2019年2月21日

それぞれの罪、それぞれの罰


「あらゆる罪を犯してきた、父親となる罪だけは除いて

ーエミール・シオラン『生誕の災厄』(原題日本語訳『生まれてきたことの不都合について』)

時に母に「なぜあんなのと結婚したんだ」と詰め寄りたくなる。
けれども、なによりも一番の犠牲者は母本人であることを知っている。
母は、「(あの男性との間で)母となった罪」を、自分を含めこの結婚で誰一人幸せになれなかったという罪を生涯をかけて贖おうとしている。
そしてわたしは「生まれてきたという罪」を母に対して負っている。

「生んでしまった罪」「生まれてしまった罪」それがわたしと母の生涯だったような気がしてれならない。

いま、この家族が、終わりの時に近づいているが、わたしは結局、父親となる罪を犯した男性についてほとんど何も知らない。どのような人生観を持っていたのか、どのような結婚観、女性観、家族観、死生観を持っていたかなど片鱗も聞いたことはなく、どころか、現役時代にどんな仕事をしていたのかさえ不明だ。

わたしに残されている記憶は、若い頃はただただ「怖い人」
老年になってからは、ただただ「汚い老人」・・・それだけだ。

子供を愛せないものが親になるということは、殺人に勝るとも劣らぬ「罪」に他ならない。

「父親が子供にしてやれる最上のことは、その子の母親を愛することだ」という言葉が好きだ。

母は生涯その夫なる男性を嫌悪し、軽侮し、同時にそのような人生を選択した自分自身を嫌悪し軽侮し続けた。

わたしは母には、「生んでくれてありがとう」といいたい。(現実には、それと同量かそれ以上の、生れてきたことへの申し訳なさの気持ちがあるが・・・)そして父に向かって「何故生んだ!?」と。

父と、わたしと、弟が、母の生涯を台無しにしたという思いは、きっと死んでも消えることはないだろう。
そして母もまた、自分のことは措いて、この結婚が、二人の子供を不幸にしたと最後まで自分を責め続けるのだろう。

そして死ぬまで、わたしも、母も、「あの男性」がいったい何者であったのかを、その内面を知る機会はないだろう。

わたしがこの世に言い残せることはただ一つ、どこかで聞いた言葉、


あらゆる罪を犯してきた、父親となることだけをのぞいて・・・







2 件のコメント:

  1. Blueさん。あなたがお母さまを恨んではいないと聞いて少しホッとしました。


    わたしは17年前に娘を産み、15年前に息子を産みましたが、4年前から子どもたちとは別居してゐます。4年前というと、ダンナからも娘(当時中学1年生)からも殴られ蹴られ、真冬の夜中に家から追い出され家の内側から鍵を掛けられるなど、酷い目に遭い、究極に混乱し、精神科の閉鎖病棟に保護入院したころです。退院後どうするか、という話になったとき、わたしには夫の元に戻るという選択肢は無く、夫と子どもを捨てて、自分だけ実家に戻りました。そうしてかれこれ4年になります。

    仲の良い父親と母親が揃ってゐるのが子どもにとっては理想なのでせうけれど、父親と母親が毎日殴り合っているよりは、どちらかが居なくなった方が子どもたちの平和が守られると思ったのでした。

    結果的に、子どもたちを捨てた形になつてしまひ、母として現在とても残念ですし苦しいです。それに自分が産んだ子どもたちの成長を近くで眺められないことを、大変淋しく思ひます。母親失格。だから、現在17歳の娘や15歳の息子が、将来わたしを恨んでわたしにどれだけ文句を言おうと、わたしに対して殺意を覚えようと、準備はできてゐます。


    なほ、上記のわたしの話には、【ダンナ】が出てきません。もともとわたしはダンナに無関心でしたし、ダンナもわたしに無関心でした。どちらが悪いというわけでもなく、夫婦でお互いに関係する、という方法をわたしもダンナも知らなかったのだと思ひます。お互い関係の仕方を探る努力ができたら良かったのでせうけれど、人生に「たられば」はなく、わたしが淋しいのも自己責任ですし、子どもたちから文句を言われるのも自己責任です。


    わたしの話ばかり一方的にしゃべって澄みません。やつぱりここは落ち着きます。教科書的な聖母にはなれなかったのですが、実は今も四六時中、娘や息子のことを想ってゐます。

    返信削除
    返信
    1. こんばんは、瀬里香さん。

      そうでしたか。わたしのには、フェイスブックで子供たちと一緒の写真を視たという記憶しかなく、何か事情はあるようだが、仲の良い親子だと、理想的な親子だとずっと思っていました。

      それに、FBの写真が偽りであるはずはなく、憎み合っている、或いは子供たちから憎まれている母親では無いと思います。

      わたしが母を憎んだり恨んだりできるはずがありません。
      比率として一番大きいのはやはり「申し訳なさ」ですね。

      わたしは親になるということを選ばなかった人間ですので、瀬里香さんの親としての苦しみ、かなしさ、つらさをとうていわかることはできませんが、どうか自分を責めないでください。もう十分に苦しんできたのだから。

      話したいことはいくらでも自由に書いてください、別にわたしの投稿への感想でなくても構いません。

      こちらこそ、上手くお応えできなくてすみません。

      コメントをどうもありがとう。



      削除