2019年1月17日

「理解する」とはどういうことか? (狂人のノート)


●「誰もわたしではない」ということが前提とされるなら、「誰かを理解する」とはどのような意味を持つのか?


● すべての存在が、わたしとまったく同一(同一の思考と感情を持っている)であるなら、「わたし」が「あなた」を「理解する」とはどのような意味なのか?


●「わたしは日本の核武装に賛成します」「9条改憲に賛成します」同じように日本語を母語とする者同士、相手の言っている意味は「理解」出来る。つづいて「彼」は「理由」を述べる「・・・という理由でわたしは日本は核武装すべきだと思います。」
仮にその意見に「同意」出来ないとしたら、何が同意を阻んでいるのだろうか?
わたしの「理解力」の不足だろうか?


● 西部邁は、生前、自分の主催する雑誌について、「この本が仮に5000冊売れたとして、
最初から最後まで読んでくれる人は10分の1の500人。
きちんと内容を理解してくれる人は更に10分の1の50人。
そしてわたしの主張に同意してくれる人はその10分の1の5人だろう・・・」と書いた。

この漸減は何を意味しているのだろう?


● ミシェル・フーコーは、自著が出版された時に、「この本を理解できるのは(フランスでか世界中でかわからないが)せいぜい5000人だろう・・・」と。
この場合、「理解」と「不理解」は何に因って別れるのだろう?


●「理解する」とはどういうことか?
「理解すること」と「同意・賛同すること」は同じではない。
では、理解しながら同意しないということはどういうことなのだろう?


●「よく理解したからこそ同意しない」ということがあり得るとしたらそれはいったいどういうことだろう?

よく理解した〔けれども〕同意はできない。

ではなく

よく理解した〔だから〕同意できない。

このふたつの違いは何だろう?

何故「私もそう思う」といえないことを「理解した」と言えるのだろう?
「合意できない」とは「理解できない」と同義ではないのだろうか?


●「理解」と「誤解」の相違とはなにか?そこに明確な相違は存在するのだろうか?













2 件のコメント:

  1. 貴方の言うことは良く分かるけど、同意できない。つまり、理解はできるけど、同意はできないという事はあり得る。
    Takeoさんのスマホ嫌いは分かるんですよね、例えば。
    けど、自分は一人暮らしだし、いろいろと連絡用というか、携帯とかスマホを持たなければならない、で、これいじってると時間経つから暇つぶしにも良いやとなる。
    結局、多様な意見や価値観がありますよね、その多様性を僕としてはなるべく認めたい。
    けど、この国では、民主主義ですから、多様な意見を認めつつ、どうしても、多数決で決めるしかない。
    すると、スマホを便利に思う人が多いからスマホは肯定せざるを得ないと。
    もちろん、そこには、人に迷惑がかからない限りという条件は付きます。
    電車の中で、スマホに夢中でお年寄りに席譲らないというのは論外。
    今のところそう言う変な者は少数派で、ほとんどはマナーを守っているように思うから、僕はスマホ是認します。マナー違反者が増えれば、また、考えればいいという立場。
    Takeoさんも、なんかの必要から、スマホとか持ってみられればとつい考えちゃう。
    すると意外にも便利だし重宝するから、考え方変わるかも。といつも思っちゃう。

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    1. こんばんは、okiさん。

      なんていうのかな。わたしの見えないところで何やっても構わないんです。
      ただ繰り返しになるけど、わたしのスマホ嫌いはひとえに、「みんなが揃って」という一点です。駅のホームや電車内ではほぼ9割でしょう?
      この全体主義というか多様性のなさ。均一性・同一性が生理的に合わないんです。

      >電車の中で、スマホに夢中でお年寄りに席譲らないというのは論外。

      でもそもそも熱中していて気づかないでしょう?

      いやいや、仮にいっさいの使用料無料どころか、金をもらって使ってくれと懇願されてもお断りします。

      「いやなものはいや」という人間がひとりくらいいてもいいでしょう(苦笑)
      所詮わたしの同調者はいないんだし。






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