2019年5月31日

アスガー・ジョーン / Asger Jorn (1914 - 1973)


デンマークのアーティスト、アスガー・ジョーン(?)

どう見てもこれはお父さんが大真面目に描いた絵に、子供がいたずら書き(?)をしたようにしか見えない。「Disturbed Duck」-「邪魔なアヒル」というタイトルともども笑える。






これも以前から大好きな絵。同じく作者はアスガー・ジョン。

風景画だか抽象画だかミロだかわからない。こういう絵を観て人はどう思うのだろう?

上の2枚の画、ともに、サイトによってタイトルが微妙に異なっているが、そんなことは問題じゃない。

「エロ」でも「グロ」でもなく、また「美しい」というような絵でも、難解なアブストラクトでもないけど、こういう絵が、このユニークさがたまらなく好きだ。







虚無の中から…


以前あれだけ生理的なレベルで受け付けなかった山田花子の『自殺直前日記』をもう一度読んでみようと思ったのは、人は死ぬ前にどんなことを感じ、考えるのかということを知りたかったからだ。無論一口に自殺と言っても、その動機も、死の間際の気持ちも千差万別だろう。けれども、以前彼女の本を手にしたときに感じたのは、一言でいえば、「狂気」だった。『八本脚の蝶』からは、ついぞ感じたことのなかった「支離滅裂さ」。

はじめて『自殺直前日記』を見た時には、わたし自身の狂気はまだ影を潜めていた。
けれども今、わたしは明らかに「狂気」のただ中にいる。以前とは違った気持ちで読めるかもしれない。

現にかつてはこれほどまでにドロローサのブログに惹かれることはなかった。


わたしが今一番しなければならず、また一番したいこと。それは死ぬことなのだが、
まだグズグズしている。

わたしが死ねずにグズグズしていることは十分考えられるが、これから元気になるということはまったく考えられない。

昨夏頃(?)から「いのちの電話」にしきりに電話していた時期があった。それが次第に間遠になった。
今日久しぶりに「いのちの電話」にかけてみようかという気になった。
今年の春ごろ(?)までは、繋がるまで一時間くらいはリダイアルして、それから更に一時間ほど話していた。今はせいぜい十分くらいかけて繋がらなければ諦める。
「特に話したいことがあるわけじゃなし、話してどうなるもんじゃなし」
それは当初から同じだったはずだ。けれども今は人と話す情熱がない。話せない。
デイケアにももう二か月ほど顔を出していない。

「いのちの電話」で熱く語っていた半年前、「デイケア参加が認められるだろうか?」と気を揉んでいた昨年暮れ・・・まるで遠い遠い昔のように思える。



ー追記ー

これまでこのような狂人の日記に付き合ってくださった人たちにお礼を言います。
今後この日記は、完全に「公開された独り言」になります。

長い間どうもありがとうございました。

さようなら・・・











2019年5月30日

断想


● コメント欄を閉じた。どんなに質の高いコメントをもらっても、質が高く、中身がある分、わたしには最早それに返信する能力が無い。
勝手に書いてください。返事は書けませんが・・・とは、よくもまああんな無礼なことが言えたものだ。


● 山田花子の『自殺直前日記』という本を図書館にリクエストした。散々迷った。
というのも、以前この本を借りてチラッと見ただけで、強い拒否反応を覚えたからだ。
同じようにビルから飛び降りた二十代の女性(二階堂奥歯二十五歳、山田花子二十四歳)の日記でも、二階堂奥歯の日記(正確には「ウェブ日記」だが)『八本脚の蝶』は、一読、わたしの愛読書のひとつになった。
いったいなにがこうも違うのか?
そしてわたしの知る限りでは、『八本脚の蝶』よりも『自殺直前日記』の方が圧倒的に読者が多い。


● 母の話によると、最近、(母とわたしの会話なので、不正確な部分も多いと思うが)
50代の引きこもりの男性が、スクールバスを待つ子供たちの列に切り込み、自身も自殺したという事件があったらしい。

2008年の秋葉原の殺人事件については随分書いたが、例の「やまゆり園」の事件についても、今回の事件に関してもほとんど興味が湧かない。いわゆる「世間」がこの事件を起こし自殺した「50代の引きこもり」について何を思い、ネット上でどのような言葉が飛び交っているかにも、まるで関心がない。

「彼」(名前すら知らない)がどのくらいの期間、どのような状態で「引きこもって」いたのかも知らない。
嘗て「10年(20年?)も引きこもっているなんて人生に対する罪であり罰である」ということを言った者がいたことを思い出した。(「彼」は何やら「哲学」(のようなこと)を語って人気のようだが、わたしにいわせれば「彼」の所謂「哲学」なるものは所詮「アナグラム」に過ぎない。


● これも曖昧だが、「働いていないことに対する罪悪感」というようなことをどこかのブログで読んで気がする。けれどもそれでは、人に自殺を勧めるような者が精神科の看護師という「仕事」をやっているということは「罪」ではないと言えるのか?


● 誰かを傷つけずに幸福(幸せ)になる、ということがそもそも可能だろうか?
言い換えれば、誰かが幸せな分、必ず、誰かが不幸なのだ。
どこかで幸せが生まれた時、どこかで不幸が生まれている。




最後に、これは、2年前、2017年の5月31日に書いた文章です。
瀬里香さんは読んでいるはず。



「回転」


「すみません、乗ります!」
男は閉まりかけたエレベーターに駆けこんだ。
ふう・・・おや、今どきめずらしくエレベーター・ガールがいるんだな。そう思うのと同時にエレベーターの扉がゆっくりと閉まり「毎度ご来店ありがとうございます。ご利用階をお知らせください」というエレベーター・ガールの声が聞こえた。
「あ、屋上お願いします」
「かしこまりました」
白い手袋は「R」のボタンを押した。

そこは東京の外れ、多摩川を挟んで神奈川県と境を接する、戦前には映画の撮影所などがあって賑わいを見せた町であった。男が子供のころに通い慣れたこのビル。10年ほど前に郊外に引っ越してから、ずっとこの町に来ることはなかったが、久しぶりに電車を乗り継いで、「ふるさと」とも呼べるこの町にやってきた。もう一度だけ、自分が生まれ育った町を見ておきたかった。

そのビルは、7階がレストラン街で8階が屋上になっている。
他に乗ってくる客もいない。エレベーターは途中階を通過して7階・・・しかし最上階であるはずの7階を過ぎてもエレベーターは引き続き上昇し続けているように感じられた。そのまま30秒ほど上った後、「お待たせいたしました屋上、最上階でございます」という声。

屋上に出ると夕暮れの太陽を浴びて観覧車や子供用の列車などの遊具が紅く照り映えている。
ふと男は思い出した。確か屋上の遊園地はぼくが越してから数年後に取り壊されたはずじゃなかったろうか?「K駅ビル屋上の遊園地閉鎖」・・・そんな小さな新聞記事を随分前に見た記憶がある。
屋上の柵越しに町の風景を眺めるとどこか様子が違う。
建て替えられたはずの小学校の木造校舎がそのままの形で残っている。
富士山の姿を遮るように聳えていた高層マンションの姿がない。
頭上を見上げると、アドバルーンが夕暮れの風にあおられ、ゆらゆらと揺れながら浮かんでいる。
彼は屋上の反対側に走ってゆき、今しがた自分が電車を降りて来た駅舎を見た。それは正に彼が子供の頃にあった古い木造の駅舎だった。
ここはいったい・・・今はいったいいつなんだ。
男は観覧車のチケットを売っているスタンドに走り寄って、中の老人に尋ねた。
「あの、妙なことを伺いますが、今年は何年でしたっけ?」
「はは、なにいってんだ。今年はほれ、昭和38年、1963年じゃねえか」そう言って老人はスタンドの壁にぶら下がっているカレンダーにむかってあごをしゃくって見せた。
1963年、それはたしかに彼が生まれた年だった。

彼は考えた、彼はとても疲れていた、絶望に打ちひしがれ、何もかもが厭になっていた。短い歳月ではあったが、笑顔とともに生きて来た時代。そんな明るい日々の残光に引き寄せられるように、彼は今日、この町へ戻って来たのだった。

うつくしかった時代、希望と活気に満ちていた時代、いや、そんな「希望」とか「夢」とか「未来」などというとりとめもない言葉さえ格別意識することもなく、世界と一体になって暮らしていた子供時代・・・
今またあのエレベーターに乗り再び外に出ると、また21世紀に戻っているような強い予感がした。しかし仮に、このビルも、この町も、そして世界中が1963年であったとしたら、果たして自分は生き直すことができるだろうかと考えた。そして答えはノーであった。
きっとこれは何者かが自分に与えてくれたチャンスなのだと彼は考えた。
やがて彼は最後のタバコを吸い終わると、長いあいだ会うことのなかった母親の胸に跳びこむように屋上から身を躍らせた。

警察に制せられても、野次馬は次から次へと押し寄せてきた、そして飛び降りた男の顔を見て口々に言った。「なんて幸せそうな顔をしてるんだ」
「ああ、まるで素敵な夢を見ている子供の寝顔のようだ」

ちょうど同じ日の同じ時刻、郊外の病院で新たな生命の誕生があった。
産科の看護師たちが産まれたばかりの赤ん坊を抱き上げて笑顔を向けて見せる。
「バア」「ベロベロバアー」
しかしやがて看護師は同僚たちに自分の腕の中で泣いている新生児の顔をのぞかせながらこうつぶやいた。
「この赤ちゃんの様子、盛んに泣いているけど、なんだかこの泣き声を聞いて顔を見てると、この世に生まれてきたことが悲しくてたまらないって言っているように聞こえるの・・・」








2019年5月27日

混乱の中から。


最近はこのような形でしかコメントに返事を書くことができなくなりました。
正確には「返事」とは言えないようなものではありますが、既にわたし自身の投稿も、
ふたつさん、瀬里香さん、底彦さんのコメントも、区別がないような気がしています。

ひょっとしたら、彼らのコメントを主目的にこのブログを訪れてくる人さえいるかもしれない。彼らのコメントには外れというものがないので、わたしの投稿へのコメント、という感じではなく、ふたつさん、底彦さん、瀬里香さん、そして・・・と、ここでキーを打つ指が止まってしまうのは、3人のコメントに対して、わたしが書いた3つの返信らしきもの。ふたつさん、底彦さんからはそれぞれ本人からの返事があり、また閲覧者も少なくないのですが、Junkoさんへの投稿に関しては、今に至るもPVゼロ。まああんな風に書かれれば、返事どころではないということは、容易に察せられますが。

話を戻します。わたし自身、既にコメント自身が、単独の文章として読むに価するものであると感じているので、わたしの「反論めいた」返事はあらずもがなではないかと思っています。わたしは彼らに好きに書いてもらいたいのです。
といっても、体裁上は「わたしのブログ」ですから、好きに書く、といっても、現実にはわたしの言葉への反応という形になってしまいます。わたしは今、自分の気持ち、感情を自分の言葉で発する。それだけで精一杯なのです。繰り返しますが、彼らのコメントはそれだけで、充分示唆に富み、深い思索の跡がうかがわれ、時に鋭い切れ味を見せるものばかりです、ですからわたしはそれを口実に、(屡返事を)休ませてもらおうと企んでおります。



さてさて、瀬里香さんへの返事が遅れてしまい申し訳ありません。
瀬里香さんは、この週末、地元の愛知から、チャリ・・・とは呼べない本格的な乗り物で、琵琶湖周辺まで旅をしました。彼女の最近のコメントから、当然、旅に「スマホ」など連れて行くような野暮天ではないと思いましたので、いま改めて、多少遅くなりましたが、

お帰りなさい。いい旅でしたか?

