2019年7月28日

それぞれの罪 それぞれの殺人


この先わたしが(家族を含め)誰かを殺すことはないとは決して言えない。

わたしは親にならなかったことで、ひとりの人間を殺すことから免れた。

わたしは母に対し、生まれてきたという大罪を犯した。

わたしの父は、わたしと弟の父親になるという大罪を犯した。

わたしは生まれてきたことで、母を殺した。

父は親となることで、わたしと、弟を殺した。

わたしは生まれてきたことで自らを殺した。


我々には悲劇的な結末しか待っていない。








2019年7月27日

戦場のカメラマンたち


「スマホとパソコン。単に大きさが違うだけじゃない」と思っている者は案外多いのだろうか?

2008年の秋葉原での殺傷事件の際に、血まみれで倒れている友人を抱きかかえている男性の周りで、その様子を(当時はスマホなど無かったので)携帯電話のカメラで撮影している者が複数いたという。傷ついた友人を支えている若い男性は、それらの蠅共に向かって、「止めろ!撮るな!」と叫んだ。(-これは当時の新聞記事「朝日」だったか「東京新聞」だったか、による)

スマホは携帯用カメラとしても、秋葉原事件当時の携帯と比べてはるかに機能も性能も向上しているだろうし、動画も撮影できるらしい。

あの時、事件の渦中にいたのは、加害者加藤智弘と、傷ついた被害者たちだけではないことを誰もが忘れている。いや、誰もが気にも留めていない。

白い車が血で赤く染まるほどになって車から降り、その後、タガーナイフで通行人を襲った加藤智弘。
そして傷つき、絶命した人たち。

加藤も必死だった。被害に遭った人たちも、必死だった、命懸けだった。そこは血にまみれた戦場だった

その傍で、ニヤニヤか無表情にか知らないが、携帯電話をかざして、その様子を写真に収めていた者たちがいた。

誰の心が最も醜いか?誰の行いが最も凶悪か?

11年後の今、同じような事件が起こった時に、その場に居合わせた人間は、誰言うともなく皆がスマホをバッグなりポケットに収め、救助に、手当に努め、誰一人、目の前の惨劇を「撮影」する者などいないと言えるだろうか?救助に懸命になる人たちが多いことは認めよう。(だがそれは昔からそうだった)しかし、同時に、「カメラアイ」たちが、秋葉原当時よりも二倍以上に(それよりもっと?)増えているだろうという予想は、まるで見当違いの邪推だと言い切れるだろうか?

今は誰もが携帯用の監視カメラを持っている時代に思えてならない。

洋の東西を問わずいつの時代も品性卑しい「野次馬」は存在した。
しかし時代は野次馬に「カメラ」と、写したものを瞬時に世界中に拡散できるSNSというおもちゃを・・・否、「武器」と「正義」を与えた。下司野郎の代名詞であった「野次馬」は、一躍、ジャーナリストに昇進した。



・・・なにか書いていてひどく虚しい。彼ら(=スマホ愛好者)は、わたしの言い分をそれなりに認めつつも、それに遥かに勝る「スマホ」の利点を述べ立てるだろう。「犯人の特定に大いに役立つ」とかなんとか。

どうでもいいよ。所詮君等とわたしとは、永遠に相容れざる仇敵同士なのだから。









友とわたしー心の病と異形の者…


このブログに時折コメントをくれるネット上の友人が、久し振りにブログの更新をした。

ストップしていた期間の日記がまとめて投稿されたので、目を通してみる。
(尤も、定期的に更新されている時も、彼のブログはいつもまとめて読んでいるのだが)

数日前のカウンセラーとのやり取りが記録されている箇所があり、そこに、恒常的な不安感の根底に、「将来の自分がイメージできないことや, いつまで鬱に苦しめられるのかといった意識」があるのではないかという自分の気持ちを伝えたと記されていた。

この一行を読んで、わたしは「将来」とか「この先」とかいうことを昔から考えたことがないということを改めて思った。
意識的に将来のことを考えないようにしているわけではない。それは例えば「結婚」というようなことと同じで、結婚ができるーできないと言った「条件」のレベルではなく、学生時代から、「将来について」と同じように「結婚」について思いを巡らせた記憶がない。それはわたしにとっては、どこか遠い異国の文化習慣のようなもので、自分に関係のある事柄という気持ちがまるでなかった。当然「子供を持つ」という発想もない。

現在55歳、「条件が整えば」或いは「条件が整わなくても」「結婚できるならしたいですか?」と問われても答えは当然ながら「ノー」だ。女友達を持つことや恋愛はしてみたいと思うけれど、結婚は論外だ。

「あらゆる罪を犯してきた。父親になるという罪をのぞいて」
ー エミール・シオラン『生誕の災厄』

誰でもが親になる資質を備えているわけではない。
わたしは親になる資質を備えてはいない。

今でも結婚しなかったこと、親にならなかったことは正しい選択だったと確信を持って言うことができる。

さて、「将来」のことを考えたことがない代わりに、この世界から去ることは、むかしから、それこそ人が「将来」のことに思いを馳せるのと同じくらい考えてきた。
自分がこの世界の一員であるとは思えず、このおよそ下らない世界から退場することばかり考えるような人間がどうして「将来」のことなど気に掛けるだろう。



今日、一ヵ月ぶりに主治医の元を訪れた。いつもより長く(約30分ほど)話をした。
駅にも、電車内にも、相も変わらずスマホバカがい、街を歩けばアイドリングバカがいる。それでも外に出ることはさほど苦にはならなかった。
このままバカどもを無視できるようになればいいとは思うが、仮にスマホバカを無視できるようになろうと、わたしは「この先」のことは考えない。この世界はわたしの居場所ではないという想い・・・否、事実はいささかも変わることはない。

わたしなど比べ物にならないほどの苦痛を背負いながら、尚その苦しみの中から「将来」に目を向ける「彼」は、やはり「芯」の部分で「真っ当な人間」なのだろう。

最近わたしのキャッチコピーとなった「孤立と独特の認識の化け物」という言い方について、主治医は盛んに気を遣ってくれて、「「孤独」、「孤立」、そして「独特の認識」というのは確かに合ってますけど、「バケモノ」じゃないですよ」と言ってくれた。
けれども、わたしは「化け物」でなければならないし、「化け物」でありたいのだ。
「テスト氏」を評して「孤立と独特の認識の人」と牧師が言っていたならば、わたしはきっとこの言葉に目を止めることはなかっただろう。

わたしはこの「化け物」という言葉を肯定的・・・というよりも、もっと特権的な意味を込めて用いている。
そこには到底凡百の人間に理解できるはずがないという自負があり矜持が秘められている。
彼らは所詮隣の人が理解できることしか理解できないのだから。

ー そう、わたしは 'Boy Next Door'ではない。










2019年7月25日

存在論的視点を欠いた「脱・引きこもり」論


「脱・ひきこもり」という言葉を時折目にする。その度に首をかしげてしまうのは、
いったいその「引きこもり」とやらから「脱した」人たちは何処へ行くのか?ということだ。

嘗てITの世界を「ドッグ・イヤー」と称していた時期があった。
人間の1年は犬にとっての7年に相当する。そのような速さで、IT産業は進歩し続けていると。

今や「ドッグ・イヤー」どころではない。1年間外に出ないと、こんな郊外の駅前の様子さえまるで変っている。

つまり「脱・引きこもり」とは「浦島太郎現象」に他ならず、「脱した」ところで、元いた場所はもう何処にもないという世界にわたしたちは生きている。

「脱」は、「帰還」も「生還」も意味しない。脱した者は、未知の世界で、一から生き直すことが可能なのか?そのことが「脱・ひきこもり」論とやらではあまりにも等閑視・・・否、無視されてはいないか?

或いは当事者自体が、外界の様子など問題にしていないのか?



わたしはもう二度と美術館に行くことはないだろう。スマホバカたちが作品を激写しているだろうから。

わたしはもう二度とコンサートに行くことはないだろう。スマホバカたちが一斉にステージに「それ」をかざしているだろうから。

渋谷駅前の再開発で「東急東横店」が消えるという。その後に例によって超高層マンションが建つとか。

先日初めて「無人レジ」とやらを使った。何故そうまでして人と人との接触の機会を、可能な限り減らしたいのか?

今わたしは外に出ると、家にも、行く先にも連絡の取れない世界に住んでいる。
公衆電話が見つからないからだ。

「わたしの世界」は目に見えて狭まっている。

「文句を言うなよ。自分でそう仕向けているんだから」という奴がいるとしたらよほどの馬鹿だ。彼らは「長い物には巻かれろ」という貧弱で姑息な人生観しか持ち合わせていない。彼らは愛すべきバートルビーの対極にいる者たちだ。



自分が浦島太郎であるという煩悶も絶望も、また諦念もなく、そこがどんな場所であろうと、とにかく外に出ることだけが「彼ら」の唯一無二の「ゴール」あるとしたら、最早何もいうことはない。


ー追記ー

都立中央図書館に期限を超えてまで調査してもらったが、その限りにおいて、
「審美的理由による外出困難」について言及している資料は遂に見つけることができなかったということだった。


“I would prefer not to” 











2019年7月23日

5セント硬貨と釘


Oh i once had love
And plenty of money
But someway, somehow
You know i failed, yes i did
Now all, all i have
In my pocket, it's a shame
All i can give account of
Right now is a nickel and a nail

愛とか、山ほどの金も持ってたこともあった。
ところがどういうわけか、今はご覧の通り。この様(ざま)さ。
俺が今このポケットの中に持っているのは、
文字通り、ニッケル(5セント硬貨)と釘だけさ・・・


昔の写真家たちは、パリでも、ニューヨークでも、こういう尾羽打ち枯らした、落ちぶれた男たちの写真を数多く撮っていた。街には当たり前のようにデラシネたちがいた。

そんな、いわば負け犬たちをカッコよく(?)歌ったのが、
(敢えて「負け犬たちのカッコよさ」と言おうか・・・)
昔のブルースであり、ソウル・ミュージックだった。



O.V. Wright - A Nickel And A Nail



以前「ストリーツ・オブ・ロンドン ー Streets of London」という投稿で、
ロンドンの無宿者たちを歌った同名の曲の特集をやった。
O.V.ライトが歌うと、どうしても「カッコよさ」が際立ってくるんだけど、
あの歌を聴いていると、ああ、ホームレスって、ギスギスした人の心を優しくするために街にいるんじゃないかって思えてくる。









