2019年2月28日

ロンリー・プレイス#2 


Black Heads over the Chesapeake, 1930's, A. Aubrey Bodine. (1906 - 1970)




Lonely Place / ロンリー・プレイス


LaSalle Street Station, Chicago, 1936, William M. Rittase. American (1894 - 1968)

George Washington Bridge, 1948, Benn Mitchell. American, born in 1926
- Gelatin Silver Print -

Untitled, 1952, Benn Mitchell. American, born in 1926

First Presbyterian Churchyard, ca 1950, A. Aubrey Bodine. American (1906 - 1970) 








2019年2月27日

フランク・アウエルバッハ / Frank Auerbach Ⅱ


フランク・アウエルバッハのポートレイトです。


Head Of E.O.W. 1955
- Oil on Board -




Head of E.O.W.  1952
- Oil on Card - 

Head of Gerda Boehm 1981
- Oil on Panel -


これらの「貌」は醜いでしょうか?「これは人のカオじゃない!」といえるでしょうか?
わたしはひょっとしたらこれは自分の貌かもしれないと思います。
或いは人の貌もこのように多様であれば、などとも考えます。

駅のホームで、電車のなかで、まったく無表情でスマホを見つめている不気味な生き物たちに比べて、これらの貌にはテクスチャーがある、マチエールがある。つまり「手触り」「質感」がある。ユーモアさえあります。
わたしにとっての最大の醜さとは「均質性」です。

何度もいうように、今の世界はわたしの本来属する世界ではない。
わたしは一見皆と同じ人間のように見えるかもしれない。しかし現実はそうではない。
わたしは自分を「ニンゲン」とは思わないし、ニンゲンでありたいとも思わない。
わたしは本来の世界に還りたいのだ。「この貌」の属する世界に・・・


Seated Figure with Arms Raised 1973
- Oil on Board - 

世の中に「現実」以上に醜いものはない。





2019年2月26日

苦笑…



一冊の本は、延期された自殺だ
ー エミール・シオラン


わたしの場合、ブログを書くことはまさに「延期された自殺」だな。
ただし書くために延期しているのではなく、死ねないから書いているのだが・・・
いつ、もう書かなくて済む時が来るのか・・・


(「死ねないから書いている」なぜ「死ねない」のか?こっそり教えてあげよう。それは自殺するのが「こわい」からだ・・・)







フランク・アウエルバッハ / Frank AuerbachⅠ


わたしの好きな画家のひとり、フランク・アウエルバッハ / Frank Auerbach.
彼は1931年にユダヤ人の両親のもとにベルリンに生まれ、6歳の時に、ナチを逃れて英国に渡りましたが、ベルリンに残った両親は彼と英国で合流する前に強制収容所で虐殺されました。

彼の天分が最も活かされているのは、観る者を惹きつけて已まない一連の見事なポートレイトですが、今回はこの素晴らしい「仰向けにベッドに横たわるヌードの女性(E.O.W.)」(1959年)を。

尚彼は度々英国政府からナイトの称号を受けるように打診されましたが拒否し続けているとのことです。
真のアーティストは、いかなる国家権力とも懇ろになるべきではない。
どこかの国で「画伯」とか「先生」などと呼ばれている人たちは別として・・・

※(画像をクリックすると拡大して見られます)


E.O.W. Nude Lying on her Back, 1959 © Frank Auerbach. courtesy Marlborough Fine Art


source1

source2

サルバトーレ・フューメ / Salvatore Fiume Ⅱ


再度、サルバトーレ・フューメです。

わたしにとって、現在の外界は「異世界」です。わたしは彼らの「仲間」ではなく、おそらくはまた同じ種類の生き物でもない。
似た外観を持ちながら、本質的に異質であるということはけっして快いものではありません。
フューメの以下の絵には、「人間」が描かれていない。描かれているのは石像たちの世界。わたしには何故か彼らの「沈黙」が心地よい。
「静寂と沈黙」を感じさせる画家は、フューメと同じ時代、同じ国のジョルジュ・デ・キリコがいます。キリコの作品にも不思議な静けさが漂っていますが、彼の絵はわたしに心の平安を与えない。フューメの絵には温かさが感じられますが、キリコの描く隘路は冷たい。
わたしはフューメの石像たちの島に行ってみたい。人っ子一人いないが、何故か落ち着きを感じさせる。そしてわたしは、石像と言葉を交わすことができるでしょう。
何故なら彼らは「言葉」をもたないから。

人間ではないがロボットではない。ロボットが「近未来」或いは「現在」のものであるなら、この石像たちは「古代」を感じさせます。「アルカイック」「インティメット」そして「プリミティヴ」・・・つまりロボットやA.Iとは対極に位置する存在です。
石であれば、どんなに冷たくとも温もりを感じることができる。

最後の絵「タヒチ」は、唯一人間が描かれています。
タヒチといってまず思い出すのは、画家ポール・ゴーギャンです。
タヒチからパリに戻ったゴーギャンは、その文明化に失望し、再びタヒチに還り、そこで生涯を閉じます。21世紀のわたしが憧れてやまない、あまりにも美しいパリ・・・それが文明に毒されていると悲しんだゴーギャンの気持ちを想います。

「われわれはなにものか?どこからきて どこへいくのか?」有名なゴーギャンの作品のタイトルです。

この美しい言葉に、わたしはこう添えたい。

「われわれはなにものか?どこからきて どこへいくのか?なぜいまここにいるのか・・・」

◇    ◇


Città di statue / City of statues 1949


The square of the statues / The square of the statues



Isola di statue / Island of statues 1961


Monumento al gallo / Monument to the rooster



Isola con statue / Island with statues

Isole nel sole / Islands in the sun 1963

Tahiti






◇Mostly From Here and There◇




2019年2月25日

リカルド・マルティネス / Ricardo Martínez


20世紀メキシコの画家、リカルド・マルティネス /  Ricardo Martínez. (1918 - 2009)

Mujer recostada / Woman reclining, 1984
- Oil on Canvas -

El Abrazo / HUG, 1991
- Oil on Canvas -







2019年2月24日

牢獄の中の自由…



「彼らは私を牢獄に入れることはできるだろう。けれども、私は創造し続ける。」
ー マクブール・フィーダ・フセイン Maqbool Fida Husain.(インドの画家、1915-2011)


