2018年8月14日

おまんま喰わなきゃならないから…


「生きる」ということ。普通、人はそれをいったいどこで、誰に教わっているのだろう?
わたしはうかうかと「生きるということ」の意味すら知らずにここまで来てしまった。

20代の頃から疑問だったことがある。
「だって喰ってかなきゃならないじゃないか」という言葉である。生きていく以上、何よりもまず生命を維持していくために喰わなきゃならない。そして多くの場合この言葉は「だから仕事を選んではいられない」という意味を言外に含んでいるように思われた。

「おまんま喰っていくためにゃ好きの嫌いの言っちゃいられないのだ」と。

わたしは23歳で大学を卒業して、その時入社した小規模出版社を一月経たぬ間に馘になってから、35歳で、わたし自身、そして複数の精神科医の認めるように、わたしに勤まる仕事はないという結論を得て、社会から完全にリタイアするまで、様々な仕事をやってきた。といっても、それはみなパートやアルバイトで、正社員という肩書を持ったのは、後にも先にもただ一度きり。それもやはり1年を待たずにお払い箱になった。

「他人と良好な人間関係を築けないこと」がわたしの主たる問題だが、それ以前にどんな仕事をしても、わたしは無能だった。具体的に思い出すのは、工場の部品の整理、荷物の仕分け、ウェイター、皿洗い、ゴミ収集、マネキンの搬入、100円均一ショップの店員、スーパーの食料品売り場の売り子、品出し・・・等だが、何処(いづこ)へいっても役立たずと言われた。

わたしは勉強もそうだが、働くことが大嫌いだった。何をやってもおもしろいと感じたことはなかった。

「おまんま喰うためにゃ仕事を選んじゃいられない」ということが、わたしにはどうしても理解できなかった。

「生きるために喰わなきゃならない」-「喰うためには稼がなければならない」-「遣り甲斐に溢れた仕事なんか万に一つ」-「仕事を選んじゃいられない」

わたしはここで既に躓いていた。

「仕事はツマラナイ」-「仕事をしなければ金を稼げない」-「稼げなきゃおまんまが喰えない」-「おまんまが喰えなきゃ生きられない」

そう。では何故面白くもない仕事をイヤイヤしてまで「生きていく必要」があるのか?

生れたから生きてゆく、ということはそもそもわたしには自明の事ではないのだ。



蛇足をいうなら、現在幼児と老人を除いたほとんどの人たちがスマートフォンを持っている。何故か?彼らは言うだろう「便利だから」では「便利」とはいったいどういうことか?
わたしは「タダで」どころか、金をもらってもあんなものは持ちたくはない。それはわたしの美意識に反するから。そしてなにより彼らの「便利」はわたしにとっては何の魅力も持たないから。

まさかとは思うが、「みんなが持っているから」「みんなが便利だというから」というような理由で持っている人はいまい。

何故ならそれは「みなが生きているから生きている・・・」というのと何も違わないではないか。

「自明の事」とは何か?それは何ゆえに「自明」足り得るのか(自明足り得ているのか)・・・







4 件のコメント:

  1. 産経新聞の論説委員、長辻象平と云う人の記事が興味深いです。
    私はグーグルで産経ニュースの画面を出しました。そしてコラムをクリックし画面をスクロールしていくと連載・日曜に書くのところに、スマホは「神経寄生生物」か、と云うのがその興味深い記事です。
    受け止め方次第では、気味の悪い話でもあります。

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    1. へえ。日曜日のコラムですか?読んでみたいので、もう少し詳しく情報があれば教えてください。(何面のなんとうタイトルのコラムか、など)

      以前、産経の「モンテーニュとの対話」で「スマホ嫌い」という記事があったと教えてくれましたね。あれもいつか読んでみたいです。中央図書館に行けばバックナンバーが見られるのでしょうが、ちょっとここからは遠いもので、産経新聞に問い合わせてみようかな。売ってもらえるかどうか?

      yy8さんの意見も、もう少し詳しく聞きたいですね。



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  2. 私の根拠のない想像では、半分かそれ以上の人はみんなが持っているから、みんなが便利だというから、だから持ったのだと思います。そこでNicoさんの思考の流れに沿へば、みんなが生きているから生きている、と云う事になります。たぶん大ハズレではないかもしれません。だからそそれは、みんなが死ぬから私も死ぬのだ、と云う事になります。これもありそうです。

    私の弱い頭では、常識的な事柄は自明な事として、何の疑いもなく受け止めて生きてきたように思いますが、Nicoさんの考えに接していると自明と思ってきた事への問い、のような気持ちが起きてきます。

    また、Nicoさんにも一つか二つ出来る“仕事”があったら「生」に対するこうした「姿勢」は生まれなかったかも知れません。普通のただの人、になっていたかも知れません。

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    1. でもわたしからみるとそれってすごく不思議だし不気味だし、ちょっと理解を越えています。

      yy8さんは、「これは便利だし、これこれの理由であった方がよさそうだ」と、自分自身で「判断」してスマホを持たれたのでしょう?
      わたしはテレビを持っていません。自分には必要ないと判断したから。
      生活必需品は誰もが持ちますが、スマホやTVなどは嗜好品でしょう?
      その「嗜好」が、みな同じっていうことが理解に苦しみます。

      >それは、みんなが死ぬから私も死ぬのだ、と云う事になります。

      そう、裏返せばそうなります。正に15年戦争が、特に41年以降がそうでしたね。
      死ぬのを嫌がる者は「非国民」でしたね。
      だからわたしは「スマホは全体主義の象徴」だと思うのです。

      わたしは自分で納得できないと何にも出来ないんですよ。世間は世間。世間の考えがわたしの考えではありません。

      「普通のただの人」か、それもなんだかつかみどころのないイメージですね。
      普通のただの人ってどういう存在なのか、考えてみたくなります。

      コメントをどうもありがとうございました^^



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