2018年3月30日

Michikusa (道草)

なにかを書こうとすると、迷った挙句掬い損ねて、手からこぼれたより多くの言葉の方に気持ちが行ってしまう。

書くということは、いちめんの草原の中に一本の細い道を敷いてゆくことに似ている。切り拓かれた道の両脇には瑞々しい緑の草が生い繁り、さまざまな野の花が風にそよいでいる。時々ウサギが顔をのぞかせる。なにやら自分の作った貧相な路よりも豊かな世界がそちら側に広がり、輝かしい秘密が隠されているように感じられてくる。

子供のころ、夏休みの田舎道を犬と一緒に歩いた。犬はいつも道路わきの草の中に潜り込むようにしてザワザワと進み、下を流れる渓流に降りて行こうとし、なかなか人が作った「本道」を、わたしと一緒に歩こうとはしなかった。わたしにとっては「散歩」でも、犬にすれば、それは冒険のようなものだったのかもしれない。犬が紐を引くのに任せて、わたしは叢に分け入り、友が舌を鳴らす横で、冷たいせせらぎの水に手を浸すのが心地よかった。犬をわたしの歩く「本道」に連れ戻そうとはしなかった。泥道で靴を汚し、草の葉や棘で、半袖半ズボンの手足にかすり傷を負わされながらも、空を舞う小鳥の声を真近に聴き、小川の流れに汗をぬぐう・・・「道草を喰う」ことこそ、散歩の醍醐味だと知った。
犬と一緒に野山を駆け回っていたあの頃を懐かしく思い出す。
車の行き来が多く、緑の少ない都会ではそういう楽しみも味わうことはできないが、仮に叢に分け入ることはできなくとも、道連れがいったい何に興味を示すのかを観察しているだけでも興味は尽きないように思う。


ふりかえってみると、私が独り酒の味をおぼえたのは、三十数年前、パリで独り暮らしをしていたころのようだ。
フランスには、キャフェという独り酒に好適の場所がある。日暮れ時テラスに坐って、通りを行き交う人々を眺め、そのひとりひとりに人生のドラマを想像しながら飲む酒の味はまた格別だった。
夜が更けて、客の絶えた静かな店の片隅で独り飲みながら過去の追憶にふけったり、自分を相手に対話したりして時を忘れた
ー 山田稔『八十二歳のガールフレンド』(2005年)より

これなど正に街中の、群衆の中にあっての「眼(と心)の道草」と言えるだろう。

最近は携帯電話を一心に見つめながら物のように犬を引っ張りまわしている人を多く見かける。
通りに面したカフェのテラスで、道行く人の人生に思いを馳せたり、遥かな追憶の中に心を漂わせたりするよりも、席に着くや否や「それ」を取り出し、小さな画面に夢中になっている人が多いような気がする。

人は最早道草を喰わない生き物になってしまったようだ。
けれども、古来、道草があってこそ、俳句が詠まれ、詩が生れた・・・

        吟 行
菜 ば た け に 花 見 顔 な る 雀 哉  (芭蕉)

(「吟行」すなわち「道草」であった)








2018年3月26日

It's Not Unusual

先日「ブログ村」を退会したのも、またコメント欄を閉じたのも、最近わたしの抑鬱状態が一層亢進し、書いている内容に広がりも工夫もなく、毎度同じような「愚痴」と「ペシミスティック」な述懐、「希死念慮」といった「同工異曲」に陥っているためでもあります。

フォローしている人たちの「ナンノタメニイキテイルンダロウ」「シンデシマイタイ」といった短い言葉にわたしは慰められていますが、もとより彼ら、彼女らに掛ける言葉をわたしは持ちません。ひとはひとの苦しみを我がこととして感じることができない以上、全ての言葉は、彼らの心に届く前に、口から発せられた途端に揮発してゆきます。

現在のわたしは「刀折れ矢尽きた」とでもいうべき状態で、もはや為す術がありません。
30歳の時から25年間、様々な精神科及び、精神保健に係る場とコミットしてきましたが、今に至るもわたしの生き辛さはまったく改善されることはありませんでした。

「生きる意欲を失っている」というよりは、寧ろ、この世界には最早自分の息する場所は存在しないという、ほぼ確信に近い諦めが今のわたしの心を占めています。

わたしはもう、落ち葉が「ゴミ」として掃き清められるような公園を歩くことも、
10メートル間隔で、「ごみを捨てないで!」「みんなの森をきれいに!」という地元の小学生に書かせた看板が立ち並ぶ雑木林を歩くこともできません。

まだしばらくは残骸のようになりながらも生き延びているかもしれませんが、
一切の精神医療との関係を断とうと思っています。無論それに代わるなにかに援けを求めるつもりもありません。

數ならぬ 身の憂き事は 世の中の 亡き中にだに 入らぬなりけり 
(『後拾遺集』)










アンビバレンス

うつくしく、透明な文を書きたいという切なる欲求。
そして同時に「言葉」「知」というものへの根深い懐疑・・・

知的でありたいという欲と
無垢でありたいという希み

決して両立し得ないふたつの在り方の間で、どちらにも手の届かない空中ブランコ乗りのように・・・






懈怠のうちに死を夢む・・・

わたしは例外であり、相変わらず拒みつづける個なのであった。
しばしば引用される有名なテレンティウスの「わたしは人間である、とすれば人間に係りあることのなにひとつ、わたしにとって無縁ではない」という言葉をここで持出すとすれば、その頃のわたしは、もしかして人間ですらなかったのかもしれない。
ー 矢川澄子『反少女の灰皿』(1981年)より

「そのころのわたしはもしかして人間ですらなかったのかもしれない」という言葉を借用するとすれば、いまのわたしは最早人間ではないのかもしれない、そんな思いを、わたしは近頃とみに強く持ち始めている。
より厳密に言うなら、二十一世紀の地球に生きる人間では最早なくなっているのかもしれない、と。

こころが辛いときにわたしを慰めてくれるのは、悲しい音楽、悲しい映画。特にエンディングには最早主人公が存在していないような作品。

わたしの好きな二つの映画、『バタフライ・キス』と『海を飛ぶ夢』
ふたつの作品に共通しているのは、一番信頼している人に自分を殺してもらうこと。
わたしはそれらの映画を観て涙を流さない。
そのような「真の友」に巡り逢えたことを心から羨ましいとは感じるけれど。

・・・確定死刑囚と私を決定的に分かつもの、それは人を殺したことがあるかどうかではない。殺人というなら、戦争や飢える他者への想像を放棄したり冷笑したりすることによる未必の故意の殺人でこの国の人々の大半は有罪だ。確定死刑囚と私を画然と区別するもの、それは国家が彼らに断じて自死を許さないのに対し、私は自死の権利を少なくとも揚言することができ、うまくすれば実行することもできる、ということだろう。
ー 辺見庸 『自分自身への審問』より

死ぬことを
持薬を飲むがごとくにも われは思へり
心痛めば (啄木)

この歌を何度繰り返したことか・・・






2018年3月25日

春の淡雪のように・・・

最近わたしは何故これといった必要もないのに人間の姿をしているのか、と自らを訝る。
雪の日に笑顔の子供たちによって作られた純白のスノーマンも、翌日の太陽に照らされてその形を失ってゆく。
歪み、縮み、小さくなり、やがて溶けてなくなる。

亡くなった三島由紀夫さんが、いつぞやわたしたちの目の前でご自分の腕の皮をつまんで見せながら、こんなことをおっしゃっていたことがあった。
「近頃つくづく考えるけれど、人間てこれ、この皮膚の内側におこることは、けして他人にはわからないわけで、このうすっぺらな一枚の皮膚こそ、自他の間を決定的にわかつ曲者なんだよ、」と。
人間てつまりこれだよ。そんなふうないいかただったかもしれない。もう十二、三年もまえで、正確なことばづかいなどはわすれてしまっているけれど。それでもその、夏物の半袖からむきだしになった二の腕の皮を二本の指でひょいとつまんでみせた、その手ぶりだけはいまも鮮やかにこの目に残っている。
ー 矢川澄子『反少女の灰皿』(1981年)より

