2018年8月31日

サビシイデスネ…


もしあなたがブログを書いているとしたら、こんな風に感じたことはないだろうか、
自分の言っていることはちょっとおかしいんじゃないか?どこか変なんじゃないか?

何故こんなことを訊くかというと、わたし自身、音楽やアートについて書いているとき以外、「そもそも人間が理解可能なことを書いているのだろうか?」という気持ちを、しばしば持つからです。

数人いるかいないかの訪問者たちも、実際は「狂者のうわ言」としか思っていないのではないか?
だって現に書いている本人が、「狂人のうわ言だな・・・」と感じているのだから。



わたしがフォローしている、Kさんという同世代の女性は、わたしと、もう一人の、少し年上の女性が、月に1度ほどコメントを残すくらいですが、そんなことをまるで気にしている様子もなく、じつに淡々と、自分の気持ちをほぼ毎日、ブログに綴っています。

彼女は、「何処かにいる誰かのこころに届いているのではないかと思って書いています」と。



嘗てリルケは書きました

誰が私に言えるだろう、私の命がどこまで届くのかを

けれどもわたしは知っています。わたしの声は決して誰の心にも届くことはないということを。


This is my letter to the world

That never wrote to me
「これはわたしの、世界に宛てた手紙です 

決して返事の来ることのない」

ー エミリー・ディキンソン




「形而下の健康」と「形而上学的健康」…


8月最後の日。今日も暑い。
先日、市の保健師と話したときに、「ではTakeoさんは、いまのドクターでは、或いは別の医者にかかっても、どうせ治りっこないと感じたから通院を止められたのですね?」と訊かれた。
そう訊かれるまでは、わたしもそのように考えていた。
精神科通院歴25年。現在の主治医との付き合いは約8年(?)それでもわたしの、所謂「生き辛さ」は改善・軽快するどころか、ここ数年は目に見えて悪化している。

しかし、わたしはほんとうに「よくならないから」医者に通うことを止めたのか、と考えてみると、実はそうではないのかもしれない。

このことは最近繰り返し書いているけれど、
「よくならないから」ではなく、「よくなりたいのか?」が解らなくなっている。
「よくなる」「元気になる」「外に出られるようになる」ということが、いったいわたしにとって、どういう意味を持つのかが、わからない。

今のような状態になったのは、2008年、ちょうど今から10年前に、生涯に唯一持った親友を失って以降のことだ。同時に、この10年間でわたしを取り巻く世界は文字通り激変した。

失われた友も、過ぎ去った歳月も、再び取り戻すことができない以上、「よくなること」「元気になること」が可能とは思えない。「再び」よくなることとは、わたしにとって「元通りになること」と同義だ。つまり「過去の再現」である。しかしいったい誰がそれを可能と考えるだろう。

これも繰り言のようになるが、「戦場での健康」刑務所や動物園での、「檻の中での健康」という概念は、わたしには存在しない。
そしてわたしにとって21世の世界、或いは日本は、正に「戦場」であり「格子なき牢獄」に他ならない。

健康とは、自己をとりまく世界・環境との友好的な「調和」であり「融和」だと考えている。そして「苦しみ」の原因は、自己と世界の美意識の不一致である。

外から電話を掛けることさえ一苦労な不便な世界。
腕時計を持たなければ街中に時計ひとつない不細工な世界は不愉快だ。

もし「現金」を使えない場所が増えるようなことになれば、わたしの世界はますます狭まってゆく。
極論すれば、「電子マネー」を使わなければ食料品が買えないとなれば、わたしは餓死することも厭わないだろう。
「スイカ」や「パスモ」などを使わなければ乗り物には乗れないというのなら、わたしは何処へも行かないだろう。友人の葬儀にさえ。(友人がいればだが・・・)

21世紀は人類が初めて体験するデジタルの世界。だからすべての人間が、ただ一人の例外もなく、また何の抵抗もなく、こんにちのデジタルワールドに溶け込むことができるとでも思っているのだろうか。

わたしは薬を含めたいかなる方法によってであろうと、自分の感受性、美意識を「変革」するつもりはない。

先日のニーチェの言葉を繰り返す。

「それがいい趣味だからでも、悪い趣味だからでもない。これが「わたしの」趣味なのだ。だからわたしはそれを恥じることも隠そうともしない」

9月・・・涼しくなるにはまだ一月はかかるだろう。仮にそれが年々短くなってはいても、まだ「秋のようなもの」は残ってる。けれどもわたしが失ったものは二度と再び巡っては来ない。そしていずれはまた、秋さえも。






2018年8月30日

好きな音


先に「好きなもの」リストを挙げたけど、もうひとつ。

石畳の舗道に響く馬の蹄の音・・・





Horse And Cart, Paris, 1949, Robert Frank.

ロバート・フランク「馬と荷台、パリ」(1949年)


あ!思い出した、スコット・ラファロ。ビル・エヴァンス・トリオのベーシスト!



2018年8月29日

答えを知る意味


たとえばわたし(T)と友だち(F)が、或る日の昼下がり、喫茶店で向き合ってしゃべっている。

わたしがいう「ぼくはビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』とコルトレーンの『バラード』でジャズに目覚めたんだけど、ビル・エヴァンス・トリオってさ、ビル・エヴァンスと、ポール・モチアンと、もうひとり誰だっけ?」

F:「え?よく憶えてないな。誰だったっけ?」

T:「ポール・モチアンって、ドラムだっけ、ベースだっけ?」

F:「ドラムじゃなかたっけ?」

T:「ううん。あとひとり、誰だったけかなあ・・・」

F:「うん。なんかね、思い出せそうで思い出せないよね」

と、ここで、友人が、スマホを取り出して「検索」する必要はまるで感じないのだ。
別に3人目が誰であったかを思い出さなければならない理由はない。
というよりも、そこで、その場で、「サクサクとケンサク」して「答え」を知ってしまうことがひどく不粋に思えるのだ。

わからないまま二人はわかれる、帰り際、ふと第三の男の名前が閃く。
帰ってから夜、彼に電話する。「あれから歩いててふと思い出したんだよ。誰々だよ!」
「あ!そうか」

こんな感じがいい。別れた後、駅までの道を歩きながら思い出しても、その場でスマホを取り出して、まだ帰路にあるだろう友達に報せる必要もない。

解らないことがある、忘れてしまった名前がある。
いつでもどこでもその知らなかったこと、忘れてしまった名を教えてくれる機械というものが存在する世界、そのことがとてつもなくグロテスクなものにおもえる。
道がわからなくて通りすがりの誰かに尋ねる必要もない。そんな世界がとても味気なく・・・いや、不気味にさえ感じられるのだ。

「なんだったっけ?」「誰だったっけ?」と、ひとりで、或いは誰かと、じれったい気持ちを抱えて悶々としてるのって、そう悪くないじゃないか。
さんざ道を間違えて、やっと目的地にたどり着いた時に思わず浮かぶ笑みって、そう悪くないじゃないか。

そんなことを考えているから、わたしはただ一人時代に取り残されているのだろう。






2018年8月28日

暢気な人


前にツイッターの文学系投稿を時々のぞいていたときに気になっていた人がいた。
編集者・ブックデザイナーという肩書を持つ女性で、やはり「ブロガー」でブログを書いている。

心の重さに反比例して、ツイッターという表現形式が持つ「言葉の耐えられない軽さ」に忌避感が募り、しばらくツイッターから遠ざかっている。(もともとわたしはツイッターのアカウントを持っていない)

久し振りにその人のブログに立ち寄ってみた。

8月15日の投稿を引用する。


pha『しないことリスト』を読んだ。いい本だった。

「だるさというのは大事な感覚だ。だるさを単なる怠惰な気持ちとして無視するんじゃなくて、もっとだるさに敏感になったほうがいい。╱だるさを感じるときは、「体調が悪い」とか「精神状態が悪い」とか「今やっていることがあまり好きじゃない」とか、そうした漠然とした現状への違和感が身体や気分のだるさとして表れているのだ。」

「「仕事というのは、イヤなつらいことを歯を食いしばって、ひたすら耐えてがんばってこそ成果を残せるのだ!」みたいなことを言う人がたまいいるけど、そんな変な話はないだろうと思う。╱人生はそんなマゾゲーじゃない。」

「死にたい気分のときは、ケータイやパソコンの電源を切って、好きなものを食べまくって、部屋に籠もってひたすら寝よう。╱他人のことや社会のことや、責任とか義務とかは何も考えなくていいから、一切のイヤなことや面倒なことを投げ捨てて、つらくないことだけして過ごそう。ひたすら時間をムダに使おう。」

 やさしい人だなあ、と感じた。いつか、ものすごく疲れたりつらくなったりしてどうにもならなくなったときに、読み返そうと思う。


これを読んだ時、先ず、「へえ、あの人が、phaなんて人の本を読むのか」と、意外な感じを受けた。(「phaなんて人」といったけれど、そもそもわたしはこの人がどういう人か、ほとんど知らない。ただ、いわゆる「自己啓発本」の類をたくさん書いている、ということくらいしか)

そして上に引用した文章について、

「やさしい人だなあ、と感じた。いつか、ものすごく疲れたりつらくなったりしてどうにもならなくなったときに、読み返そうと思う。」という感想を漏らしていることに、少なからぬ幻滅を覚えた。

結局この「著者」も、「読者」も、「心を病んではいない」或いは「心を病んだことがない」のだなぁという感想しか持つことができなかった。
しかし、いくら断片的な引用でしかないとしても、少しお粗末すぎやしないか・・・