最近は朝の5時を過ぎると、鳥が啼きはじめるんです。それがどんな音楽よりも心地いいのです。わたしは机の前に座り、パソコンの画面を見つめています。音楽を止めて。

夕方には、窓から身を乗り出して、外を見ます。今日の夕方の風は涼しくて気持ちがいい。「ああ、いい気持ちだなぁ」と感じます。けれども、わたしは外に出ることはできない。

鳥の声を聴き、全身で風を浴びることのできる瀬里香さんをうらやましく思います。

前にも言ったように、田舎に行ってみたらいい。でも車のないわたしはどのように田舎まで行けばいいでしょう?電車。では電車の中にいるのは誰でしょう。電車で、駅で、嫌でも目にしなければならない光景とは如何なるものでしょうか。

あらためてお帰りなさい。



ふたつさんから、またまたいい言葉を聞きました。

「音信不通、或いは通信不能…」に頂いたコメントの最後の部分です。

>ブラック・ミュージックの中に、「ゴッド」や「ロード」や「ジーザス」などの「神」はたくさん出てきますが、「その神」は「白人」だと思いますか?それとも、やっぱり「黒人の神」は「黒人」なんでしょうか?

答えは、もちろん「黒人」です。
じゃなきゃ、「黒人」は祈れませんから。


正にその通りです。

では「わたしの神」とはどのような存在なのでしょう。

わたしは「こういうものだ」というのが一番苦手なんです。
つまりわたしの外部に予めあって、わたしの行動に制約を設ける「決まり」「規則」「規範」「既成事実」そして「現実」というものが苦手です。

わたしはそれが法であろうが、神の教えであろうが、「既成のもの」に合わせて、自分を変えることができません。変える気もありません。

だから・・・かどうかわかりませんが、「勉強」も「仕事」も大嫌いで今に至っています。

わたしがこのブログのプロフィールに「狂人」と自称しているのは、冗談でもなければ卑屈になっているのでもない。わたしの思うわたしの「事実」をありのままに書いているだけです。


これからも皆がコメントをくれるという保証はどこにもありませんが、今の状態が続く限り、わたしの返事も、このような形が精一杯であるということを、ご理解ください。

みなさんのコメントをいつも愉しみに、そして括目して読んでいます。


不悉





2019年5月26日

音信不通、或いは通信不能…


過去3回、『或る狂人の述懐(ふたつさん、Junkoさん、底彦さんのコメントに触れて…)』
と題して、3人の言葉を借りて自分の気持ちを綴ってきたが、書いているときに既に感じていたことだが、改めて読み返すと。ふたつさんに対しても、底彦さんに対しても、Junkoさんに対しても、結局「反論」を書いているだけのように思えてならない。

以前「いのちの電話」の相談員が、わたしと話していて「ああ言えばこう言う こう言えばああ言う・・・」と呆れていた。
精神科看護師の「m」氏は、わたしに「自殺を勧告」しにわざわざコメントをくれ、わたしがそれについてここで公然と反論をすると、自らのブログで「因縁を付けられた」と苦笑している。

けっきょく誰にとっても、わたしというのは面倒で、厄介で、鬱陶しい、嫌な存在なのだ。

きっと本当は、ふたつさんの言っていることが、底彦さんの感懐が、Junkoさんの意見が、「正し」く「正解」であり、「いのちの電話」の相談員や精神科看護師の不快感が「至極真っ当」で「正常」な反応なのだろう。



ふたつさんは、「ここ」 でのコメントに、こう書いている。

>Takeoさんは、「内容」に関することであれば、自分の考えと違う考えであっても受け入れられる人のような気がします。(例えば、右翼思想を持っている人でも受け入れることがあるように)

いや。これは明らかにふたつさんの誤解です。わたしは確かに、西部邁に、北一輝に、2.26事件を起こした反乱将校たちにシンパシーを感じています。

西部の場合は、彼の自殺と、ここで繰り返し書いているように
「この国に絶望する人がひとりでも増えること、それがわたしの希望です」という最晩年の言葉に惚れているからだし、北一輝及び青年将校たちの行動には、貧しい者たちを顧みない奢れる政治家たちへの怒り・・・即ち「憂国の情」があるからです。

ですから逆に言えば、そうではない9割以上の右寄りの人間はそもそも「大嫌い」だし、そういう人間と交流を持てるという人がわたしには理解できません。

じゃあ「右ではない」人たちならいいのかというと、そういうことではありません。
要は西部のように、この国に絶望して死ぬとか、北や青年軍人たちのように命を賭して体制に反逆するような人たちだからこそ愛せるのです。


わたしに「因縁を付けられた」という精神科の年配の看護師。
「ああ言えばこう言う こう言えばああいう」とため息をついた「いのちの電話」の相談員。
「ぼくも発達障害だけど、ああはなりたくないねえ・・・」と、あるブログに於いてわたしを名指しした東大哲学科出の茶坊主。

きっとみんなの方が正しいんだろう。それを認めることはやぶさかではない。いや、もっとハッキリと認めよう。

「でも「正し」かったら何だというのだ?」・・・ということは言えまい。

「因縁」をつけられれば不愉快だし、ああ言えばこう言われればいい気持ちはしないし、一口に「精神障害者」と総称されて「あんなの」と同一視されたくない、という「いや~な感じ」もあるだろう。

そういうことを踏まえた上でのベテラン看護師の「自殺の勧め」なのかもしれない。
現に「彼」が言ってたように、「友達を求めてもできないことが何よりの証拠」なのだろう。何の証拠かと言えば、言うまでもなくわたしという存在が「誰からも嫌われ敬遠される人物」ということの「証明」に他なるまい。

(「m」さん、あなたのブログにこのブログのURLを公開すること、わたしの文章を(正確に、文脈通りに)引用することは何の問題もありません。)


P.S.

サム・クックの"Change is gonna come" で、わたしが胸を打たれるのは、セカンド・ヴァースで歌われる

"It's been too hard living, but I'm afraid to die"

「生きていることが辛くてなならない。けれども死ぬことも怖い」という部分。

そして

フォース・ヴァースで歌われる

"I couldn't last for long" 
「もう長くはもたない(堪えられない)」

身につまされる。

そして続いて

"But now I think I'm able to carry on"
「でも今は、頑張れると思える」と歌う、それは「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」ー変化が訪れるから・・・

しかしYou Tubeのコメントに誰かが書いていたように、"Change is YET gonna come" 「変化は「いまだ」訪れてはいない」サムの歌が書かれてから半世紀後の言葉である。

そして私の思いは、

"Change is never gonna come..."

嘗て北一輝は獄中で朋友の西田税(みつぎ)に言った。「この国に革命がおこることは決してないだろう」


(わたしはふたつさんは、アル・グリーンの迸る激情型の歌よりも、サムの、静かな怒りと深い悲しみを湛えた歌の方が好きだと思っていました。もっともわたしはサムのこの歌のライブ・ヴァージョンを知りませんが・・・)

































或る狂人の述懐(ふたつさん、Junkoさん、底彦さんのコメントに触れて…)その3「Junkoさん」


「断想」に寄せられたJunkoさんのコメントへの返事、というか、今回はちょっと反論めいた感じになってしまうかもしれません。けれどもそれは、わたしの状態云々というよりも、インターネット上でのコミュニケーションの当然の限界というものだと思います。
わたしに言わせれば、わたしのブログも含めて、所詮ネットはネット。おもちゃに毛の生えたようなものだということです。それでもブログは、ふたつさんの意見も踏まえつつ、尚、まだ「ウェブ日記」と呼ぶに価するものもあります。しかしSNSとなるともう。
人間のコミュニケーションというものもここまで退化、というか簡略化・記号化されたかという感じです。


>カレンダーを持たず、カレンダーを追って暮らしていないから半分以上廃人という意見には賛同しかねます。カレンダーなどもはや時間を何時間、何日と言う数や長さでしか、捉えることのできない、それこそ「社会人」という嘘くさい名称の陰に隠れた、動物としての勘や生気をもはや失った生き物が作ったものですし、そんなものに振り回されて、皆と頭を揃えてつるんで生きている事を果たして生きていると言うのかなあとも考えます。


昔、銀座の伊東屋、あるいは丸善に毎年年末に、母か、当時いた「親友」と一緒に、カレンダー・フェアに行くのが楽しみでした。年中行事のひとつでした。
カレンダーを持たなくなって久しいというのは、そういう時間が、そのような一日が、わたしの人生から失われて久しい、ということです。
カレンダーというのは、ある意味「歳時記」に似ていて、季節の移り変わりを実感するものでもあると思います。「ああ、もうすぐ水無月なんだなあ」と思う、今年ももう半分が過ぎようとしているんだなという感慨が湧く。人間は巡る日々、移ろいゆく季節と共に生きています。「暦」を持たないということは、時が流れていないということと同義です。
そして何よりも、カレンダーがあっても、記入することがない。どこへ行く日、誰と会う日・・・そういうもののない生活って、そもそも「生きている」と言えるとは思えないのです。それは世界(社会)との、人との繋がりがないことの証明に他ならないから。


>私は苦しさや悲しさこそが生きている証であると思うのです。喜びじゃなくね。


わたしは現在の自分がまさにそうであるので、歓びのない、苦しみと悲しみだけの人生なら要りません。わたしは十分すぎるほどの苦しみ悲しみに恵まれていますが、自分が今現在「生きている」という実感がまるでありません。そして「人がどう見るか」ではなく、「自分がどう感じているか」が最も大事なことであることは言うまでもありません。
わたしに必要なのは「生きている証し」という目に見えず、触れることもできない「観念的」なものではなく、「生きているという実感」なのです。

無論Junkoさんは、「生きる意味は悲しみや苦しみにこそある」、ということを、「そういうもんだ」と一般化、普遍化して話しているわけではない。あくまでもJunkoさん個人の人生観を言われているということは承知しています。ただ、わたしは残念ながら、「苦しみを糧に生きる」と思えるほど強くはありません。

宗教に関してはまったくの無智ですが、キリストでさえ、十字架の上で、苦痛と孤独と悲しみに、「歓喜」を感じたのではなく、神への恨み言を言ったのではありませんでしたか?

