2020年8月17日

悲しき熱帯夜1


先に書いたように、20代から書き溜めていた「日記」というか「ノート」というのか・・・その記述を見返すと、本や映画、雑誌などの抜き書き以外の部分は、ほぼすべてと言っていいくらい、灰色の曇天に埋め尽くされている。これも繰り返しになるが、26歳の誕生日から42歳(?)で多摩地方に移ってくるまで、「ああ、この町、この部屋に住むことができて幸せだ」と思っていたその時期の記述でさえ、どんよりとした厚い雲に覆われている。40代の初めの6年間、わたしが何度も「生涯に一度きりの親友」と言っている女性と過ごした月日もまた、決して陽の当たる日々ではなかった。そしていまは、「わたしに親友と呼べる人物などいたのか」という疑念の暗雲さえ湧き上がっている。それは言うまでもなく、わたしが「親友」等を持てる人間か?という強い自己懐疑に他ならない。

わたしがブログを続けるにあたって一番おそれていること。それはこのブログがその数十冊に及ぶ日記(ノート)に書かれているような記述に再び埋め尽くされることだ。
嵩にして15センチほどのノートによれば、わたしの半生に晴れの日はなかったように思える。わたしはその数十冊のノートに灰色の絵の具でなにを描き続けてきたのか?
一重に、ひたすらに、「孤独」「孤独」「孤独」・・・であった。

高校の卒業式を終え、その日校門を出た瞬間から今現在まで、わたしはひたすら孤独だったのだろうか?わたし自身が30年近く書き続けてきたノートは、そう言っている。

この町 この部屋に住めて幸せだ、と、そして、この人に出会えて幸せだったと、その実時間に於いて「確かに」感じていたはずのこと、あれらはすべて錯覚だったのか?
なぜわたしのノートからは一片のよろこびも伝わってこないのだろうか。

わたしは「幸福」を感じる能力を持たないのだろうか?嘗て母が言った、「あなたはすべてを否定するね」



わたしが「あの町 あの部屋」を離れて多摩に流れ着いてからもうかれこれ13年ほどになる。その間、どれだけ「あの部屋に戻った」夢を見てきたか?何度夢の中で、「ああ、やっと戻って来た」と安堵のため息を吐いたことか・・・

それがこの頃ピタッと「あの部屋」の夢を見なくなった。

いったいなにがわたしにとっての真実なのか。











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