2017年12月31日

名もなきヒーローたち

下はジム・ジャームッシュ監督の2013年の映画、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の主人公アダムの部屋に飾られているポートレイトたち。


映画自体は吸血鬼モノであり、ラブストーリーということもあって未見だが、ミュージシャンであるアダムの部屋のシーンだけでも強烈な印象を残す。
これらはアダムの好きな人たちであり、ミュージシャンとしてのアダム、人間としてのアダム、そしておそらくは恋人としてのアダムに何らかの影響やインスピレーションを与えている人物たちなのだろうけれど、この部屋にもまた(当たり前のように)間接照明が用いられて、部屋に奥行きと静けさと落ち着きを与えている。

映画は観ていないが、アダムの部屋の写真を見たのは2~3年前。当時これらのポートレイトの何人の名前を知っているか試みた。
今は答えを知ってしまっているが、初見当時わかったのは
1、2、6、7、8、9、10、11、14、16、17、18、19、22、23、
26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、42、
43、44、49、51、52、53、55、56、57、






「本棚の中身を見ればその人がわかる」というけれど、こういうのを見ると、最早一目瞭然という感じがする。

このような部屋に強い関心を抱くと同時に、果たして自分が同じような部屋をつくり、敬愛する人物の肖像を60も並べることができるかと想像すると、どうもそれは難しいように思える。
わたしはただ作品を知っているだけで、彼や彼女の現実を知らない。たとえばわたしはショパンの音楽が好きだが、ショパンという人間がどのような人物であったかは、彼の身近にいた人達しか知り得ない。よく知りもしない人物を、その作品のみを以て愛することは、わたしにはできそうにない。

' Only Lovers Left Alive ' 「恋する者たちのみが生き残る」
アイドル(偶像、ヒーロー)が何十人いようと、生き残ることはできない。
何故なら彼・彼女らは、わたしだけのーわたしのためのヒーローではないのだから。
わたしを生かしてくれるのは、わたしと向かい合ってくれる誰か以外にはない。
それを恋と呼んでも、愛されることと言ってもいい。
アダムの部屋に飾られている数多くのヒーローたち。
けれども多くのアメリカ映画の登場人物たちは、家族の、子供の、また恋人の写真を、常に自分の傍(かたわら)に置いている。ベッドサイドに、オフィスのデスクの上に、また財布の中に、そして旅行に行く時にはトランクに詰めて・・・なぜならばそんな身近で名もない存在こそが、彼や彼女を愛し抱きしめてくれるかけがえのない本当のヒーローなのだから。


ポートレイトの人物の名前は こちら
(画像をクリックすると大きな画面で見ることができます)
あなたは何人わかりますか?

追記

上記リンクで、皆があれこれと名前を挙げているのがとても興味深い。
特に#18を「マックス・ベックマン?」と言っている人が居るが、確かにこの写真はマックス・ベックマンのセルフ・ポートレイトにそっくり!

マックス・ベックマン
Self-Portrait with a Cigarette, Max Beckmann. Germany (1884 - 1950) 


ルイス・ブニュエル



美の中に求めているもの

ブログのカバー・フォトを替えた。
はじめは英国のエディター兼アーティストのブログから拝借した下の、' The view from Hawker's hut ' ー(ロバート・スティーブン・ホーカー Robert Stephen Hawker. (1803 - 1875)= 英国の牧師・詩人の小屋からの眺め)という写真を使っていたのだけれど


今はなんとなく眩い日差しの下に青く広がる海という気分ではない。

そこで昨日からソール・ライターの、1957年にニューヨークで撮影された「板の間(あいだ)」というスナップ・ショットを使っている。

Through Boards, ca 1957 © Saul Leiter

ソール・ライターは以前から好きな写真家で、今年7月に渋谷のBunkamuraで展覧会があったのだが、結局行けずじまいになってしまった。
その他にも東京ステーション・ギャラリーで行われたシャガールの陶器のエキシビジョンも遂に観ることができなかった。

外に出るということが年々困難になってゆく。

誰かが、「旅をするということは、自分にとって死に場所を探しに出かけるようなもの」と書いていたけれど、現実に旅をすることのできないわたしは、無意識に映画や絵の中に「死に場所」を尋ねているところがある。無論そのほとんどは既に地上から消滅してしまった風景なのだけれど。
最晩年の尾崎放哉は、病院で死ぬくらいなら、この(小豆島の)青い海と青い空の中で死にたいと荻原井泉水宛ての手紙に書いている。
「ホーカーの小屋」のような風景もまた、わたしにとって憧れの「死に場所」のひとつであった。

