2020年8月29日

年年歳歳街、ひと、同じからず・・・


Prinsenhofsteeg, Amsterdam, 1949, Ed van der Elsken. Dutch (1925 - 1990)


”The only escape from the miseries of life are music and cats…”

 Albert Schweitzer


人生の惨めさから逃れるただ一つの道は音楽と猫だ

アルベルト・シュヴァイツァー


40代に6年間、親友と呼べる女性を持つまで、ずっと孤独だった時、自由に外に出ることができたのは「音楽」という「友」があったからだ。
具体的にはそれは「カセット・ウォークマン」と呼ばれていたり、コンパクトCDプレーヤーと呼ばれるモノだった。

勿論今と違って、大田区に住んでいた頃は地の利があり、銀座・京橋方面に行くにも、日比谷・神保町界隈に行くにも、渋谷・新宿方面にも、大体30分かそこらで行くことができた。そして毎度の繰り返しになるが「銀座」はまだ「銀座」であり、新宿渋谷は新宿であり渋谷であった。

「人生(の惨めさ)から逃れる手段としての音楽」と、シュヴァイツァー博士は言う。
けれども、わたしにとって一時期・・・いや、これまでの人生の長い期間、音楽は、「人生へと逃れる方法」= ” Escape Into Life ” であったのだ。

わたしは音楽とともに、自由に、ほんとうに自由に何処にでも行くことができた。そしていつでも孤独だった。

そしていま、わたしが逃れるべきなのは、「人生から」であるのか?
寧ろわたしは今でも「エスケープ・イントゥ・ライフ」=「人生へ逃げ込め!」だと思っている。

だがそう思い、また願ってはいても、それが現実に可能だとは思わない。思えない。

いまのわたしは電話の掛け方すら知らず、外で音楽を聴く方法などまるで分からない。
世の中はわたしのように知的な障害を持った者にとって、以前とは比べ物にならないほど難解な仕組みになっている。

子供の頃、10代の頃、世界はもっと単純だった。大人になるにつれて、世界はどんどん複雑怪奇になっていった。そういうことは誰しもが感じることだろう。
けれどもわたしに関していえば、年を経るにしたがって世界が複雑に、難解になっているというのは、そのような一般的な、誰もが身に覚えのある経験とはおよそ次元を異にしている。

今では最早人生が自分の手の届くところにあるという実感すら、持つことができない。
そして「人生に手が届かない」という感覚は、おそらくは、正しいのだろう。




I really Don't Know Life at all... 












0 件のコメント:

コメントを投稿