2019年10月30日

ALL I NEED IS...


Scene from Taxi Driver

or 

Couple walking, Park Avenue, 1960, Roy DeCarava. African - American Photographer (1919 - 2009)



底彦さんへ


ふたつさん、Junkoさん、底彦さんへ」へのコメントをありがとうございました。

お返事を書こうと、今まで、約1時間半ほど、ああでもないこうでもないと、書いては消しまた書いては考えなおしして、一向に考えがまとまりません。

辛うじて言えることは、今のわたしにとって、ブログを書くということがどういうことかわからなくなっているということ。

父のケア・ハウスへの入居準備が着々と進んでいる中、いまのわたしの頭の中は、「わたしさえいなければ」「わたしさえいなければ・・・」ただそれだけで占められています。つまり現時点に関しては言い切ってもいいと思いますが、わたしの心は真っ直ぐに「死」に向かっているということ。結局死ねない(死なない)かもしれない。けれども、11月を間近に控え、今年もあと2か月。来年、2020年も「まだ」生き永らえていることを思うと、ほんとうにたまらない気持ちになるのです。

そんな中で、底彦さんの指摘があったように、ブログを書くということは、なにがしか生産的な営為です。つまりそれは現在のわたしのこころとからだの状態に抗い逆らって書くことになるのです。

一途に死を希む者が、なにかを産み出そうとする・・・
その意味が、わたしには見いだせないのです。



ー追伸ー

あらためて今回, Takeo さんの心に土足で踏み込むような文章を書いてしまったことに打ちのめされています. 取り返しの付かない無礼をはたらいてしまった.

せんだっても、底彦さんは同じようなことを書かれていましたが、わたしにはいったい底彦さんが何を仰っているのかさっぱりわからないのです・・・

この部分での食い違いがあるのでしょう。底彦さんは、わたしのブログを褒めてくれる。わたしのブログは心の安らぎであり慰藉である、と。けれども、底彦さんは、わたしが何故ブログを書かないのか?ひょとして「書かない」のではなく、「書けない」のではないか、ということに思いを巡らせてくれたでしょうか?
このブログは不思議と心が和らぐ、是非続けてもらいたい・・・しかしその書き手の抱えている苦しみについて一言でも触れてくれたでしょうか?

昔MySpaceで、わたしが落ち込んでいて、ステータスの箇所にLeave me alone...と書きました「そっとしておいてくれ」「ほっといてくれ」と、すると、当時まだ10代だった、アメリカのアンナという女性が声をかけてきました。「ほっといてくれ」と書いているのに、声をかけてくれたんだね。」というとアンナは「だって友達じゃないか、ほっとけないよ・・・」わたしは[Leve me alone]と下げられている札をあえて無視してドアをノックしてくれたアンナの心遣いがうれしかった。

・・・ことほど左様に人間関係は難しいということです。

わたしに底彦さんを批判する資格はありません。

久しぶりにカーペンターズのCDを聴きました。

原題はI Need To Be In Love. その中の一節が好きです。


I know I ask perfection of a quite imperfect world...














2019年10月22日

ふたたび還らず


先週見学に行ったケア・ハウスがマァマァの場所であったらしく、父も渋々、厭々、仕方なくという感じではなさそうだったということで、一応父の行く先の目処は立った。
問題は、父が出た日からわたしの居場所がなくなるということ。
何度も書いているように、弟は一人暮らしができないにもかかわらず、わたしと一つ屋根の下に暮らしていると、わたしが何をするかわからないということで、(わたしの)主治医の同意もあり現在別のところに住んで、毎日ここまで自転車で10キロの道のりを通ってきている。しかし、朝9時から午後2時までを過ぎれば、また明日の朝まで弟は一人ぼっちいなる。だから家に電話を掛けてくる。つまりもう彼の現在の生活も限界に来ている。また父も、今回それほど悪くない居場所を見つけることが出来た。今を逃して、もっと状態が悪くなった時に、都合よく、いろんな点で同じくらいのレベルの場所が見つかる可能性は低いだろう。

すべての問題は、わたしが、父と住めない、弟と住めないという一点にある。
だからわたしは出ていくべきだし、そうすれば、それがこの世から去るジャンピングボードになるかもしれない。

現在の状況では、1年も持たずに何かが起こるだろう、そして父と入れ替わりに弟が戻ってくれば更にその確率は高くなる。

わたしは出なければならない。けれども、母は、弟は、わたしを追い出すような形になってまで(=彼が戻るーわたしが出てゆく)戻っては来ないだろうと。たとえ自分の症状が悪化しても。

要は何の前触れもなくわたしが消えればいいのだ。
何もほのめかすことなく、ちょっと駅前の美容室に髪を切りに行ってくるよ、とかなんとか言ったきり2度と戻らなければ、父はケア・ハウスに行き、弟はいなくなってしまった者のことで、いつまでもくよくよもしていられないだろうから(?)ここに戻ってくる。

もうそれしか考えることはできない。

わたしはいったいいつまで母を肉体的に、精神的に苦しめれば気が済むのか?

せめて「わたし」という「化け物」亡き後、1年でも、母に自由な時間を持って欲しい。
もうそれしか望むことはない。



2019年10月20日

何も知らない・・・


明日(日曜日)両親と、地域包括支援センターの「若い」職員と弟の4人で、埼玉県まで、父のケア・ハウスの見学に行く。詳しいことは知らないが、そこに行くことが決まれば、前にも書いたように、現在わが家の全収入である父の年金をすべてそちらのために使うことになる。今後金はびた一文入ってこない。「金の切れ目が(この世との)縁の切れ目」だと母は言う。それはいい。けれども、カツカツに暮らしていけば1年くらいは持つのかもしれない。持たなければそれもいい。
問題は、父と入れ替わりに、弟がこちらに戻ってくることだ。
弟は今立川に別に住んでいる。それは同じ屋根の下に住んでいると、わたしが何をするかわからないからだ。別居はわたしの主治医の意見でもある。
つまり父の行く先が決まった瞬間からわたしの居場所はなくなるということだ。
それもいいだろう。
死ねない死ねないと言っていても、外堀からじわじわと埋めてゆけばよい。

ところで、自分が手に掛けるかもしれない父や弟が今、突然の事故や病気で死んだら、
きっとわたしは悲しいだろう。その悲しさは、結局自分の狭量さ、あくまでも寛容になれなかったことへの後悔と、彼らのことを何ひとつ知らずに別れを迎えることになってしまったことに対してだ。

「理解することは許すことだ」というパスカルの言葉が好きだ。

わたしは父とも、弟とも、文字通り、子供の時から一言も言葉を交わさずに嫌ってきた。
けれども、母と父がそうであるように、生きている内に、わたしが弟の、また父の内面を知ることはないだろう。

明日、もし父のことが決まれば、わたしはいつ、どこへ旅立つのだろう。




2019年10月19日

「障害」「性」そして「生」 ー 気狂いだってセックスしたい


目がよく見えないせいで、資料を参照・引用する文章を書くことが徐々に難しくなっている。

昨日の保健士二人との2時間近くに及ぶ話し合いで、そろそろ本気で、「仕舞い時」を考えなければならないと感じた。
そもそも「デジタル・ネイチャー」と呼ばれるひとたちに、極度の「デジタル・ヘイター」の生き難さが理解できるはずがない。けれどもそれは、わたしよりも20歳±年の離れた彼/彼女らの責任ではない。

最近は気分の振幅が大きく感じられる。けれども、膨らんだふうせんも、ちょっとしたことで破裂してしまう。風船がある程度の大きさのままに保たれるということは考えにくい。



資料を使った記事を書くのが困難であると言ったのは、例えば先週の『東京新聞』に掲載された「春画」に関する記事を抜粋し、引用することの困難さとして現れている。

記事の分量としては文庫本サイズの見開き2ページ分くらいだろうか?