「人間てつまりこれだよ」 と・・・

わたしは自分の「輪郭」が、わたしという存在を規定していることを厭う。
わたしの「皮膚」という「境界線」が、わたしと自然、わたしと他者との間を分け隔てていることに倦んでいる。

もっと容易に、「人の形」つまり「人間であること」から解き放たれることができたら。

「人間であることの恥辱」と、かつてプリーモ・レーヴィは言ったが、「人間であること」とは、単にその内面、人間性(=非人間性)のみを指すのではなく、同じように「人間の輪郭を持っていることの恥辱(或いは屈辱)」とは言えないだろうか?人間の姿・形とその内面とは不可分なのだから・・・

水が液体となり、固体となり、気体になるように、人間も内面の状態に応じてその形態を変えることが出来たなら・・・

雪のように、雲のように、風のように、煙のように、うたかたのように、また夢のように、影のように、光のように、雨のように、響きのように・・・あらゆるはかなき姿を持つもののように。

この輪郭を、この存在を放棄する意思が、跡形もなく溶けて揮発することであればいいのに・・・

日の光が そっと小声で
雪にさそいの言葉をかける
苦しみなしに 死んでお行き
雲だってそうしている と
ー ジュール・シュペルヴィエル 「日の光が そっと……」









2018年3月24日

病んだ躰、歪んだ心

時折ツイッターをのぞくことがある。勿論わたしはやってはいない。と大見栄を切りたいところだが、実は(こっそり言うが)一度だけアカウントを作ったことがある。もっとも2週間ほどで辞めてしまった。沈黙を感じられない、ひたすらつづく黒い文字の羅列。蟻の兵隊のように、とめどもなく列をなす言葉たちの耐えられないほどの軽さ・・・

先日ひとつのアカウントに出会った。
重い病を背負った母親で、投稿によると、16歳(?)になる娘もやはり篤い病に侵されているらしい。
実生活についての記述がほとんどなく、「彼女」の「現実」を知ることはないのだけれど、とても透明な文章を書く人だった。
ツイッターでは、主に書くこと=「本」にまつわる人たちの投稿を読んでいるのだが、「彼女」の書いたものは、他のどのエディターや書店員、デザイナーや文学者、翻訳者などと呼ばれる人たちのものよりも遥かに静謐で、澄んでいた。



光うしないたる眼(まなこ)うつろに
肢(あし)うしないたる体になわれて
診察台(だい)の上にどさりとのせられた癩者よ
私はあなたの前に首(こうべ)をたれる。

あなたは黙っている
かすかに微笑んでさえいる
ああ しかし その沈黙は 微笑は
長い戦の後にかちとられたものだ。

運命とすれすれに生きているあなたよ
のがれようとしても放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて
十年、二十年と生きてきたあなたよ

なぜ私たちではなくあなたが?
あなたは代わってくださったのだ
代わって人としてあらゆるものを奪われ
地獄の責苦を悩み抜いてくださったのだ。

ゆるしてください、癩の人よ
浅く、かろく、生の海の面に浮かびただよい
そこはかとなく 神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつるわたしたちを。

心に叫んで首をたれれば
あなたはただ黙っている
そしていたましくも歪められた面に
かすかな微笑みさえ浮かべている

ー 神谷美恵子 「癩者に」


「なぜ私ではなくあなたが?
 あなたは代わってくださったのだ」

という有名な言葉が記されたこの詩。

幸せも、不幸せも、たまさかのめぐりあわせに過ぎないのか?
ただ、一つ言えることは、わたしたちの幸福はわたしたちの勝ち得たものではなく、
正にひとつの僥倖であって、同時に「彼ら」の不幸せは決して彼らの生き方に起因するものではなく、これもまた不運なめぐりあわせに過ぎないのだということを忘れずにいたい。

けれどもわたしはここで、幸運に恵まれたものが不幸せなものに尽くす「オブリージュ」について語ろうとしているのではない。

この詩の中で、やわらかな輝きを放ってわたしを圧倒するのは、神谷美恵子の献身的な愛ではなく、むしろ、
「微笑みを浮かべる癩の人」である。

ツイッターにうつくしい短文を綴る女性も、微笑みを浮かべる癩者の眼差も、どうしてそこまで穏やかになれるのか、森の奥で絹のような水を湛えた湖水のように静かに、透明になれるのか?そんな自問が、わたしの中に熾火のように紅い熱を発している。

もしわたしなら・・・

「悟りとは、平気で死ぬることではなく、どんな時でも平気で生きることだ」と子規は言った。己の偏狭な心が悟達の境地に程遠いこともさることながら、わたしはしかし、運命を従容として受け入れるという心的態度に、一抹の違和感をも覚えてしまうのだ。

微笑みを浮かべる癩の人を、「高貴なる魂」と純粋に、手放しに称賛できないこころの濁りが、わたしの胸底にわだかまっている。
何故微笑むことができるのか・・・?

すべての苦しむ人がここに描かれているような心の持ち主ではもちろんないだろう。
しかし、ハンセン病であれ、水俣病であれ、自分を忌避差別し、このような塗炭の苦しみを味わわせた者たちへの「怨」の気持ちが、このようにして見事に揮発(?)してしまうというのはどういう心の在り方なのだろうとわたしは思う。

運命を呪わず、人を憎まず微笑む人は、誰もが讃え、
逆に憎しみに凝り固まった者は、それゆえ孤立してしまうかもしれない。(それが「真っ当な怒り」で「正当な憎しみ」であるにもかかわらず)

神ならぬ人の身であるわたしであってみれば、赦すことは何よりも難しいに違いない。

・・・ひとりの凡俗の徒に過ぎないわたしに、何が善くてなにが悪い、あるいはこうでなければならないという定見はまるでない。
わたしも微笑みを浮かべる癩の人の前に立って涙を流さずにはいられないだろう。
と同時に、恨みと屈辱にのたうち回る人の心の、絶望的な暗黒の流砂もまた、わかるのだ。
そして付け加えるなら、わたし自身、おそらく後者=「憎む人」「呪う者」だろうと感じている。

赦しと受容、憎悪と拒絶・・・そこに優劣や美醜の物差しを当てはめるべきではないと思うのだ。


2018年3月22日

「ブログ村」退会

昨年末に登録した「ブログ村」を退会しました。
当初は「哲学」のカテゴリーで登録していましたが、どうも他の「哲学」のブログとは、だいぶ毛色が違っているようだと思い、その後、「ひきこもり」および「ひとりごと」に登録し直しました。
しかしそれでもわたしの書いているものは、ふつうの(?)引きこもり日記やひとりごとともちがうように感じるようになりました。

事実、このブログを訪れてくれる人の9割以上が「ブログ村」経由での訪問でした。
ということは、この日記を読んだ人のほとんどが「なぁんだ・・・」という気持ちを抱いているであろうということは容易に想像がつきます。

早くから「アクセスランキング」からは抜けていましたが、ブログ村に登録している以上、自動的に「新着日記」は表示されるようです。これ以上、「ブログ村」経由の訪問者を「ガッカリ」させたくないという思いから退会しました。

これで訪問者の思惑を気にせずに、「アート」でも「哲学」でも「反・政治」でも、「映画」でも、「カテゴリー」に縛られることなく自由に書くことができるような気がしています。そして見知らぬ人をわたしの愚にもつかぬ繰り言に付き合わせる心配がなくなったことでちょっとホッとしています。

これまで「ブログ村」でフォローしていた、「引きこもり」「ダメ人間」「社会不安障害」「貧乏・生活苦」「うつ病」などのブログは、ブックマークに収め、引き続いてフォローしてゆくつもりです。無論彼ら・彼女らはわたしの存在など知る由もありません。








ノート つれづれなるままに Ⅱ 

むなしさの大きなひろがりのなかで
どんな系にも属さない星のように
拒み拒まれる個であろうとするか
避けがたい万有の引力に
汝が肌の痛むときにも?
ー 多田智満子「挽歌」より



My room place, ca 1868, Wilhelm Busch. (1832 - 1908)



