで、『自殺直前日記』に、このような高市さんのお父さんの回想があります。

「山田花子はジーコ内山さんのライブに行った時に配られたアンケート用紙に「人生1回きりなんだから、どんどん好きなことやった方がいいですよ」と書いたという。山田花子は、妹と一緒にバンドを組んでライブハウスに出演した。演劇もやった。同人誌を作り、エッセイを書き、イラストも描いた。そして何よりも漫画を描いて、数は少ないけれども、どんな有名漫画家でも出会えなかったような熱烈な支持者に巡り合えた・・・」

顧みて、わたしは自分の人生に於いて、或いは自分が属するこの世界で、「好きなこと」を何ひとつ見つけることができませんでした。わたしの世代はいわゆる新人類と言われた最初の世代です。そしてわたしは山田花子とは対照的に、所謂「三無」主義者=「無気力」「無関心」「無感動」であったのだろうと思うのです。
わたしは何をしていても、ほんとうに「アアたのしい!」「アア面白い!」と思った記憶がありません。

だとすれば、わたしに独自性がなく(そういう意味では平々凡々で)、また山田花子のような、足と感性で稼いだ「引出し」がないのは当然すぎるほど当然です。

わたしがつまらない人間であることが厳然たる事実であるのは、なによりもこのわたし自身が、自分の生きている世の中を面白いと思ったことがないからです。

『八本脚の蝶』の中で二階堂奥歯はこう書いています。

「生自体には根拠も目的もないということを自明のものとした上で、「あー! 〇〇ほしい!」「✖✖したい!」という小さな(長いスパンのものも、短いスパンのものもある)欲望に引っ張られて私は日々をすごしている。
(それらは「〇〇を手に入れるまでは生きていよう」「✖✖するまでは生きていよう」ということと同義だ)。」

わたしには昔からこのような「欲求」「欲望」「すらも」なかったような気がします。


不悉


追伸

今日夕方、ベランダ(?)に出て、夕空を眺め、夕刻の風を浴びていました。
風ってこんなに気持ちのいいものなんだと、改めて感じました。
けれどもわたしは外に出ることができません。何故なら外にはスマホバカがいて、歩きたばこバカがいて、アイドリングバカがいて、スマホバカがいて、どこからかたばこの煙が漂ってきて、エンジンをかけた車の中ではバカがスマホをいじっていて・・・



※注 わたしのブログでは、一昨日12日の訪問者8名。本日13日の訪問者4名と表示されています。このブログでは、どのサイト(URL)から訪れたかが表示されますが、かつて個人のサイトのURLが表示されたことはありません。このブログへの訪問者が一番多いのは、com.google.android.googlequickse、次がwww.google.com、これはほぼ毎日同じです。
つまりコメントがなければ、誰が来ているのか全くわからないのです。たまにgoogle.co.jp/、yahooなども見かけますが・・・

上記の記事を読めばわかるように、わたしのブログなど、そもそも訪問者がいること自体が不思議なくらいなので、「コメントはないけれど、誰々さんは読んでくれているはず」などとどうして思えるでしょうか。








2019年6月13日

断想


● 例えば、このブログに興味を持ってくれている人が仮に5人いるとする。
ではその5人は、このブログに何を求めてそれを読むのか?
しかしこの問い自体、ナンセンスなのかもしれない。

「あなたはこの展覧会に何を求めていますか?」「あなたはこの本に何を求めていますか?」・・・所謂作品は「解熱剤」や「鎮痛剤」ではないのだ。

では「好き」とはなんだろう。「わたしは『たま』の音楽が好き」「筋肉少女帯が好き」
「山田花子の漫画が好き」という場合、そこにはなにか自分の求めているものがあって、それが充たされる快感というものが存在するのではないだろうか?


●「ブログ」というインターネット上のメディアは果たして、「その人の作品」足り得るか?
例えばTumblr、わたしのブログに1万数千人のフォロワーがいたとしても、このタンブラーに「わたし」はどれだけの密度、濃度で存在しているだろう。
絵を選ぶなんていうのは、少しやっていればコツがつかめる。そしてこのインターネットという地球を覆う網の目には、「ウワ!」とか「オオ!」というような絵が、探せばいくらでも捕らえられている。
そんな絵がいくら並んでいたとしても、そんなものはわたしの功績でも何でもない。
それはたぶんわたしに限らず、ドロローサであってもオーファンであっても同じことだ。
ただ、わたしと彼女らの違いは、ふたりは自分で自分の画を描いている、ということ。

つまりわたしがこのブログでもあのブログでも、「いい音楽」や「素敵な絵」をいくら貼りつけたとしても、わたしはそれを「わたしのセンス」で「わたしが獲得した獲物」とは認めない。
この『ぼく自身或いは困難な存在』に「わたし」はいるか?わたしは「居る」と言い切る自信がない。


● 同世代の人ならわかってもらえると期待するが、高市由美さん(山田花子)のデザイン学校時代の親友はこのようなことを書いている。

「わたしは高市さんからいろいろな影響を受けました。原マスミ、ヒカシュー、筋肉少女帯、たま、あがた森魚など音楽テープをたくさん頂いたり、根本敬、蛭子能収のマンガや、面白い本を見せていただきました。
それらすべては私の知らないものばかりでしたが、すぐに私も好きになり、夢中になりました。高市さんは私にいろいろ大切なものをくださいました。」(1993年の家族宛て手紙より)

高市由美=山田花子に嫉妬と羨望と劣等感を覚えるのは、わたしにはこのような「引出し」「蓄積」が全くないということ。(「スマホ」「パソコン」は「引出し」足り得ない)


● わたしには代表的なテーマ・ソングが3つある。
サイモン&ガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」同じくS&Gの「ア・モスト・ペキュリアー・マン」-「とても変わった人」
そして映画『オズの魔法使い』の中で使われた"If I Only Had a Heart" 「もしも心があったなら」

ご存じのように、藁でできたスケアクロウ(かかし)は「脳みそ」を欲しがりー "If I only had a brain"
ブリキ男は心ーハートを求め ー "If I only had a heart"
臆病ライオンは勇気があればと願うー "If I only had a nerve"

何故これがわたしのテーマ曲なのか?わたしは昔からあたまも胸の中も虚ろな臆病者だからだ。

そして今現在も、わたしの内側は空っぽだ。


● わたしはインターネット上で得た知識はすべて「虚」だと思っている。

「たま」の音楽を知りたければ、少なくとも図書館でCDを借りるくらいして、初めてたまを聴いたといえると思っている。そしてわたしは、たまも、筋肉少女帯も、戸川純も(今のところ)関心がないので、それらのミュージシャンについては全く何も知らない。動かないのだから知らないのは当たり前だ

わたしは個人的に、インターネットで得た物をすべて洗い流した後に残ったものが「わたし」の実体ー「本物の」わたしだと思っている。

スマホは、たぶんかかしの求めた「脳みそ」ではないし、
ブリキ男の望んだ「ハート」でも、ライオンの欲した「強さ」でもない筈だ。

かかしは「知識」を求めたのではなく、自分の頭であれこれ考える快感を求めたのだ。
そしてふたつさんの名言の通り、脳みそをもらうということは、その限界をも引き受けるということに他ならない。
ブリキ男は心(ハート)を欲しがったのであって、魂を抜き取ってほしいとは願わなかった。


● わたしが自分を「廃人」と見做しているのは、最早自分自身で、新宿や渋谷のTSUTAYAにビデオやDVD,CDを借りに行ったり、神保町で古書を漁ったり、中古レコード店で、ジャズやR&Bのレコードを物色することができなくなったからだ。獲物を捕獲できなくなった獣は死ぬ。それが自然界の常識だ。「アマゾン・プレミアム」を使ってまで延命したいとは思わない。