わたしには話し相手がいないので、最近は時々「いのちの電話」に電話をかけて「雑談」・・・とまではいかないが、精神科医や保健師等、所謂医療・福祉関係者との間で交わされる「病気」に関連することだけではない「話し」をしている。

上の思考レベルでは「いのちの電話」の相談員にはなれまい。「死にたい気持ち」になっている人たちが電話をかけてくる場所には、相応しくない。なぜって、「部屋に籠もってひたすら寝る」ことしかできないから死にたくなっているのだから。「ひたすら時間を無駄に使っていること」=「なにもできないこと」が辛くて仕方がない人たちが手を差し伸べているのだから。

それにしても、どうして京大とか東大卒というひとって(わたしの知る限り)こうも凡庸で深みのない人ばかりなのだろう。そもそも「深く思惟する」ことと、(日本の学校で)「勉強ができる」という二つの現象が、根本的に相反することなのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。














  





「心の病」とは何か…


来週は9月。まだ残暑は続くだろう。
今年になって精神科医と会っていない。30歳の時から昨年まで24年、「精神科医」と称する人たちと付き合ってきたが、これほ長いブランクは初めてだ。もっとも薬だけは、母に頼んで取ってきてもらっている。睡眠導入剤、睡眠薬、抗不安薬2種類。20年前と同じ処方だ。この薬が本当に必要なのか?どのように「効いて」いるのかすらわからないで、ある種の習慣として飲んでいる。睡眠導入剤は今は使っていない。睡眠薬を飲んでも、せいぜい3時間ほどで覚醒してしまう。
人びとが仕事を始める頃に寝るという生活が長く続いている。
最後に夜中ぐっすり眠ったというのはいつだっただろう?

涼しくなれば母に同伴してもらってクリニックに行くつもりだった。
けれども今、精神科に行って何を話せばよいのか、わからない。
「よくなりたい?」では「よくなる」とはどういう状態の事なのだろう?
野戦病院で半年間ベッドの上で過ごして、傷が癒えた。
これは何を意味するのか?戦場への復帰。

「生きていたいのか?そうではないのか?」それすら曖昧なまま精神科医と向き合って、いったいなにを「話す」のだろう。わたしが医師に望むこととは何か?
「外に出られるようになったら、やりたいことがあるのか?」と自らに問うても、何も思い浮かばない。
ほんとうになんにも。

「その無気力こそが正に心の病なのだ」というのか?
しかしわたしが苦しんでいるのは、「世界の醜さ」に他ならない。
あなたは言うだろうか「いや、世界は美しい・・・嘗てほどではないにせよ」と。
残念だがわたしは世界は美しいという人の目を信じることはできない。
教えてくれないか、わたしはどのように「世界の美しさ」を見、また感じることができるのかを。
そしてあなたのいう「美しさ」とは、なにかを・・・


わたしは狂っているのか?だとすれば正常な世界とは折り合えない。
世界は狂っているのか?だとすれば狂った世界とは折り合えない。

人は言うだろう、あなたの「狂気」を治療矯正して正常な世界と合わせるのだと。
しかしわたしはそれを望んではいない。そしてもし世界が狂っているのなら、それは狂い続けるだろう。



有名な話なので知っている人も多いだろうが、ロッド・サーリングの『トワイライト・ゾーン』という60年代のアメリカのTVシリーズのエピソードで「美は見る者の心にある」(原題 Beauty is in the eye of beholder)というエピソードがあった。

ひとりの若い女性が整形手術を繰り返す。失敗が続いていた。最後の手術を受け、数日が経ち、いよいよ顔の包帯を取る。彼女はおそるおそる手鏡をのぞき込む。やっぱりダメだった。
彼女は顔を覆い、泣きながら病室を飛び出してゆく。その顔は美しく整った顔だった。
走り去ってゆく彼女を、ため息をついて見守る医師と看護婦、二人の顔は怪物のように醜かった。

さて、わたしは、医師に何を望んでいるのだろう・・・
















2018年8月27日

わたしについて…


このブログの右側にプロフィール欄があって、そこにわたしの「好きなもの」のリストが載っているのはご存知でしょうか?
英語で書いているのは、もともと海外の読者(?)を念頭に作ったブログ、'Clock without hands'に最初に書いたものをコピーしたからです。

わたし=TAKEOは、いったいこの地上でどんなものが好きなのか?改めて日本語でリストを作ってみました。
(固有名詞を挙げるときりがないので、人の名前、作品名は除きます。)



「古い建物」「絵画」「デザイン」「古いモノクロ写真」「イラストレーション」「ストリート・ファッション」「ヴィンテージのマガジン・カバー・アート」「ヴィンテージのピンナップ」「アール・ヌーヴォー」「アール・デコ」「帽子」「落ち葉」「窓からの眺め」「焚き火の匂い」「竹林」「森」「木の床」「ラグドール(ぼろ人形)」「ガラスペン」「マーブル模様」「ハードカバーの本」「ランプ」「ガス燈」「子供の集めるがらくた」「アールグレイの紅茶」「ラムレーズンのアイスクリーム」「シナモンの香り」「ドライフラワー」「雑貨(ジャンク?)」「フリーマーケット」「石畳の舗道」「未舗装の道」「コバルト・ブルー」「ダイアル式黒電話」「パラドックス」「裸木」「アンチ・ハッピーエンドの映画」「自死」「笑顔」「泣き顔」「敗北者」「そよ風」「ペシミズム」「シニシズム」「夜行列車」「列車のボックスシート」「シーリング・ファン」「レンガ造りの洋館」「石造りのビルディング」「ニューヨークのフラットアイアン・ビルディング」「窓の開く高原列車」「裸電球」「畳の部屋」「縁側」「蚊取り線香の匂い」「ふぞろいの野菜・果物」「軽口」「モダンジャズ」「スタンダード・ソング」「ビッグ・バンド」「ディキシー・ランド・ジャズ」「夕暮れのポーチのロッキングチェア」「ラファエル前派」「ヴィクトリア朝絵画」「引用」「プリーツ・スカート」「リュート」「ヴァニタス(美術)」「ドイツ・ロマン主義」「ドイツ表現主義」「美少年」「夢」「淫夢」「オキシモロン」「フィルム・ノアール」「フラッパー・ファッション」「笑い死に(モンティーパイソンのギャグ)」「屋根裏部屋・納屋」「プロテスト(抵抗・反抗)」「ブラック・ユーモア」「キャンドルの灯り」「バーガンディ(カラー)」「ビール、ジュース、牛乳のガラス瓶」「孤独」「社会派映画」「野良犬 野良猫」「過去」「レコード」「屋台の飲み屋」「知的な不良」「言葉」「沈黙」「静寂」「金木犀の香り 沈丁花の香り」「秋」「黄昏時の空」「夕焼け」「草笛」「吹けないハモニカ」「輸入カレンダー」「アナログ時計」「アナログの腕時計」「バロック音楽」「プラタナスの樹」「畦道」「カエル」「ゲイの友達」「あまり上手じゃない字で書かれた手紙やカード」「雀」「間接照明」「クリスマスソング」「ゼネスト」「暴動」「規則破り」「懐疑主義」「内省」「天邪鬼」「自己懐疑」「自信のない人」「メメント・モリ(死を忘れるな)」「自己嫌悪」「"Read between the line, See behind the eyes, listen in the silence"(行間を読め 瞳の奥を見ろ 沈黙に耳を傾けろ)」「シャンソン」「謎」「路面電車」「季節感」「綿あめ(口いっぱいのなんにもない不思議な感触)」「いじめられっ子」「泣き虫 弱虫」「付箋の一杯貼られた詩集」「献身」「自己犠牲」・・・



・・・いかがでしょうか?わたしのキャラクターが浮かび上がって来たでしょうか?
どなたか性格判断やってくれませんか?

嫌いなものはいっぱいあります。おそらく好きなものの倍くらいは。
最も嫌いなものを一つ?
そうですね。「21世紀の日本」かな。

一番好きなもの?
「こんなものたちを愛するわたしを好きな人」
「たくさんの嫌いなもの(人)を持つわたしというキャラクターを好きな人」・・・ハハ。



「すべての絶え入るものをいとおしまねば」


尹 東柱(ユン・ドンジュ)詩集『空と風と星と詩 』金 時鐘 訳(岩波文庫)の冒頭の詩「序詩」

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
 星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風かすれて泣いている。

六行目の「すべての絶え入るものをいとおしまねば」

これは「すべての絶え入るものは愛おしい」或いは「すべての絶え入るものの愛おしさ」の方が、すっと心に入ってくる。何故なら「愛おしい」という自らの心に自然に湧き上がる情と、「ねばならぬ」という当為とは、相容れないものだから。

ただ、「すべての絶え入るものをいとおしまねば」── この(「当為」としての)言葉は、医療や福祉、介護に携わる全ての人たちの胸に納めておいて欲しい言葉だ。
それは医学生たちが先ず心得なければならないヒポクラテスの誓いといわれる、
"First Do No Harm" 「まずなによりも(患者に)害を与えるなかれ」 と同列に。


一~ニ行目の
死ぬまで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを

これはわたしには若々しすぎる 明るすぎる。

かつてネット上で、ちょっとだけ論争をした女性がいた。
彼女は、「自分は人によく向日葵のような人だと言われる」といい、「あなたは地を這う這松のようだ」と嗤った。しかしわたしはそれは的確な表現だと感じた。

背筋を伸ばしてすっくと立ち、光溢れる青空を見上げる姿よりも、項垂れ俯いて日蔭を歩く人の佇まいに、わたしは惹かれる。

より低く より弱く より小さくあること・・・

それが「すべての絶え入るものをいとおしむ」心に通じるように思う。

死ぬまで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを

嗚呼、眩しすぎますおいらには・・・










2018年8月25日

文化と物欲



6月に閉店した青山ブックセンターの閉店セール。
これ、ちょっと信じられませんよね。
洋書のペイパーバックが200円。(といっても読めませんけど。)
写真集、画集類が500円!