◇From Here


もう少し彼の作品を

Beauty Brain


Kobra





最近のわたしのTumblrへの、アートへの回帰はどういうわけだろう。
本を読むのが嫌になったわけではない。
ただ、他の人間に通じる言葉を持っていないのだ。
昔から言葉はわたしにとって、思索の道具ではあっても、交流のためのものではなかった。

ただ黙々と好きな絵や写真と向き合っているだけで満たされる。
誰が見ているのか、誰がこの絵を好きなのか、そんなことは気にならない。
それはただ、わたしとアートとの満たされた時間だ。















心地よい抽象


Gialli e neri di Spagna N. 2 / Spain's blacks and blacks N. 2,
- Oil on Canvas -  
ジュゼッペ・サントマーゾ Giuseppe Santomaso(1907-1990)


Composition Gris Monochrome
セルジュ・ポリアコフ Serge Poliakoff (1900-1969)


抽象画ではありませんが、ハンス・ハルトゥング Hans Hartung (1904ー1989)

Untitled(768)


彼の抽象画も興味深いものです。


Untitled(529)










追記「健康であること」とは


例えば1920~30年代のドイツで、ドイツ人ユダヤ人であるを問わず、「健康」であるとはどのようなことであったか?
同じ時代の日本、イタリアではどうか?

わたしたちは戦前・戦中の歴史で、多くの「転向者」を見てきた。自分の考えを貫くことはしばしば死を意味したからだ。生き残るためには「適応順応しなければならない」そしてそれは往々にして「堕落」と同義だ。そして生き残ることは「至上命令」だと石原は言う。

そして現代の日本は100年前とそれほどまでに違うのか?
プリーモのアウシュヴィッツ、石原のシベリアと比較にならないほどの別世界なのか?

夜の町でからだを売ることを「堕落」とは考えない。
無宿であることを「堕落」とは思わない。
アル中ヤク中を「堕落」とは見做さない。
しかし、今の時代、何の屈託もなく日々過ごせることは紛れもなく堕落に他ならない。

或いは極論であるかもしれないが、そもそも人は「健康」でありうるのか?

汚れと悲しみを纏わぬ聖性というものがあるだろうか・・・





2019年2月23日

デイケアについて


デイケアに行ってきた。ここ数日春めいた陽気が続いている。今日は歩きで病院まで。
普通に歩けば10分以内で着く。けれども、月に3回ほど、ここに来るくらいしか外を歩くことがないので、脚が非常に重い。歩くことが大変に感じられる。
これでは夏の暑さの中ではとても10分も歩くことはできないだろう。
先の話をしても仕方がないが・・・

デイケアでは徐々に、参加者、スタッフとの溝を感じ始めている。
次第次第に居心地の悪さ・・・というか、主治医のいうように、「敬遠されている」感じがする。無論悪いのはこちらである。

今日は例によってディスカッション系のプログラムで、今回初参加のWRAP(ラップ)というプログラムだった。わたしはこのデイケアで初めて聞いた言葉だが、これはW=Wellness(健康)・R=Recovery(回復)・A=Action(行動)そしてP=Planning(計画)
の略で、わたしの勝手な解釈では「いつもげんきでいるためには」といった感じだろうか。

正直な感想を言うと、まったくわたしとは相容れない考え方のような気がしてならなかった。
「健康維持」「いつも元気でいるために」の方法論のようだが、他の参加者たちの間ではいわずもがなの前提として共有されているのかも知れないが、わたしにはそもそも「健康」とは「元気である」とはどのような状態を指すのか?そこのところがスッポリ抜けている気がする。

今日の話し合いについての詳しい話は省くが、当初の、心の病んでいる人たちに囲まれているという「安心感」というのは既に揮発してしまっているようだ。それに代わって、デイケアへの参加を重ねるにつれ、ああ、結局彼らも「心を病んだ普通の人」なんだ、という認識を深めつつある。

例えば彼らは、プリーモ・レーヴィの「人間であることの恥」
或いは石原吉郎の「生き残るためには「適応」しなければならない。そして「適応」とは「堕落」である」という言葉、さらには、「『正常』であることが即ち『異常』を意味するこの現代社会・・・」という辺見庸のやりきれなさに、どのように反応するだろう。
「この社会に絶望する人が一人でも増えること、それが私の希望です」という、最晩年に残した西部邁の言葉を、WRAPの参加者たちはどう聞くだろう?

これらのことばをひとまずこっちによけておいて、「健康維持」「いつも元気であるためには」・・・といわれても、わたしはとても話に加わることはできない。なぜならこれらの言葉こそが、まさにわたしの気持ちを表しているのだから。

今日は具体的には「あなたをサポートしてくれる人」について話したが、「サポーターは5人はいた方がいい」とか。例えば市の障害者福祉課の保健師、保健所の保健師、精神保健福祉センターの相談員と話しても、彼らはわたしがいったい何に困っているのかを理解してくれない。彼らが訊きたいのはひとつだけ、「健康に、元気になりたいのか?」それだけだ。

WRAPにしても「そもそも人間にとって健康とは何か?何故健康である必要があるのか?」そのような基礎中の基礎である「定義」があるのだろうか?健康とは何かという検証・考察・思索はなされているのだろうか?

このようなことが重なり、わたしは次第に発言をしなくなるだろう。何故って、そもそもの前提を他の参加者との間で共有できていないのだから。

このままデイケアを続けて行けば、否応なく「普通の人」との隔たりを実感させられ、孤立を深めるだけではないか?既にそんなことを考え始めている。
そして彼らをみていると、「心を病む」ということがどういうことかもわからなくなってくる。あの中で、言葉の本来の意味で「真に病んでいる」のはわたしだけではないのか、と。

「健康になりたくない」と言っているのではない。健康とはどういうことかと訊いているのだ。そして今現在この国で、この都市で、「健康である」ということは可能か?可能であるというのならそれはどのような形でか?と訊いているのだ・・・















2019年2月22日

サルバトーレ・フューメ / Salvatore Fiume. 


久しぶりにTumblrに投稿。やっぱりアートを渉猟していると時を忘れて熱中してしまう。
今日は20世紀イタリアのアーティスト、サルバトーレ・フューメ (1915 - 1997)

彼の絵は以前1枚だけ投稿したことがある。今回改めて観ると惹かれる。


Il raduno delle statue / The gathering of the statues, Salvatore Fiume. Italian (1915 - 1997)
- Oil on Masonite -


Nativity, 1983


L'isola di pietra / The Stone Island


Isole di pietra / Stone Islands, 1967


Should Raphael’s knight awaken, 1983



From Here◇ 




2019年2月21日

好きな絵、好きな曲、そしてわたし・・・


A Window, House on the Hudson River, 1863, Thomas Worthington Whittredge. American Hudson River School Painter. (1820 - 1910)

「ハドソン川沿いの家の窓から」-アメリカのハドソン川流域に集った一群の画家たちのひとり、トーマス・ワーシントン・ウィットリッジの作品。窓から差し込む煌めく陽光がうつくしい大好きな絵の一枚です。


View from a Window, Marienstrasse, 1867, Adolph Menzel.

