2018年8月12日

罪と罰


「あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけは除いて」
                               ー エミール・シオラン 

もしもわたしが父親で、息子或いは娘が「死にたい」といったら。
わたしは決して彼らに「死ぬな」とは言えないだろう。
それは彼らをこの苦界に繋ぎ止めておく仕打ちに他ならない。
そんな権利は、親にはない。

「死んでほしくはないと思う。けれどもそれは親のエゴだから。君の自由にすればいいよ・・・」
もう20年ほど前、母はわたしにそう言った。
わたしはその後も生き延びてしまった。
現在80歳の母が亡くなった時、その日、わたしは死のうと思っている。
死ねるか死ねないか?そんな迷いなど全くない。
母の死と共に、わたしの存在理由は完全に消滅するのだから。
方法も問わない、その時既にわたしの「人間」としての内面は既に完全に崩壊しているのだから。飛び込むか、飛び出すか、飛び降りるか、縊死するか・・・要は死ねれば何でもいいのだ。
しかしそう長くはないにせよ、それまで生きられるか、自信がない。

母は生涯「母親となった罪」を背負って生きてきた。
そしてわたしも「子供となった罪」を負って。











2 件のコメント:

  1. この記事を見る限り、Nicoさんは心が定まっているように思います。

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    1. はい。このことに関してはそうです。

      ビートルズの兄弟バンド(?)といっても男性二人のデュオですが、ピーター&ゴードンというミュージシャンがいて、『愛なき世界』という曲がヒットしました。

      サビの部分が
      I don't care what they say I won't stay the world without love.
      「誰が何といっても構わない、愛のない世界に留まっているつもりはない」

      これはもちろん「男女の愛」でしょうし、「君がいなければ生きてはいけない」といったラブソングは数多ありますが、わたしにとって、母はこの世でただ一人、「わたしを知る者」なのです。

      かつて母に匹敵するような、母と同世代の「親友」がいました。
      彼女に去られて以降、わたしは徐々にこの世から距離を置くようになりました。
      そしてご存知のように、今、孤独に苛まれています。

      母がいなくなれば今度はこの世界から去る番です・・・

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