ー補足ー

「わたしはインターネット上で得た知識はすべて「虚」だと思っている。」

と書いた。けれども、例えば、ふたつさんが、誰それの〇〇というアルバム、いいですよ。といい、底彦さんが、ご自分で読んだ本の感想を聞かせてくれる。
これは「元」がふたつさんなり底彦さんが実地に獲得し、稼いだ知識なので、これを「虚」とは呼ばない。要は、このブログの読者が、本や、レコード(CD)、ビデオ(DVD)映画館など、とにかく、ネット以外で稼いだ知識を「わたしに向かって」教えてくれる場合は別ということ。

何故かわたしは「知識」「情報」には「稼ぐ」という言葉が似合う気がする。つまり「稼ぐ」という言葉、その語感に「労力」と「身体性」が伴っている気がするのだ。
逆にスマホやこのパソコンで得た知識や情報は「労せずして」というイメージが付きまとう。すなわち「虚」である。

ある知識・情報の真実性・重要性は、それを得るまでに要した労力(手間ひま)に正比例する。
















2019年6月12日

吊るしの背広・・・


山田花子の『自殺直前日記』(1996年)、まだ半分ほど読んだだけだが、『八本脚の蝶』とはまた違った、それ以上の衝撃を受ける。

山田花子(1967-1992)(わたしよりも4歳年下)という人間に比べて、わたしという人間は、なんとまあ平凡でつまらない存在であることか。

誰かに影響を与えるような何ものも持っていない。自分を「キチガイ」などと僭称していたことが恥ずかしくて仕方ない。わたしはキチガイでもなんでもない。要は吊るしの背広のような、チープで、よくもわるくも個性も独自性も何もない既製品に過ぎない。

「彼女」に比べれば、読む本(漫画)も平凡、聴く音楽、好きな映画、好む絵・・・何もかもすべてがありきたりでつきなみで、人並みで。(能力だけは人並み以下で)

彼女の本の中に「好きな作家・作品・映画・音楽 etc...」というページがあるが、
(彼女は漫画家なのでこの場合の「作家」というのは主に「漫画家」)
正直知らない名前が圧倒的に多い。
更に言えば、彼女の敬愛するそれらの人たちの中には、どうしても合わない、或いは名前を知ってはいるが、まったく聴く(観る)気になれないという人たちが多い。

例を挙げれば、「筋肉少女帯」「たま」「戸川純」「電気グルーブ」「日野日出志」(もっとも苦手な漫画家)、映画では、ジョン・ウォーターズ&デヴァインなども絶対にダメ。寺山修司も映画演劇は受けつけない。

でも「吊るしの背広」であるならば、なぜこうも「一般社会」と対立する?
一番妥当に思われる答えは「馬鹿だから」「単純な無能者だから」


高校時代にちょっと流行った歌で、当時からその歌詞が強く印象に残っている歌がある。


軽蔑してるはずが ちょぴりあこがれてる
授業に出ないあの子 コスモス色のルージュ

不良少女になる 素質もない私は
平凡な女の子 その他大勢なの



ー追記ー

わたしが一時期毎日読んでいて、半年ほどしてぷっつりと購読をやめた『孤独な場所で、
最後の扉を閉めて』というブログに対する気持ちも、全く同じではないにせよ、山田花子に対して感じているような「劣等感」からだったかもしれない。
現にブログでへらへらと小ばかにされたのは彼だけだった。
















本の整理、その3


本の整理をしようと思っている。といっても「蔵書」などと言えるものではない。(書いていて思わず笑ってしまった)ほんのわずかな本。もともとわたしはお世辞にも「読書家」とは言えない。本は嫌いではないが、頭が悪いので読むことが苦手だ。だからこんな劣等生のようなへんな文章しか書けない。

持っている本を全部処分するのではなくて、最終的には、漫画、文庫本も含めて40冊くらいにしたい。(漫画といっても、わたしにとっての漫画とは「ときわ荘」と、それに続く世代くらいまでで、21世紀の漫画は、21世紀の音楽、21世紀の映画、21世紀の落語、そして「アニメ」や「ゲーム」同様全く関心もなければ知識もない)

基本的に本は図書館で借りる。辺見庸の本などは返しては借り、また期限が来て返しては借りしていたので、結局買うことにした。特に好きな本、いつもそばにおいておきたいと思った本を厳選して5冊。ほとんどアマゾンで1円で売っていた。今回はそれらと、太宰治全集全10巻。森達也の本。これらは全て資源ごみに出す。

問題は、美術書、画集や写真集の類だが、どうしたらいいものか。
さすがに画集や写真集をゴミにはできない。といって、もらってくれる人、寄贈する場所の心当たりもない。

美術書と言っても別段マニアックなものではないので、「本物の」アート系の人たちが興味を示すようなものは持っていない。それでも、もう20年近く前(?)に無くなった銀座の洋書店イエナで20代のころ初めて買ったラファエル前派の画集、失った「親友」からもらった「タゴール」「靉光」「東山魁夷」などの図録、その「親友」と付き合っていた6年間、足繁く通った神保町の古書店で買った図録、画集・・・今手許に残っているのは、そんな個人的な愛着のあるものばかりなので、できればそういう絵が好きな人に手渡したい。

一番理想的なのはフリーマーケットで、ほとんど、「あげる」という感じが望ましいのだが、会場まで品物を運ぶ手段がない。

とにかく、ゴミに出すことと、古本屋に売ること、ネットで売る(あげる)という選択肢は端からない。
できれば今月中に整理を終えたいので、急いでどこか引き取り手を探すしかないだろう。

また仮に欲しいという人がいても、残念ながらわたしには、その人に送る送料もさることながら、それを梱包して宛て名を書いたり、郵便局に持ってゆくことができないのだ。

美術館で買った絵葉書なども壁に貼った跡が付いているものもあるが、誰かにあげたい。
Myspace-Facebookの海外の友達からはずいぶんポストカードを送ってもらったが、返事を出していない人が多い。・・・いや、そうでもないのかな?結構切手を選んでエア・メールを出した記憶がある。でも今はいろいろとこまごましたことができない。


「本の整理、その1」 「本の整理、その2」

わたしは4年前のことを昨日の出来事のように憶えている。「三鷹のSS堂」、わたしはこの恨みを生涯忘れない・・・

全国の古本屋よ。金が必要な時もあるのだ。「古本高く買います」という『嘘』だけはどうかやめてくれ。せめて「ほんとうに安くしか買えませんが・・・」と正直に言ってくれ、それならば「じゃあ売ろう」という気にもなるだろう・・・


















2019年6月10日

「救い」ということ


生きたくはない。死にたいのだという者に、世の中は一切手助けをしてくれない。耳を貸そうとすらしない。

であるなら、「自殺は迷惑」だと言う資格のある人間はどこにも存在しないはずだ。

先日の『本音のコラム』で宮子氏が触れていた「死ぬなら一人で死ねと言うな」という識者の言葉。

ツイッターを覗いたら、その「識者」のページにこのようなコメントが載せられていた。

「〇〇さんの「誰も一人で死ぬべきでも、殺すべきでもない」という言葉が重く心に響きます。例えどんな人間であっても「生きる権利」だけは絶対にあるのです。これだけは私の譲ることの出来ない信念なのです。苦しいときは、必ず誰かに助けを求めてください。絶望せずに。」

また別の人は

「要するに「他人を殺すな。自分も死ぬな」が正解だと思うのです。」

このような発言をする人たちと、わたしとの距離は、計り知れないほどにかけ離れている。

「苦しいときは、必ず誰かに助けを求めてください。絶望せずに。」

わたしは現にそうしている。「死にたいのです」と。

けれども誰も真剣に取り合おうとはしない。だからわたしはそのことに「絶望している」

そしてまた「自分も死ぬな」とは、いったいどのような権利に基づいてそのような発言ができるのか?

