2019年5月9日

「できない」ということの大事さ


貧しさのために、病気や障害のために、普通の人ができることができない人がいる。
彼らは本当に貴重な、重要な存在だ。「できる」人は「してしまう」
「できない人」がこの世界に存在すると考えることは何という救いであることだろう。





1 件のコメント:

  1. こんにちは。

    ぼくは、「出来ないこと」を試験出来るように成ったらいいなぁと思っているんですよねぇ。

    これを「ネガティブ試験」と呼んでいるんですけど、試験て、全部「出来ること」は試されるんですが、『その出来る人が、それをやるかどうか』については一切試されていないんですね。
    要するに、「出来る人」は『ナニするかわからない』と言うのが本当です。

    でも、「出来ない人」は、いつも「出来ない」ので安心・確実なんですね。

    「非情なことが出来ない人」とか「要領よく出来ない人」とか「空気読めない人」なんかも大好きですね。

    みんな、人間的ですからね。


    能力が高い人は、高慢ちきな人が多いので、概して嫌いです。
    でも、実は、いまの時代の中で『能力が高い』と思われている人の能力が、大したことないというのが実態のような気もします。

    つまり、「今の試験」は、「高慢ちきな人」を選んでいるということなんじゃないのかなと思ってしまいますね。

    では、また。

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