2019年5月30日

断想


● コメント欄を閉じた。どんなに質の高いコメントをもらっても、質が高く、中身がある分、わたしには最早それに返信する能力が無い。
勝手に書いてください。返事は書けませんが・・・とは、よくもまああんな無礼なことが言えたものだ。


● 山田花子の『自殺直前日記』という本を図書館にリクエストした。散々迷った。
というのも、以前この本を借りてチラッと見ただけで、強い拒否反応を覚えたからだ。
同じようにビルから飛び降りた二十代の女性(二階堂奥歯二十五歳、山田花子二十四歳)の日記でも、二階堂奥歯の日記(正確には「ウェブ日記」だが)『八本脚の蝶』は、一読、わたしの愛読書のひとつになった。
いったいなにがこうも違うのか?
そしてわたしの知る限りでは、『八本脚の蝶』よりも『自殺直前日記』の方が圧倒的に読者が多い。


● 母の話によると、最近、(母とわたしの会話なので、不正確な部分も多いと思うが)
50代の引きこもりの男性が、スクールバスを待つ子供たちの列に切り込み、自身も自殺したという事件があったらしい。

2008年の秋葉原の殺人事件については随分書いたが、例の「やまゆり園」の事件についても、今回の事件に関してもほとんど興味が湧かない。いわゆる「世間」がこの事件を起こし自殺した「50代の引きこもり」について何を思い、ネット上でどのような言葉が飛び交っているかにも、まるで関心がない。

「彼」(名前すら知らない)がどのくらいの期間、どのような状態で「引きこもって」いたのかも知らない。
嘗て「10年(20年?)も引きこもっているなんて人生に対する罪であり罰である」ということを言った者がいたことを思い出した。(「彼」は何やら「哲学」(のようなこと)を語って人気のようだが、わたしにいわせれば「彼」の所謂「哲学」なるものは所詮「アナグラム」に過ぎない。


● これも曖昧だが、「働いていないことに対する罪悪感」というようなことをどこかのブログで読んで気がする。けれどもそれでは、人に自殺を勧めるような者が精神科の看護師という「仕事」をやっているということは「罪」ではないと言えるのか?


● 誰かを傷つけずに幸福(幸せ)になる、ということがそもそも可能だろうか?
言い換えれば、誰かが幸せな分、必ず、誰かが不幸なのだ。
どこかで幸せが生まれた時、どこかで不幸が生まれている。




最後に、これは、2年前、2017年の5月31日に書いた文章です。
瀬里香さんは読んでいるはず。



「回転」


「すみません、乗ります!」
男は閉まりかけたエレベーターに駆けこんだ。
ふう・・・おや、今どきめずらしくエレベーター・ガールがいるんだな。そう思うのと同時にエレベーターの扉がゆっくりと閉まり「毎度ご来店ありがとうございます。ご利用階をお知らせください」というエレベーター・ガールの声が聞こえた。
「あ、屋上お願いします」
「かしこまりました」
白い手袋は「R」のボタンを押した。

そこは東京の外れ、多摩川を挟んで神奈川県と境を接する、戦前には映画の撮影所などがあって賑わいを見せた町であった。男が子供のころに通い慣れたこのビル。10年ほど前に郊外に引っ越してから、ずっとこの町に来ることはなかったが、久しぶりに電車を乗り継いで、「ふるさと」とも呼べるこの町にやってきた。もう一度だけ、自分が生まれ育った町を見ておきたかった。

そのビルは、7階がレストラン街で8階が屋上になっている。
他に乗ってくる客もいない。エレベーターは途中階を通過して7階・・・しかし最上階であるはずの7階を過ぎてもエレベーターは引き続き上昇し続けているように感じられた。そのまま30秒ほど上った後、「お待たせいたしました屋上、最上階でございます」という声。

屋上に出ると夕暮れの太陽を浴びて観覧車や子供用の列車などの遊具が紅く照り映えている。
ふと男は思い出した。確か屋上の遊園地はぼくが越してから数年後に取り壊されたはずじゃなかったろうか?「K駅ビル屋上の遊園地閉鎖」・・・そんな小さな新聞記事を随分前に見た記憶がある。
屋上の柵越しに町の風景を眺めるとどこか様子が違う。
建て替えられたはずの小学校の木造校舎がそのままの形で残っている。
富士山の姿を遮るように聳えていた高層マンションの姿がない。
頭上を見上げると、アドバルーンが夕暮れの風にあおられ、ゆらゆらと揺れながら浮かんでいる。
彼は屋上の反対側に走ってゆき、今しがた自分が電車を降りて来た駅舎を見た。それは正に彼が子供の頃にあった古い木造の駅舎だった。
ここはいったい・・・今はいったいいつなんだ。
男は観覧車のチケットを売っているスタンドに走り寄って、中の老人に尋ねた。
「あの、妙なことを伺いますが、今年は何年でしたっけ?」
「はは、なにいってんだ。今年はほれ、昭和38年、1963年じゃねえか」そう言って老人はスタンドの壁にぶら下がっているカレンダーにむかってあごをしゃくって見せた。
1963年、それはたしかに彼が生まれた年だった。

彼は考えた、彼はとても疲れていた、絶望に打ちひしがれ、何もかもが厭になっていた。短い歳月ではあったが、笑顔とともに生きて来た時代。そんな明るい日々の残光に引き寄せられるように、彼は今日、この町へ戻って来たのだった。

うつくしかった時代、希望と活気に満ちていた時代、いや、そんな「希望」とか「夢」とか「未来」などというとりとめもない言葉さえ格別意識することもなく、世界と一体になって暮らしていた子供時代・・・
今またあのエレベーターに乗り再び外に出ると、また21世紀に戻っているような強い予感がした。しかし仮に、このビルも、この町も、そして世界中が1963年であったとしたら、果たして自分は生き直すことができるだろうかと考えた。そして答えはノーであった。
きっとこれは何者かが自分に与えてくれたチャンスなのだと彼は考えた。
やがて彼は最後のタバコを吸い終わると、長いあいだ会うことのなかった母親の胸に跳びこむように屋上から身を躍らせた。

警察に制せられても、野次馬は次から次へと押し寄せてきた、そして飛び降りた男の顔を見て口々に言った。「なんて幸せそうな顔をしてるんだ」
「ああ、まるで素敵な夢を見ている子供の寝顔のようだ」

ちょうど同じ日の同じ時刻、郊外の病院で新たな生命の誕生があった。
産科の看護師たちが産まれたばかりの赤ん坊を抱き上げて笑顔を向けて見せる。
「バア」「ベロベロバアー」
しかしやがて看護師は同僚たちに自分の腕の中で泣いている新生児の顔をのぞかせながらこうつぶやいた。
「この赤ちゃんの様子、盛んに泣いているけど、なんだかこの泣き声を聞いて顔を見てると、この世に生まれてきたことが悲しくてたまらないって言っているように聞こえるの・・・」








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