2018年8月16日

助走のために…


1.

今日、市役所の保健師と電話で1時間ほど話をした。
先日の東京都多摩精神保健福祉センターの精神保健福祉士や、多摩府中保健所の保健師とは違った手ごたえを感じた。もっともその保健師はわたしの地区の担当ではないので、今後継続して相談するということは出来ないらしい。いかにもお役所という感じ。
相談をする者と、聴く者の相性がいいということ、相談者が「この人には話しやすい」「話が通じていると感じる」などという「目に見えないこと」あるいは「気持ちの領域」は、まったく継続の理由にはなり得ない。次回からはわたしの「地区担当」の別人になる。「そういうことになっている」という「目に見える規則」によって。
日本てそういう国だ。

今年はまだ主治医のところに行っていないが、「外出困難」や「厭世観」は悪化する一方。
ここまで状態が悪くなったことは嘗てなかった。もう8年(?)ほど通っているが、
30歳の時からあちらこちらの精神科に通ってきて、今現在はここに通ってるという、ある種の「習慣」「惰性」のような通院だった。それにそもそも人格障害か発達障害か、それともまた別の何かなのかはわからないが、いずれにしても、「他者と良好な関係を築くことができない」という主訴は、薬で治るものではない、ということも加わって、真剣に精神科医と向き合うという感じはなかった。

そんなことで、これまでへらへらと対応していた医師に、急に真面目に向き合って、今の悩みを改めて訴えるということに抵抗があり、保健師のアドバイスに従って、母に同行してもらうことにした。本人が言えないことを代わりに言ってもらうために。

そして、今改めて精神科に通う理由として、おそらく左程遠からず迎えるであろう「自死」までのQOL(生活の質)を維持するため、という目的になるだろうと母と話した。

精神科医に面と向かって「あなたは生きたいですか?」と問われた時に、「ハイ!」と答えることはできそうにない。
前にも書いたが、今、わたしが生きるということは、21世紀現在の東京、或いは日本という国に「イエス」ということと同義だ。
仮に「ヨーロッパのどこかの田舎町で生きたいですか?」と問われれば、おそらく迷うことなく「イエス」と答えるだろう。
それが可能な人もいるだろうが、わたしはそのひとりではない。
「生」という抽象概念は、それを取り巻く環境と分離して考えることはできない。
わたしにとって生きるとはすなわち日本に生きること。日本人であること。そしてそれは限りなく難しい。

想像と事実のあいだの不一致に堪えること。「わたしは苦しむ。」そういう方が、「この景色はみにくい」というよりもよい。
ー シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(田辺 保訳)

このヴェイユの断章の意味するところはよくわからない。ただ、「風景の醜さ」が「わたしの苦しみ」であるということが解らなければ、わたしの外出困難を理解することはできないだろう。


2.

鬱病の女性のブログに「読んでると気持ちが暗く不愉快になるから止めろ」というコメントが届いた。しかし彼女はブログで自分の苦しさを吐き出すことで僅かであっても楽になっている。
何もできないという自己嫌悪、自己否定、死にたいという嘆き、普通に生きたいという願い、快癒への希望。そんなことを書いて少しでも心を鎮めることができれば、傍目にどんなに陰気なブログだと思われようと書く価値はある。もちろん誰も彼女の自由な発言に文句をつける権利はない。

わたしも最近は現在の状況を反映してあまり愉快でないことばかり書いている。そしてなにより鬱病の彼女との一番の違いは、わたしはここで自分の考えを言葉にして、文章にして表現することによって、ますます絶望を深め、気持ちが沈み込んで行っているということだ。

何のために書いているのか?適当な相談者がいないので自分自身で現在の状況を分析するしかないのだ。別に好き好んで毎日毎日生きるか死ぬかと考え込んでいるわけじゃない。

ただ。ただ。たまに10分程度外に出ても、歩きたばこの煙を浴び、歩きスマホにうんざりし、エンジンをかけたまま駐車している車の排気ガスを避けようもなく横を通り過ぎると、ほとんどの場合中で運転手がスマホをいじっている。

そんな世界を見ると、ああ、やっぱりどうしたってこの世界では生きることはできないと思うのだ。

わたしの美意識が正しいわけでも、間違っているわけでもない。これがわたしの美意識なのだ。





2 件のコメント:

  1. 先ずは感覚ですね。その感覚への理由は後ずけだから。私にも自分ではどうしようも無い「感覚」があります。
    生まれた土地への感覚です。適当な言葉が見つかりませんが、なんか嫌(いや)なんです。自立する前は、極端な恥ずかしがり屋だから、それで表に出たくないのだろうと思っていました。でも、家出(当時はそうは思っていませんでした)してからは、たまには実家に帰らなければと、ほぼ義務感で帰るのですが、それがとても嫌でしたね。家そのものはそれ程嫌ではなく、入って仕舞えばホッとして、だから表には出ませんでした。帰るときがまた外に出るのが嫌で、ある程度その土地から離れて仕舞えば、それでまたホッとするのです。

    そのうちの何度かはUターンしてしまった事もあります。
    そんな人間だから、自然と親兄弟とも疎遠になって、今は天涯孤独状態です。
    多分、この状態であることが私には“至福”なのでしょう。
    でも、最後の最後には後悔するような気がしています。

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    1. こんばんは。

      「生まれた土地」というのはどの程度の範囲を指しているのかがわかりません。家の周囲なのか、その町なり村なりなのか?

      ある対象を見て、「嫌悪感」を感じる。でもその嫌悪感に対する「理由」は後付けではないと思います。何故この絵が厭なのか?何故この建物が厭なのか?遡って「理由」を探るのです。

      わたしの場合も街の風景に対する嫌悪は後から付けた理由に因るものではなく、上に欠いたことに関しては、主に人々の無関心と鈍感さへの嫌悪感です。

      yy8さんの生地への嫌悪感が何に由来するのかはわかりません。ただ、その奥には何かしらの理由があるように思います。「外界」=「他者たちの世界」「他者」=「自分で制御不能な存在」であるとか・・・

      天涯孤独でも、必要な時に話せる相手がいるようならそれでもいいと思います。
      また自分ひとりで完結しているなら、それはある意味羨ましい境涯かもしれません。
      わたしにとっては天涯孤独イコール死、ですから。

      とはいえ、自然と動物たちに囲まれた生活、というのならそれはまた別かもしれません。

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