わたしはもともと、あまり新刊の書店にはいかないんです。
本は専ら図書館で借りる。

随分前に、WAVE六本木店が閉店したときには出かけて行きました。その時は確か、全品半額だったと思います。狭い店内にごった返す人の山。結局人が多すぎたせいか、余り収穫はなく、CD2~3枚買っただけでした。

その後、やはり輸入CDショップのヴァージン・メガストアが閉店するときのセールには、地元の蒲田店、お隣の川崎店は言うに及ばず、新宿本店にまで足繁く通ったものです。
2枚で半額、3枚以上で80%オフといった感じでした。
CDも基本的には「借りる」のですが、ツヤタでも図書館でも、借りられるのは国内盤だけですから、日本では発売されていないCDを、この時とばかりに山ほど・・・文字通り数百枚買い漁りました。CDはすぐに廃盤になって、聴きたいと思ったときには最早入手困難になっていることがよくありますから、クラシック以外は手当たり次第、という感じでした。

それでも当時はもうCDを聴かない人が増えていたのでしょうか、それとも洋楽離れ?
ヴァージンの売り場はガラガラでした。



青山ブックセンター。実は行ったことがないんです。
わたしには、大きな書店というと、八重洲のブックセンターか丸善でした。
新宿紀伊国屋もそうですが、美術書のフロアでは、ほんとうに時間を忘れます。
ただもうこれ以上本を、それも大型本を増やすほどのスペースがありません。
このセールは閉店後に知ったのですが、セール前に知っていたとしても・・・
う~ん。まぁ足を運んで「あ!」「おお!」というやつを2~3冊・・・いや、「あ!」とか「おお!」と言って棚を眺めているうちに「ええっ!」「げっ!」「ウワ!」「マジ?」などとなって、もう歯止めが利かなくなるのは容易に予想されるので、なまじ見ない方がよかったのかもしれません。「知らぬが仏」というやつでしょう。

数年前、国立の古本屋で、中古のVHS一本100円で売っていたときに、思わぬ旧作・名作が揃っていたので、つい10本くらい買ってしまいました。
それはたまたま通り通りがかった時にやっていたセールでしたが、一定期間、或いは定期的にやっていたら、きっとまたヴァージンの二の舞になっていたでしょう!
本は我慢できても、やはり名作ビデオの誘惑には抗えない気がします。
エリック・ロメールやブレッソン等の中古ビデオのセールが何処かであれば、きっと駆けつけてしまうでしょう。置き場所もないのに。


それにしても、どんな美術書が売られていたんだろう・・・

St. John the Evangelist Episcopal Church, Dingmans Ferry,
Hermann Ottomar Herzog. Germany-American, (1832 - 1932)


前に、やはり国立の洋書店で、前から疑問に感じていたことを尋ねたことがあります。
「例えばイタリアの、スペインの、ドイツの、オランダの画家やイラストレーターの名前は、どのように日本語に訳すんでしょう?」
店の人は「ううん。それはわたしたちにもわからないですね。聞いたこともない外国のアーティストを日本でどう呼ぶかは・・・」

黄昏時、豊かな静寂につつまれた空の下を教会に向かう人影を描いたHermann Ottomar Herzog の「日本名」を知らなくとも、この絵の美しさに変わりはありません。









2018年8月23日

ストリーツ・オブ・ロンドン



「ストリーツ・オブ・ロンドン」ラルフ・マクテル(1969年)
〔オリジナル〕


同 シンニード・オコーナー


同 メリー・ホプキン(1971年)

「ストリーツ・オブ・ロンドン」ー元々は3曲目のメリー・ホプキンの『アース・ソング』というアルバムの中に入っていたバージョンで知りました。
図書館でCDを借り、カセットテープにダビングして、外出するときには、ウォークマンでよくこのアルバムを聴いていました。全体にこの曲のようなフォーキーで物静かな(物悲しい?)曲が多く、聴いていて落ち着くんです。

今のように外出困難になる前は、出かける時には必ずウォークマンを携帯して、何処へ行くにも音楽と一緒でした。
図書館でCDやカセットを手当たり次第に借りてきて、気に入ったものは録音する。
後にCD-Rが焼けるミニコンポを買ってからは、もう、借りては焼き、借りては焼き。今でも相当な枚数のCD-Rが(約500枚のCDの他に)クロゼットにしまわれています。

都内の図書館は、書籍・雑誌の相互貸借は可能ですが、「視聴覚資料」(カセット、CD、VHS、DVD)は、他の自治体所蔵のものを取り寄せてもらうことができませんので、聴きたいCD、観たいビデオがある図書館にわざわざ出向いていくのです。

わたしは10年前まで大田区に住んでいたのですが、当時CDやビデオ(DVDはまだありませんでした)を借りるため、お隣の品川区をはじめ、港区、目黒区、中央区、北区、文京区、荒川区等の図書館の貸し出しカードを作り、あちこちから借りていました。

今はウォークマンもミニコンポもいかれてしまったので、またどこかで「CDウォークマン」を求めなければなりません。
どうしたってわたしはipodというタイプではないし、スマートフォンというタイプでも、SNSというタイプでもありません。
そもそもパソコンを持っていること、インターネットをやっていること自体が不思議なくらいです。

わたしの行動基準はただ一つ。「みんながやっていることはやらない」
(やらない)の部分を「見ない」「聴かない」「読まない」「行かない」「持たない」「食べない」と入れ替えてもいいでしょう。
別に信念なんかじゃないんです。ただ人と同じが嫌いという、いってみれば「癖」みたいなものだと思っています。


「ストリーツ・オブ・ロンドン」はホームレスの歌です。

老いた男と女のホームレスの孤独を描写したのちに、サビの部分でこう歌います

So how can you tell me you're lonely
And say for you that the sun don't shine?
Let me take you by the hand and
Lead you through the streets of London
Show you something to make you change your mind.

どうして淋しいなんていうの?
どうしてあなたに太陽は輝かないって。
手を貸して。ロンドンの街を一緒に歩きましょう。
あなたの気持ちが晴れるものを見に行きましょう。
(意訳)

ペトラ・クラークの『ダウン・タウン』と似ていますね。



2、3年前でしょうか、ふとメリー・ホプキンのこの曲を思い出して、You Tubeで探してみました。これほど有名な曲だとは思わなかったので、いろんなミュージシャンがカバーしているのに驚きました。(といってもみな英国のミュージシャンたちですが)その時見つけたシンニード・オコーナー(アイリッシュ)のバージョンが気に入って、早速タンブラーに投稿したら、すぐさまアメリカの友人からメッセージが届いて、「やっぱりラルフ・マクテルだよ!」と。
彼はわたしと同世代ですが、海外のアート好きの友人たちと話していると、「古いから知らない」というエクスキューズを聞いたことがありません。二十代くらいでも、当たり前に彼ら、彼女らのグランマ、グランパの時代の音楽、映画、アクター、アクトレスについてほんとうによく知っている。世代を超えて、いいものが受け継がれていることに改めて感心します。「タイムレス」という言葉を実感します。「古いか新しいか」ではなく、あくまでも「よい作品」か「駄作か」が基準なんだと。
そして「いま・ここ」にはない歌や映画は、自分で見つけてくるしかない。そのためにはセンスが必要です。いいものを見極める審美眼が。それは「古い」「新しい」あるいは「むかし」か「いま」かを尺度にしている限り、決して身につくことはありません。



大昔のCMに、こんなコピーがありました。

「音楽はイメージを増大させる魔法だ。旅にはいい音楽を連れて行きたい」
多分カー・ステレオのコマーシャルだったと思います。

今わたしの手を取ってくれるのは、やはり「(時代を超えた)いい音楽」でしょう。










2018年8月22日

マッチメイカー


もし「友達」を紹介してくれる斡旋所、「結婚相談所」の「友達版」ようなところがあれば、わたしは有り金はたいてでも入会するだろう。それほどまでにわたしの友達作りは難しい。もちろん年齢性別学歴職業は不問。
もうなりふり構ってはいられない・・・

なりふりかまっちゃいられない。けれど、もし仮に、「今の時代、LINEを使わないというんじゃ友達は難しいですよ。」というのであれば、その時は、諦めるしかない。




2018年8月21日

承認欲求とやら


若い頃から「最近よく目に(耳に)する言葉」というものが嫌いだった。
「承認欲求」という言葉を「最近よく」(・・・でもないが)目にする。
詳しい意味は解らないので、憶測で物を言うのだが、仮にそれが「わたしのことを認めてもらいたい」ということだとしたら、「彼 / 彼女」は、「わたし」の「何を」「誰に」「認めて」もらいたいのだろう。

これを単純に「好かれたい」という言葉に換えてみる。
何度も言うように、人は人に愛されることによって初めて「人」になると考えているわたしは、言うまでもなく人に好かれたい。

ところが、そう言いながら、人に好かれるための努力をしている様子はまるでないようだ。
スマートフォンなど絶対に持つ気はないし、いかなるジャンルであっても「巷で話題の××」とやらに首を突っ込むこともしない。
とにかくむかしから、能う限り少数派でありたいと思っていたし、”ME TOO!” というスタンスにどうしても馴染むことができない。