「シガ フタリヲ ワカツマデ・・・」
死は愛を別つことはできない

とはいえ、それは死んだ者があなたの傍にいるというような意味ではない。
ピアフの『愛の讃歌』で歌われているように、死がふたりを別つことができないということは、どこまでも一緒に行くということ。

「こぼれ松葉は 枯れて落ちても 二人連れ」
ー 志ん生 『心中時雨傘』より



手紙 

そのひとの「手」で、その人の言葉が綴られた「紙」
ひさしくそんなやりとりをしていないせいで、わたしの魂の一部が干上がっている。
それがわたしに過度にディスプレイ上の文字への反感を起こさせるのかもしれない。


「みる」「きく」「ふれる」「におう」「あじわう」
これが揃っていれば、「かく」「はなす」能力などは無くてもよいと思う。
但し、人間の五感に相応しい世界が未だ存在するのならば、という前提付きで。


強い透明志向があって、純一無雑を望むなら、言葉を書くことも絵を描くこともできないだろう。表現するとは、透明な湖水に一石を投じて波紋を生じさせることだ。



世の人々が見ている世界と、わたしが見ている世界とは、仮に網膜上では同じであり、物理的(形而下的)には同一のものでも、本質的にはきっと異質なものなのだという思いが拭えない。
だれもわたしに世界の美しさを示し、わたしを納得させることはできない・・・



一人、二人、三人・・・とはいうけれど、
独り、二人、三人という数え方はしない。
「一人」と「独り」とはちがうのだろう。


Sleeping with Bear, Mark Simont.  




















2018年3月21日

断想 ー つれづれに想ふことなど

「傷をなめ合う」という言葉が、屡々否定的な文脈で語られているのを聞く。
しかしわたしはこの言葉が好きだ。
傷ついたけものが森の洞窟の中でお互いの傷をなめ合う。
彼らは人間のように、器用な手を持ってはいないし、薬も包帯もないから、お互いの舌で愛撫しあう。なぐさめ、いたわり合う。
怪我をした人間が、病院で機械的に傷口を処置されることに比べて、彼らの行為は遥かに愛情に満ちた「手当て」ではないだろうか。



「選べば即ち遍(あまね)からず」(荘子)
なにかを書こうとするとき、この言葉が時によみがえる。
ひとつを選ぶということは他を捨てることに他ならない。
ひとつの言葉、ひとつの表現を採ることで、他にあり得た言い方が取りこぼされる。
わたしはいつも、その掬い取った手から零れ落ちた言葉たちの輝きを見つめている。



ある人が引用していた言葉

「誰かが死んだという事実は、その人がいま生きていないことを意味するかもしれないが、存在しないことまでは意味しない。 悲しみの回帰線を超えたことがない人には、そのところが理解できない。」 ー ジュリアン・バーンズ 『人生の段階』

わからない。
誰かが死に、もはやそこにも、ここにも、どこにもいないということは、即ち存在しないことではないのか?
もし死んだことがその人の不在を意味しないとしたら、世の中には何故悲しみというものがあるのか?
かくれんぼをしていて、いくら待っても決してその人は姿を現すことはない。
もう二度と、うしろからくすくすと忍び笑いをもらしながら、あたたかな両のてのひらでわたしの目を覆い隠してはくれない。
それを不在といわずになんというのだろう・・・

わたしには一体なにが「理解できていない」のか・・・



スマートフォンが普及し尽くし、電子書籍が跳梁跋扈するに至って、
この世から「現実逃避」というものが無くなった。
かつて人は本を読むことによって、架空の物語、見知らぬ世界、未知の国に逃避した。
けれどもいま世の中のひとの姿がおしなべて「現実べったり」に見えるのは、彼らの持ち、彼らの読むものが本ではなく、「機械」であるからだけではない。
彼らが「それら」を用いて、小説を読めど物語を辿れど、それを「現実逃避」とは呼ばない。何故なら彼らは業界に、資本に奉仕する消費者に過ぎないのだから。
そこには「現実という穢土」から高く離陸し飛翔しようとする人間精神の高貴な営みは存在し得ず、魂の浄化も、解放も、救済も成されることはない・・・



一人旅や散歩が趣味だと書いている人を見ると、いったいわたしは彼/彼女と同じ世界に属してゐるのだろうかと訝しくなる。



HUG や KISSの文化・習慣を持たないことは決定的な、致命的な弱みと言える。
言葉など所詮は凍える裸身にぶら下がる「一糸」(「一糸纏わぬ」の一糸)に過ぎない。
抱擁こそが遍きものだ。

ぎゅっと抱きしめることが出来れば、賢しらの千言万語など風の前の塵に等しい。



見知らぬ人のブログで、うつくしい田舎町の風景を写した数葉の写真を見る。
けれどもそのありのままの自然、無邪気な子供たちの姿が何故かわたしには空々しい作り物・・・映画のセットのように感じられてしまう。
およそ自然に見えるものが(観光用に周到に仕組まれた)フェイクに感じられ、光沢を持つ人工物こそが現実味を持つ世界にわたしは生きている(生かされている)

落ち葉をゴミとして掃き清められる街にわたしは生きている・・・



Andrew Wyeth



お い と ま を い た だ き ま す と 戸 を し め て 出 て ゆ く や う に ゆ か ぬ な り 生 は
ー 齋藤史

・・・しかしわたしはこの女流歌人が後年二つの勲章を受勲したことを決して忘れない。
わたしたちは、過剰な添加物に着色された人の口から溢れた言葉を、無自覚に、無頓着に呼吸している。













2018年3月20日

つづき・・・

けれども、愛されるとは、選ばれることである。愛するとは、他ならぬ一個を、他から峻別し、その他を斥けることである。(ちょうど写真を撮るときに眼前の風景の一部を(確信をもって)切り取るように・・・)
幼子の無垢の魂(プシュケー)に向かい合っているとき、わたしは最早人間である必要はない。
そのときわたしは「ひと」の姿をとどめていなくともよい。一塊の土塊(つちくれ)であってもかまわないのだ。言いかえるなら、土塊であることができるのだ・・・
愛は人を屹立させる。その眼差しによって、愛されたものの存在は彫心鏤骨され、彼は改めて他ならぬ「彼」として、人に愛されることによって、人として「あらしめられる」



2018年3月19日

「少女」について・・・「アリス」未満

2008年にブログというものをはじめて10年。約3千650日。その間に古いブログに投稿した数が671。今年になってこちらに移ってきて、今まで55個の記事を書いている。一方2011年春、即ち7年前の3月に始めたTumblr(タンブラー)、最近は投稿も間遠になりがちだが、過去にポストした絵・写真の数は約2万1000点ほどになる。
この数だけでも、この間どれだけわたしが「アート探し」に没頭していたかが知れる。
直観的に「あ、いいな!」と感じたイメージを選んできたつもりだが、仮に、中でもいちばん好きな写真は何ですか?と訊かれたとしたら、おそらくわたしは、「最も思い出深い」写真という意味で、ユージン・スミスの『楽園への道』"The Walk To The Paradise Garden" (1946年)を選ぶだろう。
ひとりの少年がまだあどけない少女(妹)の手をしっかり握って、森の中の光の中に歩み入ってゆく、ふたりの背後から撮った写真なので、子供たちの表情は見えないが、男の子の確かな足取りに幼い妹は全幅の信頼を寄せている様子が感じられる。



いま読んでいる本の中に、「ぼくはちっちゃいちっちゃい女の子と遊ぶのが好きなんだよ」という言葉が出てくる。
これはルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンについて語られた文章中に出てくる言葉なのだが、この言葉の主については触れられていない。
ところで、アリスは、わたしのなかでは「ちっちゃい女の子」の範疇には入らない。
彼女は『オズの魔法使い』のドロシー同様に、少女ではあるけれども、女の子ではない。
小さくとも、年若くとも、既に人間である。

