2020年8月12日

デイケアを継続する意味・・・


デイケアの担当者から手紙が届いた。事務用の茶封筒。手紙と言っても印刷されたもの。
人に多くを期待してはいけない。デイケアには3月の初旬に一度行ったきり、それきりになっている。半年間一度も参加がない場合には、「デイケア利用の中止」になるらしい。継続して利用するか、デイケアを辞めるか、9月3日までに決めて欲しいという内容だった。

デイケアには昨年1年間、月に3回ほどのペースで通った。参加したのは、どれもディスカッション系のプログラムだった。けれども『集団認知行動療法』や『WRAP(ラップ)』=「元気回復行動プラン」に代表されるような、「良くなる」「回復する」「元気になる」ことを目指すプログラムに参加して、わたしは常に反対意見を述べ続けてきた。
「元気になりたくない」わけじゃない。今現在という時に生きて、「わたしが元気になる」ということの意味が、どうしてもわからないのだ。

それは以前から繰り返し、繰り返し言ってきているように、「現代社会という穢土」に「溶け込むこと」を意味しはしないか?この穢土で平気で生きられること、とはどういうことだろうか・・・

デイケアは悪いことばかりではなかった。もちろん、所謂「心の病を持った人」と、わたしとの大きな隔たりは明らかになり、やはりわたしは「狂気」を持つ者であり、「精神を病んだ普通の人々」とは本質的に異質な存在であるということを改めて実感させられたが、同じ空間で、顔を見、声を聴き、表情や仕草を見乍ら・・・つまり非・言語的なものも含めた「会話」「対話」が出来たということは無意味ではなかった。仮にその会話のほとんどが、相反する意見であったとしても。

精神科に行くこと同様に、デイケアに参加する積極的な意義は見いだせない。
半年ぶりに顔を出して、相変わらず皆の前で、「元気になるってどういうことか?」と発言するのか?

辞めるにせよ、続けるにせよ、決め手がない。

加えて、デイケアスタッフ・・・わたしの担当者への不信感もある。「主治医との連絡も取りながら」と言いながら、主治医はわたしがずっとデイケアに参加していないことさえ知らなかった。更に、「(4月以降)何度か電話をしたのですが、外に出られる状況ではないようです。」と文面にあったが、成程、わたしの場合は、1か月間連絡なく利用のない場合には、デイケア室から連絡を入れるということになっている。(連絡をしてもらう期間は利用者によってまちまちで、1週間参加がない場合には電話してくださいという人もいる。)そして確かに3月初旬の参加以来、1か月間連絡もなく、利用もしていないので、1か月後の4月初めに電話があった。しかし母がデイケア室からの電話を受けたのは後にも先にもその時だけである。5月も、6月も、7月にも電話は受けていない。
「あれ以降何度か電話をしたのですが外に出られる状況ではないようです・・・」とはどういう意味か?そのような誠意の感じられない対応には、もううんざりしているのだ・・・











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