自分の目を自分の目で見ることはできない…


「私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する…」

— 太宰治 「桜桃」より


上の文章では「自信」と「自己肯定」とは、ほぼ同じ意味で使われているようだ。
「確信の強さ」すなわち「自信」である。

いずれにしてもわたしは「自信」も「自己肯定」も持ってはいない。

確かに自分の好き嫌いは明確に持っている。例えば「スマホ」のように、自分が嫌いだと思えば、世界中の人が「それ」を持っていようと、また持たないことの不便さをも乗り越えて、決して持とうとは思わない。

リクルートルックにこの身を包まなければならないのなら、そうしなくてもいい会社・仕事を選ぶと前に書いた。就職とリクルートルックが切り離せないものであるなら、その時は「良心的兵役拒否」である。人の生き方、ライフスタイルとは、その人の選択した細部の総和ではないだろうか?逆に言えば、限定された選択肢しか提示提供しえない社会は本質的に貧しい社会ではないだろうか。社会の豊かさの規準は、それがもつ(有形無形の)選択肢の多様さに他ならない。


なんだかこんな風に書くと、良かれ悪しかれ(ほとんど悪い意味に取られるが)「自分」というものを持っているじゃないかと思われるかもしれない。
確かにそれは否定しない。おそらく多分に反・社会的な意味で、わたしは強固な自己のスタイルを、テイストを、ポリシーを持っている。

しかし繰り返すがわたしは「自信」も「自己肯定」も持っていない。
どころか、稀に見る劣等感の塊といっていい。


『オズの魔法使い』の「もしも頭脳が(こころが、勇気が)あったなら」という歌
"If I only had a (brain/heart/nerve)" がわたしのテーマ・ソングだと、これも何度か書いてきた。
それだけわたしはいつも、頭の中も胸の内もからっぽだという意識・感覚=劣等感に苛まれている。

いつも思うのは、藁でできた案山子が欲しがった「頭脳」(脳みそ)を、
ブリキ男が求めていた「心」(ハート)を、
臆病ライオンが求めていた「勇気」を持った人間とは、具体的にはどのような人物なのか?

街行く人が藁の案山子でも、ブリキ男でも臆病ライオンでもないのなら、3人は「彼らのようになりたい」と願ったのだろうか?わたしが日々目にしている虚ろな目をした、どう見ても彼ら3人が望むものを持っているとは思えない者たちのように?


自分で考える頭脳を持ち、悲しんだり喜んだり怒ったり、また笑ったり涙を流したりする「感情」-「ハート」をもち、困っている人に手を差し伸べる「勇気」を持つ生き物とされる「人間」・・・

ではわたしは彼らがそうなりたいと思った人間だろうか。
わたしは彼らの仲間(同類)だ。自分が「頭脳」や「ハート」や「勇気」を持っているという実感がない。人一倍考えることが好きで、人の何倍も怒ったり悲しんだり感情表出するけれども、自分が「頭脳」とか「ハート」と呼ばれているものを持っているという「感覚」が、無い・・・

最近繰り返されるテーマだが、世の人は、いつ、どこで、どのようにして「人間」になったのか?オズの国の三人組が、またフランケンシュタイン博士によって創り出された怪物が、そうなりたいと願った「人間」に。また自分が他ならぬ「人間」という生き物であるという自覚 ──「自信」「自己肯定」を、どのようにして手に入れたのか?。


いったいどうすれば、この頭の中には考える脳があり、この胸にはちゃんと感情を持ったハートがあると、そして「我もまた愛され得る存在である」という「実感」を手にすることができるのか?


<もしも鏡がなかったら、人は自分が「眼」を持っているということをどのように知るのだろうか?> 









2019年7月20日

混沌の中よりⅡ(Junkoさんのコメントを元に)


先の「混沌の中より」という投稿に、無事イタリアに帰国したJunkoさんからコメントを頂いた。例によって、また彼女のコメントを元に考えていきたい。
(Junkoさん、事前の承諾なしに勝手にコメントを引用することを深くお詫びします。ご理解いただければ幸いです・・・)


以下全文引用





Ciao Takeoさん
一昨日の晩、こちらに戻ってきました。
ヘロヘロ ヘトヘトです。
昨日は一日中何もせず、ただ身体がエネルギーを取り戻すのを粛々と行っているに任せました。
東京では、身体倦怠感が酷くてこのまま死ぬのではないかと思いました。
病気に違いないと思いました。
ところが
乗り換えのミュンヘンの空港に着いた時、それまで肩にべっとりと背負わされていたような妙な倦怠感がスーッと消えるのを感じました。
東京は疲れます
自分の年齢による体力の衰えや毎日やる事がある、そう言う事以外に何か目に見えない空気の重さがあって、それが私の呼吸を皮膚呼吸まで妨げる感じで、私はいつも足や頭の重さを感じ、身体を動かすのに通常の何倍ものエネルギーを使わされている気がしていました。多分酸素が足りないのです。

銀座に用事があって行きました。
観光客の多さに吐き気を催し、彼らのウロウロ歩きで生じる混乱に頭が痛くなりました。
今でこうならオリンピック開催時はどうなるのだろうと、、。
朝の浅草線新橋駅ではホームに入るのに長蛇の行列で、思わず閉所恐怖症の発作が起きそうになりました。そうでなくても、ここでだれか心無い人が大きな声でも上げて人々が無用なパニックに陥ったらとても危険だろうと思いました。
東京は人の住むところではないと思いました。
そして、
イタリアに帰る日の前日、ついに私の堪忍袋の尾が切れ、吉祥寺の駅で自らが混雑を増長させているのに気づかない、ぼんやりとした、顔のない顔で歩きスマホをしている男性に「あの、歩きスマホやめませんか?!」と言いました。
その人はびっくりした感じで顔を上げ、私はそのまま彼の横を通り過ぎました。
家に帰って弟家族に話したら、そんなことしたら危ないよと言われました。
私は私に苦情を言われたから私を刺したり、暴力を振るったりするのなら、すればいいと言いました。
そうしてこのおぞましいアホな人々の慣習が問題にされたら、願ってもない事です。
(この国は事件が起きないと何も気づきません。まあ、事件が起こってもまた次のもっとおぞましい事件が起こりますから、人々はほんの3〜4日で忘れるでしょうが、、。)
私が日本にいたら、東京のあちらこちらに出没して歩きスマホやめろと誰彼構わず、説教かます「変なおばさん」になっていた事でしょう。苦笑

この街ではもはや心の平安など望むべくもなく、この街で精神を病むのはごく当たり前のことではないかと思いました。「普通」の精神の持ち主であれば、この耐え難い混沌さ、混乱、騒音が織りなす無残で醜い光景に耐えられないであろうと思います。
毎日毎日疲弊していく私を見て、弟がこう言いました。
ジュンちゃん、ここでは君のように気持ちや注意を広く拡げていては行きていけない、だから皆小さく小さく固まっているのだと。

私は、絶えず目にする人間たちの傲慢で残酷な行為に、まさに「人間である事の恥」を感じていますが、日本にいるとさらにその恥を感じない訳には行きません。
テレビを見ても、意味のない、まさに大人を子供扱いしてるようなCMや番組があまりに多くて目を見張ります。これでだれもバカにするなと怒らないのか?と
こんなに低俗でいいのだろうか?と不思議に思うのです。

日本に3週間いて、私はTakeoさんが日々抱いている嫌悪感をさらに理解した気がします。
東京はこの1年でまた変わりました。つまりさらに酷くなりました。
それに気づかず、のうのうとスマホを眺めてそれを世界と信じて生きている、この全く生きていない国民に、私もまた日本人である事の恥を改めて感じています。
どうしたらここまで無知で無神経で無関心、低俗かつ凡庸でいられるのだろうか?と





こんばんは、Junkoさん。日本滞在お疲れ様でした。

Junkoさんは3週間の滞在で、この国、特に東京のような巨大都市で生きることはできないと実感されたのでしょう。けれども、わたしはさしあたって、海外への移住とか亡命というものが非現実的である以上、また海外とは言わずとも、自然の豊かな田舎で自給自足の生活をしてゆくということも様々な点から難しい。とすれば、わたしが生きるために与えられている場所は「今・ここ」しかないのです。

そしてわたしはいつまで経ってもこの街に慣れません。慣れている暇がないのです。
Junkoさんのように、地理的に離れている場所(ヨーロッパ)にいるとか、またわたしのように、物理的身体的に東京に属しているだけで、この街と距離を持つ者には、この街が慣れることを許さない街であることが実感としてわかるのでしょう。
やっと慣れたかと思っていると、また別の、新たな光景が立ち上がってきます。
それの繰り返しです。確かに東京に無秩序に乱立する超高層マンションとやらは、さすがに10年20年でなくなることはないでしょう。けれども、わたしはそもそも、その醜悪に林立する巨大ビル群そのものに100年かけても慣れることはできません。

わたしはアジア人であろうと、欧米人であろうと、銀座(現在の銀座です)あたりで、オー、ジャパンワンダフル!などと何の屈託もなく歓声を上げている観光人たちを心底軽蔑します。

ラフカディオ・ハーンが、晩年、日本に深く失望していたということを何かの本で、(そう書かれた一行だけを)読んだのですが、(おそらく松山巌の書評集『本を読む。』の中だと思います)
何故ハーンが、晩年この国に深く失望したのかはわかりませんが、日本の自然と、自然と共に生きるこの東洋の島国の人と文化を深く愛した彼の晩年が、日本が「文明開化」「脱亜入欧」などと、欧米化=文明化していく時期に重なっていたのではないか。だとすれば、タヒチからパリに戻ったゴーギャンが、「文明に毒された」パリに幻滅し、失望し、再びタヒチに帰り、二度とヨーロッパには戻らなかった気持ちと(時期と)通じているのかもしれません。

わたしはこれを、自分の乏しい記憶と知識とだけで書いています。普通は、こういう時に「ウィキペディア」とかいう「便利な」サイトを参照するのでしょうが、わたしはそれを嫌います。
もし本当に、ハーンの晩年の日本がどのような時期・時代であったのか、ハーンとゴーギャンの生きた時代がどの程度重なっているのかを正確に書こうと思うなら、図書館を利用します。
しかしそれは実際面倒なことでもあります。もっとも、面倒でなく知識を手に入れるということ自体が矛盾であって、手間暇かけずに何かが手に入るなどということがそもそもあり得ないことなのです。

