2019年7月20日

混沌の中よりⅡ(Junkoさんのコメントを元に)


先の「混沌の中より」という投稿に、無事イタリアに帰国したJunkoさんからコメントを頂いた。例によって、また彼女のコメントを元に考えていきたい。
(Junkoさん、事前の承諾なしに勝手にコメントを引用することを深くお詫びします。ご理解いただければ幸いです・・・)


以下全文引用





Ciao Takeoさん
一昨日の晩、こちらに戻ってきました。
ヘロヘロ ヘトヘトです。
昨日は一日中何もせず、ただ身体がエネルギーを取り戻すのを粛々と行っているに任せました。
東京では、身体倦怠感が酷くてこのまま死ぬのではないかと思いました。
病気に違いないと思いました。
ところが
乗り換えのミュンヘンの空港に着いた時、それまで肩にべっとりと背負わされていたような妙な倦怠感がスーッと消えるのを感じました。
東京は疲れます
自分の年齢による体力の衰えや毎日やる事がある、そう言う事以外に何か目に見えない空気の重さがあって、それが私の呼吸を皮膚呼吸まで妨げる感じで、私はいつも足や頭の重さを感じ、身体を動かすのに通常の何倍ものエネルギーを使わされている気がしていました。多分酸素が足りないのです。

銀座に用事があって行きました。
観光客の多さに吐き気を催し、彼らのウロウロ歩きで生じる混乱に頭が痛くなりました。
今でこうならオリンピック開催時はどうなるのだろうと、、。
朝の浅草線新橋駅ではホームに入るのに長蛇の行列で、思わず閉所恐怖症の発作が起きそうになりました。そうでなくても、ここでだれか心無い人が大きな声でも上げて人々が無用なパニックに陥ったらとても危険だろうと思いました。
東京は人の住むところではないと思いました。
そして、
イタリアに帰る日の前日、ついに私の堪忍袋の尾が切れ、吉祥寺の駅で自らが混雑を増長させているのに気づかない、ぼんやりとした、顔のない顔で歩きスマホをしている男性に「あの、歩きスマホやめませんか?!」と言いました。
その人はびっくりした感じで顔を上げ、私はそのまま彼の横を通り過ぎました。
家に帰って弟家族に話したら、そんなことしたら危ないよと言われました。
私は私に苦情を言われたから私を刺したり、暴力を振るったりするのなら、すればいいと言いました。
そうしてこのおぞましいアホな人々の慣習が問題にされたら、願ってもない事です。
(この国は事件が起きないと何も気づきません。まあ、事件が起こってもまた次のもっとおぞましい事件が起こりますから、人々はほんの3〜4日で忘れるでしょうが、、。)
私が日本にいたら、東京のあちらこちらに出没して歩きスマホやめろと誰彼構わず、説教かます「変なおばさん」になっていた事でしょう。苦笑

この街ではもはや心の平安など望むべくもなく、この街で精神を病むのはごく当たり前のことではないかと思いました。「普通」の精神の持ち主であれば、この耐え難い混沌さ、混乱、騒音が織りなす無残で醜い光景に耐えられないであろうと思います。
毎日毎日疲弊していく私を見て、弟がこう言いました。
ジュンちゃん、ここでは君のように気持ちや注意を広く拡げていては行きていけない、だから皆小さく小さく固まっているのだと。

私は、絶えず目にする人間たちの傲慢で残酷な行為に、まさに「人間である事の恥」を感じていますが、日本にいるとさらにその恥を感じない訳には行きません。
テレビを見ても、意味のない、まさに大人を子供扱いしてるようなCMや番組があまりに多くて目を見張ります。これでだれもバカにするなと怒らないのか?と
こんなに低俗でいいのだろうか?と不思議に思うのです。

日本に3週間いて、私はTakeoさんが日々抱いている嫌悪感をさらに理解した気がします。
東京はこの1年でまた変わりました。つまりさらに酷くなりました。
それに気づかず、のうのうとスマホを眺めてそれを世界と信じて生きている、この全く生きていない国民に、私もまた日本人である事の恥を改めて感じています。
どうしたらここまで無知で無神経で無関心、低俗かつ凡庸でいられるのだろうか?と





