2020年8月31日

無題


『カラマーゾフの兄弟』の中のイワンの議論。「この壮大な塔の構築によって今まで見なかったようなどんな素晴らしい光景があらわれるとしても、それがただひとりの子どもにただ一滴の涙を流させずにはあがなえないものなら、ぼくはお断りするね。」
 わたしはこの意見に全く固執する。ひとりの子どもの一滴の涙をつぐなうに足るものとして、たとえ人がどんな理由を持ち出してくるとしても、わたしはこの涙を容認することはできない。知性によって考えつくことのできる限りのどんな理由であろうと、絶対に。
ただひとつの理由だけを除いて。ただしそれは超自然的な愛によってのみ理解できるものである。すなわち神のみこころであったということである。そしてこの理由のためならば、わたしは子供の涙はおろか、悪にすぎないような世界をも受け入れるだろう。
ー シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』田辺 保 訳


この場合、イワン・カラマーゾフのいう「壮大な塔」とは何を示しているのか?
また「子供の涙」とは?

仮に「子供」というものを「地上で最も弱い存在」の表象であると仮定してみよう。
であるならば、シモーヌ・ヴェイユの善の、或いはモラルの規準はもっとも弱き者の存在を起点としている。しかしもっとも弱き者が最も正しき者であるという法則はどこにもないはずだ。
けれども、我々は最も弱き者を最も正しき者と見做さなければならないだろう。
だが一方で、もし弱き者の一滴の涙が、塔の建造を中止させるに足るほどに万能であるのなら。最早それは「最も弱き者ではない」

イワン・カラマーゾフは、シモーヌ・ヴェイユは「弱き者」を偶像化してはいないか?
偶像化することによって、弱者を強者の位置に置き換えてはいないか?
どんなに涙を流しても決して誰からも顧みられない者・・・それこそが真の弱き者ではないだろうか?

もしも「救済」というものが、あらゆる子供の目から一粒の涙も流れない世界を創ることであるのなら、わたしはそのような世界はお断りする。

ヴェイユに反して、わたしはイワン・カラマーゾフの言葉よりも、

「しかし悲しみをおつくりになった神は、我々よりも賢明なお方ではないのでしょうか?」

というオスカー・ワイルドの童話の中で語られている言葉に共鳴する。

神という存在についての議論は、我々が遂に民主主義というものを理解し得ないのと同じく、到底わたしの理解の能力を超えている。
我々は「神」の文化圏にも「民主主義」の文化圏にも決して属してはいない。











2020年8月30日

「肉体的苦痛」と「精神的な苦痛」


肉体的な苦痛はわれわれを激しく苦しめるが、それ自身として完結している。
一方精神的な苦痛は、主に「他」によって齎されたものだ。
それは我々に苦痛と同時に、憎しみ・憎悪の感情を植え付ける。
それは我々に苦痛に耐えることを求め、一方で、苦しみの源となるものの排除を求める。
そしてその排除の不可能性こそが遂に苦痛そのものになる。











再掲 〈怒らないのか? 怒れないのか? 怒りたくないのか? 怒っているつもりなのか? 日本の限界について〉  


以下2018年の4月に投稿された記事を前の投稿の補足として再掲します。



「怒らないのか? 怒れないのか? 怒りたくないのか? 怒っているつもりなのか? 日本の限界について」
  

本日四月二十日付朝刊に、哲学者鷲田清一氏の、「「いま」が閉じ込める - 繋がらない怒り」という論考が掲載された。

鷲田氏は、まず、「緩和ケア」について、かつてホスピス医療の先駆者と言われる医師に「何故痛みは緩和されなければならないか」、と問われたことを思いだし、その時に答えた自分の意見から書き起こす。

「激痛は人を「いま」という瞬間に繋ぎ止める。つまり人から過去と未来を奪うからではないか?」と鷲田氏は考える。
人の存在には今現在のみではなく、過去から未来へと流れゆく時間の持続・継続が不可欠である。それに対して、激痛は人の意識を「いま」そして「ここ」に縛り付ける。それは人間の尊厳を冒すゆえに、痛みは取り除かれなければならない。

要約すると鷲田氏はそのように医師に答えたという。

この話を思い出したのは、時間の「庭」が狭まるという同じことが、この時代、それと気づかれることなく人々の意識の中で進行しているように感じていたからだ。
かつての政権ならとっくに崩壊していて不思議ではない、そんな「疑惑」がぼろぼろ出てくるのに、それへの怒りは募っても、「うんざり」とはこぼしても、それが沸騰点に達するまでには至らない。「我慢の限界」というその限界が消失したかの感すらある。
 (略)
記憶を過去から引きずる、希望を未来へとつなぐということがなければ、限界の意識もまた生まれない。時間が、「庭」を失い「点」の連続になる。それは政治的な判断も、市場での決定も、そして「国民」の意識も、きわめて短いスパン、そして狭い場所で動くということだ。「またか」とため息をつくのは、いまだそれぞれの「点」の継起のままで、ひとつの出来事として繋がれていないからだ。
怒りと憎しみ(ヘイト)はその攻撃性に於いて似たところがある。違いはといえば、憎悪(ヘイト)が(比較的境遇の近い)特定の他者との比較に於いて最も激化するのに対し、怒りはこの社会への「義」が損なわれていることへと向かうところにある。怒りに今憎悪のような火が付かないのは、憎悪が自分(たち)の存在が蔑ろにされているところから発するのに、「義」が蔑ろにされているという感覚がまだ限界点にまで達していないから、つまりそのことに自分たちの存亡がかかっていると人々がまだ感じていないからではないのか。
憎悪は人々を分散する。それに抗して、「怒り」をいま、どのように意識し、表現するか、そこにデモクラシーに懸けようとするする「国民」への試練があると思う。

わたしはこの論考を読んで、なんとも腑に落ちない思いがした。

前半の「緩和ケア」について、「痛みは人を、いま・ここに閉じ込める」という点には同感だが、その話を後半につなげるにはどうも流れがスムーズではない気がするのだ。

鷲田氏の論考はあくまでも一般論に留まっていて、「日本人の特殊性」というもの捨象しているように思える。

「「我慢の限界」というその限界が消失したかの感すらある。」
というが、こと日本人に於いては、限界点や沸点などは、あたかも逃げ水のようにどこまでもどこまでも遠ざかって、決して辿りつくことの出来ない幻のようなものではないのか。