わたしはかつて、大田区にいたころ、区民大学で、「現代社会で仕事をすること」をテーマにした講義に出席した。講師は元読売新聞のベテラン記者だった。

中に、「過酷な仕事で、部下を死なせたくないし自分も死にたくないから」という理由で退社したという当時50代くらいの男性がいた。

最後にまとめとして、講師である元記者が、「死んではいけない 殺してはいけない」と言ったので、わたしは「誰も「あなたは死んではいけない」ということはできないのではありませんか」と問うた。講師は素直にわたしの言葉を受け入れてくれた。

わたしはこの「識者」の

「命が無条件で尊重される社会を目指すべき」という言葉が漂わせている「自殺はよくないこと」というニュアンスに「死ぬなら一人で死ね」という言葉と同等の浅慮と救いがたい単純さを感じる。


ー追記ー

「命が無条件に尊重される社会」・・・もう少し他の言い方はないのかと思うが、この言葉が、いつの間にか「生き(てい)ることが無条件に尊重される社会」と同じ意味になってはいないか?
 
ふと石原吉郎の著作の中にあったことばを思い出す。
 
「生きることを正しとすれば、死が誤りとせらる」(カール・バルト)










2019年6月9日

辺見庸との訣別…西部邁との訣別…(「孤独」と「孤立」その3) 


わたしはキチガイである。正真正銘のキチガイである。(その視線を少し右に移せばいい)
それは必ずしもわたしが人より劣っていることを意味しない。同じように、人より優れているということも当然ながら意味しない。ただ「通常の人間界の優劣を超えて」「特異である」「異質である」「はぐれている」或いは「異常である」という意味において、「狂人である」ということを言っている。

わたしには、好きなもの、好きな人間よりも、嫌いなもの、嫌いな人間の数の方が圧倒的に多い。

とりわけ地位と名誉に執着する者、名利に敏い者をわたしは厭う。
そして何よりわたしが軽蔑し唾棄すべしと思うのは、弱い者、貧しい者、この社会にうまく適応できない者(例えば「所謂引きこもり」と呼ばれる人たち)を、自分よりも、或いはそうでない普通の人たちよりも「下」で「劣った」はては「邪魔な」存在と見做すことだ。

今年2月15日の投稿「人生は無頼不逞なもの、芸術は無慚なもの・・・」

という記事の中に、このような箇所がある。



不逞・無頼に生きる。それがわたしの本懐ではなかったか。


現在わたしの読みたい本のリストには次のような作品が挙げられている。

● 死の懺悔 完全版 古田大次郎遺書 古田 大次郎/著 黒色青年社

● 現代日本思想大系 31 超国家主義 橋川 文三/編 筑摩書房

● 獄中手記 磯部 浅一/著 中公文庫 中央公論新社

● 難波大助の生と死 〔増補版〕 原 敬吾/著 国文社

● 彼方より 増補新装版 中井 英夫/著 潮出版社

● 美は一度限り 落日の美学闘いの美学 野村 秋介/著 21世紀書院

そしてわたしは辺見庸はもとより、西部邁、野村秋介、大杉栄、辻潤、竹中労、若松孝二のような人物を愛する「不逞の輩」だ。




数日前この記事を偶然見た時に、まだ「辺見庸」という名前が残されていることに、思わず舌打ちをしてしまった。

この部分はこのように修正しなければならない。

そしてわたしは辺見庸はもとより、西部邁、野村秋介、大杉栄、辻潤、竹中労、若松孝二のような人物を愛する「不逞の輩」だ。

或いは

わたしは野村秋介、大杉栄、辻潤、竹中労、若松孝二のような人物を愛する「不逞の輩」だ、と。

辺見庸については今更多くを弁じまい。


嘗て彼はこう書いていた。


"これからは書きたいことだけを書かせてもらう。作品評価も本の売れ行きもどうでもいい。
百人支持してくれればいい。いや、五十人でいい。百万人の共感なんかいらない。そんなもん浅いに決まってるからね。"

— 辺見庸『記憶と沈黙』(2007年)

けれども、昨年秋以降、久しぶりの新作、相模原の障害者大量殺害事件に材を採った小説『月』出版に至る際のあのなりふり構わぬ売り込み振りはどうだ。

わたしはそれを見て、── それは当たり前のことであるのかもしれないが ──
「ああ、この人も、自分の本を売るためには、日ごろさんざん馬鹿にし、こき下ろしているマスコミに三拝九拝(或いは都合よく「利用」)することもいとわない人だったのか」と感じたのだ。

そして今日、ほんとうに久しぶりに彼のブログを開いてみた。

そこには幸せそうな彼がいた



『純粋な幸福』


◎詩文集『純粋な幸福』毎日新聞出版から刊行へ

最新詩文集『純粋な幸福』が毎日新聞出版から今夏、
刊行されることになりました。装幀は鈴木成一さん。
これにともない講演会などのイベントが企画されてい
ます。詳細は後日ご報告します。

拙著『月』について過日、歌人の加部洋祐さんから
じつに丁寧な感想文をちょうだいした。「先日、意を
決して拝読しはじめ、先ほど読了いたしました」のご
報告にどきどきし、あたまがさがった。

昨日、中野智明さんからメールあり、アフリカ踏破
53か国になり、残りはギニア・ビサウだけとなったと
いう。集合住宅の改修工事の騒音で音をあげている
当方のみみっちさよ。

風邪。


『月』は決して読むまいと決めた。


既にわたしの中では辺見庸の存在はかなり影が薄くなっていたのだ。
彼の本をほとんど読んだが、つまるところは「百日の説法屁ひとつ」に終わった。チャンチャン・・・


辺見と袂を分かって以来、わたしは少しづつ西部邁に近づいて行った。
何度も書いたことだが、彼の最晩年の「この社会に絶望する人が一人でも増えること、それが希望です」という言葉に文字通り愚かにも心酔していたからだ。

そして数冊読んだ彼の著作にも、アメリカ追随のこの国への嫌悪、(「韓国の言葉を内政干渉というのなら、何故アメリカのいうことも内政干渉だといわないのか」)、「文化なき文明」、「科学の進歩は現代の宗教である」など、共感するところが多かった。

無論政治的な主義主張の点においては、ほとんど重なるところはなく、逆に辺見庸とは重なるところばかりだった。けれど所詮口舌の徒でしかない辺見に対し、西部はこの国への絶望を、自らの死を以て示したという一点に於いて、彼を買っていた。

昨夜彼の最後の著作『保守の遺言』を読んでいた。

そこにはこんなことが書かれていた。

「もう一年以上電車に乗ったことがない。祖師ヶ谷大蔵と都心のあいだの往復も新丸子(にあるクリニック)との行き帰りも、すべてタクシーを使っているわけだ。大した貯えもないのに、この喜びの感情も寿の気持ちもいささかもない喜寿者、なにゆえに電車恐怖症に罹り、それゆえに結構な額の交通費を払わねばならぬ破目になったのか。
理由は唯一つ、スマホ人の群れを目にすると吐き気が催されてならないことだ。」
『保守の遺言』第二章「瀕死の世相における人間群像」1スマホ人(68ページ)平凡社新書(2019年)

この時点で、既に西部との訣別は目の前に迫っていた。
同じく「瀕死の世相における人間群像」2選挙人の中で彼はこのような本心を吐露していた。

「人は生まれながらにして平等である」という嘘話を本気で貫くのなら、それを税金話に移し替えると「パーヘッド・タックス」(人頭税)が最も平等だということになる。
つまり金持ちであれ、貧乏人であれ、同額の税金を払うという残酷なやり方が最も平等であるということになってしまうのだ。
 
資産額なり納税額なりを制限条件として── その場合にこそ投票務(権利ではなく義務※引用者注)というよりも投票権という表現のほうが馴染みやすいのだが、── 選挙権を与えるという「制限選挙」が何故排されて、消費税しか納めていないばかりかそれを上回る社会保障を手にしている人々までもが投票権を持つといういわゆる「普通選挙」がなぜこうまで普遍になってしまったのか。ひとつに貧乏人という多数者の社会的圧力ということもあるが、二つに、金持ちという少数者に莫迦が多いという事情もあった。」(75~76P)
(下線Takeo)(改行部分は本書では改頁)

