2019年1月26日

わたしが引きこもる理由 〔種村季弘の見た東京〕


松山巖の書評集『本を読む。』(2018年)に、故・種村季弘の『江戸東京≪奇想≫徘徊記』(2004年)を評した文章がある。


どうもいけない。つい小さいものへ、小さいものへと目が行きがちになる。

種村季弘さんが亡くなってちょうど一年になる。とてつもない物知りで、博覧強記という言葉がぴったりの人だったが、興味の好みは明確で、不思議なもの、いかがわしいもの、弱いもの、そして「小さいもの」であった。
亡くなる半年ほど前に、 『江戸東京≪奇想≫徘徊記』を著した。気の向くまま東京のあちこちを歩きながら、江戸随筆を渉猟し、記憶も重ねて、それぞれの土地に伝わる不思議な物語を解読してゆく。池袋に生まれ、東京だけでも十回は引っ越した種村さんならではの著作だった。ところがかつて住んでいた土地を訪ねはじめると、記述に慨嘆が多くなる。なにしろ記憶にある風景は消え、高層ビル群に変わってしまった場所ばかりだからだ。
だからこそ両国界隈で、覚えていた駄菓子屋がまだ健在で、子供たちが近くで遊んでいると大いに喜ぶ。そして以来、種村さんは「小さいものへと目が行きがちになる」のだ。しかし結局小さなものはなかなか見当たらず「もう成長はいい加減たくさん」と嘆くのである。
さて、現在の状況はさらに凄い。八月の日曜日、私は都市計画を学ぶ若い友人たちと都心を三時間ほど歩き、超高層ビルと巨大ビルの乱立状態を見て回った。これらはなじみの風景を消しただけではない。巨大投資の産物だから百年二百年は醜くとも残る。未来をも喰っているのだ。種村さん、見ないでよかったよ。


『江戸東京≪奇想≫徘徊記』が著されてから、そして種村季弘没して、既に15年の歳月が過ぎた。
「種村さん、見ないでよかったよ」という嘆息は更に重みを増している。

嘗て辺見庸は、1970年代に亡くなった詩人、石原吉郎について、
「彼はスマートフォンも知らず、ひとつのパスワードも持たずに済んだ。それだけでも幸せだった」と述懐した。

「見ないでよかった」「知らずにすんで幸せだった」

残った者が、先に退場したものををうらやむ街(時代)にわたしは住んでる。

石原吉郎の本を捲っていたらこんな言葉を見つけた。

「末世、生者が死者に弔われる。それが末世というものである。」(1972年のメモ)

翻って、死者の側から見てみれば、われわれは、「弔われる」者ではないにせよ、
彼らー死者たちに憐れまれる存在であることは疑いようのないことのようだ ── いや、確かに、弔われるべきは、そして「彼ら」の「弔辞」を聞くべきなのは、「逝きし世」即ち「現代」の「穢土」に生きるわたしたちの方なのかもしれない・・・

 







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