わたしは「窓」をモチーフにした絵が好きなのですが、これは、19世紀ドイツの画家、アルフォンス・フォン・メンツェルの「窓から見た風景」おそらく彼のアトリエか書斎の窓でしょう。
この絵は前にも紹介したことがあるような気がします。なんどでも紹介したい素敵な絵です。


Spring, 1933, Leon Wyczólkowski, Polish (1852 - 1936)


最後に名前はわかりませんが、ポーランドのサイトで見つけた画家の「春」という作品。
強く印象に残る一枚です。


◇    ◇



ここでいつも変な文章を書いているわたし、Takeoです。最新と言っても昨年3月の写真。新宿のDUGというジャズ喫茶にて。

おそまつ。

The Cranberries - Dreams

ザ・クランベリーズ「ドリーム」








それぞれの罪、それぞれの罰


「あらゆる罪を犯してきた、父親となる罪だけは除いて

ーエミール・シオラン『生誕の災厄』(原題日本語訳『生まれてきたことの不都合について』)

時に母に「なぜあんなのと結婚したんだ」と詰め寄りたくなる。
けれども、なによりも一番の犠牲者は母本人であることを知っている。
母は、「(あの男性との間で)母となった罪」を、自分を含めこの結婚で誰一人幸せになれなかったという罪を生涯をかけて贖おうとしている。
そしてわたしは「生まれてきたという罪」を母に対して負っている。

「生んでしまった罪」「生まれてしまった罪」それがわたしと母の生涯だったような気がしてれならない。

いま、この家族が、終わりの時に近づいているが、わたしは結局、父親となる罪を犯した男性についてほとんど何も知らない。どのような人生観を持っていたのか、どのような結婚観、女性観、家族観、死生観を持っていたかなど片鱗も聞いたことはなく、どころか、現役時代にどんな仕事をしていたのかさえ不明だ。

わたしに残されている記憶は、若い頃はただただ「怖い人」
老年になってからは、ただただ「汚い老人」・・・それだけだ。

子供を愛せないものが親になるということは、殺人に勝るとも劣らぬ「罪」に他ならない。

「父親が子供にしてやれる最上のことは、その子の母親を愛することだ」という言葉が好きだ。

母は生涯その夫なる男性を嫌悪し、軽侮し、同時にそのような人生を選択した自分自身を嫌悪し軽侮し続けた。

わたしは母には、「生んでくれてありがとう」といいたい。(現実には、それと同量かそれ以上の、生れてきたことへの申し訳なさの気持ちがあるが・・・)そして父に向かって「何故生んだ!?」と。

父と、わたしと、弟が、母の生涯を台無しにしたという思いは、きっと死んでも消えることはないだろう。
そして母もまた、自分のことは措いて、この結婚が、二人の子供を不幸にしたと最後まで自分を責め続けるのだろう。

そして死ぬまで、わたしも、母も、「あの男性」がいったい何者であったのかを、その内面を知る機会はないだろう。

わたしがこの世に言い残せることはただ一つ、どこかで聞いた言葉、


あらゆる罪を犯してきた、父親となることだけをのぞいて・・・







2019年2月20日

わたしの気持ち


● わたしは現代という時代とどうしても合わない。

● ではいつの時代、どの国に生まれたかったかというようなことは考えない。
現にわたしだって、大田区に居た10年前くらいまでは、文字通り自由に外を歩きまわれていたし、玄関とその先に展がる世界とのあいだには必然的な、滑らかな連続性があった。生れた時から時代と合わなかったわけではない。

● 「時代の問題」ではなく、あくまでもわたしの主観、わたしの感受性の問題だ。現に今の時代が住みにくいという声をほとんど聞いたことがない。

● わたしの時代はもう終わったと考えている。そして「今」に合わせたいとも、合わせようとも思わない。

●どこにせよ、移住ということが現実的ではない以上、これから先は、「精神の生=肉体の死」或いは「精神の死=肉体の生」のどちらかを選ぶ以外にないのではないか・・・







 

「良くなる」というアポリア…


この一年間ほど、けっして多くはないが、何人かの心を病んだ人たちのブログを継続して読んできた。「鬱病」「統合失調症」「社会不安障害」「引きこもり」「発達障害」など。
中には読み始めた当初から既に更新が途絶えて久しいものもあり、またいくつかのブログは、しばらくの沈黙の後、突然姿を消した。

現在は数人のブログを読むだけだが、この間、わたしが出逢った人たちの多くは「死」を口にすることが珍しくはなかった。そしてその原因は、今自分を苦しめている症状、状態が、一向に改善されないこと、また持って生まれた人見知り、或いは対人恐怖のような性質はこれからも決して治ることはないという絶望感からだったように思う。

言い換えれば、仮にそれらが「治癒される」見込みがあれば、おそらく彼らは死ぬことなど考えることはないだろう。「一人で外に出ることができれば」「人に怯えることがなくなれば」「この重苦しい倦怠感から解放されれば」「この自分の症状に合った職場に出逢えれば・・・」

そこが「彼ら」とわたしとの大きな、そしておそらくは決定的な違いなのだ。

「今あなたを苦しめている症状をたちどころに消し去る薬があります。あなたはそれを飲みますか?」と訊かれて、断ったり、迷ったりする人たちは、ほとんどいないのではないだろうか。

翻ってわたし自身を考えてみると、健康であるなしを問わず、今この時代に生きていること自体が「不自然」なのだ。そしてわたしにとって、この時代に生きていることが不自然である、ということこそが正に自然な状態なのだ。であるならば、「今わたしを苦しめているもの」の正体とは、「今という時代の風景」そのものなのだ。
「ひとりで自由に外に出られる」ということ以前に、わたしにとって「今の外の世界」とはいかなるものか?その検証を抜きに「出られること」のみを目指すことはナンセンスだ。