わたしがハーンやゴーギャンのことを想う時、(先日ビデオで『ヴァージン・スーサイズ』のシーンを紹介した時にも書きましたが、)
「2019年現在の東京のわたし」が恋い焦がれて已まない1970年代、或いは20世紀初頭のパリ、まだまだ自然に満ち溢れていた日本に、幻滅し、失望(或いは絶望)した人たちがいるということの不思議さ・・・というのか・・・うまく表現できませんが・・・

何故ラフカディオ・ハーンは、何故ポール・ゴーギャンは、そしてフィクションとはいえ、1970年代に青春を送った彼女たちは、何故、わたしからすれば夢のような世界・・・「美」以外の何ものも存在しない世界で、「絶望することが出来た」のだろうか?(それは、「人は天国にいて絶望することができるか?」という問いと同じです)と考えずにはいられません。

「美こそわたしの信仰である」と、未だ言いうるなら、上記の人たちが生き、そして失望し幻滅し、絶望した時代こそ、わたしという美の信者の聖地ではなかったか、と思わずにはいられません。

この「美」以外なんでも手に入る時代に生きて。



「この街ではもはや心の平安など望むべくもなく、この街で精神を病むのはごく当たり前のことではないかと思いました。「普通」の精神の持ち主であれば、この耐え難い混沌さ、混乱、騒音が織りなす無残で醜い光景に耐えられないであろうと思います。」

それでもこの街で心を病んだ人たちのおそらくほとんどは、日々「スマホ」を眺めています。テレビなど視ないというひとも、決して多くはないでしょう。
そして樹が伐られることに、街の姿が変わってゆくことに、「何とか荘」が押し潰され、「メゾン・ドなんとか」に変わることに「そのような人たち」のどれ程が、自分の身を引き裂かれるような苦痛を感じているでしょうか。

気恥ずかしいほど陳腐な言い草ですが、歩きスマホなど論外で、そもそも人間ではないと言って差し支えないと思っていますが、電車内で、ホームで、「それ」に釘付けになっている人は、「精神を病んでいない」と言えるのでしょうか?

今この時代、この国で、この街で「生きる」或いは「生きられる」または「生きようと思う」ということは果たしてどのような意味を持つのか。

朝の地下鉄の行列の中で、何故誰一人叫び出す者がいないのか?わたしには不思議です。
そのような状況で正気でいられるということが、「人間である」ことらしい。では彼らはこの世界で「人間として」生きる術をいつ、どこで習ったのか?

先日の「ペシミストの公式」に瀬里香さんから頂いたコメント、「それでもわたしはすこしでもハッピーに生きたいから」という言葉にこころから、本当に心から共感します。しかし同時に、このくにで、「幸せに生きること」と、「無感覚になること」(=「馬鹿になること」)が、避けようもなく、また限りなく等しいことだとしたら、いったいどこにその生の意味を、価値を、見出すことができるのでしょうか?(※「馬鹿になる」の「馬鹿」というのが、良寛が自分を「大愚」と呼んだのとは正反対の意味であるということはおわかりだろうと思います。この場合の「馬鹿」とは「愚者」というよりも寧ろ「クレバー」な奴’Smart Ass’と同義です)

好むと好まざるとにかかわらず、わたしはこの時代、この国という船に、「彼ら」と共に同乗しています。そんな中で、どこまで「わたし」が「わたし」であることができるのか?またそれは何を意味しているのか?

わたしはいま、混沌(カオス)の中にいます。



ー追記ー

わたしは20世紀初頭のパリ(ヨーロッパ)、近世から近代への移行期にあった日本、そして1970年代を、「「美」以外の何ものも存在しない時代」と書きました。
それは「美」とは「幸福」同様事後的な概念なのか?人は実時間に「美」を感じることができるのか?そして、「「美」そのもの」というものは存在するのか?という問いに繋がってゆきます。











2019年7月18日

混沌の中より・・・


「わたし」とはひとつの「病い」である。

では「わたしとは一つの病いである」という時、はたして「病い」とは如何なるものか?




いつも思うことだが、皆はいつ、どこで「人間とはこれこれこういうものだ」ということを教わったのだろう?

わたしはそもそも自分が「人間」と呼ばれる生き物であるのかすらわからない。

そして人間はどのようにして生きてゆく(ゆくべき?)ものなのかということがわからない。

世に「人間とは何か?」という問いにヒントを与えてくれそうな本や映画は多いが、そんな本の一冊が、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』だろう。



ボーヴォワールは『第二の性』の中で、「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という有名な言葉を遺した。

同じように、わたしには「人は人間に生まれるのではない。人間になるのだ」という想いがある。
(「こちら」で引用したように)、二階堂奥歯が、人形のピエロちゃんは、わたしの愛情によって人間であることができるが、生まれたばかりの弟は、人間として生まれてきたのだから、誰もが彼を人間として扱うだろう・・・と書いていることに、彼女らしからぬ論理の粗雑さを見た。

仮にわたしの仮説ー「人は人間に生まれるのではない。人間になるのだ」というのが左程見当違いでないとすれば、あなたは、いつ、どこで、「人間になった」のだ?
そしてわたしは何故、どこでどう間違えて「人間になれなかった」のか?



わたしが「エロ・グロ」ブログをやろうと思ったのも、わたしの内面の醜さを、世上悪趣味とか、観るに堪えないといわれているイメージに仮託して、これもまぎれもなくわたしが持っている性質のメタファーだと知らせたかったからだ。
「美こそわたしの信仰である」といい「わたしは美に拝跪する者だ」と言ってからまだ1年も経ってはいない。

わたしは180度回転して、「醜さの信者となり」「醜(しこ)に額づく者」になったのか?
多分そうではなく、わたしが美に焦がれるのは、わたしの本質が醜いからだ。
わたしは、その自己の本質をこそ、もっと表出し、知らしめたかったのだろう。
そして人ははたしてどこまで、「醜悪なもの」ー言葉を換えれば「了解不能なもの」に近づくことができるのか、この日記ーブログを通して確かめたかったのではないだろうか・・・

(ただし、「人は」と一口にいう際に、一抹の躊躇いがあるのは、わたしの中に「日本人」というものが、世界の中で、特殊且異質な、即ち「幼稚」で「民度の低い」民族であるという抜きがたい意識があるからだ・・・)
わたしのもう一つのブログのURLは a shame of. blogspot.com・・・これはプリーモ・レーヴィの言う "A Shame of Being a Man" 「人間であることの恥」でもあり、同時に、より強い気持ちで "a shame of being Japanese" なのだ。 



不悉










2019年7月17日

ペシミストの公式



あるいは多くのひとはこう考えるかもしれない・・・

😩+?=😃

わたしがいつも考えているのは


😃-?=😩

或いは

😃+?=😩

一見どれも同じに見えるかもしれない。でも一番上の式では、
どうすれば笑顔になれるか?が問われている。
それに対してわたしは、何が欠けているから、或いはなにが在るから笑顔になれないのか?と考えている。決定的な違いは、笑顔という結果を求めるのではなく、
なにが悲しさの、厭世観の源であるかを追求しているということだ。







2019年7月16日

「マイノリティー」について。優介さんへ、


以下、『牛乳拭いた雑巾臭いブログ』より、「陰気な精神病者が急に色めき立つ後ろで、僕は落ち込んでいる」という記事について感じたことを書いてみる。


以下全文引用





VOGUEとかBuzzfeedとかが最近Youtubeにアップしてる、セクシュアルマイノリティの動画をたまに観るんですが
出てくる人達がことごとく、イェーイみんな元気ぃ?☆^^系で怖い
もしかして、根暗で友達少ないのは僕だけなんじゃないかと不安になる

まあそんなもんか
メンタルヘルスブログランク参加前は、この界隈なら僕もノーマルかと思ってたけど、全然そんなことなかったしな

精神病院の待合室で、ヤバそうな患者が、後から来た別の患者と楽しく盛り上がってるの見ると、なんか震える
ヤバ目なあの人より社会性が低いということを、認めざるを得ない

病の重さとは別に、根本的に性格が悪いのかもしれないな!

広い世界に出て、新しい自分を発見するとは言うが
狭い世界に入って、より自分の狭さに気付くということもあるんだな

精神病者やLGBTはみんなこんな感じだろう、というのがそもそも偏見なのだ
その人達がどれぐらいいるか知らないけど、みんなが僕みたいな感じだったら、さすがにもう日本沈没してるか

もしくは、もっと狭いジャンルに行くしかないな
精神病者という広大な世界では、僕はまだまだマイノリティだった
もっと限定的な…
SADでマゾヒスティック人格障害の、Xジェンダーで無性愛者のメタラー業界なら…

それは完全にただの僕だな
そんな奴が他にもいたらキモいわ

・・・いたらごめん




優介さん。

ぼくと優介さんとは基本的な位置が違うようです。そもそも「他の誰とも似ていない」というのがぼくの前提だから、自称他称に関わらず「マイノリティー」といわれる人たちとの比較さえ成り立たない。これは「劣等感」でも「優越感」でもない。単純な事実としてそう言ってる。

「マイノリティー」は「マジョリティー」に比較対比しての概念だから、決して「個別性」ではない。

「広い世界」に出てゆくことにはふたつの側面があるよね。「広さ」というものが「多様性」とほぼ同義だとしたら、「広い世界」では「マイノリティー」という概念そのものが希薄化される。また同時に、全ての人が「自分」という絶対的なマイノリティーであるということにも気付かされるかもしれない。

自分の属する世界が広く、また多様性に富んでいるなら、その広さー多様さに比例して、自分の異質性は最早「異質」ではなくなるという逆説のなかで、「精神病者という広大な世界では、僕はまだまだマイノリティだった」という優介さんの言葉には、その点で矛盾を感じます。

1ダースの黒鉛筆に交じって一本だけ赤鉛筆があればそれは「マイノリティー」だし、「異質」であり「異端」かもしれないけど、12色、或いは24色、48色の色鉛筆の中で、どの1本が異色だとかマイナーだとはいえない。本来「世界の広さ」という言葉は僕の中ではそのような意味を持っています。
ところが現実には、「世界の広さ」イコール「多様性」ではなく、出会う人が多ければ多いほど、それだけ自分の「異質性」をいやというほど思い知らされるくらい、世の中、就中(なかんずく)この国は均質です。

「メンタルヘルスブログランク参加前は、この界隈なら僕もノーマルかと思ってたけど」
という発言はちょっと意外だった。

ぼくは、どの世界なら自分はまだノーマルか?なんて考えたことがないから。
確かに「ノーマル」というのが「平均的」「普通」という意味なら、ノーマルではないことで、「ふつうの人たち」と話が通じないという不便さはあるけど、それでも、平均的であったり、普通であることに魅力を感じないのでどうしようもない。