わたしのいう「ちっちゃい女の子」とは、より正確に定義しようと試みるなら、未成の人間、生まれてから、「人間」という一個の動物になる以前の、束の間、どこにも帰属しないはかなく無垢な魂とでもいうべきか。
自・他の区別も未分化で、好・悪についても定かならず、きれいやきたないという観念にも無頓着。上手い喩えではないかもしれないが、『泥んこハリー』のように、泥の中で転げまわって、黒いブチの白い犬が、灰色のブチのついた黒い犬になってしまったような、そんな無邪気さ・・・

宮崎勤の事件が起きた後に、伊丹十三と岸田秀、そして精神科医福島章が、事件について対談した『倒錯』という本を読んだ。その中に「彼(宮崎)は自己のアイデンティティが不確かで、大人の女性と向き合うことができなかったので、少女を対象として選ぶようになったのではないか?」というようなことが書かれていたように思う。
実はわたしはこの事件について詳しいことをほとんど知らない。
ただ、自分に置き換えてみると、アイデンティティを持つ相手に対するときには、こちら側にもまた、自己のアイデンティティというものが求められる。
しかしたとえば犬や猫、或いは象でも馬でも、はたまた樹々や草花のような存在であっても、相手が「自意識」というものを持たない場合、こちらもまた自己を拘束する自意識を脱ぎ捨て、放擲することができる。アリスやドロシーの場合にはそういうわけにはいかない。

女性を「異性」として意識し始めると、鉛のような頑丈鈍重な感受性の持ち主でさえ、過剰な自意識に絡めとられる。ひとりでいるときでさえ、自分に全く自信が持てず、劣等感の塊の如きわたしにとって、女性のエッセンスは「ちっちゃい子供」か、それでなければ、年老いた女性である。

「ちっちゃい女の子」にしても、老いた女性にしても、共通しているのは、彼女たちにはただ「現在(いま)」だけがあるということではないだろうか?
「明日のことを思い煩うな」という言葉がかつてある人の唇から発せられた。
それを体現しているのが泥んこになって夢中で遊んでいる幼子であり、明日を頼めぬ老女ではないだろうか。
人間社会のシステムに組み込まれる以前と、そこから解放された存在。それが幼女であり老女ではなかろうか。

人間であることに倦み疲れた時、異性の柔肌に身を埋め、己が全存在を預け肉の悦びにひたるというのもひとつの「忘我の境地」ではあるだろう。わたしはそれを否定もせず嫌悪もしない。
けれどもなまじい「自意識」や「エゴ」或いは「エロス」などを持つばかりにそれらにギュウギュウに縛り上げられて悲痛な呻きを漏らすよりも、幼子のように・・・

『あなたに愛の花束を』という邦題だったろうか?" Charlie" (チャーリー)という映画があった。(書籍のタイトルは『アルジャーノンに花束を』)その作品のラストシーン・・・
いったんは天才的な知能を獲得しながらも、実験の失敗によって、再び「子供同様の知能を持つ大人」に戻ったチャーリーが、公園の子供たちと一緒に、小さな滑り台からすべりおりてくる時の満面の笑顔のストップモーションを忘れることができない。

「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」と、憶良は詠った。幼子の笑顔はなにものにも勝る宝である。そしてまた老女の、晩秋の太陽のようなやわらかな笑顔も。

「うつくしい女性」といい「美女」といっても、それはつまるところ人間界の価値基準を超えるものではない。けれども幼女、或いは老女には、それよりも更に高い次元での崇高、神秘、清澄、透明、慈愛、そして気高さが宿っているように思えてならない。









2018年3月17日

今年初めての外出 ー 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の絡み合い

自転車で十五分ほどの医院に薬を取りに行った。今日が今年はじめての外出になる。
今年初めて立つ空の真下。けれども三カ月ぶりに部屋の外に出ても、すがすがしいとか、のびのびするという感覚はなく、永遠に剥がれることのない瘡蓋のようなものが、わたしの心を硬く塞いでいる。
角の公園の桜の木々は、枝の太いところから伐り落とされていて、見るからにいたましい姿をしていた。公園内は隅々まで落ち葉ひとつないほどに「掃き清められて」いた。年配の男性たちが、小さな鎌(?)のようなもので、大地から萌え出でている野の花の根っこをほじくりかえしていた。
いま、この邦のひとたちは、落ち葉や野の草花を「塵芥(ごみ)」とみなしている。
(もちろん秋の紅葉も、地に落ちるや否や、すみやかにゴミとして集められ処分される・・・)
そして人の手によって植えられた園芸種の花々が咲き誇ることが、美しく清潔な公園だと信じている。
帰り道、緩やかな上り坂で自転車を押して歩いていると、歩道をスマートフォンを眺めながら初老(?)の男性が歩いてきた、わたしは嫌悪と侮蔑の念を隠すことなく、彼の顔をじっとみつめた。彼はわたしの視線に気づいたようだったが、もちろん恥じらう様子も照れた表情も見せることはなく、平然とスマホをいじりながら坂の下へ消えていった。
わたしの心は解放されることはなく、再び扉が閉じられた。


夜半 何ということもなく
目がさめる
すこし息ぐるしい
動悸がしている
そっと胸に手をあてて
確かめてみる
五十年 ぼくのために
働きつづけてくれた心臓よ
ぼくが疲れたように
おまえも疲れたようだ
ひるも夜もやすみなく働きつづけて
ぼくは何だかおまえが可哀想になってきた
ーーいいから
  もうおやすみ
そういってやりたくなった
手をおけば 今夜もことんことんとこたえてくれる
つかれた可哀想なぼくの心臓よ
ー 大木実「夜半の目ざめに」





2018年3月16日

「楕円の思想」への違和感


わたしは「新刊」というものをほとんど読むことがない。(つまり新刊を読むことを避けているのだが)今回偶然図書館の新着案内で見つけた、坪内祐三の『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』という本を、タイトルに惹かれて読んでいる。

「戦後論壇の巨人たち」という第一章では、24人の言論人について語られているが、一人一人に割かれているページはごく少なく、坪内祐三が選んだ彼らの「名言集」と言えなくもないような気がする。とはいえ、彼らはみな個人全集を何巻も持っているような「巨峰」ばかりなので、下手に踏み込んで書こうとすれば、たちまち深山幽谷の中に迷い込むことになるのは目に見えているので、さわりの部分だけをちょっと紹介、といったスタンスがかえって賢明なのかもしれない。

坪内氏の選んだ言葉は不思議に魅力的で、右から左まで、この人の言葉、あの人の文章をもっと読んでみたいという気にさせられる。



花田清輝の項に、彼の「楕円的思考」というものが紹介されている。

坪内氏の引用を孫引きしてみる。

「いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信じることを意味する。これが曖昧であり、なにか有り得べからざるもののように思われ、しかも醜い印象を君に与えるとすれば、それは君が、いまもなお、円の亡霊に憑かれているためであろう。」

更に坪内氏の引用から

「このフランスの詩人の二つの焦点を持つ作品『遺言詩集』は、白と黒、天使と悪魔、犬と猫ーーその他地上において認められる、さまざまな対立物を、見事、一つの構図の中に纏め上げており、転換期における分裂した魂の哀歓を、かつてないほどの力強さで、なまなましく表現しているように思われる」
「ひとは敬虔であることもできる。ひとは猥雑であることもできる。しかし、敬虔であると同時に、猥雑でもあることのできるのを示したのは、まさしくヴィヨンをもって嚆矢とする。」
(初出 1943年)

多分わたしは「円の幽霊」に取り憑かれているのだろう。
どうしてもこの、ふたつの中心をもった生き方というものを受け容れ難い。
それはわたしの潔癖性なのかもしれないし、青臭いと失笑を買いそうな殉情への志向性ゆえかもしれない。けれども、花田氏の言うように、このような二つの顔を持つ生き方を、確かにわたしは「醜い」と感じる。
それは内閣総理大臣に恭しく頭(こうべ)を垂れながら、一方で反戦を唱える人たちの軽薄さ、薄汚さを厭う心に通じている。そして政権打倒のデモをしながら週末には笑顔でお花見に浮かれ興じる人たちの魔訶不思議な二重の心性・・・