わたしは「今の時代が悪い」とも「生まれる時代を間違えた」とも言うつもりはない。ただ単純に、わたしの美意識と、時代のそれとの相性が決定的に合わなかったということだ。そして「健康になって無理して生きる」意味が分からないといっているのだ・・・


「電車の中で皆がみな、同じようにスマホに見入っている(魅入られている)。その不気味さから目をそらすため、誰もが必死にスマホを見つめている・・・」









2019年2月19日

「人間」から遠く離れて…


夕方4時からの診療に間に合うように行こうと思っていたが、午前中なかなか寝付けず、結局11時ごろに、自転車に乗って内科に行った。春めいた暖かい日差しの中を自転車で公園を抜け、昔ながらの団地群を横目に見ながら医院に向かう。
久しぶりに浴びる太陽の光。しかしわたしの心はただひたすらに「寂寞」「荒涼」・・・
それは単に、往復の道沿いに、まだ梅の花も、ほころびた木蓮も見ることがなかったということだけが原因ではないだろう。昨年の秋に、金木犀の香りの中、同じ道を走ったときにも全く感興というものを感じなかった。何かに心を動かされるという感情が完全に蒸発してしまったのかもしれない。

先週のデイケアの折りに、今更ながら手続きの一環としての担当者との面談があった。
「今の気持ちはどうですか?」と訊かれ、「今こうしてHさん(担当者)の前に座っている自分が不思議です」と答えた。向こうは、デイケア利用者として認められるだろうか、という、昨年のわたしの心配を知っているので、いまここに「デイケアの利用者として」Hさんの前に座っている自分が不思議・・・と解釈したらしい。ニコニコしながら、そんな心配いらなかったのにね。今となっては笑い話ね。といった反応だった。けれどもわたしがいったのは、いまわたしがこうして生きていて、このデイケア室のスタッフルームに存在していることの不思議さ、といったようなことだった。

精神面のみならず、身体的にも生きてゆくことがつらくなっている。
けれども、何度でも繰り返すが、医療の力で、今のこの状態が「良くなる」「健康になる」ということの意味がまるで分からない。
例えば、心身共に完全に健康な状態で、食うものに困らず、テレビもインターネットもできる環境の住宅とともに、広大な砂漠の真ん中に置かれたらどうだろう?生命を維持するあらゆるものが揃っている。ただ無いものがふたつだけ。心とぬくもりを通わせることのできる「他者」と「外界」だ。

単純明快な話だ。健康になり、どこにでも行けるようになったとして、何もしたいことがなく、どこも行くところがない。そういう状態での「健康」とか「良くなる」ってどういうこと?ということだ。

例えばスマホ(この文字列を打つのは本当に気が滅入る)。相当に思慮深い人であっても、最早「それ」を持っていない人は極めて少ない。なぜそんなに「あたりまえのように」「持つことを疑うことがとてつもなく不思議であることのように」それを持てるのか?
スマホを持つことの是非ではなく、それに対するわたしの、絶対に払拭することのできない抵抗、嫌悪だけを取り出しても、わたしは既にほとんどの人との間に巨大な亀裂を、決して架橋することの能わざる隔たりを抱えている。
「SUMAHO」に限ったことではない、わたしはTVを視ないが、インターネットをやっていると嫌でも目に飛び込んでくる広告、わけても「キャッシュレス」「A.Iの自我」「自動販売機に生体認証」...etcという広告(?)を見るたびに、誇張ではなく、心に痛みが走り、一刻も早くそのような世界からの逃亡=死を想うのだ。もう十分、もうたくさんだ、と。

最近は自殺のことをよく考える。「痛い」「苦しい」といっても、例えばその痛みや苦しみが、この穢土からわたしを引き離してくれる時に生じる痛みであり苦しさであるなら、縊死であっても、10階のビルからの飛び降りでも、飛び込みでも、すべては解放の痛みとして堪えられるのではないか。などと考える。

自殺は今や確実に、遠くない将来の生き方の選択肢として、確かな地歩を築いている。

「良くなりたいとは思わないのか?!」と問うより先に「良くなるということの意味」を教えてくれ。


尚、タイトルの『「人間」から遠く離れて』というのは、現代人は最早人間とは言えないというような意味ではなく、【多数派正常の原則】に則って、わたしの方こそ、現行の人間の概念から大きく逸脱している、という意味である。










2019年2月18日

二枚の画…


先月、デイケアで「絵を描く」プログラムに参加した時のことを書いた。
そのときに、まだお互いのブログ上でしか言葉を交わしたことのない、おそらく同い年の男性の「友人」(と、わたしが勝手に思っているだけだが)からもらったコメントが印象に残っている。

「もし今、自分が何か絵を描くなら、うつくしい絵よりも、ドイツ表現主義のような、いびつにゆがんだ、今の自分の崩れた内面をそのまま表出するような「醜い絵」を描きたい」と、わたしはいった。

彼はわたしの知らないドイツの画家の絵について話してくれた。以下、彼の許可を得て、コメントを引用する。


「私はドイツ表現主義や抽象表現主義の画家を詳しく知っているわけではありません. ですが, 頽廃芸術とされた画家の一人であるオットー・グリーベル (Otto Griebel) というドイツの画家が好きです. と言っても一作しか知らないのですが. 坂崎乙郎さんの『絵とは何か』という本の中で, グリーベルの《日曜日の午後》という鉛筆画の写真が載っていて強く惹き付けられたのです. この絵の実物を観たことはありません. 坂崎さんの本でしか観ていません. これは, 傷痍軍人が部屋で寛いでいる様子を描いたらしい絵で, 彼はおそらく失明していて義足です. 部屋が半地下で狭く, 彼の生活は困窮しているのかも知れない. この絵の読み方, 感じ方は人それぞれだと思いますが, 私はこの絵を (坂崎さんの本をめくって, ですが) 観る度に幸福になります. この絵は私にとって必要な絵なのです. 《日曜日の午後》の中に「美と眞實」があるのか, あるいはグリーベルの世間での評価がどうなのかも私は知りません. ただグリーベルのこの一枚の絵は私のところまで届きました. こんなところに絵の力というか本質があるような気もするのですが, 考え続けてみます. 」

