2019年2月26日

サルバトーレ・フューメ / Salvatore Fiume Ⅱ


再度、サルバトーレ・フューメです。

わたしにとって、現在の外界は「異世界」です。わたしは彼らの「仲間」ではなく、おそらくはまた同じ種類の生き物でもない。
似た外観を持ちながら、本質的に異質であるということはけっして快いものではありません。
フューメの以下の絵には、「人間」が描かれていない。描かれているのは石像たちの世界。わたしには何故か彼らの「沈黙」が心地よい。
「静寂と沈黙」を感じさせる画家は、フューメと同じ時代、同じ国のジョルジュ・デ・キリコがいます。キリコの作品にも不思議な静けさが漂っていますが、彼の絵はわたしに心の平安を与えない。フューメの絵には温かさが感じられますが、キリコの描く隘路は冷たい。
わたしはフューメの石像たちの島に行ってみたい。人っ子一人いないが、何故か落ち着きを感じさせる。そしてわたしは、石像と言葉を交わすことができるでしょう。
何故なら彼らは「言葉」をもたないから。

人間ではないがロボットではない。ロボットが「近未来」或いは「現在」のものであるなら、この石像たちは「古代」を感じさせます。「アルカイック」「インティメット」そして「プリミティヴ」・・・つまりロボットやA.Iとは対極に位置する存在です。
石であれば、どんなに冷たくとも温もりを感じることができる。

最後の絵「タヒチ」は、唯一人間が描かれています。
タヒチといってまず思い出すのは、画家ポール・ゴーギャンです。
タヒチからパリに戻ったゴーギャンは、その文明化に失望し、再びタヒチに還り、そこで生涯を閉じます。21世紀のわたしが憧れてやまない、あまりにも美しいパリ・・・それが文明に毒されていると悲しんだゴーギャンの気持ちを想います。

「われわれはなにものか?どこからきて どこへいくのか?」有名なゴーギャンの作品のタイトルです。

この美しい言葉に、わたしはこう添えたい。

「われわれはなにものか?どこからきて どこへいくのか?なぜいまここにいるのか・・・」

◇    ◇


Città di statue / City of statues 1949


The square of the statues / The square of the statues



Isola di statue / Island of statues 1961


Monumento al gallo / Monument to the rooster



Isola con statue / Island with statues

Isole nel sole / Islands in the sun 1963

Tahiti






◇Mostly From Here and There◇




2 件のコメント:

  1. これらの絵は神の世界を見ている、と云う図のように思います。

    光は神からのもの、ではないでしょうか。

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  2. なるほど。わたしはもう感覚で、言葉以前で絵を捉えているので、感想を言うのは苦手かもしれません。

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