簡単に頭の中でまとめると、2015年に20万人を動員した日本初の本格的な「春画展」は、そもそも大英博物館から巡回してきたものだが、その実現までに3年以上を要した。2013年に成功を収めた大英博物館の「春画展」の日本開催は、公立、私立を含め20以上の美術館に断られた。その3年間の経緯を追ったドキュメンタリー映画『春画と日本人』が、現在「18歳以下入場禁止」という制約付きで、東京の「ポレポレ東中野」で上映されている。

「春画展」を断った美術館の言い分は「美術館のイメージが悪くなる」「逮捕者が出るかもしれない」(おそらく主催者側に、という意味だろう)「クレームが来たらどうする」というようなものだった。

「ポレポレ東中野」HP

この映画、観に行きたいが、残念ながら無理だろう。新聞によると「DVD化の予定もない」とのこと。
先程、主治医に電話をして、「また母に薬を取りに行ってもらいます。昨日の保健士との面談のこと、デイケアのこと、人の悩みを「娯楽」にする「招かれざる客」たち・・・お話したいことはいろいろあるんですが、とてもそちらまで(電車に乗って)伺えません。」と言い訳をして予約を取ったところだ。無論主治医はわたしを気遣ってくれている。「電車に乗れないので・・・」というと「そうですか・・・」と声を落としていた。



最近しばしば考えるのは、障害者と性=SEXのことだ。

無論一般論としてではない。わたし自身の問題として切実に考えている。

先日都立中央図書館に資料調査のメールを送った。

質問内容

「障害者と性」というテーマでの本を探しています。もっと厳密に言うと、「精神障害」と「性」との関係です。広く言えば、鬱病など、何事にも無気力無関心そして「欲望」「意欲」というものが極度に低下・減退している状態に対して、「性」乃至、「恋愛的なもの」が何らかの自然治癒力を高める役割を果たすということがあるのか?といったことです。
これは精神障害に限らず、特養にいるお年寄りなどにも言えることかと思います。
昔の新聞記事で、老人ホームで「ポルノ映画会」を催したところ、上映後の皆の顔が生き生きとしてきたというレポートが掲載されていました。
また広く、人間の生にとって「性」の果たしうる効用とは、ということにも関心があります。
以上のような観点からジャンルを問わず、「精神状態」と「性」についての資料の調査をよろしくお願いします。


インターネットで、「障害者とセックス」などのキーワードで検索したところ、ほとんどすべての「障害者」=「肢体不自由」「脳性麻痺」つまり「身体障害者」及び「重度の知的障害」のことで、「精神障害者の性(セックス)」について言及したものを見つけることができなかった。(無論これは「デジタル・ヘイター」たるわたしの検索能力の不足に依るものでもあるだろうが)

その中で、ふたつの映画についての記事を見つけた。

ひとつは、『パーフェクトレボリューション』という映画についてのクローズアップ現代の記事。

障害者と恋とセックスと」〔2017年9月25日放映〕

主演を演じたリリー・フランキーの言葉

「手が触れ合うだけで生きていきたいって思える」この言葉に100%共鳴する。



次は『セッションズ』ーこの作品は実話に基づいて作られている。



これは図書館には在庫はなさそうだ、何故なら「R+18」指定になっている「成人用映画」を図書館が購入するとは思えない。

日本の伝統文化「春画」でさえ「わいせつ」と見做す美術関係者が少なくないのだから。



上記の「パーフェクトレボリューション」そしてこの「セッションズ」も、
意地の悪い見方をすれば、「いいお話」「ラッキー・ストーリー」と言えるだろう。

けれども、諸外国のように、努力はしたが運が無かった、というのと、端から、「障害者の性」というだけで、分厚い偏見・差別の立ちはだかる国とでは「アンラッキー」の質からして違う。

また両者とも、主人公は障害者であっても、狂人ではないし、変人でも変態でもない。



さて、単刀直入に、「キミはセックスがしたいのか?」と訊かれれば、わたしの答えは、「イエス」でありまた「ノー」(I dont know)だろう。

わたしはセックスの経験はあっても、それで身体的・情緒的満足を得た経験が一度もない。SEXでエクスタシーを感じたことがない。無論精神的充足感 ー(心と心のつながりを感じたことも・・・)

「あなたは今「性欲」に翻弄されているのか?」と訊かれれば、「ノー」(Maybe...)と答えるだろう。

わたしはでは一体何を望んでいるのか?何を求めているのか?

「全き抱擁」とは何を意味するのか?

簡単なことだ、人として、男性として、同じ人間から「身も心も愛され得る存在であるという歓び」だ。

しかし残念なことに、わたしは身も、心も、「化け物」であることを知っている。

わたしが裸になれば、10人中9人の女性が目を覆うだろう。20人いれば19人が。30人なら29人が。「何故皆がと言わないのか?」と言われれば、「全ての人間が全く同じ」だとは考えたくない、「例外」がいたっていいじゃないか、というそれだけの理由だ。
自分の身体にわたしは強烈な劣等感と羞恥心を抱いている。

そんな激しい劣等感と恥の意識、そして相手を不快にさせているのではないかという不安を抱えたまま抱き合ってもセックスのよろこびや一体感など味わえるはずはない。



『セッションズ』のページには以下の文章がある。


「セックス・サロゲート」(日本語で訳すと「性治療師」)という職業は、日本ではまだあまり馴染みがなく、映画を観て知った方も多いのではないでしょうか。

「セックス・サロゲート」の具体的な仕事内容は「セッションズ」と同じで、性生活に不安や悩みがある人を対象にセラピーやレッスンを行い、必要であればその過程で相手とのセックスも行います。

この手法に対して、一部からは批判の声も挙がっていますが、現在アメリカやオーストラリアなどでは職業として認知されつつあります。

障害者の性的介助に関してはヨーロッパではごく一般的に行われるようになっていますが、日本はこういった面ではまだまだ後進国と言えます。
(下線・太字Takeo)


ー追記ー

『春画と日本人』は是非観たかった映画だが、『パーフェクト・レボリューション』『セッションズ』は特に観たいとは思わない。しかし「セックス・サロゲート」という仕事(?)制度(?)にはとても興味がある。









2019年10月18日

ふたつさん、Junkoさん、そして底彦さん、瀬里香さんⅡ


今日はデイケアで、「カラオケ」をやってきました。デイケアでディスカッション以外のリクリエーションに参加するのは初めてです。
午後から、曇り空の中外に出ると、玄関を開けたとたんに金木犀の香りがしました。
しかし、やはり心は浮き立つことはない。昨年金木犀の香りに触れた頃は、確か半袖のTシャツをきていました。ここのところ降りやまぬ雨。それでもまだ金木犀の香りには魅力があります。それは懐かしさではありません。プルーストの「マドレーヌと紅茶」のような過去の追想への起点ではなく、花の香りそのものの美しさです。しかしそれはさびしいものでもあります。それ自体がうつくしくとも、その美しさが、記憶や郷愁と結びついていない。その香りは最早「あの頃」とのつながりを失ってしまっている。丁度美術館で、絵画や工芸品を見るのと同じで、「今・その時だけの美」でしかないのです。極端な言い方をすれば、鼻腔内の粘膜的な美とすら言えるかもしれません。



「カラオケ」は10数年ぶりでしょうか。見学半分、参加してもいいかなという気持ち半分でした。カラオケボックスのような、狭く、暗い部屋で、七色の照明が部屋を照らすという感じではなく、いつものプログラムで使う部屋で、小ぶりな装置で行いました。
歌おうかなと思っても、歌いたい曲がほとんどない。
参加者は、男女取り混ぜて10人前後。人の曲を聴いているのも楽しいものです。