西部のいう「この社会への絶望」という言葉の中には、このような意味も含まれていたのだ。すなわち「貧乏人が投票権を持つという愚劣な社会・・・」


結局辺見にせよ西部にせよ、他でどんなにいいこと、真っ当なことを言っていても、
自分の本を売らんがために日頃敵と見做してはばからない組織や人物に腰を低くしたり微笑を浮かべたり、或いはまた貧乏人を差別するといった、わたしの最も忌み嫌う属性を持つ以上、所詮どちらも、ジャクソン・ブラウンの歌の歌詞を借りれば、わたしにとって' Perfect Stranger' であり、同時にわたし自身は'Perfect Fool'なのだ。

◇◇

「サン・セヴラン寺院で、パイプ・オルガンの奏する「フーガの技法」を聞きながら、わたしは何度もこんなことを呟いた。「なるほど、これがわたしのありとあらゆる呪詛への弁駁なんだろうな」
ー エミール・シオラン『告白と呪詛』出口裕弘訳

しかしわたしは、自らのこの社会への呪詛への、神からの、或いは世界からの「弁駁」「反駁」を何も期待しない、神は、世界は、わたしの呪詛に反駁し得るものを持たない。


「人間であること以外、もはや人間たちと、どんな共通点もなくなってしまった!」

『告白と呪詛』でこう書いたシオランは、少なくともまだ自分は「人間」であると考えていたようだ。
それが幸せなのか不幸なのかは知らないが。


ー追記ー

そもそもHやNのような名の売れた思想家、評論家の言に対し「幻滅した」の「こんな人とは思わなかった」のと騒いでいること自体、「キチガイ」の証し以外のなにものでもない。
























追記


先日偶然新聞で、ドリアン助川がわたしと同い年であること、そして二階堂奥歯と同じ早稲田大学文学部哲学科卒であることを知った。

わたしはふたりの文章を好きだが、「哲学」はどうしても好きになれない。

P.S.

ドリアン助川が本名の明川哲也名義で書いた「ぼくあいにきたよ」という絵本は素敵です。





『八本脚の蝶』より。私が生きるということ


先程、底彦さんのコメントへの返事を書いていて、ふと、公=社会=外部=外界と、私=個=孤=内部という関係に突き当たった。

完全にこの通り、とは言えないが、わたしの思っている上記の関係とは、このようなものではないかと感じたので、以下、彼女の日記より引用する。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』2001年3月18日(月)



身体性を持たない、現場を知らない、そう言われました。
その通りです。
私は大きな物語が終わってから生まれました。私が暮らすのは物語終演後のステージセットの中。私に役割はありません。
私の行為が全体に寄与することはありません。私の行為が外部から位置づけられることはありません。
どんな真剣な行為もまずパロディとして知りました。私の全ての思想行動はすでに誰かがどこかでやっていたことです。
存在価値を支える外部は最初からなかったのです。そんな私の存在を支えられるのは私と、私によって支えられている私的な価値体系・物語・信仰です。
その価値体系などがどれほど大きな規模のものであっても、それは私的なものでしかありません。


私が裏付けした私的な価値体系しか私を裏付けるものがないとき、その私の生死を超えてまでやらねばならないことの存在など、可能でしょうか。

苦しみながらそれでも生き延びて成し遂げるべきことを私は持っていません。
やりたいことがないわけではない。しかしそれを位置づけてくれる文脈はありません。
私の目標の根拠は私自身なのです。


生きていく目標もありません。(生きてさえいれば目標はありますが)。
遠くにある希望とか、理想とか、それは私を離れても存在しているのですか?
それは誰が支えているのですか?
神ですか?
神は誰が支えているのですか?


それでも、小さな小さな私的な物語を楽しみ、ささやかな信仰を支えにとりあえず明日は生きるだろう、明後日も。
そのように生きています。
私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支え合いの中で生きています。
生きていたらやりたいことはたくさんあります。
でも生自体を支える根拠はありません。


私は自分の髪を自分で掴んで虚空の中に落ちていかないように支えているような気がします。小さな信仰だけがそれを可能にしているのです。
(下線Takeo)



わたしの外側に、わたしの存在を定義するもの、規定するもの、わたしの存在の根拠足り得るものは存在しない。

わたしの存在の根拠は、わたしの存在それ自体と、わたしという存在が仮構した世界で(に)しかない。

『遠くにある希望とか、理想とか、それは私を離れても存在しているのですか?』

「わたし」という存在、わたしの美意識・価値観を離れたところに、いかなる理想も希望も未来も(わたしにとっては)存在しない。

私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支え合いの中で生きています。
生きていたらやりたいことはたくさんあります。』

この点、彼女は、多くの人たちに比べて遥かに恵まれていると言っていい。
そしてわたしは何度も書いたように、「無病息災」「元気溌剌」でもやりたいことなどまるでない。

でも生自体を支える根拠はありません。』

これはしかし、当然のことなのだ。私という存在、その私の作り出した私のための虚構仮構。
それ以外に、自分の外部に、生の根拠があるということ、それは何ものかによって「生かされている」ということに他ならない。その何ものかとは「私」という「個人」よりも巨きなものであるはずだ。「私」という「個」よりも巨きなものは、わたしという微小な存在を、「殺さずにいる義務」を負うけれど、「生かしておく権利」を持たない。

「私の生の根拠は私自身」それでいい。そして「私の死の根拠も私自身」でなければならない。

二階堂奥歯も、山田花子も、その死の根拠は彼女たち自身ではなかったのだが・・・







2019年6月8日

「孤独」と「孤立」その2


ほんらいなら、最初にわたしにとっての「孤独」乃至「孤立」とはどのようなものかという定義を示すべきなのだろう。けれどもそれが容易ではない。

「群盲象ヲ撫ス」ということわざがある。

象というものを知らない盲人たちが、それぞれ象の身体に触れて、ゾウとはいかなるものかを知ろうとする。鼻を触った盲人は「長くて、しきりに動いているもの」といい、胴体を撫でているものは、「弾力のある壁のようなもの」といい、尻尾を握った者は、「ひものようなものです」という。

誰も間違ってはいない。どれもが「象」なのだ。
およそ「解釈」とはこのようなものではないだろうか。
ひとはその者の位置から見、聞いたもので判断する。われわれは誰しも彼らと同じ「群盲」である。

だからわたしにとっての「孤独」は・・・といっても、孤独とはつまりこういうものだということはできない。心のありか、在り方というものは固定されたものではないから。

一問一答形式でやってみる。

Q:あなたは今孤独ですか?孤独を感じていますか?

A:はい。

Q:それは何故ですか?

A:・・・・(しばし沈黙)── 誰とも繋がっていないという感じがあるからです。

Q:ではつながるとはどういう状態ですか?

A:わかりません

Q:孤独あるいは孤立とは何かの欠如ですか?

A:そうかもしれないし、何かの過剰かもしれません。

Q:あなたにとって孤独ではない状態とはどのような状態ですか?

A:わかりません。

Q:何故「孤独」と「孤立」は同じものだと思われるのですか?

A:「寄る辺のなさ」という共通項があるからです。

Q:「寄る辺」とはどのようなものですか?

A:う~ん。心から安心できる場。守られている。包み込まれている、という感覚でしょうか。

Q:それは何か神秘的・宗教的な体験のようなものですか?

A:違います。あくまで現世的・人間的なものです。これはそもそも日本には存在しない外来種の概念だと思いますが、一言でいえば「愛」、でしょうか?

Q:では最後に、孤独は怖いですか?

A:はい。もちろん。

Q:では当然「孤独死」も怖いですね。

A:いいえ。まったく。わたしに「孤独死」はありませんが、例えば、有名な大病院のベッドで死ぬのと、河原で一人ぼっちで死ぬのと、どちらを選ぶかと訊かれれば、一も二もなく後者を選びます。第一、大病院には野良猫も野良犬も乞食もいませんからね。さびしい。

Q:現実にそういう存在がいるいないはともかく、親兄弟親類縁者よりも、野良猫野良犬のそばで死にたいと仰るのですか?

