「皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。」
と言っているが、今のわたしの感覚を正確に言えば、
「自分が皆と同じ人間なんだということが実感としてわからない。」
わたしにとっては、「わたしは人間である」というテーゼさえ、最早「自明の事」ではない。
いったい誰が「あなた=わたしは人間である」と立証できるだろう。
何故木村氏は、彼を「人間である」として疑うことがなかったのだろう。
何故木村氏は、彼を「人間である」として疑うことがなかったのだろう。
誰かを「人間たらしめているもの」それは、単に、生理学的・解剖学的なものだけではないはずだ。
それとも、わたしは既に分裂病であるということなのだろうか・・・
わたしが高校時代友人の家で読んだ永井豪のマンガで、仲間のうち、一人だけ人間ではなかったという短篇があった。「彼」が人間ではなかったことは、周りも、そして彼自身すら最後までわからなかった。あの作品のタイトルを知りたい。あれをもう一度読みたい。
なぜわたしは、あの短編集の中で、「人間でなかった男」の話だけを憶えているのだろう?
なぜわたしは、あの短編集の中で、「人間でなかった男」の話だけを憶えているのだろう?
こんにちは、Blueさん。
返信削除新しい質問、見たよ。これからのんびり回答ややりとりを読んでみます。
わたしは現在、就労困難者専用の事業所で、月曜日から金曜日まで、1日たったの4時間、何とか仕事をしてゐます。車椅子の人や義足の人や右半身麻痺の人や発達障害の人や統合失調症の人や鬱病の人がいます。先月、新しく入所してきた女性は、耳の聞こえない人で、しかもシンガポールから来日したばかりで英語しか通じませんが、手話と紙とペンを使ってコミュニケーションを図り、仕事をしてゐます。彼女はわたしと同じ人間なのだなあと、また、わたしは彼女と同じく人間なのだなあと感じます。凹凸具合がちがうけど。
PS.わたしは、抗鬱剤・安定剤・睡眠薬の他、統合失調症(精神分裂病)の薬も処方されています。薬のおかげで何とか人間としての生活ができてゐます。
こんばんは、瀬里香さん。
削除長文の回答に答えるのは疲れます(苦笑)
そうですか、今瀬里香くんはそういうところで仕事をしているのですか。そういうことはまるで知りませんでした。
わたしは「健康」であること、「健常」であること、「欠陥のないこと」が人間の条件であるとは思っていません。
このわたしが「皆と同じ人間という実感がない」というのが、何に起因するのかわかりませんが、昨日のブラジュローヌ氏の回答で、「気持ちが通じ合うことができる者同士」が相互に相手を人間と規定する。という説は説得力があります。
植松聖は「意思の疎通の出来ないものは人間ではない」という思想の持ち主だったようですが、重度の知的障害者であっても人間です。これは間違いはない。
けれども、他ならぬこのわたしが、「彼らと同じ」人間であるか?それはどうしても実感としてわからないのです。
とにかくわたしは瀬里香さんや、底彦さんが、少しでも、一日一日の苦しみが少しでも少なく生活できることを願っています。
どうもありがとう。