「わが神、何故我を見捨て給うたか・・・」と。











2019年5月24日

或る狂人の述懐(ふたつさん、Junkoさん、底彦さんのコメントに触れて…)その2「底彦さん」


「断想」に寄せられた3人のコメントへ、まともな返事を書くことができないので、
彼らの言葉にかこつけて、「いつものように」自分の思いを綴ります。



底彦さん。

正直なにを書いても底彦さんにとっては、悪影響しか与えないだろうという懸念があります。ですから、これは、「底彦さんへの返事」ではありませんので、無理して読む必要はありません。これは責任逃れの言い訳ではありません。今のわたしは、母さえも認めるように、明らかに「悪く」なっている。そんな人間の言葉を読むことは、何の益ももたらさないということです。

先程最新の投稿に、ふたつさんの冴えわたるコメントと、それに続いて、瀬里香さんから親切な言葉を掛けてもらいました。
人間て、こんな些細なやさしさで、少し元気が出たりする。自分にも味方がいると思うことで、厭世観にまみれた世界が、ほんの少し違って見えたりする。現金なものですね。


>その苦しみをどれだけ私が想像できているのか, もしかしたらまったくわかっていないのかも知れません. けれども, 私は Takeo さんの文章や, ブログに載せられた絵や写真や引用, そしてもう一つのブログの絵画などを受け取ることはできていると思います.そういうものに, 私は揺さぶられたのです. 不安や無気力・無感動の中にあるときに, 恐怖や怯え, 悲しみではない心の動きを与えてもらっているのです.

前に底彦さんに同じことを訊いて、答えをもらったと思いますが、忘れてしまいましたのでもう一度お聞きします。

「働いてお金を稼ぐ」ということに限定せずとも、何らかの形での「社会への復帰」を目標としているように見える底彦さんにとって、社会や世界を「敵」と見做しているわたしの書く物に惹かれるということがわかりません。
勿論、人間の気持ちなんて、そう簡単に白黒をつけられるものではありません。
「社会復帰を目指している底彦さん」などと気軽に安直に言われたくないよ。というのが本音でしょう。それよりもさらに大きな葛藤の渦の中でもがいていることは、ブログを読めば、わたしに下さるコメントを読めば、すぐにわかることです。

けれども、いかに底彦さんの内面に、アンビバレントな感情がせめぎ合っていて、このようなブログにすら、ある種の共感を覚えていたとしても、それは「これまで」のこと。
ここから先は明らかに危険領域であるとわたしには思えてなりません・・・

今のわたしは、ああ、人はこんな風にして(自ら)死んでいくのか・・・という気持ちに浸っています。大学時代にロマン派風の詩を盛んに書き、その中に頻出する「甘美なる死」という言葉が、今再び永い眠りから覚めてきたようでもあります。

>Takeo さんも休んでください.

ありがとうございます。でもわたしには「休む場所」はないのです。

50年代初頭でしょうか、ジ・オリオールズというドゥー・ワップグループが歌い、その後エルヴィスの歌で有名になった曲に「クライイング・イン・ザ・チャペル」という歌があります。ふたつさんのほうがより詳しいでしょうが。

その中の歌詞に昔から反応していました。

特にこの部分

I've searched and I've searched
But I couldn't find
No way on earth
To gain peace of mind...


何処を探し求めても見出すことのできなかった心の安息。

「それを今この教会で、神の前に額づくことで初めて知った」と続きます。

しかし二階堂奥歯がそうであったように、わたしは神には縋れない。

わたしの大好きな映画、マイケル=ウィンターボトム監督の『バタフライ・キス』で、主人公のユーニスは叫びます「神はわたしを忘れている!」

そして彼女の、親友への最後の頼みは「私を殺して」でした。
親友は親友であるがゆえに、忠実に、彼女とともに海に入り、彼女を沈めます。
苦しくて浮き上がってくるとまた沈めます。息絶えるまで。

もし殺せないのなら、たぶんその人は親友ではない、というのがわたしの気持ちです。

似たような映画としては、『裁きは終わりぬ』(古いフランス映画です)そして『空を飛ぶ夢』という名作があります。

最後に、Myspace時代に見つけたビデオで、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」をアル・グリーンがカバーしています。

サムやアル、そしてエルヴィスのような「本物」はもう二度と出てこない。
そんな時代にわたしたちは生きています。

底彦さん、そしてふたつさんへ贈ります。これが今のわたしの気持ちです・・・




わたしにはどうしても「ハレルヤ」が言えません。







2019年5月23日

或る狂人の述懐(ふたつさん、Junkoさん、底彦さんのコメントに触れて…)その1「ふたつさん」


今のわたしの精神状態・・・いや、心身の状態で、まともな文章を書くことは不可能であることを予め断っておきます。

毎度のことながら、わたしの拙文にコメントを寄せてくれる4人(上記の3人、そして瀬里香さん)のコメントの質は、それ自体が、わたし自身の投稿に勝るほどのクオリティーを持っているので、とてもそれらに対して、的を射た返事を書くことはできません。
的外れどころか、却って彼らに不愉快な思いをさせてしまうかもしれない。
「私が言いたい(言っている)のはそういうことじゃないんだけどな・・・」と思われるであろうことは、容易に想像できます。

それでも、彼らの言葉を受け止めて感じた(ている)ことを拙い文章に認めてみたいと思います。今更本音を隠して物を言うつもりはありません。阿呆が感じたままをそのまま書きます。



「断想」

こちらに寄せられた3人の文章を丸ごと引用しようとしましたが、逆に読みにくくなるかもしれない。そこで、それぞれのコメントから抜粋引用して、それについての感想を書こうと思います。

>つまり、ぼくは、文章の良し悪しも内容も、読んでやしないということです。
おそらく、ぼくが読んでいるのは、「TakeoさんがTakeoさんであること」ではないかと思いますね。


ふたつさん。SNSが主流の今の時代、ブログ、(二階堂奥歯のブログは、当時は「ウェブ日記」と呼ばれていました。)は既に時代遅れのメディアだと思います。
そんな中で敢えて、ブログを書く人というのは、良かれ悪しかれ自分の主張、オリジナリティーを持っている人ではないでしょうか?

つまりふたつさんの言われた、「TakeoがTakeoである」のと同じように、皆がそれぞれ、「自分自身」である場、それがブログではないでしょうか?何もわたしだけが、「わたし」を保持しているわけではない、と思うのです。

ふたつさんがわたしのブログに惹かれる理由が、「書き手が書き手そのものであること」であるとすれば、わたしのブログも、辺見庸のブログも、「m」氏のブログも、その点においては同じではないか?

少なくともわたしはそのような気持ちを持っているので、当然重視されるのは
文章のスタイル=言葉の選び方、文体、そして書かれている内容です。
文章に劣等感を持っているわたしは、スタイルのある文体に惹かれますし、また、本を読むのと同じように、自分と同じような価値観を持つ人のブログを好みます。

わたしには、「書き手が書き手でないブログ」というものが、そもそも想像できないのです。

わたしがJunkoさんや瀬里香さんに、「あんなことをブログに書くようような人間と、ネット上とはいえ交流がある人とは付き合えない」と断交宣言をしたのも、「あんな奴ら」がそれぞれに、「わたしの大嫌いな」「自己」「自分の意見」を持っているからに他なりません。


>もしも、このブログが、ぼくにとって魅力のないものに成って、そのことでTakeoさんの苦悩が、ほんのわずかでも減じることがあるのであれば、そうなってほしいと思いますが、そういう苦悩の中で「自分であること」を捨てられない人から、ぼくは目を離すことが出来ないようにできているんだと思っています。

このブログが、ふたつさんに限らず、今現在、継続して読んでいる人、不定期に訪れている人たちにとって、まったく「興味」を唆られないものになることは、正直言って時間の問題だと思っています。けれどもそれは、わたしの苦悩が軽くなり、普通の人間に近づいてきたということを意味しません。

この二つは確信をもって言うことができます。
わたしのブログは日を追って、つまらない「繰り言」になるでしょう。そしてわたしの狂気は愈々(いよいよ)悪化の一途を辿るでしょう。

ふたつさん、「自分であること」を放棄できる人って、どういう人でしょう。
また「自分であることを放棄する」とはどのようなことでしょう。
自殺とは、自分が自分であり続けるために、わたしがわたしとして生き続けるために残された最後の手段ではないでしょうか。

以前も書きましたが、わたしは尾崎豊という人の歌を『卒業』という1曲しか知りません。あるブログに彼の『十六歳の地図』(だったかな?)という歌の詞の一節が引用されていました。

そこにはこう書かれていました

「勝ち続けなければならない 僕が僕であるために」

前後の文脈はわかりませんが、それがいかなるものであれ、これはわたしの価値観、美意識と真っ向から対立します。

僕が僕であるためには「勝ち続けて」いてはダメなんだ。「勝ち続けること」によってしか維持できない「ぼく」「わたし」ってなんだ。
勝つことで得られるものってなんだ。

わたしはブルースを知りません。けれども、少なくとも、敗者であることで初めてBluesの味がわかるし、『マタイ受難曲』が、『悪の華』が身に染みるのだと思っています。
ブルースは、'Blue'という心の在り方を知っているものにのみ語り掛けてきます。ではブルーズの心とは何か?それは「虐げられし者」「弱者」「苦悩を知る者」・・・
嘗て「美と悲しみを知る者だけを私は愛する」とオスカー・ワイルドはいいました。
「俺も昔はさんざん泥水を啜ってきたよ・・・」と自慢をする者がいる。笑止!
所詮成り上がりものの知るところではありません。