画面に映し出される歌詞を見ていて気付いたことは、日本の歌、まだJ-POPなどという言葉が無かったころから、日本のポップソングって、説教臭いなということでした。
そういう意味では、年を取るにつれ、「希望」とか「明日(あした)」「夢をあきらめないで」「涙の数だけ強くなれるよ」などという歌詞よりも、男と女の情念や憂愁を歌った「演歌」(怨歌)に傾斜してゆく気持ちも分かります。
いつもディスカッションで一緒になる男性が歌ったミスター・チルドレンの「イノセント・ワールド」など、30代の頃に、高校時代の友人3人でよくカラオケに行っていた時には、歌詞などろくにみていませんでしたが、とても今はついていけないと感じました。

とにかくそこに用意されている歌が少ないので、甲斐バンドの「安奈」を歌いました。
歌を歌ったのは本当に10数年ぶり。声は出るのですが、どうしても音程が外れてしまう。改めて、身体(からだ)も楽器なんだと感じました。長年使っていないと、頭で、この音、と思っていても、身体がその音を正確に出してくれない。高校時代、休み時間に友人のギターで松山千春の歌を歌い、クラスの喝采を浴びた遠い日の思い出・・・
当時放送部で、来る日も来る日も発声練習をやっていたので、かなり高い音まで楽に出すことが出来たのです。そしてもちろん若かった。



歌を一曲歌っただけで疲れましたが、それは、日頃、ディスカッションで、持論を述べた後のジメッとした疲れではありませんでした。
机上で持論を展開する。それに関心を持ってくれる人がいる。また特に反発も反感も感じられない。しかし、机を叩かんばかりに「Aである」「Bではない」と息巻いても、爽快感も、心地よい疲れもありません。「わたしはそれについてこう思い、このように考えている」・・・それで終わりです。存在論の本質を「精神」ではなく「身体(しんたい)」に反転せよという、ニーチェー木村敏の説に改めて思いを致しました。
つまり、「生きるの死ぬの」と悶々と考えていることよりも、そんなことを忘れているという状態が、本来の健康な状態なのではないかとも思うのです。とはいえ「人間は考える葦である」ー考えるからこそ人間なのだという定義を、そう簡単に打ち捨てられるものか?「精神」と「身体」のバランスというのは、口で言うほど簡単なものではないはずです。

死について考えていない、と気づくたびに、私はおのれの内のなにものかを虚仮にし、裏切ったような気持になる。

ー エミール・シオラン『生誕の災厄』より


今日、とあるブログにあったリンクに書かれていた文章を読んで、数年前、(もっと?)中東の紛争中のある国の少女が、「このままでは戦争だけしか知らない人生で終わってしまう!」と涙を流していた新聞記事を思い出しました。
精神医療にかかわる人間も含め、幸福も不幸も、自分の行動・思考様式次第であると信じている人が驚くほど多いということです。

「何を言っている、今現在紛争・戦争中の国の人と、現在の日本に住んでいる我々を同列に扱えるのか」と言われるかもしれません。

けれども、どこが戦場であるか、それは物理的にその人が砲声轟き、銃弾の飛び交う戦地にいるかいないかで計られるものではありません。人はそれぞれの心の内側に住んでいるのであって、外界(の実体)というものは「わたし」とはまるで無関係に存在している。だとすれば「外界」を「戦場」であるとみることを「誤り」だと何故、何を根拠に言えるのでしょうか?

「ここは戦場ではない。あなたはただ逃げているだけだ」
ではわたしは訊きたい

「わたしは何から逃げているのか?」

「わたしは何故死を賭してまで逃げなければならないのか?」

「ここがあなたにとって戦場でなければ、わたしにとっても戦場ではないという根拠は何か?」

「あなたにはわたしの内面の何が見えているのか?」


信ずるということは知ることではない。魂はただ自分が飢えていることをたしかに知っているだけだ。大事なことは、魂が飢えの叫びをあげることだ。子供は多分パンがないことを聞かされても、叫びつづける。それでも叫ぶのだ。

危険なのは、パンがあるかないかを魂が疑うことではなく、いつわって自分が飢えていないと思いこむことだ。いつわりによってしかそう思いこむことはできない。魂が飢えているという現実は信念ではなくて、確実なことだからである。

ー シモーヌ・ヴェーユ 『シモーヌ・ヴェーユ著作集4 神を待ち望む』(1967年)より

あなたは、彼/彼女の魂は飢えてはいない、「何故ならここは21世紀の日本なのだから」と断言できる根拠をお持ちでしょうか?言い換えれば、「21世紀の日本」では魂は飢えないということは何故根拠になり得るのでしょうか?


ー追記ー

わたしはあえて、リンクを貼らなかった。このブログを読んでくれる人に対して、あまりにもお粗末な駄文だからだ。実際このようにそこに書かれている空論(というよりも寧ろ駄弁)に言及しながら、わたしも自分のブログを穢している気がしてならない・・・

● 幸福になるために目を閉じてはならない











2019年10月17日

無題



若い頃は、将来こんなに不便で、物のない世の中になるとは思いもしなかった。

そして若い頃は、まさか自分がこんなに長生きするなんて考えもしなかった。






2019年10月16日

ふたつさん、Junkoさん、底彦さんへ


今回のブログの引っ越しに関して、みなさんからいつもと変わらぬ、温かいお返事を頂き、感謝しています。(タイトルの順番はメールが届いた順番です)

「目」のことに関しては早々に何とかしなければならないと思っています。

保健士のと面談も、(底彦さん、以前お話したTさん、はわたしが通っているデイケアのスタッフです、今回面接するのは、この地域の保健所の保健士と、市の障害者福祉課の保健士です)いったいわたしは彼らに何を求めているのか、また彼らはわたしに何を提供できるのか、わたしは陽の当たる方角へ進みたいのか、逆に闇の中へ消えてゆきたいのか・・・そんなことさえ分からずに面接に臨もうとしているのです。

彼らに助けを求めたのはわたしですが、いまのわたしが必要としているのは、「精神医療」ではないということです。



いずれにしても、ふたつさん、Junkoさん、底彦さんが、それぞれに自分の言葉を、皆さんの心から発せられた言葉を飾らずに伝えてくださったことに、改めてありがとうございました。

尚、ブログのタイトルについては、以前のNostalgic Light のような「落ち着いた」感じのものにしようかと悩みましたが、これもまた、今のわたしを表しているし、ちょっとユーモラスでいいかと思いました。

意外や、Junkoさんは気に入ってくれたようですが、絵を描かれるお二人には、サイ・トゥオンブリーの背景を苦々しく感じておられるのではないかと危惧しております(苦笑)

お返事の約束はできませんが、それでも構わなければ、いつでも気軽に書きこみをしていってください。

改めて、みなさんのお心遣いに、そしてわたしの取るに足らないブログを愛していただき、心より感謝します。





2019年10月15日

イリナ・イオネスコ








彼女のカラー写真はサラ・ムーンに似た匂いがする

イリナ・イオネスコは自分の娘を撮った'EVA'というシリーズの印象が強くて、
わたしは少女にエロスを感じないので、それほど興味のある写真家ではなく、
寧ろサラ・ムーンに惹かれていた。
しかし大人の女性とフェティシズムがミックスされると、目を惹かれる。

以前の親友は、もしありあまるお金があったらグルメになってただろうと言ってた。

わたしはファッションだな。

二枚目のカラー写真のタイトルは son Monde et la Mode / its World and Fashion




The War On Drugs - Thinking Of A Place


最近お気に入りのバンドです。 ザ・ウォー・オン・ドラッグス




追伸

ふたつさん、休んでいますよ。こういう写真と音楽と、そして好きな文章、
気楽にやっています。









ゴダールの『泥棒日記』


2007年の暮れにブログを書き始めて、翌年早々に、『ゴダールの「引用癖」』についての記事にリンクを貼っていたのだが、これまでどうしても見当たらなかったが、やっとそれが見つかった。

