2019年7月5日

蛇足的補足的追記


下の投稿「複雑な彼」の中で、わたしはこう書いた。

「いつものことだが今回も選挙に行くつもりはない。
誰にいれたにせよ、それはわたしの一票をドブに棄てたことになると考えるからだ。」


これはよく聞く「俺が選挙に行ったところで世の中よくなるわけでもないし・・・」というのと同じ意味ではない。


安倍首相の言葉で唯一頷く言葉がある。それは「膿を出し切る」ということだ。

棄権がけしからんというのなら、母のように「白票を投じる」というのも手だろう。
とにかく、わたしは仮にどの政党が政権を取ったにせよ、世の中がよくなるとは思えない。
更に言えば、わたしは「膿を出し切る」ために、今後5年10年と安倍政権が続き、辺野古に基地が完成し、憲法が改正され、消費税は無目的に無制限に引き上げられ、社会保障は容赦なく削減され、30年以内の大地震の予測を尻目に原発もどんどん稼働すればよいと思っている。つまり「行きつくところまで行かせる」ことがわたしの望みでもある。
変な言い方だが、真に日本を滅ぼせるのは安倍政権しかないと思っている。


『大人のひきこもり』などの本を読んで驚くのは、


我が家に精神病患者がいることは「家の恥」
我が家に引きこもりがいることは「家の恥」
我が家に生活保護受給者がいることは「家の恥」「親族の恥」・・・

そう思っている人の存在の多さである。

また、同時に「何故一生懸命働いている人の給料が生活保護受給者の受給額より低いのか」と憤る人の多さ、このような声程政府にとって力強い味方はない。

セーフティーネットを利用することを恥とする。それを利用するものを白眼視する。蔑視する。
この論理を辿ってゆけば、行きつくところは「税金」というものの否定に繋がるのではないか。
日本人は未だに税金を「上納金」乃至「年貢米」と同一視してはいないか。

わたしは「勉強が嫌い」で満足に授業も受けなかったので、いつ皆が「精神を病むことは恥」であり「様々な理由から外に出られなくなったことは恥」であり、「働けなくなった者が、これまで納めてきた税金を自分のために使うことは恥」であると習ったのか、まったく知らないのだ。

わたしはこのような発想がすなわち「膿」だと思っている。
そしてこれは小手先の政策の改革で改善できる類のものではない、いわば日本民族の宿痾だと考えている。

他国のように、言い方は乱暴だが、気に入らなければすぐさま百万人単位のデモ、暴徒化、ゼネストの発生するような国でない以上、あとは政治家のやりたい放題にさせて、「なしくずしの死」を待つ以外に「膿を出し切る」方途はないと思っている。

そういう意味ではわたしは間接的に安倍政権の支持者ということになる。

何故なら、繰り返すが、安倍政権以外に日本を滅ぼす力を持つ政権はないと思っているからだ。

上に書いたことは皮肉でもなければ反語でもない。
本気で、早くとどめを刺してやれよと思っている。





6 件のコメント:

  1. Ciao Takeoさん
    私も全く同じことを考えます。
    そうですね
    上納金なのです
    だから政治家や官僚がどんなに無駄遣いしようが、この国の人たちは怒る振りをしながら容認する、しかしながら自分と同じ「庶民」である誰かが生活保護を受ける事は良しとせず、受給している人がパチンコなどに行こうものなら、目の色変えて批判する
    受給を拒否された控え目な人々が死に至っても、一瞬悲しそうな顔はしてみても、これではいけないと立ち上がる人はいない。

    私も一時は、このままではいけない。とばかり何か一石が投じられないか?などと考え、いろいろやってみましたが、そんなこと他力本願、向こう岸の火事、事なかれ主義、そして右に倣えの国民で溢れかえっているこの国では、大火に注ぐコップ一杯に水さえにも値せず、むしろこの国の人は「自分」がとりあえず、何事もなく日々を送れれば、社会の良かれ、社会的に弱い人たち、困難を抱えている人たちに手を差し出す事など考えようともしない、興味さえ抱かないという不毛の状況であると言う現実に辿り着きました。
    無関心は愛と対局の位置にあります。
    そして、むしろ、彼らはこの表面的で慇懃無礼でその場限りの笑顔で取り繕われた、この嘘くさい、つまり彼らが大好きなデイズニーランドみたいな張りぼての社会が好きで、このままでいい、余計なことはしてくれるなと思っているかのようです。

