2019年10月19日

「障害」「性」そして「生」 ー 気狂いだってセックスしたい


目がよく見えないせいで、資料を参照・引用する文章を書くことが徐々に難しくなっている。

昨日の保健士二人との2時間近くに及ぶ話し合いで、そろそろ本気で、「仕舞い時」を考えなければならないと感じた。
そもそも「デジタル・ネイチャー」と呼ばれるひとたちに、極度の「デジタル・ヘイター」の生き難さが理解できるはずがない。けれどもそれは、わたしよりも20歳±年の離れた彼/彼女らの責任ではない。

最近は気分の振幅が大きく感じられる。けれども、膨らんだふうせんも、ちょっとしたことで破裂してしまう。風船がある程度の大きさのままに保たれるということは考えにくい。



資料を使った記事を書くのが困難であると言ったのは、例えば先週の『東京新聞』に掲載された「春画」に関する記事を抜粋し、引用することの困難さとして現れている。

記事の分量としては文庫本サイズの見開き2ページ分くらいだろうか?

簡単に頭の中でまとめると、2015年に20万人を動員した日本初の本格的な「春画展」は、そもそも大英博物館から巡回してきたものだが、その実現までに3年以上を要した。2013年に成功を収めた大英博物館の「春画展」の日本開催は、公立、私立を含め20以上の美術館に断られた。その3年間の経緯を追ったドキュメンタリー映画『春画と日本人』が、現在「18歳以下入場禁止」という制約付きで、東京の「ポレポレ東中野」で上映されている。

「春画展」を断った美術館の言い分は「美術館のイメージが悪くなる」「逮捕者が出るかもしれない」(おそらく主催者側に、という意味だろう)「クレームが来たらどうする」というようなものだった。

「ポレポレ東中野」HP

この映画、観に行きたいが、残念ながら無理だろう。新聞によると「DVD化の予定もない」とのこと。
先程、主治医に電話をして、「また母に薬を取りに行ってもらいます。昨日の保健士との面談のこと、デイケアのこと、人の悩みを「娯楽」にする「招かれざる客」たち・・・お話したいことはいろいろあるんですが、とてもそちらまで(電車に乗って)伺えません。」と言い訳をして予約を取ったところだ。無論主治医はわたしを気遣ってくれている。「電車に乗れないので・・・」というと「そうですか・・・」と声を落としていた。



最近しばしば考えるのは、障害者と性=SEXのことだ。

無論一般論としてではない。わたし自身の問題として切実に考えている。

先日都立中央図書館に資料調査のメールを送った。

質問内容

「障害者と性」というテーマでの本を探しています。もっと厳密に言うと、「精神障害」と「性」との関係です。広く言えば、鬱病など、何事にも無気力無関心そして「欲望」「意欲」というものが極度に低下・減退している状態に対して、「性」乃至、「恋愛的なもの」が何らかの自然治癒力を高める役割を果たすということがあるのか?といったことです。
これは精神障害に限らず、特養にいるお年寄りなどにも言えることかと思います。
昔の新聞記事で、老人ホームで「ポルノ映画会」を催したところ、上映後の皆の顔が生き生きとしてきたというレポートが掲載されていました。
また広く、人間の生にとって「性」の果たしうる効用とは、ということにも関心があります。
以上のような観点からジャンルを問わず、「精神状態」と「性」についての資料の調査をよろしくお願いします。


インターネットで、「障害者とセックス」などのキーワードで検索したところ、ほとんどすべての「障害者」=「肢体不自由」「脳性麻痺」つまり「身体障害者」及び「重度の知的障害」のことで、「精神障害者の性(セックス)」について言及したものを見つけることができなかった。(無論これは「デジタル・ヘイター」たるわたしの検索能力の不足に依るものでもあるだろうが)

その中で、ふたつの映画についての記事を見つけた。

ひとつは、『パーフェクトレボリューション』という映画についてのクローズアップ現代の記事。

障害者と恋とセックスと」〔2017年9月25日放映〕

主演を演じたリリー・フランキーの言葉

「手が触れ合うだけで生きていきたいって思える」この言葉に100%共鳴する。



次は『セッションズ』ーこの作品は実話に基づいて作られている。



これは図書館には在庫はなさそうだ、何故なら「R+18」指定になっている「成人用映画」を図書館が購入するとは思えない。

日本の伝統文化「春画」でさえ「わいせつ」と見做す美術関係者が少なくないのだから。



上記の「パーフェクトレボリューション」そしてこの「セッションズ」も、
意地の悪い見方をすれば、「いいお話」「ラッキー・ストーリー」と言えるだろう。

けれども、諸外国のように、努力はしたが運が無かった、というのと、端から、「障害者の性」というだけで、分厚い偏見・差別の立ちはだかる国とでは「アンラッキー」の質からして違う。

また両者とも、主人公は障害者であっても、狂人ではないし、変人でも変態でもない。



さて、単刀直入に、「キミはセックスがしたいのか?」と訊かれれば、わたしの答えは、「イエス」でありまた「ノー」(I dont know)だろう。

わたしはセックスの経験はあっても、それで身体的・情緒的満足を得た経験が一度もない。SEXでエクスタシーを感じたことがない。無論精神的充足感 ー(心と心のつながりを感じたことも・・・)

「あなたは今「性欲」に翻弄されているのか?」と訊かれれば、「ノー」(Maybe...)と答えるだろう。

わたしはでは一体何を望んでいるのか?何を求めているのか?

「全き抱擁」とは何を意味するのか?

簡単なことだ、人として、男性として、同じ人間から「身も心も愛され得る存在であるという歓び」だ。

しかし残念なことに、わたしは身も、心も、「化け物」であることを知っている。

わたしが裸になれば、10人中9人の女性が目を覆うだろう。20人いれば19人が。30人なら29人が。「何故皆がと言わないのか?」と言われれば、「全ての人間が全く同じ」だとは考えたくない、「例外」がいたっていいじゃないか、というそれだけの理由だ。
自分の身体にわたしは強烈な劣等感と羞恥心を抱いている。

そんな激しい劣等感と恥の意識、そして相手を不快にさせているのではないかという不安を抱えたまま抱き合ってもセックスのよろこびや一体感など味わえるはずはない。



『セッションズ』のページには以下の文章がある。


「セックス・サロゲート」(日本語で訳すと「性治療師」)という職業は、日本ではまだあまり馴染みがなく、映画を観て知った方も多いのではないでしょうか。

「セックス・サロゲート」の具体的な仕事内容は「セッションズ」と同じで、性生活に不安や悩みがある人を対象にセラピーやレッスンを行い、必要であればその過程で相手とのセックスも行います。

この手法に対して、一部からは批判の声も挙がっていますが、現在アメリカやオーストラリアなどでは職業として認知されつつあります。

障害者の性的介助に関してはヨーロッパではごく一般的に行われるようになっていますが、日本はこういった面ではまだまだ後進国と言えます。
(下線・太字Takeo)


ー追記ー

『春画と日本人』は是非観たかった映画だが、『パーフェクト・レボリューション』『セッションズ』は特に観たいとは思わない。しかし「セックス・サロゲート」という仕事(?)制度(?)にはとても興味がある。









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