A:はい。



わたしにはまだ母がいる。だから現時点では「完璧な孤独・孤立状態」ではない。
けれども、母の存在がなくなった瞬間に、わたしは完璧な、文字通り完璧な孤独・孤立状態に陥る。だからわたしはすぐさまそこから逃げ出さなければならない。

確かにわたしは上の質問で
「あなたにとって孤独ではない状態とはどのような状態ですか?」という問いに
「わかりません。」と答えている。

しかしただひとつだけ、孤独ではない状態=厳密には孤独から逃れる途がある。つまり孤独とは「生きているから」生じる状態であり感覚に他ならないということだ。








2019年6月7日

「孤独」と「孤立」その1


先の投稿で引用した、精神科看護師の宮子あずさ氏の文章中に「孤立」という言葉が何度か出てきた。

「ある識者は、こうした発言は孤立した状況にある人をますます孤立させ、凶行に駆り立てる可能性さえある、と自制を求めている」

「一方で、孤立が人間を追い込むのも事実」

ここで、「孤立」という言葉を「孤独」と入れ替えても全く意味は変わらない。



わたしは以前から「孤独」と「孤立」の違いというものがわからなかった。そもそも孤独と孤立の間に違いなどあるのだろうか?

なるほど、広大な砂漠にひとり立ち尽くす者は、「孤独」ではあっても「孤立」とはいわない。
太平洋をたった一人でボートで横切るというのも、「孤独」ではあるが「孤立」ではない。
人類滅亡後、ただ一人生き残った者も同様だ。

一方で、学校で、或いはある集団の中でいじめられている人は、「孤独」であり同時に「孤立」している。
昨夜から山田花子の『自殺直前日記』(1996年)を読み始めたが、彼女が精神科病棟に入院中に書いたノートの中に、
「友達が欲しい、守ってほしい。寂しい。一緒に夢を見てくれる人が欲しい。」という
言葉がある。この場合も「孤独」と「孤立」は重なり合っている。

わたし自身にとっても、孤独と孤立は同じ意味を持った言葉であって、それは、可能な限り避けるべき「危険な」状態であるという認識を持っている。

かつて「こんなこと」を書いたが、今の心境はこのときよりも更に切実だというのは、特に瀬里香さんとのやり取りをよむと強く実感される。

「孤独」とはわたしにとっては正に「孤立無援」と同義なのだ。

一昨日紹介した齋藤美奈子氏の記事の前半部分を引用する



「凶悪な事件がニュースになるたびに思い出すのは1968年の「連続射殺魔」事件である。
堀川恵子『永山則夫 封印された鑑定記録』(講談社文庫)は百時間以上に及ぶ、精神科医石川義博氏の精神鑑定の記録(石川鑑定)から事件の真相に迫った衝撃的なノンフィクションで、犯行の原因を貧困とする従来の説を大きく覆す内容となった。
鑑定は主として彼の成育歴にかかわる。永山則夫は八人きょうだいの七番目として北海道で生まれ、青森県で小中学校時代を過ごすが、父は放蕩の末に家出、母も幼い子供たちを置いて出奔、姉は精神を病み、兄は弟を虐待。心に深い傷を負った永山は上京後、極端な人間不信と被害妄想で職場からの逃亡と自殺未遂を繰り返した。」

ここでも「孤独」と「孤立」は完全に重なっている。
「孤独」とは「孤立」以外のなにものでもないのだ。



肉体が意識という異物を抱え込んで断末魔の衰弱症状に陥っている現況は、しかし一度手放した超越的価値に擬似復古的にすがりつけば解決されるというほどお手軽なものでもあるまい。既成の神秘的体験を上昇的に志向するのではなくて、卑賤下等な感官の体験に向かって下降しながら意識を超越する恍惚に出会う方途もまたあるはずだそれは人間の肉体が玩具の無目的的な器具性に徹することによって、あるいは失われた聖なるものを操り手としてふたたび迎え入れる特権的な容器となることがありうるのではないか、という期待である。意識の干渉を超脱し、憑依状態のなかで晦冥な無意識の闇へと下降していく完璧な肉体は、かつてはたえず父なる神の明智に監視されていた。肉体が本質的に受動的な器具であることが、そこでは自明の理だったのである。
ー種村季弘「器具としての肉体」『種村季弘のネオ・ラビリントス4 幻想のエロス』(1998年)

「孤独・孤立」の唯一の対照物はいうまでもなく「他者」との「全き」「合一」。種村がいうような「エロス」以外にないのではないだろうか。

それはとりもなおさず、「わたし」が「わたしであること」を放棄する瞬間に他ならない。言い換えれば、「わたし」が「わたし」という「個別性」「一回性」「独自性」に捕らわれている限りは、「孤独」すなわち「孤立」から免れる方途はないのではないか・・・




















2019年6月6日

誰が狂っているのか…何が狂っているのか…(ふたつさんへの返信に代えて)


書きたいことはいろいろとあるのだが、「心におもひ煩ふ」ことありて、なかなか思考がまとまらない。

わたしはブログは可能な限り毎日更新するものだとは思っていない。
書きたいことがあれば日に何度も投稿してもいいし、書く気になれなければ、一週間更新がなくても無理に書く必要はないと思っている。

わたしにとっては、「書かれている内容」がすべてなのだ。
数が多いから、その分ひとつひとつの内容が希薄になっているとも思わないし、間(ま)を空けて書いたものだから充実しているとも限らない。

さて、今日もまたふたつさんから出色のコメントをいただいた。
上のように書きながら、あまり意味のない、出がらしのお茶のような投稿だなと思っていた「愚かなる者」に書いてくれた文章。お暇な折に是非ご一読を。

同じ投稿に寄せられた瀬里香さんのコメントに、なにか今までの彼女と違うという印象を受けている。彼女とはインターネットの上とは言え、既に十年以上の付き合いだ、その間わたしから絶縁宣言をしたことも何度かあったし、罵り合いはなかったが、意見が真っ向から対立したこともあった。これまで彼女のいろんな面を見てきた。けれども、昨日のコメントに関しては、これまで感じたことのない、これまで見たことのない瀬里香さんを見た気がしている。それが、その気分が、何に起因するのか、的確に説明することは難しいが、これまでになく、つまりどんなに意見が異なっていた時よりも、嘗てなく彼女が「遠く」感じられるのだ。或いはそれは単に、わたし自身の、強くもない風に右へ左へと揺れ動く現在の心情の投影に過ぎないのかもしれないが。

(もし瀬里香さんのコメントについて、わたしが抱いている、「いわくいいがたい違和感」について興味があれば、わたしの過去の投稿「『SF/ボディスナッチャー』フィリップ・カウフマン監督(1978年)」(2017.02.12 投稿)をお読みください。)



さて、前置きが長くなった。
ふたつさんの投稿に刺激を受けて、また例によって、別の角度からの「返信」という意味も込めて、まとまらないあたまで書いてみる。



先日の川崎の事件について、6月3日付け、東京新聞朝刊の『本音のコラム』で、過去に2度ほど紹介したことのある、精神科看護師の宮子あずさ氏の投稿が掲載された。
タイトルは「思うことと書くこと」

以下全文引用する



子供を含む二十人が刺され、二人が死亡した川崎の殺傷事件。自殺した容疑者に対し、「死ぬなら一人で死ね」という内容の言葉が、ネットなどで飛び交った。
ある識者は、こうした発言は孤立した状況にある人をますます孤立させ、凶行に駆り立てる可能性さえある、と自制を求めている。
容疑者本人の話が聞けない以上、安易な決めつけは禁物である。引きこもりに関する情報もあるが、事件との関連付けは慎重であるべきだ。
一方で、孤立が人間を追い込むのは事実。「死ぬなら一人で」と突き放すのは、言っている本人の憂さ晴らしなるだけ。問題の解決にはつながらない。

私も、事件直後は容疑者への怒りが強かった。自死した患者さんの顔を思い浮かべては、「あの人たちは人を巻き込まずに亡くなったのに」。この時の感情は、「死ぬなら一人で」に限りなく近く、乗り越えるには時間が必要だった。
実際識者の見解に対しては、多く「きれい事だ」との批判が寄せられている。

