最近はこのような形でしかコメントに返事を書くことができなくなりました。
正確には「返事」とは言えないようなものではありますが、既にわたし自身の投稿も、
ふたつさん、瀬里香さん、底彦さんのコメントも、区別がないような気がしています。
ひょっとしたら、彼らのコメントを主目的にこのブログを訪れてくる人さえいるかもしれない。彼らのコメントには外れというものがないので、わたしの投稿へのコメント、という感じではなく、ふたつさん、底彦さん、瀬里香さん、そして・・・と、ここでキーを打つ指が止まってしまうのは、3人のコメントに対して、わたしが書いた3つの返信らしきもの。ふたつさん、底彦さんからはそれぞれ本人からの返事があり、また閲覧者も少なくないのですが、Junkoさんへの投稿に関しては、今に至るもPVゼロ。まああんな風に書かれれば、返事どころではないということは、容易に察せられますが。
話を戻します。わたし自身、既にコメント自身が、単独の文章として読むに価するものであると感じているので、わたしの「反論めいた」返事はあらずもがなではないかと思っています。わたしは彼らに好きに書いてもらいたいのです。
といっても、体裁上は「わたしのブログ」ですから、好きに書く、といっても、現実にはわたしの言葉への反応という形になってしまいます。わたしは今、自分の気持ち、感情を自分の言葉で発する。それだけで精一杯なのです。繰り返しますが、彼らのコメントはそれだけで、充分示唆に富み、深い思索の跡がうかがわれ、時に鋭い切れ味を見せるものばかりです、ですからわたしはそれを口実に、(屡返事を)休ませてもらおうと企んでおります。
◇
さてさて、瀬里香さんへの返事が遅れてしまい申し訳ありません。
瀬里香さんは、この週末、地元の愛知から、チャリ・・・とは呼べない本格的な乗り物で、琵琶湖周辺まで旅をしました。彼女の最近のコメントから、当然、旅に「スマホ」など連れて行くような野暮天ではないと思いましたので、いま改めて、多少遅くなりましたが、
お帰りなさい。いい旅でしたか?
最近は朝の5時を過ぎると、鳥が啼きはじめるんです。それがどんな音楽よりも心地いいのです。わたしは机の前に座り、パソコンの画面を見つめています。音楽を止めて。
夕方には、窓から身を乗り出して、外を見ます。今日の夕方の風は涼しくて気持ちがいい。「ああ、いい気持ちだなぁ」と感じます。けれども、わたしは外に出ることはできない。
鳥の声を聴き、全身で風を浴びることのできる瀬里香さんをうらやましく思います。
前にも言ったように、田舎に行ってみたらいい。でも車のないわたしはどのように田舎まで行けばいいでしょう?電車。では電車の中にいるのは誰でしょう。電車で、駅で、嫌でも目にしなければならない光景とは如何なるものでしょうか。
あらためてお帰りなさい。
◇
ふたつさんから、またまたいい言葉を聞きました。
「音信不通、或いは通信不能…」に頂いたコメントの最後の部分です。
>ブラック・ミュージックの中に、「ゴッド」や「ロード」や「ジーザス」などの「神」はたくさん出てきますが、「その神」は「白人」だと思いますか?それとも、やっぱり「黒人の神」は「黒人」なんでしょうか?
答えは、もちろん「黒人」です。
じゃなきゃ、「黒人」は祈れませんから。
正にその通りです。
では「わたしの神」とはどのような存在なのでしょう。
わたしは「こういうものだ」というのが一番苦手なんです。
つまりわたしの外部に予めあって、わたしの行動に制約を設ける「決まり」「規則」「規範」「既成事実」そして「現実」というものが苦手です。
わたしはそれが法であろうが、神の教えであろうが、「既成のもの」に合わせて、自分を変えることができません。変える気もありません。
だから・・・かどうかわかりませんが、「勉強」も「仕事」も大嫌いで今に至っています。
わたしがこのブログのプロフィールに「狂人」と自称しているのは、冗談でもなければ卑屈になっているのでもない。わたしの思うわたしの「事実」をありのままに書いているだけです。
これからも皆がコメントをくれるという保証はどこにもありませんが、今の状態が続く限り、わたしの返事も、このような形が精一杯であるということを、ご理解ください。
みなさんのコメントをいつも愉しみに、そして括目して読んでいます。
不悉
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