強者とは、勝者とは、畢竟めくらでつんぼの謂いである。わたしはそう思っています。



























2019年5月22日

断想


● 二階堂奥歯の『八本脚の蝶』にこのような記述がある。

2001年6月26日

『きみは本をつきつける。「この本、もうあと読みたくないよ。博士はきっと最後に死んでしまうんだもん」
「わたしを失いたくないか? 泣かせるね」
「最後に死ぬんでしょう、ねえ? あなたは火のなかで焼け死んで、ランサム船長はタラーを残して行ってしまうんだ」
デス博士は微笑する。「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。ゴロも、獣人も」
「ほんと?」
「ほんとうだとも」彼は立ちあがり、きみの髪をもみくしゃにする。「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」

(ジーン・ウルフ「デス博士の島その他の物語」『20世紀SF 4 1970年代』河出文庫)

私を読んでいるあなた。
私はかつて私を創造しつづけるあなたを憎んでいました。

でも、あなたは創造者ではなかったのかもしれない。
一人の読者でしかなかったのかもしれない。
 
(後略) 』

わたしが彼女の本(ブログ)を好んで読むのは、この2年後に、彼女がビルの屋上から飛び降りて自らの存在を消した=「生きるのをやめた」ということを知っているからだ。だからわたしは安心して彼女の本を読むことができる。
最後には彼女は死んでしまうんだという思いがあるから。



● イヴァン・イリイチ・オブローモフは
「人はどう生きるかをしきりに考えている。けれどもぼくはどうしても何故生きるのかを考えずにはいられない・・・」と呟いた。そして結局何もしない人生を閉じた。

ところでいまのわたしは「何故生きる」という問いから更に遡って、「生きている」とはどういうことか?という疑問に憑りつかれている。
「何故生きる」もなにも、そもそも「生きる」ってなんだ?
「生きている」とはどのようなことなのだろう?



●「あなたが死んでも悲しむ人は母親だけ」と言った人がいる。それは当たっているようないないような。そもそも母は悲しむべきではない。わたしという存在のために人生を台無しにされたのだから。わたしは最近「障害者は不幸しか生み出さない」という言葉に心の底から首肯するようになった。
ただしこれは決して「一般論」にはしない。

わたしが死んでも悲しむ人がいないのは、わたしに知人がいないという、それだけの理由からではない。わたしを知っている人間が多ければ、それに比例して、わたしの死を、「喜ぶ」ことはないかもしれないが、内心ほくそえむ人も増えるはずだ。「m」氏を含め。


● こんなブログを書き続けて、なお生き続けていることが苛立たしく腹立たしいと感じている人はひとりではない筈だ。「死ぬのか?生きるのか?どっちかはっきりしろ!」と焦(じ)れている人は・・・
自殺をすれば「迷惑」と舌打ちをされ、生き残っていれば、それはそれでまた舌打ちをされる。そんな人間はわたし一人ではない筈だ。



● インターネットというものは、その存在からして必然的に人間の劣情を惹起する性格を持っている。劣情とは何も女の尻に触りたいという感情だけではない。見ず知らずの人のブログを読んで、「こいつはやく自殺しねえかな」というのも「劣情」である。

北方領土について、安易に「戦争」という言葉を持ち出して島民の怒りを買っている馬鹿な議員(馬鹿な政治家」とはそもそもトートロジーだが)に対して、元キャスターで、現在看護師の石井苗子がツイッターで援護したところ、わたしと同い年の精神科看護師、宮子あずさ氏が激怒している。「看護師に何より求められるのは「倫理観」だ」と。
ひょっとして石井氏は、看護師としてではなく、一個人・・・わたしという一人の人間としての発言だ、というかもしれない(わたしの勝手な憶測である)けれども、正に「素」の、その人の資質「倫理観」こそが問題なのであって、裸の自分には倫理観はなくて、服を着るように時と場所に応じて倫理を纏うなどということがそもそもあってはならないのだ。




●  最後に「ふたつ」さん。コメントへの返事が遅れてすみません。
書いている本人は、2008年頃の日記はともかく、その後、7~8年のブランクをおいて2015年後半から再開して以降、基本的に、スタイルは変わっていないと思っています。
変わったことと言えば、もともと下手な文章が、最近輪をかけてまずくなったということくらいでしょうか。そして内容が愚痴と世の中への怨嗟呪詛ばかりになった。

生きていることがつらくて仕方がないと、今ほど感じていることはかつてありませんでした。
だからといって、それによって筆致が冴えてきているとも文章に深みが現れているとも思えない。今も昔も文章は下手です。そして今は正直読むに堪えるものではありません。

四六時中死のことばかりを考えている今のわたしの文章に惹かれると言われるのが、なにか複雑な気持ちです。



ー追記ー

先日の瀬里香さんのコメントで、この間、「母の日」だったことを初めて知りました。
つい2年前までは、花を、カードを欠かしたことがなかったのに。
「花を買いに行けない」どころではなく、母の日であることさえ知らなかった。
最近は辛うじて、今は何月、ということを知っている程度です。
自分のカレンダーも持っていません。冗談ではなく、既に半分以上廃人です・・・









 


ニーナ・シモン「アイ・エイント・ガット・ノー・・・アイ・ガット・ライフ」



日本語字幕付きライブ・バージョン

オリジナル・スタジオ録音




Ain't got no home, ain't got no shoes
Ain't got no money, ain't got no class


Ain't got no skirts, ain't got no sweaters

Ain't got no perfume, ain't got no love

Ain't got no faith

Ain't got no culture

Ain't got no mother, ain't got no father



Ain't got no brother, ain't got no children

Ain't got no aunts, ain't got no uncles

Ain't got no love, ain't got no mind

Ain't got no country, ain't got no schooling

Ain't got no friends, ain't got no nothing



Ain't got no water, ain't got no air

Ain't got no smokes, ain't got no chicken

Ain't got no...

Ain't got no water

Ain't got no love



Ain't got no air

Ain't got no God

Ain't got no wine

Ain't got no money



Ain't got no faith

Ain't got no God

Ain't got no love

Then what have I got

Why am I alive anyway?

Yeah, hell

What have I got

Nobody can take away



I got my hair, got my head

Got my brains, got my ears

Got my eyes, got my nose

Got my mouth

I got my...



I got myself

I got my arms, got my hands

Got my fingers, got my legs

Got my feet, got my toes

Got my liver

Got my blood

I've got life

I've got lives



I've got headaches, and toothaches

And bad times too like you

I got my hair, got my head



Got my brains, got my ears

Got my eyes, got my nose



Got my mouth

I got my smile

I got my tongue, got my chin

Got my neck, got my boobs

Got my heart, got my soul

Got my back

I got my sex

I got my arms, got my hands

Got my fingers, got my legs
Got my feet, got my toes
Got my liver
Got my blood
I've got life
I've got my freedom
Ohhh
I've got life!



とても難解な歌だと思います。
「わたしは本当に文字通りの「無一物」けれどもわたしにはこのからだがあり、頭と脳があり、様々な臓器が、手と脚が、目と耳がある。そしてわたしは生きている・・・」と。
他のライブではI'm gonna live as long as I want...というヴァースがありました。「わたしは自分で嫌になるまで生きていようと思う」このラインがあるかないかで随分歌のイメージが違ってきます。単なる生命賛歌ではない。as long as I want...「わたしがそうしたい間は」生きていよう・・・
ところで、そもそもわたしには脳があるのか?そしてここでいわれるSexとは、性別のことでしょうか?しかし「性別」とは文字通り、「性差」があるからこそ言えることで、わたしにはどちらの意味の「セックス」もない。
ニーナはあれもないこれもないと歌った後に、でもあれをもっている、これがあると、そして「生きている」- "I got Life!" と。
わたしにはなにがあるのか?それがわからない。ちょうど、アドルノが、「幸福とは事後的な概念である、何故なら失った後、初めてそれが「あった」ことに気づくものであるから」といったように、今あるものがわたしに見えていない・・・
そして何かが「ある」ということ、なにかを所持しているということと「生きていること」は果たして同義だろうか?(健康な)からだを持っていれば、更には「いのち」を持っていれば、即ち「わたしは生きている」といえるのだろうか・・・
(尚、この歌は、歌詞のサイトでもそれぞれ微妙に異なり、ライブでも同様です。ビデオと歌詞が微妙に異なることをお断りしておきます)

ー追記ー
正直な気持ちを言えば、特別好きな歌ではないのです。そして今は、殊更何やらオプティミスティックに聴こえてならない。最早スマイルすら底をつきかけているわたしにとっては・・・

今のわたしは寧ろこちらのビデオに惹かれます。老いたジャクソン・ブラウンとJ.D.サウザーが、70年代の名作「ファウンテン・オブ・ソロー」をうたっている。彼の寂しげな感じ、どことなく疲れ衰えた風貌で、懸命に、それでいていつものように優しさを湛えながら往年の自作の名曲を歌っている。もともとが好きな歌だが、この「老い」が、なんともいい。ふたりの佇まいが「Gentle men」である。
そしてわたしのハートは'Fountain of Sorrow' -「悲しみの泉」である・・・尚横でギターを弾いているのはRy Cooder です。













2019年5月18日

「鈍感さ」について、(過去の投稿より)


期せずして、瀬里香さん、底彦さん、そしてJunkoさんと「自分を取り巻く世界に対する『鈍感さ』がなければ生きることはとても難しいのではないか?」という話をした。

昔からそんなことを書いていたような気がして、過去の記事を見直してみたら、やっぱり見つかった。そんな中から3つほど引用しておく。

言うまでもなくわたしの過去のブログへの誘導のつもりなどまったくない。
自分自身、改めて、いつまでも同じことに悩み、繰り返し繰り返し、同工異曲・・・同じことを書いていた(きた)のだなという、わたし自身の、現在に至るまで途切れることなく連続してきた現在進行形の過去の再認識のための引用です。


◇      ◇


「鈍感であること」について 

2017.11.07

「母が図書館から借りて来た雑誌、『住む。』2008年夏号をパラパラとめくっていたら、木工デザイナー三谷龍二さんのエッセイに、文化人類学者レヴィ=ストロースの次のような言葉が引用されていた。

『独自性を持ち、また互いを豊かにする一定の隔たりを保つには、どんな文化も自らに対する忠誠を失ってはなりません。そのためには、自分と異なった価値観に対してある程度目をつぶり、こうした価値観の全部、あるいは一部への感受性に鈍感であることも必要なのです』
(レヴィ=ストロース講義 平凡社)

