2019年7月12日

カッコいいってなんてカッコ悪いんだろう



多くの日本の男性は、何故ある程度の年齢の女性にも「かわいらしさ」を求めるのだろう?
そもそも「かわいい女性」って、どういう女性のことを言うのだろう?

わたしは女性に「可愛さ」を求めない。

何故わたしはドロローサやオーファンに惹かれるのか?実は彼女たちの顔も、年齢も知らない。(30代と言うことはないだろうが)それでも、彼女たちのセレクトする絵や写真に吸い寄せられるように惹かれてしまう。
彼女たち自身が描く絵も、ネットにUPする絵や写真も、総じて毒々しい。不気味でもある。毒々しく不気味だから惹かれるのではなく、そのような作品の中に、惹かれる何かが埋もれている。なにかとても微妙な按配で、単なる「悪趣味」と「魅力」が分かれる。それを持って生まれたセンスと言ってもいいだろう。

日本の男性が女性にかわいらしさを求めるのに対し、わたしが求めるのは、それが男性であろうと女性であろうと同様に、カッコよさだ。

通俗的なファション雑誌のように、「カッコいい男・女とは」なんて、こまごまと条件をリストアップすることはできない。それは一枚のポートレイトを観るのと同じように、直感的なものだからだ。そもそも「カッコよさ」を普遍化・一般化しようとすること自体ナンセンスだ。

それでも、個人的に2つの条件を挙げるとすれば、「尖っている」こと。そして「弱い者に偏見を持たない」こと。

雑誌の特集などで、たまに「カッコいい男性になるには!」などという特集を覗くと、
要するに良くも悪くも余り個性的であってはいけないと言われているようだ。つまり「広く」好かれろということらしい。

過激さ、先鋭さにこそカッコよさを見出すわたしにとっては、世間で「カッコいい男性」と言われるような人は、悪く言えば「凡庸な人」に思えてしまう。
本邦の雑誌などを規準にするならば、わたしの好きなモリニエ、ベルメールなどはもとより、オスカー・ワイルドやランボーでさえ、「カッコいい男性」の範疇には入らない。

「知的な不良」・・・そうだな、違う言い方をするなら、「癖になるマズさ!」
わたしは男性でも女性でも、そういう人を求めている。

そういうお前自身は尖っているのか?そう。天に向かって屹立するようには尖ってないけど、クフ王のピラミッドを逆さにして地中に埋めたような形でいつも尖ってるよ。


Fiona Apple - Across The Universe

フィオナ・アップル「アクロス・ザ・ユニヴァース」






0 件のコメント:

コメントを投稿