2019年7月2日

「不謹愼であれ」


不謹愼であれ 小熊秀雄


わたしがはげしい憤りに
みぶるひを始めるとき
それは『あらゆる自由』
獲得の征途にのぼったときだ、
不德でも
また貪欲でもなければならない。
惡い批評を歓迎する、
下僕共は主人の規律を守らうとして
過去の調和と道德とを愛する

 『人間が犯しうるあらゆる不善
 いづれも皆公然と聖書に記されたるもののみならずや?』-ブレイク

聖書もまた喰ひたりない
私が犯す不善は
聖書の中に書かれていないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、
歴史はまだまだ聖書に
かかれない偉大な不善を犯すだらう
しかもその不善は
あくまで獨創的で
我々のものでなければならない。


『本についての詩集』長田弘 選(2002年)より


私が犯す不善は
聖書の中に書かれていないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、

嘗て「引きこもりは人生に対する罪であり、また罰である」と言った人がいた。

わたしをわたしたらしめているもの。それはわたしの「不善」であり、「聖書に書かれざりし」「不德」ではないか。

その不善は
あくまで獨創的で
私のものでなければならない。










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