一冊の本は、延期された自殺だ
ー エミール・シオラン
わたしの場合、ブログを書くことはまさに「延期された自殺」だな。
ただし書くために延期しているのではなく、死ねないから書いているのだが・・・
いつ、もう書かなくて済む時が来るのか・・・
(「死ねないから書いている」なぜ「死ねない」のか?こっそり教えてあげよう。それは自殺するのが「こわい」からだ・・・)
(「死ねないから書いている」なぜ「死ねない」のか?こっそり教えてあげよう。それは自殺するのが「こわい」からだ・・・)
Nicoさん、こんばんは!
返信削除私は“本物”に出会う運命を持っていると、よく思う事があります。
私にとっての一番大きな事は、明治から大正にかけて活動したお坊さん「山崎弁栄」と云う人を知ったことです。
数学者、岡潔氏の書籍を通して知ったのですが、このお方は、釈尊仏教の神髄ともいえる般若心経に当たる「無辺光」を著したお坊さんです。
数年の後に、赤羽の駅前の古本屋で講談社版の「無辺光」を見つけた時は、運命的な気持ちになりました。
それからまたしばらくして、光明会なる教団が兵庫県の芦屋市に在る事を知り、そこからこのお坊さんの著した書籍を求め、それを通して学んでいます。
他にも本物と思える人に数人で会っていますが、Nicoさんも私にとっては「本物」の一人なのです。
だから、こうしてお付き合いをさせてもらっているのです。
Nicoさんから学んでいることは、こころの内面と絵画、または芸術一般に付いてです。
Nicoさんが取り上げる絵や音楽や写真はいつも惹かれてしまいますね。
なぜこわいのでしょう。
返信削除それは、未練があるから。
未練がある、とは生を全うしていないと云う事。
まだ、自身を「表現し尽していない」という想い。
そう思います。
わたしはそういうことではないと思います。そもそも一体人類の何パーセントの人が「生を全う」できるのでしょうか?いったい誰が自分を表現しつくして死ぬのでしょうか?
削除何かで読みましたが、漱石の最後の言葉は「まだ死にたくはない」だったとか。
「いまさらに 死なば死なめと思へども 心に沿わぬは いのちなりけり」
そういうもんだと思いますね。
Blueさん。わたしは生きるのがこわい。
返信削除自殺する勇気は1回で済むけれど、
生きるのには何度も何度も勇気がいる。
こんばんは瀬里香さん。
削除生きるのも死ぬのもどちらも怖いです。
シオランの本のタイトル「生まれてきたことの不都合について」=「生誕の災厄」まさにこれ以上に的確に「生」というものを表した言葉はないでしょう。
怖い、さびしい、どこかに逃げたい、隠れたい、けれどもどこにも逃げも隠れもできない。クリスティーナ・ロセッティの詩にあるように「決して自分からは逃れられない」
こんばんは。
返信削除ぼくは、Takeoさんに限らず、誰の自殺も肯定できませんし、人間に自殺する権利があるとも言えませんが、もしも、Takeoさんが自殺するようなことがあれば、その瞬間から、その死を肯定するということを約束いたします。
だから、それまでは、それを否定させてください。
お願いいたします。
それまでは、「自殺する勇気」よりも、「自殺がこわいと言う勇気」の方が、『より気高い』ということにさせといてください。
どうぞよろしく。
ふたつさん。やさしいことばを感謝します。
削除生きることも、死ぬこともままならずに、ただ、こわいこわいといいながらここにあるのです。
Takeoさん、こんばんは。
削除『生きることも、死ぬこともままならずに、ただ、こわいこわいといいながらここにあるのです。』
こういうのが、「存在の根源」じゃないかと思いますよ。
「性」ですね。
好むと好まざるとにかかわらず『そうあるしかない』と言うのは、すべてのものに与えられた「性」なのかもしれませんね。
それが、苦悩であれば、それは「辛いこと」ではありますが、「悪いこと」ではないような気がします。
ぼくには、「悪くないこと」は、自分にとっての上限です。
それでは、また。
こんばんは、ふたつさん。
削除そうですね。「存在の根源」といえるのかもしれませんね。
「こうでしかありえない・・・」わたしは自分をそのように捉えていますが、これ以外ではありえないというのは、ある意味苦悩です。
そういう意味も込めてわたしは「性格は運命である」という言葉を掲げています。
わたしは「悪」とか「正義」というようなことはあまり考えません。
それはわたしの手に余ります。ただ一つ言えるとしたら、醜さは悪だろうと・・・
いつもコメントをありがとうございます。