2019年7月16日

「マイノリティー」について。優介さんへ、


以下、『牛乳拭いた雑巾臭いブログ』より、「陰気な精神病者が急に色めき立つ後ろで、僕は落ち込んでいる」という記事について感じたことを書いてみる。


以下全文引用





VOGUEとかBuzzfeedとかが最近Youtubeにアップしてる、セクシュアルマイノリティの動画をたまに観るんですが
出てくる人達がことごとく、イェーイみんな元気ぃ?☆^^系で怖い
もしかして、根暗で友達少ないのは僕だけなんじゃないかと不安になる

まあそんなもんか
メンタルヘルスブログランク参加前は、この界隈なら僕もノーマルかと思ってたけど、全然そんなことなかったしな

精神病院の待合室で、ヤバそうな患者が、後から来た別の患者と楽しく盛り上がってるの見ると、なんか震える
ヤバ目なあの人より社会性が低いということを、認めざるを得ない

病の重さとは別に、根本的に性格が悪いのかもしれないな!

広い世界に出て、新しい自分を発見するとは言うが
狭い世界に入って、より自分の狭さに気付くということもあるんだな

精神病者やLGBTはみんなこんな感じだろう、というのがそもそも偏見なのだ
その人達がどれぐらいいるか知らないけど、みんなが僕みたいな感じだったら、さすがにもう日本沈没してるか

もしくは、もっと狭いジャンルに行くしかないな
精神病者という広大な世界では、僕はまだまだマイノリティだった
もっと限定的な…
SADでマゾヒスティック人格障害の、Xジェンダーで無性愛者のメタラー業界なら…

それは完全にただの僕だな
そんな奴が他にもいたらキモいわ

・・・いたらごめん




優介さん。

ぼくと優介さんとは基本的な位置が違うようです。そもそも「他の誰とも似ていない」というのがぼくの前提だから、自称他称に関わらず「マイノリティー」といわれる人たちとの比較さえ成り立たない。これは「劣等感」でも「優越感」でもない。単純な事実としてそう言ってる。

「マイノリティー」は「マジョリティー」に比較対比しての概念だから、決して「個別性」ではない。

「広い世界」に出てゆくことにはふたつの側面があるよね。「広さ」というものが「多様性」とほぼ同義だとしたら、「広い世界」では「マイノリティー」という概念そのものが希薄化される。また同時に、全ての人が「自分」という絶対的なマイノリティーであるということにも気付かされるかもしれない。

自分の属する世界が広く、また多様性に富んでいるなら、その広さー多様さに比例して、自分の異質性は最早「異質」ではなくなるという逆説のなかで、「精神病者という広大な世界では、僕はまだまだマイノリティだった」という優介さんの言葉には、その点で矛盾を感じます。

1ダースの黒鉛筆に交じって一本だけ赤鉛筆があればそれは「マイノリティー」だし、「異質」であり「異端」かもしれないけど、12色、或いは24色、48色の色鉛筆の中で、どの1本が異色だとかマイナーだとはいえない。本来「世界の広さ」という言葉は僕の中ではそのような意味を持っています。
ところが現実には、「世界の広さ」イコール「多様性」ではなく、出会う人が多ければ多いほど、それだけ自分の「異質性」をいやというほど思い知らされるくらい、世の中、就中(なかんずく)この国は均質です。

「メンタルヘルスブログランク参加前は、この界隈なら僕もノーマルかと思ってたけど」
という発言はちょっと意外だった。

ぼくは、どの世界なら自分はまだノーマルか?なんて考えたことがないから。
確かに「ノーマル」というのが「平均的」「普通」という意味なら、ノーマルではないことで、「ふつうの人たち」と話が通じないという不便さはあるけど、それでも、平均的であったり、普通であることに魅力を感じないのでどうしようもない。

優介さんを落ち込ませたという「VOGUEとかBuzzfeed」の動画(?)に関しては殊更言及する価値もないと思うので。




2 件のコメント:

  1. 最近あまり精神の具合が良くなくて、Takeoさんを満足させられるようなお返事を書けていない気がします、すみません


    僕の中には、『自分など取るに足らないありふれた存在である』という自動思考があります
    人格はともかく、能力という点では凡才で間違いないはずです
    僕がこれだけつまらない人間なのだから、相対的に、僕ではない人間はもっと面白いに違いない…

    普通の人のことは決して嫌いではないですが、僕より多くのことを学び、経験してきた人達が、みな同じようなことしか言わないのは何だか変な気がしてしまいます
    それが悪いとかではなく、『そんなはずはない、僕が一番凡庸なはずだ!』と、つい思ってしまうのです
    その考えが毎回裏切られてるということは、間違った考えなのでしょうね

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    1. こんばんは、優介さん。

      こちらこそ、勝手に優介さんの記事を使ってしまって、そのことを伝えようとずっと思ってたんだけど、なんだかそのままになっちゃって。ごめんね。

      >僕がこれだけつまらない人間なのだから、相対的に、僕ではない人間はもっと面白いに違いない…

      いやいやそんなことはない。優介さんは十分面白いよ。ユニークであることを何よりも重要視するわたしには優介さんは、とても稀な存在です。

      もちろん、自分を過大評価するよりは過小評価している人の方を好むけど、少なくとも優介さんは、つまらなくも平凡でもない。とはいえ、そういったオートマティックな自己否定はなかなか治るものじゃないことは、ぼく自身そうだからよくわかります。

      でも優介さん以外の多くの大人たちが「多くを学び」「様々な経験を積んできた」と本当に言えるのかな。それは本当にごく少数の人たちだと思う。
      20年30年と「実社会で揉まれてきた」人たちが、皆言葉の本来の意味での「大人」であるとは思えない。

      「人を深めるのは経験に依るのではない。経験から何を学んだかに依るのだ」というのは山本周五郎の言葉です。

      具体的に誰がどこで、どのように「凡庸」なのかわからないけど、まあそんなものだと思います。

      繰り返すけど、優介さんは凡庸でも退屈でもない。
      でも、「自分が取るに足らない人間である」という自動思考が苦痛じゃないのなら、
      いまのままでいいと思います。

      わたしは天狗は嫌いだから(笑)

      わざわざコメントをありがとう。



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