2019年2月1日

これが人間か…If this is a man !


詩人石原吉郎は、昭和20年、日本敗戦の年の12月、ソ連軍の捕虜となり、その後8年間 ─ 30歳から38歳まで ─ をシベリアの強制収容所(ラーゲリ)で過すことになる。そして昭和28年(1953年)12月、スターリン死去に伴う恩赦で解放され日本へ帰国した。

以下はその約20年後、1974年1月の彼の日記である。



朝、満員電車のなかで、ふといやなことを思いだした。帰国して三日か四日目のことだ。東京駅で始発電車に乗ろうとしたら、あっというまにうしろから突きとばされた。呆然と立ったままの私の横をすばやくかけぬけた乗客たちが、からだをぶつけあうようにしてすわってしまった。その時のショックはいまでも忘れない。私はもうこんなことをしないですむところへ帰ってきたはずだった。
私は胸がわるくなって、夢中で電車をとび出したが、顔色が青ざめて行くのが、自分でもよくわかった。それからひと月ほど、電車がこわくて、ほとんどあるいてすませた。

その後、私は半年ほどラジオ東京のアルバイトに傭われた。仕事は英語のほん訳であった。そんな仕事しか私にはなかったのである。私のほかに、英文科の女子学生が五人ほど、おなじような仕事をしていた。私は英語の力をとりもどすため、夜学に通ったが、私のほん訳能力が向上するにつれて、女子学生の姿が一人づつ消えて行くのに、うかつにも気づかなかった。結局さいごには、六人でやっていた仕事を私一人でさばくことになったが、あるとき、それまでほん訳を外注していたある老人も仕事をことわられたことを知って愕然とした。

私は考えたすえ、アルバイトをやめた。人を押しのけなければ生きて行けない世界から、まったく同じ世界へ帰ってきたことに気づいたとき、私の価値観が一挙にささえをうしなったのである。

『石原吉郎全集 Ⅱ』(1980年)〔下線は本書では傍点〕



「これが人間か!」' If This Is A Man '
「人間であることの恥」' A Shame of Being A Man '

アウシュヴィッツの「生き残り」プリーモ・レーヴィの言葉である。

石原吉郎が、彼の死後、丁度10年後に自ら命を絶ったプリーモではなく、寧ろヴィクトール・フランクルの影響を受け、一方、石原を愛する辺見庸が、こよなくプリーモを愛する。これは何を意味しているのだろう・・・

いずれにしても、プリーモの叫びは、焼きごてで記された烙印のように、わたしの額から決して消えることはないだろう。「現代日本に生き残った者」という恥辱として・・・











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