リンクだといつ消されるかわからないので、この投稿の主旨から外れる部分も含め、ここにその全文を引用しておく。

出典は
https://mube2.jp › 「あなたに映画を愛しているとは言わせない」



◇     ◇



ゴダールの『映画泥棒日記』――『恋人のいる時間』


蓮實重彦

ゴダールの『映画史』がおびただしい数の他人の映像、他人の音響、他人の言葉の交錯からなっていたように、彼自身の作品もまた、他人の映像、他人の音響、他人の言葉の介入によっていちじるしく活気をおびる。ジャン=リュック・ゴダールとは、他人の映像と音響と言葉に占拠されつくされた映画作家にほかならず、自分自身の音響や言葉はいうまでもなく、自分自身の映像さえ、ほとんどといってよいほど彼には存在していない。すべては、他人に帰属していた映像であり、音響であり、言葉なのだが、ゴダールは、作品を撮るたびごとにその帰属関係を荒々しく無視し、自分の側に一挙に引き寄せているかにみえる。彼は、もっぱら映像泥棒、音響泥棒、言葉泥棒としてみずからを確立した映画作家なのであり、その事実を、処女長編の『勝手にしやがれ』いらい、一度として隠したことがない。

盗む身振りをいささかも隠そうとはせず、あからさまな窃盗行為によって映画との折り合いをつけること。まさしく、その無謀な試みこそ、映画作家ゴダールの「独自性」を保証するものである。隠蔽の意志のまったき不在が、起訴や逮捕や有罪判決から彼を遠ざけているのだが、その犯在歴は誰にも手にとるようによくわかってしまう。その意味で、ゴダールの『映画史』は、『映画泥棒日記』と呼ばれるにふさわしい自伝的なプライヴェート・フィルムだったといえるかもしれない。

そこで、『恋人のいる時間』を、30年後に『映画泥棒日記』を撮ることになる「独自」な窃盗犯の若き日の犯罪歴を鮮やかにいろどる作品のひとつとみなしてみるとどうなるか。

まず、音響の面でいうなら、ゴダールがこの作品のために新たに作り出したメロディーなどひとつとしてなく、その窃盗癖はあまりにも明瞭だといわねばならない。何しろ、近作の『JLG/自画像』から『フォーエヴァー・モーツアルト』にまで通じるベートヴェンのメロディーで始まり、ハイドンの主題をジャズ風にアレンジした『ラ・ジャヴァ』がそれにつづくといった案配なのだから。また、映像についてみれば、アラン・レネの『夜と霧』の一部がそのままスクリーンに映しだされたり、新聞や雑誌の広告ページが大きくインサートされたりしている。言葉についていうなら、ここでの作中人物たちが口にしているのは、ルイ=フェルディナン・セリーヌの『なしくずしの死』からの抜粋であったり、ラシーヌの悲劇『ベレニス』の台詞の一部であったり、女性週刊誌の短い記事の朗読であったりする。「脚本ジャン=リュック・ゴダール」といったクレジットが、すぐにも崩れるアリバイのひとつにすぎないことは誰の目にも明らかである。

実際、ゴダールは、物語の大枠をレヴィ=ストロースから盗んでおり、そのことをいささかも隠そうとはしていない。実際、この名高い文化人類学者が未開社会における女性の機能を摘出してみせたように、自分は同時代のパリという「未開社会」の神話体系における女性の役割をきわだたせてみたかったのだとゴダールはいっている。マーシャ・メリルの演じる20世紀の「未開」の人妻が、もっぱら分解された肉体の細部としてフィルムにおさめられていることも、それと無縁ではないはずだ。

実際、心理の描写ではなくその行動形態の把握をめざそうとするゴダールは、女性の肉体を「可視」/「不可視」という二項対立にしたがって三つの要素に還元している。まず、顔、首、背中、手、太股という「可視」的な要素と、乳房、性器という「不可視」の要素が分類される。そして、その中間に、サングラスの存在と不在によって「可視」的なものともなれば「不可視」ともなる瞳という曖昧な要素が、濃密な構造的な機能を演じるものとして浮上することになる。現代という「未開社会」における恋人のいる時間とは、「可視」と「不可視」の間を揺れ動く瞳によって象徴されるあやうげな時間にほかならず、サングラスが、その神話体系においては、いくらでも乗り捨てられるタクシーのように象徴的な機能を演じているのである。つまり、現代と「未開社会」における人妻は、肌には図形として残らぬ刺青としてのサングラスによって、二人の男性に同時に所属しうる女性となるだろう。そのとき、妊娠は、ひとつの家族の豊穣化とはいっさい無縁の営みとなるしかない。

ゴダールが文化人類学から盗んだものは、「未開社会」における神話分析の手法にとどまるものではない。彼は、アフリカの黒人社会にキャメラを向けるジャン・ルーシュが得意とした映像人類学の手法を導入することで、現代の「未開社会」たるパリのアパルトマンを横切る老若男女にキャメラを向け、シネマ・ヴェリテさながらのインタヴューさえ試みている。そこでは、神話の構造分析とはおよそ異質の生々しさが露呈されることになるのだが、他人の言葉という点で注目さるべきは、「知性」という断章に本名で登場しているロジェ・レーナルトにほかならない。

レーナルトを名乗ってマーシャ・メリルのアパルトマンを訪れ、彼女の夫であるフィリップ・ルロワとともに夕食をとるこの初老の紳士は、きわめて曖昧な自己同一性におさまる存在である。夫の仕事仲間として作品に登場しているその人物を演じているのは、まぎれもなく映画作家ロジェ・レーナルトその人だからである。1934年から短編を撮っていながら、長編としては『最後の夏休み』と『真夜中のランデヴー』の二本しか残していないのだから、彼を映画作家と呼ぶのは正確さを欠いているかもしれなし。彼は、アンドレ・バザンへの影響力によって『カイエ・デュ・シネマ』誌の方向を決めたといってもよい映画理論家でもあり、小説も書けば、短編映画を製作する小さなプロダクションの社長でもあった人間なのだ。ジョン・フォードを否定してウイリアム・ワイラーを擁護せよとバザンの耳元にささやいたのもレーナルトその人であり、その誤りは『カイエ』をしたたかに傷つけはしたが、しかし彼の残した二本の作品は、それをおぎなって充分な豊かさをそなえている。

この寡作な映画作家に対するゴダールの執着がどれほどのものであるかは、『映画史』や『JLG/自画像』での彼への度重なる言及をみれば明らかだろう。実際、『右側に気をつけろ』で唐突にその名を呼んで死を悼んだオディール・ヴェルソワが、傷つきやすい無垢な少女として映画にデビューしたのが『最後の夏休み』だったのであり、おそらく幼年期の恋心を描いたもっとも美しいこの作品が、第二次大戦後のフランス映画にもたらした爽快さは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」期に出現したジャック・ロジエの『アデュー・フィリッピーヌ』に匹敵するものがあったと思う。そのレーナルトが、1962年に映画のメタ映画性を優雅に検証した『真夜中のランデヴー』を十数年ぶりに発表したのだから、ゴダールが彼に出演を依頼したのは当然の成り行きかもしれない。だが、『恋人がいる時間』には、この人物が映画作家でなければならない文脈は存在しておらず、「知性」の断章でシネマ・ヴェリテ風のインタヴューに答える彼の言葉が、純粋に彼自身の言葉なのか、ゴダールとのしめしあわせによるものかはにわかには判別しがたい。