ところで、やはり同じ雑誌の松山巌さんのエッセイ『怠けるヒント』に、歌人穂村弘の『短歌の友人』という本からの引用が載っていて、それは

『我々の<今>には「もっと大きな意味で特別」なことがある。それは人類の終焉の時代を生きる、という意味である。人類史上最も幸福で、しかし心のレベルでは最低の生を生き、種の最期に立ち会おうとしているわれわれの<今>が特異点にならないはずがない』

というものである。

(もっとも、『短歌の友人』は今から10年前、2007年に発行された本で、最近の穂村は、昨年(2016年)に出版されたエッセイで、「健康であるなら300歳くらいまで生きてみたい」などと書いていたが・・・)



自分と異なる価値観に対してある程度目をつぶること、またそれらに対して過度に敏感にならずに鈍感になること。これらは世の中をうまく渡ってゆくうえでの処世訓には成り得るかもしれない。
けれども、不正や腐敗、(人間性そのものの)堕落に対してすら鈍感になり過ぎている現代のわたしたちは、いまいちど、それらに対する鋭敏な感覚を研ぎ澄ましー人間性を破壊させる価値観に対する拒否反応を取り戻した方がいいのではないか。

よく言う言葉に、「結婚する前は両目をよく見開いて。結婚してからは片目を閉じて」というのがある。実際のところ、これが本当に賢明な知恵であるのか疑わしい。「賢明な知恵」というのが、往々にして「賢い処世術」と同義であることはよくあることだ。そして巧みな世渡りは人間性と魂を堕落させる。

レヴィ=ストロースの東京での講義から約30年。今は異なる価値観に対する寛容さをこれまで以上に求められる時代であり、同時に、ある種の価値観に対しては、断固として拒絶し、「否」という姿勢を取らなければならない時代でもあるだろう。
既に「既成事実」に対する妥協主義、順応主義は飽和点にまで達していて、「心のレベルでは最低の生を生きている」という点に於いては、10年前の比ではない。

個人的には、人類の終焉に立ち会うことを厭わない・・・というよりも寧ろ心待ちにしているとは言っても・・・」


◇      ◇



「発達障害に於ける知覚過敏についてのメモ」

2017.08.28

堀江敏幸氏のエッセイに、蛍光灯の明かりの均質さが苦手、電子レンジで温めたミルクの均質さが好きになれないと書かれていたことを思いだす。
だから堀江氏は、ひとつで部屋中を照らす蛍光灯ではなく、部屋のあちこちに間接照明をつけたり、ミルクは小さな手鍋で温めたりしていると書いてあった。

間接照明に使う白熱球が無くなってしまった今はどうしているのか、興味があるところだが、彼が嫌ったのは単に光の均質性、ミルクの温度の均質さだけなのだろうか。
そこになにか、別の視点からの意味づけは為されていないだろうか。

わたしが外に出ることが困難なのは、外界の刺激=音・光・匂い・色などが不快感を催させるからだが、それが自然界の音や光や匂いでない以上、そこには必ずその音や光を発している人間が存在している。実際の物理的な刺激以上に、わたしは、それらの音や光を発している人間の無神経さ、鈍感さを嫌悪しているのだと感じる。
だとすればわたしの外出困難は、所謂発達障害に伴う「知覚過敏」に単純に還元することはできないように思われる。

映画『鬼火』で、主人公のアランは、「ぼくが憎むのは人生ではなく、世界の醜さだ」と。
世界は勝手に醜くはならない。世界が醜くなるには、常に人間の手がかかわっている。

わたしはあのような音や匂いや光そのものよりも、それを創りだし、使用している人間の、堪えがたい愚鈍さを嫌悪する。

『精神医学は対人関係論である』という本のタイトルを思い出す。
わたしは懐中電灯を憎みはしない。けれどもその光をわたしの顔に投げつけてくる者をわたしは憎む・・・


◇      ◇



「消えない音」

2016.03.11

わたしが外に出られない理由は、何度も書いたけれど、外界の醜悪さ、「音」「臭い」「光」「色彩」などが生理的な不快感を引き起こすからだ。

けれども、これを「知覚」の「矯正」によって、「感じなく」させることをわたしは望んではいない。
醜いものを醜いと感じること、それによって外出が著しく困難になっても、自分の感受性を偽るよりはマシだ。

ブラック・ジャックに「消えた音」という作品がある。

田舎で先祖代々伝わる田畑を耕して地道に暮らしていた男がいた。
最近彼の村のすぐそばに飛行場が出来て、昼夜を問わず飛行機の騒音に悩まされるようになった。
いつかかれは飛行機の轟音を聞くと発作的に自分の鼓膜を破ってしまうようになる。
何回も鼓膜の再生手術をしても、彼は発作を繰り返す。医者はこれではどうしようもないからと転地療養を勧めるが、先祖代々の土地を離れるわけにはいかない。

或る時、彼がまた発作を起こしたとき、たまたま外国から帰ってきて、飛行場の近くにいたブラック・ジャックが彼の鼓膜を手術することになった。
ブラック・ジャックの手術は特殊なもので、患者の耳に伝わる音がある一定の音量を超えると、鼓膜が自動的に開き、音が聞こえなくなるものだった。つまり彼は轟音が聞こえない耳を持つことになった。

数日後、男がブラック・ジャックの処にやってきて、鼓膜をもとに戻してほしいという。
音で苦しめられているのは自分だけじゃないというのを聞いて、BJは「他の住民にも同じ手術をしてくれと言うのか?」と訊く。けれども男は、そうではなく、問題は騒音をまき散らす飛行場の存在であって、音が聞こえなくなることじゃない、それでは何の解決にもならない、という。ブラック・ジャックは黙って男に手術室に入れという。

そう。問題は世界の醜さであって、それを自分の知覚から遮断することではない。
あるものを見えなくすることや、聞こえなくすること、無視できるようにすることではない。

それは戦場で、人を殺すことに無感覚になるような洗脳を施すことに等しい。

今日、駅で、「北海道新幹線」のポスターを見た。醜悪なデザインと悪趣味でけばけばしいしいバックの色彩。
でも、それがニッポンなのだ。



本当に十年一日のように同じことを書いてきたんだなと改めて思う。そしてわたし自身の状況は決して「同じよう」ではなく、日毎に「悪くなって」いるのだ。











2019年5月16日

自殺者に花束を


「人は何故生きられるのか」Ⅱ より


T:「死ねないから」という以外の「生きていること」への積極的な理由なんて何ひとつない。
S:はい、わたしも自分が死ぬのがまづ怖いし、それに自分が自殺したら両親も娘息子も業務的に「自殺者の身内」というラベルを貼られますから。わたしの死を彼らが悲しむかどうかは別として。



「自分が自殺したら両親も娘息子も業務的に「自殺者の身内」というラベルを貼られますから。」

これはいったい何を言っているのでしょうか?「自殺者の身内」というレッテルを貼られる、とはどういうことでしょう?

「自殺者の身内」というレッテルがあるのなら、当然「安倍晋三の身内」「麻生太郎の身内」「枝野何某の身内」「菅直人の身内」という世間から後ろ指をさされる負のレッテルもあるのでしょうね。

だって自殺は悪でもなければ犯罪でもないのだから。寧ろ「社会に殺された」場合が少なくないのだから。そして為政者は間接的には加害者なのだから。


ー追記ー


わたしの自殺は誰のせいでもありません。それはわたしが最後までわたしであったという証明であって、何かに(誰かに)「間接的に殺された」のでは決してありません。

だってそもそも「生まれてきたことが敗北」なのだから。







Fortuna Desperata, Alexander Agricola. Flemish Renaissance Composer (1446 - 1506)


書けない返信…


もう十日以上前にメールを頂きながら、返事を書けずにいる人がいます。(仮にSさんとします。)
毎日気にしています。書かないのでも、書く気がないのでもなく、書けないのです。
大きな理由の一つには、わたしがこの先どうなるのか、まるで見当がつかない、ということがあります。今のわたしは死んではいない。けれども到底生きているともいえない。
そもそもわたしの考えが甘かったのです。以前のように、仲のいい友達ができれば、昔みたいではないにしても、少しは外に出られるようになるのではないか、そんな浅墓な考えを持っていました。けれども現実は、わたしが友達とほとんど毎日のようにどこかへ出かけ、毎週のように美術館に絵を観に行っていた頃とは、まったく違っていました。
ロミオとジュリエットのような、片方が死ねばもう一人も生きてはいけないというような関係であれば別かもしれませんが、わたしにとって今の世の中は、友達ができたくらいで「違って見える」ほど生易しい場所ではありませんでした。(現実に「友達」がいないのにこう言い切るのも変ですが・・・)

今のわたしにとって「救い」とは、最早「安らかにこの世界を去ること」以外には考えられなくなっています。

また現実的にも、現在のわたしは、ここにも繰り返し書いているように、これまで以上に、他者と話が通じなくなっています。
より厳密に言えば、人と話が通じないというよりも、今の世の中に渋々ながらでも適応できている人との齟齬に過敏になってきた・・・ということです。

Sさんはもうこのブログも、もう一つのブログも見てはいないと思いますが、
ここで交わされた「ふたつ」さんと「瀬里香」さんの会話を聞いていて、わたしはとっさに、1980年代に作られた、エリック・ロメール監督の『レネットとミラベル』という映画の冒頭のシーンを想いました。
ふたりの若い女性の友情を描いた「四つの物語」ですが、二人の出会いは、(どっちがレネットで、どちらがミラベルだったか忘れましたが)そのどちらかが、パリに住んでいて、休みに田舎に来て、朝まだきの田舎の道を自転車でひとりで走っていました。途中タイヤがパンクしてしまい困っているところに、もうひとり、レネットだかミラベルだかが通りあわせて、自分の家に案内し、パンクを直してくれたのです。それがふたりの友情のはじまりでした。つまり「自転車のパンク」がふたりの出逢いを作ったのです。

停電から始まる恋もあるでしょう。ケーリー・グラント&デボラ・カー主演、レオ・マッケリー監督のロマンスの名作『めぐり逢い』も、今井正の傑作『また逢う日まで』も、すれ違いの悲劇でした。

予期せぬ出来事を可能な限り排除すること、すべてが予定通りに進むことが現在の至上の価値とされています。決して臨機応変に適応対応できるようなシャープな人間ではないにも関わらず、わたしはあまりにも全てが予定通りに進む、そんな世界を厭います。