ギュスターヴ・ドレの描いた「山の川」にもやはり強く心を惹かれる。

Gustave Doré. French (1832 - 1883) Rivière de montagne / Mountain river

このような場所で、たったひとりで、ヴァージニア・ウルフがしたように、ポケットに小石を詰めて、流れる水の中に身を沈めたいという想いに駆られる。
父の田舎(信州)で、数年前ひとりの老いた女性がやはり川で自死した。
渓流であっても、凍えるような寒さの中でなら死ねるのだ。

わたしが夢想する「死に場所を求めての旅」とは、現実的・具体的な「場所」の発見、遭遇ではなく、どのような場所に魂を憩わせたいかという、心の彷徨であり、感情世界の出来事なのだ。

かつて西行は

 願 わ く は 花 の 元 に て 春 死 な む そ の 如 月 の 望 月 の こ ろ

と詠った。

美を希求する心とは、あらまほしき魂の置き処を探す果てしのない営みであるのかもしれない。

「死ぬことを 持薬を飲むがごとくにも われは思へり 心痛めば」
と、かつて啄木が詠い、死を想うことで心慰められたように、古いフィルムの中に、或いは一枚の絵の中に、死の安らぎにも等しい慰安を見出すことが、わたしにとって「美」に求めてやまないものであるのかもしれない。

映画『蟹工船』(1953年)で、船員のひとりである山村聰が、甲板で若い人夫と話をするシーンがあって、文学好きの若者が、武者小路と啄木がいいというと、彼は、「啄木か・・・死ぬことばかり考えているようじゃ人間おしまいだな・・・」と言い、次の瞬間甲板から身を躍らせる。
彼もまた、雨に濡れた鋼鉄のように凍てついた色を見せる北の海こそ、と心定めて船に乗ったのかもしれない。

・・・わたしにとって「新たな年」を想うことは、とりもなおさず「死」を想うことに他ならない。













2017年12月30日

穀潰しの倦怠

遊民遊民とかしこき人に叱られても、今更せんすべなく

 ま た 今 年 娑 婆 塞 ぎ ぞ よ ⾋ の 家  一茶

ああ、また今年も、みすぼらしいこのわび住まいで、何の役にも立たない穀つぶしの生活をすることになるのだ

『日本の文学古典編 43 蕪村集 一茶集』の解説(揖斐高)によれば、
「一茶四十四歳の年の歳旦句(新年の所感を詠んだ句)。前書きの「遊民」は、定職に就かずぶらぶらと遊んでいる余計者。ここでは俳諧師の身の上をいう。「かしこき人」は、高い見識を持つ人。一廉の人物。「娑婆塞」は、何の役にも立たないのに、娑婆(この世)に生き永らえているいること。穀つぶし、の意。

『文化句帖』文化二年八月の箇所に、一茶は『西鶴物がたり』から、いくつかの語彙を書き抜いているが、そのひとつにこの「娑婆塞ぎ」がある。この語の卑俗な強い調子の語感が一茶の自嘲と居直りの心情によく適ったものと見えて、早速実作に利用してみたのである。季語は「ことし」、新年。」 とある。

今年もあと二日。とても一茶のような心境ではない。
「居直り」も「自嘲」もない代わりに、新年に臨んでの所感も、希望も持ち合わせてはいない。
ただ年々厭世観と厭人感がいや増すばかりである。



厭世観や厭人感といった心の在り方をもひろく包含する概念として「生の倦怠」所謂「アンニュイ(Ennui)」がある。そのアンニュイについての定義をめぐって書かれた文章の中に、以下のような箇所がある。