わたしはどちらかというと、”ME TOO!” よりも "ME NEITHER!" で意気投合するタイプだと思う。好きなことよりも、嫌いなことで意見が一致する。「わたしもそれキライ!」という方がいい。いっしょになってミドルフィンガーを突っ立てて「ケッ!」と、「FUCK YOU!」と言える相手が欲しい。

皆知っているようにわたしはフリーク(=異形の者)だ。そんなわたしを受け容れ、愛してくれる(=男女の恋愛に限定されるものではない)美意識の持ち主にわたしはめぐり逢いたいと日々願っている。

人に好かれる、或いは俗な言葉で「承認される」ということは、「わたしが」わたしではない別の誰かになって、認められ、愛されることでは決してない。

そう考えると、わたしは最初から「ノーバディ」などではなく「サンバディ」なのかもしれない。
生き辛さ、の風圧は、ノーバディであることよりもサンバディ=(わたしの場合はフリークであること)の方がより強いのかもしれない。

自分をメスシリンダーなり、ビーカーなり、グラスに注いで目の前にかざしてみたい。
「半分しかない」「三分の一しかない!」
でも大事なのは、グラスに半分でも、数滴でも、そこにあるのが何か、ということだ。

グラス一杯の水よりも、舐めるほどのウォトカが好まれる場合もあるし、その逆も。
ただ、白状すると、今はどっちも切らしてるけどね・・・


Leonard Cohen - Everybody knows

レナード・コーエン「エブリバディ・ノウズ」(1988年)

1990年の映画、『今夜はトークハード』(Pump Up the Volume)=〔ボリュームを上げろ!〕ではじめてこの曲(声)を聴いた時は衝撃だった。

読書好きで作文(英語ではエッセイ)の得意な大人しい高校生が、夜な夜な自宅の地下室で海賊放送(ラジオ)を流す映画だけど、もう何度観たかわからない。

わたしのフェイヴァリットムービーのシーンを。
こういう世界に未だに憧れてます。


映画の中で、彼が図書館でレニー・ブルースの自伝、『奴らをしゃべりたおせ!』を借りるシーンがあるんだけど、ダスティン・ホフマン主演の『レニー』もよかったね!

やっぱりちょっと毒がないとね。

ちなみにスザンヌ・ヴェガによると、レナード・コーエンは、
「スカートの中に手を入れながら哲学を語る男」だ、そうです。

























2018年8月20日

愛されないから愛せない…


以前にも何度か書いたことがあるけれど、わたしには「知的障害」がある。
確定した診断があるわけではないが、複数の精神科医から、そのような印象を受けると聞かされた。

これは決して建前ではなく。いかなる障害を持っていようと、生きている資格がないとは決して思わない。けれども、繰り返しになるけれど、わたし自身に関して言えば、愚かで無能・無価値な自分をどうしても認可することができない。

人はいったい何に因って己を生かしめているのか?
如何なる理由で、自分に「生の特権」を与えているのか?
彼らの「生の根拠」はなんだ?

やはり町沢静夫医師がわたしに下した診断、「自己愛性人格障害」は正しかったのかもしれない。わたしは自分が能無しで、愛されざる者であることが許せないのだ。

才能のある者が妬ましい。
「才能」といっても、村上春樹や辺見庸のような、作家や、アーティストのことではない。

多少なりとも中身のある人間のことだ。
僅かでも人としての魅力を備えた者のことだ。
つまり街中で、インターネット上で普通に見かける人たちのことだ。

愛すべきなにものも持たない自分。それでもそんな自分を受容することができるとしたら、それはいったい如何なる境地なのか?

わたしは、わたしにとって如何なる存在なのか?
わたしは、わたしをもっと愛するべきなのか?仮にいかに出来が悪くとも?
けれどもわたしはもっと出来のいい、愛されるわたししか愛せない。

わたしは狂っているのか・・・






2018年8月19日

自分を愛せない自己愛性人格障害者…


ここ二日ほど、「村上ラジオ」の影響で、いつもとちがった気分で、いつもと違った日記を書いてみたが、今日はまたいつもの、お馴染みの気分。
エミール・シオランの『生まれたことの不都合について』は、図書館に返却して、今度は別の作品を借りてきてもらった。書名は『絶望のきわみで』
やはりわたしには、村上春樹よりもシオランが似合う。



わたしは友だちのいない人をダメなやつだとは思わないし、彼らを負け犬と思ったこともない。
けれども、友達のいない「自分」は、やはり「惨めな敗北者」であり人間失格だという気持ちを拭い去ることができない。

これは、どんなに重い障害を持っていても生きる権利がある(無論死ぬ権利も)と思いながら、同時に、人の手を煩わせなければ何もできない障害者である自分は生きていてはいけないのだという思いに通じている。

どうしてこういう心理になるのか?

30代の頃、町沢静夫という「人格障害」を主に診ている医師に、「あなたは『自己愛性人格障害』だ!」と、絶対の自信と確信をもって言われたことが正しかったということなのだろうか?

町沢医師本人の著書によれば、「自己愛性人格障害」を一言でいえば、「自分は人並み優れた存在であり、人から愛され、讃えられて当然の人間である」という意識を持っている人間、ということらしい。

現在の主治医を始め、関わりのあった人たちから、「ここまで極端に自己評価が低い人は見たことがない」と言われ続けてきたわたしが、実はこころの奥底で、「わたしは優れた人間で、わたしの才能、わたしの美質が理解できない奴らがめくらなのだ」という意識の持ち主だというのか。

「友だちのいないわたし」を貶めること。
「障害者であるわたし」に絶望すること。

それは「友達のいない」彼や彼女を貶めることであり、
「障害を持つ」人たちを、救われない存在と認めることと等しいと考えられるかもしれない。

けれども、仮に論理の上ではそうであっても、「友達のいない孤独な彼」と「友達のいない孤独なわたし」とは、「絶対的」に「異質」の存在なのだ。

そのような思考が、どのような心理の綾に因って織り成されているのか、わたしにはわからないけれど。

ひょっとしたら、わたしは、その「無能さ」に於いて、その「無価値さ」、人としての「中身の空虚(空疎)さ」、そして、「決して」誰からも愛されることのない存在という点に於いて、他の追随を許さない「特別」(に劣った)人間であるという「自負」(!?)が、あるのだろうか?

だれかわたしと、この心理の綾取りをしてくれないか・・・













ラジオ・デイズ


村上春樹を一頁も読んだことがないのです。だから彼の読者層がどのような人たちなのか、ちょっと見当がつきません。
先日の村上RADIOの選曲はさすがにマニアックでした。
春樹の「読者」たちは彼の「ラジオ・ショー」にどのような感想を持ったのでしょう。

「初めて聴く曲」に出会うのが、音楽番組の醍醐味だと思います。
もちろん大好きな曲がかかるのはうれしい。自分でレコード(CD)を持っていて、好きな時に聴ける曲でも、ラジオから流れているこの曲を、今、大勢の知らない人たちが聴いているんだと思うと、なんだかドキドキワクワクします。

「知らない曲ばかりでツマラナイ」のではなく、その曲と波長が合わなかったということだと思います。

それにしてもやっぱり70代前後の人たちが、「演歌」でも「クラシック」でも、「ジャズ」でもなく、「ロック」をかけ、ロックを語るのってカッコいいなと改めて思いました。

シニア世代とロックって、なかなか結びつかない。でも1949年生まれの村上春樹が二十歳の頃は1969年。ビートルズが解散した年ですが、まだまだ70年代~80年代へとつづくロックのパワーは健在でした。



わたしは基本的に、不良っぽい感じっての人って苦手なのです。もちろん優等生は更に苦手ですが、「ジェントル」な人に憧れます。どこかに「暴力」の匂いのする人ってダメですね。俳優でも、モーリス・ロネとか、ジャン=ルイ・トランティニアンのようなタイプに惹かれます。ジャン=ピエール・レオは、また別格ですけどね(笑)

村上春樹は外見だけしか知りませんが、少なくとも「バイオレンス」の香りはしない。

じゃあバイオレンスは全然受け付けなくて、美しくて均整のとれたものだけがいいのかというと、そうでもない。「映画」なり「写真」なり「絵画」「音楽」などの「作品」なら結構バイオレンス・テイストのものも嫌いではありません。いや・・・どうかな?(苦笑)

Great Train Robbery - The Outer Limits 

「グレイト・トレイン・ラベリー」アウター・リミッツ(1968年)

久し振りに取り出してきた60年代のイギリスのガレージ・ポップのCDから。
タイトルは「大列車強盗」といったところでしょうか?