優介さんを落ち込ませたという「VOGUEとかBuzzfeed」の動画(?)に関しては殊更言及する価値もないと思うので。




追記ー「文脈」についての補足


わたしのいう「文脈」というのは、おそらく一般的な使われ方でいわれている「文脈(コンテキスト)」とは異なっていると思う。

具体的な例を挙げよう。

もうずいぶん前、まだわたしが30代のころ、渋谷公園通りのリブロポートという書店の洋書・美術書のコーナーで、やはり同世代のスタイルのいい男性が、写真集をパラパラと繰っていた。わたしはゲイではないが、カッコいい男性に性的な魅力を感じることがある。彼は細身のジーンズにバックスキンのデザートブーツを履いていた。わたしはその後ろ姿に見惚れて(?)いた。特に形のいいお尻に(苦笑)

けれども、それは彼が、Josef SudekかIrving Pennだか定かではないが、とにかく、モノクロの写真集を熱心に視ていたので、「惚れた」のであって、ヒップが魅力的に見えたのだ。仮にその全く同じ人物が、前に回ってみたら、熱心にスマホ(乃至ipad)を眺めていたり、或いは読んでいるのが男性のファッション・マガジンだったりすれば、彼をカッコいいともセクシーだとも思うことはなかった。前者と後者は、わたしにしとっては「別人」なのだ。

つまり、わたしの場合、性的な魅力は内面に左右されるということ。外見(そとみ)だけのかっこよさ、セクシーさというものは、わたしに関しては存在しないということ。

「スノッブとは、乗り合わせた電車の向かいの席に絶世の美女が座っていても、彼女の読んでいる本が気に入らないということで、声も掛けない男のことである」というジョークがある。

わたしはスノッブ=「知的俗物」ではないが、これはわたしもそうだと言えるだろう。
ただ、それは必ずしも胸を張って主張できるようなものではないとも思っている。
要は狭量ともいえるのだ。このような性質のために、多くのものを、少なからぬ出会いを取り逃がしているということは認めなければならないと感じている。

蛇足乍ら強調しておきたいのは、わたしは「人間性」の話をしているのではないということ。目の前の美女に声をかけないのは、そういう本が「わたしの」趣味ではないからであって、それは彼女の人間性とか教養といったこととはまるで無関係だということだ。








2019年7月15日

抽象と文脈


友人から借りたDead Can Dance の" Within The Realm Of A Dying Sun" をぼんやりとした薄明の意識の中で聴いている。
心地よい倦怠感が身を包む。「倦怠感」といっても身体的な不快感はなく、寧ろ浮遊感といった感じ。まどろんでいるのはわたしの意識なのか?それとも音楽の方なのか?共々にまどろみの中に漂っている。

"Dead can Dance"の音楽は初めて聴くが、二階堂奥歯やOrphane、それに旧SNSの友人たちの間でも時折目にしていた名前なので、うっすらとだが興味はあった。


アルバムを聴きながら、アーウィン・ブルーメンフェルドの撮影した1955年のNYタイムズ・スクエアの写真をぼんやりと眺めている。

Times Square, 1955, Erwin Blumenfeld

最近は何故かモノクロームよりも、50~70年代(半世紀以上前)のカラー写真に惹かれる。
この写真が、Dead can Dance のアルバムの醸し出す雰囲気に合っているのか、よくわからない。
ただ少なくとも、モノクロームの世界ではないと感じる。
薄暮のヒースの丘などでもいいかもしれない。ミニマルな中に、寂寞とも荒涼とも言い切れないが、それに親しい世界の広がりを感じる。

わたしが日ごろ親しんでいるシナトラや、ビリー・ホリデー、或いはS&Gやトム・ウェイツ等と違うところは、それが口ずさめる音楽ではないということ。といって、モダン・ジャズのバラードとも違う。なにかとても「心地よい抽象画」に近いのだ。

二階堂奥歯の一番好きなバンドがこのDead can Danceだと『八本脚の蝶』に書かれていたと思う。


出自のない裸体、絡め取ろうにも手がかりのない抽象的物体、自らの存立を問い直すような性の深淵、そんなのを見るつもりはないわけね。
[2002年5月19日(日)その2]

これは二階堂奥歯が、AV制作会社の企画した全裸の美女たちによるオーケストラ演奏会に出かけて行った時のことを書いた日記の一部だ。

前後の文脈は省くが、わたしは何故世の男性たちが、(いまでもあるのか知らないが)
「ストリップ」というものに興味を示すのかがわからなかった。
目の前で美女が着衣を一枚また一枚と取り外していって、最後に全裸で、男たちの前に立ち現れたとしても、それは二階堂の言葉を借りれば、 「出自のない裸体」であり、「絡め取ろうにも手がかりのない抽象的物体」であり、「自らの存立を問い直すような性の深淵」でもない。

内面あっての外面だ。そして「エロティシズム」は、文脈の外側、文脈抜きには存在しないと、「個人的には」思っている。

置かれた文脈の如何で、美女が醜女(しこめ)になることも、またその逆も当然起こりうることだ。

「文脈」(=物語・ストーリー)から切り離された「抽象画」や「捉えどころのない音楽」の快感。心地よさ。そして、文脈=(その人物の個別性)を捨象されて抽象的な「モノ」となった美女の裸体の味気無さ、無味乾燥、そんなことを考えている。

さあ、もう一度聴こう。












2019年7月13日

断想…


「世界はわたしが見ることによって存在する」という考え方がある。
哲学では「主観的観念論」と呼ばれている。

けれども現実には、世界はわたしの存在などと全く無関係に、そこに在る。

これはなんども引用している言葉だが、

"We see the world as it is, We see the world as we are."
「我々は「世界」をそのあるがままに見てはいない。私たちは世界を「私たちがあるように」見ている」(アナイス・ニン)

わたしは「わたし」という個性、わたしという「在り方」を超えて、この世界を見ることはできない。それでも、やはり世界は現にそこに存在している。わたしの眼差しとは無関係に。

同じように、わたしは「わたしだけ」で存在し得るだろうか?
誰からも愛情を注がれることも、関心を寄せられることもなく、この世界の内側に存在することが可能だろうか?

わたし自身は、誰からも好意的な関心を寄せられないで存在することはできないと考えている。

全く身寄りがなく、孤独なお年寄りがひとりで値引きされたスーパーの弁当を食べている。
医療・福祉などの関係者以外、彼・彼女に個人的な関心、好意を寄せている者はいない。
では、そのような老人たちは「存在していない」と言えるのか?
否。彼や彼女は、他人の眼差し、愛情、好意、関心の有無とは無関係に、確かにこの世界に存在している。

「わたし」の存在乃至生存は、他者の愛情・関心・好意なしにはあり得ず、
身より頼りのないお年寄りは、誰の力も借りずにそこに生き、存在している。

存在の在り方は一様ではない。愛があって初めて存在できる者がいて、
何ものにも頼らずに単独者として存在している者がいる・・・


● 今日スーパーで、脚の不自由な若い女性を見かけた。両脇でからだを支えている二本の松葉杖がなく、普通に歩いていれば、まったくどこにでもいるような若い女性。
わたしがまず思ったのは、「彼女は歩きスマホができない。故に普通に歩ける女性よりも上等な存在である」

何かが出来るということに比べて、「できない」ということははるかに貴重な美質だ。
わたしは人間性を量るときに、「何ができるか」ではなく「何ができないか」を目安にしたいし、できれば「殆どの人ができることができない人」更には「殆どの人が平気でいられることに平気ではいられない人」と友達になりたいと思う。

彼女は脚が不自由な分、健常者よりもきれいに見えた。


● わたしはできないことばかりだ。脚の不自由な彼女は、歩けないゆえに価値があり、うつくしく、わたしはできないことが多すぎる故に誰からも愛されない。
しかしわたしは「人並み」になりたいとは思わない。現在の世界で、「できない」ということに、より大きな価値を見出しているからだ。
人がこのような無能者を受け容れることができるか(何のために?)
できないか?ただそれだけだ。


● わたしは何もできないが、孤独で、話し相手のいないお年寄りの話を聴きたいと思うことがある。人に愛されない分を、せめて愛することで埋め合わせたいという想いからだ。
しかしわたしが愛することができるのは、おそらくわたし同様、誰からも愛されていない人に限られてしまうかもしれない。既に誰かから愛されているものを愛するということが、どうしても屋上屋根を架すことのように思えてならない。


● 人が人を、単なる「人手」としてではなく必要とするということは果たしていかなることなのだろう?
わたしは言うまでもなく誰からも愛されていないがゆえに「人」ではなく、その無能さゆえに「人手」ですらない。「人外(にんがい)」の存在だ。

わたしは何者かの愛を得て初めて人間になる。(恐らくその日は永遠に訪れることはないだろう)ところで、人間でない者が、人間を愛する資格はあるだろうか?



最後に過去にも引用したことがあると思うが、二階堂奥歯の『八歩脚の蝶』から、わたしの好きな箇所を引用する。
(以下下線Takeo)


2002年12月5日(木)その1

6歳の頃私が考えていたこと。あるいは責任について。

「人間性」とは感情移入される能力のことであり、感情移入「する」能力ではない。
ほとんどすべてのヒト(ホモサピエンス)が人間であるのは多くの人々に感情移入されているからである。ヒトであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。
しかし、人間はヒトに限られるわけではない。感情移入されれば人間になるのだから、ぬいぐるみだって人間でありうるのである。

そう、ピエロちゃんは人間だった。私が人間にしたのである。「した」と言う言い方は傲慢だ。言い換えると、ピエロちゃんは私にとって人間として存在していた。
上に書いたようなことを私は小学校1年生ながら理解していて、すさまじい責任を感じていた。なぜなら、ピエロちゃんに感情移入しているのは世界でおそらく私一人だったからだ。ピエロちゃんが人間であるかどうかは私一人にかかっていた。これは大きな責任である。ピエロちゃんに対する責任に比べると、この意味での責任を例えば生まれたばかりの弟に感じることはなかった。私一人弟に感情移入しなくたって世界中のおそらくすべての人間は彼を人間として扱うだろうから。

私がピエロちゃんが人間であることを忘れてしまったら、ピエロちゃんはきたない布切れで構成されたくたびれたピエロのぬいぐるみに過ぎなくなってしまう。それは人殺しだと私は思っていた。私がピエロちゃんをどこかに置き去りにしてしまったらピエロちゃんを見た人間は誰一人ピエロちゃんを人間だと思わないだろう。忘れもののぬいぐるみだと思って捨ててしまうかもしれない。

そして実際私はピエロちゃんを忘れ、ピエロちゃんはどこかにいってしまった。
ピエロちゃんはいつのまにか捨てられた。殺された。
違う。私が、ピエロちゃんを、殺した。
(私が子供を産まずペットを飼わないと決めている理由の一つは、私がピエロちゃんを殺した人間だからである)。





「ヒトであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。」
という意見には大いに異論があるが、それは措いて、
「母の死と同時にわたしの生命も終わる」というのはこのようなことだ。
つまりわたしは母によって「人間」となり、母にとってのみ「人間」なのだ。









2019年7月12日

カッコいいってなんてカッコ悪いんだろう



多くの日本の男性は、何故ある程度の年齢の女性にも「かわいらしさ」を求めるのだろう?
そもそも「かわいい女性」って、どういう女性のことを言うのだろう?

