2020年8月24日

ふたつのわたし


Yasuzo Masumura, Aozora musume (a.k.a. The Blue Sky Maiden), 1957


” That’s the place to get to—nowhere. One wants to wander 
away from the world’s somewheres, into our own nowhere. ”


D.H. Lawrence. Women in Love, 1920


*


ある外国のブログを眺めていたら上のような投稿が目についた。
写真は増村保造監督の『青空娘』のスチル。

その下にD.H.ローレンスの小説からの引用がある。

正確に日本語に訳することができないが、自分の内側にある「何処でもない場所」この現実の世界、そして現実にある「どこか」から逃れて、ひとり彷徨うことのできる場所・・・この女性はいまそこにいるのだ・・・というような意味のことが書かれている。

興味を惹かれたのは、以前自分のブログに似たような投稿をしたからだ。

Calvary, Tata, Hungary, 1955, Vilmos Zsigmond (1930 - 2016)


適当な引用句が見つからなかった(探さなかった)ので、わたしはこの投稿のタイトルに
- Reading what ? 
- Own mind ...
「何を読んでいるの?」
「自分の心を・・・」と書いた。

この投稿をする時に、既に上のD.H.ローレンスの言葉を知っていたとしても、やはりこの写真には使わなかっただろう。

「何処でもない場所」「誰でもない自分」というよりも、彼は社会の中での、Someone else...「自分ではない誰か」という役割から離れて、今やっと「自分になれる時間」を持つことができている。わたしは「自分を無にする」というよりも、どちらかというと「自己の裡に沈潜する」というイメージが好きだ。

仰向けの女性と、うつ伏せの男性・・・内なる星を数えるには空を見ていてはできない。

現実社会という軛から逃れた時に、あなたは、無憂の(或いは無私の)境地に遊ぶか、それとも、深く自己の裡に沈んでいくことを選ぶのか・・・









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