「ヴァレリーの『魂と舞踏』のなかでソクラテスが医師のエリュクシマコスに向かって「病のなかの病のための、毒中の毒のための、造化にさからうあの毒液のために」有効な解毒剤を持っていないかときく所がある。
「何の毒液です?」とパイドロスが尋ねるのに対してソクラテスは次のように答える。
「・・・生の倦怠という毒液・・・よく知ってもらいたい。私は一時の倦怠をいうのではない。疲労による倦怠、病源のわかっている倦怠、限度の知れている倦怠ではなく、あの完全な倦怠。不遇や不具を原因とするのではなく、あらゆる境遇のうち、見る目にも幸福な境遇にすら順応するあの倦怠ーーつまり人生そのものを唯一の実体とし、人間の明察力を唯一の第二原因とする倦怠なのだ。この絶対の倦怠はそれ自体として、人生が人生そのものを明晰に見るときの、あの裸の人生にほかならない」(伊吹武彦訳)」
『老いての物語』 (Ⅱ 定義集 「アンニュイ」 定義3) 河盛好蔵 (1990年)

けれどもわたしのこの「厭世観」が、単にロマン派的、文学的なアンニュイと呼べるものかどうかは疑わしい。
少なくともわたしの場合、この懈怠が、「人生そのもの」に由来しているとは思えない。明察力、といういささか面はゆい表現を避け、その原因を探ろうとするなら、わたし固有の美意識・感受性が、現在のこの歪(いびつ)な都市(或いは国)に生きることへの倦怠と疲弊を招来している、といったほうがより正確であるように思う。
それは誰かが書いたように、「正常であることがとりもなおさず「異常」を意味する・・・」ような現代社会に生きることの堪えがたい苦痛なのだ・・・

ボードレールに倣っていうなら、もはやわたしは一個の落日である・・・

                               Anonymous - "Greensleeves" to a Ground in G major




2017年12月29日

虚ろな眼差しの行方・・・

         Simon on the Subway , 1998、Nan Goldin 


こういう光景・姿を見なくなった。
電車の中でぼんやり窓の外に流れる景色に目をやったり、周囲の人を見るともなく眺めたりすることがほとんどなくなっている。
この写真が撮られた1998年、今から約20年前、人々はまだ何を手に入れていなかったのだろう?そして、なにを目にしていたのだろう?




ひとは「見るともなくみる」という眼差しのあり方を失ってしまっているのではないか。
いま、人の目は、「ある(或る / 有る)特定のモノを見る=読みとる」ためにしか使われていないのではないか?



 天 井 の ふ し 穴 が 一 日 わ た し を 覗 い て い る

 鴨 居 と て 無 暗 に 釘 打 っ て あ る が い と お し

と放哉が詠む時、その眼差しには彼の心情が寄り添っている。
あたかも蚊や蠅のように、今までそこにいた身体を離れ、「天井」や「鴨居」に心を移動させることなく、目の前に立ち現れたものを認識するだけの固定された視線には、「天井に開いているふし穴」や「釘の打ち付けられた鴨居」以外の声は届かない。

芸術とは(あるいは詩とは)「虚」(非現実)と「実」(現実)との間(あわい)にこそ花開くというけれど、いま、人々の心は、過去の人の眼に映ったような、「豊穣な虚空」に眼差しを漂わせているだろうか。

障 子 の 穴 を さ が し て 煙 草 の 煙 り が 出 て 行 っ た ー 放哉

虚ろな目は、現実世界の凝視に倦み疲れた、日頃、肉体に幽閉されている魂の抜け穴なのかもしれない。
それを「放心」-「こころを放つ」と呼んでもいいかもしれない。

どこにも所属しない眼差しというものが失われているのではないだろうか。


「デイドリーミング」
Daydreaming, Oliver Ingraham Lay. American (1845 - 1890) 



                                              Sonata XIII- John Cage       


2017年12月28日

間接照明


久し振りにアートの投稿。このブログでは、これまでずっとアート(絵画・写真)のみを投稿してきたので、日本語用(?)の投稿は事実上初めてなので慣れない。

わたしは時々「言葉」というものに疲れてくる。
わけ知りの、賢しらな物言いに耳を塞ぎ、目を閉じてしまいたくなる。

“Saying nothing sometimes says the most.”