わたしは寡聞にして、オットー・グリーベルという画家も、また彼がその絵を見つけたという本の著者、坂崎乙郎さんという人も知らなかった。

ただ、ここに描かれた、彼が唯一知っていて、またこよなく愛する一枚の鉛筆画の描写に心を動かされた。

盲目隻脚の傷痍軍人が、貧しい自分の部屋で、日曜の午後を過ごしている。おそらくは穏やかな心で。

「彼」はこの絵はインターネットで観ることができると教えてくれたが、なぜかわたしはこの絵・・・いや、「この絵の描写」に惹かれれば惹かれるほど、「それ」をみたいと思わなくなった。わたしの心の中には、すでに、「グリーベルの本物」とは別の、Sさんが言葉で描き出した、さびしいほどに静謐で愛(かな)しい一枚の画が着床している。

彼がこころから愛する「その絵」に関心がないというのは、Sさんにとっては遺憾なことであるかもしれない。しかし、わたしの心のなかに収められているグリーベルの絵は、単にSさんによる「本物の」説明でしかないのだろうか。
否。おそらくわたしはその絵をネット上で見ることができたとしても、上記の、Sさんの語った「その絵」のようには心動かされることはないだろう。

例えば友達が昔展覧会で観た絵について話してくれる。或いは、旅先で出逢った状景について。子供のころのある日の出来事について。わたしは決してその場面を「検索」して、見ることはできない。それでも見ることができないものは(わたしにとって)存在していないのと同じではない。
わたしは「Sさんの絵」と同じように、旧友が語ってくれた場面を活き活きと鮮明に想像することができる。
そのイメージは実際とはかなり違ったものであるだろう、しかしその差異に、何の問題があるだろうか。
わたしは確かにSさんと、グリーベルの絵を共有し、旧友と、その昔日の時を共有したのである。

わたしは何故かその絵のタイトルを『平和な日曜日』と勘違いしていた。彼のコメントに『日曜日の午後』と書いてあるのに。
傷ついて帰還した兵士と、ある日曜の午後の描写を聴いているうちに、自然とこの絵が「平和」という言葉に結びついたようだ。

光を失い、脚を奪われた軍人が、何故心穏やかな日曜の午後を迎えることができるのか。
わたしにはそれを説明する能力はない。殊に「喪われたもの」「理不尽に奪われた何ものか」そしてそれによって失われた未来・・・
そのような「過去」に執拗に拘泥するわたしのような人間にとって、何故彼は「喪われた今」に充足することができるのか、その心を計り知ることはできない。

それでも、この絵が、わたしに心の静けさ、穏やかな感覚(Calm and Quiet Feeling)を齎すこともまた事実なのだ。

長年つらいうつ病に苦しめられているSさんが、何故この絵をこよなく愛するのか、
この絵が必要とさえ思うのか。比較しては失礼だが、それは、例えばわたしのブログを読んでくれた人が、世の中への怨嗟に満ちたこのブログに「居心地の良さ」を感じてくれているということと同じくらい不思議なことだが、敢えてそれに対して、答えらしきものを求めようとは思わない。それはわたしが何故実際のグリーベルの絵ではなく、Sさんの物語った絵の方を愛し、重んじるのかということとと同じくらい、いわくいいがたい感情の領域なのだろうから。

いづれにしても、わたしの胸の中には、Sさんから手渡された『平和な日曜日』即ち『日曜日の午後』という静かな絵が一枚、確かにある。


不悉






2019年2月17日

Just Powerful!



James Carr - Pouring Water On A Drowning Man

ベストソウルシンガーのひとり、ジェイムス・カーの「ポウリング・ウォーター・オン・ア・ドラウニング・マン」

Van Morrison - Wild Night (1971)

'ブルー・アイド・ソウル'(青い目のソウルシンガー)ヴァン・モリソン「ワイルド・ナイト」



テリー・タレル / Terry Turrell


アメリカの画家であり彫刻家でもある、テリー・タレル / Terry Turrell (1946年生まれ)の作品を紹介します。
インターネット上では、彼の作品は、フォーク・アートとか、アウトサイダー・アートと呼ばれているようですが、詳細は不明です。

管見ですが、一般に、フォーク・アート、アウトサイダー・アートというのは、精神や知的な障害を持った人の作品とされているようですが、そのような枠組み自体が、およそ「アート」とは無縁だと思います。


"Compassion"



"The Edge of the Night"


"Short Stories #2"


"When the Morning Comes"


"Ice Water"


上手いですよね。(と言ってどれだけの人がうなずいてくれるかわかりませんが)わたしはこういう絵、好きです。どことなくジャン・ミシェル・バスキアを思い出します。


自分でもこういう絵が書ければいいなと思います。








2019年2月16日

襤褸の旗…


日々生きてゆくことのとてつもない困難を感じている。
そんななか、わたしの文章に2人の人が関心を示してくれたことを有り難いと思う。

まだわたしは、2人分、人間なのだろうか・・・

わたしの文章は、彼 / 彼女にとってどのような「意味」をもっているのだろう。

Fさんはここは居心地がいいと書いてくれた。

皮肉なものだな。

これほどこの世界に居心地の悪さを感じている者が書いた世界に「居心地の良さ」を感じるなんて。

常に「樹、静かならんと欲すれども風止まず」という心境のなかに生きる者の内面から、そのような静謐が感じられるなんて。

それにもまして、わたしに対して「敵意や嘲弄の対象」や「珍奇怪異な見世物」としてではなく、好意的な関心を寄せてくれる人がまだ世界に存在するなんて。

今日明日と、地元のTSUTAYAで、旧作のDVDレンタル100円キャンペーンをやっているらしい。ここから自転車で20分ほどだが、とてもそこまで行く元気はない。

今一番観たいのはデビッド・リンチ監督の『エレファント・マン』
もう一度彼の悲しみと、一人の人間の愛情によって、人間として安らかに死んでいったラストシーンを観たい。

「外に出る」ということはどういうことか、最早わたしにはわからなくなっている。

「外界」の存在しない世界で・・・厳密に言えば、「わたし」という一個の実存との、必然的な連続性を欠いた「異界」にあって、「外に出る」とはどういうことなのだろうか?


Southwest Fourth and Salmon Streets, Courthouse. 1939, Minor White.




