2020年8月15日

つまらない わからない・・・


とにかくつまらない・・・
「何もやる気がしない」というよりも、「何をしたらたのしいのか」がわからない。
わたしにとってあらゆる行動は、「しなければならない」から、或いは「すべきことだから」「必要があるから」「する」ことだけで、「たのしいからやる」ということが何ひとつない。

実際にほとんどの人はそうなのだろうか?「生きていること」も「仕事」と同じように「仕方がないから」「生きている」のだろうか?

けれども、すべてが「ねばならない」「すべき」「必要だから」のみの生活は、わたしには耐えられそうにない。こういう愉しいことがあるから、と思うから、「ねばならぬ」「べき」にも耐えられるのではないのだろうか?でなければ生きることのすべてが、そして生きること自体が  "Have To" になってしまう。

何をしたらたのしいのか?さっぱりわからない。やりたいことが思い浮かばない。

そしてそれを教えてくれる人はいない。教えてもらった時点でそれはある種の「義務」になりかねない。

ひとと話したい。けれどもわたしと話が合う人間などいないこともまた、過去の経験から明らかなのだ。



思い出した。つまらない、と思っていた。つまらない。つまらない。つまらない、と香子は道を見下ろしていた。だったら何故面白いことを捜さないのか?たとえば何故、旅行をしないのか、何故、趣味を持たないのか、何故友だちと逢わないのか、何故努力をして何かの資格をとろうとしないのか、何故自分に合った職業を捜さないのか、何故本気で恋人を求めないのか、何故本気で結婚をしようとしないのか?
 そういうことでは、まぎれない、飢えのようなものがあるんだよ。いや、まぎれるかもしれないが、そういうことでは満たされない気持ちに襲われる人間もいるんだよ。そういうことのなにもかもがつまらないという気持ちになってしまうんだよ。
山田太一『見なれた町に風が吹く』(1997年)より

わからない・・・

少なくともわたしには旅行はできない。電車に乗ることができないから。
友だちはいない。
結婚など昔から考えたことがない。
自分に恋愛ができるとは思えない。

デイケアを継続するか、辞めるか、9月の3日までに返事をしなければならない。
続けるとして、なんのために・・・?


わからない・・・











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