激痛は人を「いま」「ここ」のみの限定的な存在にさせる。そして現代人は専ら「現在(いま)」を生きる存在であることを以て自ら任じているのではなかったか?
四六時中携帯用端末と共にあり、常に今を確認し、一時間後、二時間後の「今」を確かめる。そのように「今日」(そして「明日」になればまた、新たな「今日」)という「継起する今の連続体」を生きるわたしたちに、いったい「追憶する過去」や「夢を見る未来」といった「流れを持った時間」などというものが存在し得るのだろうか?
「永遠とは、永遠に続く現在である」といった哲学者は誰だっただろうか。

最早われわれ現代人の生は「点」の連続でしかありえない。

また鷲田氏は、あたかも日本が民主主義国家であるかのような前提に立って議論を進めている。

「義」が蔑ろにされているという感覚がまだ限界点にまで達していないから、つまりそのことに自分たちの存亡がかかっていると人々がまだ感じていないから・・・

社会の「義」が蔑ろにされているという意識は、そもそも社会には「義」が存在するという前提が必要になる。すなわち、民主主義や、良識、社会のあるべき姿というものが、市民の中に内面化され、暗黙裡に共有されていなければ、もとより「怒り」は発生しない。けれども現実に日本は真の民主主義体制の国家ではない。であれば、社会の「義」が危機に瀕しているという切迫した危機感が生まれるはずはなく、危機感のないところに当然それを破戒する者への「怒り」は生まれない。

先日ツイッターで、誰かが、国会前のデモを「暴徒」であると言っていた、それに対し、デモ派は、「暴徒が大人しく五時で引き上げまっかいな」と返答していた。
ここに端的に、日本人の「逆鱗の欠如」が露呈してはいないだろうか。

彼らは怒れないのか、或いは怒りたくないのか、それとも怒りを知らないのか、それはわからない。けれども国会を取り囲む人たちは「自分たちは決して暴徒ではないのだ」という。
ここに日本の民主主義の、別の意味での「限界」が垣間見える。


「不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。」


" When there was only injustice and no resistance." (英訳)

" Wenn da nur Unrecht war und keine Empörung." (独=原詩)

ー ブレヒト 「のちの時代のひとびとに」


嘗て辺見庸は「反抗」が「暴動」であったらよかったのにと書いた。

そもそも政治が法を蹂躙し、苛斂誅求を極める今この時でさえ、「彼ら」はあくまでも「法に則って粛々と」デモをするという。
「暴徒」呼ばわりは不愉快だと。

流れゆく時間も、存在している空間も無い「ただ今この時の怒り」に己の存亡、その全存在を懸け、この一点を無限に拡大することなしに、怒りの沸点は決して発現しない。
けれどもそれは無理というものだろう。「彼ら」にはデモが終わった後の予定があり、翌日の都合があって、週明けの仕事について準備しなければならず、そのために自分のスケジュールを遺漏なく管理してくれる便利な機械を手放すことはないのだから。

「今」が突き崩された時、明日はないのだということまでは、スマートな機械は教えてはくれない。












「番外編」ひとり居酒屋政談・・・


安倍総理の辞任を承けて、いくつかの政治系ブログを散見した。というよりも、実際には順番が逆で、ある契機で政治系のブログを覗いていて、そこで初めて安倍が辞めるということを知った。

もともと全くと言っていいほど政治に関心がないせいか、猫額洞をはじめ、どのブログをみてもなにひとつ頷くところはなかった。

そもそもわたしはいつも言っているように、テレビを視る習慣もないし、ラジオも聴かない、新聞も読まない、インターネットでは主に海外のアート系ブログを見ているか、たまに精神障害の方たちのブログを読む程度。ネットニュースに関心はない。SNSは大嫌い。
何よりも情報をインターネット上で蒐集するという横着さが大嫌い。

ことほど左様に情報に関しては無知なので、政治に関して何事かを語る資格がない・・・「シカク」?政治に関して語る資格がない?ではいったい誰ならその「資格」を持つのか?政治評論家か?ブンカジンなどと総称される一群の人たちか?いったいどれほどの知識と情報量が語る資格の目安になるのだろう?



とりあえず無資格のまま思ったことを放言させてもらうなら、先ずわたし個人はアベが辞めたからといってなにも感じないということ。何故「政治家」乃至「政権・政府」と「国民」を分離して考えるのか?かつて書いたことがある、安倍政権がこれだけの高い支持を保ちながら政権の座に留まっているのは、この政権が嘗てなく、ニッポンジンのメンタリティーと相性がいいからではないからではないか、と。その考えは今も変わらない。
安倍総理は「膿を出し切る」と言った。そしてその通り、安倍の下で、日本人の膿はジュクジュクと滲み出てきた。拭き取るそばから滲み出てきた・・・これは決して安倍政権の「膿」ではない。日本人の、日本民族の「膿」であり「爛れ」である。

そもそもの発想がさかしまなのだ。アベがあって、いまの日本という国があるのではない。
日本という国が安倍(ないしアベ的なるもの)を産み出したのだ。
その母体が、その土壌が盤石である以上、永遠に安倍的なるものが産出し続けられるであろうことは子供にもわかる道理ではないか。

安倍が辞めたと小躍りしている連中はわたしの目にはただただお目出度い人たちにしか映らない。

ではどうしろというのか?

日本は永遠に変わらない。その事実を認めることだ。

日本は所詮ゼネストを起こすことも、数百万規模のデモをぶち上げることも、暴動を起こすことも、街を破壊することも、警官隊と正面からぶつかることも出来ない。韓国にも、香港にも、フランスにもなれないのだ。

民主主義?身の程を知ることだよ。

わたしは安倍に期待していた、この国を亡ぼすことができるのは安倍しかいないだろうと、滅ぼすとはもちろん日本民族の滅亡に他ならない。

ゼネストもしない、大規模デモも出来ない、破壊活動も、暴動も起こせないで、
スマホでツイッターとやらにチマチマと正論めいたきれいごとを発信しているだけのしょぼい邦なら、なくなったって大差ないだろう?


ー追記ー

では猫額洞さんにお聞きします。何故「SNS」と政治活動を同列に扱うのでしょうか?ひょっとして「SNS」が「文化」であるとでも?
ツイッターで政治が変えられるのであるなら、何故フランス人は、香港の市民は、韓国民はわざわざ血を流し汗を流したりするのでしょう?
「我々のように」極めて有効にSNSを使いこなせない遅れた人々=野蛮人だからでしょうか?

(ご存じでしょうが、シュールレアリズムは「あらゆる有用性への反抗・反逆」がその宣言の要旨です。単純に超現実主義を「政治」と対置する「文化」の枠内に嵌め込むことには無理があると思います。シュールレアリズムは「文化という有用性」からも自ら一線を画しています・・・猫額洞さんの言葉を借りるなら、シュールレアリズムは人間の生活一般からも自らを隔てています。)



つぶさに読まなかったので不正確な物言いになるが、日頃わたしが「『敬して遠ざける』ではなく「軽して(=軽んじて)」遠ざけて」いるブログで、永井荷風を「反骨の人」などと言ってはいなかったか?へえ。「反骨の人」がヒロヒトなり時の総理大臣に深々と頭(こうべ)を垂れて三拝九拝して勲章を押し頂くのかね?