こんばんは、Junkoさん。日本滞在お疲れ様でした。

Junkoさんは3週間の滞在で、この国、特に東京のような巨大都市で生きることはできないと実感されたのでしょう。けれども、わたしはさしあたって、海外への移住とか亡命というものが非現実的である以上、また海外とは言わずとも、自然の豊かな田舎で自給自足の生活をしてゆくということも様々な点から難しい。とすれば、わたしが生きるために与えられている場所は「今・ここ」しかないのです。

そしてわたしはいつまで経ってもこの街に慣れません。慣れている暇がないのです。
Junkoさんのように、地理的に離れている場所(ヨーロッパ)にいるとか、またわたしのように、物理的身体的に東京に属しているだけで、この街と距離を持つ者には、この街が慣れることを許さない街であることが実感としてわかるのでしょう。
やっと慣れたかと思っていると、また別の、新たな光景が立ち上がってきます。
それの繰り返しです。確かに東京に無秩序に乱立する超高層マンションとやらは、さすがに10年20年でなくなることはないでしょう。けれども、わたしはそもそも、その醜悪に林立する巨大ビル群そのものに100年かけても慣れることはできません。

わたしはアジア人であろうと、欧米人であろうと、銀座(現在の銀座です)あたりで、オー、ジャパンワンダフル!などと何の屈託もなく歓声を上げている観光人たちを心底軽蔑します。

ラフカディオ・ハーンが、晩年、日本に深く失望していたということを何かの本で、(そう書かれた一行だけを)読んだのですが、(おそらく松山巌の書評集『本を読む。』の中だと思います)
何故ハーンが、晩年この国に深く失望したのかはわかりませんが、日本の自然と、自然と共に生きるこの東洋の島国の人と文化を深く愛した彼の晩年が、日本が「文明開化」「脱亜入欧」などと、欧米化=文明化していく時期に重なっていたのではないか。だとすれば、タヒチからパリに戻ったゴーギャンが、「文明に毒された」パリに幻滅し、失望し、再びタヒチに帰り、二度とヨーロッパには戻らなかった気持ちと(時期と)通じているのかもしれません。

わたしはこれを、自分の乏しい記憶と知識とだけで書いています。普通は、こういう時に「ウィキペディア」とかいう「便利な」サイトを参照するのでしょうが、わたしはそれを嫌います。
もし本当に、ハーンの晩年の日本がどのような時期・時代であったのか、ハーンとゴーギャンの生きた時代がどの程度重なっているのかを正確に書こうと思うなら、図書館を利用します。
しかしそれは実際面倒なことでもあります。もっとも、面倒でなく知識を手に入れるということ自体が矛盾であって、手間暇かけずに何かが手に入るなどということがそもそもあり得ないことなのです。

わたしがハーンやゴーギャンのことを想う時、(先日ビデオで『ヴァージン・スーサイズ』のシーンを紹介した時にも書きましたが、)
「2019年現在の東京のわたし」が恋い焦がれて已まない1970年代、或いは20世紀初頭のパリ、まだまだ自然に満ち溢れていた日本に、幻滅し、失望(或いは絶望)した人たちがいるということの不思議さ・・・というのか・・・うまく表現できませんが・・・

何故ラフカディオ・ハーンは、何故ポール・ゴーギャンは、そしてフィクションとはいえ、1970年代に青春を送った彼女たちは、何故、わたしからすれば夢のような世界・・・「美」以外の何ものも存在しない世界で、「絶望することが出来た」のだろうか?(それは、「人は天国にいて絶望することができるか?」という問いと同じです)と考えずにはいられません。

「美こそわたしの信仰である」と、未だ言いうるなら、上記の人たちが生き、そして失望し幻滅し、絶望した時代こそ、わたしという美の信者の聖地ではなかったか、と思わずにはいられません。

この「美」以外なんでも手に入る時代に生きて。



「この街ではもはや心の平安など望むべくもなく、この街で精神を病むのはごく当たり前のことではないかと思いました。「普通」の精神の持ち主であれば、この耐え難い混沌さ、混乱、騒音が織りなす無残で醜い光景に耐えられないであろうと思います。」

