2019年1月31日

生体の悲鳴が聞こえるか?


人気の高い哲学ブログを読んだ。

詳細を語るほどのものではないので、話を端折るが、「彼」はなにやら勘違いをしているようだ。

彼は書く

「昔はよかった、という、鉄板で作られたテンプレ。考える、ということを知らないトレース。」と。

ところが、「昔はよかった」などという紋切り型を使って現代社会を憂いている哲学者、作家を、残念ながらわたしはひとりも知らない。

例えば、種村季弘は「もう成長はいい加減たくさん」といい、西部邁は、オズワルド・シュペングラーの言葉を承けて、「文化なき文明化」と嘆息した。また山田太一は、次のように「現代社会を憂いて」いる。

「私にはこのごろのテクノロジーの変化が病的に早く思えてならない。静かにその時々の変化や成果を味わう暇もなく、どしどし神経症のように新発明新ツールが次々現れては現在を否定する。その結果の新製品、新ツールも病的に細かい変化で、なくてもやっていけるものばかりどころか、ない方がよかったのではないかと、少し長い目で見ると人間をこわしてしまうような細部の発明を目先だけのことで流通させてしまう。」
『夕暮れの時間に』より「適応不全の大人から」(2015年)


人間の情緒的・情動的な動きは、いわば人間のなかに取り込まれた自然の動きである。この事実については、人間の間脳・下垂体・性腺系のホメオステイシスというような概念を用いた生理学的な説明も可能であろうけれども、人間の情動や気分が自然天然の現象(季節、天候、一日や一月のリズム、年齢的成熟など)と密接に関係していることからも推定できることである。人間の情緒は自然に触れた時に動く。私は先に、「気分」とは個人を超えて個人を包む宇宙的な「気」を個人が分有している仕方だと言った。これは、かなり事実的・具体的な意味に解する必要がある。つまり「気」とは自然そのものの動きのことであり、「気分」とは人間一人一人に分有され、取り込まれた自然の動きに他ならない。気分でものを考える人、情緒的にものを見る人は、自然を多く分有している人、自然との距離の少ない人である。

(中略)

しかし、ある一定の文化単位に限って言うならば、都会は農漁村に比べて自然との密着度が低いということは言えるであろう。ことに、近代的な高層建築の立ち並んだ工業都市や商業都市については、この傾向が顕著である。そこに住む人間は、いわば情緒を失った理性だけの人間機械に化しつつある。」

これは現在55歳のわたしが9歳の時、即ち小学校3年生の時に精神病理学者木村敏が著した『人と人との間 ー精神病理学的日本論ー』「第六章 文化を超えた精神医学」(1972年)からの抜粋である。
わたしが文字通り、原っぱで缶けりをし、駄菓子屋で10円のお菓子を買っていた時に、
木村は、このような視線で実時間の日本社会を見つめていた。木村敏41歳であった。
彼の記述は、その後約30年後に発せられた種村季弘の「もうこれ以上の成長はたくさん」というため息に、遠くから、しかし確実に呼応してはいないだろうか。



彼らそれぞれの、現代に向けられた批判の眼差しを「昔はよかった」という、たった一言の「常套句」に都合よく意訳還元し紐で束ね、それぞれの主張の細かな検証を省き、更に「テンプレ」なる頗る便利な言葉を用いて言説を矮小化する。

そして一番厄介なのは、「彼ら」には、世を批判する(彼らの言葉を借りれば「年寄り連中」)ex 種村季弘、松山巖、辺見庸、西部邁、坪内祐三らが、単に自分の過去の郷愁に浸っているだけとしか映らず、彼らが見、そして身を以て感じた「生体=生身の人間が生きる上でとても大事な何かが確実に失われた」という危機意識が感じられないということだ。

昔の子供たち(今の年寄り連)は、川で遊び、赤とんぼを追いかけていたかもしれない。でも今の子供たちにとっては、高層ビル群とオンラインゲームが彼らの遊び場であり蝉取りなのだ。と本気で考えているとしたら、駄菓子屋とコンビニを同列に見做し得ると考えているなら、それはとんでもない了見違いだ。

細野晴臣の言葉を俟つまでもなく、そこには、目には見えないが、人間にとって本質的に不可欠なもの ──「情緒」が欠如している。

生体に大地無く、心に情緒なし。それでも彼らは「それが現実」であると、あくまでも追認したいのか?

さらに

「今の子どもたちは、産まれた時から高層ビルを見ているから、それが普通、自然。」

なにをかいわんやである。彼は「常態」と「自然」を混同している。
人間という動物に必要なのは正真正銘本物の「自然」'Nature'であって、「スマホを持つのが自然」'Usual'という読み違えは失笑を誘う。

最後にもう一度、「生体」のあるべき姿を描いた、号、変哲・小沢昭一の句を繰り返す。


アスファルトまで来て戻る蜥蜴かな

















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