『勝手にしやがれ』のジャン=ピエール・メルヴィルいらい、初期のゴダールの作品に多くの映画作家が登場していることは誰もが知っており、あえて指摘するまでもあるまい。『軽蔑』のフリッツ・ラング、『気狂いピエロ』のサミュエル・フラーなどは、明らかに「彼ら自身」として画面に登場しており、決して饒舌とはいえない彼らの言葉が、ゴダールによって示された文脈にそったものであろうことはほぼ見当がつく。だが、『女と男のいる舗道』のブリス・パランや『中国女』のフランシス・ジャンソンのように、映画とは無縁の知識人もまた姿を見せ、ヒロインのアンナ・カリーナやアンヌ・ヴィアゼムスキーと長い会話を交わしており、それも多くの人が知っていることだろう。だが、後者の場合、おそらく演出家としてのゴダールが介入することは不可能に近く、その台詞のほとんどが「彼ら自身」の言葉であることはほぼ間違いない。そして、『恋人のいる時間』に登場するロジェ・レーナルトは、キャメラを見据えるその表情と声の抑揚からして、ブリス・パランやフランシス・ジャンソンの場合と同様、ほとんど「彼自身」の言葉と解釈することができる。

「自分が懐疑主義者だとはいうまいが……」とことわったうえで、「妥協というものは、知性的な活動にあってもっとも美しく、もっとも勇気のいるものなのだ」だの、「この世界は完全に不条理なものではないといいつづけたい」だのと口にするこの作品のレーナルトは、映画作家というより、フランス伝統のユマニスムを体現する人物のように思える。その意味で、断章として「知性」と訳しておいた言葉を、ゴダールが「聡明さ」の意味でこの作品に挿入していると考えたい誘惑にかられるのだが、最後の言葉はそれを裏切っている。「60歳という年齢とともに、ときどき知性に休息を与えたい」といってから、「自分にそんなことが可能かどうか自信はないが、分別のある若者と気狂いじみた老人を愛さねばならないのだ」と言葉を結ぶとき、それをゴダールが自分の言葉にしたがっていることだけは確かである。

だが、ここで見落としえないのは、レーナルトの声の抑揚である。「レーナルトのすべては、彼の知的で鋭い声にあり、マイクロフォンの機械仕掛けがそれを腐食させることはいっさいないだろう。それほど、彼の声は、精神の動きに同調している」とアンドレ・バザンが賛嘆したその声こそ、ここでのゴダールが自分のものにしたかったものなのだ。『恋人のいる時間』は、その「知性」に同調した音響を巧みに盗むことで、映画泥棒としての彼の勘の良さを証明することとなったのである。実際、『映画泥棒日記』としての『映画史』が撮られてしまったいま、ロジェ・レーナルトの声と言葉は、『恋人のいる時間』の突出した細部として見るものにせまってくる。

最後に一言。ゴダールの作品は、他人の映像、他人の音響、他人の言葉によって活気をおびると冒頭に書いたが、それを、引用やパロディーの手法の重視によるポストモダン的な作風の擁護だと思うことだけは避けねばなるまい。これは、映画においては、むしろ「古典的」ともいうべき正統的な姿勢なのだ。実際、映画には、自分の映像、自分の音響、自分の言葉など存在したためしがない。あらゆる映画作家は、他人の映像、他人の音響、他人の言葉でしかないものと向かい合うことで初めてキャメラをまわすことができるのだ。『映画泥棒日記』の作者は、その真実のみをつぶやきつづけている。



執筆年:2002年
初出:ジャン=リュック・ゴダール『恋人のいる時間』プログラム

Copyright (c) HASUMI Shiguehiko & MUBE



この言葉を引用した後に、わたしは自分のブログについて、

「結局「こういうもの」は、「発信」というよりも「受信記録」と言った方が正確だと思う。」と書いている。

同じ意味で、『八本脚の蝶』についてよく耳にする、「本からの引用ばかりで自分の言葉が無い」という批判は彼女の「日記」の手法に関して的外れだと言わざるを得ない。


嘗てデヴィッド・ボウイは自分自身を「趣味のいい泥棒」と言った。

人から盗むならもうちょっとセンスを磨いてからにしてくれよ「お✖✖」さん。










2019年10月14日

2019年10月10日

ふたつさん オン・タンブラー 










10月10日木曜日、16時42分現在。

『もしも はなに なれたら』

「スキ」5、「リブログ」1


『ほんとうの わたしは』

「スキ」3、「リブログ」2




ふたつさんの絵Ⅱ (Untitled Series )





















◇   ◇


ふたつさんの絵、第二弾です。

こちらのギャラリーにふたつさん自身のレイアウトで掲載されていますので、是非ご覧ください。

個人的には、最初の二枚の絵は「うなだれている」「絶望」というイメージを喚起されました。しかし背景がイエロー系の暖色で、光が差し込むという、うなだれている当人には見えていない、気が付かない「希望」を感じます。一枚目ではまだ未成の光が、次の絵では、完全な「ひかり」になっています。

次の二枚は、壁に寄りかかりながらもなんとか立ち上がろうという姿に見えます。
三枚目よりも四枚目の方が、より確かなエネルギーを感じます。
ここまでは連続写真を見ているようです。

五枚目の作品は単純に花がきれいだったこと、水の中で花が息づいているようにみえます。

そして最後の絵は、初めの二枚と打って変わって、元気になってダンスをしているようです。しかし左右を厚い壁に挟まれています。自由に動けるのは限られた狭い空間のようです。

今回新たに設けられたギャラリー4、中にはわたしのわからないものも(当然ながら)ありましたが、ここに選んだ作品はどれも素晴らしいと思います。

額縁も自分で作りたいと言われていましたが是非試してみてください。

またこれが、底彦さんの創作意欲の刺激になればなによりです。

わたしはお返事ができないかもしれませんが、ふたつさんはどうぞご自由にコメント欄を使って、この絵について話してください。遠慮は無用です。底彦さんも、Junkoさんも、是非、自由な感想、意見を発信してください。







海を見ていた午後・・・



Looking  At To Sea, 1874, Edward Henry Fahey. (1844 - 1907)
- Watercolour with Bodycolour -





2019年10月9日

宙吊り状態


自分の心に向き合って、「生きたい」「良くなりたい」「外に出られるようになりたい」という気持ちが全く、本当にまったくないと言い切れるのか?と問われれば、「ない」と言い切ることができる。では何故今こうして生きているのかと更に訊かれれば、
「楽に死ねないから」と答えるしかない。
だからわたしは、楽に死ねないにもかかわらず、死を選んだ人に対し恥かしいと思うのだ。

母に「生きるのがこれだけ大変なのに、何でみんな生きてるんだろうね?」と尋ねたら
「死ぬのが同じくらい大変だからでしょう」



先に底彦さんが、『八本脚の蝶』の中で好きな箇所を教えてくれた。

わたしがもっとも強く印象に残っているのは、そして200%共感するのはこの部分だ。



…私が黒百合姉妹を知ったのは16歳の頃だ。
その頃私は生きているのがおそろしかった。
そして決心した。私は決して子供を産まない。
私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してしない。
私は高校生で未成年で被保護者だから今はしないけれど、大人になって自分で生計を立てるようになったら、卵管圧挫結紮手術を受けよう。
避妊だとか、ましてや掻爬といった場当たり的な手段では足りない。私が生を与える可能性を完全に消し去ろう。
私は、産む機能を持たない身体を得ようと思った。
このおそろしさは、私で終わりにする。
卵管圧挫結紮手術を受け、妊娠が不可能な身体になった後、私が考えを変えて子供をほしがることがあるかもしれない。今の気持ちは変わらないなどと思い上がりはしない。私は自分がどれほど変わりやすく、忘れやすい人間かを知っている。
だからこそだ。私は取り返しのつかない改変を自分の身体に加えようと思った。子供をほしがる未来の私を私は決して許さない。未来の私が今の私を裏切ろうとするのならば、思い知るがいい、私は決してあなたを許さない。
子供をほしがる未来の私よ、あなたは忘れたのか。
この世界がどれほどおそろしかったのかを忘れたのか。
このおそろしさをあなたの子に味わせようというのか。
あなたは悔やむだろう。今の私を恨むだろう。これほど大きな不可逆的な決定が既に下されていることに苦しむだろう。
苦しめばいい。この恐怖を味わう可能性を産み出そうとする私など苦しみ嘆けばいい。
子供を産もうとする私よ、あなたはあらかじめ罰されている。
2002年11月2日(土)