「楕円的思考」とは畢竟狡猾な処世術の謂いではないか、とさえ思うのだ。

またそれは自分自身に対する誠実さに欠けた卑怯な折衷主義的態度にも見える。

「世に従えば身苦し 従わざれば狂するに似たり」ー 魯迅 「自嘲」

「二つの中心」ということは、バランスを取るという意味でもあるのだろう、また特定の原理・原則、教理・教条に安易に盲従・埋没しない生き方を指すものでもあるのだろう。
けれども、現在、二十一世紀の日本に生き、価値観の多様化と呼ぶにはあまりに粉々に砕け散った価値の瓦礫の山に、亡者のように立ち尽くすわたしにとって、寧ろ必要なのは「あれも・これも」ではなく「あれか・これか」という「捨て身の」自己創造乃至自己決定ではないだろうか?
何故なら「あれも・これも」という「複数の重心を持つ」という態度から垣間見えるのは、つまるところ権力を利する妥協主義、順応主義の言い換えに他ならないように思えるからだ。

青いわたしと赤いあなたを混ぜ合わせると黒くなる。
黄色い彼と、緑の彼女を一緒にすると黒くなる。
二つの色を合わせると固有の色が失われてしまう・・・

皆が自分固有の色で生きることができ、自分の内部に白と黒、天使と悪魔といった、相反し相克する心性を持つ必要もなく、自己の外側にある社会の価値観それ自体が、複眼的に「あれも・これも」「白も黒も」「天使も悪魔も」包含する、という状況にならなければならないのではないだろうか?
わたしは個人の持つ「楕円的思考」に違和感を覚える。寧ろ社会がその内側に、無数の中心を持つこと。言い換えれば、個々人がそれぞれ社会の中心になることができる無中心社会=全中心社会の方が、より生き易いと考えるのだ。

とはいえ、このような二つの中心=楕円はちょっと魅力的だ


脳ズイが二つ在ったらと思ふ

考えてはならぬことを

考えるため


ー夢野久作『猟奇歌』より








2018年3月14日

しゃぼん玉 ある引きこもりの独り言・・・

前にも書いたかもしれないが、昨年暮れに登録した「ブログ村」では、主に「引きこもり」「社会不安障害」「ダメ人間」などのカテゴリーにあるブログをフォローしている。

「うつ病」のカテゴリーに並んでいた日記を眺めていたら、二つの言葉が目に飛びこんできた。

なんで生きてるのかわからない」

そして

どうして外がこんなに怖いのかわかりません。」

今年、これまでに読んできたブログの中のどんな言葉よりも重く、深く心に響いた。

わたしもまたしばしば考える、というよりも「何のために生きているのだろう」という思いが、ため息のように、フッとマッチを吹き消した後にゆらめき消えてゆく煙のように、自然に脳裡に立ち上ってくる。

ナ ン ノ タ メ ニ イ キ テ イ ル ン ダ ロ ウ ・・・

わたしも、そしてこのようにつぶやく者たちも、みなわかっている。
これは疑問ではない、そして問いかけでもない。ただ、漏れてくる言葉ならぬ言葉でしかないことを。弱音(じゃくおん)を伴った、深く暗く、かそけき吐息でしかないことを。
草の上に置かれた夜露の如きものでしかないことを。





ド ウ シ テ ソ ト ガ コ ン ナ ニ コ ワ イ ノ カ ・・・

わたしも外が怖い。
玄関から出た瞬間、そこがまったく見知らぬ場所であるかもしれないという恐怖。
よく知っているはずの道が、角の公園が、見慣れた家が、ビルが、跡形もなく消え去り、外に出てものの五分もすれば道を失ってしまうのではないかという怯え。

昨日見えた景色は最早今日の景色ではなく、今日見た風景が既に明日には見えないという寄る辺のなさ。
この手で触ることの出来るもの、ずっと昔からそこにあり、昨年もそこにあり、今日も、そしておそらくは来週も、来年も、確かにそこにあるという確信の持てる実質が何もないという絶望・惑乱・・・

確かに「ここ」と感じることの出来るのは最早方丈に等しい自分の部屋だけ。
一歩外に出ればたちまち「ここ」ははるか後方に遠ざかり、「そこ」ですらなく、目の前には「どこ?」が茫洋として広がる世界のただ中に、途方に暮れてわたしは佇む。

「わたし」と「世界」との間には、髪の毛一筋ほどの繋がりもないという足場の喪失感・・・エトセトラ・・・エトセトラ・・・












事象を突き抜け主観へ至る・・・

かつてアナイス・ニンは言った

" We don't see the world as it is, We see the world as we are "

「わたしたちは世界をありのままに見ない。わたしたちは世界をわたしたちのあるがままに見る」

これはニーチェの

「”事実”というものはない、ただ”解釈”のみがある」

という言葉と向き合っている。

わたしたちは「歴史」を、または眼前の現象、出来事を「そのあるがまま」に見ることはできない。

竹中労の『黒旗水滸伝・大正地獄篇』を読んで強く感じたのは、書くことのダイナミズムだった。

竹中労自身の言葉を引く

「なべて表現は作為の所産であって、「虚実の皮膜」に成立する。事実もしくは真実は、構成されるべき与件でしかありません。そもそも、無限に連鎖する森羅万象を有限のフレームに切り取る営為は、すぐれて虚構でなければならない。活字にせよ映像にせよ、ルポルタージュとは主観であります。「実践」といいかえてもよい、ありのままなどという没主体であってはならないのです・・・物自体は不可知であっても、センシビリティによってその意味に迫り得る。言葉を換えるなら「直観」こそルポルタージュの最大の武器でなくてはならず、作為をおそれてはならぬのであります。憶測であれ推理であれ、”仮説”を立てて対象に挑むこと、予断から出発すること。時には感性に任せて、みずからの言葉の嵐のただ中に漂泊してしまうこと・・・」

『ルポライター事始め』(1980年)



『黒旗水滸伝』を読んでいると、正に歴史とは解釈に過ぎないということを改めて感じさせられる。

有島武郎の自殺(心中)、或いは大杉栄のパリから帰国後の様子についても、それぞれの「身近な人たち」から全く異なった証言が為されている。
有島武郎の弟、生馬の言うように「まったく事実無根のことを新聞が書いている」というような場合は別として、有島、或いは大杉にごく近しいAさんとBさんの「その後の証言」が何故こうも異なるのか?
これは、「どちらが正しい」かではなく、あくまでもAさんとBさんの「視点」乃至「主観」の相違から来る異同でしかない。

インターネット利用者が事毎に典拠として「ウィキペディア」を持ち出して、あたかもそこには「事実」と「真実」しか書かれていないかのように「信頼して」いるのを見るにつけ、なぜこうも「ひとつの事実」というものに固執するのだろうという思いを抱いてしまう。

そういう意味では、竹中労自身の著作もまたひとつの視点でしかあり得ない。繰り返しになるけれども、なにを信じるかは、つまるところ個人個人の「趣味・嗜好の問題」に帰着するだろう。

『メメント』という映画があった。妻を殺されたショックで記憶障害になり、10分間しか記憶することができない男が、復讐の過程で出会った人、場所、事件をからだに彫り込んで忘れないようにする。彼は「記憶は裏切るが記録は裏切らない」と信じている。
ところがそのメモに書き添えられる小さな主観「彼は信頼できない・・・」というような些細な主観的脚色が彼を決して真っ直ぐには進ませない。

「記録もまた嘘をつく」のではない。そもそも事実それ自体というものをわたしたちは決して見、また知ることはできない。

歴史的事実、そして物事はすべからく主観的たるを免れない。
なにを是とし、なにを非とするか、何を信じなにを疑うか?それはひとえに個々の主観に因っている。


「客観的になにが真理であるかを見定めることは相変わらずきわめて難しいが、[・・・]
こちらの言うことが「あまりに主観的」であるという反論に出会うことだ。その反対に周囲が共鳴し、分別のある人々が異口同音に憤怒の声を放つようなら、当方としては束の間にせよ自分に満足してよい理由があるのである。