Another Sunny Day - Belle & Sebastian (2006年) 


スコットランド、グラスゴー出身のバンド、ベル・アンド・セバスチャン。
シンプルでフォーキーな感じがノスタルジックで、古い音楽ばかり好きなわたしには珍しく2000年代のバンドです。曲は「アナザー・サニー・デイ」

ではみなさん、よい日曜日をお過ごしください。






2018年8月18日

ホットなナンバー空に溶けてった


今月の5日、わたしの誕生日に(笑)TOKYO FMで村上春樹の番組が放送されました。
お聴きになった方いらっしゃいますか。

村上RADIO こちらに詳しい番組の内容が掲載されています。

わたしは昔から何をやっても使い物になりませんでしたが、中学の時からひとつだけ、やりたい仕事、というのがありました。それはラジオのディスクジョッキー。
といっても当時、1970年代後半、毎晩深夜に聴いていたラジオ番組のようなものは向いていないと感じていました。
原稿なしのフリートークというのが苦手だし、人を笑わせるのは得意でしたが、それは、コメディアン的な意味ではなく、どちらかというと、太宰治の小説を読んで思わずプッと笑ってしまう、というような感じでした。だから、「このクラスでおもしろい人」というとわたしの名前が挙がりますが、それは必ずしも「クラスの人気者」と同じ意味ではないという、なんとも微妙な位置でした。

日本はアメリカのように、ローカル・ステーション(その地方のラジオ局)というのが無数にあるというところではありませんし、大学時代、マスコミ業界に入るために血眼になっている同級生たちを見ていると、そういう世界を求めているわけじゃないんだよな、と、どうしても彼らの中に飛び込んでゆく気になれませんでした。



音楽は大体なんでも聴きますが、昔から「おとなしめ」のものが好きでした。言い換えれば優等生的というか、女々しい系というか、タイクツというか。

今に至ってもロックというものになかなか馴染めません。
好きなミュージシャンといえば、例えばフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、
ビリー・ホリデー、ドリス・デイ等のスタンダード・ソングス、1950年代~70年代頃までのリズム&ブルース、(ソウル)、そしてドゥー・ワップ。

クラシックも、主にバロック以前の音楽は聴きますが、クラシックのCDなどについて能書きというか薀蓄を垂れている奴(実際に出会ったことはありませんが)や、ブログなどをみると「ケッ!」となります。
「クラシック」「ジャズ」「絵画」「文学」については、やはりわたしも日本人なのでしょうか、どうしても「お勉強」というイメージがつきまといます。

今回村上春樹が選んだような曲は、大きく分けるとポピュラー・ソングで、こういうのをたくさん知っている人って、憧れます。

優等生には反感しかありませんけれど、「不良」にはアンビバレントな感情があります。
先日辺見庸のブログで、トム・ウェイツとデヴィッド・ボウイについてちょっと触れていましたが、70代の彼がそういう名前を挙げることはカッコいいなと感じました。
クラシックを語るスノッブな爺はいくらもいるけれど。



番組の中で村上春樹はこう言っています

「僕はジョギングするときにいつもiPodで音楽を聴いていますが、一台に1000~2000曲入っていて、それを7台ぐらい持ってます。今日はそのラインナップの中から、何曲かお聴かせしたいと思います。」

音楽でも本でも、ネットで見つけたとモノというのはやっぱり軽いんです。

わたしが中学校の頃は、ラジオで聴いて、それを録音して何度も何度も聴きました。
レコードもそんなに持っていないけど、繰り返し聴く。
情報は同じ音楽好きの友人たちでした。

そして、つい10年位前までは、しょっちゅう渋谷や新宿の中古レコードショップに足を運んでいました。まだYou Tubeなんてなかった頃。本も音楽も自分の足で渉猟していました。

今70前後のひとの選曲が信用できるのは、彼らがそんな風にして音楽を自分のなかに蓄えていったという実績があるからです。

わたしはあくまで「オールド・ファッションド」です。



30代の頃、NHK-FMでリスナー参加番組があり、それに3回出演したことがあります。持ち時間は15分、台本も選曲もトークも自分でやります。生放送ではありませんでしたが。
15分間、基本的にはしゃべりたいことをしゃべって好きな音楽をかける。もちろんNHKですから全国に流れます。それが好評だったことは自慢話めくし、過去の栄光のようで悲しくもあるので触れませんが、いまでも30分くらいの番組ならそこそこのものは出来ると思います。
You Tubeやネットの助けをまったく借りずとも。



Barry White - You're My First My Last My Everything

バリー・ホワイト
「ユーアー・マイ・ファースト・マイ・ラスト・マイ・エヴリシング」(1974年)

高校時代放送部でした。昼の時間に自分で作ったスクリプト(台本)を読みながら「お昼の放送」を流していました。これもその当時かけたお気に入りの一曲です。




村上春樹が番組の中でビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」をかけていたので、
こちらはベンチャーズ。「10番街の殺人」。NHKのラジオに出た時にこの曲を選曲したのですが、その時のゲストが偶然にも『青春デンデケデケデケ』の作家、芦原すなおさんでした。



最後は、村上春樹のラジオではじめて知った、ザ・ラモーンズのジョーイ・ラモーンの
「この素晴らしき世界」もちろんオリジナルは、「サッチモ」こと、ルイ・アームストロングです。
こういうシンプルで、破壊的(?)なロックは結構好きです。


村上春樹は番組のラストでこう言っています

最後になりますが、僕の好きな言葉を一つ引用させてください。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーンがこんなことを言いました。
「僕はみんなのために音楽をつくるんだ。誰にでも、馬鹿にでもわかる音楽をつくりたい。そうすれば、誰ももう馬鹿ではなくなるから」
いい言葉ですよね。僕はすごく好きです。それでは今日はここまで。またそのうちにお目にかかれるといいですね。
さようなら。」


わたしはテレビも、そしてラジオも持っていないので、村上春樹の放送は聴いていませんが、全10曲。大人の選曲ですね。
なんだかわたしの持っている500枚のCD、100枚のLPが勿体なく感じられてきました。
宝の持ち腐れというやつでしょうか。

最後に、叶わぬ夢ではありましたが、32歳の時にはじめてNHKでラジオ放送を体験したときに、ホストのピーター・バラカン氏が、わたしがサインを求めて差し出したCDのジャケットに書いてくれた言葉。

「本職のDJを目指せ!」




2018年8月16日

助走のために…


1.

今日、市役所の保健師と電話で1時間ほど話をした。
先日の東京都多摩精神保健福祉センターの精神保健福祉士や、多摩府中保健所の保健師とは違った手ごたえを感じた。もっともその保健師はわたしの地区の担当ではないので、今後継続して相談するということは出来ないらしい。いかにもお役所という感じ。
相談をする者と、聴く者の相性がいいということ、相談者が「この人には話しやすい」「話が通じていると感じる」などという「目に見えないこと」あるいは「気持ちの領域」は、まったく継続の理由にはなり得ない。次回からはわたしの「地区担当」の別人になる。「そういうことになっている」という「目に見える規則」によって。
日本てそういう国だ。

今年はまだ主治医のところに行っていないが、「外出困難」や「厭世観」は悪化する一方。
ここまで状態が悪くなったことは嘗てなかった。もう8年(?)ほど通っているが、
30歳の時からあちらこちらの精神科に通ってきて、今現在はここに通ってるという、ある種の「習慣」「惰性」のような通院だった。それにそもそも人格障害か発達障害か、それともまた別の何かなのかはわからないが、いずれにしても、「他者と良好な関係を築くことができない」という主訴は、薬で治るものではない、ということも加わって、真剣に精神科医と向き合うという感じはなかった。

そんなことで、これまでへらへらと対応していた医師に、急に真面目に向き合って、今の悩みを改めて訴えるということに抵抗があり、保健師のアドバイスに従って、母に同行してもらうことにした。本人が言えないことを代わりに言ってもらうために。

そして、今改めて精神科に通う理由として、おそらく左程遠からず迎えるであろう「自死」までのQOL(生活の質)を維持するため、という目的になるだろうと母と話した。

精神科医に面と向かって「あなたは生きたいですか?」と問われた時に、「ハイ!」と答えることはできそうにない。
前にも書いたが、今、わたしが生きるということは、21世紀現在の東京、或いは日本という国に「イエス」ということと同義だ。
仮に「ヨーロッパのどこかの田舎町で生きたいですか?」と問われれば、おそらく迷うことなく「イエス」と答えるだろう。
それが可能な人もいるだろうが、わたしはそのひとりではない。
「生」という抽象概念は、それを取り巻く環境と分離して考えることはできない。
わたしにとって生きるとはすなわち日本に生きること。日本人であること。そしてそれは限りなく難しい。

想像と事実のあいだの不一致に堪えること。「わたしは苦しむ。」そういう方が、「この景色はみにくい」というよりもよい。
ー シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(田辺 保訳)

このヴェイユの断章の意味するところはよくわからない。ただ、「風景の醜さ」が「わたしの苦しみ」であるということが解らなければ、わたしの外出困難を理解することはできないだろう。


2.

