2019年1月12日

恋について「愛はスマホを超えるか?」


一昨日のデイケア、正式なメンバーになっての初参加。Night Owlのわたしが午前10時から。というのもディスカッションのテーマが「恋愛」だったからだ。
プログラムには男女約12~3人が参加した。年齢層は30代から60代くらい。
内容はわたしが予想していたものとはだいぶ違っていた。
精神を、こころを病んだ人たちの集まる場所で、恋愛について語るというので、わたしは、「恋愛はしたいけどなかなか出会いがない」「どうやって恋愛をしたらいいのかわからない」といった問題を共有するのだろうと早合点していたが、いざ蓋を開けてみると、
「気になる人が現れた場合、どのようにアプローチする?」とか「デートするならどんなデートがいい?」といった、極めて現実的かつ実践的な話になった。
40代くらいの男性は、大学入学当初にモテまくった話しをし、60代(?)くらいの女性は、付き合い始めたきっかけのエピソードを披露。

日頃は我先に意見をいうわたしも、今回はただ黙って皆の話に耳を傾けるだけだった。
進行役のスタッフに「Takeoさんはどうですか?なにか・・・」
「あ、いえ、なんか、みなさんの話を聞いていると、わたしとは次元が違うというか・・・自分が異性に好かれる、異性と付き合うということがどうしても想像できないので・・・」

「恋愛」「恋」って、わからない。
誰かが誰かを、「恋愛の対象としてみる」ということはどういうことなんだろう。
何故「彼 / 彼女」は誰かの恋のターゲット(笑)に成れたのだろう?
人の「魅力」ってなんだろう?
わたしは恋をしてみたいのか、そうでもないのか、そんなことさえよくわからない。

なだいなだ氏は、恋というのは、「何々だから」ではなく、「何々にもかかわらず」してしまう運命的なものだ、なんてロマンティックなことを言ってるが、ことわたしに関していえば、「タケオであるにもかかわらず!」なんてことがあるだろうか?いや、無い!(苦笑)


僕らは恋をしたことがあるだろうか
短い生涯のうちで
一度でも恋というやつをしたことがあるだろうか
十代の恋 二十代の恋 三十代の恋
四十代 五十代の恋
老いらくの恋というやつを。

いや恋などというものを一度も味わったことがないような気もする

肉体の凡ゆる部分からすっかり塩気をとられた
皮膚のたるんだ黄色い人間同士が
乳くりあっているのはみられたものではないかもしれぬ
〔・・・・〕
思いのままにものをいうことさえ許されない世界であるなら
友よ
すっかり方向を変えて恋をしようではないか

夜だけにもしも自由というやつが許されるなら
互いに黙ってもぐらのように
女の柔らかい肌の部分と
乳くりあうのも愉しいものだ

女という獣の柔軟な肌の部分にまつわりつき
この薄い皮膚でふれあい
冷えきった血潮を少しは湧き立たせるのも悪くはない

ー安藤真澄「恋のうた」(1951年)


十代の恋も 二十代の恋も 三十代の恋も 四十代 五十代の恋もなかったわたしは、
多分恋というものを経験せずに終わるだろう。

老いらくの恋もいいかもしれない。老いての恋こそ本物の恋かもしれない。
いや、そもそも恋に本物も偽物もないのかもしれない。わからない・・・

まだ観ていないが『春にして君を想う』、西部邁の本にあったミヒャエル・ハネケの『愛・アムール』も観てみたい。

柔肌のあつき血潮に憧れない訳ではない。
女性の魅力は?という質問に、「容姿」と答えた、デイケアスタッフも、率直で好感が持てる。

とはいえ、いかなる僥倖が舞い降りても、スマホとLINEの時代に、自分が「恋」ができるとは思えない。
どんなに魅力的な女性でも、彼女がスマホを手にした瞬間、百年の恋もいっぺんに蒸発してしまう。ベッドのタバコは平気でも、スマホは・・・「にもかかわらず」の限界をこえている。
「惚れてしまえばあばたも靨」か、いやいやそれともやはり惚れても腫れても「スマホ」は「スマホ」か・・・


