2020年8月13日

「わたしのしたいこと」ー ルイーズ・ブルジョアとの対話



I want to, 1962, Louise Bourgeois



"I want to get / I want to keep 
I want to say / I want to tell 
I want to see / I want to learn 
I want to know / I want to (?) 
I want to control / I want to hold 
I want to feel / I want to remember
I want to go / I want to want 
I want to find / I want to finish 
I want to forget / I want to get rid of
I want to clean / I want to be good 
I want to be better / I want to do it 
I want to out do / I want to top it
I want to accomplish mastery"

ルイーズ・ブルジョア 1962年



ルイーズ・ブルジョアの「私のしたいこと」のリストに倣って、今わたしがしたいことを挙げてみようと思ったが、「(いま)私は(    )がしたい」というこのカッコをうめることが非常に難しいことに気づいた。
自分が今、何を欲しているのかがわからないのだ。それは、果たして「今の」、乃至「この」世界で何を求めることができるのかがわからないことと同義だ。



ルイーズ・ブルジョア(以下 L.B ) ”I want to know” 

「何故わたしはなにもわからないのか?」

L.B ”I want to keep”  

「わたしが守りたいものなど最早どこにもない」

L.B ”I want to feel ”


「〈感覚〉はわたしを苦しめる」

L.B "I want to say / I want to tell" 

「わたしには言いたいことも、伝えたいこともない。わたしの言葉は誰にも通じない」

L.B I want to control”

「わたしは自分をコントロールしようとは思わない。わたしは「わたし自身」からも自由であるべきだ」

L.B ”I want to remember”

「わたしは思い出によって苦しめられている。それが「思い出」=「過去」「過ぎ去ったもの」であり「いま・現在」ではないから」

L.B ”I want to forget ”

「しかしわたしは過去を、思い出を忘れ去りたいとは思わない」

L.B I want to go” 

「可能であるならば過去に行きたい。或いはより現実的に、昔と変わらぬ場所に行きたい。けれども、わたしの生まれるのが100年、150年早かったとしても、嘗て人間が生きやすい時代というものがあっただろうか?そして人間が地上に存在している間に、「生き易い時代」が訪れることなどあるだろうか?
ジョン・レノンの「イマジン」が「現実」になったとしても、戦争がなくなり国境が無くなったとしても、人が人である以上、苦しみも悲しみも無くなることはない。(無論ヒトがヒトである以上、「戦争」や「国境」が、「差別」や「飢餓」が無くなることはないと断言できるが)ただ、「苦しみ」「悲しみ」の質を選ぶことが可能であるなら、やはりわたしは過去に行きたい・・・と思っている、と、思う・・・」

L.B ”I want to get rid of”

「わたしは「いま・ここ」から逃れたい」

L.B ” I want to see / I want to find ”

「わたしは(心が、魂が、精神が)崩壊し、滅びゆく人間の姿を見たい。最後の美の残照を ── この世界で正気では生きられない人間と出会いたい。「よくなる」「元気になる」・・・という「いま・ここ」との和解を目指す者たちではなく」

L.B ” I want to hold ”

「この世界で、滅びゆくもの(者)を抱き締めたい」



ー追記ー

「「幸福」とは事後的な概念である。我々はそれを「あの時は幸せだった」という回顧の姿でしか持ちえない」
ー テオドール・アドルノ『ミニマ・モラリア』









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