鬱病の女性のブログに「読んでると気持ちが暗く不愉快になるから止めろ」というコメントが届いた。しかし彼女はブログで自分の苦しさを吐き出すことで僅かであっても楽になっている。
何もできないという自己嫌悪、自己否定、死にたいという嘆き、普通に生きたいという願い、快癒への希望。そんなことを書いて少しでも心を鎮めることができれば、傍目にどんなに陰気なブログだと思われようと書く価値はある。もちろん誰も彼女の自由な発言に文句をつける権利はない。

わたしも最近は現在の状況を反映してあまり愉快でないことばかり書いている。そしてなにより鬱病の彼女との一番の違いは、わたしはここで自分の考えを言葉にして、文章にして表現することによって、ますます絶望を深め、気持ちが沈み込んで行っているということだ。

何のために書いているのか?適当な相談者がいないので自分自身で現在の状況を分析するしかないのだ。別に好き好んで毎日毎日生きるか死ぬかと考え込んでいるわけじゃない。

ただ。ただ。たまに10分程度外に出ても、歩きたばこの煙を浴び、歩きスマホにうんざりし、エンジンをかけたまま駐車している車の排気ガスを避けようもなく横を通り過ぎると、ほとんどの場合中で運転手がスマホをいじっている。

そんな世界を見ると、ああ、やっぱりどうしたってこの世界では生きることはできないと思うのだ。

わたしの美意識が正しいわけでも、間違っているわけでもない。これがわたしの美意識なのだ。





2018年8月15日

ボディ・アンド・ソウル


フランク・シナトラ


エラ・フィッツジェラルド





2018年8月14日

独創性


「どんな意見も、どのような見解も、局部的な、欠損だらけの、不満足なものたるを免れない。哲学においては、いや、何であれ同じことだ。独創性なるものは不完全な定義づけということに帰着する」
ー エミール・シオラン




おまんま喰わなきゃならないから…


「生きる」ということ。普通、人はそれをいったいどこで、誰に教わっているのだろう?
わたしはうかうかと「生きるということ」の意味すら知らずにここまで来てしまった。

20代の頃から疑問だったことがある。
「だって喰ってかなきゃならないじゃないか」という言葉である。生きていく以上、何よりもまず生命を維持していくために喰わなきゃならない。そして多くの場合この言葉は「だから仕事を選んではいられない」という意味を言外に含んでいるように思われた。

「おまんま喰っていくためにゃ好きの嫌いの言っちゃいられないのだ」と。

わたしは23歳で大学を卒業して、その時入社した小規模出版社を一月経たぬ間に馘になってから、35歳で、わたし自身、そして複数の精神科医の認めるように、わたしに勤まる仕事はないという結論を得て、社会から完全にリタイアするまで、様々な仕事をやってきた。といっても、それはみなパートやアルバイトで、正社員という肩書を持ったのは、後にも先にもただ一度きり。それもやはり1年を待たずにお払い箱になった。

「他人と良好な人間関係を築けないこと」がわたしの主たる問題だが、それ以前にどんな仕事をしても、わたしは無能だった。具体的に思い出すのは、工場の部品の整理、荷物の仕分け、ウェイター、皿洗い、ゴミ収集、マネキンの搬入、100円均一ショップの店員、スーパーの食料品売り場の売り子、品出し・・・等だが、何処(いづこ)へいっても役立たずと言われた。

わたしは勉強もそうだが、働くことが大嫌いだった。何をやってもおもしろいと感じたことはなかった。

「おまんま喰うためにゃ仕事を選んじゃいられない」ということが、わたしにはどうしても理解できなかった。

「生きるために喰わなきゃならない」-「喰うためには稼がなければならない」-「遣り甲斐に溢れた仕事なんか万に一つ」-「仕事を選んじゃいられない」

わたしはここで既に躓いていた。

「仕事はツマラナイ」-「仕事をしなければ金を稼げない」-「稼げなきゃおまんまが喰えない」-「おまんまが喰えなきゃ生きられない」

そう。では何故面白くもない仕事をイヤイヤしてまで「生きていく必要」があるのか?

生れたから生きてゆく、ということはそもそもわたしには自明の事ではないのだ。



蛇足をいうなら、現在幼児と老人を除いたほとんどの人たちがスマートフォンを持っている。何故か?彼らは言うだろう「便利だから」では「便利」とはいったいどういうことか?
わたしは「タダで」どころか、金をもらってもあんなものは持ちたくはない。それはわたしの美意識に反するから。そしてなにより彼らの「便利」はわたしにとっては何の魅力も持たないから。

まさかとは思うが、「みんなが持っているから」「みんなが便利だというから」というような理由で持っている人はいまい。

何故ならそれは「みなが生きているから生きている・・・」というのと何も違わないではないか。

「自明の事」とは何か?それは何ゆえに「自明」足り得るのか(自明足り得ているのか)・・・







2018年8月12日

罪と罰


「あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけは除いて」
                               ー エミール・シオラン 

もしもわたしが父親で、息子或いは娘が「死にたい」といったら。
わたしは決して彼らに「死ぬな」とは言えないだろう。
それは彼らをこの苦界に繋ぎ止めておく仕打ちに他ならない。
そんな権利は、親にはない。

「死んでほしくはないと思う。けれどもそれは親のエゴだから。君の自由にすればいいよ・・・」
もう20年ほど前、母はわたしにそう言った。
わたしはその後も生き延びてしまった。
現在80歳の母が亡くなった時、その日、わたしは死のうと思っている。
死ねるか死ねないか?そんな迷いなど全くない。
母の死と共に、わたしの存在理由は完全に消滅するのだから。
方法も問わない、その時既にわたしの「人間」としての内面は既に完全に崩壊しているのだから。飛び込むか、飛び出すか、飛び降りるか、縊死するか・・・要は死ねれば何でもいいのだ。
しかしそう長くはないにせよ、それまで生きられるか、自信がない。

母は生涯「母親となった罪」を背負って生きてきた。
そしてわたしも「子供となった罪」を負って。











2018年8月11日

断章


生きるとは、「生」を抱擁することではない。

その時代を、世界を拒否することを諦めることだ。

自分の外部、自己を取り巻く世界に「イエス」ということだ。



「時代と喧嘩しながら生きるのは、一個の特権である。四六時中、自分は他の連中のようには考えていないのだ、という自覚がある。この鋭い違和感は、どんなに貧弱な、不毛なものに見えようとも、なおある哲学的な定款を持っており、時代の諸事件と狎れ合った思考には求めようもないものなのだ。」
ー エミール・シオラン



「肉体を所有する者なら誰でも、堕地獄の人間という資格を要求できる。もしその上に<魂>などという災いを持っているのなら、どんな呪いの叫びでも堂々と発してよい!」
(同上)



「我が死後に大洪水あれ」とは、人それぞれのモットーである。他人が自分の死後まで生き続けるのをわたしたちが容認するのは、彼らに相応の罰があたるだろうという希望があればこそだ。」
(同上)

── 大洪水あれかしとは願うけれども、何故それが「我が死後」でなければならないのか?わたしはこの目で見たいのだ・・・
無論わたしも人間である以上、有罪であることは免れない。


2018年8月10日

わたしは自殺者のいない世界を望まない


20年近く前の新聞の切り抜きから。当時55歳の女性看護師の投稿。

老健施設に勤めて5年。雨の多かった今年の夏、こんなことがあった。8月15日、沼津は大雨で、施設の周囲が冠水し孤立した状態になった。勤務が終わっても帰宅できず泊まることになり、毎晩不安がる100歳の女性の畳部屋で添い寝することにした。夜間見回りの時にはいつも注意しているお年寄りのひとりだ。
 おばあさんは眠りにつくまで、私の方を向いて、私の顔や頭をなで、「おかあさん、おかあさん」と言った・・・

やがておばあさんは、安心して眠りに就いたと書いてある。



シモーヌ・ヴェイユや辺見庸に教えられるまでもなく、より弱い者こそ尊く、気高い存在だと思っている。逆につよい者、力のある者、成功した者は何故か私の目には醜悪に映る。(極端に言えば辺見庸でさえ・・・)


人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱い者である。だがそれは考える葦である。
 (略)
だから我々の尊厳のすべては、考えることの中にある
ー パスカル『パンセ』断章 三四七 (前田陽一 由木 康 訳)

人間の尊さは「考えること」の中にあるのではない。

「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱い者である。」
もうそれだけで充分ではないか。「だがそれは・・・」以下はあらずもがな。

「おかあさん」とつぶやく老婆は、最早パスカルのいう「人間の根源的な尊厳」すら失っているだろう。
けれどもわたしは彼女の姿に、ルネサンスーバロック時代の画家たちの描いた「聖母子像」や「ピエタ」に勝る愛と哀しみの美を見る。
「聖母子」ー「聖母マリア」と「神の子キリスト」・・・すなわち選ばれし人たち。

繰り返すが、名も無き者であること、弱き者であること、そこに真の美は宿る。



わたしの気持ちはいつも揺れ動き、分裂している。

名も無き者こそ最も尊く美しいものであるという美意識。
路傍の石の如く、限りなく(「天」ではなく)「地」に近く「無」に等しい存在への憧憬・拝跪。

同時に、人は何者かに愛されることによって初めて何者かになる。その「ノーバディ」から「サムバディ」への(上昇)志向、欲求。

何者でもない「無価値」と呼ばれる人たちへの愛情と、「何者でもない」「無価値」な自分への絶望、苛立ち・・・

不幸な人がいる(または不幸な人たちを生み出してゆく)社会への怒り。
幸せな人たちばかりの社会を想像したときのおぞましさ。

ホームレスの悲しさ、唾棄すべき政治の棄民志向。
ホームレスのいない「クリーンな社会」への生理的な嫌悪感。

「幸福」は何故かく見苦しく「不幸」はなにゆえ美しいのか・・・

それは所詮わたしが、この世界に実質を伴って生きる者ではなく、外部から来た束の間の「旅行者」の眼差ししか持たぬ無責任な「ツーリスト」或いは'Invisible person'にひとしい存在だからなのだろうか。












2018年8月8日

困っていないのに自殺する人


「困っていないのに自殺する人」そんな人物を想像してみる。困っていないのに自殺するということはあり得るだろうか?
「生の倦怠」(=アンニュイ)、「懈怠のうちに死を夢む」(中原中也)
特に病気でもなく、経済的に窮迫しているというわけでもないが、「生きているのが厭になりましたからお暇します」そんなこともないではないだろうけれど。

・・・そもそも「困っている」の「困る」とはどういうことだろう?