This Bitter Earth - Dinah Washington 1959

This bitter earth
Well, what a fruit it bears
What good is love
Mmh, that no one shares?
And if my life is like the dust
Ooh, that hides the glow of a rose
What good am I?
Heaven only knows

Oh, this bitter earth
Yes, can it be so cold?
Today you're young
Too soon you're old
But while a voice
Within me cries
I'm sure someone
May answer my call
And this bitter earth, ooh
May not, oh be so bitter after all















8 件のコメント:

  1. こんにちは、Blueさん。

    素敵な曲をありがとう。滑らかなストリングスが綺麗ですね。

    昨年末のhakobuluさんとのやりとり見たよ。Blueさんは相当「あれ」がお嫌いなようですね。サルトルの「嘔吐」の主人公が木の根っこを見て吐き気を催す感じでしょうか。
    そういえば昭和時代の黒電話は、会わずして会話をしたり要件を話したりするために存在する、という本質のようなものがあったけれど(便箋や葉書もそうですね)、「あれ」には存在だけが先にあって本質が無いようにも思います。

    わたしもBlueさんがお嫌いな「あれ」を使ってゐます。いつもPCを使って仕事をしているので、「あれ」よりむしろPCのほうに、うんざりしています。仕事以外の時間にまでPCの画面を見たくない気分です。
    実はこのブログも休憩中や仕事が終わった後などに「あれ」で読んでいますし、コメントも「あれ」で書いてゐます。教えてgoo!の質疑応答も「あれ」を使ってゐるし、他の回答やお礼があれば「あれ」から音が鳴るようになってゐますから、わたしは割と「あれ」を重宝してゐます。

    しかし「あれ」は無ければ無いで困ることもありません。電車に乗ってレジャーに行くときや、図書館に行ってのんびり過ごしたいときは、わざと「あれ」を家に置き去りにして出かけることにしてゐます。さうすると良いことを、釣り好きの友人に教えてもらいました。彼は釣りに行くときは「あれ」の他、わざと「家に置いていくもの」がもう一つあって、それは「腕時計」だそうです。「あれ」と「腕時計」の無い時空間というのは、限りなく解放的なのだろうなあと思い、感心してしまいました。

    ___________


    あまり積極的に参加できないディスカッションだったようですね。何か得るものはありましたか?わたしは10代以下の恋もしましたし(小学生の頃)・10代の恋もしましたし(中高生のころ)・20代の恋もしましたし(職場の人や現在の夫と)・30代の恋も40代の恋もしましたが、恋の何たるかを言葉を使って説明できるほどには、恋について「分かってゐる」わけではないやうです。分かってゐないうちに、わたしは恋を引退しました。

    恋のようなトキメキはありますよ。ロードバイクに乗って走る田舎道や峠に、わたしはときどき恋をしているのかもしれません。

    良い日曜日を。

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  2. 追記。

    わたしは「あれ」よりは「黒電話」が好きで、「黒電話」よりも「葉書・便箋」が好きで、「葉書・便箋」よりも、対面で話すのが好きです。

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  3. Blueさん、何度もすみません。


    サルトルの云う「本質」というのは(といってもわたしの解釈ですが)、たとえば、

    椅子は座るためにある。傘は雨をよけるためにある。湯呑は茶を飲むためにある。炊飯器は米を炊くためにある。学校は勉強するためにある。オフィスは仕事をするためにある。橋は川を渡るためにある。トンネルは山を通り抜けるためにある。ストーブは温めるためにある。冷蔵庫は冷やすためにある。服は着るためにあり、靴は履くためにある。鉛筆は書くためにある。

    というように、あらかじめ役割が決まっているものたちのことです。


    「あれ」や「人間」には、本質のようなものがなく、そういう気持ち悪さがある、ということなら同意します。

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    1. こんばんは、瀬里香さん。

      3つ分まとめてのお返事になるかな?

