2019年5月8日

瀬里香さんへ(返信にかこつけて)


ふたつさん、底彦さん、そして昨日の瀬里香さんと、立て続けに、中身の濃いコメントをいただきました。けれどもそのように感じるのも、またこのような形でしかコメントに返事ができないのも、要はわたしの思考力が著しく低下しているせいでしょうか?
つまりこちらの能力が低下した分、みんなの言葉、思考の内容・質が、高いところにあるように思えるのか。

結局今のわたしには、頂いた言葉に対する適切な応答ができないので、コメントの中の片言節句を拾い出し、それについて、ではなく、それにかこつけて、自分の言葉を発することが精一杯なのです。
つまり「対話」ができないのです。

昨日の瀬里香さんのコメントを全文引用します



その1


「こんにちは、Blueさん。お久しぶりです。いつも読んでます。its all over now,im blueも観てます。

10連休が明けて、今日が令和初出勤でした。
10連休中は自転車で遠出をしたり飲み会をしたり、遊んでばかりいました。

わたしも今は激しい怒りや悲しみや絶望や不安を感じることも無く煮えたぎることも無く疲弊し切ることも無く、かといって激しい幸福や喜びや自己肯定感や達成感や遣り甲斐を感じることも無く、でも地味に平和に生息してゐます。Blueさんの心の中は、平和か戦争かと云うと、どちらかと云えば平和ですか。

最近、FBで知り合った自転車友達と実際にオフラインで会って、木曽川沿いを走ったり美濃の山奥を走ったりしてゐます。趣味の合う人たちと、会って自転車に乗って一緒に綺麗な景色を眺めて一緒に美味しいものを食べて一緒に気持ちよく走るだけ、という浅くて淡白な関係ですが、それはわたしの唯一の楽しみです。

2008年からのブログには、わたしも随分お邪魔させていただきましたね。見解の不一致はあまり無かったように思ひます。あったとしても全て正直に話し合えてをり、とても居心地の良い場所だったと記憶してをります。

さて、友達についてですが。友達の少ないわたしに、新しい友達ができたことを、悲しんだり淋しく思ったりするのではなく、喜び、祝福してくれる友達こそが、本当の友達だと思ってゐます。ここはBlueさんと感覚が違うかもしれませんが。わたしはBlueさんの友達のつもりでいますが、Blueさんに新しい友達ができたら普通に素直に喜びます。

わたしは今年45歳になりました。日本人女性の平均寿命が90歳を超えてゐますから、人生あと半分もあることになります。人生あと半分もあると思ふと少しうんざりしますが、どうせ「生まれてから死ぬまでの長い苦しみ」なら、少しでもそれを緩和して(癌患者がモルヒネで痛みを緩和するように)、地味に生息してゐたいと願ひます。わたしは精神障害者1級ですから【治る】【治す】という発想はずいぶん昔に消えてしまいましたが、そのことに絶望してゐるかと云うとさうでもなく、少しの希望があり、これからも、Blueさんを始め、ときどき友達と手を繋ぎ合い、うだつは上がらないでせうけれど、地味に平和に生息していきたいと思ってゐます。変ですかね。


底彦さん、ふたつさん、こんにちは。」


>10連休が明けて、今日が令和初出勤でした。
10連休中は自転車で遠出をしたり飲み会をしたり、遊んでばかりいました。

「自転車で遠出」「飲み会」・・・うらやましいですね。外に出られること、一緒に酒を酌み交わす仲間がいることが。

>Blueさんの心の中は、平和か戦争かと云うと、どちらかと云えば平和ですか。

難しい問いかけですね。
「戦争」というほどの激しい感情もなく、また「平和」という言葉もピンと来ない。
つまり「今の日本は平和ですか?」と訊かれて、「平和です」と応えられるほど鈍くはないというのと同じことです。
強く死を想う時と、それを一時忘れているときがある。それだけのような気がします。

>趣味の合う人たちと、会って自転車に乗って一緒に綺麗な景色を眺めて一緒に美味しいものを食べて一緒に気持ちよく走るだけ、という浅くて淡白な関係ですが、それはわたしの唯一の楽しみです。

これのどこが「浅く」「淡泊」な関係なのでしょうか?これ以上何を求められるのでしょうか?