* *


以下、2015年10月に書いた記事を引用します。


「背徳」と「反時代」の潰え・・・

金子國義の死を知らなかった。偶然あるサイトの古い記事(2015.3.18)で知った。好きな画家のひとりだった。
そのサイトの記事には次のような一文があり、
その一文にひっかかっている。
「...親友であり、人形作家でもある四谷シモン氏は、Twitterですぐに反応し、深い悲しみと追憶が混在した内容をツイートされていました。」
なにがへんなの?と思う人も多いと思う。
四谷シモンといって、すぐに連想するのは、ハンス・ベルメールの球体関節人形だ。
「有用性を追い求め続ける世界に対して、徹底した無用性で応えた」ベルメールの、あの不思議な人形たち。

四谷シモンという人についてはよく...というよりもあの人形のこと以外はなにも知らないけれど、
「金子國義の死への哀悼と追憶をツイート...」というところがとても薄気味悪く思える。
同じサイトに、携帯電話すらなかった時代にこの世界を去っていった澁澤龍彦が、金子國義の個展、『花咲く乙女たちのスキャンダル』に寄せた文章が載せられている。

そこには

「私が興味をいだくのは、おのれの城に閉じこもり、小さな壁の孔から、自分だけの光り輝やく現実を眺めている、徹底的に反時代的な画家だけである。
金子國義氏が眺めているのは、遠い記憶の中にじっと静止したまま浮かんでいる、幼年時代の失われた王国である。
(中略)
前衛亡者の騒々しいスキャンダリズムに不感症になった人は、この歴史とともに古い、俗悪なほど純粋な、痴呆的なほど甘美な『花咲く乙女たち』の桃色のスキャンダリズムに腹を立てるが良い。」

というようなことが書かれている。

わたしのなかでは、一人の異色・異端の芸術家であった金子國義という人物と彼の作品、その別れに際してのツイッターでの哀悼というのがどうしても齟齬をきたしてしまうのだ。
彼のファンたちの間で、四谷シモンのツイートは瞬く間に、相当な数でリツイートされたのだろう。それこそが金子國義の絵や、ベルメールの球体関節人形以上の不気味さを醸し出す。

親友であったものがツイートして哀悼の意を表す、ということは、金子國義自身も生前、ツイッターをやっていたのかもしれない。

「私が興味をいだくのは、おのれの城に閉じこもり、小さな壁の孔から、自分だけの光り輝やく現実を眺めている、徹底的に反時代的な画家だけである。」
澁澤の言葉がいつまでも胸の奥に虚ろに木魂しているようだ...反時代とはなにか?

しかし、そんなことはどうでもいいことなのかもしれないという気だるくけうとい気分が胸の中に居座っていることも事実なのだ。すべては流されのみこまれてゆくだけなのだから...

反時代も、背徳も、反逆、反抗、異端、不逞...すべては後ろを振り返って一抹の哀惜とほろにがい胸のざわめきとともに脳裏に浮かべる、今は無きうたかたの美徳に過ぎないのだから...

「遠い記憶の中に、じっと静止したまま浮かんでいる、幼年時代の失われた王国」なのだから...

ツイッターで友の死を語ることを「冒瀆」と見做すものは、もはやわたししかいないのだから。












2020年8月29日

お詫び・・・


今朝(昨夜)もまた、どなたかが過去の投稿を閲覧してくれました。
主に昨年に書かれたものがいくつか読まれたと、ブロガーは伝えています。
勿論何処の誰が読んでくれたのかまではわかりません。日本の方ではないかもしれない。

2018年から初めて、これまでに900を超える投稿があるのだから、そのほとんどを忘れてしまっています。しかし先日も書いたように、誰かが閲覧してくれた過去の投稿を見ると、今年よりは昨年、昨年よりは一昨年の投稿の質が高いことを感じるのです。
裏返して言えば、おととしよりも去年、去年よりも今年の文章のクオリティーが目に見えて落ちているということです。

コメントでの瀬里香さん、yy8さん(ヒロさん)とのやりとりも、昨今のように堅苦しくない。そしてこれも先日書いたことの繰り返しになりますが、昨年1月に投稿された「この不思議な世界2」のコメント欄での底彦さんとのやり取りを振り返って、とても今の自分にはこんな会話はできないと強く感じています。おそらくいまでも底彦さんはこの時と同じように語れるでしょう。けれどもわたしは今読み返して、「これが自分の書いたものか?」と訝しく思えるほどに思考力も文章の質も低下しているのです。

子供の頃、まだ白黒のテレビで見たドラマで、いまでも印象に残っているシーンがあります。演じているのは益田喜屯(ますだきいとん=もちろんバスター・キートンから来ています。今の若い人は、クレージー・キャッツの故、谷啓が、やはりアメリカの喜劇(?)俳優ダニー・ケイをもじったものであることも知らないでしょう。そもそも、上に挙げた誰の名前も知らないかもしれません。)
よく憶えていませんが、ドラマで益田喜屯は、やはり老人でした。そして昔はそこそこ名の知れた手品師だった。偶然主人公の少年と知り合った老マジシャンは、子供の頼みに折れて、少年の友達の前で手品を披露することになりました。
放課後、空き地だったか、雑木林のようなところだったか、少年が数人の友達を連れてやってきます。けれども老人は手品を始めようとしません。少年が老人の傍に行き、「どうしたの?」と小声で尋ねます。老マジシャンは子供の方を向き、うつむきながら「できないんだよ」と呟くのです。
できないとはできなくなってしまったということ。その時の喜屯の寂しげな表情が忘れられません。

わたしもいま、年々できなくなったことが増えています。年を取るということはそういうことです。さびしいことです。嘗て少年だったわたしは今は衰えた老マジシャンです。

ZAにこう言います
「かつて私はおまえだった。そしてやがてお前は私になる」


いま、このブログが読むに価するものであるのか?書き手であるわたしにはわかりません。わたしはただ、書く必要を感じるから書いています。
けれども、もしいまだに、このブログを継続して読んでくれている人がいるとしたら、
そしてもしその人が、わたしの過去の投稿を知っている人であるなら尚更、
お礼よりも、むしろこの拙いブログのお詫びを言いたい気持ちなのです。










年年歳歳街、ひと、同じからず・・・


Prinsenhofsteeg, Amsterdam, 1949, Ed van der Elsken. Dutch (1925 - 1990)


