来週は9月。まだ残暑は続くだろう。
今年になって精神科医と会っていない。30歳の時から昨年まで24年、「精神科医」と称する人たちと付き合ってきたが、これほ長いブランクは初めてだ。もっとも薬だけは、母に頼んで取ってきてもらっている。睡眠導入剤、睡眠薬、抗不安薬2種類。20年前と同じ処方だ。この薬が本当に必要なのか?どのように「効いて」いるのかすらわからないで、ある種の習慣として飲んでいる。睡眠導入剤は今は使っていない。睡眠薬を飲んでも、せいぜい3時間ほどで覚醒してしまう。
人びとが仕事を始める頃に寝るという生活が長く続いている。
最後に夜中ぐっすり眠ったというのはいつだっただろう?
涼しくなれば母に同伴してもらってクリニックに行くつもりだった。
けれども今、精神科に行って何を話せばよいのか、わからない。
「よくなりたい?」では「よくなる」とはどういう状態の事なのだろう?
野戦病院で半年間ベッドの上で過ごして、傷が癒えた。
これは何を意味するのか?戦場への復帰。
「生きていたいのか?そうではないのか?」それすら曖昧なまま精神科医と向き合って、いったいなにを「話す」のだろう。わたしが医師に望むこととは何か?
「外に出られるようになったら、やりたいことがあるのか?」と自らに問うても、何も思い浮かばない。
ほんとうになんにも。
「その無気力こそが正に心の病なのだ」というのか?
しかしわたしが苦しんでいるのは、「世界の醜さ」に他ならない。
あなたは言うだろうか「いや、世界は美しい・・・嘗てほどではないにせよ」と。
残念だがわたしは世界は美しいという人の目を信じることはできない。
教えてくれないか、わたしはどのように「世界の美しさ」を見、また感じることができるのかを。
そしてあなたのいう「美しさ」とは、なにかを・・・
わたしは狂っているのか?だとすれば正常な世界とは折り合えない。
世界は狂っているのか?だとすれば狂った世界とは折り合えない。
人は言うだろう、あなたの「狂気」を治療矯正して正常な世界と合わせるのだと。
しかしわたしはそれを望んではいない。そしてもし世界が狂っているのなら、それは狂い続けるだろう。
◇
有名な話なので知っている人も多いだろうが、ロッド・サーリングの『トワイライト・ゾーン』という60年代のアメリカのTVシリーズのエピソードで「美は見る者の心にある」(原題 Beauty is in the eye of beholder)というエピソードがあった。
ひとりの若い女性が整形手術を繰り返す。失敗が続いていた。最後の手術を受け、数日が経ち、いよいよ顔の包帯を取る。彼女はおそるおそる手鏡をのぞき込む。やっぱりダメだった。
彼女は顔を覆い、泣きながら病室を飛び出してゆく。その顔は美しく整った顔だった。
走り去ってゆく彼女を、ため息をついて見守る医師と看護婦、二人の顔は怪物のように醜かった。
さて、わたしは、医師に何を望んでいるのだろう・・・
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