2018年8月27日

「すべての絶え入るものをいとおしまねば」


尹 東柱(ユン・ドンジュ)詩集『空と風と星と詩 』金 時鐘 訳(岩波文庫)の冒頭の詩「序詩」

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
 星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風かすれて泣いている。

六行目の「すべての絶え入るものをいとおしまねば」

これは「すべての絶え入るものは愛おしい」或いは「すべての絶え入るものの愛おしさ」の方が、すっと心に入ってくる。何故なら「愛おしい」という自らの心に自然に湧き上がる情と、「ねばならぬ」という当為とは、相容れないものだから。

ただ、「すべての絶え入るものをいとおしまねば」── この(「当為」としての)言葉は、医療や福祉、介護に携わる全ての人たちの胸に納めておいて欲しい言葉だ。
それは医学生たちが先ず心得なければならないヒポクラテスの誓いといわれる、
"First Do No Harm" 「まずなによりも(患者に)害を与えるなかれ」 と同列に。


一~ニ行目の
死ぬまで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを

これはわたしには若々しすぎる 明るすぎる。

かつてネット上で、ちょっとだけ論争をした女性がいた。
彼女は、「自分は人によく向日葵のような人だと言われる」といい、「あなたは地を這う這松のようだ」と嗤った。しかしわたしはそれは的確な表現だと感じた。

背筋を伸ばしてすっくと立ち、光溢れる青空を見上げる姿よりも、項垂れ俯いて日蔭を歩く人の佇まいに、わたしは惹かれる。

より低く より弱く より小さくあること・・・

それが「すべての絶え入るものをいとおしむ」心に通じるように思う。

死ぬまで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを

嗚呼、眩しすぎますおいらには・・・










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