二階堂奥歯の「八本脚の蝶」最後の部分を繰り返し読む。
わたしはいま、自分がどのような形でこの世界に「ある・いる」のかさえ分からずにいる。
障害を持ち、人の手を煩わせずには生きられず、尚且愛されざる者の生とは何か?
人はこんな風にして終わりを迎えるのかと、ぼんやりとした頭で考え(?)ている。
シオランは生まれてきたこと即ち敗北だと言う。けれども、わたしは、そもそもほんとうに「存在」していたのだろうか?
存在とは「関係(性)」であるとすれば、わたしはこの世界と、いったいどのような関係を持っていたというのだ?互いに背を向け合っていたという以外。無論最初に背を向けたのは世界の方だが。
(二階堂奥歯は「社会」と「世界」を厳密に分けて考えていたが、わたしはもう疲れたよ)
いつまで考え続けなければいけないのか・・・
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