わたしは女性に「可愛さ」を求めない。

何故わたしはドロローサやオーファンに惹かれるのか?実は彼女たちの顔も、年齢も知らない。(30代と言うことはないだろうが)それでも、彼女たちのセレクトする絵や写真に吸い寄せられるように惹かれてしまう。
彼女たち自身が描く絵も、ネットにUPする絵や写真も、総じて毒々しい。不気味でもある。毒々しく不気味だから惹かれるのではなく、そのような作品の中に、惹かれる何かが埋もれている。なにかとても微妙な按配で、単なる「悪趣味」と「魅力」が分かれる。それを持って生まれたセンスと言ってもいいだろう。

日本の男性が女性にかわいらしさを求めるのに対し、わたしが求めるのは、それが男性であろうと女性であろうと同様に、カッコよさだ。

通俗的なファション雑誌のように、「カッコいい男・女とは」なんて、こまごまと条件をリストアップすることはできない。それは一枚のポートレイトを観るのと同じように、直感的なものだからだ。そもそも「カッコよさ」を普遍化・一般化しようとすること自体ナンセンスだ。

それでも、個人的に2つの条件を挙げるとすれば、「尖っている」こと。そして「弱い者に偏見を持たない」こと。

雑誌の特集などで、たまに「カッコいい男性になるには!」などという特集を覗くと、
要するに良くも悪くも余り個性的であってはいけないと言われているようだ。つまり「広く」好かれろということらしい。

過激さ、先鋭さにこそカッコよさを見出すわたしにとっては、世間で「カッコいい男性」と言われるような人は、悪く言えば「凡庸な人」に思えてしまう。
本邦の雑誌などを規準にするならば、わたしの好きなモリニエ、ベルメールなどはもとより、オスカー・ワイルドやランボーでさえ、「カッコいい男性」の範疇には入らない。

「知的な不良」・・・そうだな、違う言い方をするなら、「癖になるマズさ!」
わたしは男性でも女性でも、そういう人を求めている。

そういうお前自身は尖っているのか?そう。天に向かって屹立するようには尖ってないけど、クフ王のピラミッドを逆さにして地中に埋めたような形でいつも尖ってるよ。


Fiona Apple - Across The Universe

フィオナ・アップル「アクロス・ザ・ユニヴァース」






2019年7月11日

真空地帯…


フォローしているがあまり更新されないブログを開くと、最近書かれた記事を見つけた。それを読んで、「この投稿に対する反論、というよりも、否定的な立場からの記事を書いても構わないか?」と問い合わせようとしたが、コメント欄も設置されておらず、メールでの連絡も取れない。
ブログを書いているのはわたしと同世代の会社員。

リンクを貼ろうかと迷ったが、彼個人を非難するつもりはなく、今の社会の在り方をありのままに記述しているこの投稿を元に考えてみる。

以下全文引用 ──


◇◇

「もはやCDは買えない。」



あいも変わらず、部屋の中が、ゴミ屋敷状態になっている。
今回、思い切って、CDを全て売却することにした。
大体、20歳くらいのときから買い続けていた。
もはや、収納するスペースも限界に来ている。
かつては、CDしか音楽を保存する媒体がなかった。
パソコンのハードディスクも200メガバイトくらいで、CD1枚分のデータも保存できなかった。
しかし、時代は変わった。
記録メディアの圧倒的な大容量化、高速化。
数百枚のCDの音楽データをハードディスク1つに保存してできるようになった。
音楽のデータをCDという媒体で保持しておく必要はなくなった。

高速のインターネット回線の普及。
最近はストリーミングで幾らでも音楽が聞ける。

音楽を聴くためにCDを買うという行為自体が意味をなさなくなった。

そういうわけで、手持ちのCDを片っ端からヤフオクに出品している。
どれだけ売れるのかは分からない。
買い手がつかないかもしれない。
でも、とりあえずやってみようと思う。
(下線・太字Takeo)


これを読んだ個人的な感想は、まず第一に「彼は音楽に愛情を持っているのだろうか?」という素朴な疑問だった。彼が音楽を愛しているか?もし彼が、「もちろん音楽を愛してる」と答えれば、わたしは反論するつもりはない。「音楽への愛情」の在り方が、彼とわたしとではまるで違うということだ。

彼の投稿を読んでいて、少なくともわたしには、時代の移ろいの速さを嘆いているという思いは読み取れなかった。「もうCDは買えない」というタイトルも、「哀惜」というよりも、単に「事実」を述べているだけのようだ。

極論すれば、わたしにとって、インターネットを経由して取り込まれたものは、すべて「虚」或いは「幻」のようなもの、実体を伴わない幽霊のようなものものだという思いがある。

生きるということは、自分にとって必要なものを、「自分の身体を使って」「捕獲」する、「稼ぐ」ことだと思っている。そしてインターネットとは基本的に「与えてくれる装置」だと。

先月の「断想」に『山田花子自殺直前日記』に載せられた彼女のデザイン学校の友人の言葉を引用した。


● 同世代の人ならわかってもらえると期待するが、高市由美さん(山田花子)のデザイン学校時代の親友はこのようなことを書いている。

「わたしは高市さんからいろいろな影響を受けました。原マスミ、ヒカシュー、筋肉少女帯、たま、あがた森魚など音楽テープをたくさん頂いたり、根本敬、蛭子能収のマンガや、面白い本を見せていただきました。
それらすべては私の知らないものばかりでしたが、すぐに私も好きになり、夢中になりました。高市さんは私にいろいろ大切なものをくださいました。」(1993年の家族宛て手紙より)

高市由美=山田花子に嫉妬と羨望と劣等感を覚えるのは、わたしにはこのような「引出し」「蓄積」が全くないということ。(「スマホ」「パソコン」は「引出し」足り得ない)


わたしにとって、「友だち」の定義の一つが、「本やCDやビデオ(DVD)の貸し借りができる存在」であること。つまり自分の好きなものを、自分の内面を、本やCDを貸したり借りたりすることで共有できる存在こそが友だちだ。それは'You Tube'のビデオをやりとりすることとは比較にならない。

本や音楽、映画への接し方、親しみ方が、これまでと大きく変わるということは、「友人」の概念も、また広く言えば「人間」というものの概念もそれに伴って大きく変化するということだ。そしてわたしはそのような世界で生きられるという自信がない。そのような世界で生きる意味を見出すことは不可能に近い。何故なら、CDも紙の本も、エロ本もビデオもDVDも手紙・葉書さえもない世界に、わたしの「友」は存在しないからだ・・・


このような世界で、息苦しさを感じることもなく、自分の身体に刃物を突き立て血を流すことも、クスリやアルコールに溺れることもなく、つまり「今ここにある世界」にほとんど何の抵抗もなく溶け込み、深呼吸できるという奇妙且滑稽なる人々に対し、わたしは失笑を禁じ得ない。

巷間言われる「イキヅラサ」とは、自分の内面にある「あるべき世界」と自己の外側に容赦なく広がる「現実」「今ある世界」との乖離に依る。

例えば「友情」とか「音楽を聴く」というのは、以下の『ヴァージン・スーサイズ』という映画の場面のようなもの。これがわたしにとっての「あるべき世界」の断面だ。

上の「断想」にも書いたように、わたしが彼ら、彼女らの年頃の時に、これだけの音楽の知識があったか、心もとない。

『牛乳拭いた雑巾臭いブログ』の優介くんに「今でも昔ながらの『エロ本』って売ってるの?」と訊いたところ、「エロ雑誌ならギリギリあるかも。コンビニでも置かなくなるようだし・・・」という返事をもらった。

小松政夫のギャグに、お年寄りがエロ本を買ったら付録が付いてきた。スワ!エロ・ビデオかと喜んで開けてみたら、ブルーレイ・ディスクだったのでしょんぼり・・・というのがある。

わたしもその老人も、最早どこにも行き場所はない。

嘗てサン=テクジュペリが「リトル・プリンス」に言わせた「大切なものは目に見えないんだ」という言葉に嘔気と反感を覚え、「この目で見え、この手で掴める物だけが本物なんだ」と毒づいてやりたい。もう目に言えないもの ──「虚の世界」にはうんざりだと!







