「あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけは除いて」
ー エミール・シオラン
もしもわたしが父親で、息子或いは娘が「死にたい」といったら。
わたしは決して彼らに「死ぬな」とは言えないだろう。
それは彼らをこの苦界に繋ぎ止めておく仕打ちに他ならない。
そんな権利は、親にはない。
「死んでほしくはないと思う。けれどもそれは親のエゴだから。君の自由にすればいいよ・・・」
もう20年ほど前、母はわたしにそう言った。
わたしはその後も生き延びてしまった。
現在80歳の母が亡くなった時、その日、わたしは死のうと思っている。
死ねるか死ねないか?そんな迷いなど全くない。
母の死と共に、わたしの存在理由は完全に消滅するのだから。
方法も問わない、その時既にわたしの「人間」としての内面は既に完全に崩壊しているのだから。飛び込むか、飛び出すか、飛び降りるか、縊死するか・・・要は死ねれば何でもいいのだ。
しかしそう長くはないにせよ、それまで生きられるか、自信がない。
母は生涯「母親となった罪」を背負って生きてきた。
そしてわたしも「子供となった罪」を負って。
この記事を見る限り、Nicoさんは心が定まっているように思います。
返信削除はい。このことに関してはそうです。
削除ビートルズの兄弟バンド(?)といっても男性二人のデュオですが、ピーター&ゴードンというミュージシャンがいて、『愛なき世界』という曲がヒットしました。
サビの部分が
I don't care what they say I won't stay the world without love.
「誰が何といっても構わない、愛のない世界に留まっているつもりはない」
これはもちろん「男女の愛」でしょうし、「君がいなければ生きてはいけない」といったラブソングは数多ありますが、わたしにとって、母はこの世でただ一人、「わたしを知る者」なのです。
かつて母に匹敵するような、母と同世代の「親友」がいました。
彼女に去られて以降、わたしは徐々にこの世から距離を置くようになりました。
そしてご存知のように、今、孤独に苛まれています。
母がいなくなれば今度はこの世界から去る番です・・・