”The only escape from the miseries of life are music and cats…”

 Albert Schweitzer


人生の惨めさから逃れるただ一つの道は音楽と猫だ

アルベルト・シュヴァイツァー


40代に6年間、親友と呼べる女性を持つまで、ずっと孤独だった時、自由に外に出ることができたのは「音楽」という「友」があったからだ。
具体的にはそれは「カセット・ウォークマン」と呼ばれていたり、コンパクトCDプレーヤーと呼ばれるモノだった。

勿論今と違って、大田区に住んでいた頃は地の利があり、銀座・京橋方面に行くにも、日比谷・神保町界隈に行くにも、渋谷・新宿方面にも、大体30分かそこらで行くことができた。そして毎度の繰り返しになるが「銀座」はまだ「銀座」であり、新宿渋谷は新宿であり渋谷であった。

「人生(の惨めさ)から逃れる手段としての音楽」と、シュヴァイツァー博士は言う。
けれども、わたしにとって一時期・・・いや、これまでの人生の長い期間、音楽は、「人生へと逃れる方法」= ” Escape Into Life ” であったのだ。

わたしは音楽とともに、自由に、ほんとうに自由に何処にでも行くことができた。そしていつでも孤独だった。

そしていま、わたしが逃れるべきなのは、「人生から」であるのか?
寧ろわたしは今でも「エスケープ・イントゥ・ライフ」=「人生へ逃げ込め!」だと思っている。

だがそう思い、また願ってはいても、それが現実に可能だとは思わない。思えない。

いまのわたしは電話の掛け方すら知らず、外で音楽を聴く方法などまるで分からない。
世の中はわたしのように知的な障害を持った者にとって、以前とは比べ物にならないほど難解な仕組みになっている。

子供の頃、10代の頃、世界はもっと単純だった。大人になるにつれて、世界はどんどん複雑怪奇になっていった。そういうことは誰しもが感じることだろう。
けれどもわたしに関していえば、年を経るにしたがって世界が複雑に、難解になっているというのは、そのような一般的な、誰もが身に覚えのある経験とはおよそ次元を異にしている。

今では最早人生が自分の手の届くところにあるという実感すら、持つことができない。
そして「人生に手が届かない」という感覚は、おそらくは、正しいのだろう。




I really Don't Know Life at all... 












2020年8月28日

無題


もし誰かがわたしに、「あれも失い、これも失い、それでも守らなければならない自分ってなんだ?」と訊いてきたら、わたしは即座に答えるだろう。
「自分を失ってまでも守るべきものって、なんだ」と・・・






デイケア、生活の立て直し・・・


9月の3日までにデイケアを継続するか、これっきりにするかを決定しなければならない。連絡しなければ自動的に利用停止になる。
一昨年の秋、デイケアの体験参加に2回。その後、この患者を受け入れるかどうかの「審査」に約2ヵ月。その間わたしはどうせ参加が認められるはずがないと不貞腐れていた。そして昨年1年間、月に3回くらいの頻度で主にディスカッション系のプログラムに参加してきた。みな病んでいる分だけやさしい人たちではあるけれど、本質的にはやはり「心を病んだ普通の人々」という印象が強く残った。精神障害イコール「奇異」というイメージが付き纏うのかもしれないが、その点ではわたしひとりが奇異で特異な存在であったかのもしれない。



来る日も来る日も毎日がつまらなくて時間を持て余して仕方がない。
こうもつまらない毎日を送っているのは世の中でわたしと弟だけなのだろうか?

やるべきことはあるのだろう。けれども、何ひとつ面白いこともなく、ただ「やるべきこと」のみがある人生なんて・・・

或いはほとんどの人生なんて結局 'Have To' でしかないのだろうか?

太宰やシオランのいうように、「生まれてきたのが運の尽き」なのだろうか?

人生のたのしみってどこかに転がっているものなのだろうか?

それとも、努力して獲得するものなのだろうか?

このような疑問にはいったい誰が応えてくれるのだろうか?

「自分が何を欲しているのかがわからない」

「何をしても面白く感じられない」

「生きていることがつまらない」

正にこれこそがあなたの「病気」、「症状」なんですよ!

果たしてそうだろうか?だとしたら、わたしは高校を卒業して以来、一日たりとも正常であったことはないことになる・・・











2020年8月26日

「汚れ」が嫌われる時代


Three kids, dirty faces, 1949, Rae Russel.

*

” I hate the world. Everything comes into it so clean and goes out so dirty. ” 

Cornell Woolrich. 'Cover Charge' 1926 


*  * 


おれはこの「清潔さ」が蔓延り、汚れたもの(者)が駆逐されてゆく世界が嫌いだ。

コーネル・ウールリッチ


誰かがいってたっけ、「昔からいつもひとは「昔はよかった」って言い続けてきた。
だとしたら、今は相当ひどい時代になってるはずだけど・・・そうじゃない。」って。

今が相当ひどい、末期的な時代であると思わない鈍感さと底抜けの楽観主義に呆然とする・・・


ー追記ー (2018年8月8日投稿より)

先週の新聞の四コマ漫画の意味が解らなくて、東京新聞に問い合わせた。

一コマ目「主人公の女の子とネコが散歩していると、近所のおばさんが電柱に霧吹きで水をかけている」

二コマ目「何やってるのと訊くと、おばさんは、散歩させている犬が電柱におしっこしたから水をかけているのだという」

三コマ目「女の子がそれを貸してという。おばさんは不思議そうな顔をする」

四コマ目「女の子が霧吹きで自分の顔に水をかける。「こうすると気持ちイイ!」」

新聞社の担当は、わたしが最後の女の子の行動が解らなかったと思ったらしい。
そうではない。何故、犬が電柱にオシッコをした後に水を流すのか?と訊いた。
向こうはそんなこともわからないのかといった調子で、「飼い主のエチケットです。マナーです。今はみんなそうしていますよ」

ショックだった。

トム・ウェイツに”レイン・ドッグ”という歌がある、自分の付けた道しるべを雨に流され、帰る道を失って途方に暮れる ─── 自分を支えてくれるように思えたいくつかの出来事も、街の佇まいも、文化の在り方も、生活の作法も、一夜のうちに消されてしまう。そして帰り道を無くした犬のように、往くべき道を見失う・・・

かつてそうでなかったものが、「汚れ」或いは「穢れ」と見做されるようになり、街中が滅菌、消毒、消臭され、人びとはこれで清潔キレイになったと安心する。それはどこか、犯罪者のあわただしい大量消去に似てはいないか。
「汚れた臭い無宿人」たちの強制排除の心性と通底していないか。

「市場のあるところ詩情なし」自分の美意識と背馳する世界に尚生きたいのかという、根深い問いかけ、懐疑があるのだ。

そこで戻ってくるのはまたしても「動物園の檻の中での健康」「囚人としての刑務所の中での健康」といういつものアポリアになる。












音楽家とは・・・



Arturo Toscanini
“ Which would you prefer to be a Conductor or a Pianist ?”