私は見解を支持する一方で、感情的になる人の気持ちも分かる。
しかし、思うことと書くこととは別物。激しい感情に突き動かされて書くのは賢明ではない。少し時間をおいて考えてみる。
これだけで人を追い込む激しい言葉は、かなり減るはずである。
(改行Takeo)



わたしはこの宮子氏の記事に共感したからここに紹介したのではない。寧ろ、この意見に関しては「疑問」の方が大きい。

まず第一に、わたしは「感情的になって、死ぬなら一人で死ね」という人の気持ちが全くわからない。

更に、

「自死した患者さんの顔を思い浮かべては、「あの人たちは人を巻き込まずに亡くなったのに」。この時の感情は、「死ぬなら一人で」に限りなく近く、乗り越えるには時間が必要だった。」

いったい、これまで宮子氏が見てきた自死した患者さんたちと、今回の事件を犯した男性との間にどのような関連性があるのだろう。
「あの患者さんたちは一人で死んだ」「だから」「彼も一人で死ぬべきだった」とはどのような回路を経ての発想だろうか。
そして付け足しのように記されている、

「激しい感情に突き動かされて書くのは賢明ではない。少し時間をおいて考えてみる。
これだけで人を追い込む激しい言葉は、かなり減るはずである。」

なるほど、世上に、ディスプレイ上に飛び交うこの種の言葉は日を追うごとに物理的には減じてゆくだろう。では、再度同じ事件があったときに、その「時間を置いたひとたち」の心境は、考え方は変化しているだろうか?思ったことを書く或いは口にするまでに、一呼吸置くということと、その現象について沈思するということは同義ではない。
「孤立しがちな引きこもり」に対する世間=彼ら / 彼女らの意識に大きな変化はないだろう。
つまり彼らの気持ちが澄んだわけではない、単に時間の経過とともに、激しい感情が底に沈んで、水面が静かになっているだけで、また揺れが来れば、底に沈んでいた、濁った感情がうねり、渦を巻く。とりあえず、今この時のノイズが、あくまでも「物理的に」減るに過ぎない。
それは「人の口に戸は立てられぬ」と「人の噂も七十五日」の関係と相似である。



「彼」は単なる凶悪な恐ろしい「殺人者」でしかないのか?
自ら命を絶たなければならなかったという彼自身の悲劇に誰が目を向けているのだろう?

この事件と前後して、またアメリカで、銃の乱射事件があり、多くの死傷者が出、犯人は自殺したと聞いた。
ところで、アメリカでこのような事件が起きると、周囲は一様に「死ぬなら一人で死ね!」と喚き、一斉に書き立てるのだろうか?
わたしにはそうは思えない、先ず向けられるべき矛先は、銃が誰にでも簡単に手に入るという社会の仕組みへの批判ではないだろうか?
そして当然激しい怒りや悲しみ、憎しみといった感情もあるだろうが、例えば、欧米で、テロがあり、大勢の人が犠牲になったときに聴こえてくるのは、起こった悲劇全体に対する悲しみであって、決して、遺族の身に向けられる悲しみと、対照的に犯人(犯行グループ及び背後の組織)にのみ向けられる憎悪と敵意ではないように思えるのだ。

心の底から悲しみながら、同時に何故このような悲劇が起こったのかを考える人たちと、「死ぬなら一人で死ねと」案外冷静に書きこんでいる人たち。(わたしは「死ぬなら一人で死ね」と書きまた叫んでいる者たちが、どうしようもない悲しみに突き動かされて我を忘れているとはどうしても思えないのだ。敢えて言うが、このようなことを書くようなものに限って、口の辺に薄笑いが浮かんでいるものだ・・・)
本当に、真に深く悲しむ者は、このような批評家的・傍観者的態度は採れない。

最後に、本日6月5日付け東京新聞朝刊の『本音のコラム』では文芸評論家の齋藤美奈子氏が、「遠因と近因」というテーマで書いている。前半は、永山則夫についての記述。
後半にこの事件についての感想がこれまた付け足しのように書かれている。

以下引用

「川崎の殺傷事件と元農水事務次官の事件に共通する環境的要因として「中高年の引きこもり」が取りざたされている。
表層的にはその通りでも、事件後間もない現在の段階で判断するのは性急すぎないだろうか。
それでもすぐできるのは近因を取り除く、すなわち絶望が加害に転じる瞬間のトリガーを引かせないことである。言葉は凶器にもなる。「一人で死ね」はやっぱりダメだろう。」

「言葉は凶器にもなる。「一人で死ね」はやっぱりダメだろう。」

なんでこんな当たり前すぎるくらい当たり前のことをわざわざ敢えて言わなければならないのか?
「言葉は凶器である」そんなことを知らない者がいるのか?
わたしが今こうして書いている言葉だって凶器になり得るのだ。
凶器になり得る可能性を持たない言葉ってあるだろうか?

「言葉は凶器にもなる」。そう。多くの人はそれを知っているから、言葉を「凶器として」使っている・・・

青梗菜がいいことを言っている 

「せめて黙っていようとは思わないのか。」

耐えられない試練 1/2」本文最終行。

翌日の投稿「耐えられない試練 2/2」コメント欄で前言を翻し、こうもいっているが・・・

>51の引きこもりが死ぬのは勝手なんだけど、小学生が犠牲になるというのは言葉が出ない。小さい子どもの事故死とか続いてますから何とも言えない。ほんと、頼むから1人で死んでくれ。」
※コメント「51の~」から「何とも言えない」までは別人のセリフです。


ー追記ー

「耐えられない試練 2/2」コメント欄より

僕もキリがないから、この辺りでやめますけど、一人で死ネ。という言葉が一人歩きしているような。
死にたければ、人を巻き込まないで一人で死ネ。という当たり前の発言が、どこをどう間違えたか、引きこもりは須く一人で死ネ。という意味で、ネットなんかでは誤解されて使われているような〜。
何がなんだか〜。

2019/06/02(日) 23:07:55 | 茶坊主


こんにちは。

うん、僕もどうでもいいよ。
僕が引き受ける問題でもないし、勝手にやってればいいよ。
関係のない子どもを巻き添えにしないのなら、
生きるのも、死ぬのも、好きにすればいいよ♪

2019/06/03(月) 00:27:17 | 青梗菜

うん、僕もどうでもいいよ。
僕が引き受ける問題でもないし、勝手にやってればいいよ。
関係のない子どもを巻き添えにしないのなら、
生きるのも、死ぬのも、好きにすればいいよ♪

彼に限らず、このような社会への無関心が、断層のズレへの無頓着が、常にこの種の事件の、ひいては「引きこもり」などという、およそ実態から乖離した名称で呼ばれている社会病理の「遠因」である。
















2019年6月4日

愚かなる者・・・


わたしが一生涯かけて考えても分からないことを、例えば「幸福とはなにか?」というような問題を、他のブログでは一日で答えを出している。

そんな人から見ればわたしなどが愚鈍な薄のろに見えてどうしても嗤ってしまうのも仕方がないのかもしれない。

彼も、彼も、既にわたしが到底手の届かないくらいの人生の答えを持っている。

ではわたしのブログって一体なんだ?