とにかく、世界とわたしは、急速に正反対の方向に進みつつあります。
ということは、最早わたしに居場所はないということを意味します。



わたしは自分自身障害者として、「障害者は不幸しか生み出さない」という言葉を、100%否定するものではありません。また、希死念慮を持つ引きこもりの人のブログに書かれていた、「やまゆり園の殺人を肯定はしないが、あの中には、自ら死にたいと思っていた人もいるのではないか?」という言葉を、まったくのナンセンスと退けることもできません。
何故ならわたしも「誰か殺してくれないかな」と、思うことがあるからです。
本当に、金持ちなら、ドクター・キリコかデューク東郷(aka ゴルゴ13)を雇うでしょう(苦笑)

今のわたしには米一粒ほどの希望もありません。

(安らかな)死こそ救いだと思っている人間が、いったいまともな、普通の人間に何を言えるでしょう、というのが、わたしの言い訳ではなく、本心なのです。

今のわたしは新宿や渋谷まで、小一時間電車に乗っている自分を想像できません。
スマホ、タブレットに対するわたしの拒否反応を思う時に、いつも「シックハウス症候群」という言葉を連想します。しかし現実には、スマホに対して、このような反応を示す者は、わたしの知る限り、世界でわたし一人です。何故なら「シックハウス」は化学物質に対する人体の生理的な(正常な)拒否反応であり、一方でわたし固有の「スマホシック」は、要は気の持ちようで、結局単なる「わがまま」に過ぎないからです。
三島由紀夫が、太宰の稀有な才能を認めながらも、「結局彼の根本にある思想・厭世観などは、毎日の乾布摩擦で治ってしまう程度のものだ」と豪語したのは有名な話です。

今更、と言われそうですが、まとまりのない、要点を得ない文章をクダクダと書きました。

最早わたしは、まったくまともなところのない人間(?)になってしまいました・・・





2019年5月15日

「人は何故生きられるのか」Ⅱ


なんというのか・・・最近はまともな文章が書けなくなってきている。
今のような状態で「生き続けている」ということは、この状態が生きている限り続く、ということではなく、頭も、精神も、そして身体的にも、確実に悪くなってゆくことを意味する。現実に「死ねないから」とぐずぐずしていても、状況は日毎に悪化している。

「人は何故生きられるのか」、ふたつさんの出色のコメントに引き続いて、瀬里香さんからも、いかにも彼女らしい、他のブログでは決してお目にかかることのできないようなコメントが寄せられた。

T:「死ねないから」という以外の「生きていること」への積極的な理由なんて何ひとつない。
S:はい、わたしも自分が死ぬのがまづ怖いし、それに自分が自殺したら両親も娘息子も業務的に「自殺者の身内」というラベルを貼られますから。わたしの死を彼らが悲しむかどうかは別として。

ここら辺の表現がとてもいい。

S:精神科で処方される薬とも一生のお付き合いだし、喧しい電車のアナウンスや暑苦しいアスファルトや煩わしい電子媒体攻めや電子音の鳥のさえずりや、スマホ決済や、けたたましい選挙カーなどとも一生のお付き合いだと思つてゐます。

精神科の薬は仕方がない。「みなさま、ばかでございます」と触れ回る選挙カーは不快とは言え、せいぜい一週間程度。

けれども、わたしはやはり、「喧しい電車のアナウンスや暑苦しいアスファルトや煩わしい電子媒体攻めや電子音の鳥のさえずりや、スマホ決済」の世界に長居はできない。

では何故瀬里香さんは、そういうものたちと一生のお付き合いができるのか?それが世に言う「鈍感力」というものなのか?言い換えれば、「今の時代、この社会は、「鈍く」なければとても生きて行けるものではない」ということを、問わず語りに白状しているということなのか?

S:とにかくこれほど不便な世間にうんざりしますが、だから週末になると自由自在に思ふ存分マイナスイオンに逃走することばかり考へてゐます。

わたしには逃げ場がない。田舎に行きたいと思う。(わたしが子供の頃=40年前と同じような、木と、植物と、動物と、小川と、ところどころに古い民家があるような文字通りの「田舎」がまだこの国に存在すればの話だが)
しかし、田舎に行くにはどうすればいい?車に乗れないわたしは電車を利用するしかない。では電車や駅には何がある?誰がいる?

「良くなる」とか「元気に」「外に出られるように」ということが、そもそも絶対的に「有り得ない」ことなのだ。というよりも、誤解を怖れずに言うなら、それは(わたしにとって)「あってはならない」ことなのだ。そして「現状維持」とは即ち「(心身全般の)悪化の一途」を意味する。
それでは果たして残されている途とは何か・・・





愚痴?


今日もアートブログの方は20人そこそこの閲覧者。
わたしは極端に自分に自信がないことで知られている。呆れられてもいる。
今もう一度、アートブログを見直したが、決して訪問者数に比例するほどひどいとも、つまらないとも退屈とも思わないし、わたしにはやっぱりセンスがないんだというお決まりのセリフも出てこない。

ただ、わたしの頭ー感受性そのものが既におかしくなっていて、そのことに気づいていないだけかもしれないという一抹の危惧はあるが・・・

それでもこれはわたしが、いわゆるインスタグラムとか、ピントレストなど、多様なテーマの画が集積されているところからではなく、(主にインターネットのオークションサイトのカタログからだが)文字通り、世界中(といってもほとんどがヨーロッパではあるが)のサイトをひとつひとつ渉猟して得た結果だ。誰からも、どこからも影響を受けていないとは言わないが、自ら顧みて、後ろめたいところはない。

エロ・グロをテーマとし、真っ当で正常な人から「汚らしい」「けがらわしい」「おぞましい」「グロテスク」「醜悪」「悪趣味の極み」と言われるにはまだまだだが、そこにはやはり、日本人のものか、わたし固有の感受性かは不明だが、やはり限界がある。

とにかく、そういう意味での一貫性には欠けるが、ブログとしては、そして投稿者自身としては、さほど絶望するには至らないと思う。

それにしても、閲覧者が「ここ」と盛んに宣伝をしているタンブラーから「だけ」とは・・・




「まだ世の中に「愚か」という美徳があったころ…」谷崎潤一郎


In his essay The Vision of the Fool (1947), Collins wrote that the Fool was the  "‘Saint, the artist, the poet’. 

"'The saint, the artist, and the poet are all one in the Fool, in him they live, in him the poetic imagination of life lives."
“The Fool is the poetic imagination of life, as inexplicable as the essence of life itself. This poetic life, born in all human beings, lives in them while they are children, but it is killed in them when they grow up by the abstract mechanization of contemporary society.”


Cecil Collins... The fool...1944

「ザ・フール」セシル・コリンズ (1944年)




コメントをありがとうございました


(順不同で)瀬里香さん、ふたつさん、あのようなわたしの発言にも関わらず、まるでそんなこと聞いていなかったかのような、いつも通りの自然なコメント、どうもありがとうございます。殊に「人は何故生きられるのか?」へのふたつさんの投稿は素晴らしい。(このような貧弱な語彙しか持たないことを、今更ながらうらめしく感じています)

言い訳のように先の投稿を振りかざすわけではありませんが、頂いたコメントに、今のわたしは何も言葉を返すことができません。 

それはなにもこのブログへの瀬里香さんやふたつさんの言葉に対してだけではなく、今、わたしは、人と、それがどのような内容であれ、言葉を交わすことができないと感じています。「思考力の低下」云々というよりも、所詮それだけの、見せかけだけの(今では「見かけに違(たが)わぬ」)「空っぽ」の人間だったということでしょう。



瀬里香さんが長距離サイクリングの話をしてくれました。疲れたけど、とても気分爽快だと。

わたしに、「疲れたけどたのしかった」なんてことがあるでしょうか?
わたしにはただ「生きていることの倦怠」しかないような気がしています。

近頃時々思うのは、今のわたしにはどのような「時間」が必要なのだろう、
どのような「場所」が必要なのだろう、そして、どのような「人」が必要なのだろう・・・と。
まるでわかりません。実際わたしと「わたし以外の人」、わたし(の内面)と外界(外の世界)との距離があまりにも、まるで別の天体同士であるかのようにかけ離れているからです。



「わたしは自分と人とを比較はしない。だって所詮は別の人間だし、比較しても仕方がない」という言葉を時々耳にします。「自分と人とを比較する」と言う場合、それは大抵、垂直方向での比較ではないかと思います。どちらがより上か、下か・・・
わたしはよく人と自分を比べます。彼(彼女)とわたしと、「強・弱」「優・劣」「上・下」「大・小」「多寡」といった相対的な比較ではなく、どのように違うか?どこが同じかを比べます。比較します。しかし、これも何度も繰り返していますが、わたしはそもそも「比較」をする以前に、どの人間とも似ていない。

そりゃ学校の校庭くらいの大きさのジグソーパズルの1つか2つのピースくらいは、広大な海辺で見つけた小さな貝殻1個か2個くらい「似ている」部分がある人がいるかもしれない。けれども所詮は「点」。瀬里香さんの言葉を借りれば「接点」ということでしょうか。
わたしは人と人とは「面」で接し合わなければ生きられないと思う人間です。どころか、「全き抱擁」=「他者との一体化」(木村敏)をこそ、今のわたしは乞い求めています。



最近はよく昔、といっても、まだ友達がいた10年ほど前・・・2000年から2008・9年頃のことですが・・・ほんとうにあんな時代があったのだと思うと、なにやらとても不思議な想いに捕らわれます。そして続けて思うのは、いまここにいるわたしとはナニモノか?と。




2019年5月9日

コメントについて


現在わたしの投稿にコメントを書いてくれるのは3人ですが、過去一年、様々なブログを視てきて、これほど皆が長文で、内容の濃いコメントを寄せてくれるブログを他に知りません。(そもそもわたしは短いコメントを好みません)
閲覧者は平均して一日10人前後。そしてコメントの質。どちらも自慢していいことだと思います。

いまのわたしには、しかし、そのような充実した内容のコメントにきちんと返事を書く能力がありません。少なくとも、頂いたコメントに近い質を持った返信でなければ書く意味はないと思っています。ですから今のわたしに何か書いてくださっても、満足なお返事ができません。

それを承知で、一方通行であることを承知で、感想を聞かせてくだされば、とてもうれしく思います。

ー追記ー

既にお気付きのように、最近のわたしの返信にどこか刺々しさを感じておられるでしょう。
声を聞かせてくれるのは嬉しいことですが、あまり近づかない方が「賢明」かもしれません・・・


「できない」ということの大事さ


貧しさのために、病気や障害のために、普通の人ができることができない人がいる。
彼らは本当に貴重な、重要な存在だ。「できる」人は「してしまう」
「できない人」がこの世界に存在すると考えることは何という救いであることだろう。





「人は何故生きられるのか?」


最近のわたしは日々生きているのが辛くてならない。
「死ねないから」という以外の「生きていること」への積極的な理由なんて何ひとつない。
生きていて、なにひとつおもしろいことがない。

人は誰しも、面白いことがあるわけではないが、生まれてきた以上「仕方なく」、本当に「仕方なく」生きているのかと考える。もしそうでないとすれば、いったい何がたのしくて生きていられるのか?