Granddaughter Sonia
“ A Conductor!, It is easier ”

*

A.トスカニーニ

もしなるとしたら指揮者とピアニストのどっちがいい?


孫娘 ソニア

もちろん指揮者よ!簡単だもん!








2020年8月25日

このブログについて


Têtes de femmes en camée, Georges De Feure (Paris 1868 - 1943 Paris)
- Gouache -

*   * 

“Art is the only way to run away without leaving home.”


”アートは家に居ながら「逃げ出す」ただ一つの方法”


Twyla Tharp (American Dancer, born in 1941) 









「魂」について


不思議なのは魂である 完(まった)い魂は腐(くた)れている。
砕けているときのみ 魂は完全である


ー八木重吉


*   *


奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の
たまちるばかり ものな思いそ


(激しく流れ落ちる滝の水が玉と散るごとく、自分の魂を砕け散らすほどに物思いにふけらぬほうがいい。それはあなたの破滅なのだから)


*玉に魂を掛ける


ー和泉式部


*   *


Presonnage, 1989-1998, Zoran Antonio Mušič (1909 - 2005)
- Oil on Canvas -










2020年8月24日

Edith Piaf - Les Trois Cloches




エディット・ピアフ「谷間に三つの鐘が鳴る」

(三つの鐘 ー「誕生の鐘」「結婚の鐘」「弔いの鐘」)










ふたつのわたし


Yasuzo Masumura, Aozora musume (a.k.a. The Blue Sky Maiden), 1957


” That’s the place to get to—nowhere. One wants to wander 
away from the world’s somewheres, into our own nowhere. ”


D.H. Lawrence. Women in Love, 1920


*


ある外国のブログを眺めていたら上のような投稿が目についた。
写真は増村保造監督の『青空娘』のスチル。

その下にD.H.ローレンスの小説からの引用がある。

正確に日本語に訳することができないが、自分の内側にある「何処でもない場所」この現実の世界、そして現実にある「どこか」から逃れて、ひとり彷徨うことのできる場所・・・この女性はいまそこにいるのだ・・・というような意味のことが書かれている。

興味を惹かれたのは、以前自分のブログに似たような投稿をしたからだ。

Calvary, Tata, Hungary, 1955, Vilmos Zsigmond (1930 - 2016)


適当な引用句が見つからなかった(探さなかった)ので、わたしはこの投稿のタイトルに
- Reading what ? 
- Own mind ...
「何を読んでいるの?」
「自分の心を・・・」と書いた。

この投稿をする時に、既に上のD.H.ローレンスの言葉を知っていたとしても、やはりこの写真には使わなかっただろう。

「何処でもない場所」「誰でもない自分」というよりも、彼は社会の中での、Someone else...「自分ではない誰か」という役割から離れて、今やっと「自分になれる時間」を持つことができている。わたしは「自分を無にする」というよりも、どちらかというと「自己の裡に沈潜する」というイメージが好きだ。

仰向けの女性と、うつ伏せの男性・・・内なる星を数えるには空を見ていてはできない。

現実社会という軛から逃れた時に、あなたは、無憂の(或いは無私の)境地に遊ぶか、それとも、深く自己の裡に沈んでいくことを選ぶのか・・・









Fragility


Untitled, ca 1931, Ladislav Emil Berka


” Human existence is so fragile a thing and exposed to such dangers that I cannot love without trembling. ”

— Simone Weil. Letter to Gustave Thibon.


*   *


人間の存在はあまりにも脆く、あまりにも危険にさらされているので、わたしは震えずにはそれを愛することができません。


シモーヌ・ヴェイユ


ギュスターヴ・ティボン宛書簡









2020年8月23日

隠花植物



Untitled (dandelion in between cracks of pavement), N.D. Vivian Maier
- Vintage gelatin silver print -

*

” The earth is like a child that knows poems by heart ”

― Rainer Maria Rilke

地球はまるで子供のようだ。詩というものをこころで知っている

ライナー・マリア・リルケ

* *

けれどもわたしは大都会のアスファルトの裂け目から芽吹く花を見て、
その横溢した生命の力、その一途な向日性にある種の怯みを覚える。


かくも疑う所のない生命の肯定に。


果たしてそれが「詩」であるのか?













Summer, 1911, Nikolai Bogdanov-Belsky (1868 - 1945) - Oil on Canvas -







Mountains and peaks in the Alps, 1894-1896, Emil Nolde. (30 Postcards)











Study for floral ornament, 1899, Augusto Giacometti (1877 - 1947) - Pencil and Watercolour on Paper (front), Ink on Paper (reverse side) -











2020年8月22日

残暑(酷暑の)お見舞い申し上げます。 山下清 (1922 - 1971) 「花火大会」



Fireworks in Ryogoku

「両国の花火」


Fireworks in Nagaoka

「長岡の花火大会」


Fireworks in Tondabayashi

「富田林(大阪)の花火大会」









人を泣かせること



 Onions, ca 1900, Charles Harry Jones (1866 - 1959)
- Gelatin silver printing-out-paper print -

”Onion can make people cry but there's never been a vegetable that can make people laugh.”

Will Rogers

*

「玉ねぎは人を泣かせる.。けれどもこれまで人を笑わせる野菜はなかったはずだ」

ウィル・ロジャース









2020年8月21日

「この不思議な世界」追記


先の「認知行動療法への懐疑ー間違った存在(追記)」に続いて、どなたかが、また過去の投稿を閲覧してくれた。「この不思議な世界2」という昨年1月の投稿である。

わたしはもう書いたはじから忘れてしまうので、過去に自分が書いたことを、誰かに教えられるということはとてもありがたいことなのだ。

「この不思議な世界2」で書かれているのは「自明性の喪失」或いは「予め喪われている自明性」についてである。

わたしにとっての「あたりまえの「自明性」」がわからないということは、たとえば、「何故いまは今であって、過去ではないのか?」という時間の連続性の断絶にある。

わたしはいまこの時代というものを受け容れることができない。もっと過激な言い方をするなら、今この時代を「あたりまえのように」受け容れている人たちをも、受け容れることができない。

わたしがデイケアの参加者たちと共にいて、また多くの当事者の書いたブログを読んで、気が滅入るのは、そして自己の存在が異質に感じられるのは、少なくとも、「いまがいまである」ことを不思議であると思っている人を見たことがないからだ。

「いまが過去ではない」ということを全く「自明の事」として「当たり前に」承認しているからだ。

わたしは先に「アウトサイダー」とは畢竟「人間の営み」というものをまったく理解し得ない者ではないかと言った。いうまでもなくそれはわたし自身の存在を起点にした発言である。── 多くの「精神障害者」と呼ばれる人たちは、わたしとは大きく異なる存在、「心(精神)を病んだ(精神に傷を負った)ごく普通の人々」であった。

であるからこそ、彼らは「自明性」が「自明性」以外の何ものでもない世界へ回帰したいと願うのではないか?