Chet Baker & Paul Bley - If I should lose you 



晩年のチェット・ベイカーはほとんどジャンキーであった。そしてアムステルダムのホテルの窓から、事故か故意かは不明だが、落下して、その命は消えた。

わたしは、ほころび、破綻、ぽっかりと開いた疵口、破れ崩れた魂を持たないものを、汚れと傷のないものをどうしても愛することができない。
壊れていないものを、愛することができない・・・
力強いもの、輝いているもの、真新しいものは、それが自然の生み出したものでない限り、わたしの「敵」である。そしておそらくはまた「正しさ」も・・・









内輪的連絡。


ふたつさん。そして瀬里香さん。購読希望のメールをどうもありがとうございます。
「メンバー制保留」ということでがっかりなさりましたでしょうか?
仮に今後また「メンバー制」に移行するようなことがあれば、お二人を真っ先に招待します。
また現在は承認制にしてはいますが、コメントも受け付けていますので、お気軽に書きこんでください。(ブロガーにはなかなか慣れませんが、広告がないこと、自分でデザインできる部分が大きいことから、容易に離れられません)

ふたつさんのメール(メッセージ)にはいつもなかなか返事をする体力がなく申し訳なく思っています。メッセージの長短ではなく、いただいた思索に対し、どのように自分の気持ちを絡めてゆけばいいのか、まだそこまでの体力がありません。ご理解いただけると幸いです。そしてコメントはいつでも歓迎です。



2019年2月15日

人生は無頼不逞なもの、芸術は無慚なもの・・・


昨年の今頃だろうか、竹中労 - 原作・絵コンテ、画 - かわぐちかいじの傑作・怪作、『黒旗水滸伝・大正地獄篇』を夢中になって読んでいたのは。
最近「不逞鮮人」と自ら称した朴烈と金子文子の映画が公開されていることを新聞で知ったことからそんなことを思いだした。

当時はその影響で、中島貞夫監督の1969年作品、『日本暗殺秘録』も観た。無論映画館でではない、海外の人がYou Tubeに投稿していたものを観たのだ。

不逞・無頼に生きる。それがわたしの本懐ではなかったか。


現在わたしの読みたい本のリストには次のような作品が挙げられている。

● 死の懺悔 完全版 古田大次郎遺書 古田 大次郎/著 黒色青年社

● 現代日本思想大系 31 超国家主義 橋川 文三/編 筑摩書房

● 獄中手記 磯部 浅一/著 中公文庫 中央公論新社

● 難波大助の生と死 〔増補版〕 原 敬吾/著 国文社

● 彼方より 増補新装版 中井 英夫/著 潮出版社

● 美は一度限り 落日の美学闘いの美学 野村 秋介/著 21世紀書院


そしてわたしは辺見庸はもとより、西部邁、野村秋介、大杉栄、辻潤、竹中労、若松孝二のような人物を愛する「不逞の輩」だ。



今回ブログの「メンバー制」について悩み、「いのちの電話」に相談した。
珍しく男性の相談員で、詳しくは訊かなかったが、その人は学者らしく、様々な学会での50~60代の大の大人たちの醜悪さグロテスクさを嫌というほど見てきたといっていた。そして結論として、自分(彼)ならブログは「当然」「メンバー制」にする、と。

しかし「清潔で正しく、誰からも拍手を以て受け入れられる思想」ばかりではつまらない。
無頼で、不逞な輩が異端邪説を吼えて何が悪い。蛆虫にも言論の自由はある筈。

タイトルの「人生は無頼不逞なもの、芸術は無慚なもの」── これは実際は、
「作家は無頼不逞に生き、芸術とは無慚なもの」という画家鶴岡雅男の言葉だ。

人生とは無慚なものだ、そしてわたしは無頼不逞な生に憧憬を覚える・・・

ひとまず不逞ブログの「メンバー制」は保留にする。

最後に映画『日本暗殺秘録』のレヴューを。

これは昨年の2月13日に書かれたものだ。



◇    ◇


「テロリズムとは心優しき者の心に宿る思想である・・・」(竹中労)

先日、IRA、「アイリッシュ共和軍」の公然組織の政党名「シンフェーン」というゲール語の意味が「我らのみ」であると知った。そしてわたしは「我ら」という「等」を持たない孤絶した「我のみ」であると思った。昨夜観た映画で、主演の千葉真一演じる血盟団員「小沼正」は同志(村井国男)に向かって。「俺、わかったよ。「革命」ってのは「俺たち」でやるんじゃないんだな。「俺」がやるんだ・・・」

監督中島貞夫、脚本笠原和夫の1969年作品『日本暗殺秘録』は、先日かわぐちかいじの『テロルの系譜』を読んだ折りに知り、是非観たいと思っていた。
若山富三郎、片岡千恵蔵、高倉健、鶴田浩二、菅原文太、田宮二郎、里見浩太郎、藤純子といったオールスター・キャスト。それだけでエンターテインメントとして第一級の作品だが、微瑕を言えば、冒頭、桜田門外の殺陣のシーンで、黒澤ー三船や、今井正ー中村錦之助ほどの凄まじいまでの迫力が感じられなかったことだろうか。

タイトルの通り、この映画は日本の暗殺ーテロルの歴史をオムニバス形式で描いている。
143分。登場する暗殺事件は、 幕末桜田門外の変から昭和11年の2.26事件まで九つ。140分で九つの暗殺事件を描くなら、ひとつのエピソードあたり15分ほどになってしまって、事件の背景などは描きようもないのではないかと思っていたが、この映画のメインは、昭和7年に起こった血盟団事件で、次に2.26事件と、ギロチン社事件に多少の時間をかけているが、その他は、単に何時何処で誰が誰によって殺されたというシーンのみである。だったら初めから井上日召と血盟団事件の作品にすればいいのではと思うが、やはり、幕末ー明治ー大正、そして戦前と、連綿とつづく権力の支配・圧迫と被支配・屈従の「歴史」が続いていることを示唆する必要があったのだろう。
暗殺の前にも暗殺があり、テロルの後にもテロルがある。その変わらぬ国の風景の背後に何が潜んでいるのかを暗示する必要があった。

興味深かったのは、「ギロチン社」の古田大次郎も、血盟団の小沼正も、また2.26事件の磯部浅一も、異口同音に「革命」というタームを用いること。大杉栄虐殺の復讐に起ち上がったギロチン社の面々は、言うまでもなくアナキストであり、血盟団は右翼と言っていいだろう。
作品が作られた当時、「政治の季節」と言われた60年代後半~70年代にかけての時代の精神というものも影響しているのだろうが、そもそも竹中労が指摘するように、「左右を弁別せざる」思想にわたしは共鳴する。
戦いは左右の水平上の闘いではなく、上下の垂直方向の戦いであるべきなのだ。

政治的なスタンスをいうなら、わたしは勿論右ではないが、だからといって、左派かというとそうでもないような気がする。そもそも現在のこの国で、言葉の正確な意味での「右翼・保守」或いは「左翼・革新」というものが如何なるものであるのかがよくわからない。

