2019年10月30日

底彦さんへ


ふたつさん、Junkoさん、底彦さんへ」へのコメントをありがとうございました。

お返事を書こうと、今まで、約1時間半ほど、ああでもないこうでもないと、書いては消しまた書いては考えなおしして、一向に考えがまとまりません。

辛うじて言えることは、今のわたしにとって、ブログを書くということがどういうことかわからなくなっているということ。

父のケア・ハウスへの入居準備が着々と進んでいる中、いまのわたしの頭の中は、「わたしさえいなければ」「わたしさえいなければ・・・」ただそれだけで占められています。つまり現時点に関しては言い切ってもいいと思いますが、わたしの心は真っ直ぐに「死」に向かっているということ。結局死ねない(死なない)かもしれない。けれども、11月を間近に控え、今年もあと2か月。来年、2020年も「まだ」生き永らえていることを思うと、ほんとうにたまらない気持ちになるのです。

そんな中で、底彦さんの指摘があったように、ブログを書くということは、なにがしか生産的な営為です。つまりそれは現在のわたしのこころとからだの状態に抗い逆らって書くことになるのです。

一途に死を希む者が、なにかを産み出そうとする・・・
その意味が、わたしには見いだせないのです。



ー追伸ー

あらためて今回, Takeo さんの心に土足で踏み込むような文章を書いてしまったことに打ちのめされています. 取り返しの付かない無礼をはたらいてしまった.

せんだっても、底彦さんは同じようなことを書かれていましたが、わたしにはいったい底彦さんが何を仰っているのかさっぱりわからないのです・・・

この部分での食い違いがあるのでしょう。底彦さんは、わたしのブログを褒めてくれる。わたしのブログは心の安らぎであり慰藉である、と。けれども、底彦さんは、わたしが何故ブログを書かないのか?ひょとして「書かない」のではなく、「書けない」のではないか、ということに思いを巡らせてくれたでしょうか?
このブログは不思議と心が和らぐ、是非続けてもらいたい・・・しかしその書き手の抱えている苦しみについて一言でも触れてくれたでしょうか?

昔MySpaceで、わたしが落ち込んでいて、ステータスの箇所にLeave me alone...と書きました「そっとしておいてくれ」「ほっといてくれ」と、すると、当時まだ10代だった、アメリカのアンナという女性が声をかけてきました。「ほっといてくれ」と書いているのに、声をかけてくれたんだね。」というとアンナは「だって友達じゃないか、ほっとけないよ・・・」わたしは[Leve me alone]と下げられている札をあえて無視してドアをノックしてくれたアンナの心遣いがうれしかった。

・・・ことほど左様に人間関係は難しいということです。

わたしに底彦さんを批判する資格はありません。

久しぶりにカーペンターズのCDを聴きました。

原題はI Need To Be In Love. その中の一節が好きです。


I know I ask perfection of a quite imperfect world...














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