この本で特筆すべきは、木村敏が、自分も所詮は1=1の世界に住む、ひとりの正常者に過ぎず、彼らの苦しみを真に理解し得ない存在であるという厳然たる事実を彼らに向かって詫びている・・・少なくとも自身の限界を率直に吐露している点にある。木村敏が、所謂イッパンの精神科医と異なり、寧ろ哲学の領域により多くその身を置き、そこに自身の「足場」を築いているということは、予め「病んだ人たち」「異常な人たち」「治療が必要な人たち」という視点を持たず、そもそも「人の心が病むということはどういうことを意味するのか?」「あの人は異常だ」と言った正にその瞬間「ではわれわれの正常性はなにを根拠にするのか?」を主たる考察の材料とするからだ。

嘗てジル・ドゥルーズは「〈人間であるということの恥〉・・・この他に書くことがあるかね?」と言った。

木村敏にとって、「精神分裂病」という存在(の在り方)に勝る思索の場はなかったのではないだろうか・・・


ー追記ー

上記の投稿でわたしと底彦さんとのやり取りが微妙に喰い違っているように感じるのは、底彦さんの悩みの多くがHow? に発し、わたしの問題が、世界に対するWhy?であるからではないか、などと考えるのだ・・・
わかりやすく言えば、底彦さんはこの世界は紛れもなく1=1であるということを認めつつ、それに馴染めないで苦しめられているのかもしれない。認識と実存の乖離である。
一方わたしは何故この世界が1=1であるのかが、そもそも理解できないのだ。



[関連投稿] 「「わたしは なぜ どのように 頭がおかしいですか?」










Rest, 1923, Walter J. Phillips (1884 - 1963) - Colour woodcut on Paper -



“The Japanese found out centuries ago that, of all woods, mountain cherry, properly seasoned, is best suited for the making of wood-cuts. It is even and close in texture and though hard it is easily cut. It yields colour in printing in the best possible way…. I used one set of English cherry-wood blocks and found the wood admirable, otherwise I find native American cherry-wood quite suitable.”
Walter J. Phillips, “Making a Wood-Cut,” in Another Wood-Cut










沈黙の中で「ただ待つ」ということ


Waiting Chair, Iceland 2017, Cara Weston


エドワード・ウェストンの孫、カーラ・ウェストンの「ウェイティング・チェア」。
この場合のウェイティング・チェアとは、「ウェイティング・ルーム」(待合室)と同じ意味だろう。
けれども、この写真を観ていると、Waiting Chair というよりも、Waiting Chair is waiting といった方がいいような気持ちになる。


嘗て「待つことは一種のアートだ」と言った人がいた。
しかし実際には、現在(いま)という時代こそ、「待つことがアートである」と呼べる時代ではないだろうか。

かつての生活に於いて、「待つ」「ただ待つ」ことは、誰もが持つ日常のひとこまであった。
けれども今日、何もせずに「ひたすら待つ」ということは、もはや誰にでもできることではなくなっている。



Early Philadelphia, 1964, Ray K. Metzker (1931 - 2014)



Chicago - Loop, 1957, Ray K. Metzker (1931 - 2014)









2020年8月20日

私たちはただこの世界を見に来ただけ


Paris Door, July 29, 1984, André Kertész 

 *

Only you
Don't know what to make of the sudden slippiness,
The blind, white, awful, inaccessible slant.
There's no getting up it by the words you know.
No getting up by elephant or wheel or shoe.

We have only come to look.


New Year On Dartmoor (1962) - Sylvia Plath (1932 - 1963) 


*   *


急につるつるになった世の中を理解できないのはきみだけ。
目鼻が無くて、真っ白で、おそろしい、近づきがたい斜面の世界。
この世界を、きみにわかる言葉を使って組み立ててみせるのは不可能だ。
ゾウや、車輪や、靴の片割れなんぞで作り上げられるものじゃない。


わたしたちはただ見に来ただけ。


シルヴィア・プラス -「ダートムーアの新年」より

吉原幸子 皆見昭 訳










スティーヴ・マックイーン&ジャガー


Steve McQueen with John Sturges, Looking at Jaguar, 1960, Sid Ave.

ジャガーというよりも、むしろ・・・
ぼくの親戚だい!

Frog in the rain, John Olsen born in 1928 in Australia
- Watercolour and Pastel on Paper -









アウトサイダー


こんにち、「アウトサイダー」という存在を求め得るとしたら、それはやはり重度の知的乃至精神障害者、認知症患者以外にはあり得ないのではないか?

今日真の「自由」とは、「人間」に含まれることを免れること。
つまり「人間であることからの自由」に他ならない。

わたしは「人間」と呼ばれるよりも「人外」(にんがい)でありたい。








2020年8月19日

12 件のコメント・・・


このようなやりとり」がこれまでに4人(5人)の間で度々交わされてきた。
今それは充分に実を結んだ果実となり、このブログの豊かな「収穫」として実っている。
いったいなにが間違っていたのだろうか・・・








世界を見る目・・・


 “Gözüm, göz olsun gözüne” Şafak Tortu


*

” We don't see the world as it is, We see the world as we are. ”

Anaïs Nin

*

「私たちは世界をそのあるがままに見てはいない。私たちはそれを「私たちのあるように」見ている。」とアナイス・ニンは言った。

ほんとうにそうだろうか?

ほんとうにわたしたちは、世界を「私たち自身」の目で、「私たちのあるがままに」見ているだろうか?