戦後、俳優山村聰は映画『蟹工船』(1953年)を監督し、また国鉄下山総裁の轢死事件に材を取った、井上靖原作の映画『黒い潮』を撮っている。同時期、佐分利信は、2.26事件に取材した『叛乱』(1954年)の監督をしている。これこそ正に「左右を弁別せざる」時代背景ではなかったろうか。

わたしには「右」も「左」もないように思える。ただ、上(かみ)と下(しも)、富裕の貧困の対立があるのみだと。

映画は最後に

「そして現代
 暗殺を超える思想とは何か?」

と問いかけている。
けれどもそもそも「暗殺」或いは「テロル」とは「思想」だろうか?
転覆に転覆を重ねても、またいかなる体制であろうとも、国家がある限り権力があり、権力のあるところには支配がある。映画の中で田宮二郎の言う「我々の革命は、失敗はもとより、成功もまた死のはずだ。生きて二階級特進など、貴様ら、本気で革命をやろうと思っておるのか!・・・連夜紅灯の下に酒を飲み、女を抱き、自己の栄達のために革新を語る。たとえ成功してもそれでは単なる政権の交代、自分たちが権力を握るためのさもしい権力抗争に過ぎんではないか!」という心情に心打たれる。

狂気(兇器)の沙汰と言われ「思想以前」と言われても、それが故に、わたしはそこに人間性の哀しき美の発露を見る。

働けば血を吐き働かなければ喰えなくなる現在(いま)の俺の態(ざま)を見てくれ

喰うために全力をあげてなお足らぬこの世になんの進歩があろう

ー 渡辺順三 (1929年 昭和4年)


◇ 蛇足乍、わたしが、辺見が、西部が、竹中が「然り!」とするテロルとは、虐げられし者たちの、下から上へ向けた抵抗の謂いである。


































A Stranger On Earth


A Stranger On Earth  -  Dinah Washington


Some fools don't know what's right from wrong
But somehow those folks belong
Me, I try for all I'm worth
But I still remain a stranger on this earth

Some people gloom, other folk cry
Me, I have to struggle to keep alive
Ever since the day of my birth
I've been a stranger, stranger on this earth

I try to be what all folks should
Forgetting the bad and doing good
But no matter how I try
My troubles always multiply


Now I've been doing the best I can
Ever since life began
Some day when I prove my worth
I won't be a stranger on earth


Now I've been living the best I can
Ever since my life began
The day's gonna come when I prove my worth



Cover art  by David Stone Martin 1955


Thanks To Fragments of Noir



鼬の最後っ屁 その1


わたしはついに、わたしを瞥見し、「ああはなりたくないねぇ・・・」といえるだけの「正統性」と「まっとうさ」を持つことができなかった。

わたしはついに、強い者、支持される者、讃えられる者よりも、指さされ嗤われ、顔に唾を吐きかけられるものの方が人間として上であるという美意識を捨てることができなかった。

そして「ああはなりたくないねえ」と、誰かを見て言う側にならずに済んだことを感謝している。

明日いっぱいでこのブログは「メンバー制」になります。「メンバー制」なんて言ったって、肝心の「メンバー」などいないのだけれど、まあなんというか筆者の気休めのようなものです。



ー追記ー

メンバー制のブログを閲覧するには、閲覧希望者のメールアドレスに招待状を送る手順となります。これがそんな代償を払ってまで読みたいブログだとは思いませんが、万一、引き続きこの駄文を読みたいという奇特な方がいらしたら、右下のフォームからメッセージとメールアドレスを送ってください。

年齢性別障害の有無、職業国籍など肩書きは一切不問ですが、申し訳ありませんが全ての方に閲覧の招待状を送ることはしません。またこちらからメールを送ることもありません。
甚だ傲慢ですが、こちらの独断とメッセージの内容で判断させていただきます。
明日夜の時点で誰も閲覧希望者が現れなくても、このブログは「メンバーズ・オンリー」になります。

こんなブログを読むくらいなら、まともな本を数ページ読む方がよっぽど有益です。

If You want to keep reading / watching this humble blog, Please send me a E-mail address from the mail form, with some message about why you want to keep reading/ watching this blog?
I will send you a invitation massage.

https://www.howtonote.jp/blogger/ini/index4.html

Takeo




Members Only Bobby "Blue" Bland


Members only, it's a private party
Don't need no money to qualify
Don't bring your checkbook, bring your broken heart
'Cause it's members only tonight


Say you lost your woman, say you lost your man
You got a lot of problems, oh, in your life
Well, they're throwing a party for the brokenhearted

And it's members only tonight

Go tell Mama, go tell Daddy
Red or yellow, black or white
They're throwing a party, oh, for the sad and lonely
It's members only tonight


Members only, it's a private party
Don't need no money to qualify
Don't bring your checkbook, bring your broken heart
'Cause it's members only tonight

Say you lost your woman, say you lost your man
You got a lot of problems, oh, in your life
They're throwing a party for the brokenhearted
And it's members only tonight

Go tell Mama, go, go tell Daddy
Red or yellow, black or white
They're throwing a party for the sad and lonely
And it's members only tonight
'Cause it's members only tonight
'Cause it's members only tonight




2019年2月14日

「問い」


自分が、加速度的に「狂って」来ているのを感じる。ほぼ「狂人」といって間違いはない。が、いまだ「完全な狂人」にはなり切っていないことは辛うじて自覚できている。
しかし狂気の水位は既に胸のあたりまで上昇してきている。

これ以上「見世物」になるのは御免だ。
このブログは近いうちに「メンバー制」にする予定だ。
(わたしのほかのブログもそうだが)海外からの閲覧者が国内のそれよりも多いだけに残念だが、今は自分の魂を穢し貶めることを何より怖れる。
(「近いうちに」と書いたのは、このブロガーの使い方がまだよくわからないからだ。)