「何も言わないことが、時に最も多くを語る」とエミリー・ディキンソンはいう。
言葉でも、明りでも、'Less is More'
「少ないほどより効果的」ということを思う。

そこには想像力を迎え入れるための沈黙、そして闇があるから・・・
闇があるから灯りが温かい
光があるから影がやさしい・・・

ろ う そ く 立 て た 跡 が い く つ  も  机 に 出 来 た ー放哉



写真、上はアメリカの女流カメラマン、ナン・ゴールディン
下はレンブラント。



Nan and Brian in bed, NYC, 1983, Nan Gorldin.
The Holy Family at Night, Rembrandt Harmensz. van Rijn, c. 1642 - c. 1648 



2017年11月17日

a man with a past

金持ちになりたいと思ったことはない。けれども時々サザビーズやクリスティーズのアンティーク・オークションのカタログをのぞくと、こういうものが買えるだけのお金があれば・・・などと考えてしまう。
うつくしいランプや花瓶、置時計、小物などを身近に置いていると、自分が「過去」のうつくしい時代に生きているような気になってくる。


誰かがデザインについてこんなことを書いていたっけ、「・・・われわれは記憶するアルス・コンビナトリア(=結合術)の上で勝負をする者なのだ。そうだとしたら、「これ、ちょっと新しい技術でつくったんだけど」とか、「このデザイン新しいだろ」と自慢げに言うような奴がいたら、そのときは、「ねえ、きみの技術もデザインも、ちっとも新しくなんかないよ。もっと懐かしいものを作りなよ」と言ってやりなさい。」と。

けれども「懐かしいもの」を新たに「作る」ことはできない。「懐かしいもの」は過ぎ去った時の中にのみたゆたっているものだから。
「ふるい記憶」を「新たな技術」と結合させて、「懐かしいもの」を作ったところで、それは所詮「擬(もどき)或いは(まがい)」に過ぎない・・・

オスカー・ワイルドは言う
"I like men who have a future and women who have a past."
「わたしは未来を持った男と、過去を持つ女を愛する」

わたしは「未来」に興味はない。
わたしは過去を持つ男と、女と、そして「過去を持つ世界」を愛する。
そして自分自身が「未来を持たぬ男」として、「過去」に取り巻かれていたいと願うのだ。


それにしても、いつも思うことだが、このようなカタログに映し出された絵や調度品は何故か「そのもの」よりもうつくしく・・・というよりは洒落て見えるのは何故だろう。
カタログに使われているのは、絵画なりランプや花瓶のディテール+タイポグラフィーだ。おそらくこのデザイン性に惹かれるのだろう。



2017年11月8日

消えない音・・・

わたしが外に出られない理由は、何度も書いたけれど、外界の醜悪さ、「音」「臭い」「光」「色彩」などが生理的な不快感を引き起こすからだ。

けれども、これを「知覚」の「矯正」によって、「感じなく」させることをわたしは望んではいない。
醜いものを醜いと感じること、それによって外出が著しく困難になっても、自分の感受性を偽るよりはマシだ。

ブラック・ジャックに「消えた音」という作品がある。

田舎で先祖代々伝わる田畑を耕して地道に暮らしていた男がいた。
最近彼の村のすぐそばに飛行場が出来て、昼夜を問わず飛行機の騒音に悩まされるようになった。
いつかかれは飛行機の轟音を聞くと発作的に自分の鼓膜を破ってしまうようになる。
何回も鼓膜の再生手術をしても、彼は発作を繰り返す。医者はこれではどうしようもないからと転地療養を勧めるが、
先祖代々の土地を離れるわけにはいかない。

或る時、彼がまた発作を起こしたとき、たまたま外国から帰ってきて、飛行場の近くにいたブラック・ジャックが彼の鼓膜を手術することになった。
ブラック・ジャックの手術は特殊なもので、患者の耳に伝わる音がある一定の音量を超えると、鼓膜が自動的に開き、音が聞こえなくなるものだった。つまり彼は轟音が聞こえない耳を持つことになった。

数日後、男がブラック・ジャックの処にやってきて、鼓膜をもとに戻してほしいという。
音で苦しめられているのは自分だけじゃないというのを聞いて、BJは「他の住民にも同じ手術をしてくれと言うのか?」と訊く。けれども男は、そうではなく、問題は騒音をまき散らす飛行場の存在であって、音が聞こえなくなることじゃない、それでは何の解決にもならない、という。ブラック・ジャックは黙って男に手術室に入れという。

そう。問題は世界の醜さであって、それを自分の知覚から遮断することではない。
あるものを見えなくすることや、聞こえなくすること、無視できるようにすることではない。

それは戦場で、人を殺すことに無感覚になるような洗脳を施すことに等しい。

今日、駅で、「北海道新幹線」のポスターを見た。醜悪なデザインと悪趣味でけばけばしいしいバックの色彩。
でも、それがニッポンなのだ。

審美的ひきこもり

多くの人間は自分をとりまく世界を、周囲の都市を、街を、審美的に眺めることをしない。
もし人が審美的な目をもって現在の都市を見つめるなら、「街が醜悪であるために外に出られない」ということも充分考えられることだろう。
「ひきこもり」を語るとき、いつもそこには「審美的判断」という視点が全く欠如していることに驚いている。