「怪物と心を通わせ合う方が、怪物とは全く縁のない人間と理解し合うよりもはるかにまともである」

「何千年、何万年というもの、私たちは「やがて死すべき者」でしかなかった。いまや、私たちは、「瀕死の者」に昇進した」

「どこからどこまで、別人のように変わってしまう。そんなことは不可能だ。しかしそうでもしないかぎり、私たちは、誰も、自分の抱えている矛盾を克服するわけにはゆかない。力を貸してくれるものがあるとすれば、死だけだろう。死がつねに優位に立ち、生に対して圧倒的な勝利を収めるのはそのためである」

「毎日毎日が、私たちに、消滅すべき理由を新しく提供してくれるとは、すてきなことではないか」

ー シオラン (Cioran)『告白と呪詛』出口裕弘訳(1994年)


ー追記ー

「Virgin Suicides」彼女たちは何故「死」を選んだのだったか?このような「美しい時代」のただ中にいながら。もう一度観直してみたい映画だ。








2019年7月10日

再びアウエルバッハ



ああ、「孤立と独特の認識の化け物」としては、アウエルバッハのTシャツが欲しいな。






Frank Auerbach – Head of Julia, 1960 (Left) / Head of Julia II, 1960 (Right)
3枚目のプリント柄のTシャツがいいかな。

昔から何故かフランシス・ベーコンには興味がなかった。
フランク・アウエルバッハほどわたしに似合う(ふさわしい)画家はいないのではないだろうか。

誰にも似ていないという点では、フランシス・ベーコンに似た画家は知らないが、
アウエルバッハには彼よりも年上のレオン・コゾフ(Leon Kossoff)という似たスタイルの画家がいる。

アウエルバッハがデ・クーニングやポロックのような抽象表現主義に属するのかわたしは知らない。けれども表現主義とは言えるだろう。

ジャン・ミシェル・バスキアもまた誰にも似ていないと言えるかもしれないが、いずれにしてもフランシス・ベーコンもバスキアも有名すぎる。
サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)はあまりに独特過ぎて・・・というよりも、あれがアートと呼ばれるのなら犬でもアーティストだと言いたくなるほどわたしの理解を超えている。わたしのアートの概念を超越している。(と言いながら、このブログにも彼の画が貼られているのだが(苦笑))

「孤立と独特の認識の化け物」・・・およそアーティストを評するときに、これ以外の、そしてこれに勝る形容句が存在するだろうか。

ただしわたしはアーティストではない。「ただの」「孤立と独特の認識の化け物」だ。












2019年7月9日

「想像力の欠如」という誤解


最近知ったあるブログにリストカットやオーバードーズについて書かれていた。

わたしはそのブログの筆者である女性に愚かな質問を投げかけた。

「何故リストカットの「痕」を隠す必要があるのですか?これは何故入れ墨を隠す必要があるのかと同じレベルの質問だと思います。」

と、

彼女はこの愚かしい質問に真面目に、丁寧に答えてくれた。

「なぜリスカ痕を隠すのか」
正直なところ、隠さなくても受け入れられる世の中なら隠したくはないです。自分の生き抜いた証だと思っていますので、、、。
しかし、世間の目はタトゥーを見るのと同じです。痕のせいで仕事にも就けません。
だから隠すのです。

わたし自身が、自傷行為や、薬やアルコールの過剰摂取に何の偏見もないものだから、
世の中にはリストカットやオーバードーズ、それどころか精神科にかかっていること、
生活保護を受給していることにさえあからさまに嫌悪感を示す人がいるという事実をすっかり忘れていた。

そもそも「そんな人(=リストカットを怖がることではなく、それを忌まわしいこと、倫理に悖ることと考える人)がいるということが信じられない」などと考えることが、とりもなおさず「他者への想像力の欠如」「想像力の著しい貧困」に他ならない・・・のだろう。

「道で転ぶ者」がいて、どうしてこんな道で転ぶのかがまったく理解できないものがい、何故自分は転ぶことはないと確信を持てるのかが理解できない者が一方にいる。

所詮両者は常永久に袖すり合う事なき縁なき衆生である。
そこに「想像力」というような妙なことばを持ち出してきても全く無意味ではないのか・・・

そもそも「想像力」という言葉自体、既にして、「神秘学」「オカルト」的領域の語彙ではないのか?
一方で、「想像力」の無効を言うことは、他者を「理解」することは殆ど不可能であるという主張に限りなく近づいてはいないだろうか?何故なら「理解すること」と「想像すること」は、ほぼ同義と言ってもいいものだから。

「わたし」と「あなた」、「わたし」と「彼」・「彼女」は異なる存在だ。
その差異、隔たり、を、ある人たちは「想像力」を架橋することによって、無くせないまでも、可能な限り近づけようとしてきた。けれどもわたし自身を振り返って、そもそも自己と他者との間に架橋が可能か、という疑問がわだかまっていることに気付いた。そして導き出された結論は「限り無く困難」乃至「不可能」であった。


・・・「自己」と「他者=非・自己」、「想像力」と「理解すること」
今のわたしには手に余る難問だ・・・

ただ、人間は、もっともっと人間というものを低く見積もるべきだというのが精一杯だ。

そしてもうひとつ。これは言い切ってもいいと思うが、わたしには、想像力は、無い。



















2019年7月8日

適切な形容


母が借りている武田泰淳の評論集『滅亡について』をパラパラめくっていたら面白い箇所に出会った。

小林秀雄氏の訳によると、『テスト氏』の中には、悪の問題についてわかりやすくふれている部分が少なくとも一箇所あります。テスト氏の夫人に向かって、夫人の敬愛する牧師が、テスト氏のひととなりを批評するくだりです。彼はテスト氏にくらべては鈍くても、なかなか頭の良い牧師であり、かつ牧師であることによって、我々知的弱者に親しい言葉を口走ります。
牧師の考えでは、テスト氏はまず「孤立と独特の認識の化け物」であります。そしてテスト氏の所有している倨傲が、彼をそんな不可解な物にしてしまったというのです。その倨傲は、実際の生きたもの、ただ現在生きているものばかりでなく、永遠に生きているものを悉く除き去ろうとするような倨傲だそうです。・・・・云々

これはフランスの文学者ポール・ヴァレリーの『テスト氏』について書かれたものだが、
わたしも大田区にいたころ、近くの馬込図書館からせっせとヴァレリー全集を借り出していた時期があった。同じような断章形式で書かれていても、わたしはシオランやニーチェよりも、ヴァレリーの方が好きかもしれない。

いずれにしてもこの「孤立と独特の認識の化物」という表現を見た瞬間、「あ、わたしのことだ」と思った。

無論この箇所が納められている「勧善懲悪について」という文章全体を読めば、泰淳の思い描くテスト氏と、単なる「孤立と認識の化物」であるわたしとの違いは一目瞭然だが、それにしてもこの形容は、まさにわたしだといって差し支えないだろう。
これは「事実」であって、わたしがこれを自分だという時、そこには一片の否定的なニュアンスも含まれてはいない。

『評論集 滅亡について 他三十篇』武田泰淳 岩波文庫(1992年)より




2019年7月7日

外界とは何か?









写真はまたスコティッシュのブログ Fragments of Noir から。

彼のブログには、'Big Lonely City' というタイトルで、屡々このような「古き良き時代」のストリート・フォトが掲載される。彼のブログでも人気のシリーズだ。

使われるのは主に50~60’sのニューヨークやパリなどの街の風景だが、
こういう写真を見るたびに、今現在、外の世界がこのようであったなら、わたしは明日の朝からでも外に出かけるし、電車にもバスにも乗れるだろう、そのことは自信を持って言い切れる。それだけこれらの街にはその空気に身を包まずにはいられない魅力がある。

ずっと一人ぼっちだったわたしは、40代で親友を持つまで、毎日、どこかしら、東京の街をひとりで歩いていた。人間の友達はいなかったが、街が友達だった。

そして人間の友達もなく、唯一の友であった街さえも姿を消してしまった今、
わたしには「外に出る意味」というものがわからない。

以前だって、図書館に行くとか、公園に行くと言った「目的地」はあったが、
そこに着くまでの時間にも意味があった。味もあり色もあった。

今日(こんにち)外に出るということは、妙な表現だが、「ドア・トゥー・ドア」の距離が引き伸ばされたものに過ぎず、このドアから目的地のドアまでの間には文字通り何もない。ただ無意味な時間と虚ろな空間以外。

外に出ることが、「ドアからドアへ」の場所の移動でしかないとすれば、目的の「ドア」のない外出というものは当然なくなる。何故なら外出とは場所Aから場所Bへの身体の「移動」に他ならないのだから。

芭蕉たちの「奥の細道」とはいったい何だったのだろう?
俳聖は「旅を棲み処とす」とは記さなかったか?ただ江戸から奥州の地まで、わき目も降らずに「移動」したのであったか。最早旧来の「外界」は存在せず、ただ数千・数万のドアのみが存在し、それが「外界」と呼ばれる世界で、「旅」とは、「旅を棲み処とす」とは、果たして如何なる概念か?



多くの所謂「引きこもり」が、「外界」の在り方、その景観、美醜についてほとんど話題にしていないことは何を意味するのだろう?

彼らにとっては、それがどのようなみすぼらしい姿であっても、乃至は田舎のお大尽のような趣味の悪さであっても、「外」とは結局物理的・空間的な、「家」「部屋」の外=「外部・外界」以外何らの意味をも持たないのだろうか。そして「彼ら」の価値観では、あくまでも「鬼は家(内) 福は外」であって、あくまでも内(家)は(-)「外」イコール(+)なのだろうか。

「外に出られない」人たちにさえ、「街の醜さ」を訴えても、彼らにはその意味が、わたしの言っていることがまるでわからないとしたら・・・仮に「まぁ言わんとしていることはわからないではない」・・・けれども、何にも増して優先されるのは、その「外」で生きることだとしたら・・・

であるならば、わたしはまたぞろいつもの疑問を独り言ちなければならない。

「では、「生きる」とはどういうことだ?」













2019年7月5日

蛇足的補足的追記


下の投稿「複雑な彼」の中で、わたしはこう書いた。

「いつものことだが今回も選挙に行くつもりはない。
誰にいれたにせよ、それはわたしの一票をドブに棄てたことになると考えるからだ。」


これはよく聞く「俺が選挙に行ったところで世の中よくなるわけでもないし・・・」というのと同じ意味ではない。


安倍首相の言葉で唯一頷く言葉がある。それは「膿を出し切る」ということだ。

棄権がけしからんというのなら、母のように「白票を投じる」というのも手だろう。
とにかく、わたしは仮にどの政党が政権を取ったにせよ、世の中がよくなるとは思えない。
更に言えば、わたしは「膿を出し切る」ために、今後5年10年と安倍政権が続き、辺野古に基地が完成し、憲法が改正され、消費税は無目的に無制限に引き上げられ、社会保障は容赦なく削減され、30年以内の大地震の予測を尻目に原発もどんどん稼働すればよいと思っている。つまり「行きつくところまで行かせる」ことがわたしの望みでもある。
変な言い方だが、真に日本を滅ぼせるのは安倍政権しかないと思っている。


『大人のひきこもり』などの本を読んで驚くのは、


我が家に精神病患者がいることは「家の恥」
我が家に引きこもりがいることは「家の恥」
我が家に生活保護受給者がいることは「家の恥」「親族の恥」・・・

そう思っている人の存在の多さである。

また、同時に「何故一生懸命働いている人の給料が生活保護受給者の受給額より低いのか」と憤る人の多さ、このような声程政府にとって力強い味方はない。

セーフティーネットを利用することを恥とする。それを利用するものを白眼視する。蔑視する。
この論理を辿ってゆけば、行きつくところは「税金」というものの否定に繋がるのではないか。
日本人は未だに税金を「上納金」乃至「年貢米」と同一視してはいないか。

わたしは「勉強が嫌い」で満足に授業も受けなかったので、いつ皆が「精神を病むことは恥」であり「様々な理由から外に出られなくなったことは恥」であり、「働けなくなった者が、これまで納めてきた税金を自分のために使うことは恥」であると習ったのか、まったく知らないのだ。