さて、「問い」

私:「何故私は誰からも嫌われるのでしょうか?」

A:「断言はできないけど、人を不愉快にさせちゃいけないわね」

私:「人を不愉快にさせているかどうかわかりませんし、そんなつもりはありませんが・・・」

A:「それを判断するのは相手であって、あなたではないのよ」

私:「ではどうすればいいのでしょうか?」

A:「人を不愉快にさせるような言動を慎むことじゃない?」

私:「蛆虫として生まれてきたことは「蛆虫の罪」でしょうか?蛆虫やナメクジが人を不快にさせるとして、それを「直す」「正す」とは、どのような意味でしょうか?」

A:「(苦笑)あなたは蛆虫なの?ナメクジなの?」

私:「そうです。あなたに違うという証明ができますか?」









「狂気の愛」とはトートロジーである…


嗚呼、わたしがほんとうに書きたかったのは、もっと別のことだ。

仮に精神障害者手帳1級であろうと、複数回閉鎖病棟に入院させられたことがあろうとも、基本的に「まとも」な人とわたしは友達になれない。わたしの真の友になれるのは、いわゆる「狂人」だけだ。つまりわたしのために「狂うことのできる人」だ。「正気の人」とは友達にはなれない。

以下2年前の2月に書いたフランソワ・トリュフォー監督作品、『黒衣の花嫁』のレヴューだ・・・


◇   ◇

『黒衣の花嫁』

フランソワ・トリュフォー1968年の作品。

ある晴れた結婚式の日、教会の向かい側のビルで、酒を飲みカードをしていた5人の男がライフルを弄んでいて誤って新郎を撃ってしまう。
愛する人を突然失った新婦、ジャンヌ・モローは自殺を図り窓から飛び降りようとするが止められてしまう。その日から彼女は「黒衣の花嫁」になった。「黒」は、死との婚礼、或いは死んだ者との契り、そしてその日から彼女自身が死んだことを意味しているように思える。

5年をかけて5人の身元を探り出した彼女は、ひとり、また一人と愛する人を殺した男たちを殺めてゆく。男たちはみな5年前の出来事など忘れている。

一人目の男は婚約したてのプレイボーイ。デートの時にテーブルの下にテープを仕掛けて、女性が足を組み替えるときのストッキングの擦れる音を録音しているような男だ。「ナイロンだ。絹のストッキングじゃこういう音はしない」と、呆れる友達に笑いながら話す。
ウィリアム・アイリッシュの原作を読んだことはないが、なかなか洒落たシーンだ。
その他にも、ジャンヌ・モローが時折レコードをかける時に使うポータブル・レコードプレーヤのデザインもいい。

二人目はすこぶる人のいい小市民といった男。これも彼女の美しさに惹かれて罠に陥る。

最終的に彼女は目的を達するのだが、一連の彼女の「復讐」を、「狂気」であるとか「常軌を逸した行為」と裁くことが出来る者がいるだろうか?

三人目を殺した後で彼女は教会の告解室で神父と話す。
神父は「憎む心で愛せるのか?」と彼女の行動を非難するが、「愛するからこそ憎める」のだ。

「あなたのために狂えるのは、わたしだけ」...誰の言葉か忘れたが、それが、真の愛なのだろう。

この映画を観て思い出すのは、小津安二郎監督の『東京物語』。
戦争で夫を失って8年、今もひとりで暮らしている紀子(原節子)に対して、義理の父親である笠智衆はいう、「もうわすれてくれていいんじゃ」すると紀子は「わたしずるいんです」という。
「彼のことを忘れている時がある」「思い出さない日もある」のだと。

いなくなって8年経った夫を忘れることがあるというのを「ずるい」と思うか「ずるいということはない」と思うかはそれぞれだろう。けれども「黒衣の花嫁」は忘れることが出来なかった。
複数とはいえ特定できる誰かに殺されたのと、戦争で死んだのでは違うというかもしれない、しかし例えば山上たつひこの『回転』などは、愛する人を戦争で失い、ある日彼女の愛を奪った「戦争」に「復讐」する話であった。

「黒衣の花嫁」も『回転』の女性も、紀子と違って「このままではいけない」という将来への漠然とした不安を抱いてはいない。紀子は「ずるい」といいながらも未来への希望も持っている。希望があるから不安があるのだ。
けれども上記のふたりにとって、人生は愛する人を失った瞬間から止まっている。一度止まった針は再び動き出すことはないのだ。

「黒衣の花嫁」も、おそらくは『回転』の女性も死刑になるだろう。けれどもそれよりも先に彼女たちの生命はすでに息づくことを止めているのだ。


2019年2月14日 ヴァレンタインズ・デーに記す。











「場」


「生きていくということは、どうしてまたこんなにむずかしいのだろうと、ため息をつきたくなる。何も考えずに、ただ無我夢中で追われていくだけなら、それほど身にせまっては来ないのだが、それでも背後にそびえ立つ目に見えない壁がゆっくりと音もなく崩れてくるような不安からは、一秒だってのがれるわけには行かない。そうして、ふと立ち止まると、その瞬間に自分の足もとで、思いもかけぬ深淵が口を開く。しかしそれでも、生きるということを放棄するわけには行かないのだ。この生きないわけには行かないということは、なんと理解しがたい、重苦しいことだろう。

ー石原吉郎「日常への強制」より [下線、本書では傍点]

「生きるということを放棄するわけには行かないのだ。」

「生きないわけには行かない」

彼はいったい何を言っているのだろう?

生きるということを放棄するわけには行かない? 何故?

それは我々誰もが「生という刑」に処せられていて、そこから逃亡することはできないという意味なのか?





「生き場所のみがのがれがたくのこった。死に場所を得られぬままに。」 ー 石原吉郎


「逃げ場はない。ただ死に場所だけがある」 ー 辺見庸


そしてわたしは再び繰り返す。「死に場所こそが逃げ場だ」と。









葬送


Adagio for Strings, Op. 11: Molto Adagio Composed by Samuel Barber. (1910 - 1981) Leonard Bernstein Conducted - Los Angeles Philharmonic.





わたしの友人が書いていた。「心痛み申し候…」を読んで。

「Takeoさんは本気で神と接しなければならない人、なのかもしれない。」と。

「神」については過去の投稿で幾度か言及している。

しかし今わたしに必要なのは、たったひとりの味方。

つまり是非・善悪を超えて、わたしの友だといえる人です。

それは或いは殺人者とその情婦との間柄に近いかもしれない。

それは言ってみれば「狂気」によって結ばれた関係。

嘗てマーク・トゥエインが言ったように・・・

「君が間違ったときにも味方である者が真の友だ。正しい時には誰でも味方だ」





"I would rather walk with a friend in the dark, than alone in the light."
― Helen Keller

「独りで光の中を歩くよりも、友と暗闇の中を歩く方がいい」(ヘレン・ケラー)

しかし、友こそが灯なのだ。闇の中だからこそ友なのだ・・・



Moonshine by the Sea, Charles-François Daubigny. (1860 - 1862)