      ダイナ・ワシントンの歌、気に入ってもらえたようでよかった。
      This Bitter Earth. なんとなく、今の気分に沿っている気がして。
      彼女は、他にも、I'm a Stranger On This Earth(だったかな?)という歌も歌っています。「この地上での異邦人」という気持ちもやはりわたしの日頃の感覚と寄り添います。

      このブログで、もう百万遍も書いてきたことだけど、わたしが「あれ」を嫌う理由を簡潔に一言で、といわれれば、やはり「例外のないこと」でしょうか。
      無論厳密には幼児やお年寄り、そしてそれ以外でも「あれ」を持っていない人もいるでしょうけれど、やはり圧倒的な少数派でしょう。

      わたしは瀬里香さんのような視点から「本質」といった角度から考えたことはありません。ただ「あれ」にかぎらず、「お揃い」Me TOO! といったスタンスがダメなんです。



      「恋愛」についてのディスカッション。わたしはまだ皆を知りませんが、わたしのように変な人はひとりもいなくて、至極まともな障害者の人たちばかりだなぁという印象です。改めて、「心の病気」と「狂人」とは違うということを認識しました(苦笑)彼らがいい恋愛ができればいいなと思います。

      わたしはやはり恋には向いていないのだろうなと思います。
      そして瀬里香さんのように、なにかにこころときめかすというものもありません。

      寺山修司の言葉のように、「不完全な死体として生まれ」やがて「完全な死体となる」

      >わたしは「あれ」よりは「黒電話」が好きで、「黒電話」よりも「葉書・便箋」が好きで、「葉書・便箋」よりも、対面で話すのが好きです。

      わたしもそうですね。黒電話は古い型の方がカッコいいですね。
      「あれ」はデザイン性もなにもなくただ、実用一点張りでしょう?
      美意識の片鱗もない。

      わたしは年毎日毎に気難しくなり、いつも不機嫌で、潤いも、微笑も無くしながら生きています。「完全な死体」になる日まで。

      瀬里香さんもよい休日を。






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  4. 愛は惜しみなく奪う、とか云うタイトル小説?があったように思いますが、惜しみなく奪うのは“恋”の方ですね。
    愛は与え心。恋は求め心。と云うのが私の“持論”ですから。

    私は末っ子だから、好きだった女性は皆長女でした。しかもなぜか一つ上の人が多かったです。
    だから、末っ子の恋心は分かりますが、長男、長女は異性にどんな感情を持つのか興味を持っています。

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    1. 『惜しみなく愛は奪う』は有島武郎の小説ですね。若い女性記者と心中しましたね。

      >愛は与え心。恋は求め心。と云うのが私の“持論”ですから。

      そうかもしれませんね。わたしはいつでも「求めてばかり」ですけど(苦笑)

      わたしは長男ですが、人間関係で、そういうことを意識した記憶はありません。
      上にいようが下にいようがわたしはわたし・・・という感じです。

      でも、男の子にとって「妹」って、また「姉」って特別な存在かも知れませんね。
      わたしは「妹」がほしかったかな?

      恋愛に於いては、わたしは決して男性上位ではありませんね。(いやセックスの話ではなく)(笑)

      ただ、「妹」的なものを求める傾向があるかもしれませんね。

      恋愛の経験がないので、あくまで想像ですけれど(苦笑)




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    2. やっぱりNicoさんは長男の性格を持っていますね。
      妹的なものを求めているのは確かだと思います。もし出会いがあって、好きになったらその人は多分、末っ子でしょう。甘えるタイプです。ね〜、どこかえ連れてってえ〜、と云うような。

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    3. >ね〜、どこかえ連れてってえ〜、と云うような。

      う~ん。そういう女性はちょっと苦手かもしれません(苦笑)

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