わたしはこのような発想がすなわち「膿」だと思っている。
そしてこれは小手先の政策の改革で改善できる類のものではない、いわば日本民族の宿痾だと考えている。

他国のように、言い方は乱暴だが、気に入らなければすぐさま百万人単位のデモ、暴徒化、ゼネストの発生するような国でない以上、あとは政治家のやりたい放題にさせて、「なしくずしの死」を待つ以外に「膿を出し切る」方途はないと思っている。

そういう意味ではわたしは間接的に安倍政権の支持者ということになる。

何故なら、繰り返すが、安倍政権以外に日本を滅ぼす力を持つ政権はないと思っているからだ。

上に書いたことは皮肉でもなければ反語でもない。
本気で、早くとどめを刺してやれよと思っている。





2019年7月4日

複雑な彼


以下に書くことは相互に全く脈絡のない文字通りの独立した「断想」だ。
これまでも幾度となく「断想」という形で書いてきたが、それら個々の短い文章は、か細い一本の糸で貫かれていて、それは繋がれた数珠玉のように、空に放り上げても、決してバラバラに四散することはなかった・・・

先週、6月29日の土曜日に、久しぶりで主治医の元を訪れて以来、わたしの中で何かが変わってしまった。7月に入ってから3つの投稿をしたが、それらを読んで、わたしはもう文章が書けなくなっていることに気付いた。

何故「まともな」(適当な表現が見つからない)文章が書けなくなってしまったのか、何故これら「7月の投稿」が、過去に書いたものに比べて際立って「まともな文章ではない」と「感じるのか」ということを考えることさえ、最早ひどく物憂く億劫なのだ。


◇◇


● こんな夢を見た。

夢の中でわたしは「自室」にいた。(今の自室ではない)そこに若いころの斉藤由貴が遊びに来ていた。その部屋は六畳~八畳くらいの大きさで、室内はかなり乱雑だった。斉藤由貴とはどうやら昔からの気の置けない友人のようだ。そのほかに、いつの間にか中学時代の友人で、秀才でならした「ゲバちゃん」こと伊藤クンがいて、更には、おとなしそうな、無口な六十代くらいの男性が3人、乱雑な部屋の真ん中に並んで座っていた。

何がきっかけかわからないが、わたしはひとりで、自分はダメな人間だとまくし立てている。なにが「ダメな人間」なのかというと、どうやら「ものを知らない」ということらしい。由貴も、ゲバ夫も、3人のひきこもり当事者の家族も、ただ黙っていた。由貴だけは人の言葉も聞かずに盛んに部屋の中を物色していたようだった。
「ディランのアルバム」を探しているようだったが、わたしはボブ・ディランに関心がないし、彼のアルバムがあるはずがなかった。ところが何故か彼女はレコードの山の中から、わたしの見たことのないディランのアルバムを見つけ出した。しかしわたしはそんなアルバム見たことも聴いたこともない。そのことがきっかけになり、更にわたしの自己への罵倒は激しくなった。
「自分は何にも知らない」ゆえに「無価値な存在である」ということを頻りに言っている。居合わせた5人は相変わらず何も言わない。肯定もしない。否定もしない。ただ、ひきこもり当事者の父親と思われる男性が、わたしを憐れむように、(蔑視の意味ではない)見つめていたのが印象的だった。

おそらくわたしの最大のコンプレックスは、「無智であること」だ。それは例えば
6月の投稿「断想」に書かれているようなことと言っていい。

わたしは考えることが好きだ。考えることは無智でもできるからだろう。
その証拠に、わたしが考えることは、答えー正解のないことがらについてばかりだ。
「何故生きるのか」「孤独とは何か?」「自殺は悪か?」──「考える」というよりもむしろ「空想」「白日夢」に近いかもしれない。

わたしはそもそも「この世の中に生きる」こと自体に全く熱心ではなかった。勉強が嫌いだったので、家で勉強をした記憶というものがない。ゲバ夫こと伊藤正雄君が、都立日比谷と同レベルの九段高校に行った時に、わたしは、最もランクの低い都立高校にいた。(そのことは結局はわたしにとってよかったのだが)その後彼は慶應大学に進んだ。

わたしは勉強ができないことを恥だと思う感覚を持っていない。また所謂秀才に対する劣等感も感じない。寧ろ「秀才=馬鹿」だとさえ思っている。

わたしの一番苦手で、どうしてもかなわないと思うのは、独自のテイスト、独自のセンス、独自のスタイルを持っている人だ。わたしは学校の勉強に不熱心だったのと同様に、自分の趣味の世界を持ち、それを展げることに対してもまったく関心がなかった。音楽であれ映画であれ漫画であれ、その時周囲ではやっているもので事足りていた。
と同時に、世の中で流行っていることにも関心を持たなかった。ゲバ夫たちと遊んでいたころ、巷では「インベーダーゲーム」というのが爆発的に流行していた。無論ゲバ夫も、そのほかの友達も夢中になっていた。しかしわたしは、2~3回やっただけで飽きてしまった。なにがおもしろいのか?と。
テレビに関しても同様で、ドラマであれコメディーであれアニメーションであれ、流行っている番組を熱心に視たという記憶がない。
わたしの青春時代、中学ー高校ー大学と、わたしがもっとも時間を割いていたのは、学校の勉強でも、趣味の世界に没頭することでも、世の流行を追いかけることでもなく、「寝ること」だった。

実際に付き合ってみればすぐにわかることだが、本当に驚くほど物を知らない。
例えば、変な例だが、「AさんとBさんと、足して2で割れば理想的だよね」などという。「AさんとBさんを足す。」のはわかる、それぞれのいいところが合体するのだから。でもそのあと何故「2で割る」のだろう?

わたしの劣等感の根幹は、自分というものがないことに尽きるのだと思う。
成程、確かに「あれが嫌い」「これが厭」というものはいくらでも挙げることができる。
けれども、これによって世界と、或いは社会のどこかと、或いは誰かと繋がっているというものが、ない。「世界のなかに好きな部分を見つけることができなかった」

「ものぐさ」「ぐうたら」「無精者」と言うことも出来るだろうし、「この世の中にほとんど興味を持てなかった」ということも事実だろう。



● 「愛されざる者」ということに関心を持っている。「神でさえ抱擁することを躊躇う者」とはいかにして生み出されるのか?
「何故わたしは愛されざる者」であるのか?「愛」という言葉が強すぎるなら、何故わたしは人間に好かれないのか?逆に言えば、好かれる人はわたしの持たない「何」を持っているのだろうか?そこまで人をして嫌悪せしめる何をわたしが持っているのか?

「何ら独自のものを持たない自分」と「誰からも好かれない「特別な何か」を持つ自分」
それはどのようにわたしのなかで共存しているのか?



●『ドキュメント ひきこもり -「長期化」と「高年齢化」の実態』池上正樹(2010年)で、引きこもりを主に診る精神科医の言葉として、引きこもる人の共通した特徴として、「傷つけられた万能感」ということを言っていた。つまり自分の万能感が何らかの挫折や失敗により傷つき、そこから立ち直ることが困難になり引きこもる、と。

嘗て、当時「人格障害専門医」として第一人者と言われていた町沢静夫医師はわたしを「自己愛性人格障害で間違いない」と断定した。

本人が出向くことができないため、時々ブログを読んでもらっている主治医は先日の診察室で、わたしのブログを読んだ感想として、「相変わらずナルシスティックで」と・・・

「万能感」「自己愛性人格障害」「ナルシスティック」という一連の言葉と、その主治医自身が驚くほどの自己肯定感の低さの間にどのような屈折した相関関係があるのだろうか?

わたしは自傷行為の代わりに言葉で徹底的に自己を貶める。
魂と人格を否定する。しかしそれはダメな人間をダメな奴と言っているだけであって、厳密には「人格の否定」とか「自己を貶める」ということにはならないのではないか。
わたしはわたしの価値観からすれば「ダメな奴」であり、それを受けとめる度量はわたしにはない。

ではその「わたしの中の」「ダメな奴」の規準というものは何に根拠を置いているのか?
わたしは「勉強ができること」にも「高学歴」にも価値を見出していない。「世俗的な成功」というものをせせら笑う。極端な物知らずだが、博識と言われる人を崇めもしない。

上記に挙げた本と同じ筆者による『大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探しているひとたち』(2014年)の中で、様々な形の「大人の」引きこもり当事者たちの9割以上の最終的な目標が「(自分に合った)就労」であり、また現在(長期に亘って)働いていないことへの「罪の意識」が多くの当事者及びその家族に共有されていることに関しても、わたしは「働くこと」が大嫌いだし、そもそも自分にできる仕事はないということは、23歳の時に新卒で入社した会社を3か月の試用期間を俟たずして馘になり、35歳で社会から完全に撤退するまで、行く先々で極めて短期間(数日~何週間単位)で馘になり続けてきたことからも明らかだと思っている。だからというわけではないが、「働いていないこと」が「ダメな人間」であるとも思っていない。80年代。バブル全盛の頃だった。

わたしの考える「ダメな奴」の規準はあくまでもわたしの価値観に依るものであって、わたしの外部にその根拠を見出すことはできない。



● わたしは他者から愛された、自分という存在を丸ごと肯定されたという経験がない。
(無論そんな経験を持つ者は圧倒的少数だろうが)
つまりその肯定の裏付けが不在であるがゆえに自分を責め立てるのだろうか?