ー追記ー


母はこの二階堂の文章にひとこと、「賢明だね」

しかしわたしは母に出逢えたことを感謝している。そして母の命が尽きる時に、この世を去ろうと決めている。今その約束を悪魔と交わしてもいい・・・

「今の気持ちは変わらないなどと思い上がりはしない。私は自分がどれほど変わりやすく、忘れやすい人間かを知っている。」
と二階堂は書いているが、これだけは、絶対に変わることはない。その「何故」を口で説明できるほど軽いものではない。


























車 寅次郎


以前『男はつらいよ』に関する本を読んでいたら、寅さんは旅先から柴又の実家に電話をかける時に、必ず100円玉を何枚も用意している。そしてその本に書かれていたのは、寅次郎がたばこ屋だか雑貨屋だかの店先であわただしく小銭を入れ乍ら電話をしている後ろに、「テレホンカードあります」という看板がぶら下がっているという指摘だった。

寅さんはテレホンカードという「便利な」ものの存在をおそらくは知らなかったのだろう、けれども、それを知ったとしても、彼は相変わらず小銭を積み上げて柴又に電話をかけ続けただろう。

これは寅次郎の「美意識」とか「こだわり」などという大仰なものではなく、単に、これまでそうしてきたことだからこれからもこれでいくよ、という彼の自然体に過ぎない。

そして「おれはこのままでいいよ」が、通用しないのが今の世の中だ。
それはつまり、自分の、個々人の自然体が許されない時代と言っていい。

寅次郎の後ろを、バカどもが、「おい今度はキャッシュレスだぞ!」と駆け出してゆく。








2019年10月8日

「健康」とは手段であって「目的」ではない。


このところ物事をあまり深く考えることが出来ない。「なにもかもどうでもいい」という、濡れ雑巾のような物憂く陰鬱な感情、「億劫」「大儀」「めんどくさい」「クソくらえ」・・・手の中の雑巾を絞ってどうなるというおもい・・・それは、抑うつ(鬱)状態の亢進というよりも、むしろ厭世観の深まりだと感じている。「厭離穢土」の気持ちが高まっている。

今月18日に保健所の保健士(若い男性)と、市の障害者福祉課から地域担当の保健士(若い女性)が訪問してくれることになっている。先日わたしがどういう風の吹き回しか、保健所に電話をして、この閉塞感の中で生きていることがたまらないと訴えたからだ。過去に何度か保健所に電話をしたことはあったが、男性の保健士と話したのは初めてだ。電話からは、「力にはなれないかもしれないが、自分なりにベストを尽くしたい」という気持ちが伝わってきた。継続して相談をするには、わたしの住んでる地区担当者と話すことになる。もしその男性がたまたまその日に電話に出ただけで、この件は、地区担当者に引き継ぎますということであれば、それならば結構ですと断るつもりだった。けれども偶然その男性がわたしの地域担当の保健士であった。

しかしわざわざ保健所と市の障害者福祉課の保健士に来てもらって、一体何を伝えたいのか?



今日のデイケアのテーマは「生きづらさ」だった、午前中のプログラムにはほとんど出席できないのだが、皆がどのような「生きづらさ」に悩んでいるのかだけでも知りたいという思いが勝った。

配られたプリントのテーマは「生きづらさとリカバリー」というものだった。
万難を排して午前中のプログラムに参加したので、誰がどう思おうとも、言いたいことだけは言わせてもらうという気持ちで、「リカバリー」とは何を意味するのか?といういつもの疑問を呈した。
わたしにとって、現代の世の中に、少なくとも現代の日本に「生きるに値する」と思えるものは何もない。そのような「真空地帯」に於いて、「リカバリー」=「健康になる」「外に出られるようになる」「元気になる」「回復する」呼び方は何でもいいのだが、そのようなことに何の意味があるのかまるでわからない、「真空地帯で元気でいること」それはどういうことなのか、と。

「リカバリー」でも「元気になる」でも「良くなる」でも何でもいい。それは「元気になって」「良くなって」「外に出られるようになって」から「やりたいこと」「やってみたいこと」という目的・目標があることが前提になるのではないか?
そのようなものが無い者にとって、「良くなること」とはどのように位置づけられるのか?

数か月前から出席するようになった、頭の切れる感じの60代くらいの男性が、「それは良くなってゆく過程の中で見出してゆくものじゃないのかな?」
先日引用したリルケの言葉に添えたわたしのアネクドート、
「良くなってどうする?」
「それはよくなって初めて分かることなんだ」という珍問答を思い出した。
しかし「リカバリー」とは、そして「健康」とは、あくまでも「手段」であって、目的化できるものではないはずだ。

今日のデイケアで改めて感じたことは、他の参加者は、程度の差こそあれ、皆「リカバリー」なり「改善」なり「軽快」をもとめてプログラムに出席している。けれども、わたしは、「リカバリー」も「回復」も求めていない。わたしがデイケアに参加するのは、「先のこと」を考えてではなく、その1時間なり2時間なりをそこに居る人たちと共に過ごすこと。その束の間の交流のために行っているのだと。



「公衆電話のない世界」「裸電球のない世界」「ブラウン管テレビのない世界」「カセット/CDウォークマンのない世界」に生きたくはない。煎じ詰めればこれがすべてなのだ。
今回の消費税の増税で、わたしにとって一番大きなダメージだったのは、モノの値段が高くなること以上に、すわキャッシュレス社会の到来かと、頭の中まで「キャッシュレス」な連中が色めきだっていることだ。わたしは言うまでもなく貧乏人だが、多く払っても現金=紙幣と硬貨で死ぬまで通したい。

わたしは保健所の保健士に伝えてある。絶対に持ちたくないもの ー「スマホ」「タブレット」そして「スイカ」「パスモ」。そしてどうしても必要なものは「テレカ」だと。

「時にあらず」・・・なんども繰り返してきたが、「わたしの時」は二度とは来ないのだ。



白内障の悪化で、右目が見えない。手術をしてどうなる?という気持ちと、以前、御茶ノ水の大きな眼科病院で左目の白内障の手術をして、結果があまりよくないことも手術を躊躇させる原因になっている。見えないからと言って手術をして、左目のようにならないという保証はないのだ。それに、今更濡れ雑巾を絞ってどうするという気持ち・・・

「目」にしたところで、やはり「良くなってどうなる」という気持ちがある。

苦しいのは、困っているのは「生きづらさ」にではない。わたしは生きたくはないのだ。そして必要なのは「リカバリー」ではなく「死ぬこと」だけなのだ・・・

母は言う、目が見えないとちゃんと死ねないよ。

仕事をしていないことを恥ずかしいとは全く思わない。
ただ、このように生き永らえていることがたまらなく恥ずかしい。


ー追記ー

あるブログに本の紹介があった。タイトルは『逃げ出す勇気』。帯には「ベストセラー精神科医が伝えたい「生きること」の大事さ」 さらに「今よりも幸せになるために逃げ出しましょう」

