2019年1月27日

わたしが引きこもる理由2 〔細野晴臣の見た東京〕


東京新聞の朝刊に、「私の東京物語」というコラムが掲載されている。各界の著名人が、「自分にとっての東京」について語るというものだ。
今週の執筆者はミュージシャンの細野晴臣。

その第4話。1月24日木曜日に掲載された細野の東京・・・


失われて初めて気づくことがある。東京から失われたものの本質は情緒だと気が付き、自分はその失われた情緒に憧れるのだ。前の震災は東京にも大きな影響を与え、暫く計画停電が実行されたことは忘れ得ぬ体験だった。だが危機感とは裏腹に暗い東京が心地よかった覚えがある。その当時の印象は「灯火(ともしび)」という言葉が似合う。暗がりに灯る光は人間の光でもある。明るすぎれば消えてしまう情緒をそこに感じた人は少なくなかった筈だ。
そして今、時とともに再び忘れ去られた情緒は、自分にとってはとても大事なこととして、音楽表現の核心になりつつあるのだ。その後、川島雄三の映画「洲崎パラダイス赤信号」を見て、深川の先の辰巳と言われた地域にあった遊郭街で、現・東陽町と名を改めた「洲崎(スサキ)」を探索しに出かけたのも、そういう衝動からだった。1956年にオールロケで撮影された映像には、当時の勝鬨橋から洲崎までを見ることができる。しかし探索に出かけてみたら洲崎という街は消滅していた。代わりに防災のために広がった道路と、堅固に建て替えられた建物が並ぶ「普通の街」になっていた。どうやら、安全性・利便性と猥雑・混沌は共存できないらしい。防災に限らず、再開発の力も情緒とは無縁である。
しかし嬉しいことにまだ活気のある商店街が下町や城東地区には残っている。
砂町や大山などだ。そういう町はこれからも生き続けるだろう。

率直な感想を言えば、いかにも「名の通った新聞に掲載されるコラム」という薄口感、隔靴掻痒の感が否めない。まぁ大手の新聞に載る記事なんて、記者が書こうが、外部の執筆者が書こうが「毒気」と「身も蓋もない眞實」を嫌うのは常識であり、また、あまりにも救いのない記事は読む側も求めていないという新聞社側の手前勝手な判断から、批判の中にもどこかしら要らざる、そして「虚」の「希望」を織り込みたがるもの。だから否応なく批判の舌鋒も鈍る・・・

嘗て、田村隆一は、
「10行のうち1行でも「詩」があれば、残りの9行も詩に転化する」と書いた。
それに倣って言えば、この細野の文章は、最後の2行(新聞紙面では4行)が、それまで書いてきた流れをすべて「うっちゃって」しまっている。
いったいどこをどう押せば「そういう町はこれからも生き続けるだろう」などという後生楽な断定が湧き出てくるのだろう。何を根拠に?

ここは「東京」だ。「東京に住む者」のための街でも、また極東の島国の首都でもない。「東京」は世界の首都でなければならない。であるからこそ、歴代の都知事たちは、そこから「アジア的な猥雑さ、熱気、カオス」を、また「日本的な静けさ、つましさ、陰翳」を、そして近世からひきつづく「〔江戸ー東京〕的なるもの」を根こぎにしてきたのではなかったか?

同24日朝刊の東京新聞朝刊より

「東京都は23日、豊洲市場(江東区)の開場に伴い閉場した築地市場(中央区)の跡地について、再開発方針の素案を公表した。核となるのは、国際会議場や展示場の機能を持つ国際的な交流拠点。小池知事が掲げた「食のテーマパーク」構想の面影は消え、国に税収を奪われる危機感もあって「稼ぐ東京」を前面に打ち出した。

築地の市場跡地に「国際会議場を作る」と発言した都知事に対し「裏切られた」という声が場外市場関係者から上がっているようだが、政治家に対しての「裏切られた」という発言自体「甘い」と言わざるを得ない。
いかなる政党、いかなる党派、いかなる議員であろうと、「裏切らない政治」というものは存在しない。

上の記事からもからわかるように、「Tokyo」は、アジアであっても、日本であっても、また江戸であってもいけないのだ・・・


「嬉しいことにまだ活気のある商店街が下町や城東地区には残っている。そういう町はこれからも生き続けるだろう。」
細野の、いや、それ以上に、日本のマスコミの宿痾である底の抜けた楽天主義に、危機的状況への痴呆的な鈍感さにほとほと呆れる・・・
















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