主観的なものと客観的なものという概念は、いつのまにか完全にさかしまになってしまった。客観と称されているのは、現象の議論を孕まぬ側面であり、よく吟味せずに受け入れられた現象の写しであり、分類済みのデータを組み合わせて作った「事物の見せかけ」(ファッサーデ)であり、つまりは主観的要素である。それに対して主観的と呼ばれているのは、そうしたファッサーデを打ち破り、問題になっている事柄に特有の経験に踏み込んで行き、その事柄に関する判断上の合意を放棄し、対象そのものに対する関係を、対象を熟視したことすらない(まして考察したことなどない)連中の多数決に取って代える行き方ーーつまりは客観的態度なのである。
  (略)
この種の客観性に当面した理性としてはーー窓のない暗室に引きこもるようにーー個人的好悪に逃げ込む以外にない、すると権力者の恣意がその恣意性を咎め立てるのだが、権力者としては、今日個人主観によってのみよく保たれている客観性が怖ろしいのであり、したがって個人主観が無力であることを望んでいるのである」

ー テオドール・アドルノ『ミニマ・モラリア』1944年著(P91~92)

客観性なるものに埋没することなく、事柄と切り結ぶこと。自らの好悪を対象とすり合わせること。
客観的事実という遁辞に惑わされずに、主観的であること・・・

竹中労はこの『黒旗水滸伝・大正地獄篇』上・下巻千余ページを執筆するにあたり、彼自身「古本屋巡りだけで原稿料がそっくり消えちゃう」と言うほどの「資料」を跋渉している。
けれども出来上がったものは優れて竹中の「主観的」大杉栄であり、甘粕正彦であり、大正期に輝き消えた「百八つ」の星々の像(すがた)であった。

もう一度、アドルノの言葉を、

「その客観性なるものは、この世界を牛耳っている連中の主観の計算から出たものでしかない」


再度、しつこく、今度は『黒旗水滸伝』本編最後に掲げられた竹中労の言葉を引用する

「・・・連載中「事実と違うのではないか?」というご指摘をなんども頂戴した。それはおおむね「文献」に依拠したクレームで、あの書物にはこうある、この記録ではこうなっているというものだった。「ルポライターが嘘を書いてもよいのか」と、執拗に何度も手紙をよこした人もある。
事実、もしくは真実は、ルポルタージュの与件に過ぎないということを、いくら説明しても、ある種の人びとは決して理解しないのでアル。だが、たとえばこんな風に<物自体>は不可知であって、表現者はただセンシビリティ=感性によって、対象に迫り得るのである。という言いまわしで、それらの人々を沈黙させることはできる。」


そしてわたしが「信じると決めた」歴史的事実も、社会的な出来事も、またひとつの主観的現象であり、わたしにとっての真・善・美即ちわたしの個人的嗜好に他ならない・・・




2018年3月12日

秘すべきは「悲」

美しい詩に出会った。

大木実の「金色の時」、そして神谷美恵子の「残る日々」
ひとつは、幼子が乳母車の中で初めて目にするこの世界の美しさを詠った詩、そしてもうひとつは神谷美恵子の最後の病室に残された一篇の詩。

人間の生の始まりと終わりに見たうつくしい世界のことづて。

わたしはそれをここに書き写そうとして、手を止めた。

余りにもうつくしく切ないこの二つの詩を、人間の生と死を、妄りに取り扱うべきではない、と。

「このような場所」に書き写すことは、彼の、彼女の魂を穢すことになると感じた。
加えて、彼らの詩を、携帯用端末で読む人間を想像することは、わたしにそれを書き写すことをきっぱりと放棄させるに十分な理由になり得た。

わたしは最後の最後のところで、インターネットというものを信頼しきれていない。
そしてもっと根源的な生理のレベルで、”デジタル”の世界を好きになれない。

かつてわたしは、少なからぬ人たちがインターネットを通じて、身近な人の喪を伝えているのを見た。親友を、伴侶を、肉親を失いましたと。
それを見るたび、わたしには決して同じことはできないと感じた。
彼らにとって、インターネットとは、既に自らの日々の生活と同じ地平に存在するものなのかもしれない、けれどもわたしにとってそれは大事な人の生・死を語る場には到底なりえない。




変ホ長調の、ピアノ協奏曲の、終楽章の半ば過ぎ、
むせび泣くような旋律が、あらわれて、しばらく続く、
ーー 泣け、というように。
何を歎く?
恋を? 孤独を?
癒されぬこころの痛みを?
移ろう時の悲哀を?
聴くたび、聴こえてくる、あれは、何の歎き?
誰の嗚咽? モーツァルトの?
ノン、モーツァルトがわたしたちに遺しておいてくれたのだ、
ーー 泣きたいときには泣くがよいと。
ー 大木実 「嗚咽」

泣きたいときには泣くがよい、ただひとりで、或いは、すぐ傍にいる親しい人と共に、
けっして大勢(みんな)とではなく

悲しみが深いなら、それを明るみに曳き出してはならない・・・



2018年3月9日

三度「勲章」について

……若いときには「反戦」を唱えていた文化人が老いてから紫綬褒章かなにかを受勲して、平気で皇居にもらいにいく。旧社会党の議員でも反権力と見做されていた映画監督でも平気でいく。晴れがましい顔をしていく。ここには恥も含羞も節操も何もあったものではない。そして聖域との共犯関係をつくっていく。自らも聖域の住人になった気になる。こうして公共空間は狭まる。共産党をいいなと思ったことはあまりないけれども、ちょっといいな、というよりは当然だと思うのは、受勲、それだけはお断りしますという態度です。他にも受勲を秘やかに拒んでいる人物たちがいる。私はそれが最低限の節操、廉恥だと思います。
ー 辺見庸『今ここに在ることの恥』(2006年)

人は思うかもしれない、なぜそんなに勲章を嫌うのか、と。では訊こう、何故人々はこうも受勲というものに寛容なのか、と。

人民・民衆に愛され、国家(お上)に憎まれる存在というものはいないのだろうか?
それは例えば鼠小僧とか弁天小僧、稲葉小僧といった者たちということになるのだろうか。鼠小僧はご存知「義賊」という矛盾した言葉で語られる。貧民にとっては「義」(=正義)の人であり、国家にとっては憎むべき「賊」である。
彼らはどんなに人々に愛されても、決して叙勲の対象にはならないだろう。痛快である。
その他には石川五右エ門とか、三億円強奪犯、阿部定、更には「任侠」の系譜に連なる人たち、などだろうか。

一言でいえば、受勲とは「上に向かっての堕落」に他ならない。
(おしなべて「堕落」とは、上方に向かってのものであるけれども・・・)

「フーテンの寅」も「唐獅子牡丹」も「濹東譚」も、上(うえ・かみ)に向かって転落していった。

自らは民衆・細民のために命を掛け、国家権力はもとより、大衆からも忌避された者たちがいる。いわゆるテロリスト(或いは「刺客」)と呼ばれる人物たちだ。

彼ら・彼女らの思想・志操は、大衆のよく理解するには至純に過ぎる。朝日平吾然り、難波大助然り、古田大次郎然り、そしておそらくは三島由紀夫然り。

人民・大衆が愛する者を「お上」が愛するのは単にそれを利用したいがために他ならない。しかし翻って、お上に愛されたものを人民・大衆が同じように愛するということは市民としての堕落でしかない。国家の愛するものを民衆が愛してはいけない。
「国家」と「民衆」は反目する。故に断じて同じものを愛してはいけないのだ。

国家に愛され、「目出度く」受勲した者たちは、そのことによって、己の過去の功績を穢したこと、俗に言う「九仞の功を一簣に欠く」乃至は「百日の説法屁一つ」ということを知らないのだろうか?

不一





2018年3月7日

インターミッション

春ということで・・・もないのですが、ブログのメインの写真を替えました。
この写真はTumblrの友達のフォトグラファーの撮った風景写真です。
彼はドイツ人ですが、現在はギリシャに住んでいます。
友達でありながら、彼がプロの写真家なのか、アマチュアなのか知りません。或いは聞いたけど忘れてしまったのか?

