2019年7月27日

戦場のカメラマンたち


「スマホとパソコン。単に大きさが違うだけじゃない」と思っている者は案外多いのだろうか?

2008年の秋葉原での殺傷事件の際に、血まみれで倒れている友人を抱きかかえている男性の周りで、その様子を(当時はスマホなど無かったので)携帯電話のカメラで撮影している者が複数いたという。傷ついた友人を支えている若い男性は、それらの蠅共に向かって、「止めろ!撮るな!」と叫んだ。(-これは当時の新聞記事「朝日」だったか「東京新聞」だったか、による)

スマホは携帯用カメラとしても、秋葉原事件当時の携帯と比べてはるかに機能も性能も向上しているだろうし、動画も撮影できるらしい。

あの時、事件の渦中にいたのは、加害者加藤智弘と、傷ついた被害者たちだけではないことを誰もが忘れている。いや、誰もが気にも留めていない。

白い車が血で赤く染まるほどになって車から降り、その後、タガーナイフで通行人を襲った加藤智弘。
そして傷つき、絶命した人たち。

加藤も必死だった。被害に遭った人たちも、必死だった、命懸けだった。そこは血にまみれた戦場だった

その傍で、ニヤニヤか無表情にか知らないが、携帯電話をかざして、その様子を写真に収めていた者たちがいた。

誰の心が最も醜いか?誰の行いが最も凶悪か?

11年後の今、同じような事件が起こった時に、その場に居合わせた人間は、誰言うともなく皆がスマホをバッグなりポケットに収め、救助に、手当に努め、誰一人、目の前の惨劇を「撮影」する者などいないと言えるだろうか?救助に懸命になる人たちが多いことは認めよう。(だがそれは昔からそうだった)しかし、同時に、「カメラアイ」たちが、秋葉原当時よりも二倍以上に(それよりもっと?)増えているだろうという予想は、まるで見当違いの邪推だと言い切れるだろうか?

今は誰もが携帯用の監視カメラを持っている時代に思えてならない。

洋の東西を問わずいつの時代も品性卑しい「野次馬」は存在した。
しかし時代は野次馬に「カメラ」と、写したものを瞬時に世界中に拡散できるSNSというおもちゃを・・・否、「武器」と「正義」を与えた。下司野郎の代名詞であった「野次馬」は、一躍、ジャーナリストに昇進した。



・・・なにか書いていてひどく虚しい。彼ら(=スマホ愛好者)は、わたしの言い分をそれなりに認めつつも、それに遥かに勝る「スマホ」の利点を述べ立てるだろう。「犯人の特定に大いに役立つ」とかなんとか。

どうでもいいよ。所詮君等とわたしとは、永遠に相容れざる仇敵同士なのだから。









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