何のことやら

"No Way Out" 「逃げ場はない。死に場所があるだけだ」



ご覧のように、最早人に読んでもらえるだけの文章を書くことができません。
もしここまで読んでいただけた人がいるのなら、ありがとうございましたと言わせてください。









2019年10月5日

秋は名のみの・・・


    早春賦


1、春は名のみの風の寒さや

谷の鶯歌は覚えど 時にあらずと声も立てず
          
時にあらずと声も立てず


2、氷解けさり 葦は角ぐむ

さては時ぞと思ふあやにく 今日も昨日も雪の空

今日も昨日も雪の空


3、春と聞かねば知らでありしを

聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこのごろか

いかにせよとのこのごろか


(母の古い手帖より)






2019年10月4日

秋ー瀬里香さんのコメントに寄せて


ネット上だけですが、かれこれ11~2年の付き合いになる瀬里香さんから久しぶりにコメントを頂きました。



本当はもっと動き回りたいしお金を稼ぎたい…にもかかわらず、思い通りに動けないときは「休むのも忍耐」だと思ってゐます。生きるでも死ぬでもなく休止中。今は彼岸花や秋桜を眺めさせてください。金木犀の香りを楽しませてください。さういうご褒美があるから生きてゐられます。



こんばんは、瀬里香さん。久し振りです。

こういう言い方はたぶんあまり適切じゃないのでしょうけれど、わたしは瀬里香さんが羨ましい。わたしは毎日毎日なにもしなくていい。でもそんな人生が楽だとか楽しいと思ったことは一度もありません。なにもしなくてもいい・・・なにもできない、なにかをしたいとも思えないのです。

東京は日曜日はまた30℃を超えるだろうという予報です。毎日エアコンをつけています。お彼岸を過ぎてからも連日30度近い暑さだからです。

去年の10月の記事を覚えています「秋、感興なし・・・」昨年の秋、やはり生暖かい空気の中で、金木犀の匂いに触れました。金木犀の匂いが漂ってくると「ああ、秋だなぁ」と息をつき、沈丁花の匂いを感じると春が来たと感じていたのが、はるか遠い昔のことのように思えます。

春は名のみの風の寒さよ 
庭のうぐいす 歌はおぼえど
時にあらじと 声もたてず
時にあらじと 声も立てず

わたしは検索することが嫌いなので間違っているかもしれません。
検索云々以前に、わたしの世代(50代)でこの歌の歌詞を憶えていないなんて恥かしいことです。題名すら知らないのです。

 今は時であろうとなかろうと、気温が30度近くとも金木犀は咲きます。
「時ニ不ズ…」などということは、もはやどこにも求めようもありません。

やがて秋が来て 子供たちの踝(くるぶし)まで青空が下りてきた

もうこのような秋を見ることはないのでしょうか・・・


大田区に居た頃、この時期には自転車で馬込から大森駅まで行く途中、あちらこちらの庭から金木犀の香りが漂ってきました。広くはありませんが、17年間住んでいたアパートの庭にも、金木犀も沈丁花も、桜も紅葉もありました。

毎度の愚痴ですが、郊外に来て、相前後して唯一の友人を失った時に、わたしの人生は実質的に終わったのだと思っています。

近くの公園に金木犀の樹があります。春には花見客がそこここの桜の木の下に見られるくらいの規模の公園です。
しかし今のわたしにとって、公園とは木を伐る場所、落ち葉を掃き清める場所、そして(木を伐る音、落ち葉を吹き寄せる音で)やかましくうるさい場所です。

「さういうご褒美があるから生きてゐられます。」

わたしにそういうご褒美が無いのは、瀬里香さんのように懸命に人生を生きていないからでしょうか?

「命懸けじゃない人生」、妙な感じですね。

「今は彼岸花や秋桜を眺めさせてください。金木犀の香りを楽しませてください。」

こう言える瀬里香さんを心から羨ましく思います。

素敵な秋が訪れますように。




2019年10月3日

二階堂奥歯の世界認識への異論…


以下、二階堂奥歯『八本脚の蝶』より、2002年1月19日の記述を全文引用する。


「(前略)それじゃ始めるよ……月」
「月の光り」
「爪」
「爪で掻く金属の皮膚」
「剣、剣の上」
「剣の上に乗る裸足の脚の先」
(中略)
「裸足の人形の土で出来た十二匹の鼠」
「青く塗られた人形の前にひざまづき歌う十二人の水兵」
「水兵の青く塗られた唇に挟まれた薄荷煙草の……」
「煙草の先の炎に眼をつけ世界を見る柔らかな少年……」
「少年の海は疲れた魚の群に頭をつけて……」
(中略)
「頭から剥がれ落ちた魚の群に身を投げる女王の……」
「女王のトランプをくすねた歪んだ頭のイギリス人の尻を蹴飛ばし……」
「走るイギリス人の脚に」
「走るイギリス人の脚にもたれた眼のない兎の」
「眼のない兎の走る脚に」
「眼のない兎の走る脚に」
 二人は同時に唱和し始めた。
「帰らないことを前提とした故郷に棲む兎の、眼のない兎の、月、剣、爪。シーラカンス、ブーゲンビリア」
(牧野修『MOUSE』ハヤカワ文庫)

常にドラッグを体内に摂取し続けている17歳以下の子供たち(マウス)が住む、廃棄された埋め立て地、「ネバーランド」。
全員が常にそれぞれの幻覚を見続け、「客観的現実」がないそこでの攻撃とは、言葉によって相手の見ている幻覚(=現実=世界)を変化させ屈服させることである。
そしてそこではまた、誰かと同じものを見るにはお互いの主観を重複させなければならない。引用したのはそのために自動筆記のように連想を重ね、意識を同調させていく儀式。あまりに美しいので丸ごと書いてしまいました。
世界は言葉でできているということを、「ひとつのリアリティ」を持って描いた優れて詩的な作品ではないでしょうか。

実際に、世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る(そして無論「世界の外」は語義矛盾だ)。何を読み、何を見、何を認識し何を考え何を感じたかがさらなる世界像を作るのだから。
この世界の読み手にして創造者にして登場人物である私には、作りたい世界像に向けて世界の中から読みとるものを取捨選択することができる。
(下線Takeo)



何を読み、何を見、何を認識し何を考え何を感じたかがさらなる世界像を作る」ことは確かだ。しかし、そのことと、「世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る」ということを混同することはできない。
わたしが自己の感受性や美意識によって取捨選択し構築した世界、それはあくまでも「わたしという一個人」の「内的世界」「内宇宙」でしかない。そして自己の内側に、自己の美意識に基づいた世界を持つことは、「世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る」どころか、逆に現にわたしの外側に、「わたしとは全く無関係に厳として存在している客観的世界」との乖離を深めることすら意味している。

何かを読み、何かを見、何かを認識し何かを考え何かを感じたかがさらなる世界像を作る」そのことによって、わたしはますます現実の世界から遠ざかってゆく。

「内なる世界」と「客観的(現実の)世界」とのギャップを埋めるのは、正にこの小説に描かれているように、薬物によって、現実から逃避するという方法以外にはないのではないだろうか?わたしは「ドラッグ」であろうと、「向精神薬」であろうと、「アルコール」であろうと否定はしない。目の前に立ちふさがる厳然たる客観的世界と折り合えない以上、そしてその巨大な壁を破砕することができない以上、「世界の見え方」を操作する以外ないではないか?極端な言い方だが、「精神科医」の処方する向精神薬もまた、「薬物に依る自己欺瞞」と言えるのではないか。
何故なら、それは「現実の虚構化」に他ならないのだから。現実を変えることができないから「現実を見る眼差しを変える」ことなのだから。

「世界は言葉で出来ている」のではない。世界は感覚=刺激の集合体だ。そして世界は先ず「身体」によって「生理的なレベルで」認識される。世界は言葉ではなく、それは「光」であり「ニオイ」であり「色彩」であり「音」なのだ。

繰り返す。

自分の美意識によって形作られた内面世界は、客観的世界と相容れない。
もし「今・そこにある世界」になんの不満も欠乏も感じていなければ、「内的世界の創造」の必要などないからだ。

何を読み、何を見、何を認識し何を考え何を感じたかがさらなる世界像を作る」
ことは、
実際に、世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る」
というテーゼに背反する。「自分の作り出した世界像が世界の認識の枠組みを変える」のなら、「わたしの外側」に確固として存在する世界を如何にして「認識の枠組み」から「除外」するのか?