前に一度、彼から数葉の写真を送ってもらったことがあります。彼らしい雄壮な写真でした。
わたしはカラー写真の良しあしがわかりません。デジタルの写真になってから、写真はいかようにも加工することが可能になり、どこまで加工した色彩なのか?加工することと創作と、どのように違うのかが判然としないからです。カラー写真に関しては、わたしは可能な限り網膜に写されたものに近いことを良しとします。自然のまま、ありのままを最優先します。

いずれにしても、今回、ブログの写真を差し替えるにあたって、先ず思い浮かべたのは彼の作品でした。「加工」についてはわからないながらも、彼の写真に写しだされている雄大な自然を、コンクリート率97.8%の大都会の一室に閉じこもっているわたしの心は無意識の裡に求めているのでした。

彼のみならず、これまでわたしは、海外の友達から自分の描いた絵や、ポストカードを何枚も送ってもらいました。けれどもいまだにお返しをすることができません。
年々外に出ることが困難になっているからです。

ポスト・カードくらいなら、駅ビルでも、隣の国立の文房具店にも売っています。
・・・わたしは以前、カードやカレンダーは、いつも銀座の伊東屋か、或いは丸善で求めていました。いまでもわたしはそこで彼らへのカードを買える日を待っているようです・・・
神田のクリニックのカウンセリングに行くことすら覚束なくなった今のわたしにとって、東京、銀座などは夢のまた夢とは思いながらも、いつか彼らに、手づから選んだカードを送ることが出来たらと考えています。

ここしばらくやり取りがありませんが、彼、「ステファン」のブログです

A Funky Space Reincarnation




2018年3月6日

辻潤、そして真のアナーキズム

国家とは、どのような政体を持とうとも、ひとつの専制である。すなわち、支配者の意思が被支配者の意思と同義と見做される。その矛盾に国家は立脚する。

「支配者の意思」とは、つまり「法律」である。国家は個人の意思を規定する。
国家にとっては誰一人「自らの法」を持ってはならず、そうした意思を抱くものはただちに排除(拘禁・追放・死刑等々)される。もし万人が自己の意思を持てば、国家は当然廃絶される。服従が止む時、支配もまた終わるのであるーー

この意思は国家の破壊を願う。
国家とは人々にとって、税金であり、監獄であり戦争であることの他に何であり得るのか?国家は専制体である。支配者がひとりであろうと、多数だろうと変わりはない。「民主制」について言えば、「万人が主人である」ことは各人が他者を制圧する、という意味に他ならない。

ーー例えば、私がいかなる義務も認めず、自己の意思を拘束せずまた拘束せしめぬことを望めば、却ってそのために『法律』によって拘束を受けるに違いない。だが何人も私の意思は拘束し得ず、反抗の意思は自由でありつづける。

諸国家は様々な方法で、「最高権力(暴力)」を分配する。つまりある個人がそれを所有すれば君主制と呼ばれ、万人が有すれば民主制であるといったふうに。ともかくも、最高の権力を、だ。それは誰に対しての権力か?個別人間の自己意思への、だ。

国家は権力を行使するが、個々人には許されない。国家の権力(=暴力)は、「法律」(=正義)と称されるが、個々人の権力は「犯罪」と名づけられるのである。
故に、「国家が個人の上にある」のではなく、「個人が国家の上にある」という見解、乃至感覚を持つ者は、「犯罪」によってのみ、「国家権力」を破ることができるーー

ー 辻潤訳『唯一者とその所有』シュティルナー





辻潤は明瞭に言う、「ボンクラな秀才を養成する赤門式教育」「都会をメリケンの場末の町なみにするのを繁栄と心得ている政治屋・資本家」・・・すなわち「人間を取り締まろうとする連中の馬鹿の多いことを見よ」と。

彼が現代に生きていたら、「税金を納めるために小説を書きとばしている流行作家」「首相に招待されることを無上の栄光と思い込む文化人」等々、馬鹿の数が増えていることに驚倒するだろうが、今も昔もその本質に変わりはないのである。

大正デモクラシーの時代に、辻潤は率直かつ果敢に言った。
「民衆と称せられる大多数の賤民たち」と。誰憚りなく、これほど正直な言葉を吐く者がいまあるだろうか?
内心そう思いながら、常にその賤民思想・大衆に阿諛し、利用する側に立つ社会主義者・エセ革新党派ほど、民衆から遠い存在はないのだ。
辻潤は暗澹と述懐する・・・
「民衆はオリンパスに憧憬する。彼ら自身の裡に、あらゆる暴政と、偽善と、あらゆる背理と、あらゆる奴隷根性の種子を蔵しながら、”凡庸と無資格のあこがれ”である民主主義に、日常の無事を願ってぬかずく」
この言葉は断じて民衆に対する侮蔑、絶望のあらわれではない。民衆自身の裡なる「怯懦」を撃つ”愛情”の逆説的表現なのである。
ゆえにいう、「わたしはいうまでもなく弱者・貧乏人の味方である。なぜなら自分が弱者で、貧乏人だからである」「わたしは夢をみているときにはアリストクラシーであり、目覚めているときはプロレタリアートである」

辻潤の実践したダダイズムとは要するに、なべての固定観念をかなぐり棄てた自由な人間の生きざまであり、この国のジャーナリズム、知識階級のありようは、そのような異端をついに許容しなかった。
  (略)
思想と結びついた生活がなく、建て前と本音とが乖離したこの国では、真に透徹したデカダンやニヒルの何たるかを人は理解できない。第二次大戦終結の前夜、辻潤は虱に喰われて陋巷に文字通り窮死した。

ー 松尾邦之助『ニヒリスト / 辻潤の思想と生涯』(1967年)



竹中労著『黒旗水滸伝・大正地獄編』中にこの引用を見つけたわたしは、早速図書館で松尾何某の本を探してみた。と、社会評論社より『無頼記者、戦後日本を撃つ 1945・巴里より「敵前上陸」』という本が2006年4月に上梓されている。
氏の略歴も附記されていて、
【1899〜1975年。静岡県生まれ。パリ大学高等社会学院卒業。新聞記者、評論家。大東文化大学教授。64年フランス政府よりアール・エ・レットル(芸術文化勲章)を贈られる。】とある。

率直に言おう、
「・・・「首相に招待されることを無上の栄光と思い込む文化人」等々、馬鹿の数が増えていることに(辻潤は)驚倒するだろうが、今も昔もその本質に変わりはないのである。」云々と述べている夫子自身、フランス政府=すなわち「国家」からの叙勲を受けているということは矛盾してはいないか?

嘗て辺見庸は書いた、「別に(日本)共産党が好きじゃないけど、ただ一ついいなと思うのは、「叙勲だけはお断りします」と。まあ当たり前のことなんだけどね・・・」

辺見庸の言葉を待たずとも、勲章をもらうということは国家権力と睦むこと、情を交えることに他ならない。それをしないのは、独立不羈の一個人としての最低限の廉恥であり矜持である。
わたしは日本に限らず、なべて「国家」と名の付くところから受勲した者たちを、その才能を認めつつも、一個の人間として到底好きになる事が出来ない。それが文化勲章であれ、国民栄誉賞であれ、紫綬褒章であれ、文化功労章であれ、レジョン・ドヌール勲章であれ・・・
わたしは最近、何故人はかくも「勲章」が好きなのだろうと考えている。(以前 『勲章 知られざる素顔』岩波新書 新赤版 という本を読んだのだが、まだまだ資料が足りない・・・)
  
かつて阪急ブレーブスで活躍した「盗塁王」福本豊が、国民栄誉賞を辞退していたということを最近知った。
その理由として「俺は酒も飲むしタバコも吸うし・・・決して人から褒められるような立派な人間じゃないから」ということらしい。

わたしは国から受勲しながら一方で戦争反対を言う人たちを心底から軽蔑する。
勲章を手にした瞬間から、彼らは「国家(お上)」と一身(一心)同体になっているはずなのだから。
故に仏国よりの受勲者、松尾某氏、アナーキスト辻潤について喋々するは僭越推参、自家撞着の婆伽者也と申しあげておこう。

