2020年8月2日

最大の罪とは



“The destruction of the past is perhaps the greatest of all crimes.”

Simone Weil (1909 - 1943) 


”過去の破壊。おそらくそれは最大の犯罪であろう”

シモーヌ・ヴェイユ


「過去」・・・おそらくそれは時間のみに基づく概念ではない。そして「歴史」とは「過去」ではない。過去の破壊が罪になり得るには、破壊すべき「過去」が、「いま」「目の前」に存在していなければならない。
では「今ある過去」とは何か?それは「時間の堆積物」に他ならない。
過去の破壊とは、言葉を換えれば時間制の破壊である。

人であれ物であれ場所であれ、なべて古いものは単に「古いもの」ではなく、同時に「時の堆積したもの」でもある。
── 過去の破壊とは本来の人間性(人間精神)への侵犯であり「時間」に対する冒瀆である。

”Is Paris Burning ? ” 「パリは燃えているか!」ヒトラーのパリ破壊の命に何故兵士たちは従わなかったのか?そこに市民がいたからか?仮にパリ市民のほとんどが既に疎開していたとしても、パリは燃えなかっただろう。そこには「パリ」という名を持つ「時間の堆積」が、「歴史」があるからだ。京都が空爆に遭わなかったのも同じ理由からである。
誰であったか、「連合軍がわざわざ残したものを日本人自身が破壊している」と呆れ、嘆息を漏らしていた作家は。

人には愛するという気持ちがある。愛するとはまた「愛着」そして「執着」に他ならない。
馴れ、親しむこと、それが愛である。
何故馴れ、親しみ、愛するのか?そこに共有された時間があるからだ。

しかし誰も、そして何も永遠ではない。

かぎりあれば 吹かねど花は散るものを こころみじかき春の山風

これは蒲生氏郷の辞世の句だと言われている。

いのちみじかきものの命(めい)を更に人為によって寸断することことこそ、繰り返すが、人間性に対する最大の罪である。

大量生産されたおもちゃでも人形でも、何故汚れたから、壊れたから「全く同じもの」を買い与えても、それを頑なに拒む子供がいるのだろうか?それは何か精神の障害なのだろうか?或いは脳機能の・・・
だって、これは同じメーカの作った全く同じものなのに。なぜそんなによごれて壊れたものを大事にするのか?
何故老いて病気になった犬猫をそんなにいっしょう懸命に看病するのか?
同じ種類の同じ毛色の新しい犬を、猫を飼って(=買って)あげると言っているのに?
いったいなにが違うというのか・・・

「かけがえのないもの」という観念が失われつつある。何故ならば時間制という観念が失われつつあるからだ。

他ならぬ「私自身」が、かけがえのない一回限りの実存であるという「主体性」「一回性」が見失われた時、それにかかわる人・モノもまた単なる次々と代替可能なものに変えられる。

” The enemy of art is the absence of limitations. ”

Orson Welles

” 芸術の敵とは「限界性の不在」である ”

オーソン・ウェルズ



いつでも代わりがあると思うところに真の愛情は生まれも育ちもしない。そのような思いの背後には、自分もまた限界を持つ有限な存在であるという意識が欠落している。オーソン・ウェルズの言葉は「芸術」に限定されない。
「人間性の敵は限界性という観念の欠如である」と言い換えることができるだろう。


現代人の多くは、「死ぬのはいつも他人ばかり」(マルセル・デュシャン)だとおもっているのではないか・・・

現代であれば、「パリ」は容易に火に包まれるだろう。
また作ればいいのだから。そこに「空間」があれば、大雑把にいえば「土地」さえあれば「パリ」は何度でもよみがえる、と・・・




[関連投稿]   「町、家、器が人をつくる・・・

関係性の中で、サン=テクジュペリ「ある人質への手紙」より

審美的引きこもり」と自明性への懐疑














0 件のコメント:

コメントを投稿