2018年8月28日

暢気な人


前にツイッターの文学系投稿を時々のぞいていたときに気になっていた人がいた。
編集者・ブックデザイナーという肩書を持つ女性で、やはり「ブロガー」でブログを書いている。

心の重さに反比例して、ツイッターという表現形式が持つ「言葉の耐えられない軽さ」に忌避感が募り、しばらくツイッターから遠ざかっている。(もともとわたしはツイッターのアカウントを持っていない)

久し振りにその人のブログに立ち寄ってみた。

8月15日の投稿を引用する。


pha『しないことリスト』を読んだ。いい本だった。

「だるさというのは大事な感覚だ。だるさを単なる怠惰な気持ちとして無視するんじゃなくて、もっとだるさに敏感になったほうがいい。╱だるさを感じるときは、「体調が悪い」とか「精神状態が悪い」とか「今やっていることがあまり好きじゃない」とか、そうした漠然とした現状への違和感が身体や気分のだるさとして表れているのだ。」

「「仕事というのは、イヤなつらいことを歯を食いしばって、ひたすら耐えてがんばってこそ成果を残せるのだ!」みたいなことを言う人がたまいいるけど、そんな変な話はないだろうと思う。╱人生はそんなマゾゲーじゃない。」

「死にたい気分のときは、ケータイやパソコンの電源を切って、好きなものを食べまくって、部屋に籠もってひたすら寝よう。╱他人のことや社会のことや、責任とか義務とかは何も考えなくていいから、一切のイヤなことや面倒なことを投げ捨てて、つらくないことだけして過ごそう。ひたすら時間をムダに使おう。」

 やさしい人だなあ、と感じた。いつか、ものすごく疲れたりつらくなったりしてどうにもならなくなったときに、読み返そうと思う。


これを読んだ時、先ず、「へえ、あの人が、phaなんて人の本を読むのか」と、意外な感じを受けた。(「phaなんて人」といったけれど、そもそもわたしはこの人がどういう人か、ほとんど知らない。ただ、いわゆる「自己啓発本」の類をたくさん書いている、ということくらいしか)

そして上に引用した文章について、

「やさしい人だなあ、と感じた。いつか、ものすごく疲れたりつらくなったりしてどうにもならなくなったときに、読み返そうと思う。」という感想を漏らしていることに、少なからぬ幻滅を覚えた。

結局この「著者」も、「読者」も、「心を病んではいない」或いは「心を病んだことがない」のだなぁという感想しか持つことができなかった。
しかし、いくら断片的な引用でしかないとしても、少しお粗末すぎやしないか・・・

わたしには話し相手がいないので、最近は時々「いのちの電話」に電話をかけて「雑談」・・・とまではいかないが、精神科医や保健師等、所謂医療・福祉関係者との間で交わされる「病気」に関連することだけではない「話し」をしている。

上の思考レベルでは「いのちの電話」の相談員にはなれまい。「死にたい気持ち」になっている人たちが電話をかけてくる場所には、相応しくない。なぜって、「部屋に籠もってひたすら寝る」ことしかできないから死にたくなっているのだから。「ひたすら時間を無駄に使っていること」=「なにもできないこと」が辛くて仕方がない人たちが手を差し伸べているのだから。

それにしても、どうして京大とか東大卒というひとって(わたしの知る限り)こうも凡庸で深みのない人ばかりなのだろう。そもそも「深く思惟する」ことと、(日本の学校で)「勉強ができる」という二つの現象が、根本的に相反することなのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。














  





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