附言して曰く、
「国家とは人々にとって、税金であり、監獄であり戦争であることの他に何であり得るのか?」
国家とは税金であり、牢獄であり戦争であるとともに、それらを正当化し名利ニ堕落セル才子を籠絡・懐柔する勲章であるのだと・・・

















2018年3月5日

春待たず、なぜ散りいそぐ梅の花


醉ウテ折ル殘梅の一兩枝
妨ゲズ桃李ノ自ラ時ニ逢ウヲ
向來(キョウライ)冰雪(ヒョウセツ)ノ儗(コ)ルコト嚴シキ地ニ
力(ツト)メテ春ノ囘(カエ)ルヲ斡(スス)ムルハ
竟(ツイ)ニ是レ誰ゾ

ー 陸游 「落梅の賦」


酒に酔って、僅かに散り残る梅の
一枝二枝を折る
桃や李(すもも)が、自分で良い時期を選んで花咲くのも
それはそれで構わぬ
だが氷と雪は厳しく張詰める大地に
かねてから力一杯春を蘇らせようとしているのは
結局誰なのか

春 待 た ず な ぜ 散 り い そ ぐ 梅 の 花 ・・・












2018年3月4日

大溷

汚い隅田川を観て、その末の篊(ひび)についた海苔を江戸の味などと喜んで賞味する人々を思ふと、あわれにも思われるし、またその汚い汚い流れーー大溷に大東京を貫かせて、それで文明がってゐる人々を思ふと、つくづく時代の自惚れというものの正体にも感心する
ー幸田露伴(「河川」)

わたしは東京オリンピックの前年に生まれた。当時から(東京の)河は汚いものだと思っていた。蒲田駅前から大森の方角へ伸びていた呑川も、多摩川の水も汚れていた。
そのような環境で育ったので、「綺麗な河のある東京」という発想がない。

けれども、わたしはそれが当たり前とは思わない。河の流れは本来澄んでいなければならないはずだ。

露伴は言う

時代の自惚れという奴で、誰でも自己の属してゐる時代をエライものだと思ってゐて、他の時代をば蒙昧のもののやうに信じてゐるが、それは自惚れ鏡の前の若旦那同然で、実際は何事も当人の思ったやうでも無いものである(同)

果たして今の世の中、21世紀の日本に生きて、いったい誰がこの時代に「自惚れる」ことができるのだろうか?
わたしはただ過去の世界の美しさへの郷愁と憧憬に焦がれるのみで、とても今の時代を誇らしいと思うことはできない。

露伴の言う「時代の自惚れ」というものに疑問を差し挟まざるを得ない。
本当に人々はその時代その時代、今の時代こそが最も啓けていると信じてきたのだろうか。逆に言えば、いつの時代も人々はかように無知蒙昧であったということではないか。
人間はなかなか自分の生まれ育った時代の精神から自由になることは困難らしい。

嘗て人類が単に「自惚れ」以上の、真に称賛に価する時代を持ちえたとは思えない。人間の「蒙」は、常に先行する時代より深まり、更にその闇を濃くしているということは言えるとしても。

この随筆の中に使われている「溷」という文字。読みは「コン」
意味は
みだれる(乱)
にごる(濁)
けがれる(汚)
まじる(雑)
はずかしめる(辱)
かわや(便所)
家畜小屋・・・等とある「大修館書店 新漢和辞典」

この溷の文字が今の時代を端的に表してはいないだろうか。
いや、今の時代こそが「溷」の時代だという思いもまた、さかしまの「己惚れ」であるのかもしれない。人類の歴史、その歩んできた道は、いずこも「大溷」であったはずなのだから・・・








2018年3月2日

不悉・・・

これまで、わたしにとってインターネットとは、海外のアート・サイトを閲覧・渉猟し、そこで見つけた絵や写真をブログに投稿することがすべてだった。
昨年暮れからはじめて本格的(?)に日本人の「ブログ」を読むようになった。
社会と隔絶した生活をしているわたしにとっては、へんな言い方だが、普通の日本人の生活を知るには、本人が書いたものを読むに若(し)くはなかった。

暫く各世代のブログを読んでいて、いくつか気になった点がある。
先ず、現在そこそこ潤沢な年金で生活している人、或いは現実に生活に窮迫していない人の社会的行動が、如何なる動機によって行われているかという疑問である。
彼らは一方で、現政権の打倒を叫び、時には街頭に出てデモ行進さえしているが、「裕福」とまでは言えなくとも、お金に困っているわけではないので、デモの後には美食に舌鼓を打ち、結構頻繁に催し物にも足を運んでいるようである。

わたしのように精神のバランスを著しく欠いた者には、この「二重生活」というものが理解し難い。彼らの社会的行動は、別段「生存の必要から発したもの」ではない。デモ行進で拳を振り上げ、誰某の更迭、何々反対と叫ぶその手、その口は、別のところで何某の芸に拍手と歓声を送る。スマートフォンで写したペットや風景写真をブログに投稿し、たくさんの「いいね!」の反響を得る・・・社会の変革を望みながらも現行・現実の社会体制と手を携え、その齎す文化・技術・芸能によって、「反・社会的活動」で疲れた心身を癒すという矛盾・・・

もう一方の人たち・・・非正規雇用のワーキング・プアと呼ばれる人たちや、こころの病を持って引きこもっている人たち(わたし自身を含め)の書いたものを読む限り、彼らは全くと言っていいほど政治・政情には言及していない。彼らには、そんな「暇」も「エネルギー」もないのだ。ただその日その日を生きてゆくことだけで精一杯で、その日を生きていくために、その日のすべてのエネルギーが消費される彼らにとって、政(まつりごと)=「上の方」に目を向けている余裕などない。

けれども、彼らの宿命論に対しても、わたしは少なからぬ違和感を覚えている。確かに彼らにとって、このように「奈落」に生きることは自分の運命であって、それを変えることは不可能と思う気持ちも分からなくはない。現にわたしも選挙にはほとんど行ったことがない。(信頼できる政党や応援したいと思わせる候補者が皆無であるということが第一の理由だが、「もっとも過激な革命家でも、革命成った翌日から保守派に変わる」というハンナ・アーレントの言葉の持つ真実味がわたしを掣肘しているのも事実なのだ。)
わたしもまた、「人々の力」とか「我々」というものが「社会を変える」ことができるとは思えない。この国に生まれ半世紀、そのような現場を目撃したことがないのだから。

反・社会的行動に意味を見出しているような人たちは、おそらくわたしのような無為に対し、「それでは為政者の思うつぼ」だというだろう。けれども、わたしは敢えて、投票に行かないことで、社会の一員として、この社会に対しての「緩慢な自殺」に加担しているのかもしれない。社会が良くなるとは思わないのと、社会を良くしたいとは思わないというふたつの意識は、その底流に於いて繋がっているのではないだろうか。

わたしが前者の偽善的、乃至趣味的・遊戯的な「反」社会行動にも、後者の運命論的現実容認にも馴染めないのは、結局のところ、両者ともに望むのは一身の保身という点で共通しているかに見えるからだ。敢えて極論を附言するなら、シュプレヒコールや「粛々たる」デモ行進という旧態依然・古色蒼然、且て一度たりとも勝利を手にしたことのない方法によって今尚本当に社会の変革が可能だと思っているのだとしたらそれこそ噴飯物であり、わたしは寧ろ「机上の革命家たらんよりは街頭の暴徒たらん」とした難波大助の志操により強く惹かれるのだ。


わたしの理想は、繰り返しになるが、「国破れて山河在れ!」すなわち全き滅亡に他ならない。



フランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』で、夫となる人を誤って射殺した男たちを次々に殺してゆく女性に、神父は「憎む心で愛せるのか?」と詰問する。
否!「愛しているから憎む」のだ。「あなたのために狂えるのは私だけ」それが愛である。

わたしにとって国を愛するとは、即ち国という存在の全的滅亡である。



「この世の出来事を承認しないこと、それはこの世が存在しないことを望むことである。 この世界が存在しないようにとねがい求めることは、今このままのわたしのような者が全体であるようにとねがい求めることである。」

ー シモーヌ・ヴェイユ 「カイエ」