現在わたしは外に出ることができない。今日のように比較的涼しい日でも。
秋になれば・・・そんな「先」のことはまるでわからない。

精神科はもとより、内科、眼科で必要な薬を、高齢の母にわざわざ取りに行ってもらっている。わたしが行けば半分の時間で済むところを・・・



今日「東京都多摩精神保健福祉センター」の電話相談に電話をした。
(以下相談員〔精神保健福祉士〕ーA(アドバイザー))

おそらくわたしと同世代くらいと思われる男性精神保健福祉士は、言う。
A:「正直あなたが何に、どう困っているのかわからない・・・」
A:「ここに電話してくる人はみな、「困っているから」電話してくるんですよ。あなたのお話はじつに、何というか、堂々と、理路整然としていて、現在の「引きこもり」の状態にしても、あなたは「引きこもりから抜け出したいのか?でも何のために?それが解らない」と言う。そして「実際生きていたいのか死にたいのかわからない」と落ち着いた口調で仰る。失礼ですが、あなたが「何に、どのように困っているのか」が解らないと、こちらもアドバイスの仕様がないのですよ・・・」受話器の向こうから当惑した声が聞こえる。

A:「引きこもり」にしても、こちらに電話をかけて来られる方の多くは、当事者ではなく、親御さんの場合が多いのです。あなたのように積極的に「引きこもっているわたし」について、そのようなハッキリした口調で「相談」される方は非常に珍しい。

A:「もちろん、ただこうやって話すだけで、気持ちが楽になるという意味でかけて来られる方もいらっしゃいます。けれどもあなたの話しぶりを伺っているとそんなかんじでもなさそうですし・・・」



結局先方は、「どうしても死にたくなったらかけてきなさい」と言っているのだろうか?
今のわたしのように、「何に困っているのかわからなくて困っている」などという蒟蒻問答のようなものには付き合いきれないということなのだろうか?

今の自分の気持ちを覗いて見れば「生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ!」という状態だ。そんな中途半端な相談には乗れないというのか?
「生か?死か?」これが「中途半端」で、切迫した問題ではないと?

どうしたら、わたしが困っているとわかってもらえるのだろうか?
いやいや、そうまでして「わかってもらいたい」のか?縋りつくのか?
「タスケテクダサイ」と?

それともわたしは困ってなどいないのだろうか?

困るとはどういうことか?

誰か教えてくれないか・・・

わからないのか?こういう人間ばかり目にするから、自分が生きたいのかわからなくなるということが。



ー追記ー

先週の新聞の四コマ漫画の意味が解らなくて、東京新聞に問い合わせた。

一コマ目「主人公の女の子とネコが散歩していると、近所のおばさんが電柱に霧吹きで水をかけている」

二コマ目「何やってるのと訊くと、おばさんは、散歩させている犬が電柱におしっこしたから水をかけているのだという」

三コマ目「女の子がそれを貸してという。おばさんは不思議そうな顔をする」

四コマ目「女の子が霧吹きで自分の顔に水をかける。「こうすると気持ちイイ!」」

新聞社の担当は、わたしが最後の女の子の行動が解らなかったと思ったらしい。
そうではない。何故、犬が電柱にオシッコをした後に水を流すのか?と訊いた。
向こうはそんなこともわからないのかといった調子で、「飼い主のエチケットです。マナーです。今はみんなそうしていますよ」

ショックだった。

トム・ウェイツに”レイン・ドッグ”という歌がある、自分の付けた道しるべを雨に流され、帰る道を失って途方に暮れる ─── 自分を支えてくれるように思えたいくつかの出来事も、街の佇まいも、文化の在り方も、生活の作法も、一夜のうちに消されてしまう。そして帰り道を無くした犬のように、往くべき道を見失う・・・

かつてそうでなかったものが、「汚れ」或いは「穢れ」と見做されるようになり、街中が滅菌、消毒、消臭され、人びとはこれで清潔キレイになったと安心する。それはどこか、犯罪者のあわただしい大量消去に似てはいないか。
「汚れた臭い無宿人」たちの強制排除の心性と通底していないか。

「市場のあるところ詩情なし」自分の美意識と背馳する世界に尚生きたいのかという、根深い問いかけ、懐疑があるのだ。

そこで戻ってくるのはまたしても「動物園の檻の中での健康」「囚人としての刑務所の中での健康」といういつものアポリアになる。












サム・フェイヴァリット・シングス


Paris - Infatuated couple along the Seine, ca 1954, Kees Scherer.



kanayama Yasuki. (1926 - 1959)


セロニアス・モンク「ルビー・マイ・ディア」


わたしが作りたいと思っているのは、またこういうブログがあればいいなと思うのは、
先ずセンスがいいこと。話題にしろ、セレクトするアートや音楽や引用でも、目利きであること。そして話題が豊富なこと、といってもわたしの場合、スポーツやエンターテインメントなどには興味がないので、音楽、映画、アート、そして文学などの分野ですが。

かつてそういうブログがいくつかありました。共に若い女性のものでしたが、一人はイラストレーター、もう一人は洋服をデザインして創っているひとでした。

そんな、「ウワア、この人センスいいなぁ!」と憧れてしまうような、お手本にしたいような、こっそり盗んでしまいたくなるようなブログ、今もどこかにあるのでしょうか。

写真だけ、絵画限定ということなら、美しく目を惹くブログは海外にいくつかあります。
残念ながら外国語で書かれたブログの良さを堪能できるほど、わたしは語学に自信がありません。

美しく多彩なイメージで目を楽しませ、文学的センスで知的好奇心を刺激し、出逢ったことのない映画や音楽を教えてくれる。
詩人であり、哲学者であり、ユーモアのセンスにも富んでいる。

ああ、そんなブログに出会いたい!

それまでは自分でその真似事をしてみるしかなさそうです。





〔写真〕-上は「パリ、セーヌ河畔を散歩する恋人たち」オランダのカメラマン、キース・シェーラー(シーラー)が1950年代に撮ったものです。

下は金山康喜(かなやまやすき)(1926ー1959)という日本人画家の「コーヒーミルのある静物画」です。これも金山晩年50年代の作品。

モンクの「ルビー・マイ・ディア」これは1965年の「ソロ・モンク」から。








2018年8月6日

8月6日 ヒロシマ


いまから16年前。2002年8月6日の新聞の切り抜きがある。77歳の男性の投稿である。




昭和20年8月6日午前8時15分、わたしは広島の第2総軍司令部で、将校として勤務していた。突如、閃光が走り、爆風に吹き飛ばされた。いったん失神した後、倒壊した建物の下から、かろうじて這い出した。爆心地から2キロ、まさに奇跡の命拾いであった。
 街は廃墟と化し、あちこちから火の手が上がり、焼けただれた男女が放心状態でさまよい歩いていた。中年の女性が私に近寄り、手にした牛乳の空き瓶を差しだして言った。「軍人さん、これにおしっこをくださいませんか。やけどに効くんです。特に若い人のは」
 ためらいはなかった。言われるままに物陰に身を寄せ、小水を採ろうとした。しかしいくらいきんでも、一滴も絞り出すことができなかった。あまりに大きな衝撃を受けると排尿もできなくなると知った。
 私は丁寧にわびるよりなかった。「すみませんでした」と、消え入るような声を残して立ち去る婦人の悲しそうな後ろ姿を忘れることができない。
 やがて黒雲が空を覆い、激しい黒い雨が降ってきた。放射能をたっぷり含んだ雨が。



ヒロシマ・ナガサキは、最早過去も過去という気配である。
この投稿をした男性も、本日、2018年8月6日、生きていれば94歳。「老人が一人亡くなるのは図書館がひとつ消えるのと同じ」とよく言われる。
これもまた、ひとつの図書館に収められていた記憶ー記録の一頁だ。

人の数だけヒロシマがありナガサキがある。
それを体験した人のみならず、そのことに深く心を寄せるすべての人の数だけ「原爆」がある。そして当時それを体験した誰もが、このような「話」を「出来事」を、そして深く抉られた傷を持っている。






2年前、2016年5月。バラク・オバマのヒロシマ訪問の「茶番劇」をみて心底情けなく思った。

とりわけ被爆者代表が、アメリカ大統領にやさしく抱きかかえられているシーンは、正視に堪えなかった。

オバマが広島を訪れる前に、アメリカ政府は「原爆投下について謝罪せず」という声明を発表しており、当然ながら日本政府も「アメリカに謝罪求めず」という姿勢を明確にしていた。

「これは一体なんだ!?」「何故こんなこんなことが許されるのか?」 わたしの頭の中は、そんな、かみ砕くことの出来ない「疑問」や「唖然呆然」とした思い、「馬鹿馬鹿しさ」そして「屈辱感」「恥辱感」などで占められていた。


同じ2002年の新聞記事に、広島平和記念資料館(原爆資料館)の元館長だった高橋昭博さんのインタビューが掲載されていた。

その前年、アメリカを震撼させた9.11のテロについて、「亡くなった罪もない市民の方々に対しては言葉もないが・・・」と述べた後「身勝手なことをしてきた米国に対し、溜飲の下がる思いも感じた」と、自身の率直な心情を語った。

14歳の時に爆心地から1.4キロの校庭で被爆し、全身に大やけどを負った。

インタビューの中の高橋氏の言葉が強く胸に響く。

「広島を訪れ原爆の非人道性を理解してくれる米国人は少なくない。だが、私の米国への思いは変わらない。原爆投下を正当化し、左手に核兵器を持ち続ける国と、右手で握手はできない」

高橋元館長のような真っ当な見識、真っ当な怒りを持つ人は、実は案外少ないのかもしれない。(時代と共に「少なくなってきた」のではなく、敗戦当初から・・・)

オバマ米国大統領に抱きしめられる原爆被爆者。その写真の下には「怒りなき者は、人に非ず」と、皮肉なキャプションをつけるべきだったのではないか。

◇       ◇

「原爆の図」Painted by Akiko Takakura, Image courtesy of HIROSHIMA Peace Memorial Museum.   