それでもこの街で心を病んだ人たちのおそらくほとんどは、日々「スマホ」を眺めています。テレビなど視ないというひとも、決して多くはないでしょう。
そして樹が伐られることに、街の姿が変わってゆくことに、「何とか荘」が押し潰され、「メゾン・ドなんとか」に変わることに「そのような人たち」のどれ程が、自分の身を引き裂かれるような苦痛を感じているでしょうか。

気恥ずかしいほど陳腐な言い草ですが、歩きスマホなど論外で、そもそも人間ではないと言って差し支えないと思っていますが、電車内で、ホームで、「それ」に釘付けになっている人は、「精神を病んでいない」と言えるのでしょうか?

今この時代、この国で、この街で「生きる」或いは「生きられる」または「生きようと思う」ということは果たしてどのような意味を持つのか。

朝の地下鉄の行列の中で、何故誰一人叫び出す者がいないのか?わたしには不思議です。
そのような状況で正気でいられるということが、「人間である」ことらしい。では彼らはこの世界で「人間として」生きる術をいつ、どこで習ったのか?

先日の「ペシミストの公式」に瀬里香さんから頂いたコメント、「それでもわたしはすこしでもハッピーに生きたいから」という言葉にこころから、本当に心から共感します。しかし同時に、このくにで、「幸せに生きること」と、「無感覚になること」(=「馬鹿になること」)が、避けようもなく、また限りなく等しいことだとしたら、いったいどこにその生の意味を、価値を、見出すことができるのでしょうか?(※「馬鹿になる」の「馬鹿」というのが、良寛が自分を「大愚」と呼んだのとは正反対の意味であるということはおわかりだろうと思います。この場合の「馬鹿」とは「愚者」というよりも寧ろ「クレバー」な奴’Smart Ass’と同義です)

好むと好まざるとにかかわらず、わたしはこの時代、この国という船に、「彼ら」と共に同乗しています。そんな中で、どこまで「わたし」が「わたし」であることができるのか?またそれは何を意味しているのか?

わたしはいま、混沌(カオス)の中にいます。



ー追記ー

わたしは20世紀初頭のパリ(ヨーロッパ)、近世から近代への移行期にあった日本、そして1970年代を、「「美」以外の何ものも存在しない時代」と書きました。
それは「美」とは「幸福」同様事後的な概念なのか?人は実時間に「美」を感じることができるのか?そして、「「美」そのもの」というものは存在するのか?という問いに繋がってゆきます。











2 件のコメント:

  1. Blueさん。

    東京だけぢゃなくてわたしの地元名古屋も相当息苦しくて窮屈で喧しくて疲れます。
    スマホにイヤホン刺して歩いてる人だらけ。注意しても文句言っても聞こえない。
    耳栓。アイマスク。寝るときだけぢゃなくて電車の中でも必須。
    名古屋駅はおそらく東京駅以上に人と人がぶつかります。勘弁してほしいです。

    明日、日曜日は唯一の休日です。岐阜県恵那市の大正村まで自転車で旅行に行ってきます。
    たまには山に逃げたい。朝6時集合だから、早く寝て明け方4時に起きるよ。

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    1. こんばんは、瀬里香さん。

      うん、それは日本中大都市ならどこも似たり寄ったりじゃないかな。

      Junkoさんみたいにそもそも日本にいなかったり、瀬里香さんのように気軽に自転車で、自然の中に行ける人が羨ましい。

      先日のデイケアの「悩み相談」のプログラムで、家族間の問題で悩んでいる人に、その日初参加の60代(?)くらいの男性が、「居たたまれなくなった時の逃げ場を確保しておくこと。独りで抱え込まないこと。」とアドバイスしていました。

      家族のことであろうが、個人的なことであろうが、わたしに逃げ場はないし、このブログをある程度読んでいる人ならみな同じ思いだろうけど、わたしの話を聴いてくれる人はいても、この「孤立と独特の認識の化け物」の気持ちを理解できる人はいない。

      殺人者の気持ちを他人事ではないという人がいず、「死ぬなら一人で死ね」と皆で一斉にわめきたてるような国で。

      いつも愚痴っぽくてごめんね。

      明日は楽しんで、英気を養ってきてください。

      コメントをありがとう。

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