ふたつさんのコメントにあった、ブルースマンの「しぶとさ」については、理解できる。
貧しい者が懸命に生きようとする姿は、理屈抜きにうつくしい。

「嘗ての」ブルースマンや、「嘗て」ファーガス・バークの撮った、ゴミ箱を漁る少女、そして山谷のドヤ街にいるひとたちの「生」をわたしは肯定するが、自分自身には到底そのような「しぶとさ」や「生命力」はない。

絵や写真や音楽といっても、それがあるから生きてゆけるというほどの力はない。
それらはあくまでも「慰め」でしかない。

わたしは「死ねないから生きている」という言葉を何度も目にしてきた。
それは本当によくわかる。だからこそ、それ以外の理由で生きている人というものが全くわからない。

多くの人は、何故生きていられるのだろう?

仮にこのような訴えを聞いて、わたしは鬱病だという者がいたとして、
だったらどうだというのだ。「鬱病なら治さなきゃ」
何度でも言う、「治る」とはどういうことか?
そして仮に「治った」として、一体この世界に何があるというのか?






2019年5月8日

瀬里香さんへ(返信にかこつけて)


ふたつさん、底彦さん、そして昨日の瀬里香さんと、立て続けに、中身の濃いコメントをいただきました。けれどもそのように感じるのも、またこのような形でしかコメントに返事ができないのも、要はわたしの思考力が著しく低下しているせいでしょうか?
つまりこちらの能力が低下した分、みんなの言葉、思考の内容・質が、高いところにあるように思えるのか。

結局今のわたしには、頂いた言葉に対する適切な応答ができないので、コメントの中の片言節句を拾い出し、それについて、ではなく、それにかこつけて、自分の言葉を発することが精一杯なのです。
つまり「対話」ができないのです。

昨日の瀬里香さんのコメントを全文引用します



その1


「こんにちは、Blueさん。お久しぶりです。いつも読んでます。its all over now,im blueも観てます。

10連休が明けて、今日が令和初出勤でした。
10連休中は自転車で遠出をしたり飲み会をしたり、遊んでばかりいました。

わたしも今は激しい怒りや悲しみや絶望や不安を感じることも無く煮えたぎることも無く疲弊し切ることも無く、かといって激しい幸福や喜びや自己肯定感や達成感や遣り甲斐を感じることも無く、でも地味に平和に生息してゐます。Blueさんの心の中は、平和か戦争かと云うと、どちらかと云えば平和ですか。

最近、FBで知り合った自転車友達と実際にオフラインで会って、木曽川沿いを走ったり美濃の山奥を走ったりしてゐます。趣味の合う人たちと、会って自転車に乗って一緒に綺麗な景色を眺めて一緒に美味しいものを食べて一緒に気持ちよく走るだけ、という浅くて淡白な関係ですが、それはわたしの唯一の楽しみです。

2008年からのブログには、わたしも随分お邪魔させていただきましたね。見解の不一致はあまり無かったように思ひます。あったとしても全て正直に話し合えてをり、とても居心地の良い場所だったと記憶してをります。

さて、友達についてですが。友達の少ないわたしに、新しい友達ができたことを、悲しんだり淋しく思ったりするのではなく、喜び、祝福してくれる友達こそが、本当の友達だと思ってゐます。ここはBlueさんと感覚が違うかもしれませんが。わたしはBlueさんの友達のつもりでいますが、Blueさんに新しい友達ができたら普通に素直に喜びます。

わたしは今年45歳になりました。日本人女性の平均寿命が90歳を超えてゐますから、人生あと半分もあることになります。人生あと半分もあると思ふと少しうんざりしますが、どうせ「生まれてから死ぬまでの長い苦しみ」なら、少しでもそれを緩和して(癌患者がモルヒネで痛みを緩和するように)、地味に生息してゐたいと願ひます。わたしは精神障害者1級ですから【治る】【治す】という発想はずいぶん昔に消えてしまいましたが、そのことに絶望してゐるかと云うとさうでもなく、少しの希望があり、これからも、Blueさんを始め、ときどき友達と手を繋ぎ合い、うだつは上がらないでせうけれど、地味に平和に生息していきたいと思ってゐます。変ですかね。


底彦さん、ふたつさん、こんにちは。」


>10連休が明けて、今日が令和初出勤でした。
10連休中は自転車で遠出をしたり飲み会をしたり、遊んでばかりいました。

「自転車で遠出」「飲み会」・・・うらやましいですね。外に出られること、一緒に酒を酌み交わす仲間がいることが。

>Blueさんの心の中は、平和か戦争かと云うと、どちらかと云えば平和ですか。

難しい問いかけですね。
「戦争」というほどの激しい感情もなく、また「平和」という言葉もピンと来ない。
つまり「今の日本は平和ですか?」と訊かれて、「平和です」と応えられるほど鈍くはないというのと同じことです。
強く死を想う時と、それを一時忘れているときがある。それだけのような気がします。

>趣味の合う人たちと、会って自転車に乗って一緒に綺麗な景色を眺めて一緒に美味しいものを食べて一緒に気持ちよく走るだけ、という浅くて淡白な関係ですが、それはわたしの唯一の楽しみです。

これのどこが「浅く」「淡泊」な関係なのでしょうか?これ以上何を求められるのでしょうか?

>2008年からのブログには、わたしも随分お邪魔させていただきましたね。見解の不一致はあまり無かったように思ひます。あったとしても全て正直に話し合えてをり、とても居心地の良い場所だったと記憶してをります。

そうでしたね。瀬里香さんと、先の記事にある「親友」だけが常連でしたね。
いつもシャープな意見を聞かせてくれていました。
あの時にはまだ「対話」がありましたね。わたしも今ほど狂ってはいなかった。
あとで、コメント欄を見られるように設定し直しておきます。

>わたしはBlueさんの友達のつもりでいますが、Blueさんに新しい友達ができたら普通に素直に喜びます。

その辺は難しいですね。まず、顔も見たことも、肉声を聞いたこともない人を、果たして真の意味での友達と呼べるのか?という疑問があります。 つまり「ネットの友達」=「会ったことのない友達」という、なんだか「語義矛盾」のような存在は、いったいどのような存在であり、どのような関係なのか。

手紙でしかやり取りしたことのない「友人」「親友」というのは、昔から、世界中どこにでもいましたが、そもそも、「手紙」と「メール」では、まったくその重さに於いて比較にならない。

>わたしは今年45歳になりました。日本人女性の平均寿命が90歳を超えてゐますから、人生あと半分もあることになります。

わたしは今年56歳になります。わたしの父はわたしよりも30歳年上です。
つまりわたしも心を入れ替えて、真人間になって、生きたいと心から願い、それにふさわしい生活をし、そのために必要な心構えを身に付ければ、あと30年くらいは生きることができるかもしれない。

しかし何度も言いますが、仮に、「クウネルところにスムところ」に困ることがなかったとしても、わたしは80歳・・・いや、70歳まで生きようとは夢にも思いません。

これも前に書きましたが、「無病息災」「元気溌剌」で100歳まで生きられる薬と、
寝る前に飲めば、苦しむことなく、眠ったまま安らかに逝ける薬と、どちらかをくれるといわれれば、躊躇うことなく後者を選びます。

金にも困らず健康であっても、長生きはしたくないのは何故か?と訊かれれば、
既に携帯電話すらなかった時代に「テクノロジーは現代の神である」と澁澤龍彦が言ったように、わたしにとって現代の神は敵でしかないからです。
その「敵である神」の支配する世界で奴隷として生き永らえてどうするのか?

>これからも、Blueさんを始め、ときどき友達と手を繋ぎ合い、うだつは上がらないでせうけれど、地味に平和に生息していきたいと思ってゐます。変ですかね。

いえ、変ではないでしょう。それが普通です。



その2

「こんにちは、Blueさん。
わたしも世を愛さなかつたけれど、世は案外わたしを受け容れてくれることに最近気づきました。今までわたしに手を差し伸べられた手はたくさんあったはずなのに、どうせわたしなんか愛されざる者だからと云って、拒絶し、突っぱねてばかりで、鎖国してばかりでしたが、最近ようやく、わたしに手を伸ばしてくださる人たちの温かい手に触れる勇気が少しだけ湧きました。わたしは怒りも苦しみも痛みも絶望も煩悶も感じなかつたけれど、いつも淋しかった。

しかし淋しさを埋めるためだけの軽いお付き合いは絶対にしません。一緒に自転車で田舎や渓流を走つてくださり、楽しさを分かち合える方のみ、FBで友達になつてゐます。こんなわたしを歓迎してくださる方が居ることに、今はかなり感激しつつ、感謝を捧げつつ、体を動かすことで心を平和に保っています。わたしに付き合ってくださる皆さまのお陰様でメンタルの薬も少し減らすことに成功しました。

わたしたちは皆、宇宙のみなしご。だからときどき手をつなぐ必要があるの。by 森絵都」


それは瀬里香さんなら、世の中は、案外優しく温かいものだろうと思います。
ただ、わたしは同じではない。

瀬里香さんも、底彦さんも、そしてデイケアの人たちも、重い精神(心)の病を背負っていますが、わたしの目から見ると、心を病んだ普通の人、としか映らないのです。
じゃあそういうお前は何か?と訊かれれば、根っからの狂人。つまり瀬里香さんや底彦さんから「病気」「障害」を取り除けば、まったく普通の人ですが、わたしから狂気を除けば「無」です。

>わたしたちは皆、宇宙のみなしご。だからときどき手をつなぐ必要があるの。by 森絵都

よくわからないというのが正直な感想です。孤児同士が手をつなぐことがどのように可能なのか?だってそれぞれが自分という暗闇の中にいて、他人の姿が見えないのに、どうやって手を繋ぐことができるのか?