2018年8月5日

エニグマ


二階堂奥歯の「八本脚の蝶」最後の部分を繰り返し読む。

わたしはいま、自分がどのような形でこの世界に「ある・いる」のかさえ分からずにいる。

障害を持ち、人の手を煩わせずには生きられず、尚且愛されざる者の生とは何か?



人はこんな風にして終わりを迎えるのかと、ぼんやりとした頭で考え(?)ている。

シオランは生まれてきたこと即ち敗北だと言う。けれども、わたしは、そもそもほんとうに「存在」していたのだろうか?

存在とは「関係(性)」であるとすれば、わたしはこの世界と、いったいどのような関係を持っていたというのだ?互いに背を向け合っていたという以外。無論最初に背を向けたのは世界の方だが。

(二階堂奥歯は「社会」と「世界」を厳密に分けて考えていたが、わたしはもう疲れたよ)

いつまで考え続けなければいけないのか・・・






8月5日



ー誕生日ー



ー孤独ー


今の孤独がどれほど堪えがたいか、たとえば、この炎天下、帽子も日傘もなく、全く日光を遮るもののないところで、2・3時間じっと立ち尽くしてみればいい。その苦痛と同じくらいのものだと考えて欲しい。





「生涯、私は、自分が本当にいるべき場所から遠ざけられている、と考えながら生きるのかも知れぬ。たとえこれまでのところ、<形而上学的流謫>という表現に何の意味もなかったとしても、私の生活はそれだけで、この表現に一個の意味を与えている。」
(わたしは寧ろ形而下的な流謫状態にある。50年以上東京に住みながら、自らを「故郷喪失者」と感じない者は、よほどおめでたく出来ているのだろう)


「ある人間に向かって、何ものも創らぬと非難するのは、優雅を欠いている。不毛こそが彼の悲願、彼の成就の一様式、彼の夢であるとしたら・・・」
(わたしはただ、創造的な才能に恵まれなかっただけではあるが・・・)


「私の「生の倦怠」が秘める力と毒性を見ては、私といえども狼狽せずにはいられない。こんな衰弱の病に、これほどの逞しさがあろうとは・・・私がついに自分の最期の時を選び取れずにいるのは、この矛盾のおかげである。」
(結局自ら死ぬこともせず、狂気に陥ることもなかったこの人物を、それ故わたしは、深く信ずることができない)


彼はこう書いている。

<人は動機なしに生きることができない。ところで私は動機を持っていない。そして生きている。 >

「動機」=「生きがい」「生きる目的」と言ってもいいだろう。
わたしの場合、それはわたしという存在の内側には存在しない。それは「愛情」であり「友情」であり、それらは、他から与えられるものだ。

「わたしは友なしに生きることはできない。ところでわたしは友を持っていない。そして生きている。」

そんなことが長く続くはずはない。

「各人が、生誕とはひとつの敗北だと諒解するとき、人間の生活はようやく堪えうるものとなり、あたかも降伏の翌朝のような、敗者の安堵と休息のような趣を呈するであろう。」

もとよりわたしは敗残者である。けれどもそれはわたしが「生れたから」ではないはずだ。
[もちろん「日本に生まれた」というハンディを無視することはできないにしても]



本文中引用 エミール・シオラン『生まれたことの不都合について』より(出口裕弘 訳)


ー追記ー

シオランからは哀しみよりは寧ろ力強さや生命力を感じる。
弱さと哀しみのないところに真の美はない。
そしてわたしは、涙を流さぬ者を信用しない。わたしは泣き虫を愛する・・・

















2018年8月4日

少女とカナリア



 Girl holding a canary, Robert Gemmell Hutchison. (1855 - 1936) 
「カナリアを抱く少女」ロバート・ゲメル・ハッチソン(1855-1936)
(油彩)




2018年8月2日

汝殺すなかれ(考える義務 Ⅳ)


「死刑制度反対」の意見に対する反論として、屡々目にするのは、「殺人犯に「血税」を使って、無駄飯食わせて生かしておくのか!」というものだ。

これは何も今に始まったことではない。引きこもりが社会問題として顕在化してきた当時も同じ議論が沸騰した。日本には既に敗戦直後ー1950年代頃から、この「働かざる者食うべからず」という一種の「ネオ・戦陣訓」のようなものが人々の心性に浸潤している。

7月31日の辺見庸のブログから引用する



寄稿


再び処刑関連原稿

「人びとはこれを望んだのか ── 気づかざる荒みと未来」と題する一文(7枚)を寄稿しました。共同通信から各加盟紙に配信されます。
ご一読ください。原稿の末尾で、村上春樹氏の発言(7月29日付毎日新聞)を批判しました。

氏は「『私は死刑制度には反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。『この犯人はとても赦すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい』という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる」と述べている。

被害者感情と処刑(死刑制度)を同一線上でかたるのは、よくありがちな錯誤である。前者の魂は後者の殺人によっては本質的にすくわれない、とわたしは書いた。

にしても、村上氏の文には正直おどろいた。
「・・・林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった」

極刑判決をほめたたえる神経は、わたしにはとうてい理解不能だ。



前回は案の定というべきか、共同通信加盟の東京新聞には「第一回目」のオウム殺戮の記事は掲載されなった。
掲載されたのは、「河北新報」「北日本新聞」「信濃毎日」「琉球新報」「長崎新聞」「大分合同新聞」など。十紙にも満たなかったのではないか。(わたしは「河北新報」を買った)

わたしは死刑制度には反対だ。それがオウムであろうとも。
そのことについては以前のブログにも書いているので繰り返さないが、
殺人者は生かして、犯行に至る背景や動機を徹底的に究明すべきだ。彼ら・彼女らはそのために生かされている。そして彼らのすべきことは考えること。深思すること。か細い一本の蜘蛛の糸にすがりながら己の深淵に降りてゆくこと。

もちろん犯行の背景、動機などがある程度明らかにされたとしても、それによって「貧困」が消えるわけではないし、この社会での生き辛さが目に見えて改善されるわけでもない。しかしそれを手がかり足がかりにしての改善の労を厭えば、同様の罪はいずれまた生起する。

わたしたち「全ての国民」が生きる場である「社会」の制度やその在り方について責任を負う国が、その鏡像ともいえる社会の内側で起きた罪に対し、「犯罪者」=「絶対的他者」として、「(正常な)われわれ」とはまったく異質の存在としてイレース(消去)するというやり方で排除し、その責任から逃れることは許されない。飽くまで生かして、「理由を問う」べきなのだ。それが何十年かかろうと。それが国としての責務だろうと思う。
国は、自らの社会の中で生まれた罪から目を逸らし、目に見える範囲に限定された「真っ当」で「正常」な社会から隔離、分離し、時至レバ消スというやり方を許されない。
社会という鏡に極悪人が映れば、手近な椅子を振り上げて鏡を破壊してしまえばいいと思っているのだろうか?
鏡面が眼の前から消えれば社会の罪も同時に消滅するとでも・・・?

国は罪人に対して、責を負う。彼らに耳を傾けなければならない。「何故?」と。
罪人は国民に対して責を負う。彼らに語らなければならない「何故」と。
そしてそれは「裁判」という形では充分ではない。(特に日本のように極めて人権意識の低い国に於いての裁判では・・・)だから彼らを生かしておく必要があるのだ。我々すべてが「深く考える」ために・・・



フィリップ・シーモア・ホフマン主演の映画『カポーティ』で、6年かかって殺人犯に取材し、『冷血』を書いたトルーマン・カポーティは、作品の三分の二を書き上げた時点で朗読会を開き、それが大評判になり、彼は成功を確信していた。けれども死刑の執行が延期になるたびに「犯人は処刑」という結末が書けない彼は苛立ちを募らせてゆく。
最後に、事件の調査・取材ではあるが、数年間に亘り語り合ってきた死刑囚ペリーの頼みで、絞首刑の執行に立ち会った。それ以降、彼は一冊の本も書いてはいない。
死刑賛成論者であったツルゲーネフも、1870年の死刑執行を見てから死刑反対の立場に変わった。ドストエフスキーも同様である。
フランスでの死刑廃止を決定づけたロベール・バダンテールもまたギロチンをその目で見ている。

日本では先ず、公開処刑をすべきだ。特にオウムの場合は。この点においてわたしは辺見庸と意見を異にする。

「死刑の光景は日本においては不可視であるがゆえにかえって幻想のスペクタクルとなり、無意識のうさ晴らし(娯楽)と化してはいないだろうか」

もし辺見の言うように、この国の人びとが、「可視化された処刑」を「サーカス」または「エンターテインメント」として興じるようなら。日本から永遠に死刑制度は無くなることはない。「ジャパン」は永遠に「邪蛮」だ。

・・・「日本」「永遠」と書いていて、ふとニ.二六事件で処刑された北一輝の言葉を思い出した。
「この国には永遠に革命は起こらない…」
cf『戒厳令』吉田喜重監督(1973年) 『叛乱』佐分利信監督(1953年)
「革命」とはなにか?「アンシャン・レジューム」(旧制度)を「変革する」ことだ・・・

どのような犯罪者であっても、いかに小さな可能性であれ罪を購う可能性を奪ってしまう権利は誰にもないのであって、「汝殺すなかれ」という戒律は、いかなる例外も許さない神の掟である。
ー ドストエフスキー

'Stop The Sinner To Die for Nothing!'  

”罪人を無駄死にさせるな!"