    この国は、Takeoさんのおっしゃっているように、「行くところまで行く」しかなく、今自分たちが無視しているその人々の苦痛なり、問題なりを自ら、直に味わっていただくしかないのだと思います。
    しかしながら、きっとこの国の大半の人が、実際その立場に自分が立たされても、かつて自分が上から目線で虚ろかつ冷たい視線で見つめ、彼らの存在にさえ気にかけなかった事を申し訳ないと思う人は少数でしょう。
    日本は、世界に先駆け破壊への坂を確実に転がっていますから、それならさっさとなるたけ早く行き着くところまで行ってしまった方が、私にとってはせいせいする。と言ったところでしょうか。
    少なくとも、こうして街があからさまに、しかし静かに確実に破壊されていくのを見守るしかない私のジレンマは無くなります。

    傷ついた、そして助かる見込みのない獣にとどめを刺すことは慈悲であると私は思っていますから、この息絶え絶えのこの国にも早くとどめをさしてあげればいいのにと私も思います。
    それは、きっと国というものが生き物であったとしたら、その尊厳をも守るものではないかと、特に今の東京を見ていると辱めを受けているとしか、私には思えないのです。

    大丈夫
    日本破壊の立役者である安倍さんは、きっとまた当選するでしょう
    タイトルに弱く、息をするように権力に傅き、外国コンプレックスだらけのこの国の人々は、世界的超オフィシャルなG20と言う会議において、他国の首相とファーストネームで呼びあい、(ファーストネームで呼びあいたいのなら、会議後のゴルフ場、もしくは彼らが大好きな高級レストランでやっていただきたいと私は考えます)
    いかに自分が海外首脳と親密であるか?とアピールしたいあのちゃちで頭の悪いあの人のちゃちなパフォーマンスをこの国の人々は手放しで喜び、むしろ評価してしまう、鈍臭過ぎて目眩がします。
    そして私はこの鈍臭い人々の取ってつけたようなお愛想笑いに絶望しか感じないのです。

    「勝手にしやがれ」です。


    返信削除
    返信
    1. こんばんは、Junkoさん。

      以前このブログにもリンクを貼っている「牛乳拭いた雑巾臭いブログ」の優介さんの記事をもとに、「自分の自殺の道連れに地球滅亡を考える」ということを書いて、優介さんとも話しました。優介さんは小学校中退らしいですけど、東大出の馬鹿たちよりもずっと切れます。

      その時どんなことを書いたか忘れましたし、タイトルさえも忘れてしまったので見つけるのは難しいですが、この記事でわたしが言っているのはそういうことではないのです。



      わたしは奴隷たちを恥ずべき人たちとは思いませんが、自発的隷属程、醜く見苦しいものはないと思っています。何よりも人の在り方として、「強いものには滅法弱く、弱い者には滅法強い」というのはどう考えても醜悪です。

      「自分の息子(娘)が精神科にかかるなんて!」
      「自分の子供が生活保護を受けて人様に迷惑を掛けるなんて!」

      これらは「そう教えられた」ものでも「そのように洗脳された」ものでもなく、日本という摩訶不思議な国人(くにびと)たちの根生(ねお)いの心性なのだと思います。

      いずれにしてもわたしはただもう単純に、弱者を踏みつけるような国と国民は滅びるべきだと思うのです。

      「善」とか「悪」というのは極めてあいまいな概念です。わたしは場合によっては殺人も肯定すると書きました。そんなわたしにとって、「弱い者」「苦しむ者」を鞭打つことは比較を超えた絶対悪なのです。

      わたしにはSNSで安倍批判をしている人たちが、申し訳ないけど、お気楽な人たちに見えて仕方がないのです。

      そもそも税金を使って生き延びることは恥ってどこから湧いて出た思想でしょうか?
      心を病むことが恥とはどのような思想でしょうか?
      風邪をこじらせて肺炎になることもやはり「恥」なのでしょうか?
      「肺炎」と「鬱」「統合失調症」のどこがどう違うのでしょうか?