わたしは瀬里香さんを、底彦さんを不快にさせようという意識から、このようなことを書いているのではありません。
瀬里香さんや底彦さんが、わずかながらでも、いい方向=快癒に向かっていることを喜んでいます。
ただ、良くなってゆく人と、わたし。日の当たる場所へ歩き出すものと、そこにあくまで留まり、滅びを待つ者。そこが分岐点になるのです。








2019年5月5日

私は世を愛さなかった。世もまた私を。所詮敵ならば潔く袂を分かとう・・・ (バイロン)


底彦さん、いつも充実した、内容の濃いコメントをありがとうございます。
これは幸いなことに、ふたつさん、そして瀬里香さんのコメントにも言えることですが、
わたしは、かつてのJunkoさんも含め、「こんなコメント・・・」と感じることがないことをよろこばしく思っています。

ただ、前回のふたつさん、そして、今回の底彦さんのコメントも、今のわたしの鈍い頭には、「難解」という意味ではなく、軽々しく返事を書けるものではないので、その点はどうかご容赦ください。





最近「友人」の存在について考えさせられることがありました。
つまり他ならぬわたしにとって、友人、友達とはいかなる存在であるか、ということを、考え直す契機に出会いました。

「友情」「愛情」については、今から10年前、2008年のブログに繰り返し書いています。

この年の記事は抜粋して、製本(自費出版ではありません)し、2015年、32歳の時から20年来、手紙や電話でやり取りのあった、作家山田太一氏に送りました。
山田さんは、手紙を出せば、(葉書の場合が多かったですが)必ず返事をくれるような人で、ちゃんとわたしの送った本を読み、その上で、「とてもついていけない」と拒否反応を示されました。殊に「友情」「愛情」についての記述に違和感を覚えたようです。

山田氏が違和感を覚えたという一連の記事を書いてから10年。
友情や愛情についてのわたしの考えも変化しているように思います。

当時、SNSの友達で、スペインの女性とメールで話した時、「友達は恋人よりも大事な存在」・・・という点で、意見が一致しました。

「友人」・・・いまでもそれはわたしにとっては、「それがなくては生きてゆけない・・・生きてゆくのが非常に困難になる」存在という点では変わっていないでしょう。「友とは第二の自己である」と言ったのは誰だったでしょうか。現実には「第二の自己」というよりも、脚の不自由な人にとっての杖のようなもの。なくてはならない必要不可欠な存在です。

以前の「親友」との最後の年だったでしょうか、銀座の伊東屋で、彼女と一緒にポストカードを選んでいました。彼女は「わたしにくれるの?」と訊きました。
「いや、海外のインターネットの友達に出すんだよ」とわたしが何気なく言った。
その瞬間、彼女の心が文字通り音を立てて崩れたように、目を真っ赤にして、「あたらしいともだちができたんだ・・・じゃあもうわたしはいらないね」

前にも書きましたが、「あたらしい友達ができた・・・もうわたしはいらない・・・」という言葉。その気持ちを今のわたしは完全に理解できます。
何故なら実は昔からわたし自身がそういう人間だったから。

これは一般に言われる「独占欲」とは少し違うような気がします。
つまりわたしは、正に彼女の言葉の通り、相手を責めることなく、黙って姿を消すからです。

友だちに限らず、わたしは人と、「浅い関係」というものを持てません。

底彦さんは、わたしのなかに「すさまじい自己否定」を見ているようですが、それは、「彼女」の言葉を借りれば、やはり自分が「愛されざる者」であるという揺るぎない自己規定(アイデンティティー)があるからでしょう。
しかし同時にわたしは世の多くの人に「すさまじい自己肯定」を、(加えて、すさまじい「現状肯定」を)しばしば見るのです。

友達、それは生きてゆくのに欠かせない存在だと書きました。
けれども、今のわたしは「生きてゆくこと」を望んではいません。

「人生とは、生まれてから死ぬまでの長い苦しみ」と母が言いました。
そして母はまた、「あなたはあらゆるものを否定するからね・・・」と言います。
けれども、わたしのなかには、どこかで、あらゆるものから否定され続けてきたという気持ちもあるのです。

今のわたし、すなわちこれ以上生きることを望んでいない人間にとって、「友人」とはいかなる存在なのか・・・

わたしは二階堂奥歯を、彼女の考え方、その書いたものではなく、彼女自身の自死によって・・・日本も核武装すべき、軍隊を持つべきという、わたしとはまったく相容れないポリシーを持つ西部邁を、この国への絶望による覚悟の自裁によって、無条件に称賛する者です。


ー追記ー

底彦さんはわたしを「鬱病」であると思いますか?
フフ、愚問ですね。仮にそうであったとしても、わたしには「治り(し)たい」という気持ちがないし、早晩今のテクノロジー万能社会と、わたしの美意識との間での決定的な対立があり、わたしは滅びるのですから。











2019年5月4日

ブログについて独り言


いいポストがしたい。ドロローサのブログを見ていると、嫉妬と羨望の入り混じった気持ちになる。彼女のブログから絵を盗みたいという衝動に駆られることもある。

けれども、彼女に負けたくはない。彼女のブログは約700人がフォローし、フェイスブックの彼女のページは、さすがにトーンは抑えてあるものの、数万人のフォロワーがいる。

確かに彼女にインスパイアされることは多いけれど、やはり負けたくない。
敗けるとはフォロワー数やPVの多寡ではない。

底彦さんがわたしの絵に関心を持ってくれているということを知っただけでも充分な収穫だ。いづれ彼の好みから次第に逸れてゆくかもしれない。けれどもわたしはわたしの美意識に忠実でありたい、そうするとどうしてもドロローサと重なってしまうのだが・・・

1万4千人のフォロワーがいるタンブラーは暫く休もうと思う。彼ら彼女らは、わたしのポストする綺麗な絵を望んでいるはずだ。今のブログには月夜もなければ、黄昏時に飛ぶひばりも、深山の瀑布も、森も、風車も水車小屋もない。私はこのブログの右側に並んでいるような絵と写真で2011年3月から8年間やってきた。今このスタイルを暫く外れようとしている。

荒俣宏が悪趣味の定義をしている。
「悪趣味とはあからさまであること」「悪趣味とは性器であること」「悪趣味とはSEXであること」それらの延長線上にドロローサのスタイルがある。
Tumblrのフォロワーを失望させたくはない・・・いや、言い換えよう、彼ら彼女たちに失望されたくない。

趣味のいい悪趣味を身に付けたい・・・



Its all over, Now You're free to fall..


今日は、Sさんからうれしいコメントをもらった。わたしのもう一つのブログの投稿に興味と関心を持ってくれているらしい。Sさんには甚だ不本意だろうが、Sさんはわたしにとっては、(いい意味でも悪い意味でもなく)とても真面目な人という根拠のない先入観があって、あのような「エロ・グロ・ナンセンス」を標榜しているようなブログの主にはさっさと見切りをつけたものだとばかり思っていた。そのようなブログを作りましたと聞いただけで遠ざかるというのではなく、実際に視、そして、その言葉に偽りがなかったことを確認して去って行ったのだろうと。

昔からの経験から導き出されたわたしのモットーは、「自分に忠実であれば人に嫌われる」ということだ。これは確信を持って言える。
ただしこれは決して一般論にはならない。自分のテイスト、自分のスタイル、自分のポリシー、自分のスタンスを持っていて、尚、人から好かれる人もいる。
簡単に言えば持っているものの「中身」の問題だ。

Sさんがわたしのもう一つのブログに投稿している絵を気に入ってくれているということは、とても大きな励みになったことは紛れもない事実だ。日頃から肯定的に評価されたことのない人間には、Sさんのような人に評価された(?)・・・「今のところ」彼のお気に召しているようで、率直にうれしい。

ただ、それはあくまでも「今のところ」という留保付きのことだ。

わたしは基本的に人を信用しない。これは何も人間不信ということではなく、単純に、「来年のわたしは今現在のわたしとは違う」という現実を言っている。
前にも書いたが、人間は限りなく球体に近い多面体であるということ。
わたしたちが知り得るのは、その無限に近い多面性の、ごくごく一部でしかあり得ないということ・・・

Sさんにとって、ふたつさんにとって、瀬里香さんにとって、どこまでが「Takeo」で、どこから・・・(どの一面を見た瞬間)が、もうTakeoではないのか?到底わたしに知るすべはない。

殺人者であり、同時に聖者でもあるという「人間」という存在を、何故、理解し得るのか?「理解」というものが不在であっても愛し得る。しかしそれは束の間に過ぎない。

わたしは全的な、全き抱擁を求めている。しかしそれは人間には求めることのできないものだ。

矛盾の総体である「人間」というものを、如何にして人が愛し得るか・・・



わたしは昭和38年(1963年)に生まれた。そしてごく普通の「たのしい」小・中・高校時代を送った。
平成が30年として、30年前、26歳になる年に、わたしは、大森の馬込のアパートに越し、そこで、26歳から42歳まで過ごした。

ある映画に「部屋選びは慎重にな。孤独な者にとっては、部屋だけが友達だからな」という名セリフがある。その言葉の通り、馬込のその部屋は、大学以降友達というものを持つことのなかったわたしの唯一の「親友」だった。

その後40代になって、20歳年上の女性の「親友」ができた。

そして約10年前、双方の親友を相次いで失ってから、わたしは今に至っている。

昭和には大学までの約18年があり、平成には、あの部屋と親友がいた。
平成にはまだ携帯電話もインターネットもなかった時期があった。

そして新しい元号になった。もはやわたしの時代はとっくに終わっていたという思いが、
新たな年号という形として象徴・表象されるようになった。

その気持ちを表すために、もう一つのブログのタイトルを"It's all over now, I'm blue..." にした。無論ディランの歌、"Its all over now, baby blue"が元だ。

最近は唯一の話し相手である母とも、あまり話が噛み合っていないと感じることが多くなった。今日母に「最近は前よりも(生きているのが)大変そうだね」と言われた。

新しい年号になったということは、昭和、平成と、何かしら、まだ生きることができる何かが存在していた時代が完全に終わりを告げたということだ。

I'm blueというよりも、「もう何もかも終わったんだ」という、絶望を突き抜けたある種のすがすがしさのようなものを感じている。

「もう昭和でも平成でもないんだよ。つまりあんたの時代は終わったんだよ」と言われているような、なんだか少し肩の荷が下りたような気がする。つまり、もう出番は終わったよ、と・・・