2018年8月21日

承認欲求とやら


若い頃から「最近よく目に(耳に)する言葉」というものが嫌いだった。
「承認欲求」という言葉を「最近よく」(・・・でもないが)目にする。
詳しい意味は解らないので、憶測で物を言うのだが、仮にそれが「わたしのことを認めてもらいたい」ということだとしたら、「彼 / 彼女」は、「わたし」の「何を」「誰に」「認めて」もらいたいのだろう。

これを単純に「好かれたい」という言葉に換えてみる。
何度も言うように、人は人に愛されることによって初めて「人」になると考えているわたしは、言うまでもなく人に好かれたい。

ところが、そう言いながら、人に好かれるための努力をしている様子はまるでないようだ。
スマートフォンなど絶対に持つ気はないし、いかなるジャンルであっても「巷で話題の××」とやらに首を突っ込むこともしない。
とにかくむかしから、能う限り少数派でありたいと思っていたし、”ME TOO!” というスタンスにどうしても馴染むことができない。

わたしはどちらかというと、”ME TOO!” よりも "ME NEITHER!" で意気投合するタイプだと思う。好きなことよりも、嫌いなことで意見が一致する。「わたしもそれキライ!」という方がいい。いっしょになってミドルフィンガーを突っ立てて「ケッ!」と、「FUCK YOU!」と言える相手が欲しい。

皆知っているようにわたしはフリーク(=異形の者)だ。そんなわたしを受け容れ、愛してくれる(=男女の恋愛に限定されるものではない)美意識の持ち主にわたしはめぐり逢いたいと日々願っている。

人に好かれる、或いは俗な言葉で「承認される」ということは、「わたしが」わたしではない別の誰かになって、認められ、愛されることでは決してない。

そう考えると、わたしは最初から「ノーバディ」などではなく「サンバディ」なのかもしれない。
生き辛さ、の風圧は、ノーバディであることよりもサンバディ=(わたしの場合はフリークであること)の方がより強いのかもしれない。

自分をメスシリンダーなり、ビーカーなり、グラスに注いで目の前にかざしてみたい。
「半分しかない」「三分の一しかない!」
でも大事なのは、グラスに半分でも、数滴でも、そこにあるのが何か、ということだ。

グラス一杯の水よりも、舐めるほどのウォトカが好まれる場合もあるし、その逆も。
ただ、白状すると、今はどっちも切らしてるけどね・・・


Leonard Cohen - Everybody knows

レナード・コーエン「エブリバディ・ノウズ」(1988年)

1990年の映画、『今夜はトークハード』(Pump Up the Volume)=〔ボリュームを上げろ!〕ではじめてこの曲(声)を聴いた時は衝撃だった。

読書好きで作文(英語ではエッセイ)の得意な大人しい高校生が、夜な夜な自宅の地下室で海賊放送(ラジオ)を流す映画だけど、もう何度観たかわからない。

わたしのフェイヴァリットムービーのシーンを。
こういう世界に未だに憧れてます。


映画の中で、彼が図書館でレニー・ブルースの自伝、『奴らをしゃべりたおせ!』を借りるシーンがあるんだけど、ダスティン・ホフマン主演の『レニー』もよかったね!

やっぱりちょっと毒がないとね。

ちなみにスザンヌ・ヴェガによると、レナード・コーエンは、
「スカートの中に手を入れながら哲学を語る男」だ、そうです。

























4 件のコメント:

  1. 僕は自分の色を出そうとしても、結局その他多数になる事多い気がします。
    新しいコンビニの商品をいち早く試すとか・・・
    巷で話題の〇〇とかかなり気になるタイプだと思います

    返信削除
    返信
    1. はじめまして。

      別にそれが悪いというわけではありません。ツチノコさんはまだ若いのだから、古いもの好きの変わり者の中年とはいっしょにならなくて当然です。
      それに皮肉ではなく、その方が、友だちはできやすいと思います。

      わざわざコメントをありがとうございました^^

      削除
  2. 【Everybody knows】は控えめで低い声のトーンと伴奏のストリングスがいいね。テンションが高すぎないところがいい。わたしはエブリバディに知ってもらおうとは思わないけれど、サムバディを求めています。最近は気力も体力もなく、毎日、1日をやりすごしているだけです。苦しくもないけれど楽しくもなく、生きるのにも死ぬのにも不熱心なまま、退屈な日々を怠惰に過ごしています。9時から14時までの仕事が終わると【引きこもり】です。新聞も読みません。テレビも観ません。ネットもしません。能動的に音楽を聴いたりもしません。もちろん出かけもしません。これで生きてゐると云えるのか、というぐらいの生活をしています。

    わたしもともだちが欲しいです。最近ちっとも笑ってません。愛されないから愛せません。誰からも必要とされないから消えたいです。.シケたコメントをしてすみません。愛知県は今日も37度で、まだまだ暑いです。

    返信削除
    返信
    1. こんばんは、瀬里香くん。

      「苦しくもないけど楽しくもない」という科白はキミからは初めて聞いた気がします。
      ずっと布団から起き上がれないほど苦しい時期があったでしょう。
      でも今は仕事もできている。仕事で体力・気力を使い果たしている、ということはないのかな。

      これで生きていると言えるのか?はまったく同じです。なにをしているしていないにかかわらず、気分として。

      就職が決まってFBでみんなと仲良くやってるもんだとばかり思ってたけど。
      それに暑いのが好きだと言っていたように思うので、そういう状態とは全く知りませんでした。

      友だちに関しては、いるんじゃないですか?ネットの友達ではなく、本物の友達が。
      わたしは文字通り友達がいないので、最近は「雑談」をするために「いのちの電話」にかけています。保健所や精神保健福祉士とは「病気」に関することしか話せないからね。

      「友達」の定義、自分が「友達」に求めるものはなにか?
      どうしても基準は生涯ただ一度だけ持った「親友」との時間になってしまいます。

      シケたコメント大歓迎です。それからわたしは瀬里香くんの友達だと思ってるよ。
      まだ会たことないけど。

      気温の変化になかなかついていけません。東京も今日はまた暑い一日です。

      いつでも気軽になんでも書き込んでください。

      どうもありがとう。また話しましょう^^

      削除