2019年2月14日

「場」


「生きていくということは、どうしてまたこんなにむずかしいのだろうと、ため息をつきたくなる。何も考えずに、ただ無我夢中で追われていくだけなら、それほど身にせまっては来ないのだが、それでも背後にそびえ立つ目に見えない壁がゆっくりと音もなく崩れてくるような不安からは、一秒だってのがれるわけには行かない。そうして、ふと立ち止まると、その瞬間に自分の足もとで、思いもかけぬ深淵が口を開く。しかしそれでも、生きるということを放棄するわけには行かないのだ。この生きないわけには行かないということは、なんと理解しがたい、重苦しいことだろう。

ー石原吉郎「日常への強制」より [下線、本書では傍点]

「生きるということを放棄するわけには行かないのだ。」

「生きないわけには行かない」

彼はいったい何を言っているのだろう?

生きるということを放棄するわけには行かない? 何故?

それは我々誰もが「生という刑」に処せられていて、そこから逃亡することはできないという意味なのか?





「生き場所のみがのがれがたくのこった。死に場所を得られぬままに。」 ー 石原吉郎


「逃げ場はない。ただ死に場所だけがある」 ー 辺見庸


そしてわたしは再び繰り返す。「死に場所こそが逃げ場だ」と。









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