寧ろこういった方が良くはないか。

” ...We see it as they are. ” と。

わたしたちは世界を、物事を、「彼らの目」で見てはいないか?
彼の、彼女の、彼らの・・・いづれにしても己の目ではない第三者の眼差しで。
自分自身の目は閉じたままで・・・

*  *

「わたしは自分の才能を爆弾に使ったのだ。わたしには本質的な批評精神があり、批評眼がある。「わたしには確かな嫌悪感がある」とジュール・ルナールが言っていたあれね。
目にするものすべてにうんざりさせられた」

ーココ・シャネル

「ガブリエル・(ココ・)シャネルこそは、自分の生涯のすべてを「嫌いなモノ」を最優先にして選んだ「嫌悪の女王」である。
「わたしは誰が何と言おうとこれが嫌いなの」という嫌いにおける鋭い批評眼こそがシャネルの唯一の思想であったに違いない 

ー加島茂ー









2020年8月17日

いくつかの断想・・・


● 先ず昨夜の投稿について。繰り返し言いたいことは、「私たちは過った」ではなく、「わたしは過ちを犯した」ということ。
「相手を深く知ろうとし過ぎた」と書いたけれども、それ以上に、わたしという人間を知ってもらいたかった。知らせたかった。そして深入りし過ぎた。過ったのはわたしだと、何度でも何度でも、強調しておきたい・・・



● 昨日の文章を読み返すと、明らかにわたしの状況は相当悪いと思われる。
現在は精神科には月に一度、母に決まった薬を取りに行ってもらっているだけ。
わたしの記憶では今年になってから主治医と話をしていない。
その障壁となっているのが電車と駅である。
主治医のところまでは電車で二駅、しかし、同じ電車に乗るなら隣の国立の方が遥かに行き易い。
なぜなら、国立駅はわたしの知る限り、日のある時間に余計な電気を点けていない。
そして終点ではないので、あの耳ざわりな" Thank you for traveling with us!" という、ここが紛れもなく「植民地」であることを思い起させる卑屈なアナウンスを聞かなくて済む。

最近はオンライン診療というものをやっているクリニックも少なくないと母が言っていた。母は新聞で読んだ。そもそもオンライン診療というものがどういうものかは知らないが、電話ではないのだろう。わたしはテレビ電話のようなものが大の苦手である。「醜貌恐怖」?もあるのかもしれない。わたしのパソコンに取り付けられていたカメラらしきものは、とうに先端の尖ったもので潰してある。自分の貌を相手が視、相手の貌を見乍ら、しかもそこに本人はいないなんて環境でとても普通の会話などできない。
それが家族であれ、主治医であれ、テレビ電話で人と話すくらいなら、300人の聴衆を前に演説する方が遥かに楽だ。
実際、もし誰かが、場所を用意したので500人の前で好きなことを話してみてくださいと言って来たら、おそらく喜んで応じるだろう。無論報酬など一文も要らない。

引きこもっている人、外に出られない人にはオンラインの普及は朗報だという話もたまに耳にする。

わたしは外に出ることが困難な人間だ。なぜなら外の世界には、スマートフォンやら、タブレットやら、ワイファイといったわたしのもっとも苦手なITワールドが広がっているのだから。

わたしは現在主治医のところにも行けない状況だが、上記の理由から、仮にわたしの通院している(た)クリニックが「オンライン診療」を行っていたとしても、わたしは利用できないし、またするつもりもない。
「オンライン〇〇的」な世界が苦手だから引きこもっているのだから・・・




● ウディー・アレンの『アニー・ホール』の冒頭で、彼が、「自分をメンバーにするようなクラブには入りたくない」というグルーチョ・マルクスのジョークを紹介し、これは自分にとっての「キー・ジョーク」だという。(おそらくオリジナルはフロイトだろう、とも)

わたしの好きなジョークがある。

「わたし玉ねぎが嫌いでよかった。だってもし好きだったら、食べなくちゃならないでしょう!」

わたしの「治癒」に関する考え、或いはスマートフォンに対する考えもこれに似ている。



● わたしは何かに困っている。それは確かだ、けれども、相談先は口をそろえてこう言う。
「私は何に困ってるんでしょうといわれても困りますねえ。何に困っているのかがわかってから相談に来てください」と。












悲しき熱帯夜4


先の投稿で、戦争が大資本家や権力者が起こすものであるなら、こんにちの平和もまた大資本のしつらえたものではないのか?と書いた。

たとえば「電通」「大手マスコミ」そしてF A G Aの存在しない「ヘイワ」って考えられるだろうか?

ツイッターやフェイスブックやインスタグラムのない日常なんて考えられるだろうか?
You Tubeで動画の見られない「ヘイワ」ってなんだろう?

嘗て辺見庸は「鶴瓶やタモリが今の現状を支えている」とさえ言った。あながち的外れでもないだろう。

かくいう辺見庸自身、「下らないTV番組を見ているくらいならスマホで世界情勢を知る方がマシ」と嘯いて憚らない。同じ穴の狢である。

こうしてパソコンに向かってブログを書いているわたしは、インターネットのない世界に戻れればいいと思っている。

なにもないところにのみ「真の平和」がある。

「豊かさ」は「平和」のアントニムである。










悲しき熱帯夜3


わたしにはどうしてもわからない。

スマートフォンを持っていても、「病気」や「障害」の症状に苦しむことはあるだろう。
痛み苦しみは感じるだろう。

しかし、スマートフォンを持ちながら「不幸」な人間というものが存在するのだろうか。
どんなに痛みがあっても、どんなに症状が苦しくても、それが「不幸」であるとは言い切れない。

スマートフォンを持ちながらも「不幸」であったり「孤独」であるということが本当にあり得るのか?もしあり得るとしたらそれは何故?

この疑問はつまり、「神を信じながらも不幸である」ということがあるのか?という疑問とぴったりと重なる。

西部邁の言葉を俟つまでもなく、IT機器は現代の神である。

生身の人間である以上、痛みや苦痛は感じるだろう、けれども、心の領域は「神」及び「信仰」によって固く守られているはずだ。

自殺者の激減もそのことによって説明がつくのではないか。

苦痛にのたうち回ることはあっても、不幸ではないはずだ。

いじめに遭っても孤独ではないはずだ。

・・・そうではないのか????

もし「それ」が「神」でなく「深い信仰の対象」でないのならば、何故彼らはそれに拝跪し、帰依するのか?何故文字通り肌身離さず共に歩むのか・・・






悲しき熱帯夜2


予め断っておくが、以下の英文の引用の訳は間違っているかもしれない。
けれども、それが大きな誤訳であろうと大した問題ではない。

"Friendship is the agreement of two people against the whole world." 

「友情とは、全世界に反抗するために二人の間で交わされた同意である。」

これは何と読むのかわからないが、ギリシャの画家 Giannis Tsarouchis の言葉である。

わたしの訳が誤りでなかったならば、これに勝る友情の定義はないと言い切ることができる。わたしはこれと全く同じ意味のことを8月5日の投稿で書いている。

一方でこのギリシャの画家はこうも言っている。

"Friendship is the agreement of two people not to go deep, but to always stay on the surface."

「友情とは、決して深めず、常に表面にとどまることに対するふたりの同意である」

これはわたしの深く共感するチャールズ・ブコウスキーの言葉に相当する。

”Of course it's possible to love a human being if you don't know them too well.”