      削除
  2. Ciao Takeoさん
    > そもそも税金を使って生き延びることは恥ってどこから湧いて出た思想でしょうか?
    日本という摩訶不思議な国人たちの「情けないほど浅く愚かで無知幼稚な」根生いからでしょう、、

    >心を病むことが恥とはどのような思想でしょうか?
    病むことのないであろう、もしくは病んでいる事を認識できないほど、麻痺した心の持ち主たちの「腐れ」根性から生まれた極めて愚かで身勝手な思想でしょう
    つまり同じ人間を偏見やら差別で区分けすることを好み、それによってなぜか自身の優越感を感じられると信じ込んでいる極めて人間性の乏しい、もしくは人間性を有しない、つまり人でなしな人々の思考です。

    >風邪をこじらせて肺炎になることもやはり「恥」なのでしょうか?
    人間が生身の肉体と精神を持っている限り、当然起こりうる事であり、病んだり機能が低下する事、そしてそれを乗り越えることによってその自然治癒や抵抗力を強化することができると考える私にとっては、人間が生きるという事の大事なプロセスの一環です
    「完全」の中に組み込まれたいわゆる「不完全」であると私は思っています。

    >「肺炎」と「鬱」「統合失調症」のどこがどう違うのでしょうか?
    どこも違いません

    返信削除
    返信
    1. こんばんは、Junkoさん。

      >日本という摩訶不思議な国人たちの「情けないほど浅く愚かで無知幼稚な」根生いからでしょう、、

      まあ、そう一刀両断にしてしまえば、身も蓋もないので、わたしはそれについて日本人の書いた、或いは日本を知っている外国人が書いた日本人論を読んでみたいのですが、最近とみに思うのは、都立であれ、各自治体であれ、図書館のレファレンスの質がさほど高くなく、先日母が観た「NY市立図書館に関する約3時間半のドキュメンタリー」『エックス・リブリス』(Ex-Libris=蔵書表)の話を聞いて、「知りたいことに関するあらゆる資料が揃っている」都市との格差に今更ながらうんざりしているところです。

      まあ確かにこちらの調査依頼の仕方も悪いのかもしれませんし、そもそも専門的な内容を一般人にもわかりやすく書かれている本・・・という要求自体が難しい注文なのかもしれませんが、それでも仮に割り引いて考えても、NY市立図書館と東京都立図書館では残念ながら比較にならないでしょう。

      例えば今わたしが興味があるのは、「病と性」(性=「広義のスキンシップ」の生体に対する治癒力)、或いは「狂気というもの」について・・・

      わたしはたんなる素人ですが、どんなジャンルであれ、専門家にとって、これような公共図書館の存在ほど力強い味方はないでしょう。それは「専門家」でなくても同じですが。



      わたしは「所詮奴らは馬鹿なんだから」で片付けてしまいたくはないのです。
      なにかその由来のようなもののヒントでも知りたいと思います。

      過去に何度か引用した、70年代に書かれた木村敏の『人と人の間 精神病理学的日本人論』にも示唆されるところは多くあります。

      無論自身の学ぶことへの不熱心さを棚に上げていっているという批判は免れませんが、前都知事はNYに視察に行ってきて、「やはり東京にもブローウェイを作らなければニューヨークには勝てない!」と息巻いていました。

      一方で、都民はこの映画を見るために母の行った初日から長蛇の列だそうです。
      (無論「長蛇の列」を作っているのが、都民の本当にごくごく少数派であることも、また事実なのですが)

      あまり頂いたコメントと関係のないことを書いてしまいましたね。

      雨模様ですが、残りの日曜日、よい時間を過ごされますよう。

      削除
  3. Takeoさん
    今日本にいるでしょ?
    いい加減うんざりしているのです。
    ここ数日は福岡に来ています。
    九州は東京より遥かに、遥かにマトモです。

    返信削除
    返信
    1. ははは、わかってますよ。そのくらい。とても冷静じゃいられないことくらい。
      ただ、ふたりで、一緒になって罵り合っててもね。

      福岡ですか。またリポートをお願いします(笑)

      マトモとはどうマトモなのでしょう?


      削除