>2008年からのブログには、わたしも随分お邪魔させていただきましたね。見解の不一致はあまり無かったように思ひます。あったとしても全て正直に話し合えてをり、とても居心地の良い場所だったと記憶してをります。

そうでしたね。瀬里香さんと、先の記事にある「親友」だけが常連でしたね。
いつもシャープな意見を聞かせてくれていました。
あの時にはまだ「対話」がありましたね。わたしも今ほど狂ってはいなかった。
あとで、コメント欄を見られるように設定し直しておきます。

>わたしはBlueさんの友達のつもりでいますが、Blueさんに新しい友達ができたら普通に素直に喜びます。

その辺は難しいですね。まず、顔も見たことも、肉声を聞いたこともない人を、果たして真の意味での友達と呼べるのか?という疑問があります。 つまり「ネットの友達」=「会ったことのない友達」という、なんだか「語義矛盾」のような存在は、いったいどのような存在であり、どのような関係なのか。

手紙でしかやり取りしたことのない「友人」「親友」というのは、昔から、世界中どこにでもいましたが、そもそも、「手紙」と「メール」では、まったくその重さに於いて比較にならない。

>わたしは今年45歳になりました。日本人女性の平均寿命が90歳を超えてゐますから、人生あと半分もあることになります。

わたしは今年56歳になります。わたしの父はわたしよりも30歳年上です。
つまりわたしも心を入れ替えて、真人間になって、生きたいと心から願い、それにふさわしい生活をし、そのために必要な心構えを身に付ければ、あと30年くらいは生きることができるかもしれない。

しかし何度も言いますが、仮に、「クウネルところにスムところ」に困ることがなかったとしても、わたしは80歳・・・いや、70歳まで生きようとは夢にも思いません。

これも前に書きましたが、「無病息災」「元気溌剌」で100歳まで生きられる薬と、
寝る前に飲めば、苦しむことなく、眠ったまま安らかに逝ける薬と、どちらかをくれるといわれれば、躊躇うことなく後者を選びます。

金にも困らず健康であっても、長生きはしたくないのは何故か?と訊かれれば、
既に携帯電話すらなかった時代に「テクノロジーは現代の神である」と澁澤龍彦が言ったように、わたしにとって現代の神は敵でしかないからです。
その「敵である神」の支配する世界で奴隷として生き永らえてどうするのか?

>これからも、Blueさんを始め、ときどき友達と手を繋ぎ合い、うだつは上がらないでせうけれど、地味に平和に生息していきたいと思ってゐます。変ですかね。

いえ、変ではないでしょう。それが普通です。



その2

「こんにちは、Blueさん。
わたしも世を愛さなかつたけれど、世は案外わたしを受け容れてくれることに最近気づきました。今までわたしに手を差し伸べられた手はたくさんあったはずなのに、どうせわたしなんか愛されざる者だからと云って、拒絶し、突っぱねてばかりで、鎖国してばかりでしたが、最近ようやく、わたしに手を伸ばしてくださる人たちの温かい手に触れる勇気が少しだけ湧きました。わたしは怒りも苦しみも痛みも絶望も煩悶も感じなかつたけれど、いつも淋しかった。

しかし淋しさを埋めるためだけの軽いお付き合いは絶対にしません。一緒に自転車で田舎や渓流を走つてくださり、楽しさを分かち合える方のみ、FBで友達になつてゐます。こんなわたしを歓迎してくださる方が居ることに、今はかなり感激しつつ、感謝を捧げつつ、体を動かすことで心を平和に保っています。わたしに付き合ってくださる皆さまのお陰様でメンタルの薬も少し減らすことに成功しました。

わたしたちは皆、宇宙のみなしご。だからときどき手をつなぐ必要があるの。by 森絵都」


それは瀬里香さんなら、世の中は、案外優しく温かいものだろうと思います。
ただ、わたしは同じではない。

瀬里香さんも、底彦さんも、そしてデイケアの人たちも、重い精神(心)の病を背負っていますが、わたしの目から見ると、心を病んだ普通の人、としか映らないのです。
じゃあそういうお前は何か?と訊かれれば、根っからの狂人。つまり瀬里香さんや底彦さんから「病気」「障害」を取り除けば、まったく普通の人ですが、わたしから狂気を除けば「無」です。

>わたしたちは皆、宇宙のみなしご。だからときどき手をつなぐ必要があるの。by 森絵都

よくわからないというのが正直な感想です。孤児同士が手をつなぐことがどのように可能なのか?だってそれぞれが自分という暗闇の中にいて、他人の姿が見えないのに、どうやって手を繋ぐことができるのか?

わたしは瀬里香さんを、底彦さんを不快にさせようという意識から、このようなことを書いているのではありません。
瀬里香さんや底彦さんが、わずかながらでも、いい方向=快癒に向かっていることを喜んでいます。
ただ、良くなってゆく人と、わたし。日の当たる場所へ歩き出すものと、そこにあくまで留まり、滅びを待つ者。そこが分岐点になるのです。








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