詩一篇


街の通りを歩いてゆくと、コーヒーの香りがしてきた。
コーヒーの香りが好きだ、と老人は言った。家の階段で
誰かがコーヒーを炒っていると、隣人たちは扉を閉める。
けれどもわたしは部屋の扉を大きく開けるんだ。

笑うと目がかくれてしまうほど、目じりに無数のひだ。
額には深い悲しみ。ひとは自由なものとして生まれた。
しかもいたるところで鎖につながれている。なぜだ?
「なぜ」を口にしたばかりに生涯にくまれて老いた男だ。


(中略)


ひとの自由は、欲することをおこなうことにあるのではない。
それは欲しないことは決して行わないことにあるのだ。
わたしは哲学者じゃない。ただ一コの善人でありたい。
それ以外の何者にもなろうとは思わない、と老人は言った。

夕食にブドー酒を一壜あけ、ジュネーヴのチーズを愛し、
アイスクリームとコーヒーを、唯一の贅沢なたのしみとした。
この世の欺瞞や裏切りを憎んだ正しい魂を持つ友人を
ひとりもみつけられなかったが、後悔しないと老人は言った。

ひとの不治の病をなおせるのは、緑の野だけとも言った。
老人は、自分の死亡記事を新聞で読んでから死んだ。
「ジャン=ジャック・ルソー氏は道で転んだ結果死んだ。
氏は貧しく生き、みじめな死に方をした」

ー長田弘 選『本についての詩集』(2002年)より「孤独な散歩者の食事」

※参考文献 ルソー「孤独な散歩者の夢想」、サン=ピエール「晩年のルソー」





孤独を好むルソーが、同時代のヴォルテールやディドロに嫌われた・・・というよりもむしろ嘲弄されていたという話は誰かの本で読んだことがある。
社交家のヴォルテールなどが彼を嫌ったのは、ベートーベンやヴィンセントがそうだったように、ルソーがあまりにも「自分」というものに忠実で正直だったからだろう。
現にシューマンは、ベートーベンについて、「彼はいかなる外向けの顔も持っていなかった、だから常に孤独だった」と語っている。

「わたしがまさにわたしであるがゆえに嫌われ、敬遠され、遠ざけられる」というのは、きっと普遍的な真実なのだろう。














2019年6月3日

お願い。


昨日の投稿「迷い(ブログの閉鎖について)」に関して・・・

ブログを「閉鎖」と書きましたが、厳密に言えば、書き手だけが見ることのできる、「パソコン上の日記」のような「非公開」のブログにしようか、という迷いです。

コメントのないブログというのは味気ないものです。特にわたしのように、母以外の他人と、メールであっても、電話であっても、つながりの一切ない者にとっては。

昨日は、「母も主治医も心配している・・・」と書きました。本当のことを言うと、あれは嘘です。精神科にはもう半年以上行っていません。睡眠薬など、最低限必要な薬は、母に取りにいってもらっています。これは内科も同じ。(眼科だけは自分で足を運ばなければなりませんが・・・)
理由は簡単。電車に乗ることができないからです。更に付け加えれば、「精神科に行く意味」が分からないからです。なんども繰り返し書いているように、「良くなる」とか「元気になる」という意味が分からないからです。

わたしはよく外界を「戦場」に譬えます。けれども、いつか戦争は終わる時が来るでしょう。ところが、わたしにとって苦痛の源であるデジタル・ワールドは、戦争と違って終わりがありません。

余談が長くなりました。



ブログのコメントについては、先の投稿に書いた通りです。
同調だけのコメントは要らない。自殺を勧めるコメントも要らない。「生きてください」という言葉も無用・・・
わたしは質の高い見解意見を聞きたいのです。ただ、わたしは今、返事が書けません。
そしてFさんのように、「返事なんてどうでもいいんです」と言われても、時間をかけて読み、時間をかけて書いてくださったコメントを、形として「無視」するようなことは、どうしても気持ちに引っかかりがあるのです。

現在は一桁の閲覧者・・・と書きました。その五人なり六人なりが、たとえば「希死念慮のある者に自殺を勧める精神科の看護師」なのか「引きこもりは人生に対する罪である」と信ずる哲学愛好家、及びその腰巾着なのか、或いは自分のアクセスが単に反映されているだけなのか。(「ブロガー」は、「書き手のコンピューターからのアクセスはカウントされない」という設定があるにもかかわらず、わたしが特定のページを観たすぐ後に確認すると、その投稿のPVが必ず一つ増えています。)

あれこれそんなことを思い、このブログを公開している意味が分からなくなってきているのです。

これから二日間、コメント欄を開けておきますので、どなたでも、このことに関して、忌憚のない意見を聞かせていただければと思います。

ただ、しつこいようですが、仮にコメントを頂いても、やはり返事をお約束することができません。

「対話の成立しないコメントってそもそもなんだ」と言われれば、返す言葉もありません。

とにかく、もし死ぬほどお暇でしたら、このブログについて、また、コメントの意味についてご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

わたしは今、ほとんど考える力がありません。







迷い(ブログの閉鎖について)


ブログを非公開にしようかと迷っている。つまり案の定、コメント欄を閉じた日から、もともと少ない閲覧者がほぼ三分の一になった。つまり一桁だ。

しかしコメント欄を開けることはできない。わたしは(もはや誰も読んではいないだろうが)これまでもらったような、中身の濃い長文に(わたしは長いコメントが好きだと言ってある)相応しい返事をどうしても書けない。また書けるようになるとも思えない。

そのことについて、たとえばFさんは、「(コメントへの)返事に関しては一切お気遣いなく」と何度も言ってくれた。けれどもそういうわけにはいかない。
わたしのどうでもいい文章をちゃんと読んで、それについて自分の考えをまとめ、美しい文章(特にFさんSさん)で意見を述べてくれるのを無視して、どうして自分の書きたいことだけを書くことができるだろう。

「じゃあ書きませんから」と言われても困る。
主治医も母も、ブログだけがあなたの外界との唯一の接点だったのにと、心配している。

更に非常にもったいなく思うのは、あれだけ質の高い一連のコメントが、コメント欄を閉じることによって、誰も読むことができなくなってしまったということだ。
過去に書きこまれたものだけは誰もが読めるように、という設定はできない(このブログでは)

全く皮肉なもんだ。自分よりレベルの高い人ばかりが読者で、彼ら彼女らが、誠実で、それでいて中身のあるコメントをくれて、それについてゆけなくなってブログを閉じることになるとは・・・


2019年6月2日

無題


なんなんだろうこの不思議な感覚は。

身体的には(少なくとも自覚的には)以前このブログを熱心に読み、屡々誠実な人柄を
偲ばせる真摯なコメントを送ってくださった(鬱病を患っておられる)Sさんの訴えるような、気分の落ち込みに伴う身体の不調は皆無、といっていいくらいで、窓から流れ込む初夏の夕暮れの風が気持ちいいなあとさえ感じる。

と同時に、とにかく生きていること・・・というか、存在していること、この世界に「在る」ということが、ほとんど堪えられないまでに、面倒くさい。「わたし」という「形状」を維持していくことが、とてつもない難事業である。

過去に引用したことのある木村敏の言葉を再び・・・



ハイデガーも言うように、われわれは自分自身がこの世の中に存在するという事実の根拠を、決して自分自身の手に引き受けることができない。われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない。われわれは、自分自身の存在を負わされている。

「かりそめのこの存在の時をおくるには / 他の全ての樹々よりもやや緑濃く / 葉の縁(へり)ごとに(風のほほゑみのやうな)さざなみをたててゐる / 月桂樹であることもできようのに / なぜ、人間の存在を負ひつづけなければならぬのか ──」とリルケは歌う(『ドゥイノの悲歌』第九 手塚富雄 訳)そしてまた、「地上に存在したといふこと、これは取り消しやうのないことであるらしい」(同)と言い、「それゆえわれわれはひたむきにこの存在を成就しようとする ── 地上の存在になりきらうとする」(同)と言う。

われわれは常に、取り消しのつかない事実としてこの世に生きており、しかもこの存在の「成就」には後れをとっている。つまり自己を完全に自己のものとして引き受け、本来の自己自身の存在になりきろうとして、果たせないでいる。われわれが人間として存在するということ自体が、すでにまったく未済的性格を帯びている。

木村敏『人と人との間』ー精神病理学的日本論ー(1972年)より、第二章「日本人とメランコリー」



嘗てこの投稿をしたとき、東大出の幇間が、「今どき木村敏なんて。まあ古い本読んじゃって」と失笑していたことを忘れない。













2019年6月1日

愚昧なる者たちへ


わたしは「苦笑」「失笑」という態度が嫌いである。ムキにならず、冷静を装う心根が嫌いである。わたしはすぐムキになる。ところが相手は「どうも、まいったね、ヘンなのに絡まれちゃって」と苦笑しつつ肩をすくめ、隣の相棒と目を見交わす。相棒も同様である。