意地の悪い言い方をするなら
世界を認識する枠組みは脳の中から変えていくことが出来る」だろう。

しかしわたしは、ドラッグ、アルコール etc....によって、現実の世界に存在することの苦痛から逃れることができるなら、それを「悪いこと」だとは思わない。

19世紀末、「絶えず汝自身を酔わしめてあれ!」と叫んだボードレールに同調するように・・・

「現実の世界」に忠実でなければならない理由とは何だ?















一枚の絵



Irma Palacios Flores - Tierra Fertil / Fertile land

- Oil on Canvas -
現代メキシコの画家、イルマ・パラシオス・フローレスの「肥沃な大地」





2019年10月1日

生きるに値せず…


できることなら、「目をそらして」生きたい。束の間でも「目を背けたい」。笑顔になりたい。
元上智大学学長、アルフォンス・デーケン氏は、ユーモアの本質を「にもかかわらず」の精神だと説いた。しかしわたしは、「で、あるから」苦しみ、そして「その苦しみにもかかわらず」微笑むこと、人にやさしくすることができない。

「生きていたいか?」「死にたいか?」と問われれば、死に伴う苦痛などを問題にせず、単にこの世界に対して「イエス」か「ノー」かと訊かれれば、わたしは躊躇うことなく「ノー・サンキュー」と答えるだろう。
一方で、「死にたい」という自身の想いだけではなく、わたしは「死ななければならない存在」であるという意識が、常にこの胸の裏側に潜んでいる。

「生きる権利」というものを考える時に、「誰かの代わりに」生きている資格を持つ者がいるだろうか?
わたしは障害者として、或いは全き無能者として、自分自身の力で生きてゆくことができないので、母に生かしてもらっている。けれどもわたしの生は、果たして、自分を犠牲にしてわたしを生かしてくれている母のものよりも「生きるに値する」ものなのだろうか。

「自分の力で生きることのできない者の生の権利」を想う時、それと同時に、わたしたちを生かしてくれている人たちの少なからぬ犠牲を想う。



プリーモ・レーヴィを、石原吉郎を、最後まで苦しめ、遅れてやってきた死に追いやったのは、アウシュヴィッツや、シベリアのラーゲリでの強制労働の記憶でも、死んでいった多くの同胞たちへの悲しみでもなく、「生き残ってしまったこと」ではなかったか?

「おまえはだれか別の者に取って代わって生きているという恥辱感を持っていないだろうか。特にもっと寛大で、感受性が強く、より賢明で、より有用で、おまえよりももっと生きるに値するものに取って代わっていないか。おまえはそれを否認できないだろう。」
ープリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』

「誰か別の者」ではない。わたしは「母」に取って代わって生きている。

わたしは重度の障害者の生、彼ら/彼女らの「生きる権利」を否定するものではない。
しかし、(わたし自身を含め)彼らの生の根拠とは何だろう?
「誰も殴らず」「誰のパンも奪わなかった」プリーモは何故「生き残ってしまったこと」にあれほど苦しめられたのだろう。
プリーモの苦しみはわたしの苦しみでもある。いや、わたしはほんとうに「母を殴らなかった」し「母のパンを奪わなかった」と言えるだろうか?

このような意識がある限り、わたしは快活になることはできない。
仮にわたしが快活であること、わたしが笑顔でいることが、母の望みでもあり、また母への見返りであったとしても、わたしは自分に快活であることを許すことができない。

政治的な立場としては、ホームレスは遍く救済されるべきだし、経済的に行き詰っている者たちの生命を社会保障によって守るのは、社会の当然の「義務」であり「役目」「責任」だと信じている。

話がそれるが、わたしは「生活保護」という呼称を早く改めるべきだと考えている。
「保護」ではない。社会の「責務」として「保障」するのだから。

わたしが殺せないところまで
成長した子供よ
ありがとう
わたしにとって 保護すると云うことは
逆に殺しうると云う重さだった


「季節」金沢星子詩集『花を踏む死者』(1975年)より



いずれにしても、わたしは「自力で生きられない者の生の権利」という地点で、
「我がこと」として立ち止まってしまう。

もちろんこれは「哲学的」な問題ではなく、政治の、その国の人々の人権意識の問題である。


神谷美恵子の言葉を引用する


生存競争とは生物界一般の法則で、「適者生存」の原理はなんらかのかたちで人間の生活につきまとわざるをえない。それは体力や才能とかの点で恵まれた人が栄えるというかたちだけでなく、「運」というわけのわからないかたちでも、人々の人生行路を変えてゆく。したがって努力とかよい心がけだけで人間が幸福になれるとは限らない。
とすれば、なんらかの意味で幸運に恵まれた人、生存競争に勝った人は、不幸な人、不運な人に対して、負い目を持っているのだと思う。どうしてこちらでなくあちらが不幸や不運にみまわれているのか。この疑問が常に心に生じるのが当然であろう。
自分だけ、自分の家族だけがしあわせになればよい、という考えだけでは、どう考えても片手おちだと思う。だいいち、どこに自分や自分の家族が災難にみまわれないという保証があろうか。いのちのもろさ、はかなさにおいて、私たち人間はみな結ばれているのだ。
社会福祉の根本の発想はこうした素朴な認識にあるのではなかろうか。
 (略)
「経済大国」になってみても、その国に住む人や、もっと貧しい国の人々が、病苦や老苦に悩んでいるのを放っておくようでは、いばっても何になろう。弱者の生命をたいせつにすることは、適者生存の法則を破るこであるかも知れない。しかし人間はもうこの辺で、「単なる生物」の域を脱して、精神的存在としての独創性と知恵とをはたらかすべきではなかろうか。生存競争の勝利者となった者にこそ、この責任が重く課せられていると思えてならない。
(太字・下線Takeo)



結局わたしは、上記のように、「誰でも生きる権利がある」という前提を絶対のものとしながらも、わたし自身の「生の在り方」を認めることができないでいるのだ。

わたしは「生き延びて」しまった。そして神谷美恵子の言うように、
「どうしてこちらでなくあちら(母)が不幸や不運にみまわれているのか。この疑問が常に心に生じるのが当然であろう。」

この疑問は当然プリーモの心を蝕んだ

「おまえはだれか別の者(母)に取って代わって生きているという恥辱感を持っていないだろうか。」
に一本の糸で繋がっている・・・

















オクトーバー・グリーティング


10月になりましたが、東京の30日の気温は30℃。
秋になったと思った頃にはもう「晩秋」でしょうか?

Tumblrでは、既に、ハロウィンのポストが目立ち始めました。
だいたいカボチャとホラーです。

こちらはハロウィンとはまったく関係なく、今日は気まぐれにアメリカのフォーク・アートの紹介です。

「アート」といっても、日常の中で使われたものばかりで、所謂'Fine Art'とは違います。

アートとか芸術というには、あまりにも「プリミティヴでインティメット」(小津安二郎の『お茶漬けの味』の佐分利信のセリフです(笑))つまり親しみがわく作品たちです。

他の作品にも興味のある方はこちらにいろいろ掲載されています。


Watercolor and ink on paper, ca 1810

Watercolor and ink on paper,1788

Ink, ca 1790-1810

Watercolor and ink on paper, ca 1789 

Watercolor and ink on paper, ca 1817

Watercolor and ink on paper, ca 1790


みなさん、よい10月を。

Have a Peaceful October xo