2020年8月29日

お詫び・・・


今朝(昨夜)もまた、どなたかが過去の投稿を閲覧してくれました。
主に昨年に書かれたものがいくつか読まれたと、ブロガーは伝えています。
勿論何処の誰が読んでくれたのかまではわかりません。日本の方ではないかもしれない。

2018年から初めて、これまでに900を超える投稿があるのだから、そのほとんどを忘れてしまっています。しかし先日も書いたように、誰かが閲覧してくれた過去の投稿を見ると、今年よりは昨年、昨年よりは一昨年の投稿の質が高いことを感じるのです。
裏返して言えば、おととしよりも去年、去年よりも今年の文章のクオリティーが目に見えて落ちているということです。

コメントでの瀬里香さん、yy8さん(ヒロさん)とのやりとりも、昨今のように堅苦しくない。そしてこれも先日書いたことの繰り返しになりますが、昨年1月に投稿された「この不思議な世界2」のコメント欄での底彦さんとのやり取りを振り返って、とても今の自分にはこんな会話はできないと強く感じています。おそらくいまでも底彦さんはこの時と同じように語れるでしょう。けれどもわたしは今読み返して、「これが自分の書いたものか?」と訝しく思えるほどに思考力も文章の質も低下しているのです。

子供の頃、まだ白黒のテレビで見たドラマで、いまでも印象に残っているシーンがあります。演じているのは益田喜屯(ますだきいとん=もちろんバスター・キートンから来ています。今の若い人は、クレージー・キャッツの故、谷啓が、やはりアメリカの喜劇(?)俳優ダニー・ケイをもじったものであることも知らないでしょう。そもそも、上に挙げた誰の名前も知らないかもしれません。)
よく憶えていませんが、ドラマで益田喜屯は、やはり老人でした。そして昔はそこそこ名の知れた手品師だった。偶然主人公の少年と知り合った老マジシャンは、子供の頼みに折れて、少年の友達の前で手品を披露することになりました。
放課後、空き地だったか、雑木林のようなところだったか、少年が数人の友達を連れてやってきます。けれども老人は手品を始めようとしません。少年が老人の傍に行き、「どうしたの?」と小声で尋ねます。老マジシャンは子供の方を向き、うつむきながら「できないんだよ」と呟くのです。
できないとはできなくなってしまったということ。その時の喜屯の寂しげな表情が忘れられません。

わたしもいま、年々できなくなったことが増えています。年を取るということはそういうことです。さびしいことです。嘗て少年だったわたしは今は衰えた老マジシャンです。

ZAにこう言います
「かつて私はおまえだった。そしてやがてお前は私になる」


いま、このブログが読むに価するものであるのか?書き手であるわたしにはわかりません。わたしはただ、書く必要を感じるから書いています。
けれども、もしいまだに、このブログを継続して読んでくれている人がいるとしたら、
そしてもしその人が、わたしの過去の投稿を知っている人であるなら尚更、
お礼よりも、むしろこの拙いブログのお詫びを言いたい気持ちなのです。










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