わたしが丸ごと受け容れられない理由として最も考えられるのは、わたしの極端な二面性だろう。わたしは場合によっては売春も殺人も暴力もテロルも肯定する。
いつものことだが今回も選挙に行くつもりはない。
誰にいれたにせよ、それはわたしの一票をドブに棄てたことになると考えるからだ。

天使を愛する者がいて、悪魔を崇拝する者がいる。しかし天使でもあり悪魔でもある人間を人はどのようにして愛し得るのか?とはいえ、「人間」とはそもそもが天使であり同時に悪魔でもある存在ではなかったのか。

わたしが「ダメな奴」であることと、わたしが「愛されざる者」であることは別々の問題だ。わたしはダメな奴だから愛されないと思ってはいない。わたしが「愛されざる者」であるのはそんな表面的な理由で説明できるとは思わない。

















2019年7月2日

想像力というもの


6月29日付け、東京新聞夕刊「土曜訪問」に、新作『つみびと』を刊行した山田詠美のインタヴュー記事が掲載されていた。

そこから抜粋引用する



大阪市で2010年、当時23歳の母親が自宅マンションに3歳と1歳の姉弟を放置し、餓死させた事件。子供たちを置いて遊び歩いていた母親の身勝手さが明らかになるにつれ報道は過熱し、世間の非難が集中した。山田詠美さんの新刊『つみびと』はこの事件から着想を得て書かれた小説だ。

 (中略)

「確かに同情の余地がないほど悲惨な事件でした。どのコメンテーターもキャスターも、勧善懲悪というように母親を糾弾していた。」その報道に違和感を覚えたという。「分かれ道で選択を誤り、転落するように人生がどんどん狂っていくってことって、誰にでもあることだと思ったんです。そうした想像力を働かせて物を言っている人は見当たらなかった」

 (中略)

育児ストレスから夜遊びを繰り返す蓮音が、自らを責め立てる父親や義父のことを〈正論の人たち〉と呼ぶシーンが印象的だ。「こうした事件の裏には、良識を振りかざし、親を虐待へと追い詰めてしまう人々の存在がある。その良識というものが幸せには全くつながらないことに彼らは気づかず、事件の一端を担ったという自覚もないことが多い」
ならばこうした事件に接し、義憤に駆られたように犯人を吊し上げる私たちもまた〈正論の人たち〉なのではないか。その疑問に作家はうなずく。「『この人たちは自分には関係ない』と思うことは簡単です。そうやってたやすく他人を糾弾してしまう人は、自分もそうした立場になる瞬間が来るかもしれないという想像力がまったく働いていないんだと思う」



このインタヴューを読んで、今読んでいる『永山則夫 封印された鑑定記録』堀川惠子(2011年)を思った。
この実際にあった事件の母親同様、永山則夫の母親もまた、むごたらしい虐待の被害者であった。
山田詠美は「どうしてあそこまで行ってしまったのか、それをかくのはノンフィクションよりも小説の仕事だと思った」と語るが、上記の永山則夫に関する著作は読み応えのある「ノンフィクション」である。

「自分もそうした立場になる瞬間が来るかもしれないという想像力がまったく働いていない・・・」云々以前に、われわれはいったい罪を犯した者の現実の何を知っているのか?「自分もそうした立場になるかもしれない」の「そうした立場」とは如何なるものか?

わたしは永山則夫自身の語る言葉と、鑑定医が聞き取ったそのすさまじい成育歴を「事実」=「ノンフィクシン」として読んで、これでは無差別殺人が起きない方が逆に不思議だし不自然だとさえ思った。それは「人が一人も死なない戦場」という魔訶不思議な状況を想起させる。

少なくとも「彼」「彼女」の生きてきた現実 ── 即ちその生い立ちと現在の状況を知らない以上、安易に「そういう立場になるかもしれないという想像力の欠如」とは言えないのではないか。
例えばわたしはどう想像力を働かせても、彼、永山則夫の犯した「罪」以前に、はたしてこのような境遇・環境のもとで人間が生きてゆけるのか?と呆然と自問するのが精一杯だった。

わたしは、永山則夫や、この小説の主人公のモデルになった女性が、「極めて特異な例」「絶対的に異質の他者」であるといっているのではない。人間どのような些細な契機で、「どん底」に落ちるかもしれない。
それは「眞實」ではあるけれども、そこまでの「想像力」を人間に求めることは無い物ねだりではないかと思うのだ。所詮我々は縁日の露店で遊ぶおもちゃの鉄砲か紙飛行機くらいの射程・飛行距離の想像力しか持ち合わせてはいない生き物なのだ。

自分自身を顧みても、例えば、わたしは生きている限り、決して幸せになることはないし、人から愛されることも、こころから関心を寄せられることもないと断言できる。
だとすれば、それをぺらりと裏返して、自分は決して不幸にはならないし、人生で躓くこともないという確信も、矢印の向きが違うだけで、「自分の現状(幸・不幸)は未来永劫変わることはない」という信念(信仰?)を持つという点に於いては何ら変わるところはないのではないか。
だからこそ、わたしは安易に「想像力の欠如した人たち」と一方的に非難することはできない。その言葉は容易に自分に撥ね返ってくる。

「人間に起こりうることで、自分にかんけいのないというものは一つもない」という
先哲の言葉があるが、わたしは人間の幸福とは無縁だし、「彼ら」は人間の不幸や苦しみというものと無縁なのだろう。

想像力の欠如を嘆く前に、もう一度原点に立ち返り、われわれは人間に何を求め得るのか?人間に何を期待し得るのかという根源的な問いを発するべきではないだろうか?

答え ー 「何も」



ー追記ー

この小説がどの程度事実に基づいて書かれたものであるのかはこのインタヴューには明記されていない。しかし、仮に主要な事実をベースにしているとしたら、この事件で、子供を放置し死に至らしめた母親(小説では蓮音)の母親琴音は、実父から暴力を、義父から性的な虐待を受けている。これは上にも書いたように、永山則夫の母親がやはり虐待の被害者だったことと重なる。

言葉尻を捉えるようだが、引用したインタヴューの中で作者は、「分かれ道で選択を誤り、転落するように人生がどんどん狂っていく」と語っている。

「選択を誤った」のは彼女(蓮音)だろうか?永山だろうか?またそれは、「人生の岐路で選択を誤った」と表現され得るものなのだろうか。

『永山則夫 封印された鑑定記録』によれば、当時欧米ではすでに、母子関係がその後の人格形成にいかに大きな影響を与えるかの研究が進んでおり、「母親またはその代理者の愛情喪失による対象関係形成の失敗は、人格のすべてにわたる全体的な発達を停滞させる。」R・A・スピッツ。
「人間は出生直後から親によって豊かな愛情を与えられ、依存欲求が満足され、保護・安定感を得なければ、他の人間を深く愛し尊敬することができず、良心も健全に発達せず、人間全般に対する不信感と攻撃性が発展するのである」K・ローレンツ、W・ハラーマン

つまり「愛されざる者」は、極論すれば、「人間になり切れなかった者」「人間になれなかった者」を意味することを示唆している。

およそ「人間になる機会を奪われた者たち」に、人生の岐路に於いて、「適切な判断」が下せるのか、ということである。そしてそれは「彼」あるいは「彼女」の「責任」なのか?ということだ。

インタヴューで語った言葉というのが、往々にして、実際に語った言葉と異なるということは決して珍しいことではないが、この発言通りであるとすれば、山田詠美の「選択の過ち」という表現は、軽率の誹りを甘んじて受け入れなければならず、「このような意味の発言」ということで、一言一句正確でないとすれば、新聞の質・レベルを疑われても致し方ないだろう。















「不謹愼であれ」


不謹愼であれ 小熊秀雄


わたしがはげしい憤りに
みぶるひを始めるとき
それは『あらゆる自由』
獲得の征途にのぼったときだ、
不德でも
また貪欲でもなければならない。
惡い批評を歓迎する、
下僕共は主人の規律を守らうとして
過去の調和と道德とを愛する

 『人間が犯しうるあらゆる不善
 いづれも皆公然と聖書に記されたるもののみならずや?』-ブレイク

聖書もまた喰ひたりない
私が犯す不善は
聖書の中に書かれていないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、
歴史はまだまだ聖書に
かかれない偉大な不善を犯すだらう
しかもその不善は
あくまで獨創的で
我々のものでなければならない。


『本についての詩集』長田弘 選(2002年)より


私が犯す不善は
聖書の中に書かれていないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、

嘗て「引きこもりは人生に対する罪であり、また罰である」と言った人がいた。

わたしをわたしたらしめているもの。それはわたしの「不善」であり、「聖書に書かれざりし」「不德」ではないか。

その不善は
あくまで獨創的で
私のものでなければならない。










2019年7月1日

「蠍が蠍を癒やす」


「傷を舐め合う」という言葉がひどく意味深長に聞こえて、嫌いではない。
つまるところ、非(乃至(反))人間的な大都会で人間が人間らしくいるためには、動物的本能に身を任せるしかないのだ。早い話、「愛し合う」ことだ。「生きていくうえで負った傷を舐め合うこと」だ。

ブラッサイの撮った夜の女たちが好きだ。
種村季弘は、「娼婦はすべての男を愛するが故に一人一人に対してはゼロだ」というようなことを、『幻想のエロス』の中で語っていた。種村氏がそんな単純なことを考えているわけはないだろうが、所謂公娼はともかく、ブラッサイの写真の中、暗い路地のガス燈の下で男(客)を待つ女たち(私娼)には深い孤独を感じずにはいられない。
仮に、所謂通俗的な意味での「愛情」というものが不在であっても、それが所詮はゆきずりであり、いくばくかの金が手渡されたにせよ、真の孤独と孤独が触れ合えば、そこに束の間でも「愛情」に似た感情は生まれないだろうか。
肉体そのものに「Soul」はあり得ないだろうか?



久しぶりにスコティッシュのクールなブログを覗いていてこんな絵を見つけた。


ブコウスキーの、これはなんだろう?本のカバーでもなさそうだし、映画のポスターにも見えない。


ここに書かれている文句がいかにもブコウスキーらしい。

"I don't like jail ; they got the wrong kind of bars in there."
「俺は刑務所は嫌いだね。やつらは間違った「バー」をそこに作りやがったからさ」

これはBar(s)=「酒場」と、「鉄格子」を掛けたジョークだが、それにも増して
この何やらチープなイラストがいい。
Mauro Mazzaraというイタリアのアーティストの作品らしい。




仮に売買春というものが「社会の害毒」云々と言ったところで、ならばその「毒」を以て毒を制する以外に生きる途はないのではないか。

生きる?少なくとも鎮痛剤を飲むよりは遥かに「人間的」だろう・・・

嘗て女郎屋に身を売ることを「苦界(海)くがい)」に身を沈めると言った。
どんなに厭な客でも客は客だ。一方で、真に情(じょう、なさけ)のある客もいたはずだ。厭な客の相手ばかりさせられる中で、そういう男に出会うことは真の歓びであり安らぎであり、恋であった。古来そのような場所を嫌悪した文学者、詩人、歌人、画家がいただろうか。

廓が苦界であるなら、客はひと時の安息を求めて、またよその苦界から女の元を訪れるのだ、そもそも人が生きていくうえで、「苦界でない場所」などあるだろうか。

嘗て開高健は「森羅万象に多情多恨たれ」と言った。
わたしはその言葉は「苦界」の中でこそ花開くように思えてならない・・・



'Body and Soul'  Sonny Stitt

「ボディー・アンド・ソウル」ソニー・スティット(テナー)