2019年1月30日

ポール・ニューマン『評決』を観て


ー追記ー



上の投稿をしてから、先日も引用した『12人の怒れる男』のシドニー・ルメット監督の
『評決』という映画のワンシーンを思い出した。

ポール・ニューマンは落ちぶれた弁護士だ。酒浸りだ。昔の同僚で、彼の唯一の友人が持ってきてくれた「金になる仕事」も裁判直前までうっちゃったまま。
新聞の死亡記事を漁って、事故死した人の葬儀に赴き、加害者を相手に裁判を起こして、金にしようと持ち掛ける。無論そのような露骨な言い方はしない。「お困りの時はお力になります」と、名刺を渡して帰る。それでも時には遺族の怒りを買ってつまみ出されることもある。

酔って事務所で暴れる。そこを訪れた「友人」に「もうほとほと愛想が尽きた。お前とはこれっきりだ」と見放される。

そこに依頼人が訪れる。姉が市内でも有名な教会の病院で、誤診によって植物状態にされたと。その状態でもう4年になる、自分たち夫婦はもうすぐ転居しなければならない。

教会も裁判沙汰になることを嫌い、21万ドルという破格の示談金を提示してきた。
しかし、法廷での証拠のために病院に赴き、依頼人の姉の病室を訪ね、植物状態になって何本ものチューブに繋がれた若い女性の写真を撮っている内に、気持ちが変わってくる。
示談には応じない。彼女の為にも。そして自分の為にも。この世にまだ正義があることを信じたい。

ところが、相手は権力を持つ教会だ。特別の弁護士を雇い、次々に原告側の証人に圧力をかける。頼みにしていた証人はもう誰もいない。

彼は項垂れて恋人のところへ行く。

「だめだ、この裁判は負けるよ」
「まだ始まってもいないのに?」
「証人がいないんだ」
「何か方法があるはずよ」
「・・・いや、おしまいだ・・・」
「それで?あなたは何しにここへ来たの?」
「・・・・」
「わたしに慰めてほしいの?お門違いだわ」
「・・・・」
「あなたはこう言って欲しいのよ『熱があるから学校を休んでもいい』って。お断りよ」

これを聞いて彼はたまらず彼女の部屋のバスルームに駆け込む。
名を呼び、ドアを開けようとする彼女に彼は呻く「開けないでくれ・・・もう、追い詰めないでくれ・・・」

この映画を最初に見た時に、シャーロット・ランプリングが冷ややかに言う「あなたはこう言って欲しいのよ『熱があるから学校を休んでもいい』って。」というシーンが強く印象に残っていた。けれども、今回改めて観て、ポール・ニューマンの「もう追い詰めないでくれ」という弱々しい言葉が胸に響いた。

わたしは昔から弱かった、いまはもっともっと弱くなっている。昔見過ごしていた、観ていても記憶に残らなかったシーンに共鳴するほどに弱くなった。

わたしはこう言って欲しかったのだ。

「熱があるから学校を休んでいい」と・・・







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