ムキになるのは下等なこと。子供っぽいことで、不快な言動、嫌いな相手であっても、(いや、だからこそ)決して真剣に、真正面から取り合わないことが「大人の態度」だと信じているようだ。ムキになるというのは真剣であるということだとわたしは思っている。嘗てネット上で論争した時に、わたしの口調を「知的な皮肉家」と評した人がいたが、わたしはもっとムキにならなければならないと思っている。相手に激情をぶつけないで、「知的」振っているのはもっとも愚劣な態度である。



今回の川崎での殺人事件に関しては、わたしは情報をほとんど持っていないので、何も語ることができないが、案の定、「犯行を犯したのは50代の引きこもりの男性」というところに反応したブログがあった。

彼は、そのブログに於いて、
「〇十年も引きこもっているなんていうのは人生に対する「罪」であり「罰」である」と、断言した男だ。

以下「彼のブログ」の最新の投稿より抜粋引用する。 投稿1投稿2


今回は主投稿ではなく、それについて交わされているコメントの内容に焦点を絞る。
わかりにくいかもしれないので、「二人」のコメントは太字にする。(強調の意味はない)



先ず「投稿1」の「耐えられない試練 1/2」のコメント欄より



>犯人の事も良くわからないから、部屋に、テレビとゲームがあったなんて事が、ニュースになる。不思議だ。どうでもいい。

不都合が起きたら、何かを悪者に仕立てる。
テレビを悪者にしたい人もいるし、
ゲームを悪者にしたい人も、
引きこもりを悪者にしたい人もいるんだろうな。 




「引きこもりを悪者にしたい人もいるんだろうな」と書いておきながら、そのすぐ下の段では、


>遺族や犯人の家族らにとって、本当の試練は時間が経ってから、じんわりくると思う。
>深い悲しみ〜グリーフとか、償わなければという思いとか。 

罪を償えないですよね、誰も。
こんなタイプの引きこもり、ってのは、
罪と同時に罰なんですよ。
僕にはそう思うほかはない。


と、いつもの持論を語っている。

「正当で妥当な理由を持つ差別」などというものは存在しないが、現在日本全国に所謂「引きこもり」などという妙な名称を付けられた「外に出られない人たち」は数百万単位(?)(正確ではないのでご了解を)で存在している。
つまり彼はいかなる資格に於いてか、その数十万人だか数百万人だかは「人生に対する罪人」であると、ためらいもなく「裁いて」いる。

何故糊塗するのか?何故もっとシンプルに、「僕は引きこもりってやつが嫌いなんだ」と言わないのか?人気のブログの評判が落ちるのを怖がっているのか?

何故「外に出られない人たち」は「罪人」であるのか?その「罪」とは如何なるものか、彼は一度でもわたしを含めた読者に向かって語ったことがあるのだろうか?
何故「僕にはそう思うほかはない。 」のか、その理由はどのようなものなのか・・・


茶坊主のコメントを一旦とばして、再び「彼」の言葉。

引きこもりで括ってしまうと、偏見だとか、差別だとか言われるけどね。 
30年も子供部屋にこもって、怨嗟を募らせてるような人に対しては、
僕は、偏った考えを持つし、扱いには差をつけるよ。
そんなの、当然だと思う。 


「30年も子供部屋にこもって」・・・彼はよく20年とか30年とかいう発言をするが、では8年ならば、13年ならば「大目に見てもらえる」のだろうか?「罪」から免れるのだろうか?
この30年という期間の基準は何だ?

更に「部屋に籠って」と盛んに言っているが、これではまるで「自分の意思で外に出ない」と言っているのと同じではないか。彼がほとんど救いがたいほど愚かしいのは、「出たくても出られない人たちがいる」という発想がスッポリ抜け落ちていることだ。

「ヒキコモリ」イコール「外に出ない人たち」ということになるのだとしたら、端から話にならない。

そしていかに彼の論理が脆弱であるかは、「僕は偏った考えを持つ」=「偏見を持つよ」と言っておきながら、これまたそのすぐ後で、「そんなの当然だと思う」と、あれあれ、いつの間にか「自分独自のバイアス(偏り)」が「そんなの当然じゃないかな」と、「一般化」されてしまっているところにもみられる。「当然」というのは「あたりまえ」という意味だ。言い換えれば「そんなの常識じゃないかな」と言っているのと同じことだ。
こう言うのを支離滅裂というのは「当然じゃないかな」


さて、一つ戻って、茶坊主のコメント。

こういうタイプの引きこもりには当然支援の言葉も届かないですよね〜。 支援の言葉が届かない人をどう処遇するか?という大きな問題を感じると同時に、こういうタイプの引きこもりの存在が許される日本って特殊だなと思いますね。
それにしても、テレビとゲーム機って、テレビさえない家の方が危険なような〜。


なんだかこの弥次喜多のやり取りを読んでいると、「犯人は引きこもりだった」という一つの事実が「ヒキコモリだから人を殺した」という風に、話があらぬ方向へ流れて行っているように見える。

「こういうタイプの引きこもり」ってなんだ?彼は犯人がどのようなタイプの引きこもりであるという認識なのだろうか。

「支援の言葉が届かない」=「困った人たち」という発想のようだが、わたしは過去に、「所謂」引きこもりや社会不安障害などで、なかなか外に出られない人たちのブログにおいて、彼、彼女らが「地域行政の支援」なるものが次々に破綻しているという記事を引いて、「こういうやり方じゃ(僕(私)たち当事者が)ついてこない(ついていけない)のはあたりまえですよ・・・」という、絶望と諦めに近い書きこみに接し、深く頷いた記憶がある。

更に聞き捨てならないのは、

「こういうタイプの引きこもりの存在が許される日本って特殊だなと思いますね。」

彼はいったい何が言いたいのか?そもそも読者には「こういうタイプの・・・」が「どういうタイプ」であるのかさっぱりわからないし、またいかなるタイプであろうと、「こういうのが許されるってことが特殊」とはどういう意味だろう?
普通はこういうことが書いてあれば、言外に「許されてはならない」という意味を読み取るはず。では「許されざる者」たちをどうしようというのか?

いくら「東大」とは言え、この人の言うことはいつもお粗末で空疎且陳腐すぎて呆れてしまう。



投稿2


自分たちとは違う信仰
―― 引きこもりが募らせている怨嗟も信仰だよ、
を持つ相手を異端として排除して、
自分たちの信仰を、
唯一の真理だと偽装するゲームだな。
邪悪な心の持ち主の、僕から言わせてもらえば。


この男、難解なこと=高等で正当なことだと勘違いしているようだが、

「引きこもりが募らせている怨嗟も信仰」とはどういう意味か?
では訊くが「信仰ではない」ものって一体なんだ?
更に重ねて聞くが「良い信仰」とか「悪い信仰」というものはあるのか?
怨嗟が信仰だなどとわかったようなことを言う前に、まず何故「怨嗟」が生じるのか、
何故「殺意」が生まれるのかに、思いを致したことが一度でもあるのか。その頭で。

何故そう言うことがコロコロと変わる?
何故良かれ悪しかれ主義主張に一貫性が見られないのか?

繰り返す、

自分たちとは違う信仰
―― 引きこもりが募らせている怨嗟も信仰だよ、
を持つ相手を異端として排除して、
自分たちの信仰を、
唯一の真理だと偽装するゲームだな。
邪悪な心の持ち主の、僕から言わせてもらえば。


再度訊く

あなたはさっき

こんなタイプの引きこもり、ってのは、
罪と同時に罰なんですよ。
僕にはそう思うほかはない。 

といってはいなかったか?これはあなたの「信仰」ではないのか?

そして

30年も子供部屋にこもって、怨嗟を募らせてるような人に対しては、
僕は、偏った考えを持つし、扱いには差をつけるよ。
そんなの、当然だと思う。 

とも言っていなかったか?


最後にあなたの言葉を引用する。

僕は、誰が何を信じていても、それはよくて。
ダブルスタンダードが気持ち悪いだけかも。



わたしの目には正にあなたの発言こそ「ダブル(トリプル?)千変万化スタンダード」の見本のように見えてならない。

もう少し考えろ。