Prinsenhofsteeg, Amsterdam, 1949, Ed van der Elsken. Dutch (1925 - 1990)
”The only escape from the miseries of life are music and cats…”
Albert Schweitzer
人生の惨めさから逃れるただ一つの道は音楽と猫だ
アルベルト・シュヴァイツァー
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具体的にはそれは「カセット・ウォークマン」と呼ばれていたり、コンパクトCDプレーヤーと呼ばれるモノだった。
勿論今と違って、大田区に住んでいた頃は地の利があり、銀座・京橋方面に行くにも、日比谷・神保町界隈に行くにも、渋谷・新宿方面にも、大体30分かそこらで行くことができた。そして毎度の繰り返しになるが「銀座」はまだ「銀座」であり、新宿渋谷は新宿であり渋谷であった。
「人生(の惨めさ)から逃れる手段としての音楽」と、シュヴァイツァー博士は言う。
けれども、わたしにとって一時期・・・いや、これまでの人生の長い期間、音楽は、「人生へと逃れる方法」= ” Escape Into Life ” であったのだ。
わたしは音楽とともに、自由に、ほんとうに自由に何処にでも行くことができた。そしていつでも孤独だった。
そしていま、わたしが逃れるべきなのは、「人生から」であるのか?
寧ろわたしは今でも「エスケープ・イントゥ・ライフ」=「人生へ逃げ込め!」だと思っている。
だがそう思い、また願ってはいても、それが現実に可能だとは思わない。思えない。
いまのわたしは電話の掛け方すら知らず、外で音楽を聴く方法などまるで分からない。
世の中はわたしのように知的な障害を持った者にとって、以前とは比べ物にならないほど難解な仕組みになっている。
だがそう思い、また願ってはいても、それが現実に可能だとは思わない。思えない。
いまのわたしは電話の掛け方すら知らず、外で音楽を聴く方法などまるで分からない。
世の中はわたしのように知的な障害を持った者にとって、以前とは比べ物にならないほど難解な仕組みになっている。
子供の頃、10代の頃、世界はもっと単純だった。大人になるにつれて、世界はどんどん複雑怪奇になっていった。そういうことは誰しもが感じることだろう。
けれどもわたしに関していえば、年を経るにしたがって世界が複雑に、難解になっているというのは、そのような一般的な、誰もが身に覚えのある経験とはおよそ次元を異にしている。
けれどもわたしに関していえば、年を経るにしたがって世界が複雑に、難解になっているというのは、そのような一般的な、誰もが身に覚えのある経験とはおよそ次元を異にしている。
今では最早人生が自分の手の届くところにあるという実感すら、持つことができない。
そして「人生に手が届かない」という感覚は、おそらくは、正しいのだろう。
そして「人生に手が届かない」という感覚は、おそらくは、正しいのだろう。
I really Don't Know Life at all...
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