『...人生の現実的悲劇はいとも非芸術的なやり方で起きる。そしてそのがさつな暴威は、全くの不統一、意味とスタイルの欠如によって人間を傷つける。卑俗さにあてられるのと同じように、人間はそれにあてられるのだ。それでわれわれはそれが純然たる暴力行為であるという感じを受けて、あくまでもそれに反抗する...』

ー オスカー・ワイルド 『ドリアン・グレイの肖像』より

その時「反抗」の形は、世界からの撤退、離反という形をとることもあるだろうし、ラッダイト運動のような形をとることもあるだろう。

「落ち葉」 ー ある引きこもり論

わたしは自分がいわゆる「引きこもり」であるにも関わらず、世の中で同じようにそう呼ばれている、或は実際に「ひきこもって」いる人たちの現実を全く知らない。
彼ら・彼女らは何故引きこもっているのか?外へ出られないのか?出たくないのか?
また「出られる条件」というものがあるのか?

ここにひとつの新聞記事がある。
東京新聞に今月の19日に掲載された『引きこもりやめた息子』という投書である。

以下その記事からの引用

『高校を卒業して十五年間引きこもっていた息子が、仕事を見つけ働き始めた。父親の死をきっかけに、母親のわたしの生活を心配し、自分の年齢を考え、NPOの人たちの助言を得て、自らハローワークへ出向いたのだ。
仕事は清掃業務。わが家から十分で行ける某大学の街路樹の落ち葉をかき集めることだと聞いた。
人間関係が苦手な息子にとって、自然が相手の仕事はよかったとわたしは思った。

          (中略)

学生の往来の中、息子は褪せたグリーンの作業着に軍手をはめ、ざわざわとふり落ちる葉を竹ぼうきで懸命にかき集めていた。そばにはリアカーがあった。集めた落ち葉を積むためだ。
この日は風の強い日で、掃いても掃いても、掻き集めても掻き集めても、風は容赦なく葉をまき散らした。息子は風が少し弱まった時を見計らって、バサバサっと集めた葉を入れると、リアカーを引いて行ってしまった。
息子の背中が今の彼の年齢より、ずっと年取ったように見えて、わたしは胸に突き上げるものを感じた。
しかし、どんな仕事を選んでも、働くということは、また大きくいえば、生きるということはこういうことだ。
今の息子にはそのことを身をもって知ってほしい。リアカーを引いていく息子の後ろ姿に、今の時間を、今日だけを考え頑張ってほしいと願った。その積み重ねこそが、明日につながるのだから...』



近くの比較的緑の多い公園の中を歩きながら、今の時期、初老の男性たちが作業服を着て、
やはり公園の道に散り敷かれた色とりどりの秋の落ち葉をせっせと掃き集めているのをいつも奇異の念を持って眺めている。何故落ち葉をかき集める必要があるのか?何故このような色彩の美を、ゴミのように扱うのだろう?

この投書に書かれている息子さんの仕事を貶めるつもりはない。このようなことが「仕事」になるということがおかしいのではないか、と思う。塵一落ちていないような殺風景な道を自転車で走りながら、「無駄な仕事だなぁ」と嘆息を漏らす。
これが竹箒で掃き集められている分にはまだその光景には情緒というものもあるけれど、あの改造バイクのマフラーのような轟音を放つ噴射機のようなもので、およそ秋の落ち葉の風情とは相容れない爆音とともに落ち葉を吹き寄せているのを見るにつけ聞くにつけ、避けようもなく「鈍感!」「愚劣!」「愚鈍!」という言葉がある種の「殺意」に似た感情とともに湧き上がってくる。

投書にある息子さんにはいつまでも竹箒で落ち葉を集めていてほしい。正式な名称を知りたくもないあの忌まわしい機械のノイズによって、秋空の下を、秋色の上を歩くことを不可能にされている者が、確かにいるのだから...


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 Coming Autumn, John Atkinson Grimshaw. (1836 - 1893)