「もちろん人を愛することは可能だ、もしきみが「彼ら」のことをあまりに知り過ぎない限り」


わたしはこのブログで大きな間違いを犯した。

「相手をより深く知ろう」としたのだ。

「人間というものは底知れず怖いものです。「人を理解する」ということも、ほどほどにしておかないと・・・」という山田太一氏の言葉もある。

過去にここにもらった多くのメッセージや議論、対話を否定するつもりは毛頭ない。けれども、その結果、わたしも、コメントを残してくれた人たちも、共に傷つき、決裂した。
無論その責任はわたしにある。

わたしは「孤独」から、画家の定義の1にこだわり過ぎた。

しかし結局・・・まったく当たり前のことだが、全世界・・・言い方を換えれば「現実世界」を向こうに回して・・・などという人間が存在すべくもなかった。そしてより現実的な第二の定義をおざなりにした。そしてすべてを失った。

画家の言葉、ブコウスキーや山田太一の言葉、これらは教訓でもあり処世術でもある。
処世訓など嫌いだと言っても、この言葉には明らかに真実が含まれている。

どんなに親しくとも、深入りは禁物だと。

山田氏は他でも言っている、人と人とが真に理解し合えるという考え自体が幻想だ、と。

加えて、パソコンのディスプレイという「非・言語的な情報」を悉く捨象した関係であってみれば、相互理解など絵に描いた餅でしかない。無論ディスプレイ上の規格化された「文字」だけでも理解は可能だと思う人もいるだろう。しかしわたしのように古いタイプの人間には、文字(言葉)+言葉以外の情報が組み合わさって、初めて「対人」になる。

仮に、万にひとつ、定義1が可能であったとしても、それはあくまでも、「その人が自分の目の前にいる」場合に限定される。

相手をもっと知ろうという欲求は、おそらくは、あまり賢明な考えではないのだろう。
今更「彼ら」に言われずとも、人間存在の底知れなさ、その闇は知り尽くしているはずではなかったのか。


尚、画家はこんなことも言っている。

"Do not separate my childhood from the life of an adult."

「私の人生で、子供時代と、大人になってからを区別するな」



ー私は世を愛しなかったー
  
わたしは世を愛しなかった、
世もまた私を
彼らの臭い呼吸(いき)のまえに諂(へつら)ったこともなく
彼らの偶像の前に、恭しく膝を屈したこともない
心にない笑を頬に浮かべもしなかった
うつろな木魂(でく)を崇めて、高らかに叫んだこともなく
人群れの中にありながら、その仲間とは扱われなかった
彼らと交りながら、 ただ独り立っていた
屍衣(しえ)のように、 人と異なる思想を身にまとった
今もなお、というべくは、あまりに心屈して汚れたのだが。

       
私は世を愛しなかつた、世もまた私を
所詮、敵ならばいさぎよく袂を別とう
だが私は信じたい、彼らには裏切られたが 
真実ある言葉、欺きえぬ希望があり
めぐみ深く、過失の穿を造らぬ美徳があると、
また、人の悲しみを心から悲しむものもおり
一人か二人かは、見かけと変わらぬものもあり
善とは名ばかりでなく、幸福とは夢でない、と。

ジョージ・ゴードン・バイロン「チャイルド・ハロルドの巡礼」



しかし「その人」が誰であるかを知ろうとしてはならない。
「あなた」が「その人」であるのかを、知ろうと急いてはならない・・・











悲しき熱帯夜1


先に書いたように、20代から書き溜めていた「日記」というか「ノート」というのか・・・その記述を見返すと、本や映画、雑誌などの抜き書き以外の部分は、ほぼすべてと言っていいくらい、灰色の曇天に埋め尽くされている。これも繰り返しになるが、26歳の誕生日から42歳(?)で多摩地方に移ってくるまで、「ああ、この町、この部屋に住むことができて幸せだ」と思っていたその時期の記述でさえ、どんよりとした厚い雲に覆われている。40代の初めの6年間、わたしが何度も「生涯に一度きりの親友」と言っている女性と過ごした月日もまた、決して陽の当たる日々ではなかった。そしていまは、「わたしに親友と呼べる人物などいたのか」という疑念の暗雲さえ湧き上がっている。それは言うまでもなく、わたしが「親友」等を持てる人間か?という強い自己懐疑に他ならない。

わたしがブログを続けるにあたって一番おそれていること。それはこのブログがその数十冊に及ぶ日記(ノート)に書かれているような記述に再び埋め尽くされることだ。
嵩にして15センチほどのノートによれば、わたしの半生に晴れの日はなかったように思える。わたしはその数十冊のノートに灰色の絵の具でなにを描き続けてきたのか?
一重に、ひたすらに、「孤独」「孤独」「孤独」・・・であった。

高校の卒業式を終え、その日校門を出た瞬間から今現在まで、わたしはひたすら孤独だったのだろうか?わたし自身が30年近く書き続けてきたノートは、そう言っている。

この町 この部屋に住めて幸せだ、と、そして、この人に出会えて幸せだったと、その実時間に於いて「確かに」感じていたはずのこと、あれらはすべて錯覚だったのか?
なぜわたしのノートからは一片のよろこびも伝わってこないのだろうか。

わたしは「幸福」を感じる能力を持たないのだろうか?嘗て母が言った、「あなたはすべてを否定するね」



わたしが「あの町 あの部屋」を離れて多摩に流れ着いてからもうかれこれ13年ほどになる。その間、どれだけ「あの部屋に戻った」夢を見てきたか?何度夢の中で、「ああ、やっと戻って来た」と安堵のため息を吐いたことか・・・

それがこの頃ピタッと「あの部屋」の夢を見なくなった。

いったいなにがわたしにとっての真実なのか。











2020年8月16日

「眼球」



"When we are asleep in this world, we are awake in another."  ― Salvador Dalí



人々は「目」という

訴える 目 ──
ものをいう 目 ──
秋波を送る 目 ──

町を見
人を見
すべてを見る目 ──

しかし辞典を開くと
眼=「眼球」となっている
これははなはだ詩的ではないが
僕にとっては詩的な言葉

「眼球」というからには それは球形であり
僕たちの顔の上 外に向かってひらかれた
小さな半球では
完全ではない

そこには文字通り 日の目を見ない
別の半球が ある
それは僕たちの内なる星座に沈められた
永遠のまなざし…

*

かつて敬虔な詩人は言った
(目を閉じよ そうすれば見えるであろう…)

逆の半球に昇るため
まぶたをとざした太陽の光が
今 僕たちの奥深い闇の中に
静かに 点じられる……